源氏刀と秘密の部屋 作:バジリスク13世
イングランドの夏は短い。
緯度の高いこの国は、冬は雪に閉ざされ、空は曇る。
しかし、夏ともなればいくらか天気は良くなるのだろう。
それは曇天の国にしては珍しく、霧のない、透き通るような快晴の日だった。
「兄者、手紙が来たぞ」
薄緑色の髪をした少年が封筒を二通、手にしている。
簡素で動きやすそうだが、決して粗悪ではない黒を基調とした服装だった。
兄者、と呼ばれた少年がうん?と顔を向ける。
こちらはまるで対になるかのように白い服に、金色のふわふわとした少し癖のある髪をしていた。
「おはよう。えぇっと…………肘丸?」
「俺は膝丸だ! 兄者ぁ!!」
「そうそう。そうだった、そうだった」
はいはい、といい加減名前を憶えてくれと喚き散らす弟を適当にあしらいながら、髭切はペーパーナイフで封を切る。封筒にはホグワーツの校章で蝋がされていた。
ああ大袈裟だなぁ、と口の中で呟きながら手紙を開いていく。
そう、大袈裟だ。
何もかもが。
髭切の住む家は、チューダー様式を取り入れた豪勢そのものの造りであり、床に敷いてある絨毯ひとつをとっても何百年前に家に伝わったものなのかがよく分からないような代物だ。
壁の目立たない場所に設置された執事を呼ぶためのベル。
屋敷下僕妖精だけが使う階段。
イタリアから輸入されたと言う白い大理石には化石が入っている。
テーブルの上に乗せられた青銅の燭台や、精緻な細工の入った銀器を一つ取っても、この家が名家であるということは分かるだろう。
魔法界でも屈指の純血名家と呼ばれる源家。
それが髭切、そして弟の家名だった。
「今年は僕たちもO・L・Wだね」
「あぁ、そうだな兄者」
髭切の言う『O・W・L』とはOrdinary Wizarding Levelの略称、『普通魔法レベル試験』のことだった。
ホグワーツの第5学年の6月に2週間をかけて実施されるテストであり、ここで好成績を取らなかった場合、N.E.W.T過程に進めない授業もある。
癒者や闇払いや魔法省の官僚などの職に就く場合は、このN.E.W.T試験の成績が重要視される。
つまり、O・W・L試験とは職業選択への第一歩にあたる重大な試験と言えるものだろう。
あーあ、と髭切は億劫そうにため息をついた。
実際、億劫だった。
「嫌だなぁ、大変そう」
「兄者! 他人事みたいに言うな! 兄者はいつも落第点ギリギリの点数しか取らないからな……心配だ」
「落第してなきゃいいじゃない。いつも一夜漬けで何とかなってるよ?」
「兄者ぁ……」
どうやら髭切は試験の準備をする気は毛頭ないらしい。
この兄はこの試験の重大さが分かっていないんじゃないか、という心配が膝丸の頭をよぎる。
どこかふわふわとした調子のまま、髭切は優雅な所作で滑らかな手触りの白い陶杯を傾け、紅茶を口に含んだ。
まぁ、なんとかなるんじゃない? と、いつもの様子だ。
弟は思わず頭を抱えたくなる。
兄はくすくすとそんな弟を見てひとしきり笑うと、テーブルに手を伸ばした。
視線の先は先ほど学校から来た羊皮紙、その2枚目。
その内容は新学期用の教科書リストだ。
『5年生は次の本を用意すること。
基本呪文集(5年生用)
応用呪文集(5年生用)
鳴き妖狐キュウビと休日
ロンドングールとクールな散策
山姥とヤバめな休暇
トロールとのろい旅
バンパイアとばっちり船旅
狼男との大いなる厚樫山歩き
雪男とゆっくり7面
』
最初の呪文集以外の本は同じシリーズのようだった。
その著者は鶯丸友成、という人物。
3年前から急に話題になった探検家兼作家という感じの人間だ。
それ以外の情報は依然として謎に包まれている。
年齢や、出身寮も不明。確かなのはイギリス人であり、魔法族であり、どうやら男であるという事位だった。
魔法界的な職業区分でいえば魔法戦士に該当するのだろう。
まるで小説のような作風で、著作の殆どは鶯丸の視点から書かれており、どちらかと言うとコンビを組んでいると言われている謎の相棒の活躍を描いたものになっている。かなり脚色が多いことに定評があり、検証実験までわざわざやるファンまで出てくる有様だ。
「ありゃ? 今年の本は多いねぇ……鶯丸のオンパレードみたいだよ」
「今年の『闇の魔術に対する防衛術』の教師は鶯丸の大ファンか……。……きっと魔女だな……」
全巻をコンプリートしろときたものだ。かなり年季の入ったファンなんだろう、と膝丸はげんなりした。
「この一式多いんだけど? ちょっと重くない?」
「鶯丸の本はどれも分厚いからな……」
兄弟はそれぞれ文句を言いながら新学期に必要な品物の買い出しに行くことにした。
◆
煙突飛行は無事成功し、膝丸と髭切はダイアゴン横丁までたどり着く。
そこで膝丸は大鍋や羽ペン、と言った消耗品を二人分手際よく購入していった。
髭切はちっぽけな雑貨屋の前で、一人の茶髪の少年が『権力を手にした監督生太刀』というアレな本を一心不乱に読んでいるのを目撃する。
その横で少しだけ年下だろう褐色肌の少年が目盛りの狂った台秤や折れた杖を興味津々に眺めていた。
「あとは教科書だ、兄者」
「本当にこの小説群を教科書にするのかなぁ? ……教師の顔が見てみたいよね、生徒の苦労なんて分かってないんだろうね」
「まぁそうだが……指定図書なのだから仕方ないだろう」
「案外ご本人だったりして」
「冗談はよしてくれ」
冗談だよ、と髭切は本気なのか冗談なのかよく分からない笑みを口元に浮かべている。
いつもそうなのだ。
兄はどこまで本気なのか、弟の膝丸でさえ思いあぐねることがある。
そんなことを考えながら歩き、書店のまえまでたどり着く。
フローリシュ・アンド・ブロッツ書店の前には凄まじい列ができていた。
見渡す限りの人、人、人の群れだ。
しかもそのほとんどが女性だった。
年齢層は若い女性から所謂マダム世代までと幅広い。
「グッズ購入の列はこちらです!」
「ただいま混雑につき抽選を行っています!」
「最後尾はこっちです!!」
書店員かそれ以外のスタッフなのかよく分からない人間たちの怒号が飛び交っていた。
書店内は異様な熱気に満ちている。
きゃあきゃあと黄色い声を上げ乍ら本を抱える者、この時間の間に何かをチェックすることに余念のないもの、おしゃべりに花を咲かせている者……等々を見ることができる。
なんだこれ、と膝丸は唖然とした。
「兄者、すまん。今日はサイン会が開かれていたようだ」
「こんな時に」
「出直すか?」
「いや、いいよ……折角来たんだよ? 買っていこうか」
「だが……」
「それに、ちょっと気になるしね……これ、一体誰のサイン会なのか、って」
やがて、サイン会の主催者だろう人物が書店の奥に姿を現す。
「きゃぁあああああああああああああああ!!」という黄色い大歓声が書店内に鳴り響く。
常連だろう長い行列を興味深そうに眺めていた紳士は仰天して声の先を見た。
おそらくはかつてない光景だろう。そして今後も。
「これはこれは。随分と沢山集まったな」
現れたのは、癖の強い濃緑の髪の男だった。
長い前髪が片目を隠すというアシンメトリーな髪型をしている。
出で立ち自体は伝統的な魔法使いらしくなく、地味で簡素な服装ではあったものの、それがかえって素材の良さを引き立てていた。
気品がありながらも、静かな色気がある―――そんな独特の印象を抱かせるような人物だった。
「鶯丸だ。今日はまぁ、よろしく頼む」
どうやら件の作家、鶯丸がド派手にサイン会を開いていたらしい。
並んでいる女たちから漏れ聞こえてくる話によると、この鶯丸という著者は出版してからというもの今まで一度も顔を出したことが無い。
しかし、ついひと月前、日刊予言者新聞に新作発表と同時に初めて素顔を曝す。
それが思いの外美青年だったこと、イケメンにつられて入ったものの意外と面白い内容に今ではすっかり首ったけになっているファンが多いこと。
これが初めてのサイン会であり、是非とも鶯丸のサインを貰おう、話題の美青年をせめてひと目だけでも見てやろうという猛者が集まり異常な人気を博していること、などが分かった。
鶯丸本人はというと、ぼうっと虚空を見ながら「大包平ならさぞ喜んだだろうな」と意味不明の独り言を発していた。
サイン会が始まったのだろう。
「兄者、そろそろ行こう」
「え? なんか面白そうだよ? もう少し見てかない?」
「兄者ぁ……」
髭切が面白がって動かないので、膝丸はその場でサイン会を観察することにした。
「最新作、『大包平はマジックだ!』の発売おめでとうございます!」
ファンだろう魔女がそう言うと、鶯丸はニコリ、と笑って「礼を言う」とだけ短く答えた。
そして墨に筆を浸すと、彼女が持ってきた本に『大包平』と豪快にサインをした。
いい筆跡だな、と膝丸は思った。
「『週刊魔女』の『茶ァミング・スマイル賞』グランプリおめでとうございます!」
「茶は好きだ。スマイル賞というのはよく分からんが……まぁ、細かいことは気にするな」
二人目の魔女に握手をすると、鶯丸はまたしても大包平と大きく書いた。
やはり達筆だと膝丸は思った。
三人目はまだ学生のようだった。おそらくは兄弟と同じく、新学期の教科書を揃えに来たのだろう。
まだ学生であることを示すホグワーツのローブを着ている女子生徒だった。
「あの……」
「君はまだ学生か?」
「は、はい!」
「そうだ、ついでだから重大発表をしよう。新聞も来ているだろう? 一緒に写真を撮ってくれないか?」
「へ? ……え、えぇ!?!?」
写真を撮ってくれと言われた女子生徒は目を大きく見開いていた。
完全に心が放置されているらしい。
しかし、そんな彼女を無視して鶯丸は女子生徒とツーショットを撮ろうとしていた。
思わぬ撮影要請にカメラ魔ンは狂喜乱舞してシャッターを切る。
「記者も居るだろう? ついでに発表しておいてくれないか」
今度は記者が飛び出した。
思わぬ特ダネに記者は喜んで羽ペンを取り出す。
完全に鶯丸のペースに誰もが巻き込まれていた。
「この九月より、鶯丸友成は、ホグワーツ魔法魔術学校にて『闇の魔術に対する防衛術』の担当教授職を拝命した。まあ、せいぜい期待に添えるようにしようか」