では。
ウェイバー・ベルベットにとって、現状は何もかも予想外だった。
己のサーヴァント・ライダーが、
そこへ来て、ライダーは暗闇に向かって呼ばった。闇に紛れて隠れるサーヴァントがいるならば、すべてこの場に集うがいい、と。
そんなことで誰が現れるのだ、とウェイバーが思う間もなく、爆撃音が響いた。
吹き飛んだのは、コンテナが積まれた一角。その爆発の中から転がり出て、ライダーの戦車の横にまで吹き飛ばされて来た人影に、ウェイバーは驚いた。
間髪を容れずに黄金の光が街灯の上に集まり、人の形を取る。
「あいつは……!」
遠坂邸でアサシンを倒したサーヴァントである。消去法でアーチャーだと当たりがつく。
だが、そうなれば。
「おう、坊主。今出てきたあれはどの程度のもんだ?金ピカではない。黒い奴だ」
「キャスター……じゃない。ステータス的にはいいとこアサシンだ」
ステータスを読み解くマスターの眼力で、ウェイバーはコンテナの山の陰から現れたサーヴァントを注視する。
一見、それは東洋の黒い伝統衣装を纏った、まだ若い男に見えた。
恐らくはこの戦場を監視していたところを、あのアーチャーに隠れ場所ごと吹き飛ばされ、姿を現さざるを得なくなったのだ。
男は腰には二振りの片刃の剣をさし、片手には何故か、黒い仔犬をぶら下げていた。
ウェイバーの視線に気づいたのか、ぎろりと鋭い目が動いた。首を縮めながら、少年は首をひねった。
「この国のサムライってやつか?……いや、でも聖杯戦争には────」
聖杯戦争に、東洋の英霊は召喚できない。そのはずだった。
だが、見たところあのサーヴァントは、この島国にかつていた、侍という戦士たちの格好をしているように見えた。あの刃物も刀という名前があったのだ。
数年前、ウェイバーには、この小さな極東の島国出身の同級生がいた。いつもおどおどしていたそいつが持っていた資料で、ウェイバーは侍なる者たちの姿を見ていた。
あのサーヴァントの装束は、それに瓜二つだったのだ。
まごつく彼を置き去りに、黒衣のサーヴァントは忌々しそうに歯を食いしばり、その様を黄金の英霊は鼻で笑った。
「闇に紛れて覗き見る不埒者がいると叩き出してみれば、飢えた捨て犬の類であったか。貴様のような輩、我が拝謁の栄に浴す価値もない」
「なんじゃと……!」
腰の得物に手をかけるサーヴァントを無視してのけて、アーチャーは倉庫街に集った一同を眺め渡した。
「闇に紛れる犬がいると思えば、王を騙る雑種が一夜に二匹も出るとはな」
真紅の瞳に、逆立つ金の髪。人ならざる秀麗な貌は、ぞっとするほどに酷薄な美しさだった。
華美な黄金の鎧といい、紛れもなくアサシンを倒したサーヴァント・アーチャーである。
ライダーは燃えるような赤毛を、岩を削り出したような厳つい己の手でかき混ぜながら首をひねっていた。
「どういうことだ?此度の聖杯戦争には、アサシンが二人いるのか」
「そんなの有り得ない!そもそも東洋の英霊は喚べないはずだ!」
黒衣のサーヴァントに首周りの毛皮を掴まれていた仔犬は、手を振り解いて地面に降り立ち、一瞬で森林に住まう狼ほどの大きさになって、牙を剥いていた。
横溢する魔力といい、知性を感じる目つきといい、あれもただ獣を弄った使い魔などではない。
順当に考えれば、獣もあのサーヴァントの武装の一部か、宝具の類であろう。だが、ウェイバーには、あの犬の姿に何処か見覚えがあった。
「……まあ、よいわ」
何処で見たなんだったかをウェイバーが思い出すより先に、ライダーが呟いた。
「え?」
「あの黒いのは、そも、金ピカがやらなければ表に出ようともせんかった暗殺者であろう。気に留めるべき相手ではない」
それよりも、とライダーは黄金の英霊を見上げた。
「おう、そこの金ピカ!そこまで言うならいっそ、名乗ればどうなのだ!貴様も余やそこのセイバーのように王を名乗るならば、名乗りを怖じるはずもなかろう!」
「戯け。我が面貌を知らず、王たる我に問いを投げることこそ不敬である。そのような蒙昧、最早生かしておく価値すらない」
傲岸不遜どころの話ではなかった。
アーチャーの背後の空間が揺らぎ、砲門が開くように数々の煌めく武具が姿を現す。
剣、斧、槍、鉾。一つとして同じものはなく、すべてが由緒ある宝具としか思えない輝きを放っていた。
まるで装填された矢のようにこちらへと向けられた武器を見て、魔力の波動を感じて、ウェイバーの喉は干上がった。
「……チッ」
舌打ちをしたのは、ウェイバーでもライダーでもない。アーチャーにより弾き飛ばされて来た、アサシンと覚しきサーヴァントだった。
武器はこの場にいる全員を串刺しにせんばかり。それら華美な武具の放つ輝きを反射させながら、細い刃が音も立てずに鞘から抜かれた。
「こっちゃ急いどるがじゃ。金ピカ。邪魔しなや」
これまた吐き捨てたのは、黒犬を連れたアサシンである。
誰が見てもわかる挑発だがそこに籠もった怒りの激しさに、ウェイバーの喉が鳴る。
睨みつけられても、アーチャーは鼻で憤怒を笑い飛ばした。
「ほう。言うではないか、雑種。面白い獣を連れているが────貴様自身は、何とも詰まらぬ。その獣共の主でも伴っていれば良いものを」
「そこで抜かしちょれ」
やや前屈みになって、刀を構えた姿は、まるでセイバークラスのサーヴァントであるかのように胴に入っていた。
ぎち、とアーチャーの背後の武具が音を立て、緊張の糸が張られたときである。
倉庫街に、漆黒の渦が生まれた。
禍々しい魔力を背負って顕現したのは漆黒の鎧をつけ、兜で顔を隠した騎士である。
またも埒外の存在感を放つサーヴァントの登場には、ウェイバーのみならず、セイバーの背後に控えている、マスターと思しい女性も、怯えたように身を引いていた。
黒い靄を全身から立ち上らせ、無言で立つ様子は理性があるとは思えない。
キャスターでも、アサシンでもありえないその姿は、まさしく狂戦士・バーサーカー。
兜の奥の漆黒の狂戦士の眼差しは、アーチャーに据えられていた。
「誰の許しを得て王を見る。狂犬めが」
それを不快に思ったか、アーチャーの背後の砲門が動き、武器の切っ先がバーサーカーへと向く。
『アサシン、聞こえてる?』
同時に、黒犬の口から人語が溢れた。
「なんじゃ、マスターか」
アサシンは大して驚くこともなく、黒犬を見下ろす。
『そうだよ。そこから早く撤退して。バーサーカーが暴れてるうちに』
耳まで裂けた牙の覗く口から、淡々とした人の声が出るのは滑稽とも言える光景だったが、魔術を用いて喋らせているならば、なんの不思議もありはしない。
「おま、オマエ、アサシンのマスターなのか?」
戦車からおっかなびっくり半身を乗り出しながら、ウェイバーは尋ねた。
ぐるりと黒犬が首を巡らせて、ウェイバーの方を向く。
『ああ、そうだ。そういう君は、ライダーのマスターに相違ないね?……なんでまた、君みたいなのがそんなところにいるのか』
心なしか、黒犬の発する声は呆れたように口籠った。その獣に、御者台に屹立するライダーは鋭い視線を向けた。
「応とも。この坊主は紛れもなく余がマスターである。姿も晒せぬアサシンの主よ、余のマスターに如何なる用があるのか?」
『さて、特には。こちら顔見せもできぬ矮小な術師なもので。答えるような用向きはありませんね、征服王イスカンダル』
喋り方と、黒犬、それにアサシンの装束と刀。
ウェイバーの記憶が刺激されたところで────いきなり黒犬が小さくなる。そのまま仔犬の首を掴んで、アサシンが跳んだ。
「うわっ!」
アサシンが立っていたところに突き立ったのは、一本の槍。避けなければ、彼は串刺しになっていただろう。
アーチャーの背後から放たれた槍の一本である。バーサーカーに放つ片手間に、アサシンにも放ったのである。
バーサーカーは超絶した技巧で放たれた武器を
「そんな、馬鹿な……!」
アーチャーが次々無造作に宝具並みの武器を射出していくのも異常ならば、それを掴んで迎撃するバーサーカーも異常である。
一方アサシンは、避けるだけで精々である。邪魔になったのか、やおら仔犬を宙にぶん投げて刀を抜くと、一本の剣を弾き飛ばしていた。
投げられた仔犬は、宙でくるりと回転し、ライダーの
ライダーはただ髭の生えた顎をこすり、呟いている。
「狂化しているにしては、偉く芸達者な奴よ。さぞ名のある武芸者だったのだろうなぁ。惜しいものだ。正気であったなら、我が配下に加えていたところだ」
「いやそこじゃないだろッ!なんなんだあのアーチャー、宝具が多すぎる!」
バーサーカーとアサシンへ投げつけられる武器は、優に三十を超えた。
「ぐっ……!」
刀二本で宝具を弾いていたアサシンに、バーサーカーの払い除けた宝具のひとつが飛ぶ。
アーチャーによる弾幕を躱すので精一杯だったアサシンである。バーサーカーによる流れ弾は避けたが、体勢が崩れたそこに、アーチャーの放った宝槍が飛ぶ。
黒い着物の肩に、槍が突き刺さる。倒れたアサシンの脚と腕を、さらに剣と槍が貫通して地面に縫い止めた。
『ああ、もう!』
黒犬が人語を叫び、跳んでアーチャーとアサシンの間に割って入った。
アサシンの着物の襟首に犬が噛み付いた、と思う間もなく、白い光が炸裂した。
その場の全員の視界が、一瞬白く灼かれる。
光が収まった頃には、アサシンの居た後にあったのは、地面を点々と赤く染める血と、アーチャーの槍と剣、それに如何なることか白い毛並みを持つ犬だけである。
白い犬の姿を見た途端、ウェイバーの脳裏で記憶が繋がる。
だが『その名』が出る前に、白い犬はアーチャーの弾幕を紙一重で跳んで避け、身を翻してコンテナの山の陰に消えた。
黄金のアーチャーは、詰まらないとばかりに顔をしかめた。
「所詮は暗殺者。闇に紛れて逃げるのは道理よな。だが狂犬、貴様は何処まで耐えられるかな?」
残ったのはバーサーカーである。
都合十六もの宝具を叩き落とした黒い騎士は、未だ健在だった。
アーチャーの背後に、さらなる砲門が口を開ける。先程の倍の数に、ウェイバーのみならずセイバーやランサーも驚愕する。
倉庫街の戦闘は、アサシン一騎が退いても、まだ終わる気配を見せなかった。
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真っ先に目に入ったものは、赫だった。
黒狗との同調を切って、己の体に己の意識を収めた繍の目に飛び込んできたのは、コンクリートの床に溢れる血だったのだ。
誰のものかは、考えるまでもない。
「この言之葉を天之清水と
黒狗に着物の襟首を噛まれたまま、仰向けに倒れる青年、以蔵の手足から吹き出す血だった。
祝詞であり術を起こすための鍵となる言葉を唱えながら、繍は最も酷い肩の傷に治癒のための術を宿した両手を翳した。
「ま、マスター……」
「喋るな!魔力が散る!」
本当にそうなのか、繍にはわからない。
ここまではっきりした、限りなく生きた人間に近い霊体の傷など、実を言えば癒やしたことがないのだ。
血の臭いも赤さも、生者と何も変わりない。最も酷い傷は、肉が抉れて白い骨が見えている肩。両脚と腕に開いた穴からも血が止まらない。
どこか遠くを見るように呆けた以蔵の顔から目を逸らして、傷だけを診た。
術で以て組織を繋ぎ、傷を魔力で覆って霊体を編み治す。人の肉だったなら、一から再生させなければならなかったろうが、霊体は繍の魔力を吸い上げ、すぐに表面を繕った。
傷口から覗いていた骨は、弾けていた肉の中に収まって元通りになり、その上から滑らかな皮膚が出来上がる。
「……」
すべての傷の修復をやり終えて、繍は術を行使した脱力感から、手を固い地面の上についた。
その頃には、以蔵が怪我をしたという事実を示すのは、ただコンクリートに散った鮮血だけになり、それも気化するように魔力の光となって消えていった。
肩の力を抜く間もなく、鉄臭い液体が喉元までせり上がってきたが、繍はそれを飲み下した。
口を押さえて咳き込みながら、ひょいと仰向けになっている顔を覗き込む。
「わしは……生きとるがか」
そう言って以蔵は身を起こした。
穴の一つもない手足の様子を確かめるように動かす。
「サー、ヴァントっての、は、霊体だから。霊核が無事で、魔力があるなら、繕うのはいくらでもできる、んだよ」
鞄から魔力回復用の気絶しそうなほど苦い丸薬を取り出して噛み砕きながら、繍は答えた。
その鉄則は頭に染み込んでいるはずだったのだが、以蔵の血塗れの姿を見た途端に頭が真っ白になった。なって、気づいたらいつも以上に力を込めて治癒をかけていたのだ。
魔力の使い過ぎで、頭の芯が重い。狗神も、維持できなくなって引っ込んでしまった。
丸薬もすぐには効かないのだが、少なくとも舌の根が痺れる苦味で、意識はまともになった。
傷のあった箇所を見ていた以蔵が、何かを言いかける。
だが、それを遮るようにして暗がりで人影が蠢いた。以蔵の刀が動きかけ、繍は慌てて朱塗りの鞘を掴んで引き下ろした。
「待った。そこの人は、今敵じゃないから」
影から滲み出すように現れたのは、パーカーのフードを目深に下ろした男だった。
フードを上げれば、その下からは年齢不相応な白髪に縁取られて、顔の半ばが壊死したように醜く引き攣れている、死者のような形相が現れる。
「間桐ちゅうたら……」
「ああ。俺は間桐雁夜。バーサーカーのマスターだ」
倉庫街で荒れ狂った黒騎士の主である。
以蔵の顔が見る間に険しくなる。止めようとして、繍はまた咳き込んだ。
「おい、マスター!?」
「ボクは大丈夫だから。そんなに慌てるなって。……間桐のマスター。あなたとは今晩はもう戦わない。そちらは、既にバーサーカーを出せる状態じゃないだろう」
繍は猫でも追い払うように、雁夜に向けて手を振った。
彼はじりじりと、繍の様子を伺うように後退する。
下水道の壁に寄りかかるようにして、脚を引きずりながら、間桐雁夜は闇に消えた。
「ボクたちも帰ろう。さすがにちょっと疲れたよ」
足音が遠くなってから、繍の取り澄ました表情が剥がれた。立て続けの魔力消費の反動で、冷たい汗が吹き出す。
鞄の紐を肩にかけ直し、額に汗ではり付いた白色の前髪を手で払って、呪術師はサーヴァントに片手を差し出した。
「ほら。歩いて帰るよ、岡田さん。生命があるだけ良かった。そうじゃないか?」
「……おう」
頷きながら、以蔵は指で何かを示すように己の口の端を指さした。
「……?」
口元を拭った手の甲に、赤い血がこびりついているのを見て、繍は、あー、と気の抜けたような声を上げるしかなかった。
敗走。
マスターのほうは、そんなに精神がアレじゃない。
ついさっきまで普通に話した相手が血塗れになれば、普通にビビる。