では。
刀が、鎧の表面を滑った。夜に、火花が散る。
引き換えに振るわれた剣で、髪が数本切り飛ばされた。
「チィッ!」
空中で身を捻り、首が斬り飛ばされるのを防ぐ。石段は足場にするには狭く、階段中腹の平たく開けたところまで、落ちる羽目になった。
見上げれば、追撃を加えようとしていたバーサーカーに、ランサーが槍を叩きつけるようにして止めていた。
先程からこれだ。
以蔵の刀は鎧を破れず、ランサーの槍は力が足りない。ぎりぎりのところで連携は取れているため押し留められているが、一つ誤れば首と胴体が泣き別れしているところだ。
理性を取り戻し、本来の獲物禍々しい黒い大剣を振り回すバーサーカーは、その場凌ぎの鉄骨や鉄柱を振るっていたときより数段厄介で、決して門を通らせない。
先ほどから、赤の槍はバーサーカーの魔力の鎧を貫き、傷こそつけているのだ。一度など、首元に槍が埋まった。
だが、まったく動きが鈍らない。
傷つけられた端から、マスターによって回復されているのだ。それも、尋常でない速度で。
これでは、千日手もいいところである。
供給源である魔術師を、どうにかしなければならない。以蔵も加速と回復のために、繍から魔力を吸い上げているのだ。
犬の式神と以蔵とを、両方顕現し続ければ繍が倒れる。
あの海のような魔力は確かに早々尽きないだろうが、どうせあの馬鹿は己が倒れるまで魔力を止めないに決まっている。
「アサシン、どうだ?」
跳躍して来たランサーが尋ねて来る。
バーサーカーは、二人を払いのけたからなのか、一度動きを止めていた。
「どうもこうもないき。なんぼ斬ろうが治しちょる。首でも刎ねんことにゃあ止まらんぜよ」
「そのようだな」
サーヴァントは、マスターからの魔力さえ潤沢ならば疲労とは無縁だ。
だが、斬ろうが突こうが一向倒れない相手というのは、底が見えない。
以蔵は自分があまり、気が長くない性格と知っている。斬っても死なぬ相手、斬れぬ相手は、苛立つのだ。
「AaaaaaAAAAA─────!」
突如、バーサーカーが咆哮する。石段を蹴って猛然と飛ぶや否や、以蔵の方へと飛びかかって来た。
「AAAArthur─────!」
「なっんなんじゃ!」
主君の名を叫びながら、バーサーカーは剣を振りかぶる。
あの騎士王から得た彼らの剣技。短い時間で身に染み込ませた動きで以蔵は動き、バーサーカーの剣を躱した。
「Gaaaaaaa、aaaaaArrrrrrthurrrrrr!」
だがそれは、却って黒騎士を刺激したらしい。
これまで目を向けていたランサーを顧みず、以蔵の方へと猛然と襲い掛かる。
─────こいつ、は。
剣の腹を蹴ってバーサーカーの背後に降り立ち、以蔵は一旦立て直す。
「
アーサー王と名を聞いた途端、バーサーカーがまたも咆哮する。
そして再び、以蔵だけを標的に斬りかかって来た。
「チィ─────!」
バーサーカーの両手持ちの大剣を、頭上に掲げた刃の表面で滑らせ、すれ違うようにして一撃を避けた。
間違いようがない。この騎士様は、以蔵の中にあのセイバーの剣技を見てとり、それを叩き潰そうとしている。
「おい、狂犬!おんしゃはそがあに、セイバーが……アーサー王が、憎いんか!」
返答は更なる追撃である。
跳び、弾き、ぎりぎりで避けながら、以蔵はランサーへ叫んだ。
「槍兵!こいつは今、わしにしか目を向けちょらん!とっとと行かんか!」
バーサーカーが以蔵に目を向けている間、門は空いたままになっている。
門番としての縛りを振り切るほど、この狂戦士にとってアーサー王の剣技を知った動きをする剣士は、打ち倒したくて堪らない相手なのだ。
「バーサーカーのマスターを見つけぇ!そん槍で刺しゃあどうにでもなるが!」
ランサーは何かに躊躇ったように足を止める。だがすぐに、猛然と身を翻えして山門の奥へと消えた。
アサシンの自分が足止めをすると言い、引き換えにランサーにアサシンの真似事をさせる。
騎士道がどうだとか言わなかった辺り、ランサーも空気を読んだらしい。
「ざまあないのう、ランスロット卿。出し抜かれおって」
門から離れた階段の中腹、舞台のような平らかな石段で、以蔵はバーサーカーと向き合い、まんまと突破を許した騎士を、せせら笑ってやった。
「Aaaaaaaathuraaaaaaa─────!」
狂獣さながらに吠え、バーサーカーが斬りかかって来る。
何がそこまで、バーサーカーをかり立てるのか。
この騎士に裏切られたというセイバーは、それでもランスロット卿は最高の騎士だと言って、狂戦士に堕ちたことを随分と衝撃を受けていた。
繍は狂乱して味方を斬った逸話の側面で召喚されたのだろうと言っていたが、それにしてもこの色濃い殺意はただごとではない。
これではまるで、ランスロット卿はアーサー王への殺意だけで突き動かされているような有様だ。
できるだけ長く、この騎士の相手をする。ランサーか、ケイネスか、それとも繍がバーサーカーのマスターを殺すなりなんなりすれば、必ず動きは鈍るだろう。
そのときに、斬る。
どのみち、この騎士相手に神秘で上回ることなどできないのだ。頼りになるのは結局のところ、この刀だけだった。
「はようせいよ、繍」
己でも知らぬ間に呟いて、以蔵は兜の隙間から覗くバーサーカーの瞳を、睨んだのだった。
#####
小聖杯に新たに満ちた、魂の重み。
それはつまり、サーヴァントが死んだということだ。
以蔵とのラインに変調がなく、言峰綺礼に欠片も焦りが見られないということは、倒されたのはセイバーかランサー、或いはライダー。
「ふむ、ライダーが落ちたか」
「……」
今更、彼がアーチャーと繋がっていることなど驚かない。
ただ、こちらの味方が一騎消えた事実が重かった。
「だがセイバーは健在で、アーチャーと矛を交えているな。ああ、ライダーのマスターは無事だ。貴様にとっては朗報だろう」
「お前な……そういう嬲るような言い方するから、ほんと嫌いなんだよ。性悪野郎」
「奇遇だな。私も貴様が嫌いだ。破綻者であると自負しているのに、絶望などしたことがないというその面貌、何の為に生きているのか」
それは嫉妬だろうが、と繍は舌打ちしかけた。破綻の仕方が、たまたま人倫に背かない方向性だっただけの女に嫉妬など、こいつのほうが余程に人間臭いではないか。
「間桐雁夜の場所を、教えろ」
「通りたければ通れ。貴様に、間桐雁夜を救えるものならな」
言峰綺礼は、繍に背を向けて歩き出す。
寸の間迷ったが、聖杯を鞄に押し込み、後に続く。毒食わば皿までという気分だっだ。
そんなことを考えていると知ったら、以蔵にまたどつかれるだろう。
ごめん、と聞こえないように心の中だけで謝っておいた。
言峰神父に導かれたのは、山の地下。黒く口を開けている洞窟だった。
黒と白が何かを感じ取ったのか、低く唸り始める。その首元の毛を繍は撫でた。
彼らは嫌がっている。この先にあるヒトの穢れの結晶を感じ取って。
「ボクは行くよ」
誰に言うでもなく呟いて、繍は暗闇へ足を踏み入れた。黒と白は体を少し小さくし、ついて来た。
ケイネスの魔力の痕跡も、ぼんやりと感じ取れる。
そのまま歩き、目の前に広がった光景に繍は足を止めた。止めざるを、得なかった。
胎動しているのだ。
大洞窟の天井にも地面にも、何かの気配が巣くっている。吹く風は生温く、気持ちが悪い。
きっと黄泉平坂から吹く風とやらは、こんなものなのだろう。
大洞窟の最奥には暗い塊があって、その近くにケイネスがいた。どうしたことか、呆と人形のように突っ立っている。
「気づいているか、この空気には死が充満している。アインツベルンの置き土産、
「解説どうも。それでお前は、その空気の中に間桐雁夜を放置したわけだ」
黒が鼻面を向ける先には、岩の間に転がされた間桐雁夜がいた。
顔色は土気色、生きているか死んでいるのかすら定かではない。おまけにその体の周りには、半透明な膜があり、近寄ることができない。彼の手の甲で紅く光る令呪だけが生々しく、不気味だった。
その手に握らされたやたらきらきらしい短剣が、この結界の発生源と見て取り、繍は察した。
大方、アーチャーが貸し与えた宝具なのだろう。これのおかげで、狗神たちの鼻も欺かれていたわけだ。
「助け出したければ、助け出せばいい。後ろから心臓を刺すような真似はしないとも。私は貴様たちに何もしない。いや、何かをしないほうが良いのだ」
「はあ?ここまでしておいて、何を……!」
「私の策は既に終わっている。どう転ぼうが、貴様の敗北だ」
「あっそ。馬鹿も休み休み言え」
こいつと喋っていると、口が荒くなりすぎると、繍は顔を顰めた。
邪魔をしないと言うならば、それでいいから放っておく。
言峰綺礼をその場に残し、繍はケイネスへと近寄った。
「ロード!」
ぱぁん、とその耳元で柏手を打つ。ケイネスが我に返ったように目を瞬いた。
「空気にあてられています。努々自殺など考えないで下さいよ。精神防御壁を分厚くすることをお薦めします」
「……君の言う通りのようだ。この聖杯を汚染したサーヴァントは、恐らく殺人に特化している。気を抜けば呑まれるな」
常に死を意識する魔術師ケイネスですら、こうなる。まともな一般人ならば、この魔力の気配を感じ取っただけで危なかろう。
その空気の中で、平然と突っ立つ言峰綺礼と常と変わらない思考ができる佐保繍のほうが、おかしいのだ。
「何故、あの神父がここにいるのだ」
「ボクに文句を言うだけ言ったから、邪魔はしないそうです。もう策は完成したから、手を出す気がないと」
ま、わからなくもないですけど、と繍は大聖杯の天井へと伸びている、黒い影を見上げた。
直視したくはないのだが、そこには黒い影があった。洞窟に屹立し、黒い泥を湛えた何者か。
アーチャーたちが何かをしたのか、それとも聖杯戦争がサーヴァントたちの脱落と言う形で進み始めたせいなのか、そこにいる何かは形を取り始めていた。
あれがきっと、大聖杯。
汚染さえされていなかったら、神々しかったかもしれない、崇高な形を取っていたのかもしれない。
だが今は殺意の泥に覆われて、見る影もなかった。
「あれ、今からどうにかできますか?ロード」
「どこかの魔術師殺しに礼装を壊されていなければな。
お手上げだ、と繍は肩をすくめた。
これを何とかするには、時間が足りない。セイバーに吹き飛ばしてもらう以外、方法はなさそうだった。
それよりもあっちか、と繍は雁夜に駆け寄る。薄い金色の膜に触れた途端、指先から二の腕に電流を浴びたような衝撃が走った。
「何をやっている!いきなり素手で触れるやつがあるか!静かに頭に血を上らせるな!紛らわしい!」
退いていろ、とケイネスは、繍を突き飛ばすようにして退けた。
彼が魔術で結界を精査するのを、繍は痛む手を摩りながら見守る。ぺろり、と白がその手を舐めれば、痺れも火傷も一瞬で治った。
「……いい加減にしてくれないかい?」
何かを切望するような熱の籠った瞳をした白い狗は、ふい、と繍の剃刀のような視線から逃れた。
仕方ない、と手を摩りながら、繍はケイネスの背中に声をかける。
「ロード、どうですか?」
「我々では無理だな。だが、このタイプの道具ならば、我がサーヴァントならば応じようがある」
言うなり、ケイネスは令呪の刻まれた手を掲げた。
「ランサー、令呪を以て命ず、我が下に馳せ参じろ!」
たちまち暗がりに魔力が収束し、槍の英霊ディルムッド・オディナが姿を現す。
令呪による転移の奇跡だった。
「命令だ。その槍で結界を破壊しろ」
「承知した、我が主」
槍が一閃され、結界が硝子細工のように砕け散る。
その瞬間、黒が間桐雁夜の手に握らされていた短剣に食いつき、遠くへと吹っ飛ばす。
繍は、血の気が完全に失せている雁夜の手の甲に自分の手を重ねるや、呪言を呟いた。雁夜の手から令呪が失せ、契約が断ち切られる。
彼の体を媒介に流れていた魔力が、その瞬間完全に断たれた。
「う、ぁ……?」
雁夜が身じろぎする。少なくとも死んではいないと、繍は安堵した。
「間桐雁夜。一応、あなたを助けに来た。そのまま気絶しておいてくれ」
聞きようによっては途轍もなく辛辣だと思いながら、繍は雁夜の体を担ぎ上げるや、白の背の上に荷物のように載せた。
白が不満げに喉の奥で唸り声を上げるが、繍は綺麗に無視した。
その瞬間である。
『繍!』
馬鹿みたいに大きな念話が、盛大に頭の中に響いた。
「なっ、なにっ、なんだい!?岡田さんっ!?」
驚きで、声と心の両方で答えてしまう。
『勝ったぞ、マスター!』
「ば、バーサーカーに?」
『そうじゃ!』
念話には、音量というものはないはずなのだが、以蔵の声はとんでもなくよく響いた。
「え、すご……」
『わしを疑うちょったかマスター、こら』
「うぇい、違う違う!ただ間桐雁夜との契約を─────」
念話を繋ぎつつ、何とはなしに繍は頭を巡らせる。
それが、結果的に命を救った。
ひゅ、という風切り音がしたと同時、地面に派手に突き転ばされる。受け身を取って転がり、繍は顔を上げた。
「ぇ……?」
ランサー、そしてケイネスへと殺到する、泥の腕を見て取ったのだ。
泥の源は大聖杯なのだが、繍の頭はまだ追いつかない。
黒の体当たりにより吹っ飛ばされた衝撃で、鞄からこぼれ落ちたのは封じ布が外れた黄金の杯。
「まずっ……!」
項に感じたのは、ぴりぴりとした悪寒。
飛びつくようにして小聖杯を拾い上げ、繍は勢いを殺せずにそのままごろごろと岩がむき出しの地面を転がった。
起き上がって振り返れば、たった今まで繍がいたところは、泥の腕で叩き潰されていた。
ぞっとした。
だが次の瞬間、頭上に影が差す。
「っ!!」
その場から繍が跳び退るや否や、黒がその体を掬い上げるようにして背中に乗せ、空気を踏んで宙を駆け上がった。
「な、なんっ、何が……!?」
黒い毛を掴み、何とか繍は首をねじって下を見る。
大聖杯から生まれた泥の腕が、ランサーとケイネスを、そして繍を捕らえようと蠢いていた。
──────大聖杯は、サーヴァントの魂を七つ集めることで完成する。
──────アンリマユは、この世に生まれ出たいと、あの男は言っていた。
空を飛び、泥の腕を避ける黒の背中に必死でしがみつきながら、繍の頭の中で二つの考えが組み合わさった。
──────生まれ出るために、自らすべてを喰らうつもりか!
聖杯に巣くうアンリマユの意志は、予想以上に発達していたのだ。生きる為、捕食を開始するほどに。
自らのすぐ側に現れたランサーのサーヴァントの気配を感じ取って取り込もうと動き出し、次いで繍が持つ小聖杯の気配にも気がついた。
ただ、彼らを喰らい、この世に生まれ出るために。
そうとは知らず、繍もケイネスも、自らこれ以上ない程の餌を化け物の顎のすぐ近くにまで、招いてしまったのだ。
とにもかくにも、この洞窟から出て距離を取らなければならない。
その焦りがいけなかったのだろう。
黒が旋回して腕を避けた瞬間、繍の手から聖杯が滑った。下には、汚染された大聖杯がある。
「あっ!」
黒の背から身を乗り出して、指先で黄金の塊を掴む。だが、大きく傾いだ体勢を立て直すことはできなかった。
体が、呆気なく宙に投げ出された。
耳元で風が唸る。目の前に黒い腕が迫る。
歯を食いしばった口の中に血の味が広がるのを感じながら、繍は聖杯を握りしめた右手に、ただ力を込めた。
巫女マスターとケイネス、多分この戦い最大のうっかりをやらかす。