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では。
第四次聖杯戦争、その最後に残ったアサシンのサーヴァントは、寺の階段を降りたあと、どこからか走ってきた黒塗りの車でマスター諸共運ばれた。
着いた先は病院である。
協会だか教会だかの息がかかった病院で、手配はケイネスが行った。
そこで、繍は問答無用で病室に放り込まれた。検査が済まないうちはとにかく安静にしろというのだ。
仕方ないから、繍はもう一度寝ることにした。
病院内では酒煙草厳禁、と言われた以蔵は口をひん曲げたが、こればかりは仕方ない。
「繍さん、岡田さん!」
ソラウに連れられて、桜が飛び込んで来たのは昼下がりである。
さく、まで言いかけたところで、繍はお腹に桜の飛びつきを受けて、ベッドの上に引っくり返った。
そのまま桜は、めちゃくちゃに泣いた。身を振り絞るような泣き方だった。
ご丁寧にも、ケイネスが昨晩何があったかを詳らかに桜に語り聞かせていたのだ。
魔導の家の子女ならば、幼くとも自らに庇護を与えている者の現状を知って当然、というつもりだったらしい。
ケイネスは、桜が間桐や魔術そのものに怯え、繍や以蔵の姿がほんの少し見えなくなっただけで不安になるような
「お、岡田さーん、助けてほしいんだけどな」
「知らん。おい桜、そいつ放しなや」
「は、ぃ」
繍が宥めに宥めて泣き止んでからは、桜は繍の側から梃子でも離れなくなった。元々そうだったが、いよいよ鳥もちでもつけたような有様だった。
それでも、声を上げて泣くことも諦めていた子が、泣けるようになっただけで良かった。
一日で退院した繍と以蔵が、聖杯戦争の事後処理に駆り出されるときも、桜はずっとそのままだった。
聖杯戦争監督役の冬木教会は全壊し、二人いた神父は一人が重体で入院、一人が
土地管理者の遠坂は、当主が行方不明となって機能不全。
御三家である間桐は壊滅。
アインツベルンは元々冬木在住ではない上、陣地である森と城がライダー、アーチャー、セイバーによる戦闘の余波でほぼ更地。
そもそも、アインツベルンから来ているのは、本来なら聖杯の完成と共に死んでいるはずの箱入りなホムンクルスと、この戦争で人類の争いの根絶を叶えようとしていた、雇われの魔術師殺し、それにその忠実な助手なのだ。
三人とも、事後処理という言葉とはかなり縁遠い。
つまり、本来ならば後始末を担当するはずの教会と御三家が、揃って頼りにならない状況になっていた。
人員の薄さに、たちまちケイネス・エルメロイ・アーチボルトが怒髪天となる。
馬鹿弟子だろうが元弟子だろうか、五体満足でまともな頭のある魔術師は、隠蔽工作を手伝えと大変な剣幕で動員をかけたのだ。
結果、気配遮断スキルを持つアサシンのサーヴァントは、遠坂家にも侵入可能だろうから行ってこい、となった。
「どういてわしらが」
「つべこべ言う暇ないよ。ここで下手打ったら、ボクたちお尋ね者だよ?」
こういうと、以蔵の動きが格段に早くなった。
結界をすり抜け、中に侵入した以蔵は生きている遠坂時臣を発見した。
彼はアーチャーの魔力源として拘束されて生かされつつ、聖杯戦争の趨勢を見させられていたらしい。
つまり、自分はなす術ないままに、先祖代々の悲願である大聖杯がどうしようもない呪いの塊だったこと、聖剣で砕かれる様を見ることになったわけだ。
嫌みたらしいやり方だが、時臣があんなサーヴァントを喚ばなかったら、聖杯をちゃんと調査していたら、こんな苦労はなかったと思うだけに、繍はさっぱりきっぱり同情しなかった。
助け出されはしたものの、遠坂の当主は、茫然自失だった。
先祖代々の悲願が永遠に潰えたところを見たせいか、はたまたぎりぎりまで魔力を搾り取られたせいか、魂が半ば以上抜けたようになっていたのだ。
それでもケイネスに発破をかけられてからは、遠坂時臣は動いた。
特に隠蔽が必要になったのは、吹き飛んだアインツベルンの森に、崩れた円蔵山と一部壊れた柳洞寺。
冬木市は一晩にして、地震とそれに伴う山崩れと、さらに漏れ出た天然のガスによる爆発という、立て続けの天災に見舞われたことになった。
数日前からの連続殺人事件、コンテナ街爆発、ホテル爆破、間桐家炎上、教会爆発と続いてのこれである。
「わしなら、こがな街から屋移りしちゅうぜよ。げんが悪いき」
「神秘が漏れるよりましだよ。はいはい、働いて働いて」
「あとで覚えちょけよ」
「うぇ、ボクのせいじゃないよ」
あっちで隠蔽結界、こっちで近隣住民の記憶操作、そっちで漏れた泥がないかの精査、忘れた頃の魔力の痕跡つぶしと、まともに動ける聖杯戦争関係者は、全員働くことになった。
中立を名乗ったくせに遠坂と組んで謀ってきた聖堂教会を、ケイネスが信じられんと蹴り出したために、魔術協会式でやるはめになったのだ。
そうしておけば、聖杯戦争の成果はほとんどアーチボルト家が持って行けるだろう。
狡いと言えば狡いが、どうせ近々アーチボルトの家はソフィアリ家と結婚して物入りになる。迷惑料込みでそれくらいいいだろうと、繍はだんまりを決め込むことにした。
あそこの人騒がせな令嬢と、素直になれない令息は早くくっつけ、英霊まで巻き込んだ修羅場をつくるな、というのが本音である。
尚、遠坂家と協力中に、話の弾みでケイネスは養女に出した時臣の娘、桜が虚数属性持ちで、つまり魔導の家の庇護がなければ希少な素体として回収されかねないほどの子どもで、だというのに間桐家ではまともな魔術知識すら与えられていないということを知った。
というか、後半は繍が桜がほんのわずかいないときを見計らって、時臣の前でばらしたのである。
結果、時臣はまたも茫然自失となり、ケイネスが見事に再度発狂した。
「今度は、あの子どもが架空元素・虚数属性だと!この街はどうなっている!」
「落ちつきぃ、ロード先生」
「黙れアサシン貴様の主も大概だ!そもそも貴様自身、第三魔法の探求の一環による術で現界した英霊ということを自覚しろ!下手をすればまとめて封印指定だぞ!」
「うわぁ、やっぱりかぁ……」
「呑気に言ってる場合かよ、オマエ」
ウェイバーも容赦なく巻き込まれ、へろへろになっていた。
ライダーとの、別れの余韻に浸る暇すらろくになさそうである。
彼らの戦いの模様を、繍は聞いていなかった。征服王は誇り高く突き進み、果てたということだけ知れば、それで良かったからだ。
「ボクはまだまだだってこと、知れたんだ。大人しく魔術の訓練に励むとするよ」
「そう?ボク、きみは先生みたいと思ったけどな。調べるの速いし、それを説明するとき、すごく頼りにしたし。ボク、きみみたいにはできないよ」
そんな会話になったのは、一般人への暗示という作業の合間だった。ウェイバーは呆れたように鼻を鳴らした。
「あのな、オマエとアサシンが感覚で生きすぎてるんだよ」
「え、ボクも?ボクはちゃんと理論持ってるよ。岡田さんが超感覚派なのはわかるけど。天才剣士なんだからさ」
「いや、オマエらはほぼ同族だ。あと、あのイゾーをオマエが褒めるのはやめろ、また調子に乗ってうるさくなる」
「そう?」
「そうなんだよ!」
各々働きに働いて、ともかくも隠蔽工作が終わったのは、大聖杯破壊から四日後である。
忙殺されすぎ、そもそもどこからどこまでが聖杯戦争で、誰が勝者だったかすら、忘れそうになっていた。
魔力さえあれば疲労とは無縁のサーヴァントである以蔵すら、頭の使い過ぎだと目が死んだ。
それくらいの忙しさだった。
「結局、アサシンが勝者か」
そんなことを呟いたのは、アヴァロンを返しに行った際に出会った、切嗣だった。
「ギルガメッシュ、イスカンダル、ディルムッド・オディナ、ランスロット、山の翁、そしてアーサー王が喚ばれた聖杯戦争で、勝ったのは岡田以蔵とはな。僕も想像していなかった」
「勝手に言うちょけ。残ったがはわしじゃ」
「ああ、そうだね。……本当に、予想外だったさ」
揶揄しているのではなく、抜け殻になったように呟く彼に、以蔵もいつものように馬鹿にされたと怒る気も起きないらしく、目を眇めただけに留めていた。
「アイリスフィールさん、舞弥さん、これからどうするんですか?」
「私たちは、イリヤスフィールを迎えに行くわ」
魔術師殺しの助手だという黒ずくめの女性、久宇舞弥も頷いた。
「といっても、お爺様は怒ってらっしゃるでしょうね」
「お爺様とはアインツベルンの当主ですよね?あの、もしや第三次の参加者?」
「ええ、そうよ」
大惨事聖杯戦争、もとい第三次聖杯戦争が原因で、あのアンリマユが降臨しかかった。
それの参加者がまだ生きていたのかと、少し意外だった。
「家からは縁切りものね。でも、切嗣とイリヤと舞弥さんがいてくれるなら、怖くないわ」
と、目をきらめかせていうアイリスフィールは、完全に母親の顔をしていた。
ぎゅう、と桜に後ろから抱きつかれながら、繍は頷いた。それから、布に包んでいた聖剣の鞘を差し出す。
「アヴァロンを、お返しします。アーサー王は、あなたたちに返してくれと言っていましたから」
「……そうなの」
アイリスフィールは、愛おしげに琺瑯の美しい鞘を撫でた。
「預からせてもらって、いいのかしら。セイバーの宝物なのに」
「……ボクからは何も。でも彼女は、他でもないあなたたちに、それを返してくれと言ったんです」
何かの絆がなければ、セイバーはそんなことは言わないだろう。
アイリスフィールの紅玉のような瞳が、みるみる涙の膜で曇っていくのを見つつ、繍は彼女に背を向けた。
その涙を拭うのは、すぐ側にいる夫の役目だった。
「岡田さん、桜。それじゃ、行こうか」
次に向かったのは、ある意味最も重い場所だった。
「ああ、よく来てくれたね。佐保家現当主、佐保繍くん」
「……はぁ、どうも」
遠坂家の客間に集まったのは、遠坂時臣、間桐雁夜、調停役のケイネスという一緒の空間に絶対に投げ込みたくない面子である。
桜は以蔵に預けて外で遊ばせていたから、繍は一人である。
そこから始まったのは、重い話し合いであった。
つまりは、桜の処遇が問題になったのだ。
間桐家は、ライダー陣営とアサシン陣営の襲撃でほぼ壊滅。
残った雁夜にも、魔術を桜に教えられるような技量はない。余命も少ない。
お飾りの当主であったという鶴野は雲隠れしたらしく、一向に出てこない。
元々、遠坂桜が間桐の養子になったのは間桐家の魔術を学ぶためである。
その約束が履行されないならば、契約違反だというのが遠坂家の、というよりは時臣の主張だった。
一方の雁夜は、まず遠坂時臣に怒りを顕にしていた。何故桜をあの臓硯の手に委ねたのかと、時臣を詰ったのである。
そして、魔導の血筋を継ぐ責務から、君が逃げたためだろうと時臣に切り返された。
「遠坂殿、論点がずれています。あなたは、間桐臓硯が人間を喰うことによって生き永らえており、かつ桜に真っ当な魔導の修行など行う気はなく、ただの胎盤として利用するつもりだったと知っていましたか?」
時臣の答えなど知っていたが、繍は口を挟んだ。
「……いや、知らなかった」
桜に魔導の家門の庇護がなければ、凡そまともに生きられないほどの才能があったことが仇になったのだ。
魔術は元々一子相伝。
遠坂家では、姉の凛を守るだけで精一杯だったから、時臣は桜を養子に出さざるを得なかった。
時臣は桜を娘として愛していたし、幸せを願っていた。
ただ、方法を致命的なまでに誤ったのだ。
「間桐殿。あなたは桜を魔術とは無縁の、姉の凛や母君とのあたたかな生活に返してやりたかった。そうですね?」
「そうだ。それを、そこの時臣が踏み躙った!」
「血の責任から逃げた君に、姉妹の片方を凡俗に落とさねばならぬ親の苦悩など、わかるものか」
「なんだと!」
雁夜と時臣が腰を浮かせたときだ。
「双方静まらんか!」
ケイネスの、張り飛ばすような声が響いた。
「私に言わせれば、土地の管理を怠った遠坂も、血を零落させ、人喰いをのさばらせた間桐にも大差はない。果てはまったく無関係な家の当主まで巻き込んで、一体何を無様に喚き散らしているのだ」
時計塔に十二人しかいない、現役の
巻き込んで、というか完全に繍は首を突っ込んだ形になるのだが、そんなことは言える空気ではなかった。
「未熟な虚数属性持ちなど、時計塔に目をつけられれば早晩に封印指定。そうでなくとも、魔術師たちに貴重な材料として狙われる。つまりは生涯幽閉されるか、食い潰されるかの違いしかない。間桐雁夜、貴様は非才の身であったからこそ、己が家からの逃走を図れたのだ。同じことをあの娘に期待すれば、それは彼女を殺すことになる」
「なっ……!?」
「自衛もできぬ身で、貴重な才能を持った子どもを守れると思い上がるな。よしんば逃走できたとして、貴様は貴様の言うまともな暮らしを、あの子どもに与えられるのか?言っておくがな、私やそこの佐保の当主ならば、貴様ごときこの僅かな時間で、百回は殺せているぞ」
「あの、さすがに百は無理です」
「静かにしたまえ。そういうことを言っているのではない」
ぽろりとこぼれた本音は、完全に雁夜にとどめを刺すことになり、彼は首項垂れた。
「遠坂は口を出すな。間桐家を選び、契約を結び、娘を託した瞬間、貴様ら遠坂と娘の縁は切れた。否、自ら切ったのだ。今更取り戻そうなど、見当違いも甚だしい」
時臣の言葉を、そうしてケイネスは封じた。
「間桐雁夜、貴様が決めろ。間桐桜は貴様の姪だ。私個人の見解を言うならば、そこの佐保家の秘術は、神霊を降ろすという降霊術の最高峰。しかしそれでいて根源を探求せず、人を救うことを生業にして来た、頓珍漢かつ極めて古い名門だ」
「……は?」
「佐保家は千年もの間、
あ、と繍のほうがこれには驚く。
時臣は時臣で、佐保家が千年の家と聞いて顎を外しそうになっていた。
聖杯戦争に飛び入りし、最も霊格の低いサーヴァントを召喚した流れ者が、まさか自身より古い家の当主とは思っていなかったらしい。
「あの、ロード?」
「君は黙っていたまえ。間桐桜に手を伸ばし、すくい上げたのは君とアサシンだ。その責務がある」
ケイネスにひと睨みされ、繍は手を握りしめた。
雁夜は、ぼうと視線を彷徨わせている。
その瞳がふと、窓の外へ向いた。
緑の残る庭では、草の上に座った桜と以蔵が遊んでいる。桜の膝の上には黒い毛玉が、以蔵の肩の上には白い毛玉が乗っていた。
声は聞こえないが、桜は何か以蔵と言葉を交わしては、膝の上の狗を撫でているようだった。
死蝋を被ったような雁夜の頬が緩む。
「佐保、繍さんと言ったかい?」
「はい」
「間桐の魔術師として頼む。あの子を守り、知識を授けてあげてほしい。……俺には、それはできないことだから」
繍は束の間目を閉じた。
ぐるぐると、この数日のことが過って行く。
目を開ける。迷いは、なかった。
「……わかりました。佐保家当主として、お受けします。ですが、こちらからも条件があります」
「条件?」
「治療を受けて下さい」
言うと、雁夜は泣き笑いのような顔になった。
「はは、無理だよ。俺の体は、聖杯戦争のために粗方蟲に喰わせた。生きられて後数ヶ月さ」
「なんだそれは。では、新たな体があればよかろうが」
「は?」
ケイネスはふんと腕組みをした。
「体が保たぬと言うならば、取り替えればいいのだろう。それならば私の伝手で、腕の良い人形師、つまり義手義足、義体の専門家を紹介してやる。……ああ、勘違いするなよ。情けなどではない。この聖杯戦争とやらの締め、そして間桐家の解体には、お飾りだろうが御三家に揃っていてもらったほうが、何かと都合が良いからだ」
足りないならば、外から持って来て補う。
まさに魔術師らしい発想だった。
ケイネスの碧眼が、今度は繍を捉えた。
「そこの佐保家当主、何を呆けている。君もだろう。あそこで戯れている使い魔に真っ当な体を与えてやるのが、君の望みだったのだろうが。共闘の誼だ。紹介状のひとつくらいは出してやろう」
「え、あ、ありがとうございます!」
思わず椅子から飛び上がって、繍は九十度のお辞儀を決めていた。
「当主が他家に安々と頭を下げるな。これで貸し借りはないぞ」
ケイネスは、額にしわを刻んだまま立ち上がった。
「私は帰る。遠坂、間桐、貴様らは話のすり合わせでもしておけ。言っておくが、魔術を交えた決闘など起こすなよ」
貴族らしい傲慢さのまま、ケイネスは部屋を出る。繍もその後に続いた。
最後にちらりと振り返ると、雁夜はまだついていけていないのか、呆けていた。降って湧いた命の使い途が、彼を戸惑わせていた。
時臣は彫刻になったかのように、額を押さえて動かない。
彼らを置いて、繍は部屋を出た。
「あの、ロード。さっきのは?」
「ああ。君が住む家もろくに持たない流れ者ということを、一言も言わなかった件か?」
ケイネスは靴の踵で回り、繍を見下ろした。
「いい機会だ。手のかかる子どもを引き取れば、ふらふらと落ち着きなく彷徨うこともなくなろう。どこかに留まり、まともな研究を始め給え。やろうと思えば、君ならばできる。その才を、今回のような馬鹿騒ぎに巻き込んで失わせるのは、ただの損失だ。腰を落ち着けないからこういうことになるのだと、よくよくわかっただろう」
口調は辛辣だった。
だがそれは、いつかの教室で聞いていた声だった。
「……ありがとうございます、ロード」
「礼は良いと言っただろうが」
大股で歩くケイネスの後を、繍はやや小走りになって続く。
この人が死ななくて良かったというぬるま湯のような安堵が、じわりと胸に広がった。
「私は早晩、ソラウと共に帰国する。人形師への紹介状は、そちらのホテルに届くよう手配しておこう。それからあの馬鹿弟子は、しばらく世界を見てから帰るそうだ。愚か者だが、今回の一件では気骨があるところを見せた。戻って来たら扱いてやろう」
おめでとう、ケイネス先生直々の扱き決定だぞ、と繍は頭の中でウェイバーに合掌した。
「ああ……それとな」
遠坂本邸の外に出たところで、ケイネスはやや言い淀んだ。
「君の家は確か不幸が重なり、君を残して神秘を伝える血脈が断絶していたな?」
「そうですが、それが何か?」
「後継者をつくるのは、確かに末裔としての使命だろう。だがくれぐれも、相手は慎重に選ぶように」
「はい?……それは勿論そうしますが」
ケイネスの視線がちらりと、庭先で遊ぶ以蔵と桜の方を向いた。こちらの気配に気づいたのか、以蔵が手を振る。
開けっぴろ気な笑顔だった。頭には白い毛玉と化した狗神がくっついており、どうも締まらないけれど。
その笑顔を見て、ケイネスの言いたいことを察した。
「ああ、そういう意味を……」
「そういうもこういうもあるものか!いいかね?君は、己が育ちが良く、見目もそう悪くなく、そして由緒ある良家の子女だという実感と危機感をいい加減持ち給え!」
「すみません。さすがにその台詞は、熨斗をつけてお返ししてもいいですか?」
「ノシ?それはなんだ。日本の返礼の品かね?」
「……まぁ、そんなところです」
一気に話が肩透かしな方へ転んだなぁ、と繍は頬をかいた。
いくらなんでも危機感云々に関して、最愛の婚約者連れで参戦したケイネスに、説教されたくなかった。
「ロード、あの、本当に懸念されているようなのではありませんから。彼はボクの……」
なんなのだろう、と繍は言い淀んだ。
今はまだ契約状態にあるから、以蔵は繍の魔力で現界している。
が、聖杯戦争は既に終わった。評判通りの人形師の身体が手に入ったら、恐らくその必要もなくなるのだ。
そうなったとき、はて岡田以蔵というのは自分にとっての何になるのかと、繍は首をひねった。
ふさわしい言葉は、今のところ一つしかなかった。
「……ボクの、相棒です。少なくとも、彼がそう思っていてくれたら、ボクはとても嬉しいです」
「やれやれ。使い魔に情をかける性は変わらないようだな」
「うちの性分ですから」
そうか、とケイネスは頷いた。
「ではな。また会おう。シュウ・サオ」
「はい、お元気で。それからあの、ケイネス先生」
「なんだね?」
「ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリ嬢と、どうか共に、末永くお幸せに」
かつては婚姻の席での言祝ぎもしていた巫女の言霊を乗せ、繍は言った。
ケイネスがそれを感じ取ったかは、わからない。
時計塔がロードの一人は、優雅に微笑むと、ゆったりとした足取りで遠坂家を出て行った。
その背中が小さくなるまで見送って、繍は庭の二人の方へ駆け寄る。
「話は終わったがか?」
「はいはい、終わったよ。一度、宿に帰ろうか。色々、話すことができたから。桜も一緒にね」
「はい!」
かつての家だというのに、桜があまり懐かしがる素振りを見せず、繍たちと帰ることを無心に喜んでいる。
それが、なんとなく胸に痛かった。
彼女の実父と義理の叔父は、今どういう話し合いをしているのだろう。そこまでは、預かり知らぬことであり、踏み入れていいところではない。
確かなことは、彼らが共に、この子を愛していたということ。ただひたすらに、その愛し方が相容れなかったということだけだ。
繍は白い髪をかき上げた。
「あー、緊張したからお腹空いたよ。何か食べて帰ろう」
「それより酒じゃ酒。いつまで待たす気ぃや」
「まだお天道様出てるんだけど……うん、わかったわかった。わかりました。ボクの奢りで飲めばいいよ」
降参、と繍は両手を上げ、以蔵はにっと笑った。
「それでええんじゃ、それで。おい、桜もなんぞねだっちょけよ」
「え?」
小さくなった黒を肩に乗せた桜は、胸の前で手をもじもじと組み合わせた。
「あの……あの、それなら、手をつないでほしい、です。えっと、こんな感じに……」
桜は右手を繍に、左手を以蔵に差し出した。
ちょうど、桜を真ん中に挟むような形になる。
「これでいいのかな?」
「は、はい。……あの、だめ、ですか?」
以蔵と顔を見合わせた。
ほとんど同時に頷き合う。
「駄目なわけない。じゃ、このまま歩こうか」
「おい繍、おまん転けたら許さんぞ」
「転けないよ。そっちこそ早足にならないでよ」
秋風吹き抜ける坂を、三人で下る。
風は冷たく通り過ぎて行くが、繋いだ手はあたたかく、応える声は騒がしくも楽しい。
ああ本当に、今日は良い日だと、繍はそっと微笑んだ。
二話同時(一分違い)投稿一話目です。