上手くできていれば良いのですが
ドンッ!と地面が響くような大きな音を立てて、小さな体が吹き飛ばされる。吹き飛ばされながらも着地の体勢を整え様としたものの、勢いが強すぎたために足が地面に触れたと同時に弾き飛ばされ、体勢が崩れた。
そしてそのまま地面をゴロゴロと転がり、勢いが若干弱まってきた所で四つん這いの体勢になりながら体全体でブレーキを掛けた。少しの間プロテクターを付けた手足がズザザーと地面をこすったが、何とか勢いは収まり、止まった。そのまますぐに立ち上がって体についた土埃などを払い、自分が先程吹き飛ばされた地点まで走って行った。
「…すみません先生、体勢を崩した時に加減を間違えてしまいました。もっと弱く、細く放出するイメージでやるべきでした」
吹き飛ばされていた人物…烏墨彩人は少し離れたところにある防護ガラスに覆われた部屋にいる戦大教授と識深教授に話しかけた。その独特の震えた声色には先ほど吹き飛ばされた影響を感じさせず、寧ろ申し訳なさそうな感情が読み取れた。
『彩人君が謝る必要はない。それよりも体は大丈夫か?何か少しでも違和感があったら言ってくれ』
『ああ、戦大教授の言う通りだ。寧ろ此方が謝らければならないよ。黒のインクを使い始めてから今まで殆ど、失敗といえるような失敗が起こっていなかった。それもあって私たちも油断していた。やはり黒のみ何年も使っていなかったことが影響しているのかもしれない。次からはもっと慎重に行こう』
「分かりました。次からはもっと気を付けてやります」
防護ガラスで覆われた部屋「分析室」にて戦大教授と識深教授はマイク越しであるが、彩人に心配と励ましの言葉を投げかけた。そして彩人の様子に特に怪我などの心配がないと分かった事で、彩人に訓練の続きを促した。促された彩人はすぐに先程の訓練「黒のインクによる空中制御」に取り掛かった。
落ちても転んでも大丈夫な様に設置された緩衝材のマットの上に乗り、掌・足の裏・大きな二本の触腕からそれぞれに黒のインクを少しずつ、少しずつと放出し、徐々にゆっくりと出力を強くしていく。
一度の放出量を多くする程放出している部分に掛かる力が強くなる。その掛かる力に対抗する様に更に体に力を込めていく。
暫くこの行動を続けていく内に彩人の身体が浮き上がって来た。同時に身体に掛かる力に自分の体重が加わった事で不安定になり、バランスをとるのが難しくなった。
それでも彩人は放出している部分の位置を微調整する事でバランスを整える。
そしてそのままバランスを取りながらゆっくりと移動を開始する。前後左右斜めは勿論、旋回行動、上下への下降と上昇など、様々な方向へ動いていく。
先程吹き飛んでいた時はバランスを崩した拍子に出力を誤ってしまったが、今回は上手くいっているようだ。
そんな傍目にも楽しそうに飛んでいる彩人の様子を見ながらも戦大教授と識深教授は、先程の失敗した時の映像をモニターでスロー再生しながら分析していた。
「矢張り咄嗟に黒のインクの出力を変更するのは難しいようだな」
「ああ、他の色のインクならば手・足・触腕どちらかだけでも問題なく今の訓練と同じことが出来る様になったが、あの色だけは難易度が違う。恐らく、私が最初に『個性』の検査をした当初であれば既にこの訓練はマスター出来ただろう。だが今は容量だけでなくインク自体の性能も何倍にも膨れ上がっている。
短時間で何度もインクの全放出からの即時補充が出来るという利点が今回ばかりは悪い方向に傾いたらしい」
「それについては私も驚いた。『個性』の限界突破を何度も繰り返せば『個性』そのものが成長する、あの子の場合は身体能力とインク容量、インクの質が向上されていくのだったか。
しかし、今まででここまで短時間のインターバルで限界突破を繰り返せる個性は初めて見た。だからこそ何年も使うことはなく、しかし性能だけはどこまでも上がっていったツケがここにきてここに来て響いたのだろうな」
二人の教授は難題に当たってしまったと頭を悩ませた。ただでさえ扱いが難しい黒のインク、何年も前から黒のインクに変更する事自体はしてきたが、訓練が解禁された数か月前まで放出することは一度もなかった。少なくともインクの出力コントロール等を一定以上までに身に着けていないと使うのは危険であると判断されたからだった。
黒のインクの性質は、体外に放出した瞬間揮発し、爆発的に膨張するというもの。それが使われずに性能…黒の場合は膨張率の増大であるが、成長した結果それが何倍にもなっていた。
他の色と違い、たった少しの量でも体が吹き飛ばされる程の衝撃波が発生するまでになっているものをいきなり制御しろというほうが無理な話である。今まで以上に繊細な制御が必要とされている為に苦戦していた。
現在は最も繊細にインクの放出を行える部位を使っての訓練を行っている。先程の様に吹き飛ばされにくくする為に自分の体重の数倍はあるの重量のプロテクターを着けながら下に向かって放出し、少しでも長く空中に留まる事で、黒のインクの熟練度とより繊細なコントロールを身に着けるという訓練である。
「だが、たった数か月で飛行…いや、まだ浮遊か?まあともかくあそこまで出来る様になったんだ。あの調子ならいずれトップヒーロー達でも翻弄される程の高機動戦闘が出来るんじゃないか?」
識深教授は失敗はしているものの彩人の驚異的な成長速度に期待しているようだ。自分たちの教え子がトップヒーロー達にいずれ届き得るのではないかと。
「まだ可能性があるというだけだ。それはこれからのあの子がどれだけ努力し、どこまで辿り着けるかにかかってる。まあ、実際才能がある上私たちが指導するんだ。最低でも並みのヒーロー以上にはなってもらわないとな」
対して戦大教授の言葉は少々厳しいものだった。しかし、期待していないわけではないらしく。識深教授の発言を聞き少し口角の端が上がっていた。
そうして彩人の個性制御訓練は続いていった。
「やはり彩人さんの『個性』の制御はまだまだ大変ですのね」
「そうだね。でも頑張れば頑張る程出来る事が増えてくるのが僕自身も楽しくてしょうがないんだ。…それにこの『個性』だったおかげで先生達に出会えてこうして指導してもらえるんだから寧ろ感謝してるよ」
訓練が終わった次の日、この日は訓練は休みだったので学校が終わった後に八百万宅にて八百万百と二人で勉強をしていた。以前は学校で他の友人たちと勉強会を開いていたのだが、二人にとっては物足りないものであったため、自分たちのペースで勉強したいときは自然とお互いの家にて二人で教えあう時間となっていた。
二人はお互いに医療系、科学系の教本を持ちながらそれぞれの解釈した内容を話し合っていた。
その折に先日の彩人の訓練の話題から、お互いの『個性』の話題に移った。
「そう言うなら百さんの『個性』も大変だよ。物凄く強い個性だけど色んな論文や本も読まなきゃならないし、相当な努力が必要だよね」
「ええ、そうですわね。でも私は勉強が好きですから苦になんて思いませんわ。それに、好きなことをすればするほど強くなる個性なんて凄く素敵ですわ」
内容はお互い、相手の『個性』が如何に苦労する『個性』かを言い合っている。しかし、両者とも自分の『個性』で苦労していると思っていないらしい。
「と言うことはお互いに合った、良い『個性』ってことだね」
「ええ、そうですわね」
お互いの話に納得したのだろう。ははは、フフフっと笑い合った。
「そう言えば、百のクラスの友達の女子から今度一緒に勉強会しようと誘われてたんだけど」
「………え?」
しかし、彩人が思い出したように発した言葉で、場の空気が変わった。今まで微笑んでいた百の表情が固まってしまった。
「ど、どういう事ですの!?」
百が叫ぶように身を乗り出した。同時にポニーテールが揺れる。その表情には焦っているような、続きを聞きたくないとでも言いたそうであった。
「え、いや最近クラスが別れてからあまり話してもなかったし、久しぶりに皆で勉強しようっていうお誘いだったんだけど」
百の豹変振りに彩人は驚いた。特に何も意識せずただ単に一緒に勉強しながら話をしようと思っていただけだったからだ。まさかそこまで驚く事だと思っていなかったのもあり尚更驚いた。
「私は彩人さんが参加するなんて聞いておりませんでしたわ!」
「多分言い忘れただけじゃないかな?それよりどうしたの百さん。何か僕が参加しちゃ不味いことでも有った?
そこまで慌てる百さんも珍しいけど、何かあるなら相談に乗るよ?」
百はショックから立ち直れていないらしい。まだ取り乱している様に見える。この百の反応に彩人は心配になってきた。ここまでショックを受けるほどの何かが百の身に起こったのではないかと思ったのだ。
「…そう言うことではありませんの。彩人さん、本当に勉強会に参加するだけなのですか?他に何かしたりなどは致しませんか?」
「へ…?えっと、それが何かをやらかすっていう意味ならしないけど…。と言うか僕、そんなことを今までした記憶が殆ど無いんだけど…?」
百の言ってることで何を心配しているのか分からなかった彩人はますます混乱した。今は別のクラスと言えども以前のクラスでは、一緒に遊んだ事もある自分の友人の一人である。ならば一体何を心配しているのか。
ーー彩人の周りには女子が多すぎる。
ーー一番の親友である自分を蔑ろにしているのではないか?
最近の百の思考の中ではこのような考えがあった。
別に彩人自身にそのような意識は無いし、蔑ろにしているつもりもなかった。寧ろ、友人の中では百に対して一番多く接しているし、親や先生等を除いて最も心を許している親友だと思っている。
ただ、男子を含めた友人が増えてきたことで百に接する時間が減っていたのも確かだ。
ーー最近の彩人は、他の女子達に対して距離が近すぎる。
一年生のころから彩人は百を含めた女子と一緒に居ることが多かった。それに見た目が女の子らしく、基本的に落ち着いた態度を取っているので、周りの女子達とは仲が良かった。但し、それは男としてではなく女子として見られていた為、距離感が男子と女子ではなく女子同士としてのものになっている。
ーー誰か他の女子に彩人を取られてしまうのではないか?
百はこれを一番に危惧しており、同時に恐怖していた。
百は彩人の事が好きだ。これが恋愛なのかは百自身は理解出来ていない。しかし、小さな頃から一緒に遊び、学び、競いあってきた事で、百にとって彩人は家族の次に大事な人になっていた。
それが最近自分と一緒に居る時間が減ってきている。その事を発端に焦るようになっていた。
「その…すみません。言葉ではうまく説明できなくて、私自身も良く分かっていませんの。ただ分かる事は…彩人さんが離れてしまう気がして居ても立ってもいられなかったんですの…」
百が何とか絞り出した、先程の彩人の言葉に対する返答は、話の流れからすると何とも要領を得ないものであった。
「………」
その百の言葉を聞いた彩人は考え込んだ。お互いが黙った事で部屋全体が静まり返る。しばらくの間、静寂に支配された事でどの様な返答が来るか不安になった百が話し掛けようとした時、彩人が行動に移した。
「え…?」
彩人がとった行動は百の右手を握ると言うものだった。両手で百の手を包む様に握り、真剣な表情で百に向き合った。
「僕は百さんが今、どう思っているのかは分からない。
でも一つだけ答えられることは、僕は百さんから離れないってことだよ。
だって僕にとっての百さんは、初めての親友で…大切な人だから」
「彩人さん…!」
突然の、告白ともとれる彩人の台詞に顔が真っ赤になり、感極まった百は彩人に包まれた右手を左手で握り返した。そしてそのまま彩人の顔をじっと見つめた。目は今にも涙が零れそうな程潤んでいる。
この日の出来事から月日が経つにつれ、百の彩人に対する感情が親愛から別のなにかに徐々に傾いていくようになった。
因みに彩人は額面通り最近一緒に居ることが少なくなったのが寂しかったのだと思っており、それ以外の考えはこの時一切浮かんでいなかった。
この日彩人が発言した言葉が百にどう受け取られたのか、百がどんな気持ちで言葉にしていたのかを知るのは、何年も後になってからのことである。
読了有り難う御座います。