冬の街にて、人斬り異聞   作:はたけのなすび

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では。


外典の八

 

 

 

 

 ちりん、と鈴のなる音で桜は顔を上げた。

 いつの間にかちゃぶ台の上に突っ伏して、眠ってしまっていたらしい。

 

「桜、起きたの?」

「姉さん……」

 

 とても近くに凛の顔があった。青い瞳は心配そうに揺れている。

 体を起こすと、ふわりと布が落ちた。

 

「ご、ごめんなさい!わたし、寝ちゃってて……!」

 

 窓の外を見れば、もう暗くなっていた。

 出て行った繍たちを起きて待っているつもりだったのに、居眠りしてしまったのだ。

 

「そんなに寝てないわよ。まだ五分ってところかしら」

「そうなんですか?」

「ええ。もう少し寝てたって平気よ。イリヤだってそこでぐーすか寝てるわ」

 

 後ろを見たら、くるんと子猫みたいに丸くなったイリヤがいた。薄い毛布を巻き込んで、すうすう寝息を立てている。

 

 ちりん、と鈴が鳴った。

 

「ねぇ、桜。あの二人ってよくああやって出かけるの?」

「……たまに。でもいつもは、そんなに危ないところには行ってません」

 

 そう、()()()()

 今晩は、違う。

 以蔵が出て行って、橙子が来て、繍は決して結界から出てはならないよ、と言って外に出て行った。

 詳しいことはまだわからないようだったけど、いつもどこかふんわりしている繍の顔が、四年前のときのように強張っていた。

 だから、何かよくないことが起きたことだけは、間違いない。

 

 桜はまだ、その『よくないこと』に関わらせてはもらえない。

 理由はわかりきっている。

 危ないから、だ。

 まだ自分の身を自分で守れるだけの力を、持てていないから、まだ黒や繍、以蔵に守ってもらわなければならない。

 

 それが悔しくて、早く大人になりたくなる。

 

─────桜、凛とイリヤを頼んだよ。

 

 でも今日、繍はそう言っていた。 

 

 だから二人を守るのは、自分の役目だ。

 

 なぜかってここは、桜の家なのだから、桜が帰る場所なのだから。誰にも壊させない。

 

「大丈夫ですよ、姉さん。二人はちゃんと帰ってきます。そうしたら、繍さんの呪術のこと、もっと聞けますよ」

 

 魔術のことだったら橙子さんに聞いたほうがいいんですけどね、と笑ってみせる。

 

 そうしたら、凛はきゅっと眉を寄せて、俯いてしまった。

 

「姉さん、どうしたんですか?」

「ねえ、桜はどうして呪術を勉強するの?あいつみたいに、なりたいの?」

 

 前と同じ問いだったけれど、凛の目は真剣だった。

 ちょっとだけ、考えた。

 繍みたいになるということと、自分はああいうふうになりたいのか、という意味を考えた。

 

「……いいえ、わたしが勉強するのは、自分のためです。自分のコトを自分で守れるようになって、もう安心していいよって、あの人たちにちゃんと言いたいんです。それに、わたしが繍さんみたいになるの、繍さんはきっとイヤだと思います」

「イヤ、なの?」

「はい。……あのね、姉さん。繍さんと以蔵さんは、どこかで自分を置いてけぼりにしちゃうんです」

 

 繍ならば、その魂に染み付いた呪術。

 以蔵ならば、その手に染み付いた剣術。

 

 桜と出会ってくれる前、繍は己の持つ術にだけ頼って、生きていた。

 以蔵は酒が入ると、自分のことを人斬り以外何もできないやつだと管を巻くときがある。

 

 呪いと剣を、あの二人は決して手放せない。

 手放したら、自分は自分じゃなくなると、そう思っている。

 そして、心のどこかでそういう自分を突き放して見て、諦めていて、桜には何があったって自分たちの生き方を渡したり、預けたり、繋げようとしない。

 呪いや剣以外にも、以蔵と繍が持っているものはたくさんあると、桜は思うのだけれど、でも四年前からずっと、あの二人の呪術と剣に守られている桜が言ったって、何の力もない。

 

「そんなものなくても、わたしはあの二人があの二人であるだけで、いいんです。それだけで、幸せなんだって信じてほしいんです。……だけど、わたしが弱いままだと、繍さんも以蔵さんも、絶対呪いや刀から手を離せないから」

 

 大人になって、あの二人を安心させたい。

 それが、あの日助けてくれたことへの、何よりの『ありがとう』なのだ。

 それだけなのだ。

 

「ヘン、ですよね?橙子さんにも言われちゃったんですけど」

「あの蒼崎に?」

「はい。わたしの理由は、真っ当すぎるって」

 

 魔術師、ひいては神秘に携わる者は、皆、死と隣合わせだ。

 自分の生命すら顧みずに真理を追い求めるのが魔術師ならば、繍は自分の生命を顧みず、他者を幽世と現世の縁から引き摺り戻すために生きている。

 自分のために真理を求めるか、自分のために他者の安寧を求めるか。

 桜は、どちらも選びたくない。

 選ばせたくない。

 

 前のお父さんは、遠坂家の時臣は、魔術師らしい魔術師だった。

 だけど彼なりに、桜のことをちゃんと愛していてはくれたのだ。そうと受け入れられたのは、本当に最近のことだけれど。

 

「姉さんは、遠坂のお父さんみたいに、なりたかったんですよね」

「……まだ、覚えてたんだ。でもそうよね、昔、遊んでたころ言ってたもの」

「はい」

 

 遠坂のお父さんは強くて厳しくて、でも尊敬していた。憧れだった。

 自分はあんなふうになれないだろうけれど、すごい人なんだって桜も思っていた。

 胸を張って、お父さまみたいな魔術師になると宣言した姉さんのことも、桜はすごいって思ったのだ。

 

 今はもう、昔の話だ。

 

 自分みたいな子どもの昔なんて、大人から見たらちっぽけで短いだろう。だけど、もう桜は二度とあの家には戻りたくない。

 遠坂の大人たちを、何のためらいもなくお父さんやお母さんと呼べる日なんて、もう決して来ないのだ。

 

 凛とは、違って。

 

「姉さんは、これから先どうするんですか?」

 

 だから思い切って、聞いてみるのだ。

 これを尋ねるのは、妹の自分でなくちゃいけない。そう思ったから。

 単に、遠坂のお父さんと喧嘩して飛び出て来た、ただの家出だなんてあるはずがない。もっと詳しく、間桐桜が知らなければならないことが、きっとあるのだ。

 姉は、桜の瞳を見てくれた。覗き込んで、静かに語り始めた。

 

「……わたしね、お父さまに桜のことを聞いたの」

 

 第四次聖杯戦争が終わってからかなり長い間、冬木の管理者、遠坂家は大変な騒ぎに放り込まれたという。

 サーヴァントたちの戦いの爪痕、壊れたいくつもの建物、聖杯の中にあった呪い、間桐の翁が犯していた数々の人喰い、弟子だった言峰の裏切り。

 たくさんのことが一気に押し寄せた。

 凛もサーヴァント同士の戦いを見た。

 戦いというより、あれはただ以蔵と繍が、ギルガメッシュと言峰に叩き潰されただけだったけれど、でも間近で、本物の殺気と敵意を浴びせられたのだ。

 本当はとっても、怖かった。

 あそこで嗤いをこぼした言峰のこともギルガメッシュのことも、当たり前のように戦い、血を流すのに迷わない繍も、以蔵も、全員が。

 なのに桜は、あの二人の側から離れたくないと叫んだ。間桐の家になんか戻りたくないと、涙混じりに訴えていた。

 

「そのときにね、思ったの。桜は間桐の家でちっとも幸せじゃないんじゃないかって。聖杯戦争よりも、あの家のほうが怖いんじゃないかって」

 

 養子になっても、桜は間桐で幸せに暮らしているんだって、凛は信じていた。

 だって、お父さまがよく考えて決めたことだから、間違いなんてあるはずがなかった。

 お母さまも、そうだと信じていた。

 

「そう、ですね。わたしは、あそこが怖かった。……ううん、今も怖いんです」

 

 おじさん以外の間桐の人たちは、みんな嫌いだ。誰も、桜を助けてくれなかった。

 あのときの自分を助けてくれたのは、地獄からすくい上げてくれたのは、みんな名前も知らない人たちだった。

 

「やっぱり、そうだったんだ。わたしね、お父さまに聞いたの。間桐が桜に、何をしてたか」

 

 時臣は、凛に語ってくれた。

 臓硯が桜に何をしていたか、何をしようとしていたか、焼け残ったあの家を調べて、理解したのだ。

 

「お父さまは、後悔してたわ。自分の目が、節穴だったって。盟友の堕落を見過ごしていたって」

 

 嘆いて、悔いて、最後に時臣は、桜が佐保の家に引き取られたことを喜んでいた。

 これで桜の手にも神秘を引き継げると、喜んでいた。

 

「お父さまは、桜が、桜のことを大切にしてくれる人に引き取られたから喜んでいるんじゃなくって、神秘を継げる家に引き取られたことを、一番に喜んでたの」

 

 魔術師としての瞳を見て、凛は心の深いところがすうっ、と冷えるのを感じたという。

 代わりに、何か冷たくて硬いものが心の奥に根を張った。

 

「それが、二年くらい前のことよ。飛び出して来ちゃったのはね、お父さまがわたしの友達のことを悪く言ったから」

「……それ、もしかしてさっき言ってたシロウくんのことですか?」

「う、うん。そうよ。……ろくな魔術師の子でもない、どこの家の子かもわからないのと親しくするのはよくないとか、そんなこと言われてね。ちょっと、キレちゃった」

 

 もしあのとき、聖杯を止められなかったら、『泥』が街に溢れていたら。

 

「シロウも、友達のコトネも、それにわたしも、みんな死んじゃってたかもしれない。だけどもしお父さまは、冬木の街を犠牲にすることで根源に至れるなら、どうしたと思う?」

「犠牲にしたかもしれないわね。だって、トオサカの今の当主は生粋の魔術師だもの」

 

 いつの間にか起きていたイリヤが、雪兎みたいにぴょこんと凛の隣に座った。

 

「でもリン、トオサカのトキオミはちゃんとあなたとサクラと、あなたのお母さまのことを愛しているわよ」

「知ってるわ。でもね、だから許せなくなっちゃったの」

「それで、お父さまのスネを蹴っ飛ばして飛び出して来ちゃったのよね。八極拳かじった小学生の蹴りって、なかなかにえげつないと思うわよ」

「姉さん……八極拳で脛を……」

 

 思わず、じとっとした目になってしまう。

 だけどよく思い出したら、桜も二日酔いの以蔵を黒に手伝ってもらって、自分の伸ばした『影』で運び、冷水風呂に投げたことがあった。

 あれを見た繍は、珍しく驚きで固まっていたし、以蔵は一瞬で酔いを飛ばして目をぱちくりさせていたっけ。

 思い切ったら意外な方法をとってしまうところは、きっと似ているのだ。姉妹なのだから。

 

「し、仕方ないじゃない!ついうっかりしちゃったのよ!」

「ウッカリでスネを一撃されてちゃ、トオサカの当主は堪らないわよね。わたしとしては、おもしろかったけど」

「何も面白くないわよ!バカイリヤ!」

「あー!言ったわね、リン!バカって言ったほうがバカなんだから!」

「ふ、二人とも落ちついて!」

 

 腰に手を当てるイリヤと、掴みかかりそうな凛の張り合いの間に、桜は割り込んだ。

 

 りぃん、と鈴が鳴る。

 

 たちまち夏の蝉みたいに一気に鳴り出す鈴の音に、桜はさっと青ざめた。

 

 結界に、また誰かが引っかかった。

 しかも今度は、ただ引っかかっただけではない。干渉している。

 それも、破壊のために。

 

「黒ちゃん!」

 

 足元に伸びた桜の影から、黒くてまるっこい小狗が現れる。狗神を肩に乗せ、桜は窓に飛びついて外を見た。

 

 路地の端で翻るのは、黒の衣と、鍛え上げられた長身。

 忘れようもないその姿に、桜の肩の上の狗神が、低く唸った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 抱え起こしたとき、カラン、と乾いた音がした。

 床の上に転がったのは、鈍色の銃弾である。よく見れば、さっき斬って捨てた言峰の側には銃が転がっていた。

 

「いっ……たぁ」

 

 同時に、ぐい、と腕を強い力で掴まれる。

 顔面を蒼白にして、気絶しているとしか見えなかった繍が、半身を起こしていた。

 

「おう、生きちょったか」

「うん」

 

 よっ、と軽い声と共に立ち上がる。以蔵が手を貸すまでもなく、佐保繍は当たり前のように自分の足で立ち上がった。

 

「アイタタタ……。防弾仕様でも、やっぱり鉛玉食らうと痛いなぁ」

「鈍臭いやつじゃの。避けりゃあえいき。避けりゃあ」

「撃たれてから銃弾見て斬るやつに言われたくない」

 

 いつも通りの軽口が返ってきたことに安堵する。短い時間とはいえ、撃たれて気絶していたのに間違いないのだ。

 しぶといのは知っているし、生命の反応はあったから何も心配していない。するわけがない。

 絶対に心配などしていないはずである、と以蔵は掌の汗を無意識に服で拭った。

 

「ん、あれ?」

「どういた?」

「いや、これ」

 

 繍が指差したのは言峰の死体。

 袈裟がけに斬り捨てたそれの傷口から溢れているのは赤い血と、それから小さな金属片。螺子や歯車だった。

 これらの意味するところは。

 

「……チッ。人形じゃったか」

「そのようだ。本体の忠実なコピーってところかな。橙子さんみたいに」

 

 ぱきん、と歯車の一つを靴で踏み割りながら、繍が低い声で言った。

 

「これは刺客であると同時に、囮だったわけだ。じゃあ、本体はどこに行くと思う?」

「……桜んとこか」

 

 繍が最も大切にして、守っている子どもだ。

 繍がここにいるということは、桜と凛とイリヤは、三人だけで今あの家に残っている。繍の張った結界はちょっとやそっとで壊れる代物ではないのだが、相手はあの言峰である。

 何を仕掛けてくるかわからぬ不気味さがあった。

 

()()()

 

 怒気を滲ませる言葉を吐くと、繍は以蔵の方を向いた。

 明るい茶色の瞳は完全に据わっており、光の加減か、左眼の痣の赤色が深くなっているように見える。

 それでいて表情はいつもとあまり変わらないのが、また怖いところである。

 端的に言って、繍は凄まじくキレていた。

 

 だがそれは、以蔵にとっては僥倖だ。

 こちらから見れば、時として苛つくほどに怒りの導火線が長い繍だが、一度火がつくと、英雄王相手にすら食ってかかるほど見境なく激昂する質である。

 今の炎の矛先は、言峰だろう。

 あのいけ好かないのが死ぬなら、以蔵は大歓迎だった。

 口元が、吊り上がるのを感じる。

 

「出る方法はあるがか?」

「今からつくる。神秘の秘匿は後回しでいい。ここを()()()()()。きみの力も、貸してもらうぞ」

「了解ぜよ、マスター」

「それはやめろ。もう違うだろう」

 

 だが、その言い方がしっくり来るときもあるのだと、以蔵は肩をすくめたのだった。

 

 

 

 

 

 




姉妹間交流と、ようやっとキレた呪術師の話。

多分あと二話ほどで終わります。
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