冬の街にて、人斬り異聞   作:はたけのなすび

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では。


外典の五

 

 

 

 

 

 

 翌朝のことだ。

 すっきりと目覚め、いつものように着替えをしてから、いつもと違って隣の二人を起こした。

 繍と以蔵は早起きだから、寝ているところはほとんど見ない。

 むにゃむにゃと炬燵の眠り猫のように布団にもぐりこみたがる姉を引っ張り出し、ぽーっとしているイリヤの銀色の髪を櫛でといていると、工房の方から結構な物音が聞こえてきた。

 なんだろう、と三人で一緒に見に行く。

 扉を細く開けてのぞいてみると、部屋の中心、円い卓の上に瑠璃色の硝子でできた水盆が置かれ、繍と以蔵がその前に座っていた。

 

「だから、桜たちなら三人とも平気そうですよ、雁夜さん。そっちのお父様方、大丈夫なんですか?」

『大丈夫とは言えないな。イリヤちゃんにキライと言われた衛宮は、アイリスフィールさんに蹴られて立ち直ったが……遠坂の当主が、な』

「あー……はい、やっぱりですか」

 

 以蔵の顔がひょいと上がる。

 目が合うと、無言でくいと手招きしてきた。

 知らんぷりするわけにも行かなくて、そのまま入る。

 以蔵と繍の肩口から水盆をのぞき込むと、そこにいたのは思ったとおり、間桐雁夜だった。

 

「おはようございます。雁夜おじさん」

『ああ、おはよう。桜ちゃん。凛ちゃんとイリヤちゃんも元気そうで何よりだよ』

「ええ、おはよう。カリヤ」

 

 四年前、死んだ人間そのもののような壊れた顔をしていた伯父と、水鏡の中に映る今の姿は別の人だった。

 髪は黒く戻り、二つの目や口はなめらかに動いている。血色のいいこの顔を見るたびに、橙子さんの人形技術はすごい、と桜はいつも思う。

 水鏡に向けて、凛が碧眼を据えた。

 

「雁夜おじさん、わたしまだ、帰りませんから」

『ああ、葵さんからも聞いてる。学校のことは気にしなくていい、と言ってたよ』

「……お父様は、怒ってますか?」

『そうだね。……いつもより髭がしおれているな』

 

 ぷ、とイリヤと繍が小さく横を向いて吹き出した。

 唇をきゅっと結んでいた凛も、びっくりしたように目をぱちぱちさせている。

 

『そこの佐保さんに色々聞いてみなさい。俺は魔術のあれこれを教えられないけど、佐保さんなら教えてくれるから。わかりやすくね』

「雁夜さん、そういうのは、ボクじゃなくてベルベット講師の得意分野なんですけど」

『ほらね、時計塔の講師にも繋ぎがあるんだ。知らなかったろう?』

 

 水鏡の中、伯父は優しそうに笑うと、じゃあね、と言ってぱしゃんと消えた。

 そっと見上げてみると、繍はいつもの飄々とした顔で鼻の頭をかいていて、以蔵はあくびをしていた。

 

「……アンタ、何者?」

 

 しばらく黙ってから、凛が尋ねる。

 

「何者って、ボクは佐保繍だよ。きみの妹の、現保護者」

 

 水盆の中の水を、窓辺に置かれた香草の植木鉢に注ぎ入れてから、繍はうーん、と伸びをした。

 

「さて、朝ごはんにしようか」

 

 いつもどおりなその声に、反対の言葉はあがらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日はここでボクの仕事見てるって?構わないが、退屈かもしれないよ」

「いいの。わたし、あなたのこと気になるから」

 

 そんなやり取りを挟み、凛とイリヤはこのビルに残ることになり、以蔵は橙子に呼ばれたとかで、朝食を食べたら出て行った。

 肝心の繍の仕事がなにかというと、彼女が向かったのは工房の隣の部屋に置かれた、機織り機なのだった。

 

「今日の仕事はこれなんだよ。生地の注文が入ったからね」

 

 佐保家の名前にもなっている神は、春と織物と山を司るから、その家の者が織る布は神秘の観点から見ても()()ものになるのだ。

 繍の母は綾、祖母は絹、曾祖母は絲と、皆揃って織物に由来する名前を持つ。そういう決まりだそうだ。謂わば、名前そのものが呪術である。

 名前そのものに、織物と関わる呪をかけられた家の当主が織ったものはいい素材になるからと、ウェイバーの伝手で売っている。

 ちなみに、橙子もよく材料にするとかで持っていく。

 

「シュウって、どこの鶴女房?」

「見られたところで飛んだりしないよ」

 

 そういうわけだから、と機織りの前に座った繍は、よくできたからくり人形のように、静謐で正確な動きで布を織り始めた。

 

 小鳥のような白い手が、木組みがむき出しの無骨な機械の上で翻って、魔法みたいに浅葱色の布を作り上げる様子は一日見ても飽きない。

 そしてこうなると、織り手の集中はちょっとやそっとでは途切れない。

 

 ここに意識が戻ってくるのは、数時間先だろう。だから、繍は昼ご飯まで作り置きしてくれている。

 

「桜もするの?」

「あ、はい。わたしはまだ、小さいのしか持ってないんですけど」

 

 卓上の小さい機織り機だが、コースターや壁の飾りのようなものは作れるようになった。

 鮮花や幹也にプレゼントしたし、式にも贈った。渡したときは断られるかと思ったが、まぁ悪くはない、と上着のポケットに突っ込んでくれたのだ。

 多分いらないと言われるだろうな、と思ってためらっていた橙子までちらちらこっちを見て来たから、渡している。

 

「あとは刺繍もやりますね。繍さんの名前にも一部入ってますし」

「ふーん。じゃあ、佐保家って布の扱いに長けてるんだ。わたしは金属で、凛は宝石だから、みんなばらばらね」

 

 がたがたぎぃぎい、ばったんばったんとかなり大きな音を立てている機織り機の部屋から出て、イリヤが言った。

 

「あれが佐保の魔術礼装なの?」

「……どうなんでしょう。繍さん、自分の家のことを協会ふうに解釈されるの、好きじゃないみたいで」

「ふーん。……でもあれじゃ、ちょっと音がすごいわね。何しようかしら」

「えっと、じゃあ、刺繍はどうでしょう。色々な紋様を考えるの、おもしろくて」

 

 今作っているのは、絹でできた鞠だ。

 飾り物にしてもいいし、魔力を通して桜の道具にしてもいい、と材料と道具一式渡されている。

 

「楽しそう!」

「紋様、ねぇ……。興味あるわ」

 

 イリヤも凛も乗り気になった。

 工房まで戻り、戸棚から色鉛筆とスケッチブックを取り出そうとして、ふと桜は窓の外を見た。

 なんとなく引っかかるものを感じ、簾をそっと指で持ち上げて外を見る。

 ビルの前の通りを、人間が一人歩いていた。

 

「あ、れ?」

「サクラ、どうかしたの?」

「外を人が歩いてて……。おかしいです。ここの道、繍さんが結界を張ってるから、ふつうの人は入れないはずなのに」

 

 どういうこと、と凛とイリヤも近寄って来る。

 三人で並んで下を見る。目を凝らしたら、その人はとても目立つ格好をしているのがわかった。

 真っ赤なコートに、同じ色のシルクハット。帽子の下からこぼれている髪は金色で、なんだかステージの上を歩くモデルみたいに、すらりとしたヒトだった。

 

「魔術師みたいです」

「魔術師かしらね」

「魔術師っぽいわ」

 

 三人で、声が重なった。

 ああいう突飛な格好の人は、大概そうなのだ。

 なにより、ふつうの人は入ることもできないここに来て、あれこれと何かを探すようにしている人が、一般人だとは思えない。

 

「あ、使い魔」

 

 その人は、どこからともなく黒いシェパード犬を呼んだ。

 犬もあちこち嗅ぎ回るけれど、上から見ている桜たちにはちっとも気づいていない。

 赤いコートの人が手をちょっと動かしたとたん、りぃん、と窓辺にぶら下がる鈴が、風もないのに一度だけ音を立てた。

 

「あの人、魔術師です。間違いありません。こっちを探してます」

「どうするの?」

「……おいておきましょう。多分、大丈夫です」

 

 本当に危ないなら、魔除けの鈴はもっとりんりんしゃんしゃんと、うるさいくらいに鳴るのだ。

 案の定、赤いコートの人影は諦めたのか、苛立たしげにコンクリートに足を叩きつけるようにして、どこかへ行ってしまう。

 ほっと息をついて、桜は簾を元に戻した。

 

「いなくなりました。でもびっくりです」

「そうよね。ここ、アオザキとシュウの領域が隣り合ってるんでしょう?勝手にずかずか入って来るなんて、マナー違反よ」

 

 おまけに使い魔まで出して、探っていた。

 そんな魔術師の向かう先にあるのは、橙子の事務所だ。

 

「あ、どうしよう、岡田さんがいるのに……」

 

 魔術師嫌いと言っていいくらいなあの人が、時代遅れの貴族みたいな突飛な格好の魔術師ともし鉢合わせでもしたら、抜刀していないだろうか。

 今日もきっちり刀は持っていっているのに。

 

「大丈夫なのかしら?あいつの使い魔、かなり高位だったわよ」

「……橙子さんがいるなら、大丈夫です。あの人、繍さんの結界も見抜けてないですし、岡田さんも、橙子さんが止めたら抜刀しませんから」

 

 でも不審者には違いないから、繍の機織りが終わったら言っておこうと決めた。

 

「桜……前もこんなこと、あったの?」

「あ、はい。三回ありました。みんな結界を抜けられなくて、ずっとうろうろしてましたけど」

 

 うっとうしいと以蔵が抜き身の刀を手に、深夜追いかけ回して半死半生にしたのが二回、繍が梓弓で狙撃して追い返したのが一回あった。

 全員流れの魔術師で、聖杯戦争の勝者なのに無名な繍のことを聞いて、やって来たという。

 汚い悲鳴以外の声を聞くこともなかったけれど、目的がよくないものだったのは、明らかだった。

 ちなみに橙子は、自分の存在がばれるのが嫌だからと、無視を決め込んだ。

 

 

 桜は、窓辺でそれをすべて見ていた。

 聖杯戦争が終わっても、あんなふうな馬鹿な人たちは来るんだ、と思った。

 怖かったお爺様も、以蔵以外の恐ろしかったサーヴァントたちも、もうこの世にはいないけれど、でもこういう戦いにもならない争いというのは、この先も続く。

 何よりそれを、繍も以蔵も当たり前のことのように受け入れていた。

 

 自分たちみたいな珍しい人間が、ひとりで生きていくというのは、一生ああいう人たちに邪魔されず、負けたりしないで生きていけるようになるということなのだ。

 

 アベレージ・ワンだという姉も、アインツベルンのホムンクルスと人間の間の子どもだというイリヤも、それは同じ。

 

 顔色ひとつ変わっていないだろう自分を見て、凛が目を丸くしていた。

 その顔を見て、わかった。

 姉の中の自分はきっと、遠坂の子どものときのままで─────もしかしたら、間桐家で桜に起きていたことも、よく知らないのかもしれない。

 

「大丈夫ですよ、姉さん。ここにいたら平気ですから」

 

 じゃあ紋様を描きましょうよ、と言ってみる。

 姉は、こくりとひとつ頷いてくれた。

 繍が機織り部屋から出て来たのは、それから六時間も後。

 お昼ご飯も済んだあとで、入り込めずに帰った侵入者のことは、やはり気がついていなかったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え、赤色のコートにシルクハットの魔術師?使い魔がドーベルマン?」

 

 機織り部屋から出てきたとき、突然の闖入者の風貌を伝えると、繍は顔を思いきりしかめた。

 

「知ってる人なんですか?」

「ああ。時計塔で会ったことがある。コルネリウス・アルバって魔術師さ。確か、アグリッパの直系だったかな?どこかの修道院の院長になるって聞いてたのに……」

 

 嫌だな、と顔にはっきり書いてあった。

 大抵のことは笑って済ませられる人が、こんなにはっきり感情をむき出しにするのは珍しい。

 

「アグリッパの直系って、凄いヤツじゃない!」

「うん、凄いよ。物質界への干渉というか、破壊の魔術だと、ボクは絶対敵わないから、気づかれないようにするのが一番さ。幸い、結界ならボクのほうが得意なんだ」

「ねぇ、シュウ。あなたそれ、あいつが敵っていう前提でしゃべってるわね?」

「だってあの人、ややこしいんだもの。岡田さんと前に時計塔へ行ったとき、それはアオザキの人形でできた使い魔だろうって騒ぐから、岡田さんは怒るし、ロードが出てくるし、大騒ぎになって……」

 

 アルバなる魔術師が騒いだおかげで、ケイネス以外のロードたちにまで封印指定の人形師の手で、特殊に受肉した英霊がばれ、繍は以蔵の()()()()のために、死徒討伐までやらされたそうだ。

 

 幸い、死徒が人間のカタチをしていたから、以蔵が首をはねて四肢を落とすか、膾切りにすれば死んだらしいが、討伐よりも、機嫌が底辺になった以蔵を宥めるのが大変だったという。

 

「といってもあの人、橙子さんにご執心だから、そっちに行ってほしい」

「つまり、会いたくない人なんですね」

「そう。桜、岡田さん、抜刀してると思う?」

「……トウコさんがいるから」

「そっか。じゃあ、してないね。あの人、抜刀騒ぎ嫌いだから。……でもなんで、コルネリウス・アルバが?」

 

 それは、桜にもわからない。

 

「ねぇ、そのアルバってやつ、アオザキに用があったんじゃない?だけど、あんたの結界に阻まれたとか」

「多分、そうだろうね。だけど、あの人じゃボクの結界は抜けられないよ」

 

 簾を押し上げ、外を見る繍の細面の顔を、秋の夕暮れの光が朱く浮かび上がらせていた。

 何故かたまらなくその横顔が儚く見え、桜はつ、と指を伸ばして繍の服の袖をつまむ。

 ぽん、と繍の手が優しく頭を撫でる。

 同時にリリン、と電話の音がした。

 繍の手が離れ、ポケットの電話を取る。

 

「はい、こちら佐保です……って、橙子さん?……え、侵入者が今しがたそっちに行った?……あ、はい。うちにさっき来てたって桜が……大体、六時間くらい前に……」

 

 阿呆か、という橙子の呆れた声が、桜にもはっきり聞こえた。

 

『それでか。アルバのやつ、お前の結界を抜けられなかったから、こちらに来たときやたらと機嫌を損ねていたぞ。極東の僻地の、シントウだかオンミョウドウだかの小娘が小賢しいとかどうとか』

「……すみません、橙子さん。やっぱりあの無粋野郎、ちょっと呪っていいですか?」

『後にしておけ。あいつはただの宣戦布告の使者で、そちらとは関係はない……はずだったのだがな、諸事情でお前たちも巻き込まれたようだ。お前の言は、半端に中ったぞ』

「は?つまり、太極の子と橙子さん絡みで……橙子さん、岡田さんはどうしたんですか?巻き込まれましたか?」

 

 太極の子とは誰なのだろう、と桜は首を傾げる。

 太極って、()()太極だろうか。

 

『そのようだ。とあるマンションに調査に行かせた岡田が戻らんのだ』

「えぇ……」

 

 くしゃ、と繍が前髪をかき混ぜた。

 

『知っての通り、相手が悪ければあいつは()()()()()。それから、この町にいるのはアルバだけではない。()()()も来ている。そしてアラヤの狙いは太極であり、ひいては抑止力の徹底的な排除だ。……さて、繍。英霊召喚のための言葉の最後の一節を、無論お前は覚えているだろう』

「サーヴァント召喚の呪文は確か、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ。……ああ、なるほど……」

 

 アラヤ。

 また、知らない言葉がでてきた。

 桜も、それに顔色を読む限り姉やイリヤも、阿頼耶というコトバは知っている。

 でも今の言い方では、アラヤはまるで、人の名前のようだった。

 繍と橙子は、本人たちにしかわからない言葉を交わし合っている。

 

『そういうことだ。……まぁ、あいつほど、抑止だの天秤だのという言葉から縁遠い英霊もいるまい、と私は思うがな』

「でも、英霊には違いありませんからね。その岡田さんが消えた、と」

『そうだ。それに()()()()()()()()()()お前が、聖杯戦争という『 』に至るための儀式を、破壊する切っ掛けになったのも事実。抑止力は後押しを受けた者にすらそれと気づかせないからこそ、抑止足り得る。お前たちが否定しようが、自分たちの力だけではないと思っていようが、あの概念と化してまで太極を求める男は動いたろう』

「……」

 

 繍が黙る。

 一瞬前までのやわらかな更紗のような空気は消え去り、呪術師は肌に突き刺さるほど痛い冬の風を纏っていた。

 沈黙のあと、繍が口を開いた。

 

「橙子さん。その、岡田さんを行かせたマンションというのは、どこですか?」

『茅見浜の小川マンションといえばわかるか?』

「近未来モデル地区とかいう埋立地ですよね」

『そこだ。今回は私も行く。共同戦線というヤツだな』

「作る者同士の戦線ですか」

『他に手が空いているやつがいないんだ。仕方なかろう』

「……ま、そういうもんですよね」

 

 十分で行きます、と繍は言って電話を切った。

 目と目の間を摘んで考え込むこと数秒。

 繍は膝を折って、桜と目線の高さを合わせてくる。

 その口から言われる言葉は予想できていて、でもできるなら聞きたくなくて、桜はきゅっとワンピースの裾をつかんだのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 





時間軸は矛盾螺旋でした。

そして、平和な暮らしへの侵略者たち。



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