冬の街にて、人斬り異聞   作:はたけのなすび

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では。


巻の四十二

 

 

 

 今更の話だが、生前はここまで長々と戦うことは早々なかった。

 人斬りは闇に紛れて殺し、すぐさま立ち去るのが主だった。そのやり方も、不意討ちで斬り捨てるか、或いは油断しているところを襲撃するか、である。

 斬ればいいのだから、道場剣使い共のように逐一名乗りなど聞かせたりはしない。

 そもそもあの頃、人斬り以蔵とまともに打ち合えるようなやつなど、ろくにいなかったのだ。

 

 ─────では、今は?

 

 この街ではまず、まともな打ち合いに持ち込める相手のほうが少ない。最も忌々しいアーチャーが、その最たる者だ。

 そりゃ相手は三分の二が神だっていう英雄王だから、岡田さんの得意なやり方に持ち込めないのは仕方ないだろ、とその英雄王に目をつけられたばっかりに、別のカミに体を壊されかけた繍は、頬杖ついて苦笑いしていたが、見ていたこちらは笑い事では済まなかった。

 カミが絡むと、あのマスターは極端に諦めが早くなる。

 それ以外となると、しつこいわ変に拘るわその上情に引きずられるわと散々に手間をかけさせるのに、ただ一つ、己が仕えるカミのことに関しては、見切りをつけるのが異常なまでに速い。

 己の命に関わることであっても、諦めて手放してしまえるのだ。手が震えるほど怯えていようが、やりきってしまう。

 以蔵にはわからない。

 誰だって死にたくないだろうに、どうして鋏で糸を切るように自分を捨てされるのかが、わからない。

 理解してやりたいとも微塵も思わない。

 

 とにかくあれは放っておくと、またどこかで勝手に血袋が弾けるように死にかけていても、おかしくない。

 それを防ぐには、一々繍の襟首を掴んで引き摺り戻す以外、以蔵にはやり方がない。まさか、あんな脆いものを斬って止めるわけにはいかないからだ。

 

 故に早く合流すべきだと、心が急く。どうにも、嫌な予感があるのだ。

 

 「()()()()()()()

 

 唸りを上げ、喉笛ぎりぎりに迫ったバーサーカーの剣を跳んで避け兜に手をつき、その反対側に着地する。

 振り下ろされた剣は以蔵を捉え損ない、山門前の石畳を大きく抉ることになった。

 転がるようにして追撃を避けつつ石くれを拾い、兜めがけて投げつける。

 狙いは違わず、バーサーカーの兜は鈍い音を響かせた。

 あの寺の釣鐘のようなごつい兜に石が当たれば、中に入っている頭はさぞ轟音を聞く羽目になるだろう。

 魔力の鎧を貫通できるランサーを先に行かせた今、ただの無銘刀二本しか持たない以蔵では、まともに打ち合うよりもひたすら避けて翻弄し、隙を突くしかない。

 階段の中腹で打ち合ったかと思えば、双方跳んで山門のすぐ前で打ち合い、どうかすると道へと転がり出そうな勢いで剣と刀をぶつけ合っていた。

 今は、山門のほぼ前での迫り合いになっている。

 これでランスロットとやらがまともなセイバーであったならば、宝具とやらで薙ぎ払いに来たかもしれない。

 マスターがいなければ、以蔵の魔力に対する防御は障子紙同然である。よくわからない光を放つ宝具を、宝具で相殺することもできない。

 だが、今のバーサーカーにはただ馬鹿正直に、アーサー王の剣技を得、先読みができるようになった以蔵を殺そうとする頭しかない。

 

 今のこいつは、少なくとも己より格段に頭が悪いのだ。

 それならば付け入る隙はある。

 

 といっても、以蔵も無論無傷ではない。

 右の頬はざっくりと斬られ、細かい裂傷は数え切れない。鎧を蹴り飛ばした左足首には、嫌な痛みが走る。

 一度足首を掴んで放り投げられたとき、派手に石段に打ち付けた背中は、なんとか繍からの魔力で治せたと思うが、骨に罅が入ったかもしれない。

 

 拮抗しかけていた競り合いが動いたのは、()()()()()剣筋を避け、背後に回ったその瞬間だった。

 

 刹那、そう本当に刹那の間だけ、バーサーカーの動きが止まる。剣を振り上げたまさにその体勢で、石像のように硬直したのだ。

 

 ひゅう、と星灯りを映した刃が走る。

 狙ったのは兜に細く刻まれた隙間から覗く、バーサーカーの光る目。

 獣のように飛びかかり、バーサーカーの肩に乗る。口が勝手に弧を描き、引き攣れたような笑みを形作った。

 暗闇で炯々とした光を宿す瞳に、以蔵は深々と刀を突き刺した。

 

「G、Gaaaaaaaaa!」

 

 目を突き刺された狂戦士の絶叫が、山門に響いた。

 蜘蛛のように頭に取り付いた以蔵を引き剥がそうとしたバーサーカーは、剣から片手を離す。

 以蔵は目玉に刺した刀を引き抜くや、伸ばされたバーサーカーの腕を避け、剣を握る手首を強か打ち据えた。

 黒の大剣が、がくんと落ちる。

 その刃を踏み台にして、以蔵は天狗のように高く跳び上がった。

 眼下では、消えた以蔵を探すバーサーカーの姿がある。

 まだ気づいていない獲物へ向けて、以蔵はもう一振りの腰の刀に手をかけた。

 

「死に、晒せ」

 

 囁きながら鞘より抜き放たれ、流星のように落ちながら振るわれた白刃が、バーサーカーの兜を縦に割る。

 これまでにないほどに力と勢いが真っ直ぐに乗った一太刀は、まるきり奇跡のように兜を断ち斬った。

 二つに割れた兜の下には、片目を潰され、長髪を振り乱して狂う男の顔があった。

 元は、端正な容貌だったのだろう。だが、狂化したことにより、それは見る影もなくなっていた。

 怨嗟の呻きを上げる悪鬼の形相のまま、どす黒い血を涙のように流すバーサーカーは、着地した以蔵へと剣を振るう。

 バーサーカーの魔剣が以蔵の右肩に届く。刃が骨にまで届く直前、下から突き上げた以蔵の刀が、バーサーカーの喉元に深々と突き刺さっていた。

 腕を斬り落としかけていた魔剣は以蔵の肩に食い込み、そこで骨にぶつかって止まる。

 

「ちぃっ!」

 

 刀から手を離し、血を噴き出す肩を押さえながら、後ろに下がった。咄嗟に足元に転がる、短いほうの刀だけは拾った。

 下がったところで足がつるりと血で滑り、ごろごろと石段を転がり落ちた。背中と腰と頭をぶつけながらもやっと止まり、跳ね起きる。

 バーサーカーは、山門の前で動かなかった。

 

 その喉から、一本の刀が不気味な樹木のように生えて、後ろへ突き抜けていた。

 バーサーカーが、からくり人形のように(こうべ)を巡らせる。

 恨みと憎しみで曇り切っていた眼は、そのときだけ以蔵を確かに認識していた。

 落胆したような、安堵したような、なんとも言えぬ色を宿す目だった。

 

 目玉を貫いたときか、手首に叩きつけたときか、鎺元から曲がってしまった刀一本を、力が上手く入らない右手から左に持ち構え、以蔵は様子を伺う。

 刀はやわらかい喉の肉を貫き、血の管を斬り、骨にまで届いた。確かに殺した手応えはあった。

 あれで死んでいないならば、いよいよ頭を落とす以外、最早打つ手がない。

 一秒、二秒と時間が過ぎたそのとき、以蔵はバーサーカーの足元に転がる剣が、魔力へと還っていくのを見咎めた。

 それと共に、バーサーカーの体も魔力へと還っていく。目の奥の光が、ふつりと消えていた。

 からん、と呆気ない音と共に、バーサーカーが屹立していた石畳の上に以蔵の刀だけが転がる。

 血と脳漿でぬめりと光る刀に、しろじろと星の灯りが降り注いでいた。

 抜き身の刀を力が上手く入らない手にぶら下げたまま、以蔵は声と念話の両方で叫んだ。

 

「繍!」

『なっ、なにっ、なんだい!?岡田さん!?』

 

 元気そうな声が、一秒と間を置かず返って来た。

 

「勝ったぞ、マスター!」

『ば、バーサーカーに?』

「そうじゃ!」

 

 曲がった刀身を踏みつけて形を戻し、なんとか鞘に収まるようにする。石段を駆け上がり、門前に転がった刀を拾い上げた。

 その間も、繍の声は続いていた。

 

『え、すご……』

「わしを疑うちょったかマスター、こら」

『うぇい、違う違う!ただ間桐雁夜との契約を─────』

 

 繍の声はそこで唐突に、途切れた。

 

「繍、おい、繍!」

 

 刀を鞘に収め、寺の中に駆け込む。肩は速くも修復されつつあった。

 人の気配が死んだように絶えた寺の境内には、繍の姿も犬共の姿もなかった。

 

「どこ行きよったんじゃ、あの阿呆……!」

 

 念話が断ち切られたことは、前もあった。

 あのときはすぐに繋がったのだ。繍のほうから、繋げて来たから。

 だが今は、何の(いら)えもない。

 苛立ちで、左足を地面に叩きつけたときだ。

 

『た、すけ────て』

 

 脳裏に微かな声が届いた。弾かれたように顔を上げる。

 鳩尾辺りを強い力で引かれたかと思うと、周りの光景が音も無く遠ざかった。以蔵の意識は、束の間ばらけかけた。

 それは令呪による転移だった。

 空間を捻じ曲げる奇跡は以蔵を絡め取り、距離を無視して運び去る。

 放り出されたところは、空中だった。

 

「は?」

 

 気づけば真下に、繍がいた。耳元で風が鳴っている。

 嘘のようなあどけない顔で、小さな少女は下へ下へと()()()()()。白髪が、解けた絹糸の束のように流れて、風に弄ばれていた。

 繍の片手には黄金の小さな杯、その下には黒い泥を湛えた何かが()()

 落ちて行く繍の上に、呼び寄せられてしまったのだ。

 

 ─────()()()()、というあの声で。

 

「繍!」

 

 岡田以蔵には、空を飛ぶ術などない。

 血に濡れた手を伸ばすか、諸共落ちてやることしか、できない。

 それでも、自分に何が起こっているのかもわかっていないような顔で、ただ落ちて行く人間の手をただ掴むことくらいできる。

 

 繍の瞳が、以蔵を捉える。

 大きく見開かれていた、どこか虚ろだった瞳に、強いが脆く、優しいが危うい光が戻る。

 茶色の目を細めるや、繍は杯を掴んだ手を、大きく後ろに振りかぶった。

 

 ─────やめろ、やめろやめろ!

 

 そんなもの、捨てていい。

 そんなものは捨てて、この手を取れと叫びたかった。

 だが、手は伸ばされず、代わりに腹に凄まじい衝撃が走る。

 以蔵の体は真上に吹っ飛ばされ、不自然な弧を描いて、穴の縁にまで弾き飛ばされた。

 這うようにして進み、穴から下を覗き込む。

 そこには、黒い泥があった。

 泥の上に、水面に石を落としたときのような、小さな小さな波紋が生まれていた。

 その中心で白く細い指が揺れ、一度だけか細く揺れたかと思うと、沈んで消えるのが、見えてしまった。

 

「あ……」

 

 泡が弾けるような、弱々しい声が喉から漏れる。

 側に転がる小聖杯にも、気づけなかった。

 

 いない、いない。

 どこにもいない。

 泥に沈んで─────消えてしまった。

 

 投げつけられた小聖杯を腹に食らう直前に見た、こちらを真っ直ぐに見定めた、凪いだ瞳。

 

 あの瞳は一瞬前まで、助けてと願っていた。訴えていた。

 繍が言葉に出来ずとも、令呪はその願いをくみ取り、叶えようとしたのだ。

 

 心の底から誰かに助けを乞うていたくせに、以蔵を見た瞬間、急に正気を取り戻した(つら)になってしまった。

 泥に落ちるな、こちらへ来るな、と、そう言ったのだ。そうして結局、以蔵だけを地獄の釜の中から外へ、逃がしてしまった。

 

 その場に縫い留められてしまったように動けない以蔵の頭上に、泥で形作られた腕が振り上げられる。

 呆と、黒い泥を眺める以蔵を、横から掬い取るようにして掻っ攫ったのは、黒犬だった。

 黒犬は器用に口に小聖杯をくわえ、伸ばした尻尾で以蔵を巻き取って背中に乗せる。そのまま宙を駆け上がり、黒い泥の腕の間をすり抜けた。

 

 どこか遠くに聞こえる、吠えるような笑い声に、漂っていた以蔵の意識はようやく体に引き戻された。

 繍が落ちた穴の縁に立ち、あの黒い服の坊主が長身を折るようにして嗤っていた。

 あれは心の底から、目の前の光景を楽しんでいる人間の声だった。

 声が、淀んだ風に乗って洞窟の中に不吉に反響していく。何故かあの坊主を、泥は狙っていないのである。

 狙われているのは、以蔵を乗せて小聖杯をくわえて逃げる黒犬に、間桐雁夜を乗せた白犬。それに、ケイネスを抱えて跳び回るランサーだけだった。

 頭は、周囲の状況を認識しているのだ。嫌になるほどに正確に。

 ただ一つ、佐保繍という人間が、石ころのように呆気なく泥に沈んだという事実が、認められない。

 ぐるる、と黒犬が低く唸る。黒い瞳が燃えていた。

 腑抜けを運ぶ謂れはないと、怒っているようだった。冷や水を頭からかけられたように、目が覚める。

 

 ─────そうだ。

 

 犬ころ共も己も、僅かも顕現に揺らぎがない。

 流れて来る魔力には、変わりがない。

 念話は届かないが、契約の糸は切れていない。

 

 サーヴァントとマスターの繋がりは、しっかりと生きている。だから繍はまだ、死んではいないのだ。

 だが一体、どうすればいいのだ。

 臍を噛んだそのとき、ランサーと共に逃げ回っていたケイネスの焦った声が飛んでくる。

 

「アサシン!これでは埒が明かん!一端退くぞ!」

「はぁ!?」

 

 ケイネスへの答えには、怒りが混じった。

 お前はあいつの先生だろうに、置いていく気か、と。

 ケイネスが尚も叫んだ。

 

「聞け!貴様が持つそれを渡すな!小聖杯を得れば、いよいよアレは手がつけられなくなる!今は退け!貴様たちが食われれば、助けられる者も助けられん!」

 

 以蔵より先に、黒犬が動いた。

 今度は触手のような形を取った泥を避け、脇目も振らずに洞窟の出口へ飛ぶ。

 

「おい!こん、犬コロ!」

 

 戻れ、と首の辺りを引っ叩くが、黒犬は鳴き声一つ漏らさなかった。だが、以蔵が背から滑り降りようとした瞬間、凄まじい唸り声が牙の奥から漏れる。

 動くな、と犬は言っていた。

 獣畜生には到底あり得ないほどの濃い殺気が、以蔵を犬の背に縛り付けた。

 白いのは、と首を捻じ曲げるようにして見れば、仔牛ほどにまで巨大化したあちらは、あの西洋坊主の襟首に噛みつき、半ば引きずるようにして持って来ていた。

 

 生者も死者も、カミの使いも、一塊になって洞窟から飛び出る。

 泥の腕も触手も、境内までは追っては来ず、洞窟の闇の中へと戻って行った。

 黒犬が地面に降り立ち、牙の間にくわえていた小聖杯を地面に落とす。

 星の光に照らされて輝く荘厳なつくりの黄金の杯に、以蔵は暗く虚ろな目を向けたのだった。

 

 

 

 

 




魔法の言葉(たすけて)を言ったくせに、助けさせなかった話。

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