冬の街にて、人斬り異聞   作:はたけのなすび

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では。


巻の九

 

 

 

 

 

 

 

 マンホールの蓋をこじ開ける。

 人間が下から押していては力がいるその作業も、サーヴァントの筋力を以てすれば何ということもない。

 果たして、呆気なく、鉄の蓋は吹き飛んだ。

 

「うわっ」

 

 サーヴァントの戦いを間近に見たばかりというのに、繍はごろごろと地上を転がる鉄の蓋を見て目を見張っていた。

 先に以蔵が地下から地上に上がり、様子を伺う。誰もいない、住宅街の外れに出たことを確認して、くい、と指で合図した。

 両腕で弾みをつけて、繍が上がってくる。繍にとっては数時間ぶりの外の空気である。

 以蔵がマンホールの蓋を元の通りに嵌め直す間も、すんすんと仔犬のように鼻を動かしていた。

 

「あん犬共はどういたが?」

「呪符に戻ってもらった。入れ替え転移したあとで、出しっぱなしはちょっと……」

 

 先ほどの、倉庫から下水道まで以蔵を一瞬に撤退させたのは、令呪ではない。包帯で隠されている繍の令呪は、三画のままだ。

 二頭一対である狗神同士の繋がりを利用した、入れ替え式の転移術とやらである。話だけ聞くうちは半信半疑だったのだが、結果はあの通りだった。

 

 倉庫街で、以蔵は負けた。

 あの黄金のアーチャーの宝具に貫かれたときには、己の死が見えた。死ぬと思った。

 だが、気づけば助けられ、今はこうして黄色い光に照らされた、静かな夜道をまだ歩いている。

 焦点がやや合っていない、ぼんやりした目で隣を歩いている、この少女に。

 以蔵にはどういう感覚か見当がつかないのだが、魔力とやらを消費したせいだろう。今の繍には、前に脚を出して歩むことすら、億劫そうに見えた。

 礼のひとつも言っていないことに、今更ながら気づく。

 

「のう……」

 

 口にしかけたその瞬間、以蔵は気配を察知した。

 

「下がっちょれ、マスター」

 

 繍も張りつめた気配を察したのか、一歩下がると、腰に付けたホルダーから呪符を抜いた。

 数十歩先の街灯の、地面に投げかけられた光輪の下に現れたのは、赤槍と黄槍を携えた騎士である。

 繍が呪符を持つ手に力が籠もる。

 

「そうか。やはり、そのアサシンのマスターは君だったか。シュウ・サオ。あの犬の使い魔を見たとき、もしやと思ったか」

 

 靴音を響かせて、ランサーの背後から現れたのは、仕立ての良い服を身に着け、金色の髪を丁寧に後ろに撫でつけた、長身の優男だった。

 

「ロード・エルメロイ……」

「如何にも。ウェイバー君といい君といい、私の教え子たちは師を謀ることに長けているようだね」

 

 笑みとは裏腹に、男の目は全く笑っていなかった。

 ロード・エルメロイという名からすると、この男がランサーのマスターにして、繍の師なのだ。

 呪符をホルダーに戻さず、繍はひとことずつ押し出すようにロードの眼光と相対していた。

 

「ロード。あのときのボクは、あなたに嘘はついていませんでした。謀るつもりはなかった」

「ほう。ならば、聖杯戦争で私の敵として見えるこの状況を、どのように説明するのかね?」

 

 まるで、弟子の誤りを正すようなごく自然な口調であるだけにケイネスという男が、あのライダーのマスターに対して向けていた嗜虐心より、得体が知れなかった。

 

「……聖杯の差配によるものです。かの聖杯は、とある殺人犯に令呪を宿した。彼は人を殺めようとし、ボクはそれを止めた。止めたところを別のサーヴァントに襲われ、彼を喚ぶことで生命を長らえました」

 

 端的に、簡潔に繍は言った。事実、その通りなのだ。

 ランサーの目が、ちらりと己に向けられたことに以蔵は気がついた。

 倉庫街ではあのセイバー共々誇りがどうのと宣っていた、騎士の槍使い。恐らく─────いや、確実に相容れないだろうという予感がした。

 

「なるほど。……確かに、君が本気で聖杯を取ろうとするならば、もっと別な、格の高い英霊を喚んでいるだろう。だが、やむなく召喚し、契約したというならば肯ける」

 

 それだけに惜しい、とケイネスは額に手を当てた。怒りは引いたのか、本気でそうと思っている口調だった。

 繍が何かを言おうとするように口を開け、閉じた。ケイネスの言葉は続く。

 

「聖杯戦争のルールを一部といえ変革し、東洋の英霊を喚び出してのけた君の才覚は、やはり本物のようだ。だがそれだけに、何故そのような、神秘も霊格も低いアサシンなどを引き当てたのかが悔やまれる」

 

 薄青い双眸が以蔵に向けられる。西洋人の目の奥に、己を嗤う光があることを悟った。

 頭の芯がかっと熱くなる。無言で佇んでいたランサーの槍が、僅かに動いた。

 衣がそっと弱い力で掴まれ、引き留められたのは、そのときだった。

 

「元より君は、時計塔にいた時分より己の才を徒に使うときがあったな。魔術の薫陶を受け、深く理解し実践できていながら────正直なところ、如何に古く歴史ある家柄とはいえ、下等な術に拘泥するのは、残念でならなかった」

 

 良い機会だ、とケイネスは続けた。

 貝のように口を噤んでいる教え子の目が、細められていることに気づいているふうはなかった。

 

「聖杯戦争という舞台において、魔術というものがどれほど崇高な奇跡なのかを、骨の髄まで教えて上げよう。ああ、無論この場で諦め、令呪でそこの使い魔を自害させるというならば、止めはしないがね」

 

 傲岸とも取れる自信を込めて、ケイネスという魔術師は言ってのけた。

 彼は心底己が正しいと信じていた。ウェイバーというあの弟子には紛れもない怒りを向けていたが、これは違う。

 繍という魔術師を惜しみ、その過ちを正してやろうと思いやっているのだ。

 

「……()()

 

 だが、思いやりを向けられたはずの少女は、心底冷えた声を出した。

 凡そ怒りという感情からは無縁なように見えていた茶色の瞳の奥底が、激しい感情に染まっていた。

 

「あなたであろうと、その忠告には従いません。我が一族へのそのお言葉、断じて見過ごすことはできません」

 

 撤回して下さい、と静かな声で繍は告げる。指の間に挟まれた呪符の端が、ちりちりと音を立てて煙を発していた。

 その感情を受けて、やや目を見開いたケイネスだが、すぐさま余裕の表情で首肯した。

 

「させて見給え。できるものならばな。願わくば、君とは魔術師同士の栄えある決闘にて、雌雄が決まることを祈っているよ。サーヴァント同士は比ぶるべくもないだろうがな」

 

 にべもなく、繍は首を振った。

 

「ロード。ボクは………ボクは、己が生きるために彼を喚びました。何もかもを諦めるために、喚んだのではありません」

 

 数秒、繍とケイネスは睨み合った。彼らのサーヴァントは黙したまま、成り行きを見守る。

 先に、目から険が取れたのはケイネスだった。

 

「良かろう。確かに、君の家への侮辱は些か言い過ぎたことを認めよう。だが、もうひとつ言っておこう。使い魔に情をかけるのもまた、君の悪癖であるのだと」

 

 今宵はここまでだ、とケイネスはランサーを伴って歩き去る。

 槍の騎士は何か言いたげな瞳こそしていたが、結局口を開くことはないまま、主の後を追って共に消えた。

 ランサーのサーヴァントと、そのマスターの気配が完全に消えてから、繍は呪符を腰のホルダーに収めた。

 以蔵も刀の柄にかけていた手を下ろす。

 

「ありがとう。刀を抜かないでくれて」

 

 繍は、ランサー主従のいた場所を眺めながら言った。コートの上から二の腕をきつく掴んでいる。

 

「……わしが負けたんは、ほんまのことじゃき。すまんのう、マスター。あんときゃ、助かったぜよ」

 

 以蔵が小さく頭を下げた瞬間、白黒灰の髪を揺らして繍は振り返った。

 

「なに面食らった顔しちゅうか」

「してません、してませんよ。ボクの面なんていつも通り、面白みのないもんだよ」

 

 速攻で顔を覆って横を向き、繍はふぅと息を軽く吐いた。

 目元を手で覆ったまま、繍は呟くように言った。

 

「先生はさ、悪い人じゃないんだよ」

 

 無論れっきとした魔術師だから、世間の人倫とは些か以上に異なる価値観や倫理観を持つ。が、ケイネス・エルメロイという男は、悪人ではない。

 たくさんのことを、教わったのだから。

 

「ただ……なんていうか、認めてくれないんだ。自分の世界の、外側にいる人のことも、そこにあるものの価値も、さ」

 

 彼の世界において、絶対なるは魔術。そうでない術は、侮りと見下しの対象。

 先の言葉はあの男の本心だった。それがために、繍は疲れたような表情を浮かべるのだろう。

 顔を隠していた手を退けて、繍は以蔵を見上げた。

 

「とにかく早く帰りたいや。さっきのバーサーカーのマスターから引き出したこともあるし」

「引き出した?」

「ちょっと暗示使って色々と聞いたら、答えてくれたんだよ。聖杯戦争の情報ってやつをさ」

 

 猫のように喉を鳴らし、繍は月のない空の下で笑ってみせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聖杯戦争御三家のひとつ、間桐のマスターは、素人同然だったと繍は言った。

 蟲使いの間桐といえば、没落したと言われていたし、繍もそう思っていたのだが、間桐雁夜はそれを押して参戦したのだ。

 理由は、彼が当主を継がなかったために、間桐家に養子に迎え入れられた、遠坂家の娘の解放を願ってのことだった。

 

「遠坂ちゅうたら、御三家んあれか?」

「そう。ひとつところに二つも魔術師の家があって、何百年も同じ儀式にかかずりあってたら、なんかの繋がりはあってもおかしかないよ」

 

 ビジネスホテルの一室に帰りついたあと、二つあるベッドのうち、ひとつの上に胡座をかいた繍は言った。

 向かいに座る以蔵は、懐手をして聞いていた。

 間桐の魔術は、蟲を使う。それがどういうことかは、昨日バーサーカーを使役する雁夜を見て繍も思い知った。

 大量に魔力を消費するバーサーカーが暴れる際、彼はのたうち回って吐血し、その血の中には、蟲が蠢いていたのだ。

 

 雁夜は本当に、魔術の修練を積んで来なかったのだろう。だから、体内に蟲を入れ、己の体を喰わせることで魔術回路の代わりとし、魔力を生んでいる。

 魔力を使えば使うだけ、体は食い荒らされる。そこに来て、あの魔力消費が激しいバーサーカー。

 蟲を体に入れると言った時点で、以蔵は襟巻きを引っ張り上げた。術はまったくわからないが、繍の顔色を見れば、どれだけ悍ましいと感じているかはわかった。

 

「おまんの家もそういう術……」

「やるわけない。……でも間桐雁夜は相当実家というか、魔術の界隈そのものを憎んでる感じだったよ」

 

 蟲を放ってきた彼を繍が火の呪術で制圧すると、この人でなしの魔術師ども、と罵られたのだ。

 痛みで錯乱しているのか、誰かと混同されているようだったが。

 

「人でなし、なぁ。……おまんも、あん男んような、えずい顔になるがか?」

 

 無精髭を擦りながら、額に皺を寄せる。

 間桐雁夜は半死人のような顔に、色の抜け落ちた白髪をしていた。

 白黒灰の髪の少女は、首を振る。

 

「ならないならない。でも、確かに術で体の何処かが変質するのは、ボクらには珍しくはないんだよね。ほら、この髪だって妙な色だろ」

 

 毛先に行くに従って、徐々に色が抜けていく髪を、繍は一房持ち上げる。

 一束ねにされていた髪は、解かれて背中の中ほどまで広がっていた。

 

「生まれつきや思うちょったが」

「術者になってからだよ。染め粉も効かないから、変に目立って困るといや困るんだよね」

 

 話がそれた、と繍は長い髪を手で後ろに払った。

 

「バーサーカーは、アーサー王伝説の騎士ランスロット。そんな霊格の高いのをバーサーカーになんかしたら、魔力消費がひどい。放っておいても、彼らは斃れる。……でも、現状アーチャーの宝具乱れ撃ちに真正面で対抗できたのはバーサーカーだけだから、まだ残っといてほしいが」

 

 それから、間桐雁夜が遠坂のアーチャーをわざわざ襲撃させたのは、彼が冬木の土地の管理者にして、遠坂家当主の遠坂時臣に私怨があったからだ。

 暗示で引き出せば、雁夜は遠坂時臣が実の娘の遠坂桜を養子に出したことを恨み、憎んでいた。

 ついでに言うなら、彼は昔、遠坂時臣の妻の葵という女性に淡い想いを向けていたようだ。

 

「情と女と、妬みか」

「うん。全部、昔から、呪いの元になる感情だ」

 

 はぁ、萎れた息を吐きだして、繍は一度首項垂れ、ペットボトルから水を飲んだ。

 どう見てもこの少女は疲労で限界だったが、明日もう一度思い出して語ることを思うと、今話しておきたいと言い張ったのである。

 

「正直、彼より危ないのは間桐当主の臓硯だ。百年以上は生きてて、今や人でなしどころか、人食いの化物だよ。バーサーカーなんて魔力喰らいのクラスを、雁夜に押し付けたのも、そいつ」

 

 以蔵が生きていた頃から、間桐臓硯は生きている。なかなかに、ぞっとする話だった。

 

「あとはアインツベルン。聖杯を鋳造したのは彼らで、聖杯の管理者でもあるらしい。セイバーの近くに、白髪の女性がいたろ?彼女が恐らく、聖杯の護り手」

 

 御三家について繍がわかったのはそこまでで、あとはサーヴァントのクラスである。

 

「どうやら、キャスターが消えたようだよ。というか、ボクが君を召喚したときに被ったんだね。聖杯戦争のクラスは、七つで固定されてて増えはしないみたいだから」

「髑髏のあれもアサシンなんか」

「うん。だからアーサー王がセイバー。ディルムッド・オディナがランサー。イスカンダル王がライダー。騎士ランスロットがバーサーカー。髑髏がアサシンその一で、君がそのニ」

「そいで六人じゃな。アーチャー……あん、金ピカは?」

 

 お手上げ、と繍は両手を上げた。

 

「わからない。王だったってことしか、今は無理。正直、あれはまともに相手すること自体だめな相手だ。岡田さん、人相手には強いけど軍勢は吹き飛ばせないでしょ」

 

 苦虫を噛み潰したような顔になりながらも、以蔵は頷いた。繍が狗神を放たなければ、あそこで死んでいたのは確かだ。

 

「ボクが引き出せたのはここまで。じゃあ、続きは明日で。……ごめん、もう、むり。ねる」

 

 糸が切れたように、繍はその場に倒れて寝た。

 腰の呪符入れが光って、白黒の仔犬が飛び出す。白犬は番犬のように四足を揃えて繍の枕元に座り、黒犬は以蔵の頭の上へ飛びかかり────爪を立てる直前で、以蔵に首根っこを掴まれてぶらさがった。

 

「わふ」

「じゃかあしい。わしの頭で遊ぶなや」

 

 薄桃色の舌を出して短い足をばたつかせる仔犬を見ていると、本当にこの畜生とその主に助けられたのか、わからなくなってくる。

 掴んだ仔犬を、目の高さまで持ち上げる。陰気な男の顔が、丸い目の中に映っていた。

 

「犬コロ。……わしゃ、わしを裏切らんやつのことは嫌いやない。おまんらの主は、妙なやつじゃが────」

 

 言いかけて、犬に真面目な言葉をかけようとしている己に気づいた。

 急に阿呆くさくなって手を離すと、仔犬はべしゃりと落ちて潰れた。

 

「やめじゃ、やめ」

「わふ」

「ほたえなや。そ奴が起きゆうじゃろ」

 

 狭い部屋の明かりが消える。

 彼らの聖杯戦争初戦の夜は、そうして終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




師匠と決裂。
その数時間後には師匠の工房はフィナーレしてますが。
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