冬の街にて、人斬り異聞   作:はたけのなすび

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では。


巻の七

 

 

 

 

 

 

 

 戦端は、それまでの静けさが嘘だったように苛烈に開かれた。

 海にほど近い倉庫街に集ったのは、剣の英霊セイバーと、槍の英霊ランサー。コンテナが並ぶ暗闇を舞台に、白銀の鎧を纏った少女騎士と、二槍を携えた騎士が見えたのだ。

 セイバーの傍らには、銀髪に赤い目の若い女性が控え、ランサーのマスターは姿こそ現さないが声だけを送り届けて存在を示した。

 

 その様子を、さらに遠方から覗き見る者がいた。

 

「やっぱりランサーはディルムッド・オディナだなぁ。それに、セイバーは……誰だろう。少女の騎士としたらジャンヌ・ダルクがいるが……」

 

 ぼんやりとした光を放つのは、暗がりに浮かんだ小さな丸鏡。持ち主である繍は、長い灰色の前髪を弄りながら呟いた。

 繍が腰掛けているのは、緑のカビが目立つコンクリートの地面。漂う空気は淀んで生臭く、しかし傍らにはその淀みを祓うかのような純白の毛並みを持つ狗神がいて、ぱたぱたと動く尻尾が暗闇に閃いていた。

 

『おい、これで見えちゅうんか?』

「見えてる見えてる。君が見てるものはボクにも見えてるよ」

 

 本来は口に出さずとも、念じれば伝わる言葉を喋りながら、地下の下水道にひとり繍はいた。

 サーヴァントの気配を追って辿り着いた倉庫街に入ったのは、以蔵だけだった。

 サーヴァントたちの戦いの中に混ざって己が切り抜けられると思うほど、繍は己のことを信じていない。信じていないので、倉庫街から数ブロック離れたマンホールをこじ開けて、下水道に潜ったのだ。

 それに、アサシンは気配を殺して陰から狙うことに特化している。『気配遮断』もできないマスターなど、いても邪魔なだけである。

 だが、倉庫で複数のサーヴァントが戦うとなれば、マスターの中には顔を出すものがいるかもしれない。

 セイバー、ランサーなどの白兵戦能力に優れたサーヴァント同士が戦うならば、そのマスターは傍らで補助をこなす。

 マスターとサーヴァントの戦い方としては、そういう形もあるだろう。そのマスターはアサシンには獲物になる。

 現に、セイバーは背後に銀髪赤目の女性を連れている。恐らくは彼女のマスターなのだろう。

 翻ってランサーは、ケイネスを伴っていない。だが、彼は彼で戦場を俯瞰できる場所にはいる。その場所は既に以蔵が発見していたが、放っておいた。

 師を斬る決断などできようはずがなかった。少なくとも、今はまだ。

 

『髑髏面がまたふとい鉄塔の上に出ゆうき。あやつら、やはり死んでおらんかったんじゃの』

「鉄塔って……ああ、クレーンか。実体化してるってことは、こっちと同じにマスターと視覚共有して情報収集してるんだろうなぁ」

 

 答えつつ、深く息を吐いた。

 

─────言峰神父も教会も、灰色どころか真っ黒じゃないか。

 

 黒狗を連れた以蔵は、実体化しているが、『気配遮断』のために、セイバーたちには見破られていない。

 

「髑髏面には警戒するとして、アインツベルンのマスターに、手は出せそう?」

『……』

 

 沈黙ということは、つまり今すぐは無理なのだろう。以蔵の見るのと同じ光景を、繍は鏡に映すことで見ている。

 視覚共有の術にしたほうが容易いのだが、そうなると今己がいる場所への注意が散漫になるので、敢えて鏡へ映していた。

 青銅鏡の滑らかな面には、若い銀髪の女性が映っていた。

 人間離れした玲瓏な美貌を考えるに、アインツベルン謹製のホムンクルスだろう。あれは、ヒトには到達し得ない美しさだった。

 

 ─────アインツベルンのマスターは、衛宮切嗣ではないのか?

 

「岡田さん、その辺りに君や髑髏アサシン、ロード以外の誰かはいる?様子を伺っているような輩は」

『……』

「おーい」

 

 セイバーとランサーの死合に魅入ったのか、以蔵の視界である画面はまったく動かなくなった。

 仕方ないな、と繍は肩をすくめた。

 映像の中、二体の英霊は激しく切り結んでいた。だが、マスターであるケイネスの声が響き、宝具の開帳を促した。

 今し、ランサーの槍を隠していた呪符が剥がれ落ちる。現れたのは真紅の長槍で、もう片方の黄色い短槍は地に置かれた。

 呪符を除いたその瞬間に立ち上った魔力の強大さからして、あれがランサーの宝具なのだ。

 逆にセイバーは、未だに得物を隠している。剣と思しき何かを振るい、斬りつけてはいるものの、奇妙なことにその刀身が見えないのだ。

 セイバーの特殊能力か何かだろう。

 『始末剣』という以蔵の宝具は、一目見た剣技を己のものにできるそうだが、見えない剣を使うセイバーの太刀筋は測れるのだろうか。

 そもそも、以蔵が扱う日本刀と、どう見ても欧州圏出身の英雄であるセイバーの剣は、恐らく拵えも戦い方も違うのだが。

 それを尋ねたかったのだが、不可視の剣と赤槍の戦いに、人斬りは魅入ってしまった。

 彼らの戦いは速すぎて、繍には何をしているのかもろくに見えない。視力を術で強化して、現状ではようやく追えるか否かで、指示など出せたものではない。

 

 だがその瞬間、黄金の光が瞬いた。

 ランサーの赤槍がセイバーの得物に触れた瞬間、闇夜にも眩しい光が溢れたのだ。

 

『なんじゃ、今の?』

「目を離さないで。種を考えるから」

 

 そのまま二度三度、ランサーの槍とセイバーの得物がぶつかるたびに黄金の光が散った。

 さらに正確に言えば、ランサーの槍が触れるたび、見えなかった刀身が顕になっていた。

 

「うん……うん。なんとなく分かった。セイバーは、剣を魔術か何かで覆って隠してたんだ。で、ランサーの赤い槍は、多分触れた部分の術を壊すか魔力を断つか、そういう魔槍なんだ。だから、今のでそれが解けた」

 

 つまり術師には天敵の槍である。

 逆に神秘が非常に薄い岡田以蔵にとっては、ただ鋭いだけの槍である。

 そして剣を隠していた術が解かれ、顕になった黄金色にきらめく剣を見て、繍は目を細めた。

 

『あん女、あんだけ派手な剣を持っちょるが真名はわかりゆうがか?』

「おいこらちょっと、英霊の『座』と聖杯から貰ってる知識はどうしたんだ。何でもかんでもボクに考えさせるなってば……」

 

 ぼやきながらも、繍はこめかみを指で叩きながら考える。

 あれだけの神秘ともなれば、聖剣と呼ぶに相応しい。

 すぐに思い出せる聖剣使いとなれば、エクスカリバーを持つアーサー王がいるが、伝説によれば女王ではない。

 繍のその戸惑いも他所に、戦局はまた動いていた。

 ランサーの魔槍の力を察してか、セイバー・アーサー王は、魔力で編まれていたらしい鎧を外す。

 彼女はそのまま、突撃の構えを取って目にも止まらぬ速さでランサーに斬りかかり─────鮮血が散った。

 

 ばふ、と白狗が繍の隣で鳴く。

 

 繍には、何が起こったかわからなかった。

 ランサーとセイバーの姿が一瞬交錯したかと思うと、互いの立ち位置が入れ替わり、セイバーとランサー双方の腕が斬られていたのだ。

 

『あの槍兵、もう一本の槍も宝具じゃなか?』

「ディルムッド・オディナは、元々双剣双槍の戦士だ。……宝具が二つの英霊になってても、あり得るね」

 

 一撃必殺を狙って踏み込んだセイバーを斬ったのは、捨てたと見せたランサーの黄色い槍だった。

 ランサーとしては、宝具が二つであることに気づいていないセイバーを、そのまま仕留めるつもりだったのだろう。だが、セイバーは不意討ちにも対応してのけて、腕を斬られるに留まった。

 しかし、その一刺しはただの傷ではなかった。

 

『斬ったもんの傷が治らんようになる呪いの槍じゃと。化体なものを持ちゆうの』

「神話の中はそんなもん。彼らの世界の法則は、ほとほと理不尽だよ。だから斬られたら駄目だ。言っとくが、ボクにはその槍の呪い、絶対治せないから」

『ふん』

 

 以蔵が鼻を鳴らした、その瞬間である。

 鏡の映像が突如、乱れた。

 閃光が閃いたかと思うと、青銅鏡の映像が揺らいだのだ。

 

「岡田さん!?」

『……どうもない。天上からなんぞ降ってきただけじゃ』

 

 視界が巡る。

 ランサー、そしてセイバーの間に、天から突如として雷を伴った牛に引かせた戦車が舞い降りてきたのだ。

 その雷の余波が運悪く以蔵の隠れ場所に襲いかかり、視界がぶれた。

 牡牛二頭立ての戦車を御するのは、見たところ赤毛の巨漢である。

 それにもう一人、御者台の底にへばり付くようにして同乗している者がいた。

 その姿を見て、繍は驚きで一瞬時を忘れた。

 

「ウェイバー?」

 

 半ば呆然と、繍は画面に映る見知った青年の名を呟いた。

 

 そのときやおら、ばふばふと叫びを抑えた白狗が、繍のコートの袖を噛んだ。

 

「なに、なんだ……よ?」

 

 鏡の中のウェイバーから意識を外したところで、繍の耳は暗闇に響く音を捉えた。

 カチカチ、という獣の爪が擦り合わされるような不気味な音、それにブーン、という虫の翅が擦れ合うような耳障りな音が、暗がりから聞こえてきたのだ。

 

「……っ」

 

 瞬時に立ち上がり、繍は腰のホルダーから炎の術が込められた呪符を抜く。

 奥に蟠る闇から響くのは、ずるずるという足を引きずるような音。

 暗がりからこちらへ近づいてくる何者かに向けて、繍は眦を決して向き合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザザ、という砂嵐のような音を最後に、互いを結んでいた細い糸が絶ち切れた────ような気がした。

 それで、剣士と槍士の戦いに魅入られていた以蔵は完全に我に返った。

 

「おい、マスター?」

 

 声に出して呼べど返事がない。通話の向こうは沈黙していた。

 何か言えば、すぐに打てば響くように答えを返して来ていたはずの繍の声が途絶えたことは、否が応でも不吉な予感を覚えた。

 即座に霊体化して戻ろうとしたところで、以蔵の着物の裾を黒犬が前脚で踏んで引き止める。

 やけに人間臭い仕草で、犬は二つの目で以蔵を見て、かぶりを振った。

 

「行かんでえい、ちゅうんか?」

 

 わふ、という鳴き声。

 そういえば、この黒いのと白いのは対だから互いに何かあればわかるのだと、何時だったか繍は言っていた。

 繍の傍らには片割れであるその白犬がいる。だから何かあればこの黒犬にも伝わるはずだ。

 それだのに、こうしてけろりとしているところを見ると、少なくとも黒犬には大して異変は起きていないのだ。

 マスターとの魔力供給のラインにも、変調はない。

 

「……チッ」

 

 あくまで離さない、とばかりに無言で前脚を退けない黒犬である。これ以上騒いでは、吠え立てかねない。浮かせかけた腰を、以蔵は戻した。

 濡れて艶々と黒い、大きな丸い目の奥にある光は、ぞっとするほどにさかしらで────まるで、この場を面白がっているような知性の光があった。

 

「犬、これが楽しいんか?」

 

 ぱたぱたと尻尾が振られる。

 主の繍とは、なるほど違う。この犬たちは、事態を楽しんでいるのだ。

 以蔵の眼下には、空から雷鳴と共に下ってきた巨大な漢、今回の聖杯戦争のライダーである、征服王イスカンダルがいた。

 何故真名がわかったのかと言えば、他ならぬライダー自身が、盛大に名乗ったのである。

 続けてこともあろうに、ライダーはセイバーとランサーを配下に勧誘した。

 どのような願いであろうと、天下国家を喰らおうという大望を抱く己より強大なものではあるまい、故に従え、さすれば栄華を共に分けよう、と、つまりはそういう話らしい。

 

─────阿呆か。

 

 天下国家だなんだと、小難しい話をなんの衒いもなく宣言する輩。

 あのライダーは、以蔵にも覚えがあるそういう手合いの人間である。彼らの語る話は壮大に過ぎ、以蔵には天を漂う凧のように遠いものだ。

 

 当然のように、セイバーとランサーはライダーの誘いを蹴った。

 多分、繍に今のを聞かせてみても、ただ困り顔でぽかんと口を開けるだろう。

 簡単にその様子が想像できた。

 怪しい力をいとも容易く扱うくせに、住む家と帰る場所にも困り、挙げ句人殺しに出くわして人斬りに助けを求める羽目に陥るような、万事が万事小さい少女を見ている以蔵の中には、そんな確信があった。

 

 その大望を述べ立てた大男のマスターは、彼とは逆に、御者台で死にそうな表情を浮かべている矮躯の少年らしい。

 通信が切れる直前に、その名を繍は呼んでいた。かなり、驚いたふうに。

 つまり現在ライダーが真名をばらしたことに情けなく怒っているあれが、異国にいた頃の繍に何かと突っかかって来たという学生、ウェイバー・ベルベットなのだ。

 ライダーに指で額を小突かれて、御者台に沈んでいる姿は、情けないの一言である。

 その少年に、虚空から怨嗟を浴びせる者がいた。

 暗闇に隠れたランサーのマスター、繍によればロード・エルメロイという魔術師らしい。

 

『ロード、何してるんだよ……』

 

 唐突に、途絶えていた念話の線が復活したのは、そのときだった。

 

「繍か!?」

 

 我知らず、上ずった声になる。見えない話し相手は、ただ、うんと気軽に返した。

 

『ごめん、ちょっとドジってた』

 

 下水道にいたところ、蟲使いに襲われたのだという。軽く戦闘に突入したため、念話と視覚共有の術を切ったのだと、繍は淡々と語った。

 

『間桐のマスターがボクの近くの下水道に潜んでてさ。蟲を解き放つんで驚いたよ』

 

 幸いにして、そのマスターは御三家の参加者とは思えないほどの稚拙な腕しかもっておらず、繍は蟲を焼き尽くすことで事なきを得たという。

 今はその制圧したマスターと交渉して、一応不可侵状態にあるのだと言った。

 

「無事ならそれでえいがじゃ。怪我はしとらんか?」

『してないしてない。それよりそっち、ロードとウェイバーは、一体全体なにをやっているかわかる?』

 

 ランサーのマスターは、ウェイバーを糾弾していた。どうやら、ウェイバーはケイネスから聖遺物を盗み出し、それを以て聖杯戦争に挑んでいたのだ。

 盗人とケイネスは罵り、ウェイバーに殺意を叩きつけていた。魔術師からの憎しみと侮蔑の波動に呑まれてか、ウェイバーは蹲る。

 だが、ケイネスの憎悪に待ったをかけたのは、ほかならぬウェイバーのサーヴァント、征服王だった。

 彼は姿を見せないケイネスを嘲笑った。己のマスターであるならば、共に戦場を駆け抜けるべきだと放言したのだ。彼は、続けて天を仰いで吠えた。

 今このとき、顔見せを怖じる臆病者は、征服王イスカンダルの侮蔑を免れぬものと知れ、暗闇からこの戦いを覗き見ている者はすべて、この場に馳せ参じろ、と。

 

『……』

「……」

 

 繍がここにいたのなら、困ったふうに以蔵の顔を見上げて来ただろう。そんな沈黙が念話の糸の向こうとこちらに満ちた。

 がしがしと、以蔵は頭をかいた。

 

「一応言うとくが、出んからな」

『そうしておいて』

 

 心なしか、ほっとしたように繍は言った。

 

「わしが出るというと思うたがか?」

『……ちょっと思った。だって、岡田さん天才だーって何度も言ってたし、馬鹿にされるの、嫌いなんだろう?』

「なんぼなんでも、こがな挑発には乗らん。それにおんし、疲れゆうじゃろ。息が上がっちょる」

『え、念話でそんなことまではわからないんじゃ……?』

「否定せんのか」

 

 返事を待たずに、以蔵は足場にしていた鉄の箱を蹴って、地面に跳び下りた。今度は、黒犬は逆らわなかった。

 それにしても、適当にカマをかけたつもりの発言だったが、見事に的中していたらしい。

 

──────くだらん意地を、張りよってからに。

 

 そう思うと、不思議と腹が立った。

 どのみち、近くにサーヴァントを連れた他のマスターがいるかもしれない状況に、己の主をひとりで置いておくのは論外である。

 

 マスターとサーヴァントの間にあるラインを辿り、そちらへ走ろうとした、まさにそのときだ。

 首筋に悪寒が走り、以蔵はとっさに黒犬の首根っこを引っ掴み、横に転がった。

 直後、以蔵がいた地面に何かが叩きつけられる。砂利が飛び、地面が抉れる轟音が轟いた。

 考えてやった動きではない。生来の勘が、迫り来る何かを察知したのだ。

 

「ほう。飢えた犬の分際で、小癪にも我が宝物を避けてみせたか。雑種」

 

 傲岸な声と共に、闇を裂いて輝きが人の形を取って細い街灯の上に顕現する。

 髑髏面を片手間に屠って見せた、黄金の鎧姿が、倉庫街に姿を現す。

 その真紅の瞳に冷たい輝きを湛えたまま、黄金の正体不明のサーヴァントは、夜の闇の中に降臨したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




狗神を性悪と言った発言に偽りはない。
人ならざるモノの楽しみに付き合うのは大変。

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