では。
「うちは託児所か?寺子屋か?まったくおまえは、行く先行く先で何かを連れて帰ってくる星の下に生まれたのか?」
「そんな星はいりませんし、知りませんよ。あと、猫の子を拾って来たみたいに言わないでください」
「おまえが、そんな可愛げのあるものを連れて来た試しがあるか?」
あっはっは、と笑って誤魔化す白髪の女性に、赤毛の女性はため息をついた。
「おまえたちに関わると、御三家には毎度災難が降り掛かってくるようだな。次期当主二人の家出とは、前代未聞だぞ」
橙子の言葉に反応したのは、事務所のソファに並んで座る少女二人だった。
イリヤスフィール・フォン・アインツベルンと、遠坂凛。
桜にとっては、人生が変わることになった冬木の聖杯戦争、その御三家と言われる家の子どもたちなのだ。
間桐を名乗る桜も、その一角ではあるのだけれど、冬木の家とは叔父ひとりを除いて、ほぼ関係が途絶えている。
「何べんも言うとろうが、雁夜!凛もイリヤスフィールちゅうんも、ここにおるが!おんしはそこで狼狽えちゅう髭と衛宮に安心せえと言うちょけ!落ち着くまで電話寄越しな!」
事務所の隅で、ぶちりと電話を切ったのは、岡田以蔵だった。
ちなみに幹也とは途中で別れ、鮮花と式はもう帰ったとあって、事務所には橙子しかいなかった。
「電話ありがとう、岡田さん」
「どういてわしがやるがじゃ。口八丁はおまんの役ぜよ。耳がちゃがまるかと思うたが」
「いやなんか、ボクの言動って裏があるように聞こえるって、信用されないときがあって」
日頃の行いが悪いのかな、と首を傾げながら、繍は以蔵の投げた携帯を受け取った。
そのまま、ソファに座る少女二人の方を向く。桜はその隣でじっとすることにした。
「それで、凛にイリヤスフィール。家出したんだって?」
「イリヤでいいわ。わたしもあなたのこと、シュウって呼ぶから。そっちはイゾーでいいわよね。それから、あなたはサクラ。そうでしょ?」
「は、はい!」
イリヤの白銀の髪に日の光があたって、きらきらと輝くのを見て、まるで雪の妖精みたいだとぽうっとしていた桜は、ぱっと顔を上げた。
「初めましてよね。わたしはイリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。わたしのお母様とキリツグが、聖杯戦争でシュウの世話になったのよ」
「……はぁ、本当にアインツベルンの娘とはな。聖杯戦争のことは、無論知っていそうだな」
橙子の呟きに、イリヤが頷いた。
「そうよ。わたしもリンも、それにサクラもでしょう?みんなあの戦いのことは知ってるわ」
「うん。で、二人ともどうしてここに来たんだい?君の家の人たち、めちゃくちゃ心配してたよ。そもそも、ここの住所、どうしてわかったんだ?」
「カリヤが持ってた連絡先をこっそりね」
あの阿呆、と以蔵が唸った。
「おい、繍に岡田。ここは託児所じゃないと言っただろう。とっととそこの娘たちを連れて帰れ。こちとら暇じゃないんだよ」
「そのようですね。この街、ちょっと嫌な感じですし。近々何か起きますよ」
「やめろやめろ。おまえが喋ると言霊や託宣になりかねん。もう少し無口でいられないのか」
「そんなことしません。元々ボクたちは、観測し終わった未来しか喋れないんですよ。あっ、だから太極の子に注意してあげてくださいね」
「おまえたちもな」
はいはい、と繍は軽く言った。
以蔵も桜も、繍と橙子の会話はよくわからないときがある。魔術師と呪術師が組むと頭が痛い、と以蔵が前言っていた。
多分、繍が自分のわからない話題でしゃべり出すのが嫌なのだろう。ちゃんとあとで、繍は説明してくれるのに。
「じゃ、失礼しますよ。橙子さん。凛、イリヤ。おいで。話はあっちで聞くから」
あっち、というのは文字通りここから近くにあるビルのことだ。
この事務所が入っている廃ビルの、三つ隣のビルが桜たちの家になる。
それだけの距離に住んでいるのに、式と繍と以蔵が顔を合わさないのには、やっぱり何かの意味があるのかもしれない。
一番ありえそうなのは、繍がこっそり何かしている、ということだけれど。
「いいわよ」
そう答えたのはイリヤではなく、これまでずっと黙っていた凛だった。
「そっか。それじゃこっちだよ」
言って、繍はすたすたと歩き出す。
以蔵も頭をかきながらその後についていって、桜も黒を抱いて、ランドセルを背負って同じように歩き出す。
「どういたおんしら、とっとと来んか」
「い、いくわよ!」
ツインテールをふって、凛がイリヤの手を引いて歩き出す。
「じゃあ、失礼しました」
桜が最後に言って、みんなで蒼崎橙子の事務所を後にした。
「それできみたち、一体どうして冬木から飛び出てこんなところにまで来たんだい?」
「キリツグは何か言っていなかったの?」
事務所から三つ隣のビルの一室。
丸い卓袱台の周りに並べられた座布団は五つ。順番に卓袱台の上に湯呑みを置いてから、繍が尋ねた。
ここは、一応桜と繍の仕事兼鍛錬部屋ということになっている場所である。
床には藺草を編んだ敷物が敷かれ、漆塗りの文箱が置かれた文机が二つに、卓袱台がひとつ、それに黒い刀掛けがひとつある。
壁際に寄せられた棚の中には、和綴じの本や茶色く変色した古紙の束、丸い宝石や鏡などがきちんと並べられて置かれていた。
ちなみに、何故か勝手に増えていく酒瓶は、隅っこの小さめの戸棚の中にまとめられている。
空になっているやつは、次のゴミ出しの日にまとめて出せと、繍がこの前以蔵に怒っていたものだ。
壁に貼られた古地図に榊の枝、窓際に吊るされた銀色の鈴や、翡翠の風鎮などを、凛もイリヤも珍しげに見ていた。
工房と言っても、ここは一般の魔術師のモノとはまったく違う。
工房は他者を排除し、魔術師の砦にして研究の成果を詰め込んだ宝箱であるが、繍の場所はもっとくつろげる感じである。
囲炉裏端、とでもいうのだろうか。
大方の魔術師が、工房に魔力を溜め込もうとするのと逆に、大気の魔力を敢えて通すことで、流れを読むからこういう造りにしたらしい。
そのためなのか、この部屋には大きな窓もある。今は、日の光を遮るための簾で覆われているが。
声を聞くためには、窓を開けていないといけないだろう、と繍はよく桜に術を教えてくれながら言うのだ。
「切嗣さんじゃなくって、アイリさんのほうから伝言があるよ。とっても反省してるから、お父様を許してあげてって。……このごろずっと構ってやれなくてお父さんも寂しいのよ、ってさ」
「なんじゃおまん、父親に構ってもらえんで拗ねよったんか」
一言で以蔵がまとめた。
イリヤがお茶をぐいっと飲んだ。
「イリヤはえっと……今小学校の六年生か。桜が四年生だから、凛ちゃんは五年生?」
「凛でいいわよ。わたしもあなたたちのこと、知ってるから」
「碌なこと聞いちょりゃせんじゃろう」
ふん、と以蔵が鼻を鳴らした。繍が苦笑する。
「二人とも、朝学校に行くふりして、示し合わせて電車に乗ったんだって。それでここの駅についたのはいいけども、人が多くて途方に暮れてたんだってさ」
無意識なのか、四年前から消えない痣を撫でながら繍は言った。
「ほにほに。……で、わしを置いていきゆうこととなんの関係があったんじゃ」
「あ、それは単に逸れただけ。ほら、駅の中って人が多かったじゃない」
凛とイリヤをたまたま見つけて話しているうちに、以蔵とうっかり逸れてしまったそうだ。
探そうかとも思ったが、元々逸れたらアーネンエルベに行けと言っていたから大丈夫か、と子ども二人の足取りに合わせてのんびり歩いていたらしい。
以蔵がわざわざアーネンエルベに来いと言ってきたのは、そういうことかと桜は納得した。
「あの、それで……姉さん。あっちの家で、何かあったん、ですか?」
思い切って、桜は声を上げることにした。
こういうとき話を進めがちな繍は珍しくのらくらしているし、以蔵はあまりこういうことに積極的にはならない。
彼は未だに雁夜とアイリスフィールを除いた御三家の面子、特に遠坂時臣が嫌いで、関わり合いになりたくもないのだ。
第四次聖杯戦争から、四年。
桜は間桐の名前を持っている。でも、定期的に会って、話をするのは雁夜だけ。
戸籍上の父である鶴野、兄である慎二とは会うことはなく、遠坂家の三人とは四年間で数度、顔を合わせただけだ。
でもどうしても、昔のようにお父さん、お母さん、と呼べなかった。
だって、痛くてつらくて怖かったとき、
だってあの二人は、
そうじゃないと心のどこかでわかっていても、もう前のように甘えることも、近くによることもできなかった。
それに、一番怖いのは父親がふとしたときに見せる、桜を測るような目だ。
どういう魔術を学んだのか、仕上がりはどうなのか、気になって仕方がない。
そういう目なのだ。
ムシグラで自分を見ていた、
いつも繍と以蔵の影に隠れて、おずおずと頭を下げて、遠坂さんと呼ぶだけだ。
お母さんは悲しい顔をするけれど、でもお父さんを退けてまで桜を抱いてはくれない。
凛とだけは少し話せたけれど、でもやっぱり長いことは話せなかった。一緒には遊べなくて、リボンをきゅっと握ってしまった。
どうしても、彼らの顔を見たら、あの家に送り出された日のこと、あの家で自分が何をされたかを、思い出してしまうのだ。
今ではあまり見なくなったけれど、でもたまにざわざわと風が鳴く夜は、怖い夢を見て飛び起きることがある。
真っ黒いものに体を貪られて、怖くて、動けなくて、なのにどうしようもなくて、泣くこともできないひどい夢。
飛び起きたらかたかたと手足が震えていて、自分では止められなくなる。
そんなときは、いつも繍が眠れるようになるまで低い声で唄って、撫でてくれる。
以蔵も眠たげな顔はするが、うるさいとかほたえるなとか言ったことは一度もなく、黙って水や茶を持って来て、側にいてくれる。
だからまだ、同じ部屋で寝てもらっている。
そして今、桜の前には姉がいるのだ。
桜の問いかけに、凛はぴくりと肩を震わせた。でもそれっきり、手をきゅっと膝の上で握って黙ってしまう。
「凛、きみは
繍の謎かけのような言葉に、凛が顔を上げた。
「君たちくらいの歳なら、そろそろ魔術師を見る頃だろう。君の師は、時臣さんだよね」
「そうよ」
凛が答える。
あー、と繍が気の抜ける声を出しつつ、また頬をかいた。
「きみの理由はわかった。でもそれはね。ここへ来てすぐに、どうにかできるものじゃない」
「……わかってるわ」
「そうか。そうだよね」
繍はひとりで頷くと、立ち上がった。
「今日は二人とも泊まっていきなさい。今からじゃあ、電車も途中で止まってしまうし、あとお腹減った。ボクが」
「おまんか」
「そうだよ。だからはい岡田さん、夕飯作るの手伝って。あ、桜はイリヤと凛に、ここの案内でもしてあげて。さっきから気になってるんだろう?」
「ええ。聖杯戦争の勝者の工房なんて、滅多に見られないものね」
「そういう実感薄いし、大したものはないけどね。あ、でも触ったらだめなものもあるから、桜の言うことはよく聞くんだよ」
上品に、にこりと微笑むイリヤに薄く笑って、繍は以蔵の手首を掴んでさっさと出て行ってしまった。
後には、桜に凛、イリヤだけが残される。
「えっと……あの、それじゃあ、上の本の部屋から、見ますか?」
「見たいわ!ねぇ、マンガとかはある?」
「岡田さんのとわたしのが……。姉さんも、見ますか?」
「行くわよ」
そんなふうにして、桜はイリヤと凛を上の階へと連れて行くことにしたのだった。
#####
このビルは一階が一応の事務所、二階が物置という名の空き部屋。三階が工房とキッチンと居間、四階に寝室などの住居空間がある。
厨も工房の一環だから、というのがここの家主である繍の方針なのだ。
「わしは作るより食うほうがえい」
「子どもたちだけにしてあげないとだめだろう。はいこれ、包丁」
調理台に以蔵と並んで手を動かしながら、繍は肩をすくめた。
今日の夕飯はいつもの三人から五人に増えた。とはいえ、相手は小さい女の子二人である。
いきなり人形師に襲撃されて、おかずと白飯を根こそぎに食われたときのようなことはないだろう。
「あん遠坂の娘、どういてここに来たかおまんはわかっちゅうのか?」
「うん」
ひき肉とニラ、白菜を冷蔵庫か取り出しながら、繍は頷いた。
人数が増えたので、今晩は餃子と卵のスープにするつもりだった。餃子の皮は、やたらと買ってためているのだ。
「多分、凛はね、遠坂の魔術師の面を見たと思うんだ」
「魔術師?」
「ああ。岡田さんは、四年前の凛を覚えてるだろ。あのときあの子、妹が危ないと知って飛び込んで来た。サーヴァントとマスター相手でも躊躇いなくね。ひと言で言うと、遠坂凛は人間味があって優しい、無謀な子だった。そういう子には、遠坂時臣の魔術師の側面が耐え難かったんじゃないかな」
ざく、と玉ねぎを半分に切った以蔵は、手を止める。生成りのエプロンが、絶妙に似合っていなかった。
「魔術師は人でなしちゅうとったな」
「うん。岡田さんはさ、自分のことをどう思ってる」
「は?」
「いいから、きみは自分をどう定義している?」
ひき肉を銀色のボウルに開けながら、繍は尋ねた。
「わしは、人斬りじゃ」
「そう。きみは自分のことを最初から人斬りと言う。ボクや桜にとって君が天才剣士であっても、きみは自分を人斬りと、
「らあて、わしは人斬りじゃ。こじゃんと人を斬った。こん先も斬るじゃろう。他に何があるがか?」
「うん、きみはそう言うんだよね。何度でもさ」
知ってる、と繍はまた手を動かしながら言った。
「でも魔術師はね、例えどれだけ人を斬っても、自分たちを人斬りとはまず言わない。死を蒐集する者も、他人の生を貪る者もいるが、彼らは自分たちが食らったものを、まず同等の人間と見ないから」
己の所業を外道だと思うから、心を守るために正当化しているのではなく。
「だって真理の探求と、理想の実現の前には、自分の命も子孫の命も、等しく道具として扱わなければならないから。赤の他人の命なんてそれこそ、数に入ると思うかい」
少なくとも、間桐臓硯はそうだった。
遠坂時臣もそうだった。
いや、後者はやり方は最低に不味かったが娘たちを親として愛していたから、稀有なほうだ。
「ほじゃけんど、凛は」
「うん。あの子は、妹がいるというただそれだけで、自分より強い者に立ち向かえた。それはね、魔術師じゃなくて人間の行動さ」
「要は、髭親父とそりが合わんくなったちゅうことか」
「簡単に言えば。あの子くらいの歳なら、いよいよ本格的に魔術師としての、後継者としての修行を始める頃だ。だからきっと、見たんだろう。今まで知らなかった、自分の父親の、
何を見て、知ったのかはわからない。
それでもだ。
「あのまま帰っても多分、家を継ぐ継がないで大喧嘩だろうなぁ。……いや、それで済むかな?……とにかく、だからあの子はうちに来たんだろう。自分とは違う道に行った妹のところにね」
それを聞いて、以蔵が目を細めた。
「聖杯戦争中のおまんは、お人好しで阿呆なことばかしじゃったからのう」
「それに付き合ってくれた君も、大概だったと思うが」
繍は首を傾げた。
「勘違いすな。おまん以外が、だきなことやりゆうやつらやっただけじゃ」
「うぇ、まさかの消去法。……あ、おいこらちょっと!さりげなくニラを隠そうとするんじゃない!」
「臭いのきつい野菜は勘弁じゃち、何度も言うとろうが」
「ニラ抜いた餃子なんて泡の抜けた発泡酒と同じだよ!却下っ!」
「チッ」
野菜を取り返して、繍はくすりと笑った。
「ほいでおまん、駅でわしから離れよったがは、ほんまにあん二人ん話だけか」
そしてやおら、刀でも抜くような以蔵の言葉に、顔が一瞬凍る。
ふん、と玉ねぎをみじん切りにしながら、以蔵は鼻を鳴らした。
「えい加減四年も見ちょったらわかるきのう。おまんは嘘はつかんが、隠し事は多いき。しゃんしゃん話しぃ」
「……」
「おまんや桜の敵は、わしの敵じゃ。斬るやつがおるんやったら、わしに言え。……まぁ、言うても、なんもわからんかもしれんがの。わしは頭が悪いき」
「……きみのはね、頭が悪いんじゃなくて、頭使うのが面倒なだけだと思うんだが」
「ほいたら問題ないろう」
にぃ、と以蔵の口が弧を描く。
ああ、と繍は頭を抱えるのだった。
そんな感じで暮らす彼らの話です。