シェヘラザードが言った。
「では、マスター。
私の物に、なって下さい…」
「え?」
彼女は拳を握り締める。
エレちゃんから靄のような物が飛び出し、シェヘラザードの手に集まる。
エレちゃんは頭を抱えてベッドに倒れ込んだ。
「どう言う事だ? と言うか、やめろ。今すぐに」
「そんな事を言われると…困ってしまいます…」
「クソ!」
僕は椅子から立ち上がり、ベッドに腰掛けるシェヘラザードに掴み掛かった。
彼女は虫を払うかのように、右手で軽く僕を払う。それだけで僕は吹き飛ばされ、箪笥にぶつかった。
こいつ多分筋力Eだよな…ウソだろ…。
いや。僕のレベルが低いだけか。
「何でこんな事するんだ!」
シェヘラザードは、それに答えず窓の外を見た。
それで気が付いた。シェヘラザードの手には、靄の筋が4つある。そしてそのうち3つは、窓の外まで伸びているのだ。
他の3人のサーヴァントだろうか。
尋常じゃない強さだ。今までのどのサーヴァントも、能力を遠い場所に使う事は出来ないようだった。
それとも、彼女は僕の絶望感に由来するサーヴァントであるからして、僕の希望の具現である他のサーヴァントの位置が分かるのか。
「諦める…ものですか…」
エレちゃんが槍を杖のようにつきながら、フラフラとした足取りで立ち上がる。
「潔く諦めて下さい。かつての貴女のようにです」
シェヘラザードが、エレちゃんの首を片手で絞めあげる。
エレちゃんは掠れる声で小さく言った。
「友…達…でしょ…」
「私は貴女の敵ですよ?」
エレちゃんは恨むような怯えるような視線をシェヘラザードに向け、そして霧となって消えた。
エレちゃんが、僕の中に還って来るのが分かった。
孤独を恐れる感情が、心に溢れる。
シェヘラザードが、再び窓の外を見て、そして呟いた。
「求めたのは 次の夜
そして また 次の夜
これは 私の言の葉が紡いだ
終わりなき 願いの 物語」
何だ? 何かの詩だろうか?
「
宝具だ。今のは宝具の詠唱だったのだ。
気がつくと、辺り一面が太陽の燦々と照り付ける砂漠であった。
そこには、僕とシェヘラザードの2人しか居なかった。他には一切何も無かった。見渡す限りの不毛な大地だ。
「ランプの魔人さん」
彼女が言葉を発すると、僕の背後に何か大きな何かが現れ、その影は僕を包み込んだ。
振り返ると、宙に浮かんだ青い肌の巨人がいた。彼は笑っており、口からは白い歯が覗いていた。
「私とマスターを、この白い靄の方向に運んで行ってくれませんか」
「承知致しました」
ランプの魔人は返事をするや否や僕とシェヘラザードを両腕に抱え込み、シェヘラザードの示す方向へ向かって一直線に飛んだ。
靄の道しるべの先には、サーヴァントがいるはずだ。
エレシュキガル相手にそうしたように、他のサーヴァントも殺すのだろう。
心の中がゆっくりと絶望に侵食されていくのを、僕は感じ取った。
※※※※※
ランプの魔人が、僕とシェヘラザードを砂丘の中腹に下ろす。
しかし、辺りにサーヴァントの姿は見えない。霊体化しているのだろうか。
シェヘラザードは、いつの間にか巻物を手に持っていた。そして、その巻物を胸の中に仕舞う。
巻物が消えたのを合図にランプの魔人が消え、世界が元の色彩を取り戻した。
涼しさと、影と、騒音と匂いが返って来た。
そこは道路の真ん中だった。
幸いにもその道路を走ってくる車は無く、僕は急いでその場を離れた。
車の一台も入っていない有料駐車場に辿り着く。
僕は改めて辺りを見回すが、やはりサーヴァントの姿はない。
シェヘラザードは相変わらず靄を手に纏っていたが、そのうちの一本の糸の位置が、グルグルと急速に移動していた。
「少し待ちましょう。1人で私を相手にする気は無いようですから」
「ここは、どこなんだ」
「さあ? 日本の首都圏であるのは確実ですが…」
「つまり、えっちゃんに会いに来た訳じゃ無いんだな」
「その方が良かったですか?」
「お前を倒せる奴なら誰でも良い」
「ふふ。確かにすぐ近くにも反応は有りましたが、彼女と私の相性は少し悪いようでして。
ですのでこちらを優先したのですよ」
シェヘラザードは笑った。
「なぜこんな事をするんだ。何が目的なんだ」
「マスター。
マスターに私の味を知っていただくためです」
「お前の望みは何なんだ」
「マスターの手を引いて、共に大いなる希望に向かうことです」
どう言うことだ。まるでキアラみたいな事を言うじゃないか。
だが、キアラに掛けられた言葉とは違って、それを聞いて僕が感じたのは、心の底からの恐怖だった。
「お前は何を言っているんだ…」
「来たようですね」
彼女は首を動かして、視線を別の方向にやった。
その先に、ブレエリが華麗に着地を決めていた。
「子犬! 助けに来たわよ!!」
「あ、ありがとう。大丈夫か」
「ええ。頭痛が酷くても頑張る、それが勇者なんだから!」
シェヘラザードはブレエリを注視している。
僕は急いでシェヘラザードから離れた。
彼女が動く様子はない。
シェヘラザードとの間に距離を取ると、僕と彼女との間に水着マルタが実体化した。
マルタは既にファイティングポーズだ。
「マスター、離れていて」
「水着なんだな今日は」
「服は霊体化できないし」
「無理するなよ」
「…保証はしかねるわ」
僕は更に距離を取った。
シェヘラザード1人を、水着マルタとブレエリが挟み撃ちにしているような格好だ。
「ねえ、マルタ。仲直りしない?
と言うかアンタ、やっぱり私の仲間になりなさいよ」
「は? 何で私がアンタなんかと…」
「だって明らかに、アイツの方がラスボスって感じじゃない。
絶望とか虚無とか、そう言う属性を押し出して来るのはラスボスだって相場が決まってるでしょ」
「…」
「ねぇ、何とか言ったらどうなの!?」
「分かった。アイツをぶっ飛ばしたら…説教してあげるから」
マジか。2人が仲直りした。奇跡だ。
「ふむ、覚悟はよろしいようですね…」
その時、僕の服が後ろから軽く引っ張られた。
振り返ると、ピンク色のパジャマを着た少女が立っていた。刑部姫だ。
「お前、消えたはずじゃ…」
「マスターちゃん、何で屋外で召喚したの? 私の理想郷はどこ?」
「え、あ、今は非常事態なんだ。ごめん、でも助けて欲しいんだ」
「…分かった」
僕はシェヘラザードを見た。彼女もこちらを見た。
「新しいサーヴァントですか…」
シェヘラザードが左手を揺らす。
すると、刑部姫の全身から白い靄が飛び出し、勢いよくシェヘラザードの方へ向かった。
「ひぎゃぁァァあぁァあああ…!?
現実が! 世 界 の 重 さ が!!」
女子キャラクターが出してはいけない絶叫だ。
僕は飛び上がって驚いた。
「一撃で決めるわよ!」
「ええ!」
「
「星のように…!
「ちょ…ま…反そ…」
ガシャァァァァン!!!
雷でも落ちたのかと思われるほどの大音量が、辺りに響いた。
いや、実際に大きな竜が落ちて来て、そこに水着マルタとブレエリが突っ込んだのである。
宝具の重ね打ちだ。ちゃんと当たったのだろうか。大技は外れたりガードされたりすると痛い。
いや、2人の事だ、勝機があると思ったからこそ突っ込んだのだろう。
僕は傍の刑部姫を見た。もう靄は吸収されていなかったが、彼女は地面に横たわり、時おり魚のようにピクピクと痙攣していた。
シェヘラザードも、刑部姫にあそこまで能力が効くとは思わなかったのだろう。大層驚いたに違いない。彼女達はその隙を突いたのだ。
「すまん、刑部姫」
「…たしには…となんて…」
「ゆっくり休め。お前は勝ち目を作ったんだ」
僕は泣きそうになりながら、シェヘラザード達の方を見た。
マルタの召喚した竜は、既に消えていた。
シェヘラザードは徒手空拳で水着マルタとキャットファイトを繰り広げており、ブレエリは現れては消えていく幻影達と戦っている。
3人ともボロボロだ。
「おい…もしかしてアイツ、例のアイドル勇者じゃ無いか」
「人が出たり消えたりしてる」
「お、俺もそう見える。見間違えじゃ、無いんだな」
僕は周囲を見回した。
野次馬達が集まって来ている。近くの家々の窓からは、身を乗り出してこちらを見ている人もいた。
ブレエリが幻影を大きく切り裂く。幻影の召喚されない間隙が生まれた。
ブレエリは、剣を天に掲げて言った。
「みんな、私達に力を貸して!
真紅の勇者の伝説が、ここから始まるわ。
勇者とそのパーティは、絶望なんかに負けたりしない!!」
僕は、軽く全力疾走した時のような脱力感に襲われた。他の野次馬達も同じようだ。
ブレエリと水着マルタ、そして僕の隣の刑部姫が、眩い光に包まれる。
「求めたのは 次の夜
そして また 次の夜
これは 私の言の葉が紡いだ
終わりなき 願いの 物語
世界が、見渡す限り一面の砂漠となった。
ブレエリがシェヘラザードを斬りつけた。彼女の右手から、噴水のように血が吹き出す。
マルタが背後に回り、大きく溜めてからアッパーを放った。
シェヘラザードが吹き飛び、ゴムボールのように二回ほど弾んでから止まった。
「…ランプの魔人さん」
マルタが距離を詰めようとするが、宙に浮いた青い巨人が盾のように行く手を阻んだ。
現実での召喚と違って彼は威嚇するように大きく笑っており、また召喚されてから数秒で消える事も無かった。
「あの勇者と聖女を倒しなさい」
「承知致しました」
巨人は、了承の言葉を言い終わった時には既に、その筋骨隆々の大腕を振りかぶっていた。
マルタが咄嗟に顔をガードする。
巨人が彼女にその両腕を叩きつけた。辺りに砂埃が舞い、マルタと彼は見えなくなった。
次の瞬間、ブレエリの背後に、大きく腕を振りかぶった巨人が現れた。
ブレエリが盾を構える暇もなく、巨人の両腕が彼女に叩き付けられる。マルタの時と同じように、ブレエリと彼は砂埃の中に見えなくなった。
そして彼はすぐに、シェヘラザードの隣に現れた。
「ランプの魔人さん…」
彼は腕を組み、期待するような目で彼女を見ている。
「すみません…」
シェヘラザードが左手に巻き物を具現化すると、その巻き物はスルスルと巻き上がった。
彼女が胸の奥にその巻き物を仕舞う。
青い巨人が消え、砂漠が消える。
世界に現実が戻って来た。
※※※※※
「お、おいお前今急に現れなかったか!?」
結界が消失すると、隣にいた男が早口にまくし立てて来た。
「え、ええ。この女の子の転移に巻き込まれたようです」
「本当だ。おい君! 大丈夫か! しっかりしろ!」
「3人居たんだな…」
「いや4人だ。あそこにもう1人立ってる!」
僕達が砂漠に連れ去られていた間に、野次馬達は駐車場を実地調査していたようだ。
僕の周囲だけではなく、シェヘラザードや水着マルタ、ブレエリの周囲にも人が集まって来ていた。
ボロボロのシェヘラザードが近付いてくる。
その右手は千切れ、髪は半分焦げている。歩き方もぎこちなかった。
しかし、その左手だけは変わらず、大量の靄を集めていた。
「マスター。私の勝ちです」
「マスター??」
「誰に向かって言ってるんだ?」
おいこっち来んなよ。
僕は周囲の人に同化するため、キョロキョロと辺りを見回して呟いた。
「マスターって言えばfgoの…近くにこいつのマスターが居るのか」
刑部姫を介抱していた男が、呆れたように僕を見た。
「その説は原作者が否定してるぞ」
「そ、そうか…じゃあ違うのか…」
シェヘラザードが更に近付いてくる。
彼女は、怒ったような悲しんだような表情をしていた。彼女は、僕と僕の隣…地面に倒れた刑部姫を睨んでいた。
「あなたは、自身がマスターであることを否定するのですか。
マスター。世界は過酷です。
目を逸らす事は許されません」
シェヘラザードは刑部姫を見て、左手を握りしめようとした。
だがその時、刑部姫が震えながら上体を起こした。そしてシェヘラザードに指を突き付け、叫んだ。
「…目を逸らしたって良いじゃない!
だって過酷なんでしょ!」
シェヘラザードの身体から、靄のような物が刑部姫の指先に流れる。
シェヘラザードは身を強張らせ、左手を握りしめた。刑部姫の身体から、靄のような物がシェヘラザードに流れ込んだ。
シェヘラザードが青い顔をして刑部姫を睨む。
小男が現れ、彼は刑部姫を介抱していた男を蹴り飛ばした。
そして流れるように刑部姫に馬乗りになり、手に持つナイフを彼女の心臓に突き立てた。
小男が消える。
刑部姫も霧となって消えた。
倦怠感が、僕の全身を襲った。
…そうだ。この感覚だ。
僕は口を開いた。
「シェヘラザード。お前の事はもう、考えたくもない。消えろ」
「我が王よ。令呪をお使い下さい」
僕は息を飲んだ。
シェヘラザードは、安心したような笑みを浮かべていた。とても美しかった。
「令呪をもって命じる…」
「…でも…いや…やっぱり…死にたくは…」
「シェヘラザードよ、僕の中に還るんだ」
シェヘラザードは、霧となって消えた。
彼女を構成する全てが、僕の中に還って来た。
絶望感が、僕を包み込んだ。
※※※※※
色々なショックで僕が茫然自失としていると、後ろから服の袖が引っ張られた。
また刑部姫か?
期待を込めて振り返ると、そこにはえっちゃんが立っていた。珍しく顔色が悪かった。
「マスターさん。遅れてしまったようですね。すみません」
「そうだな。でも、来てくれてありがとう」
えっちゃんは2つの人集りを見た。
「あの人集りは」
「水着マルタとブレエリが倒れているはずだ」
「なるほど…」
えっちゃんは少し考えこんで、言った。
「マスターさんは、サイフ持ってますか?」
「ああ。PASMOがある」
「じゃあ、それで家に帰って下さい。私は彼女達を起こしてから、一緒に霊体化して家に帰ります。
ここは人目が多過ぎます」
「そうだな、分かった」
「帰る途中で板チョコを3枚買っておいて下さい。私と、マルタさんと、エリザベートさんの分です」
「…分かった」
パトカーと救急車のサイレンの音が近付いてくる。
僕は面倒を避けるために、野次馬の中に紛れてフラフラとその場を離れるのだった。