冬の街にて、人斬り異聞   作:はたけのなすび

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では。


外典の六

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒いシャツに黒い細身のズボンを身に着け、茶色いコートに袖を通し、腰にはそのままならばずしりと重い革のウェストポーチを巻いた。

 四年前、聖杯戦争のときの服装とよく似ているこれは、つまりは戦いのときの格好だ。

 子どもたちによくよく言って聞かせてから外に出れば、既に橙子はビルの前にいて、旅行にでも持って行けそうな大きな鞄を手にしていた。

 

「遅かったな」

「急いだのですけれどね、これでも」

「そうか?さっぱり慌てたように見えんな。一応、同居人の失踪だろう」

 

 それはそうだが、繍にとって以蔵は正直、殺しても早々死にそうにない人間でもある。

 あと、生体反応を感知できる術くらいは仕込んでいるし、先程からそれにも揺らぎはないから、ちゃんと存命しているはずである。

 

 心配していないわけでは無論ないが、だからと言って焦ると、碌なことを引き起こさない自分の悪癖は、四年前に嫌というほど思い知っていた。

 

「橙子さんこそ、太極の子は気にならないのですか?」

「式のことか。ま、少なくとも殺されてはいないだろうさ。荒耶宗蓮は慎重だからな」

 

 そういうものなのか、ととりあえず頷いた。

 荒耶という魔術師を、繍は直接知らない。知っているのは、卓越した結界術の使い手であり、元は台密の僧侶であり、橙子の知己だったということ。

 また、二百年は生きており、最早一つの概念といえるほどの執念深さで『 』を求めているということだけだ。

 そう。荒耶は二百年以上生きているのである。幕末生まれの英霊よりも年嵩というのだから驚きだ。

 

「運転はわたしで構わないのですか?」

「構わん。だが傷をつけるなよ」

「了解しました」

 

 車種とか会社とか、難しいことはよくわからないが、橙子は自分の車を繍たちの家に置いている。自宅が手狭になったからという理由で。

 ガレージとして利用されているわけだが、駐車代は借金への返済に充てているから、お互い納得はしているのだ。

 

 車を走らせれば、目当ての小川マンションはそう遠くはない。

 発進してすぐ、橙子が口を開いた。

 

「そういえば、お前、岡田がいなければ口調が変わるのだな」

「わたしが元の女性らしい口調をするの、岡田さんは苦手のようですから。どうも、アンリマユがわたしを使っていたときの口調とそっくりだとかで」

 

 苛つくと斬りたくなるのが彼の性である。

 そういうことなら仕方ないか、と四年前から口調は変えていない。

 男装しなければ身の危険があるという状況ではなくなったから、繕う意味はない。

 だから嫌っている本人がいないと、するりと本来の口調が出てくるのだ。

 

「人格の切り替えという訳でも、二重人格という訳でもありませんからね。口調ひとつくらい構わないかと」

「妙なところで繊細さや大雑把さを見せるな、お前たちは。だからこそ、見ていて飽きないのだが」

「わたしも飽きませんけどね。黒桐くんと両儀の子が触れ合っているのを見るのは」

「ほう。その割に、お前は式を名で呼ばないな」

 

 法定速度ぎりぎりの範囲で車をぶっ飛ばしつつ、繍は頷いた。

 

「名前を呼ぶと縁と呪がかかりますからね。わたしはともかく、あの子に岡田さんを会わせるのはまだ早いかと」

「殺人衝動と人斬りか。二年間の伽藍を抱える式に、すぐさまアレを会わせるのは考えものではあったな。お前があれこれと因果をずらして会わないようにしていたのは、そのためか」

「さあ、どうでしょうね」

 

 くく、と橙子が笑いをこぼした。

 

「お前は、ともすれば浅上藤乃に似ているぞ。転生により、人としてのココロの痛みを閉じてきたと言ってもいい」

「我が家は、一眼一足をつくる家系ではないのですが」

「手を加えたのがココロかカラダか、という違いだけだろう。どちらにしろ興味深くはある。が、如何せん私の専門は魂ではなく、体だからな。お前の体は……まぁ、少々呪われているしな。魂の探求者である荒耶は違うかもしれないが」

 

 呪いとは、言うまでもなく左目を横切る傷のことである。

 

「怖いことを言わないでくれますか?」

「ただの事実だ。体と心という違いはあるが、所詮それだけのことさ。目に見えるものを瞳で捉えて捻じ曲げるのが浅上藤乃、目に見えぬ因果を言葉で捉えて捻じ曲げるのがお前、という言い方もできる」

「橙子さん、ここからあなただけ歩いて行きますか?」

 

 ハンドルを一気に右に切りながら、繍はじとりとした目で、隣に座る赤毛の魔術師を見た。

 

「はは、からかい程度で怒るな怒るな。これが終われば、浅上に会いに行けばどうだ?お前たち、あの事件で顔見知りになっただろう。浅上藤乃は鮮花の友人だ。会おうと思えば会えるだろう」

「顔見知りも何も、岡田さんの腕をへし折りかけて刀を曲げかけたの、藤乃ちゃんですよ。忘れられませんから。……確かに、会いたくないわけではありませんが」

「それ見ろ。似たもの同士だからそう思うんだ。第一、刀はともかく、岡田の腕はお前を庇ったからだろうが。式に行かせるより、穏便と言えなくもない結果だったな」

「死体は出てしまいましたし、そのあと腕の修理代と刀の改造代を容赦なく請求してきた凄腕の人形師さんがいましたが」

「ああ、いたなぁ。そんなやつが」

 

 誰の依頼でそうなったのやら。

 ため息が出そうになる。

 夏に出会った超能力者の少女の、凛として脆い横顔をふと思い返しながら、繍はアクセルを踏み込む。

 

「おい繍。あまり素面で暴走するなよ。お前は見分けがつきにくい」

「大丈夫です。事故は起こしませんから」

 

 ちゃんと冷静である。多分きっと。

 事故を起こして到着が遅れるのは本意ではないから、起こさないよう最大限の注意を払って最高速度で走らせるだけである。

 

 

 ─────まったく、何が置いていくな、だ。自分が戻れなくなってちゃ、世話ないよ。

 

 

 口の中で呟いて、さらに深くアクセルを踏み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 人形師とそこの従業員から聞いた茅見浜の小川マンションとは、半円が二つ向き合った形になっている。つまり、二棟で一つの巨大な円を形作るのだ。

 陰陽に配慮した設計がどうとか橙子は言っていたが、以蔵には半分もわからなかった。

 ただ、ここが怪しいから見てこいと言われただけである。

 この近くで女が襲われ、助けを請うたのにこの縦長屋の住人たちは、気づかなかったどころか、何も変わったことはなかったと主張したという。

 それだけならば、記憶違いだとかで済むが、似たような奇妙な事件が起きたという。

 

 橙子もこの、マンションとかいう縦に伸びた長屋の設計に一枚噛んだらしく、気になったそうだ。

 人の死に敏感なお前ならうってつけだから行ってこい、と向かわされたのである。

 繍は要らないのかと言えば、あちらは霊的な感覚が鋭すぎるからいらんと来た。

 

「異変と言っても些細なものだ。お前たちが二人揃って行くほど物騒でもないだろう。大体、繍が抜けるとあの家の結界は薄くなるぞ」

 

 刀を背負った人斬りを偵察に行かすのは、橙子の中では物騒の範疇に入らないのである。

 面倒ではあるが、仕事ならばやるかと赴き、そうして以蔵は現在に至った。

 

「……どうなっとるんじゃ」

 

 一体何度目かもわからぬ問いを呟く。

 マンションに入ったはいい。

 入った瞬間、本能的にこの建物は好かないと思った。そこまではいい。

 照明やら廊下やらが、ぐにゃぐにゃと歪んでいるようで気持ちが悪い。

 そこまでも、まぁいい。橙子の設計ならば、どうせまともになるわけがないからだ。

 

 問題なのは、一向に出られないということなのだ。

 ここには何もないと言っていたではないか、あの女人形師。

 

「あやかしい!」

 

 苛立ち紛れに、そこらにあった灰皿を蹴り飛ばす。耳障りな音を立てて、石でできた灰皿は転がっていった。

 だというのに、ここの住民は一人たりとも現れず、しんと不気味に静まり返っている。

 何も出てこなければ、刀の振るいようがない。

 半霊体であった頃のように霊体化して通り抜けることも、サーヴァントとしての魔力の繋がりはもうなく、念話を繋ぐこともできない。

 さらに携帯も使えないとなれば、閉じ込められたも同然だった。

 

 閉じ込められるなど、大嫌いだ。

 捕まり、痛めつけられ、惨めな思いをするのはもう二度と御免被る。

 ここには檻もなければ、縄も鎖もない。

 ただ、どうしようもなく出られないのだ。ぐるぐると同じところを回らされている。

 エレベーターとかいう上に登る箱を使っても、元の場所にしか繋がらず、壁や窓に刀を振るっても斬れない。

 いや、正確に言うならば、以蔵の刀は目に見えぬ何かは斬っている。

 だが、斬った側から蜥蜴の尻尾の生え変わりのように、新しい何かがその穴を覆ってしまうのだ。

 

「……結界ちうことか」

 

 結界ならば、繍が張っているのを見たことがある。というか、拠点にしているあの建物丸ごと、繍が隠し、守っているのだ。

 確かあいつは、要石をいくつか置いてそれを魔力の糸で繋ぎ、外と隔絶された『場』を紡ぐと言っていた。

 原理原則は今ひとつぴんと来ないが、要は要になっているものを破壊すれば、外とここを隔てる壁は消え失せるのだ。

 要石の見つけ方を、繍はなんと言っていたろうか。

 

「空気が、ぬくうなるとか言うちょったのぅ」

 

 起点にするモノは何でもよい。

 結界とは即ち外との隔絶。

 膜のように覆われて閉じ込められていても、境界となっているその線さえ断ち切れば、元の世界に帰ることは容易いという。

 

 ちなみに、橙子か繍が来るまで待つ、という考えは以蔵にはない。

 橙子は下手に物を頼むと対価に何を要求してくるやらわからないし、昨日、己のことは己でやるからそちらは桜と自分の心配だけしていろと言った手前、繍に助けを請うのは嫌だった。

 

 刀を抜いて正眼に構え、目を閉じる。

 腕と刀の境目を無くし、刃に意識を宿らせる。

 繍は、不完全ながら人の身のままカミの器となれる。

 四年前からそんな危機は一度もないが、瞑想によって己の中を高める方法を繍が行っているのは見ていたし、やり方も心得ている。

 

 以蔵がなるのは神霊を受け止めるための器などではなくて、刀。

 斬るために造られ、研ぎ澄まされた玉鋼。それだけだ。

 

 目に見えぬけれど『在る』ものを斬れなければ、ヒトとカミの境目をそぞろ歩いていくような人間の側になどいられない。

 

 つまりはそういう負けず嫌いの一心で、この数年の間にできるようになったことだった。

 それ以上成長しないのが英霊であるはずなのだが、他者の技を吸収し続けることのできる岡田以蔵は例外だ。

 術師の側にいたから、その技の一部を己の剣に取り込んだ。それだけのことだ。

 

 ゆらゆらりと、己の周りを漂うぬるい空気の流れが、刀に、そして以蔵の意識に巻き付いては通り過ぎていく。

 右に一歩、前に二歩、左に四歩、右斜め下に一歩、足を動かした。

 

 目を開け、()()だと感じたその場所に、以蔵は刀を振るった。

 

 肉を斬ったときのような確かな手応えはなく、ただ遠くでかしゃりと何かが砕ける音がする。

 

 瞬間、音が不意に戻ってくる。

 気づけば以蔵は、灰色の空間にいた。

 目につくのは打ちっぱなしのコンクリートに、ぼんやりした光を放つ裸電球。

 

「……地下の、駐車場か」

 

 出かける前にちらりと見てきた図面に、そんなものがあったような。

 地上の出口から入ったはずなのに、こんなところに飛ばされたあたり、やはり空間が捻れていたのだろう。

 ともかくも地上に戻らなければ、と辺りを伺う。閉じ込められていた時間は定かでないが、一時間ニ時間の話ではないだろう。

 歩き始めた途端に、カツン、とごく間近で足音が響く。咄嗟に抜いたままだった刀を向けた。

 

「なんじゃ、おんしか」

 

 電球のぼんやりした光の輪の中にいたのは、白い毛玉。もとい、繍の式神にして厄介かつ性悪なほうの狗神、白だった。

 四年前からずっと、ポメラニアンとかいうへちゃむくれの姿しか拝んでいないその狗が、以蔵の足元にいた。カツンという音は、爪がコンクリートを叩いた音だったらしい。

 ばふばふ、と鼻を鳴らす白は、以蔵の肩に飛び乗るや、左を向いて吠え立てる。

 

「なんじゃおんしゃは。大体、繍はどうした?」

 

 こいつは、繍にいつも張り付いているはずだ。それなのに、こいつしかいない。

 常に側にいる式神を繍が自分から剥がして何処かに送り込む場合はたった一つ、面倒ごとに巻き込まれた時だけだ。

 

 またこうなったか、と舌打ちしかけた。

 

「繍もこん建物の何処かに来とるがか?」

 

 がじ、と耳朶を齧られた。いいからさっさと走れ、と怒鳴られたようだった。

 

「わかっちょるわ。案内せぇ」

 

 以蔵は狗を肩に乗せて、それの導く方向へ走り出すのだった。

 

 

 

 

 

 




四年あったら、技能が増えた話。

新しく刀剣乱舞のSS書いて投稿してて、遅れました。

口の悪い主と刀たちが、飯食ったり戦ったり、タイムパラドックスに悩んたり、そんな話です。
興味あればどうぞ。

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