…冷たい。いや、寒い。
僕は肩にかかる風を感じて目を覚ました。
首を動かして横を見るまでも無かった。僕のベッドに、誰かが潜り込んでいるのだ。このベッドの沈み方と体の右側から感じる氷のような冷ややかさ。
間違いない。サーヴァントだろう。
えっちゃんに水着マルタ。次は誰だ。反英雄で無ければ良いのだが。
しかし普通の英霊が、こんな常識外れの体温をしているはずがない。と言うか、冷たいサーヴァントなんて居たっけか?
僕は覚悟を決めて横を見た。
一柱の女神が、すやすやと寝息を立てていた。
シミ一つ無い白い肌。そして光り輝く黄金の髪。
余りにも白い肌は血の通った生物のそれとは思えなかったが、その寝顔は余りに神々しくて、僕はしばらく彼女に見惚れてしまった。
女神エレシュキガル。
第七特異点にて、人類史を崩壊させようとした女神だ。そしてその後に改心し、人類史を救った女神でもある。
当初は敵としてすら登場しなかったが、あまりの人気に1年ほど後に実装された経歴を持つ。第七章のメインヒロインたるイシュタルに迫る勢いだったはずだ。
僕が色々と考えているうちに、彼女は目を覚ましたようだった。布団を半分引っぺがした形になっていたから、しょうがないかも知れない。
「もうちょっと寝かせて…」
「あ、ああ。そうだな。ちゃんと眠っておけ」
「…え? いや、え!?
い、今のやり直し。やり直しを要求するのだわ!」
エレちゃんは頬を赤く染めて、ガバっと飛び起きた。そしてベッドから急いで抜け出す。
髪が乱れるが、彼女が頭をブルりと振るとその乱れは完璧に収まった。飛び起きたはずなのに服の乱れも無い。凄い。
「えー、こほん。
冥界の女主人、エレシュキガル。召喚に応じ参上しました。
呼ばれたからには助けてあげる。これからよろしくね?」
「こちらこそよろしくお願いします」
僕が名乗って手を差し出すと、彼女も笑って握手してくれた。
サーヴァントとの初握手。その手は冷たかったが、僕にはそんな事どうでも良かった。
彼女も僕の手が暖かい事など、どうでも良いようだった。
※※※※※
「なるほどね…。分かるわマスター。
私もね、冥界でずっと1人で、とても寂しかったのよ」
「そうなんだ。それは、僕なんかよりよほど辛かっただろうね」
「そんな事ないわ。寂しさを感じる心は、私もあなたも一緒なはずよ。
ねえ、マスター。あなたさえ良ければって事なんだけど、その、一緒に居させてくれないかしら?」
僕は唾を飲み込んだ。僕の念願が叶おうとしているのだ。
相手は死者だが、美少女である事に変わりは無い。その美少女の方から親しくなってくれと頼み込まれているのだ。
中学高校と勉強一色で過ごし、大学に入っても女性に縁の無かった僕に、その頼みを断る事など出来るはずも無かった。
「ああ。僕なんかで良ければ」
「マスター、ありがとう」
「え、エレちゃん…?」
エレちゃんが僕の背中に手を回し、そのまま抱きついて来た。
彼女の顔が僕の肩に当たり、彼女の胸が僕の胸に当たった。
人間とは思えない冷たさをしていたが、その体は柔らかかった。これが女性の体というものか。
これは、もしかすると、もしかするのではないか。
水着マルタの時は誤解だった。けど、これは、本当に誘われていると見て良いんじゃないか!?
いや待て。エレシュキガルは冥界の女神。生者とは結ばれないとか言う設定が有ってもおかしくない。
愛してるわ
→僕も愛してる
→じゃあ死んで♪
とか言う超展開が有ってもおかしくない。冷静になるんだ。
エレちゃんが、僕の肩に頬ずりしながら言った。
「マスター、あなたって大学生なのよね」
「ああ、そうだよ」
「私も大学に通いたいわ」
「それは…」
僕は口籠った。
大学は、通いたいと言ってすぐに通える場所ではない。入試に通る必要がある。僕の通う大学の入試は難しい。
いや、僕と時間を共有すると言うだけの意味なら通うことも出来るが、それでは退屈ではなかろうか。
「無理を言ったみたいね。ごめんなさい。人がたくさん居るって場所に、行ってみたかったのよ」
「そうか。じゃあ、来るか?」
「良いの?」
「授業中は静かにしてるんだよ」
「ええ、大丈夫。分かってるわ」
彼女は僕から離れ、笑って言うのだった。
※※※※※
ピンポーン
玄関のチャイムが鳴った。
エレちゃんが帰って来たのだろうか。
呼び出しに対応しようとする親を制し、僕は急いで玄関に向かった。
そう。エレちゃんも結局は、召喚されたサーヴァントが初日から別行動すると言う今までの法則に、外れる事は無いのだった。
僕はエレちゃんと一緒に、三限から大学に行った。
授業が終わった後、僕は当然、彼女も一緒に家に帰る物だとばかり思っていた。
しかし、エレちゃんはその余りの可愛さに注目を浴び、男子学生3人のグループに誘われて、そちらに付いて行ったのだった。
僕は当然止めたが、彼女は聞かなかった。僕1人よりも3人と遊ぶ方が楽しいと言う事らしい。
玄関のドアを開けると、エレちゃんではなく謎のヒロインXオルタが立っていた。
「こんばんは、マスターさん。失礼しますね」
「あ、ちょっと待って。今親が居るんだ。
別の日に来れない?」
「霊体化してマスターさんの部屋に行きます。それなら良いですよね。うるさくしませんから」
僕は頷いた。
えっちゃんは僕の手にスマホと板チョコを押し付け、霊体化して二階の僕の部屋に向かった。
僕も自分の部屋に向かった。
「スマホ買ったんだね」
「ええ、そうです。マスターさんと連絡先を交換したかったのがまず一つ。それと言いたい事が有りまして」
「何?」
「先に連絡先の交換を済ませましょう」
連絡先を交換した。
そしてその後、えっちゃんが板チョコを半分割ってこちらに差し出して来たので、有難く頂いた。
「マスターさん、新しいサーヴァントを召喚しましたね?」
「あ、ああ」
「誰ですか」
「エレシュキガル」
えっちゃんは渋面を作った。
「知らないかな? NP50%チャージ持ちの全体宝具ランサーの1人だよ。宝具後に味方全体の攻撃力を上昇させるんだけど」
「いえ、知ってます。けど、彼女の召喚された理由が分からなくて」
「理由? サーヴァントの召喚には理由が必要なの?」
「…今言った事は忘れて下さい」
えっちゃんは考え込んだ。
「エレシュキガルが召喚されて、まず最初にやった事は何ですか」
「え、それは、僕の布団に潜り込むことかな?」
「潜り込まれただけですか」
「それ以上は何も無かったけど…」
「なるほど」
えっちゃんは薄く笑った。板チョコを歯でパキリと割り、そのまま飲み込む。
なんかデスノートのLみたいなんですけど。
「えっちゃんって凄く考え込むけど、本当にバーサーカー?」
「私は文系のバーサーカーですから。頭を使うサーヴァントなんですよ」
頭を使うサーヴァントならキャスターじゃないのか? 良く分からん。
「マスターさん。マスターさんの用いる英霊召喚システムには、欠点が有ります」
「欠点?」
「はい。かなりざっくり言うと、反英霊や精神に変調を来たした英霊しか召喚されません」
「はあ!? ちょ、そんなこと聞いてないんですけど?」
「やはりそうでしたか…」
えっちゃんは板チョコを齧った。ウサギみたいだ。
「マスターさんは、自分の用いる英霊召喚システムについて、詳しく理解していませんね?」
「あ、ああ。どうすれば英霊が召喚出来るかも分からない」
「つまり、英霊を召喚しないようにする方法も分からない」
「その通りです…」
僕はうなだれるしか無かった。
もし反英霊や狂化した英霊が無尽蔵に召喚されるなら、かなり大きな事件になるだろう。
いや待て。水着マルタもエレシュキガルも、狂化のスキルは無かったはずだ。
やり取りした感じ、水着マルタは兎も角エレちゃんには狂化が新規に付与されているようでも無かった。
どう言うことだ?
「英霊の召喚を止められないなら、令呪を使えるようになる必要がありますね」
「どうすれば使えるようになるの?」
「自制心です。自制心を強く持てば使えるようになります」
「自制心??」
なぜここで自制心が関係してくる。僕に自重の心が無いとでも言うのか。
…いや、確かに無いかも知れないが、それを腹ペコ王の眷属に言われるのは納得が行かない。
お前僕より自制心無いだろう。
「あるいは、既に召喚されているサーヴァントを強化するかですね」
「そんな事できるの」
「そのサーヴァントの望みを叶えてあげれば、成長するはずです」
なるほど。聖杯を捧げてレベル上限を上げろと言う事か。
聖杯とかどこにあるんだよ…。
「えっちゃんの望みは」
「甘い物が食べたいです」
えっちゃんはそう言って、残りの板チョコを口の中に放り込んだ。
いや、甘い物食べたいってそれお前の趣味だろうが。
「僕の分も食べる?」
「私がわざわざチョコを持って来たのは、マスターさんに食べさせるためなんですよ」
えっちゃんは泣きそうな顔をした。
仕方無いので少し口に入れると、彼女の表情も少し和らいだ。
「後はそうですね、エレシュキガルは手元に置いておいた方が良いと思います。
強力な反英霊が召喚された時でも、時間稼ぎくらいにはなるかと。
布団に潜り込むくらいですし、彼女も拒否しないと思いますよ」
「いや、家出中。ナンパ男に付いて行って、それから帰って来てないんだけど」
えっちゃんは固まった。
「なるほど。
もし彼女が帰ってきたなら、その時は優しく接してあげて下さい」
「なんかエレシュキガルには優しいね。水着マルタとは睨み合ってたのに」
「まあ、戦略上の事で色々とあるんですよ。それに、多分彼女はそこまで強くないと思いますし」
えっちゃんは立ち上がった。
そしてお別れの言葉を言うと、窓を開けてベランダから外に飛び出して行った。