冬の街にて、人斬り異聞   作:はたけのなすび

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では。


巻の四十三

 

 

 

 

 

 

 

 わたしには、自分が沈む音は聞こえなかった。

 ただ落ちて、水だか泥だかもわからないようなモノに背中が触れたと思った。

 そうしたら、目の前が黒く閉ざされたのだ。

 目を開けても何にも見えないのだから、目は開けても閉じても変わらない。むしろ、迂闊に目を開けて邪眼と鉢合わせ、なんてことになったら危ない。

 そうわかっていても、目を閉じたままは不安になるから、結局わたしは目を開けることにした。

 瞼を押し上げて、前を見る。

 といってもここは、ひたすらに暗いからやっぱり何にもわからなかった。

 でも、目を開けたいと思うくらいに、わたしはわたしの体を認識していた。

 呪いの泥に落ちたのに、わたしは死んでいなかったのだ。

 

「困ったなぁ」

 

 周りはなんだか、とってもうるさい。

 ぶーんぶーん、じーんじーん、わーんわーんと、夏の蝉の声みたいな音。

 あっちこっちから、わたしを押し包んで潰すように聞こえてくる。

 よくよく聞いたら、それは蝉の声なんかじゃなかった。

 

 ─────殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せころせころせころせころせころせころせころせころせコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコココココロロロロロロセセセセセセセセ殺せ殺せ殺せ殺せころせころせころせころせ

 

 音ではなくて、一応意味のある言葉だったのだ。

 

「きみ、うるさいよ」

 

 羽虫を追い払うときのように、耳の辺りで手を振った。

 わたしは怨嗟を子守唄にできるほど肝は太くないけれど、かと言ってただの殺意の繰り返しで、すんなりと狂うこともない。

 千年ずうっと、わたしたちはカミに仕えた。

 でもそれは、ちゃんとした転生の術が組まれてから千年というだけであって、人によってはもっともっと長いこと、カミと縁付けられて、この世をくるくる廻り続ける者だっていたのだ。

 

 わたしはそういう、駒ねずみみたいな魂のひとつ。

 前の『私』、前の『俺』、前の『わたくし』、前の『僕』、或いは前の『妾』たちにまつわる種々は何一つ覚えていない。精々、既視感にまとわりつかれるくらいだ。

 でもひたすらにカミに仕える人生を重ねたわたしの魂はなかなかに硬く、壊れないのだ。

 第一、わたしは勝手に壊れることを許されていない。

 壊れそうになっても、カミ様が止めるから、壊れも朽ちもできない。

 既に、始まりの理由など失われた。

 何のために、最初の自分が魂をそうまでしてカミに仕える役目に縛りつけたのか、わかる術はない。

 わたしが、この魂に比べたら格段に脆い体で生を授かったのは、もうそういう現象としか呼べないのだ。

 

 そうして、魂に降り積もった業や格は、早々呪いに侵されたりはしない。

 

 死、生、病、飢え、恨み、妬み、裏切り、亡び、欲、愛、憎しみ。

 

 わたしは、人間として繰り返す生の中で、人の苦しみを見てきた。

 だって、わたしたちを通じてカミに触れたがる人は、いつも追い詰められてばかりなのだから。

 ヒトならざるものを最後の拠り所にして駆け込んでくる人は、みんな怖い顔か悲しい顔しかできない。

 

 見たことは忘れてしまっても、魂が見届けて刻まれた跡は、けして消すことはできなかった。

 

 ただ殺せとか、ただ憎いとか繰り返すしかできない殺意。

 もっとぐちゃぐちゃなものを識っているわたしにしてみれば、いっそ清水のように純粋なものだ。

 

 ただ目に留まったから、ただほんの少し従わなかったから、という理由だけで、幾つもの命を手折り、消し去れるような存在に比べたら、これはよほど一途でかわいらしい。

 

 殺意と憎しみと行動が、ちゃんと繋がっているのだ。

 これの素になったのは邪神。

 悪者を欲しがるたくさんの人たちに望まれたから、こうなるしかなかったのだろう。

 

 人々に悪を望まれたから、その通りに一途に人を殺す邪神になった。それはとても、素直な性格だと思う。

 

 多分もともとは、まったく違うものだったろうに。

 人の望み通りのカタチをとり、自分のものじゃない殺意を撒き散らすようになった。

 これは、そういう悲しく哀れな類のモノ。

 

 その真っ直ぐな愚かしさは曇りがなさすぎて、カミに壊れることを許されず、業を降り積もらせたわたしの魂を触れただけで犯すには、足りなかった。

 といっても、無事で済んでいるわけじゃないから、あまり長いこと触れていたくはないのだけれど。

 

「あなたに、何があってそうなったのかな」

 

 しんしんとした闇の中、なんとなく前に歩いてみる。

 足はあるから、進むことができるのだ。

 あれだけ重たい泥なら、わたしの体なんてぐちゅりと潰せたろうに、これはそうしなかった。

 

「ボクと話でもしたいのか?じゃあ、ちゃんと口をきけるカタチになってくれないかな。殺せとか憎いとかの呪い以外の言葉を、まさか持ってないわけじゃないんだろう?」

 

 言ってしまってから、これじゃ挑発したみたいだなぁ、と思った。そんなつもりはないのに。

 

 また阿呆なことをやっていると岡田さんに怒られちゃうな、とちょっと寂しくなる。

 

 ────岡田さん。岡田以蔵。

 わたしが喚べた、サーヴァント。

 

 あんなときに喚ぶなんて、岡田さんには随分ひどいことをしてしまった。

 

 わたしは確かに、助けてほしかった。

 ここで、わたしがちゃんと助けてって言って、何かを頼めることができるのは、あの人だけだから。

 

 だからどうしても怖さに耐えきれなくなったあのとき、呼んでしまったのだ。

 

 魂が強くても、わたしの体は斬れたら血が出るし、叩かれたら腫れる。

 無理な力が加わったら、骨だって折る。喉を締められたら息が詰まるし、高いところから落ちたら怪我だってする。

 泥に触れたら死ぬと思ったから、怖かったのだ。

 必ず生まれ変われると知っていても、肉の器が壊れるのは、やっぱりいつも、涙が出るくらい痛いから。

 

 だけどだからといって、助けようがないときに助けてと手を伸ばすのは、だめなことだ。

 溺れかかった人が、助けに来た人までも深みに引きずり込んでしまうようなことを、しちゃいけなかったのだ。

 

 彼はちゃんと、バーサーカーを倒してくれたのに。

 あそこまでぼろぼろな姿を見てしまったら、この人に今、わたしを助けるのは無理だと判って、それで頭がしゃんとしたのだ。

 魂が頑丈なわたしは、取り乱したココロが戻るのも早かった。

 

 しゃんとした頭で、わたしは小聖杯を投げて、岡田さんを吹き飛ばすことにした。

 だって、他に投げられるものを持っていなかったんだから。

 

 投げた小聖杯は、すごく鈍い音を立てて岡田さんのお腹にめり込んで、それでもちゃんと彼を穴の縁にまで飛ばした。

 

 岡田さんも小聖杯も、一緒に逃がせた。

 肋骨をやってしまったかもしれないが、あれくらいは我慢してくれたと信じている。

 

 それで、わたしはここに、一人で落ちて来た。

 

 こうやって一人になってしまったのは寂しいけれど、間違っていなかったと思う。

 聖杯を通って喚ばれたサーヴァントに、きっとこの聖杯から生まれた泥は、天敵だ。

 触れたら多分、岡田さんは溶けてしまう。

 

 何度も助けてくれた人を溶かし殺してまで、わたしは寂しがりな自分の心を助けたくなんかなかった。

 

 彼はもう死んでいて、岡田以蔵の側面を切り取って喚ばれた者なのだけど、あの調子だと本人が生死の境目をあやふやにしてしまっている気がするし、サーヴァントとしては第二の生なんだから、極単純に、彼は生きていると考えたっていいだろう。

 当人曰く、神秘なんぞ知らん、とのことなんだし。

 

 わたしを引き上げようとしてくれた、岡田さんの顔を思い出したら、とても寂しくなった。

 多分彼は泣いたりなんてしないだろうが、相当に驚かせてしまったろう。

 あの髑髏のアサシンを殺したときより悪いことをしてしまった気がして、ごめん、と聞こえない声で謝った。

 泣くほどではないけれど、わたしも鼻の奥はつんと痛い。

 魔力の線だけが頼りの、ひとりぼっちな真っ暗闇は退屈で寒いから、わたしはもう一度呼ぶことにした。

 

「ねえ、暗闇のきみ。アンリマユかな?ボクを殺さないのかい?君じゃあ、ボクの体はともかく、魂や心を殺すことはできないよ。話をしに来ないかい?」

 

 ざあざあと土砂降りの雨音みたいにうるさくなってきた殺意が、一瞬止まった。

 聞いてくれたのか、と驚いた。本当はちょっと嘘をついたからだ。

 確かに今は狂っていないけど、あまりに繰り返されたら、わたしは狂う。

 尤も、狂い切る前に自分で自分を殺すだろうけれど。

 リセットしたら、魂は壊れない。

 だから、わたしの意志でなくてもカミがそうさせる。

 自分のモノが汚くなる前に、一度器を壊して中身をまっさらにして、別な器に入れかえることくらい、カミにとってはなんてこともない。

 しかし、『わたし』が消えるのはとても嫌だった。

 だって『繍』が死んでしまったら、岡田さんとも桜とも、二度と会えなくなってしまう。

 岡田さんには渡した石があるから、あっちは早々消えたりはしないし、危なくなったら桜に頼んでいるけれど、それでもまずいのに変わりはない。

 

 きっと、残りの時間はそんなにない。

 このままだったら、わたしはあと一時間と少しくらいで死ぬ。

 

 ─────怖いな、嫌だな。

 まだ、謝れていないのに。

 

 てくてくとことこ歩きながら、そんなふうに考える。

 

 わたしの前に、ぽつんと針の穴で突いたような光が現れた。同時に辺りが、少しずつ明るくなる。

 光はみるみる大きくなって、ちょうど人一人分の塊になった。

 その姿を見て、わたしは仔犬のように首を傾げた。

 

「ありゃりゃ」

 

 黒い髪に金色の瞳の、色をひっくり返したようなニセモノの男の子。

 そこにいたのは紛れもなく、佐保繍という人間だった。

 

「きみは……?」

 

 ドッペルゲンガーか、と思っていると、わたしのカタチをした何かはしゃべりだした。

 

「わたしはきみ。そう考えてくれていいよ」

「いや、それはない」

 

 わたしは、そんなふうに笑わない。

 大体こんな捻じくれた人間が、二人もいてたまるか。それこそ発狂ものだ。

 

「きみは聖杯の意志、だろ?人格をコピーしないと、殺意ばかりのきみは誰とも語り合えない。今は落ちてきたボクの姿を借りた。そんなところ?」

 

 言った途端、わたしの姿はぐずぐずの泥団子のようにぺしゃりと潰れた。

 次に立ち上がったのは、黒い髪の背の高い人。

 そいつがカタチになって口を開く前に、わたしは腰から抜いた短刀で首を切り裂き、落としていた。

 岡田以蔵の写し身の首がころんと転がり、くしゃりと弾けて、泥に戻った。

 

「真似はやめてくれないかな。ボクはここで、きみと心中することもできるんだよ」

 

 きっと今のわたしは、にっこり笑っているだろう。

 怒ったときや、怖いときほど、人は笑えばいい。

 わたしはずっと、そうしてきたのだ。だから、これからもそうする。

 

「卵のままで殺されるかい?一瞬でボクを殺せなかったそのときに、しくじっているんだよ」

 

 アンリマユのサーヴァントを脅しつけるなんて、我ながらめちゃめちゃもいいところ。

 でもこうまで追いつめられたら、開き直るが勝ちである。

 いつの間にやら、周りの景色は変わっていた。

 血のように赤い空と、腐った屍の肉が染み込んだような、どす黒い地面。

 呪いに侵されきった聖杯の中身は、かくも無様な地獄に成り果てるらしい。

 

 こんな地獄から生まれても、それは、哀しいだけの何かだろう。

 

 聖杯を崇めるように大事にしてきたアインツベルンにとっては、きついだろう光景だった。

 これと早々に縁切りすると決めたアイリスフィールさんは、やっぱりとっても賢いし強い。

 そんなことを考えていたら、今度はひょっこりと、黒く腐れた地面からわたしの姿が現れていた。

 記録された人格でしか語れないのは仕方ないとしても、わたしは不満になる。

 自分を俯瞰するのは、あんまりおもしろくない。

 出てきたわたしは、わたしには絶対できないような薄い笑みを浮かべていた。

 

「君の言うことは否定しない。わたしは確かに、誰かの殻をかぶらなければ、意志の疎通ができないんだ」

「ふぅん。難儀だね。ボクを殺さなかった理由は?」

「簡単なことだよ。生まれたいからだ」

 

 殴り倒してやろうかと思った。

 

「きみはね、元々器に向いているんだ。だって神を降ろせるカラダなんだから。だからね、()()()()()()()()()()()()()

 

 ぞわり、と空気が変わった。

 黒い地面から触手のような泥が持ち上がって、わたしの手首と足首に巻き付く。

 直後、それは呪符から飛び出た炎によって弾けた。

 

「馬鹿じゃないかな」

 

 くれと言われて、素直に渡すものか。

 体があるなら魔力があり、魂があるなら術が使える。それなら抗うに決まっていた。

 符を握りしめて、わたしは自分の殻をかぶったモノを見る。

 そいつは優しく微笑んで、頬をかいた。

 

「仕方ないなぁ。君は諦めそうにないね」

「ボクの殻を使ったなら、わかるだろうに」

「うん。じゃあ、すり潰そう」

 

 にんまり笑っているそいつを見て、わたしはあちゃあと頭を抱えたくなる。

 

 ─────わたし、こんなに性格がひん曲がっていたのか。

 

 いたぶるように伸びてくる泥の触手を弾きながら、わたしは自分の中のかけ金をひとつ外した。

 

 外の誰かに助けてもらえることを、諦めたわけじゃない。

 もう本当に、どうにもならなくなるまでは戦う。

 だけど時間が来たら、わたしはこいつをここで殺そう。

 こいつを殺すには、わたしが死ななきゃならないけれど、でもこの街が呪いに沈んで、岡田さんや桜たちが死ぬほうが嫌だった。

 

 奇跡の器の中につくられた、小さな小さな閉ざされた地獄は、死に場所としては最悪だなと、そんなことをふと考えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





落ちた側の話。
次は落ちるのを見た側の話。

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