「手が生えた…」
間違いない。ちゃんと指先の感覚もあり、今まで通りに動かせる。
あの甘い団子を食べた後、失われたはずの右手が復活したのだ。全身の痛みや疲労感、そして空腹感も、ついでのように全て無くなっていた。
僕は黒いパーカーの少女を見た。ベッドと本棚と壁をボロボロにしながら、キアラと戦っている少女だ。
黒いパーカーに、切断面を炭化させる赤い熱剣。そしてあのアルトリア顔。
彼女は謎のヒロインXオルタだろう。
今食べたのは彼女のスキルで生成された回復アイテム、インフィニティ黒あんこか。
単なる一アイテムにここまでの力が有るとは知らなかったが、LV一桁の敵のHPは、確か1000とか2000とかその程度だった。
僕のHPもその程度なら、そして彼女の黒あんこのスキルレベルが高ければ、確かに身体の一部が生えて来てもおかしくはない。
「ねぇ、マスター。私のこと、分かる?」
「やっと言葉が通じたね。
僕は、君の記憶を失っているらしいよ」
エレシュキガルは絶望的な表情になった。
僕はベッドの方に視線を移す。そろそろ決着だ。
ベッドの上では、Xオルタにキアラが馬乗りになっていた。キアラはXオルタの首を両手で締めている。
「終わったね。彼女には家を弁償して貰いたいけど、どうするかな」
「そんな…!」
僕はエレシュキガルを見た。彼女は叫んだ。
「私を脅しても無駄よ…!
私は友達思いのサーヴァントなんだから!
私は死んでも仲間を裏切らない!
例えそれが、マスターの命令でもね!!」
「うふふ。あはははは。
そうですね、虫は2匹も要りません。
マスター、その虫を成仏させてあげてはどうですか」
「待て…時間をくれ…」
ヒロインXオルタが、掠れ声で言った。
「時間? 何の時間稼ぎですか?」
「マスターを、説得したい…」
「あははは! あははは!!
うふふ、ふふふ、ふふふふふ…おかしくって笑いが止まりません。
良いでしょう、笑わせて頂いたお礼に、説得なりなんなり、どうぞ行なって下さいな」
キアラは言葉を言い終わる前に、腹を抑えて笑い転げていた。
まあ仕方無い。僕の心は彼女の物だ。
黒あんこを食べさせられた時にはヒヤリとしたが、杞憂だったし。
彼女達が僕とキアラを引き離すには、もうキアラを殺すしか無い。しかし、それもXオルタがボロボロになった今となっては無理だろう。
いや、マルタやブレエリが来たら逆転もあるか?
エレシュキガルは無傷だ。彼女はキアラの力を弱められる。
いくら僕が真名を知っているとは言え、令呪を唱えるよりサーヴァントの一撃の方が速いのは経験済みだ。
「キアラ。時間の無駄だ。
万一がある。直ぐに殺した方が良い」
「まあまあ貴方様。ここは虫の鳴き声を鑑賞するのも一興です。
ふふふふふ…どれだけ笑わせてくれることやら。想像しただけで絶頂してしまいそう」
そう言って、キアラは僕の隣にやって来て腰を下ろす。
そして、両手で僕の顔を優しく挟んだ。フワリとした快感が顔を熱くした。
「マスター…。
後でいっぱい蕩けさせて差し上げますから」
彼女は微笑んだ。
その魔性の笑みに、僕は自然と言葉を発していた。
「分かったよ。キアラ。僕の愛しい人」
「うふふふふ。ふふふははは。あははは…」
彼女の喜びように、僕は恥ずかしくなった。
なんでこんな所で愛の告白なんかしてるんだ。他のサーヴァントが見てるのに。
「残りは2騎だ。水着マルタと、エリザベート・バートリー・ブレイブ」
「思い出したのですか?」
「ああ。インフィニティ黒あんこを食べたんだ。でも大丈夫だよ。キアラを思う気持ちは変わらない」
キアラは少し考え、箪笥に付着していた黒あんこを掬い取ってそれを口に運んだ。
舌を使って指の汚れを残さず舐め取る様は、とても蠱惑的だった。
「なるほど。謎のヒロインXオルタさんですね。
本家本元の暴食女王なら、勝負は分からなかったのですけれど。ふふ。砂糖菓子への欲求だけでは。
…さて。説得とやらは思い付きましたか?」
Xオルタは唾を飲み込んだ。
「マスターさん。人は性行為だけじゃ生きて行けません。性行為をするためには、食べる必要があります。
全ての欲望がバランスよく満たされる事こそ重要です。
このままだとマスターさんは、身を滅ぼします」
「僕は、キアラと交わるためなら命を捨てても構わないよ」
「彼女のために尽くすのは良いでしょう。しかし命を捨てるのは違います」
僕は頭を振った。
「Xオルタ、お前だって自分の欲望のために、色んな物を犠牲にしているだろう。
人は皆そうだ。何かの欲望のために他の何かを我慢する。
僕の場合は、キアラのために他の全てを犠牲にする。それだけのことだ」
「死んだらそれで終わりなんですよ。それこそサーヴァントにでもならない限りは」
「長生きしたいと言うのも欲望じゃないのか。僕はキアラのために死ねるなら本望だ」
Xオルタは唇を噛んだ。
「エレシュキガルさん。私では無理でした。次は貴女が説得して下さい」
「え? 説得!? …分かったのだわ」
エレシュキガルの方を見ると、彼女は俯きながら話し出した。
「マスター、その、寂しくないの?」
「寂しくないよ。僕はキアラが居ればそれで良い」
「でも、私達サーヴァントは、ほとんどあなたの感情で出来ているのよ。
オ、オ、オナニーしてるような物なのだわ! マスターのそれは、相手のいない虚しい行為よ。
本当に寂しくないの?」
僕は言葉に詰まった。頭が真っ白になった。
その時、Xオルタが叫んだ。
「今です! エレシュキガルさん!
懲らしめておやりなさい!!」
「え? あ、はい! マスターごめんなさい!」
は?
エレシュキガルはそう言うと、左拳を握り締めた。
すると他ならぬ僕の全身から、何か白い靄のような物が抜け出て行くのが分かった。
その靄はエレシュキガルの左手の周囲に集まり、直ぐに大きな綿菓子のようになった。
色んな欲望が戻って来るのが分かった。
甘い物を食べたい欲。
正義を貫きたい欲。
仲間を求める欲。
成功したい欲。
怠けたい欲。
そして、その他大小様々な欲望が、今や僕の心の中で蠢いていた。
冷静になった頭でキアラを睨んだ。
目を通して性欲が僕の中に入り込み、そして僕の体を通り抜けてエレシュキガルの方に吸われて行った。
これは不味い。僕は目を瞑った。
キアラに触れられているところから性欲が流れ込んでいる事に気が付き、僕はキアラの腕を振り解こうとした。
「…
えっちゃんの声が響く。
僕の右肩から先が切断された。
激痛に耐えつつキアラを蹴って、彼女から距離を取る。
僕は叫んだ。
「令呪をもって命じる…!
殺生院キアラよ、僕の中に還るんだ!!」
数秒後、僕の中にキアラの全てが帰って来たのが分かった。
それからすぐに、性欲の吸収が止まる。
目を開けると、エレちゃんが泣いて喜び、えっちゃんが黒あんこを僕に差し出しているのが目に入った。
「ごめん。それと、ありがとう」
「マスターの大バカものー!」
「まあ、これも甘味の前の運動と言うやつです」
僕はえっちゃんの黒だんごを口に入れた。
余りの甘さと腕が急速に再生していく気持ち悪さから、僕は青くなって意識を手放すのだった。