冬の街にて、人斬り異聞   作:はたけのなすび

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では。


巻の四十四

 

 

 

 

 

 

 

 沈黙を破ったのは、まだ覚めやらぬ言峰の哄笑だった。

 白犬はとっくに、臭いのきつい野菜でも吐き出すように、噛んでいた襟首を離していた。

 牙の奥に籠もる唸り声に、こいつも(いか)っていると悟る。

 己は、と聞くまでもなくわかる。

 不愉快だ。不愉快で腸が捩れて吐きそうだ。

 何故こいつは嘲笑っている。何がそれほど愉快なのだ。

 首が落ちても、笑い続けているのではなかろうか。確かめてやろうかと、腰の刀に手をかけた。

 

「待て、アサシン!」

 

 止めたのは、槍兵だった。

 

「貴君の怒りは理解できる!だが、斬るのは待て!その男は、聖杯について我らの知らぬ何かを知っている!」

「関係あるか」

 

 一言で切り捨てた。

 己が殺したいときに殺して、何が悪い。

 以蔵の足が止まったのは、ランサーの言葉を聞いたからではない。

 笑い続けていた言峰が、立ち上がったからだ。

 

「これが笑わずにいられるか!なんだあの女は!何処まで愚かなのだ!人斬りの亡霊に希望を与えるだけ与えておいて、絶望に叩き落とした!あの女が落ちたときの貴様の顔は、嗚呼、大いに見物だったぞ!」

「なんじゃと!」

「事実だ。私は何もしていない。しくじったのはそこの魔術師と、あの女。助け損なったのは、ひとえに人を斬るしか能のない貴様の失態だ。人斬り以蔵」

 

 神父の首を切り飛ばしかけた以蔵の刀は、ランサーの槍に弾かれた。

 まだ強張りと痛みが残る右手での抜刀は、呆れるほどに遅い。最速のランサーに勝てるわけがなかった。

 交差した刀と槍越しに見るランサーの秀麗な面は、痛ましいものでも見るように辛気臭い。

 何かを諦めたようなそれが、どこまでも面憎かった。

 

「収まらんか馬鹿者!」

 

 ケイネスの怒声と同時に、傷ついた右肩に、黒犬が体当りしてきた。

 激痛で一瞬手から力が抜けた腕を、白犬に噛み付かれて引き下ろされ、地面に膝をつかされる。

 左肩を踏みつけてきた黒犬を振り払おうとしたが、山が伸し掛かって来たかのように重く、振り払えなかった。

 言葉にならない怒りが、唸り声になる。

 

「アサシン、刀を抜くな。その男には、まだ聞きたいことがある」

「ほう。言っておくが、アレを止めろ、などと無意味なことを言うなよ。アレは制御などできん。触れる者すべてを呪い殺す、聖杯の泥だ。尤も、あれだけ強固な魂ならば、しばらくは己を保てるだろうさ。蝕まれて狂うのは時間の問題だろうがな」

「……」

 

 苦虫を噛み潰したようなケイネスの顔を見れば、わかる。こいつにも、あの泥を今すぐどうにかすることはできないのだ。

 

「私ばかりを睨むな、魔術師。泥を呼んだのは貴様だ。ランサーを令呪で間近に呼び寄せたりなどしなければ、泥はまだ大人しくしていた。……ああ、確かあの女は貴様の元弟子だったか。小聖杯を逃がすとは、小癪な知恵だけはあると見える」

 

 直後、銀色の鞭が言峰を強かに殴り飛ばした。

 神父の体は弾き飛ばされ、崩れかけの山門に突っ込む。がらがらと音を立てて瓦が落ち、神父の姿が埋もれた。

 

「あ、主……」

「殺してはおらん。不愉快だっただけだ」

 

 額に青筋立てたケイネスが、地面の石ころを蹴り飛ばした。蹴られた石は、転がされたままの小聖杯にぶつかり、澄んだ音を響かせる。

 大気を震わせた風鈴のようなその音に、怒りの波が僅かに後退した。

 とはいえ、犬共はまだ踏みつけて取り押さえた以蔵の上から、退く気はないらしい。地面に押し付けられた頬に、石畳が冷たかった。

 ケイネスが目の前にかがみ込み、何かを押し殺したような声で語りかける。

 

「多少は落ち着いたか、アサシン。貴様は魔力契約で、多少なり主の状況は掴めるだろう。どうなっている?」

「……生きちゅう」

「それだけか?」

「わしの声が届きよらん。魔力はこじゃんとよこしおる」

「ふざけるな!それでは何もわからんではないか!所詮は人斬り風情か!」

 

 爆発したように、ケイネスが荒れ狂った。

 ああ、そうだ。

 一応この魔術師は、()()だった。

 縁切りしたとかされたとか、ごちゃごちゃと寂しそうにあいつは言っていたが、見捨てていたのではなかったのだ。

 

「主、お待ちを。彼は、紛れもなく己が主を守ろうとしていました。それを顧みられないのは、余りにも……」

「ほたえな、ランサー」

 

 訳知り顔の取りなしなど、されたくもなかった。

 刀を握り締めていた手から力を抜いた。何かを感じ取ったのか、犬が以蔵の背中から退く。

 刀を鞘に収め、立ち上がる。魔力の糸はまだ生きていた。

 崩れた山門にすたすたと歩み寄り、崩れた瓦に適当に腕を突っ込んだ。掴み上げたのは、己より背が高い神父。その喉首を握り、片腕で持ち上げる。

 その鼻先に、抜いた刀を突きつけた。

 以前公園で、あの金色が繍をこうして吊り上げていたことを思い出した。思えばこの坊主がおかしくなりだしたのは、あのときからだった。

 

「おい、坊主。きさんは何を知っちゅう」

「知るも知らぬもない。私は貴様たちの助けになるようなことなぞ、何も話さん。拷問などは効かぬ」

 

 そうだろう、と納得する己がいた。

 こいつは喋らぬと決めたら、梃子でも喋らぬだろう。何せ、己の命を惜しんでいない。

 あの泥の塊が命を得るのなら、己がどうなろうとも構わないのだ。

 底無しに暗くて怖いと繍が言っていたその目を覗き込めば、わかった。

 

「ほいたらこう聞いちゃる。どういてわしのマスターは生きちゅう。魂は無事やとしても、あがなまったい体、潰れちゅうてもおかしくないぜよ」

 

 呪いだかなんだか知らないが、あれには相当な重さがあった。押し包んで潰すか、叩きつけるかすれば、生身の人間の肉など豆腐のように砕けるだろう。

 だのにあの泥は、繍を潰さなかった。

 それは何故だ。

 生まれでたい聖杯にしてみれば、邪魔なマスターの一人などさっさと殺せばいいのに。

 神父は淡々と答えた。

 

「貴様も教会で見ただろう。神霊を宿して死なぬならば、サーヴァントを宿しても同じだろう。アレは、ホムンクルスよりも上質な器になり得ると、ギルガメッシュが言っていた」

「もうえい」

 

 腕を振るって、神父をもう一度瓦の山に叩き付けた。

 つまりあの泥は、この世に出てくるために繍の体を使うつもりなのだ。

 幽霊に取り憑かれた話は聞くが、意志がある呪いが人の体に取り憑いて出てこようとする話は、聞いたことがなかった。

 

「おい犬、おまんらなら、あん呪いはどうにかできるがか?」

 

 ばふ、と黒犬が歯切れ悪そうに鼻を低く鳴らす。

 白犬は前脚で何度も地面を叩いている。どうやら白いのは苛立ち、黒いのは怒りつつも嘆いているらしい。

 数日は共に過ごしていたからか、獣畜生でも彼らの言いたいことは理解できるようになっていた。

 

「おまんら、わしの言うことなんぞ、聞きとうないんじゃろう」

 

 繍が呼んだのが己らではなく、ここ数日で知り合っただけの、人斬りのほうだったから。

 自分たちの巫女に助けを縋られたのが、カミの眷属でなく人だったことが、気に食わないのだ。

 内で不平不満を鳴らす者の目つきなど嫌というほど見たのだ。まさか獣がそのようなことなど考えるとは、思ってもみなかったのだが。

 

「そがあなことはどうでもえいちゃ。やれるんかやれんがか?」

 

 自分勝手なやつらである。

 それならば、助けてと言われたのに助けるどころか逃されて、傷まで治された己のほうが、余程惨めではないか。

 黒犬が、反応した。

 ばふばふと、何事か訴えている。

 これで繍がいたならば、さっさと意図を読めたろうが生憎人斬りにはわからない。

 

「できるんなら一度、できんちゅうなら二度吠えるんじゃ。わしにはわからん」

 

 二度の吠え声が、境内の空気を震わせる。

 

「おまんら、あんだけ好きに動きゆうのにできんのか?」

 

 まことに忌々しそうに、白犬が長く低く吠えた。

 できることはできるが、恐らくこいつらは繍が側にいなければできないのだ。

 苛立ちで舌を鳴らした直後、小聖杯が不気味に動いた。

 

「……なんだ?」

 

 同時に、地の底から何かが動くような気配があった。

 

「もしや……新たにサーヴァントが落ちたのか?」

 

 ケイネスが呟いている。

 となると、死んだのはアーチャーかセイバーである。 

 この状況でセイバーが落ちていたならば、こちらはもう完全に負けである。

 

 ふわりと風が舞い、光の渦が寺の中に現れたのは、正にそのときだった。

 その中から飛び出したのは、金髪碧眼の甲冑を身につけた少女である。

 

「アサシン、ランサー、状況はどうなっている?」

 

 騎士王アーサーは、まだ抜き身の聖剣を掲げたまま、いの一番にそう言った。

 甲冑は凹み、一筋の乱れもないほどに結い上げられていた金の髪は解れていたが、それでも聖剣の担い手は生きて、しっかりと生気に溢れた面構えをしていた。

 

「おんし、アーチャーを倒したんか」

「無論だ。……しかし、紙一重の戦いでした。征服王がいなければ、どうなっていたことか。この、鞘の護りと彼がいてこその勝利でした」

 

 鞘がどうのということはわからなかったが、とにかくあのアーチャーはもういない、ということであるらしい。

 だが、こちらの状況は説明しかねた。

 

「こちらはアーチャーを撃破しましたが、ライダーが消滅しました。彼のマスター、ウェイバーは、今アイリスフィールたちと共にこちらに向かっています。私だけが先に、令呪によって先行しました。状況はどうなっているのでしょう」

「……バーサーカーはアサシンが撃破した。だが、アサシンのマスターが、聖杯の泥の中に転落した」

「なんだと?」

 

 ランサーの言葉を聞いたセイバーの碧眼が、地面に倒れた間桐雁夜、一部崩れた山門、そして以蔵の側にいる犬たちを見た。

 

「アサシン、だが貴殿は顕現している。ということは、まだマスターは生きているのだな?」

 

 ()殿()などという丁寧な呼ばれ方をされていることなど、気づかず以蔵は頷いた。

 

「セイバー、おんしはその聖剣で、あの大聖杯を消し飛ばすために来たがか?」

 

 もしそうならば、通すわけにはいかなかった。

 聖杯すら砕くと言う星の聖剣の光に焼かれて、人間一人が生きていられるわけもない。

 だがセイバーは、断固とした様子で首を振った。

 

「刀を抜くのは待て、アサシン。魔術師(メイガス)、そちらの魔術でアサシンのマスターを救出することは可能ですか?」

 

 まったく躊躇いなく助けると発言した騎士王に、以蔵は虚を突かれた。

 この女に、繍を助ける理由などあっただろうか。

 訝しんだことにセイバーは気づいたのだろう。この状況にはふさわしくない微かな笑みを浮かべ、セイバーは言った。

 

「そちらのマスターには、アイリスフィールを救ってもらった恩がある。それにアサシン。貴殿は、我が配下の騎士の介錯を努めてくれた。礼を言いたい」

「……ほうか」

 

 目玉を抉って喉元を突き刺す、という凡そご丁寧な介錯とは言えない殺し方をしたことは、決して明かさないと誓った瞬間である。

 だがともかくもこの女、都合の良いことに、こちらが勝手にやったことに勝手に恩を感じて手を出さないでいてくれるらしい。

 

「セイバー、現状私にあの泥を攻略する術はない。手をこまねいているのが実際のところだ。そしていくら彼女が優秀だと言っても、あれだけの呪いに触れていれば、そういつまでも自我を保てることなどできはしないだろう」

 

 セイバーの顔が歪む。そして直後、山全体が()()()と揺れた。

 ごろごろと地の底から聞こえる音が、次第に大きくなっていく。

 地面に転がした小聖杯はと見れば、その中には何故だか黒い泥が溜まりつつあった。

 

「いかん!」

 

 ケイネスが何か魔術を発動させる。

 半透明な膜が小聖杯を囲み、ひとまず中の泥が溢れるのを防いだ。

 だが、次から次へと泥と思しい何かが溢れ出す。

 

「どういうことだ!何故、小聖杯の中から泥が溢れ出る!……いや待て、先ほどの鳴動と合わせればつまり……」

 

 己で語りながら己で納得したのか、ケイネスは顔色をさっと変えた。

 

「まずい、大聖杯が完成しつつある!顕現しきってしまえば、シュウ・サオ一人の生死の話ではない。すべて間に合わなくなるぞ!」

「……おい、先生。どういてそがあなことになる。まだわしらは三人おる。聖杯が出て来るにゃあ、最低で六人死ぬるちゅう話やなかか?」

 

 うろたえるケイネスに反して、地を這うような低い声が己から出ていることに、以蔵は気がついていた。

 

「私にもわからん!だが大聖杯は動きつつある……いや待て、サーヴァント六体分の量を持つ魂が揃えばいいという話だ。必ず六体死なねばならぬという訳ではない……」

 

 すさまじい速さで学者先生の頭は回転し、最悪な答えを導き出したらしい。

 膝を打ったケイネスの顔は、まさに死人のような顔色だった。

 

()()()()()()()()!征服王、湖の騎士、髑髏のアサシン、そして極めつけの英雄王!その四体の魂だけで、既に大聖杯は完成に至るまで魂を溜め込んでしまったのだ!」

 

 瓦礫に叩き込んだあの坊主の哄笑が、再び聞こえるようだった。

 

 ──────どちらでも、よかったのだ。

 

 言峰綺礼は、己に力を貸す英雄王が斃れようが、どちらでも良かった。

 どのみち聖杯の器が満たされると、あの神父は知っていたに違いない。それだからこその余裕だったのだ。

 

 そして、以蔵もランサーもセイバーも、ライダーもまんまとその思惑を叶えてしまった。

 各々必死に目の前の敵を倒すために奔走し全力を尽くした。戦って殺し、殺された結果、この事態を呼んでしまったのである。

 

 確かなことは、いよいよ猶予がなくなったということだ。

 

 

 ぐらぐらと地面が鳴動したとき、脳裏でまたも声が弾けた。

 

『────さ───ん?』

 

 間違えようもない、ここ数日で最早聞きなれてしまった声だった。

 

「繍か!?」

『そうだよ!きみのマスターの佐保繍だよ!ごめんね!聖杯ぶつけて!怪我しなかった?』

「しちょらんわ!阿呆!」

 

 肩から力が抜けそうになった。

 落胆ではなく、安堵で。というか、何故こいつ、呪いの只中に落ちたというのにここまで元気なのだろうか。

 問い詰めようとしたのだが、繍に先手を打たれた。

 

『声が全然届かないものだから、令呪を使ったんだ。最後のやつだけど。ボクの声を聴いて、ってね。ま、それは今はいいや。ちゃんと話せたんだから』

 

 だけど、どうしても時間がない。

 いくら令呪が強かろうがその効力は有限で、しかも抗う相手が聖杯そのものに等しいのだからと、繍は立て続けに言った。

 異変を察知したのか、ケイネスの視線を感じた。

 

「おい、そっちはどうなっちょるんじゃ。外はえろうえずいことになっちょる」

『うん、わかってる。ボクたち、やり方を間違えたんだ。聖杯に魂を与え過ぎた。あの野郎……じゃない、英雄王、多分サーヴァント四体そこら分くらいの魂を持ってたんだよ』

 

 だから、大聖杯は既に降臨寸前だと言う。そして大聖杯の意志は、本気で繍の体を使いたいらしい。

 

『ボクも、頑張っているんだ。本当の本当に、頑張ったんだよ。いやぁ、無限湧きしてくる魔力、凌ぐだけでも精一杯さ。人間にしたら、よくやってるほうと思うんだけどね。岡田さんには……うん、褒めてほしいかな』

「おい」

 

 何を言い出す気かと、喉が干上がるのを感じた。

 

 ─────これは、拙い。 

 

『でも、だめなんだよ。この器、この体、ボクの血も髪の毛も肉も骨も、こんな可愛そうなやつに持って行かれるわけには、いかないから』

 

 それは背筋が凍るほどに静謐な、一度も聞いたことのないような声だった。

 繍は、こんな声で話したりしない。

 いつも鬱陶しいくらいに明るく、しつこいほどに固い芯があったのだ。

 今は何だ。

 水に晒された薄紙のように、解けて漂って、どこかに消えてしまいそうだった。

 

『令呪はもうなくなっちゃったから、これはボクからきみへの、ただのお願いになるんだけどさ』

 

 無慈悲なほどに静かでやわらかな声のまま、少女は言った。

 

『─────ボクを、斬ってくれないかな』

 

 頭の中が、真っ白になった。

 

 

 

 

 

 

 

 





英雄王対騎士王(鞘解放済)はSN/Fateルートみたいなことになったとお考え下さい。




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