それ以外には「わたくし」
そよそよと優しい風が吹く草原
森に向かう2つの影
傾きかけた太陽は空を紅く染める
黒髪の青年と金髪の乙女
古いシャツにボロボロのコートを羽織る青年と見るからに上質なドレスを着る乙女
一目見ればどれ程身分が違うかが分かる
やがて2人は森の奥の小さな宿り木の下へ
意を決したように口を開くエドモン
「メリー…いや、メルセデス。俺は…君が…きみが……」
それ以上の言葉は詰まって出てこないの?
私はこんなにも待っているのに…
「きみが…」
不意にちらりと白い物が目に映る
「あ…」
今日はキリストの生誕祭。
恋人たちはみんな宿り木の下でキスをする。
〈
"本当にね。でも、そんな可愛いところが好きなの"
〈彼、揶揄うと面白いよね〉
心の中で2人で笑い合う。
ふ、と笑みがこぼれると彼の顔は真っ赤になってしまった。
ああ、もう、そんなところに私は恋をしてしまったのでしょうね。
私よりも少しだけ高い位置にある彼の頭を引き寄せ頬に
赤い顔がさらに赤く、リンゴのようになってしまった。
食べてしまいたいくらいだわ。
「その先の言葉はいつまで待てば出てくるのかしら?」
ぐっ、と言葉に詰まった彼はゆっくりと冷たい空気を吸い込み、白い息を吐き出す。
「俺は…君のことを……愛してる!」
「ええ、それで?」
意地が悪いと分かっていても、それでもその先の言葉も聞きたい。彼の首筋を撫ぜるように手を引いて行けばその手をそっと掴まれる。
「俺は君のことを愛している。だから…だから、恋人に…俺の恋人になって欲しい!」
掴まれている手は痛いほどに握られ、告白した彼の顔は赤く不安と希望の混じった
可愛い可愛い私の愛しい人…やっと愛し合えるのね…
「ええ、勿論喜んで!」
その一言で彼の涙腺が決壊したようだった。
ポロポロとこぼれ落ちる涙を見て、
「涙が止まらないよ。それに嬉しくって、俺はもう死んでしまうかもしれない…」
「貴方が死んでしまったなら私はマルセイユの美しい海に身を投げてしまうわ」
クスクスと笑う2人はどちらからともなく顔を近づけてゆく。
そっと、触れるだけのキスをすれば彼の少しカサついた唇の感覚がしっかりと残る。
「私は貴方のことが世界で1番大好きよ」
「でも、俺は君のことを世界で1番愛してる!」
ふふん、と自慢げに笑う彼が愛おしい。
ずっとこのままで居られれば良いのに…
暗くなり始めた道を手を繋いで歩く2人
彼の家に向かう途中だった
〈メリー、気付いてる?後ろから誰かが尾けてるよ〉
"…そう"
この道を曲がれば彼の家に着くことは知っている。
曲がろうとする彼の手を引いてまっすぐ進む。
「メルセデス?そちらは俺の家の場所じゃないよ」
「知っているわ。」
「じゃあなんで…」
ピタリと足を止めて振り返る。
「やあ、
「お久しぶりね、フェルナン。元気そうでよかったわ」
長い亜麻色の髪を結った彼は精悍な顔立ちになっていた。が、それでも瞳に映るのはドロドロとした愛欲ばかり。
「綺麗になったね」
「そう?彼に恋をしたからかもしれないわ。でも、貴方は全然変わらないわね」
エドモンに殺意が降り注ぐ。
「其奴が君を誑かしたんだね」
「そうだったとしても貴方に恋心を抱く事は億が一にもないわ」
さらに強く睨みつける彼はなぜ自分が愛されないのかをまったく分かっていないのでしょうね。
「そんなことはないさ…」
彼は私を守るように立つエドモンに狙いを定めた。
「其奴を殺せば君は僕のところに戻ってきてくれるんだろう?」
ナイフを持って走り出した彼。軍人になった彼は素早い。
「彼を殺せば私は貴方を恨みながら死ぬ!」
ドリー・バーデン・スタイルにしたバッスルドレスはあまり動きやすいものではない。
そもそもドレス自体が動きやすくはない。
しかし、隠し武器を仕込むことは容易い。
たくし上げたオーバードレスの中に仕込んだそれを投げる。
キンッと硬質な音が響く。
私の手から放たれたナイフは彼の手のナイフをはじき飛ばす。
「ど う し て ……?どうして?なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで!メリーはずっと僕を愛しているんだ、そうだろう?僕を嫉妬させるためなんだろう?あんまりにも長い間会えなかったから拗ねているだけなんだろう?そんな奴よりも僕の方が良いだろう?どうしてそんなにそんな汚らしい奴のことを助けるんだい?ねぇ、ぼくのメリー、僕だけのメリー」
「いい加減にして!私は最初から貴方のことを愛してなんかいない!気持ち悪いのよ!」
ポロポロと涙を流すフェルナン。だとしても私の心には全く響かない。
「そっか…君はニセモノなんだね。昔も居たんだよ。君に似たニセモノが。」
そう言って再びナイフを握ったフェルナンは私の方へと走ってくる。
もう一度、今度はオーバードレスの前部分に手を入れる。
それを広げてナイフを受け止める。
それは以前、胡散臭いチャイニーズが教えてくれたものだった。よくわからないが、ヌンチャクだとか、サンセツコンだとか言う武器らしい。
3つの棒が短い鎖で繋いである。繋いでも40cm程しかない。
それでも十分な武器にできる。
なるべく怪我をさせないようにしたいと思うけれど、彼はそうではないらしい。
「すばしっこいな。早く死んでくれないとメリーに会えないよ。」
ふつりと頬が切れ、赤い血が流れる。
「あ…」
エドモンが横から飛び出してフェルナンに掴みかかった。
「よくもメルセデスに…俺の恋人に怪我をさせたな!」
怒り狂った彼はフェルナンの頬を殴る。
金の瞳には憎悪が映っている。
ああ、嫌だ。彼があんな顔をするのは…それでも私のためにあの顔をするのならば、と愛しさも湧いてくる。
けれど彼が責められるのは私の本望ではない。
胸元から針を出し、フェルナンの背後にまわりこんで刺す。
ガクリと倒れ、動かなくなる。放っておけばまた襲ってくるだろう。
古びた教会に運び、捨てておく。
「さあ、帰りましょう。愛しい人!」
この幸せを邪魔するのならば
私は
殺してでも障害を消し去ってみせる。