冬の街にて、人斬り異聞   作:はたけのなすび

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では。


巻の五

 

 

 

 

 

 『魔術師殺し(メイガスマーダー)』、衛宮切嗣。

 繍にとって彼は、名前だけは聞いたことのある魔術師で、相当悪辣な暗殺者だった。

 

「九年くらい前までかなり積極的に活動してた暗殺者なんだ。最近は、全然話を聞かなくなってたんだけど」

「ほう。……九年前ちゅうたら、おまんは」

「日本で小学生……寺子屋みたいなとこに通ってたから、往時の彼に会ったことはない」

 

 九年前では、繍は十歳である。

 祖母も健在の頃で、日本の片田舎で棒切れ振り回して遊び回るような小学生をやっていたのだから、直接には知らない。

 ただ、時計塔で彼の噂を聞き齧った程度だ。

 暗殺対象を集団の中で爆殺しただの、飛行機ごと標的を撃墜しただの、どれも信じ難いような話ばかりだった。

 金銭目当ての、魔術師としての誇りもない外道。ドブ鼠。下賤の屑。

 衛宮切嗣の名を聞いた時計塔での繍の知り合いや教師は、口を揃えてそう言っていたし、その名を聞いて最も口を極めて罵っていたのは、かのケイネス・エルメロイである。

 衛宮切嗣は、暗殺の手段を選ばない。己も魔術師であるからこそ、どう効率よくやれるかを分析し、実行する。

 伝統を重んじ、神秘の担い手であること自体に誇りを持つ魔術師たちからすると、魔術師でありながら、それを逆手に取った外道な方法で、暗殺を決行する存在は、許し難いのだ。

 侮られ蔑まれつつも、同時に恐れられ忌まれるのが、『魔術師殺し』衛宮切嗣だった。

 

「わしと似たようなもんかの」

 

 『人斬り』以蔵は、そう宣う。

 未遠川の土手に、膝を投げ出して腰掛けながら、以蔵は空を見上げて薄く片頬で嗤っていた。

 

「……」

「妙な顔しゆうな。おまんの喚んだのは人斬りじゃき、そういうもんちゃ」

 

─────そうなのだろうか、そういうものなのだと、割り切るほうがよいのだろうか。

 

 サーヴァントの皮肉気な言い方に、是も否も言えず、ただ繍は小石を一つ掬い上げて川面に投げた。

 久しくやっていなかった水切りだが、要領はまだ指先が覚えていた。五回ほど水面を打ったあと、小石は波紋を残して沈む。

 ぴゅう、と以蔵が口笛を吹いた。

 

「その人は科学兵器……だから、例えば銃とかも使ってくるんだよ。使い魔と監視カメラの組み合わせなんて、他には聞いたことがないから、間違いないと思う」

「九年も潜んどった猟犬が、この街に出てきたっちゅうことか?」

「だと思う。これを見て思い出したんだけど、衛宮切嗣を迎え入れたのは、アインツベルンなんだ。彼はそこのマスターに収まったんだろう」

 

 今の今まで忘れていたが、錬金術師の大家、アインツベルンが暗殺者を雇い入れたどころか一族に加えた話は、当時は人々の憶測を呼んだのだ。

 表立ってするような話ではないから、時の流れが経つにつれ忘れられかけていたが、つまり錬金術に特化して戦いの術に乏しいアインツベルンが、聖杯戦争に勝つために迎えたというのが、真相だったのだろう。

 

「なんでそがん話を忘れちゅう」

「こっちが時計塔にいたときには、もう魔術師殺しの名前もアインツベルンの話も、噂にしかなってなかったんだよ……。それから色々あって完全に忘れてた」

 

 とはいいつつ、素直に頭は下げる繍である。しかし、段々憤懣やるかたなくなり、唐突に三色の髪を振り乱して発狂した。

 

「地方都市の魔術儀式に本物の戦争屋を入れるなんて、アインツベルン何考えてんだー!冬木が焼け野原になってもいいのかー!」

 

 納得行かずにじたばたと手足を振り回す繍の額に、以蔵の手刀が落ちた。

 乾いた音が、川面に響く。

 

「いだっ!」

「ほたえな。ガキか、おんしゃあ」

「……はい、二度と言いません」

 

 口で言うほど大して痛くはなかったが、衝撃で正気には戻れた。

 額を片手で押さえながら、繍は回収していた蝙蝠の亡骸に布越しに触れる。口の中で呪文を唱えながら、その骸を灰も残さず焼き尽くした。

 残ったのは小型カメラ。

 繍はケイネスのように、現代機器を操る魔術師すべてが下賤とは思わない。そもそも、何だって使えないよりは使えたほうがいい。

 知らないほうが良かったと思うことはあっても、知っていて悪いことというのは、生きていく上ではひとつもないのだ。

 その考えは、時にケイネスや他の教師から、あらゆることを取り込む極東の人間らしい節操のなさだと呆れられたり、本気で諌められるときもあったが、これに関しては師であろうと曲げられなかった。

 だからそのぶんだけ、繍は衛宮切嗣を侮る気などこれっぽっちもなかった。

 

「こっちに監視を送ってたってことは、気づかれてるのかな?」

「そう考えたほうがえいじゃろ」

 

 マスターになったのは昨日で、当事者にとっても完全に予期せぬ事態だった。

 それなのに補足されていたのか、と思うと足元が寒くなる話だった。

 黙り込んでしまった繍の傍らで、以蔵は面白くなさそうに鼻を鳴らした。

 

「要はわしと変わらん人斬りなら、考えゆうことはわかる。隠れて避けるのは得意なんじゃろ」

「まあ、一キロ圏内の狙撃なら、鏡で大体防げる。それ以上となると、黒狗白狗がいればなんとかはなる」

 

 鏡も狗神も、本来は術者が守護する神域を害するモノから護るための秘術の結晶なのだ。千年前から伝わる秘宝は、伊達ではない。

 霊的な護りのみならず、物理的にも堅い。

 ただ、祈り祀り、護ることが本分のために攻撃にまで転用し難いのだ。

 

「まっこと偏ったやつじゃ。拝み屋かなにかか」

 

 そう言われるのも無理はない。

 元々、カミの依代としての役割を持つ神官一族なのだ。そこから派生して、憑き物落としなどが得意になっただけである。

 だから術のベースが極東の呪術だと何かと見下されがちな降霊科でも、何とかやっていけたのだ。

 結局は、西洋魔術絶対主義の空気に馴染めなくなって飛び出すことにはなったが。

 カメラを鞄に放り込み、繍は立ち上がった。

 

「どっちみち、これはあの宿に戻らないほうが良いや。適当に人混みに紛れながら、別のとこへ行こう。……岡田さん、そういうわけで霊体化を頼んでも良いかな?」

 

 岡田以蔵が如何に神秘が薄く、日本人の中に紛れ込みやすいサーヴァントとはいえ、普通の人間とはやはり気配が異なる。雑踏に紛れるには、不向きだ。

 それは伝わったのか、何も言わずに以蔵の姿は消える。

 纏っていた者の体が消えたために、コートと襟巻きがその場に落ちる────手前で繍が受け止め、丸めて鞄に押し込んだ。かなり大きな布の塊を、鞄は簡単に飲み込み、しかも膨れることもなかった。

 

『……前々から思うちょったが、そん鞄、どんだけものが入っちゅうんじゃ?』

 

 霊体化しても、念話で以蔵の声は聞こえた。すぐ間近で話されているような感覚になんとなく慣れず、繍は肩をすくめた。

 草色の帆布でできた鞄をぽんぽんと片手で叩いてから、繍はふと川面に目をやる。

 幅広の川は、夕日に照らされて血の色に染まっていた。

 

「それなりの術をかけてるから、多分、蔵一つ分くらいは入ってるよ。生き物は入れられないけど」

『はぁ!?』

「便利だろ。二年がかりで作った自信作だよ。まぁ、もう二度とできないんだけどねー」

 

 たはは、と呑気な乾いた笑い声を上げながら、繍は赤い未遠川に背を向けて、新都の灯りの方へと足を向けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくてその日の夜更け、また別のビジネスホテルの一室に、アサシンの主従は転がり込んでいた。

 繍はあれから人込みを抜け、地下道をくぐり、二時間近くもぐるぐると新都を巡った。

 恐らく監視の目はまけたとは思う。思うが、確かめる術がないために希望的観測が入っているのも事実だった。

 まけていないならまけていないで仕方ない、とあっさり宣った繍は、今度は鞄から三枚の小さな丸鏡を取り出して、自分の据わる西洋式の寝台の上に浮かべていた。

 そう、糸で吊っているわけでもないのに浮遊しているのである。怪しの術といえばそれまでだが、よくできた手妻のようで見ていて少し面白くはあった。

 

「これは、『眼』だよ。遠坂と間桐の家、あとこの街の教会に放った式神が見ているものを、ここに映してるのさ」

 

 その以蔵の視線をどう感じ取ったのか、正座したまま鏡に見入っていた繍は首を捩じって答えた。

 その膝の上には、あの黒犬が小さい体で丸まって収まり、白犬は傍らで前脚を揃えて鏡を見る、という人間臭い体勢を取っていた。

 手招きされて以蔵も覗き込む。確かに、丸い鏡の表面にそれぞれいくつかの角度から映し出されている屋敷が映っていた。

 つまりこのマスターは、大して疲労も見せずに、勝手に寛ぐほど自由な式神を出し、加えて三柱の式神を操っていることになる。

 以蔵への魔力供給も潤沢であり、術者としては確かに優秀ではあるのだ。

 

「ん?」

 

 視線を感じたのか、三色の妙な髪を揺らして、繍は以蔵の顔を覗き込んだ。

 その呑気な面がなければもう少しましなのだが、と思わなくもない。

 毒気がない呑気さと甘さが同居したような緩さは、何処か覚えがあって腹立たしいのだ。

 良いことと言えば、魔力をどれだけ持って行こうが何も言わないことと、岡田以蔵というサーヴァントを一度も使い魔として見下すような態度を取らないことだろうか。

 それを感じ取ってか、今度は白犬が繍が目を離した隙に尻尾を急に伸ばし、ぱしんと以蔵の額を叩いた。

 ()()()()()()()

 

「ぶふ」

 

 小馬鹿にしたように、白犬は人間が笑うような奇妙な声で濡れた黒い鼻を鳴らした。

 

「こんの犬コロ……!」

 

 ばふぉばふぉとまたも妙な鳴き声を立てる犬は、ひらりと跳んで仔犬ほどに小さくなり、繍の頭の上に乗る。

 驚いたのは、白犬に頭に乗られた繍である。しかも、振り返ってほぼ抜刀しかけの以蔵と目が合い、思い切り座ったまま後退った。

 

「お、岡田さん、何で刀抜いてるのさ!?」

「退きぃ!そん犬コロ、わしを馬鹿にしゆうが!」

「落ち着いてー!白狗は悪戯好きでちょっと性悪なだけだからー!」

 

 慌てふためく主の頭の上で、犬はぶふ、と妙な鳴き声を立てながらぱたぱたと尾を振っているだけである。

 これでは、主であるはずの繍のことも巻き込んでからかっているようにしか見えない。

 くわぁ、と繍の膝の上に乗っかる黒犬は関心がなさそうに欠伸までしてのける。

 脇差で斬ろうが突こうが、この化生のものにはどうせ実体などない。繍がもう一度呼べば、けろりと出てくる。

 そんな予感がして、以蔵は刀を引っ込めた。

 この少女と行動していると、刀を引っ込めることばかりである。召喚早々に髑髏面を斬り捨てはしたが、あのような雑魚では斬った内にも入りはしない。

 

「式にもちっと言うこと聞かせえ」

 

 脇差を鞘に戻せば、ほっとしたように繍は息を吐いて、それから困ったように頬をかいた。

 

「それはちょっとなぁ」

 

 血筋に憑いた狗神は、あくまで彼らの意志で手を貸しているだけだ。

 気が向かなければ、佐保の家の血があろうが才があろうが、出てくることはないのだという。

 つまり、繍は白黒一対の狗神に気に入られているのだ。

 

「所詮口も利けん、獣畜生じゃろ」

「違うよ。ボクらが彼らの言葉をわかることができないだけさ。小娘のボクより、何倍も生きてる賢者だよ」

 

 小さくなっている黒犬を両手で抱き上げて、繍は真面目な顔で言った。

 式神と口で言いはすれど、この少女は犬たちを自分と対等かそれ以上の位置に置いている。

 

──────ああ、つまりは。

 

 だからこそ、同じ高位の使い魔であるサーヴァントにも、同じ姿勢になるのだ。

 訳のわからぬ馴れ馴れしさの種が割れて、以蔵はひとつ靄が晴れたように思った。

 

「でも、いざ戦うときになったら、黒白どっちか連れてってほしいんだけど」

「はぁ?」

「彼ら、二頭一対の存在だから、場所を入れ替える形で転移ができるんだよ。生身の人間には無理だけど、霊体の岡田さんなら一緒くたに転移できると思うんだ。一日一度くらいが限度だけど」

 

 通常なら、令呪を用いて行うサーヴァントの転移の奇跡を、令呪に頼ることなくできるということになる。

 問題があるとするなら、この人を小馬鹿にしてくれた犬たちを以蔵が斬らないで済むかということだった。

 

「なので、白黒どちらか連れてったげてください」

 

 わふわふばふばふと抑えた声で、白犬と黒犬は鳴いた。

 

「……黒いの寄越しぃ」

 

 性悪で悪戯好きという白いのよりは、まだマシだろう。

 

「はい、ありがとう」

 

 わふ、と繍の手から飛び出した黒犬が鳴いた。そのまま以蔵の手にがぶりと噛み付く。

 ちきりと刀の鍔が鳴り、うわぁ、と頭を抱えた繍は三秒後の騒ぎを察知して、鏡の群れごと部屋の隅に引っ込む。

 ベッド二つが入って空間がほぼ埋まってしまうような手狭な部屋なのだから、大して変わりはしないのだが、渦中にいるよりまだましである。

 甘噛みなんだから嫌われてない証拠なんだけどなぁ、という呟きを他所に、式神とサーヴァントの騒ぎは終わりそうになかった。

 

「あれ?」

 

 騒ぎを横目に鏡を覗いていた繍は、ふと気づく。

 遠坂邸を映す映像に、黒衣の姿が翻ったからだ。

 

「岡田さん、動きがあった。ちょっと見てよ」

 

 黒犬に肩に前脚でへばりつかれたふてた顔のまま、以蔵は鏡を覗く。

 滑らかな青銅の板に映し出された髑髏面を見た途端、刃物のように目が細められた。

 

「こいつぁ……」

「うん、あの髑髏面に見える。体格とかは違うが。遠坂邸に侵入する気のようだよ」

 

 まさに先日、斬ったはずの黒衣を纏った髑髏面。それと同じ装束の影が、鏡面の中で動いていた。

 四対の目が見る中で、髑髏面は洋風の切妻屋根を頂いた屋敷へ近づき─────瞬時に、飛来してきた宝剣に手の甲を貫かれて縫い留められた。

 

「は?」

「うわ」

「ばふ」

 

 ぐるり、と鏡の中の映像が動く。

 恐らく、繍の使い魔が頭を巡らせたのだろう。広くなった視界には、切妻屋根の上に屹立する、黄金の人影が映っていた。

 その背中に、黄金の波紋がいくつも浮かび上がったかと思うと、髑髏面へ向けて何かが放たれる。

 数秒もかからずに、髑髏面のいたはずの場所は、穴だらけの無惨な姿となっていた。地面に墓標のように突き立つ剣群しか、残っていない。

 爆撃の中心地にいた髑髏面がどうなったかは、言うまでもなかった。

 

「……あれ、あの人、よっぽど古い時代の英雄だよ」

 

 波紋と共に瞬時に消えた黄金の人影の残滓を見つつ、繍が言った。

 その威容に一瞬呪縛されていた以蔵は我に返る。

 繍の声は常と変わらず、狗神のことを語っていたときとひと続きのようだった。

 横目で見る。

 乾いてひび割れた、あまり手入れもされていないような指は、服の二の腕を血管が浮くほどに強く掴んでいた。気の抜けた顔は、よく見れば頬の辺りは強張り、青白かった。

 その顔のまま、繍は以蔵の方を見上げる。

 

「岡田さんー?……もしかして、ちょっとビビってます?」

「な訳ないじゃろう!わしは剣の天才じゃ!」

 

 反射で即答して以蔵は立ち上がる。

 袖から手を離して、繍はやや驚いたように目を瞬いて────それから、肩から力を抜いて、ようやっと小さく笑ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 




状況を把握して行こうという話。

繍は逃げ足だけは速い、紙装甲のサモナータイプ。

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