ピピピピピピ ピピピピピピ
眠さの取れない頭を枕の上で2、3度横に振り、あまり感覚の定かでない手を頑張って動かし、目覚まし時計を押す。アラームが止まった。
…あれ、エレちゃんは?
殺生院キアラを召喚する事件が有ってからと言うもの、彼女は僕に執着している。
サーヴァントの召喚はいつも寝起きに行われていると僕が言ったからだろう。彼女は、僕が目を覚ます前から僕のベッドの横で待機するようになった。
エレちゃんも当然暇ではなく、ある程度の朝寝坊をすると彼女から強制的に起こされてしまう。
枕元の目覚まし時計のアラームは、大学に遅刻しないデッドラインを示すものだ。
つまり、1限から授業のある日は、アラームより先にエレちゃんに起こされるのである。そして早めに起こされた分だけ、彼女との会話に付き合わなければならないのだ。
まあ、強制的に起こされるとは言え、そこまで悪い気分でも無かった。
そのエレちゃんアラームが機能していない。
まさか消滅したのか?
僕が上体を起こすと、エレちゃんが1人のサーヴァントを部屋の隅に追い詰めているのが目に入った。
「あ、おはようマスター」
「おはようございます…」
2人が挨拶してくる。
ハムだ。
えっーと、そう。不夜城のキャスター。
第1.5部の2章だか3章だかの元凶の1人だったはずだ。
それと、ええっと、千夜一夜物語を時の王に語って聞かせ、彼を改心させてその凶行を止めたと言う逸話を持つ英雄でもある。
…ダメだ。呼びかけたいが名前が出てこない。
僕は今まで彼女の事を、ハムと呼んでいたのだ。
色々な悪条件が重なって、彼女の真名は、僕の記憶に残っていなかった。
まず僕は彼女を、fgoの中で召喚していなかった。
それに彼女は、ネタバレ防止のために真名を伏せて呼ばれるのが普通だ。
そして最後に、彼女も刑部姫と同じく、僕の好きな女性サーヴァントランキングのワースト争いをしている存在だった。
ちなみに、ハムと言うのは蔑称である。そう呼ぶと彼女は傷付くだろう。
ちなみにその語源は、彼女の胸がロースハムに見える事に由来する。
彼女の肌が褐色であることと服の紐が胸に食い込んでいる事、そしてその胸が人間の物とは到底思えない形と大きさに描かれていることから、そう名付けられたのだ。
「おはようエレちゃん。それでそっちの、えーと、不夜キャス。こんにちは」
「シェヘラザードです…」
僕はポンと手を打った。確かに真名はシェヘラザードだった。
「シェヘラザード。これからよろしくね。
これから僕は大学に行くけど、悪い事はしないように。
帰ってきてから色々話したいけど、それで良い?」
「分かりました…」
「私はコイツを見張っておくわ」
「何もしないって言ってるじゃないですか…」
どうやら僕が起きるまで、エレちゃんはシェヘラザードを詰問していたらしい。
「エレちゃん、ありがとう。けどあんまり虐めないであげてね。彼女そう言うの嫌そうだし。
あまりグサッとしないように」
「グサってするんですか!?!?」
「わ、分かってるってば! 大丈夫よ」
シェヘラザードは悲鳴を上げ、僕とエレちゃん、そしてエレちゃんの持つ槍を見た。
確か彼女は、死にたくないと言う欲求から世界規模の事件を起こしたのだったか。それならエレちゃんの槍は怖いに違いない。
フォローを入れておこう。
「その、冗談。冗談だから、ね。怯えさせてごめん」
シェヘラザードは、疑わしげな目でこちらを見た。
効果は今ひとつのようだ。
「えー。では、これから着替えます。2人とも出て行って下さい」
2人とも出て行った。
2人とも顔を赤らめもしなかったのが、ちょっとだけ悔しかった。
※※※※※
僕が家に帰ると、1階でサーヴァント2人はテレビを見ていた。エレちゃんとシェヘラザードだ。2人で仲良くソファに座っている。
「エレちゃんもテレビ見るんだね」
「それは、私だってテレビくらい見るわよ。他の人と一緒ならね…」
「でも、エレシュキガルさん。テレビと言う物は中々の発明ですよ。
私は言葉で物語を紡ぎましたが、これはそれ以上のものを用いて物語を紡ぎます」
「それは分かってるわ。問題はその箱が語るのをやめないって事なの」
僕がソファに座ろうとすると、シェヘラザードはテレビを消した。
「話をするんですよね…」
「ああ。じゃあ二階に行こうか。親が急に帰って来る事もあるから」
僕たちは二階の自室に移動した。
僕が勉強机の椅子に座ると、エレちゃんとシェヘラザードはベッドに腰掛ける。
「あー。シェヘラザード、これから何をしたいとか、希望はある?」
しばらく待ったが、シェヘラザードは俯いて答えない。
言うのを躊躇うような望みだろうか。何だろう。
それとも、横にいるエレちゃんから脅されてたりするのか? エレちゃんがそう言う事をするとは信じたくないが。
「んー。じゃあ、君は僕のどう言う感情から生まれたか、分かる?」
「死にたくないです…」
「やっぱりそうか。
けど、実を言うとあまり、僕自身は死にたくないって感情に覚えが無いんだ。
どう言う事か分かる?」
シェヘラザードは目を上げて僕を見て、そしてまた俯いた。
「私は…もっと…別の感情から生まれたのかも…知れませんね…」
別の感情か。本編でもイベントでも、彼女は「死にたくない」と言っているイメージしか無かったが。
僕は彼女の豊満な胸を見た。
「性欲とか」
「違います」
「じゃあ、話をしたい欲」
「私が物語を紡ぎたいと心から思っているように、マスターは見えますか」
「分からない。つまり違うと言う事だね」
「その通りです。この私は、1000日もの間、死の恐怖に晒され続けた私なんです。
王の妃に名乗りを上げた瞬間の私なら兎も角、この私は、かつて好きだった物語さえも嫌いになっている。
物語とは、彼の王に捧げる物でしかありません」
なるほど。そう言う設定も有った気がする。
しかし、彼女は3年もの間、自分を押し殺して王に仕え続けた訳か。
もっとも、未来の彼女は王と結ばれて、それまでの全ての苦労が報われる訳だが。
「なら、自分の事を理解して貰いたい欲」
シェヘラザードは小さく震え、そしてゆっくりと隣のエレちゃんを見た。
「確かにそれはエレちゃんだね」
「いや、例え理解されたとしても、今みたいに実験動物を見るような目で見られてちゃ、全然意味無いのだけれど!?」
僕は苦笑し、彼女の頭を撫でた。彼女は大人しくなった。
目を逸らして頬を少し染めているのが可愛い。
それを見て、シェヘラザードは青い顔をして言った。
「解決策ですね…」
「え?」
「私が欲しているのは、解決策です。
永遠に続くかのような絶望を、根本から破壊してくれるもの」
「それは、絶望って、一体何に対する絶望感なんだ。それが分からないと解決のしようがない」
シェヘラザードは俯いた。
エレちゃんが小さく言う。
「その絶望って、サーヴァント召喚システムの事かしら…。
マスターが、あらゆる欲望に対して自制心を保てるようになったら、私達は不要な存在になるから…。
死にたくないのよね、ハムちゃんは」
「ハムちゃ…それで良いのかシェヘラザードは」
「どんな風に呼んで下さっても…構いません…」
シェヘラザードは、悲しそうな嬉しそうなよく分からない表情をし、俯く。
そして顔を上げ、頭を振った。
「絶望は、絶望です。
希望の光を求める欲は、望みの絶えた全ての場所に存在します。
マスターがサーヴァント召喚システムを快く思っていないなら、その事も含まれるでしょう。
しかし、それだけではないはずです」
シェヘラザードは窓の外を見た。
「例えば、パチンコ店。
あれも、マスターの絶望の一つの形なのではないですか。
聖人がパチンコ店にテロを仕掛ける。半悪魔の少女がそれを追って持て囃される。どちらも全く矛盾しています。
どちらも、マスターが望んだからこそああなった」
「そうだな」
あの2人だけではないだろう。
謎のヒロインXオルタ。エレシュキガル。刑部姫。殺生院キアラ。
彼女達は本来、この世に存在しなかった。召喚されるべき理由が有ったからこそ召喚された、僕の希望の形なのだ。
「じゃあ、その、どうしようか。
絶望に対する解決策を探す?」
「それは…私には…」
シェヘラザードは、悲しそうに頭を振った。
「僕がやるしかないのか。
サーヴァントを召喚すれば良い訳だ」
「マスター、サーヴァントを自由に召喚できるようになったの?」
「いや。
けど、キアラが召喚されたのは刑部姫に抱き着かれた翌日の事だ。欲求が高まれば召喚されるのかも知れない」
「なるほどね…」
まあ、仮に可能だとしても、わざわざシェヘラザードのためだけにサーヴァントを増やすかは微妙だが。
キアラとはもう二度と対面したくない。刑部姫は、上手く隠さなければエレちゃんにまた殺されるはずだ。
シェヘラザードは相変わらず俯いている。
「まあ、シェヘラザードが何をして過ごすかは置いておくか。
シェヘラザード、残念ながらうちにはサーヴァントを養える余裕が無くてだな。
金が欲しいなら別の方法を考えてくれ。あ、犯罪行為には手を染めるなよ」
「水着マルタは良いのかしら」
「犯罪は僕に関連付けられないように行なえ」
「うわー…最低なのだわ…」
エレちゃんがドン引きしている。心にグサっと来た。
「マスターは、自分だけ良ければそれで良いのかしら」
「いや、だからそれはつまりだな…」
「殺して下さい」
「え?」
「え?」
突然のシェヘラザードの言葉に、僕とエレちゃんは彼女を見た。
「殺して下さい。
それが、私の、希望です」
「令呪を使えと言うことか?
でも、さっきは死にたくないって」
「はい…死にたくは…けど…でも…」
シェヘラザードは泣き出した。
僕とエレちゃんは、途方に暮れて見つめあった。
「本当に良いのか? 後悔は無いのか?」
「お願い…します…」
どう言う事だ。
しかし、泣きながらも頼み込んで来ているのだ。令呪を使ってやった方が良いだろう。
キアラの言った、成仏と言う言葉がふと思い浮かんだ。
「令呪をもって命じる…」
唾を飲み込み、僕は言った。
「シェヘラザードよ、僕の中に還るんだ」
一拍、二拍、三拍。
シェヘラザードは消えなかった。
彼女は目を大きく見開き、顔を上げて僕を見つめた。
その顔は、血が引いたかのように真っ青だった。
※※※※※
気まずい沈黙が流れた。
「あー、その、済まない。今は無理みたいだ」
「いえ…分かっていました…」
「そうなの?」
「まだ…サーヴァントが…現界していますから…何人も…」
確かにそうだ。
救いを求める欲を自制心で抑え込むと言う事は、全てのサーヴァントを自制心で抑え込むと言う事に等しい。
僕はまだ、そんな境地にまで至ってはいない。と言うか正直、年単位で修行を重ねなければ、そこまでの事は無理じゃなかろうか。
令呪が駄目なら、他サーヴァントによる殺害か。
僕はエレちゃんを見た。
「そ、その視線は、もしかして私が殺れって事なのかしら!?」
「やりたくないなら無理は言わないよ」
エレちゃんはシェヘラザードを見た。
先程までとは違う、冷たい眼差しだった。
この目は、そうだ。
刑部姫を刺し殺した時も、これと同じような目をしていた。
「貴女が望むなら、その通りにしてあげても良いわ。
けど私は、マスターのように甘くはないの。死にたい理由を言いなさい」
「いえ…他のサーヴァントの手は…借りません…」
「あらそう。遠慮しなくても良いのに」
「マスターが…心を入れ替えなければ…また召喚されてしまいますから…」
なるほど。確かに。
けど、それには一体どれだけの時間がかかるのか、正直分からない。
僕は心の中で溜め息をついた。
「マスター…短い間でしたが…ありがとうございました…」
「あ、ああ。こちらこそ。元気でやれよ」
記録が更新された。
サーヴァントが、召喚初日に僕の元から離れていく連続日数の記録だ。
これいつまで続くんだろう。一生続くのかな。
「マスター…あなたは…少なくとも…暴君では無かった…」
「いや、これだけ短い間にサーヴァントを苦しめる方が難しいだろ」
「そうですね…」
シェヘラザードは、儚げに笑った。
僕の見た限りでは、それは召喚されてから初めての笑顔だった。