冬の街にて、人斬り異聞   作:はたけのなすび

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では。


巻の四十五

 

 

 

 

 

 

 人を殺せ、と言われるのは何も初めてのことではない。

 いっとう初めの殺しでは、刀を使わずに喉を締めることになったが、それからは刀を振るうことにも慣れ、人斬りは己にとってありふれた、一つの行為にすり替わっていった。

 

 サーヴァントになったのも、未来へ喚び出されるようになったのも、己の行いを往時の者たちが恐れるか、忌み嫌った結果である。

 サーヴァント、つまり英霊は、人の信仰によって祀り上げられ、人の枠から外れた者たちであると、白髪の少女が教えてくれた。

 

 信仰といっても、自分は何を救ったのでも、何を成したのでもない。己はただ人を斬ることによって世界に記録され、いつの間にやら在り方を固定された者だ。

 それはいいのだ。

 頭の良くない己にできるのは所詮、どこまで行っても人殺し。

 国を守りたいとか、忠義を貫きたいとか、覇道を志すとか、そんなこと、一度たりとも思い描かなかった。

 

 求められたから、殺したのだ。

 

 だが、よりにもよって自分を殺せと言われるのは、初めてのことだった。

 

『聞こえてる?』

 

 ましてこんな、透徹した声で言われたことなどない。

 答える喉が、引き攣れた。

 

「……聞こえちゅうちゃ」

『そうか』

 

 肯定の後に落ちた沈黙は、できるか、できないのかと問うているようだった。

 できるか、できないか。斬れるのか、斬れないのか。

 考えるまでもない。斬ろうと思えば、できる。

 何せこいつ、遅いし鈍臭いし、何より自分を守るという考えをしょっちゅう忘れて動くから隙だらけ。お人好しほど斬ることは容易だ。

 考えるまでもなく、頭は勝手に斬る算段をはじき出す。

 だが、しかし。

 

「嫌じゃ」

『……え』

「どういてわしがおまんを斬らにゃならん」

 

 斬られて死ぬような末路は、こんなやつには相応しくない。まして、何故己がやらなければならない。

 

『どうしてって……』

「わしはおまんの刀じゃ。護衛じゃ。護衛に、守るやつを斬れちゅうんか。わしに仕事をしくじらせる気ぃか、こんべこのかあ」

『……』

「大体じゃ、わしがおまんを見捨てて斬ったとして、わしはどの面下げて桜に会いに行きゃあえい!」

 

 宿に置いてきた、小さい子ども。

 繍が帰らなければ、泣いて泣いてどうしようもなくなるだろう。子守りなど真っ平御免であった。

 

『あ……。って、うわっとっ!?』

 

 がたがたがたたん、と物音が入り込んで声が乱れた。

 

「おい!」

『いやだいじょーぶ。泥を避けただけだから。結界が得意で良かったよ。でも、そっか……斬ってくれないんだ』

 

 静かな声に、今度こそ怒りが迸った。

 

「斬りとうないんじゃ!阿呆!なんぞ己が助かる方法を考えんか!えいか、わしはおまんが勝手に諦めようが、諦めんからの!」

 

 そうだ、と思った。

 なんでお前が、死ななければならない。

 人斬りでもないくせに、悪いことなどしていないくせに、呪いに呑まれてそれを封じるために斬り殺されるなどという相応しくない死に方、くれてやるものか。

 

『……ほんと?』

「何度も言わせるんかばあたれ!なんぞあるじゃろうが!千年も小間使いやっちゅうんじゃ!あんひいさんでもなんでも使わんか!」

 

 苛立ちが募り、石畳に足裏を叩きつけた。

 

『きみ、言ってることがむっちゃくちゃだよ。ボクに道連れつくれって言うの?』

「ほいたらそれは、わしにせえ!」

 

 セイバーとランサーが、ぎょっとしたようにこちらを向いたが、構っていられなかった。

 繍は、考えがずれている。

 体を取られたくないから斬ってくれ、などと頼んだ時点で、道連れにしていることに何故気づかないのだ。

 同じ道連れにするならば、どうせならば助けさせろ。

 声が返ってくるには、僅かな間があった。ほんの少しだけ、泣きそうな弱い声に聞こえた。透き通ったあの声より、ずっと良い。

 

『……じゃあ……それじゃあ、お願いする。……助けて』

 

 口元が弧を描いたのが、わかった。

 それでいい。己は所詮人斬りだが、今は斬る相手ぐらいは選ぶのだ。

 何をすればいいと聞けば、繍は躊躇いがちな声で答えた。

 

『そこにいる黒と白に、ボクが今から言う言霊を、一言一句違えずに伝えてほしい。ひとつも間違わずに、詰まらずに、だよ?……間違えたら全部おじゃんだからね』

「犬コロに?……そりゃなんなんじゃ」

『きみの刀に、狗神を宿らせる。そうしたら、多分きみの刀は霊刀になるから、それでボクごとこれを斬って』

「おい、わしの話を聞いたんか?」

『聞いてるよ!』

 

 時間がなくなりだしたのだろう。

 繍は凄まじい早口になった。

 

『ボクは、これを憑けて、つまり一度アンリマユに体を渡して、外に出る。出たらボクを斬れ。そうしたら、憑いてるモノだけが斬られ、外に引きずり出せる()()だから。引きずり出したモノを、もう一度消せば、()()うまく行く』

 

 ただし、必ず戦いになると言った。

 体が繍、中身はアンリマユという状態の敵である。多分繍が知る術すべてを規格外の魔力量に任せて使ってくるだろうし、サーヴァントには天敵である泥を使ってくるだろう、と。

 

『これは、かなり滅茶苦茶な憑き物落としだ。言霊を間違えればきみは死ぬ。きみが、ボクの体に憑いたものだけを斬って、それからアンリマユを消せないと皆死ぬ』

「ほうか」

 

 つまり、斬ればいいらしい。

 取り憑いたモノだけを斬る、という感覚はわからなかったが、繍ができるというならできるのだろう。

 つい呆れたような声になった。

 

「最初からそれを言えや阿呆」

『ボクは何回きみに罵られなきゃなんないのかなぁ!?いい?わかってるの?一つ間違えたら、きみは普通に死ぬより百倍千倍痛くてひどい目にあうんだよ!アンリマユの泥だって、下手して触れたらきみ、溶けるんだぞ!何にも残さずに!』

 

 それだから、あんな馬鹿なことを言ったらしい。

 その、普通に死ぬより百倍痛くて苦しい目に遭いそうなのは、目下自分のことだろうに。

 

「わしが下手うつと思うがか。えいから、とっとと犬コロ共への言葉、教えい。さっきからわしの横でほたえとるんじゃ」

『……』

 

 実際、犬二匹は側によって来て、ぐるぐると唸っていた。

 

『わかった。でも、これは一度しか言えないから、一度ですべて覚えるんだ。お願いだよ?』

「おん」

『ああ、それから、岡田さん。きみは、そこにいるよね?ちゃんと、生きてるんだよね?』

「なんじゃ」

『ありがとう。それだけ』

 

 息が、また一瞬詰まった。

 取って代わって、かっと頭に血が上る

 

「阿呆、ばあたれ、べこのかあ!」

『えぅ』

「そがあなこと、わしの顔見て言いとうせ!言いっぱなしは許さんぞ!そもそもこがあに働かせよって、顔もろくに見させんのはどがいな了見じゃ!酒奢れや!」

 

 思い出した。

 そもそもこいつは、酒を奢るという約束も、ずるずると引き伸ばしているのだ。

 持っていた酒をすべて、あのアインツベルンの女を助けるために使ってしまったことは知っている。

 

『……はぁい、うん、わかったよ。忘れない。それじゃあ、言う。言葉は─────』

 

 長いような短いような、不思議な言葉を繍は言った。唄にも祝詞にも聞こえる、凡そ耳慣れないものである。

 

『ここまでだ。覚えた?』

「話しかけんな。忘れる」

『おおぅ。それじゃあ』

 

 その言葉の先は、聞けなかった。

 緞帳が落ちるように唐突に、繍の声が聞こえなくなったからだ。

 令呪の魔力が限界だったのだろう。

 叫ぶとか焦るとかする前に、とにかく覚えた言葉を必死に舌の上で転がした。

 

「犬、今からおまんらに言うことがある」

 

 何かを感じ取ったのか、犬たちの唸りが止んでいた。

 

「力、わしに貸しとうせ」

 

 黒と白の二匹の犬たちは、丸い瞳でこちらを見、軽く頷きを返した。

 いつの間にやら黄金色に染まっている獣たちの瞳は、海のように奥深い。その瞳を覗き込んで、たった今聞いた言葉を以蔵は唱えた。

 

 変化は、すぐに訪れた。

 

 なんとか間違わず、噛まずに言い終えた途端、二頭の犬の姿が溶けた。

 四足の獣の輪郭がほろほろと崩れ、丸まって、光の珠になる。黒と白、二つの珠は宙を飛んで、鞘込めされたままの腰の二振りに取り付き、そのまま消えた。

 拍子抜けするほど、あっさりとしたものである。

 刀を抜いてみれば、なんだかよくわからないが確かに刃がこれまでとは異なり、薄っすらと蛍火色の光を放っているように見えた。

 折れ曲がったのを無理に踏んで鞘に戻した脇差も、凹み一つない綺麗なものになっていた。

 かと言って別段、強くなったようには思えない。重さも何もかも、そのままだ。

 

 本当にこれで届くのかと、これを振るえば呪いだけを斬れるのかと、ふと真っ黒い不安が頭をもたげた。

 斬れなければ、皆死ぬと繍は言っていた。その皆には恐らく、桜も、そして以蔵自身も含まれる。

 だが、犬も繍も、もう何も言ってはくれない。助けてはくれない。今、己は一人で考えて、信じるしかなかった。

 己以外の人間の命を乗せた刀が、こんなに重くなるとは知らなかった。

 吐息を一つ漏らして、以蔵は刀を鞘に戻した。

 

「アサシン、一体何をしたのだ?」

「説明する。おい、セイバー、ランサー、ロード先生。ちっくと耳貸しぃ」

 

 もうこうなったら、こいつらも最後まで付き合わせる。元々騎士王には、聖杯を聖剣とやらで焼き払わせるはずだったのだから。

 念話の内容をざっと語れば、ケイネスは頭を抱えた。

 

「む、無茶苦茶な……!アサシン、貴様それは……今しがた消した獣たちは、彼女の家の秘術の、真髄だぞ!」

「ほうか。やけど今はわしが使うきのう。ロード先生」

「納得できん……!どうしてそのようなものを他人に任せられる…!」

 

 何やら溢しまくる魔術師を置いて、セイバーはあっさり頷いた。

 

「わかりました。やりましょう。……実のところ私は、鞘と聖剣を使ったため、魔力に余裕がありません。加えてマスターは、私に早急に聖杯を砕けと先程から指示をしています」

「待て、セイバー。今聖杯を砕けば」

「ああ。私のマスターは、アサシンのマスターごと、事を終息させたがっています。多少の犠牲はやむ無しという考えでしょう」

 

 やるだろうな、と怒りより先に腹落ちする自分がいた。

 あの切嗣とかいう男は、己と同じにおいのする暗殺者だ。安全に穏便に、事を進めたがるだろう。

 

「だが、今アイリスフィールがマスターを止めてくれている。そして、私も念話を繫いでいません」

 

 そして至極冷静に、剣の英霊は自分がマスターに従っていないことを暴露した。

 

「なんですかアサシン、その横っ面を張られたような顔は。私は貴殿とそのマスターに、力を貸すと言ったはずですよ?」

「お、おん……」

 

 思い切りの良さに、ランサーと揃って面食らっただけである。

 こいつといい繍といい、それからあのアイリスフィールといい、この街に来た女には思い切りの良いやつしかいないのか。

 

「ですのでアサシン、ランサー。私の聖剣は、確実に撃ててあと一度です」

「その一度で、あの泥を消すしかあるまいな。……アサシン、貴殿は己が主の体に巣くったものを斬れるか?」

「斬る。わしは人斬りぜよ」

 

 殺すためにではなく、生かすために斬るのは初めてのことだが、やりようはあろう。

 

「ほいたらロード先生、おんしは離れちょけ」

「そのほうがいいでしょう。聖剣の光を解放したならば、この山と寺が無事に残るかは怪しいものですから」

 

 ケイネスは一度、深く息を吐き、右手の令呪を掲げた。

 

「我がサーヴァントに、すべての令呪を以て命ず。必ずやアンリマユを止めろ。いいな、ランサー」

「必ずや!」

 

 この状況でもランサーは嬉し気に、そして力強く頷いた。

 それでケイネスは立ち去るのかと思いきや、何故か以蔵の方を睨んで来た。

 

「アサシン、貴様は必ず己が主を助けろ。いいな」

「……言われんでもやるき。ロード先生はとっとと離れえ。おんしに死なれるがは、酒が不味うなる」

 

 手を貸してくれてはいるのだが、神経質そうな面がやはり気に入らず、ひらひらと手を振るに留めた。

 だがケイネスは、ぎろりときつい視線をくれてきた。

 

「アサシン、前々から思っていたが、そのロード先生という呼び方はどういうつもりだ?私を馬鹿にしているのか?」

「あん?ロードもおんしの名前じゃろう」

 

 それを聞いた途端、ケイネスはぽかんと口を開けた。

 

「なんだそれは……貴様、私を馬鹿にしているのではなかったのか」

「何を言うとるんじゃ。おんし、わしのマスターの先生じゃろうが」

 

 は、とケイネスは間の抜けた声を出した。

 肩透かしを食ったような顔である。

 

「ロードは私の肩書だ。肩書に肩書を重ねて呼ぶやつがあるか。……もういい。貴様は単なる無学者であっただけか。腹を立てていた私のほうが愚かではないか……。まったく、何故彼女はこのような粗忽者に……」

 

 何かをぶつぶつと言いながら、ケイネスはそれでもランサーに最後は一瞥をくれて、階段を下って行った。

 去り際に、バーサーカーのマスターを水銀の塊がひょいと担いだ。

 言峰が埋まった瓦礫の山を、ケイネスは綺麗に無視してのけていった。気絶でもしたのか、まだ気配は動いていないし、以蔵も掘り返そうとは思わなかった。

 運が良ければ生き残るだろうし、無ければ死ぬだろう。わざわざとどめを刺すのは手間でしかなく、気に掛けるものでもない。

 

 セイバーは剣を構え、片手で頬にかかっていた乱れた金糸の髪を耳にかけた。

 

「では参りましょう、ランサー、アサシン。貴殿らと共闘できるならば心強い」

「それはこちらの台詞だ、セイバー。それにアサシン。貴殿の剣の冴を見せてくれ」

「……」

 

 今更だが、もう少しマシなやつらはいなかったのかと思った。

 何故その、一点の曇りもないような笑顔をこちらに向けられる。

 倉庫街で騎士の戦いがどうのこうのと言っていたあれか、と思い当たった。同じ理屈を、人斬りに期待するな。

 とてもまともに挨拶を返す気になれず、ふいと足を動かして洞窟の方へ足を向ける。

 

「えいから、しゃんしゃん進むぞ」

 

 つい先ほど、命からがら飛び出して来た洞窟の暗がりへと、そうやって踏み込むのだった。

 

 

 

 

 

 

 




なんで方法があるのに使おうとしていなかったのかの理由は追々…。


新元号開始、おめでとうございます。
次なる時代でも、皆様のご多幸をお祈りいたします。

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