A long day、 Nishimura Fleet 作:石狩晴海
本作には設定の独自解釈が数多く含まれます。
また作中に書かれる各艦艇の背景記述には、作劇優先の演出がされています。
詳細な情報をお求めの方は、是非ご自身の手で彼女たちの艦歴を紐解いてみてください。
深夜の時間帯。
薄暗い部屋の中で、卓上のランプだけが光源だった。それでありながら、古めかしい油式の照明は油口を限界まで絞られおり、座っている人間の輪郭を辛うじて知ることが出来る程度だ。
頼りない骨董品の代わりに、窓の外から赤い警戒灯火が入って、流れて、去って行った。
港に据え付けられている回転灯は、部屋の主の許可も得ずに室内の光量的沈黙を蹂躙してゆく。
暴者の照射で部屋の天井には蛍光灯が設置されていることが解った。この暗さは部屋の主が望んだものだったのだ。
卓上には硯と小筆。そして厚紙の白札一枚。
もう一度回転灯が流れ去るのを待ってから、薄暗闇の中で部屋の主が筆と札を手に取る。
盲目の環境でありながら、筆先に迷いは無かった。
最上淵
時雨に満潮
折れ扶桑
山城
無手の礫湾
一度卓上に筆と札を置き、詩を反芻してみる。
自己評価でさえ、最悪。
盛り込みたい単語に引きずられたひどい作品だ。
情緒が無い。流れがあやふやで情景が思い起こせない。結論有りきで作られている。
脳内で批判を反響させながら、じっと座す。
墨が乾いた頃合いを見計らって、もう一度札を手に取る。
詩を返すと裏面にもう一首自らの返歌を詠み置く。
息を潜め無言で筆を走らせる。
表裏の二首を詠み終えてなお、頭の中の自己批判が止まらない。
今度は詩に対しての罵詈ではなく、己が所業への
自分は総責任者で在りながら、この程度のことしか出来ない。
才覚を
得意分野から一歩離れただけで、この様だ。
先程届いた報告を聞く一時間前に戻りたいとは言わない。だが、あの時の決断が五分だけ早ければ、こんな事態に陥ることはなかったはずだ。
いや、違う。
たられば、もしはず。評価にこれらは使用厳禁。最初期に学んだろうと自戒する。
歯噛みしながら明日の日付と自分の名前を書き込み、表返した方にはあの日付と彼の中将の名を拝借させてもらう。
詩と筆を置き起立した。姿勢を正して、記名に敬礼。
「前文は了承しかねますが、御命令は遂行致します。ですから閣下、どうか……」
『彼女』たちにご加護を。
悪夢の海峡を越え、明日の湾港に至る
◇*◇
西村艦隊の長い一日
◇*◇
「ちょ、ちょっと待ってください!」
航空巡洋艦最上型一番艦『最上』は、思わず叫び声を上げてしまった。
赤茶の水兵服と同色のキュロット。短く切った髪をしたのんびり屋の彼女だが、今回ばかりは叫ばずにいられなかった。
朝の訓練を終えた後に、艦隊司令の執務室に呼び出された。ここで僚艦を指定され作戦指示を受ける。いつもの演習か出撃任務と思っていた。
今、同室に並んでいる艦娘は『扶桑』と『山城』の戦艦姉妹。それに駆逐艦の『満潮』と『時雨』。どうみても全滅した西村艦隊の再編成である。
彼女たちと並んでいると、最上の中にある”アノ記憶”が強烈な炎熱をもって訴えてきた。
この選定はいけない。この作戦はダメだ。
更に任務内容が追い打ちをかけてくる。
「ボクたちだけでスリガオ海峡の
艦編成も作戦場所も、史実において西村艦隊が全滅した作戦に似ている。あの惨劇から生き残ったのは時雨ただ一人だけ。こんな死亡フラグだらけの作戦には賛成できない。
まだ青年といった感じの艦隊司令は執務室兼司令室のデスクに座り、部下である艦娘からの激しい抗議に微塵も動じなかった。淡々と作戦概要の続きを口にする。
「海峡だけではなく、レイテ湾内にも深海棲艦は出現している。これも殲滅対象に含む」
「目標が多いって。5人だけだと戦力が足りないよ」
「他の戦艦を主軸にした水上打撃艦隊を同じ作戦の援護に付ける。十分に突破可能な戦力だ。疑問を挟む隙は無い。旗艦は山城、お前だ」
航空巡洋艦の進言を軽くいなした提督は、何事もないように作戦責任者の指名する。
それでも最上は諦めることなく抵抗を続けた。
「さらにダメじゃないか! 思いっきりあの時と同じになってるよ!」
レイテ湾突入作戦は、同時突入するはずだった栗田艦隊と同調できずに終わったのも失敗の理由だ。この作戦に援護艦隊を付けても、運良く加勢できるとは思えない。それなのに旗艦まで同じにされては、沈んで来いと言われているようなものだ。
「せめてこっちの艦隊に、誰か対空警戒と哨戒機を載せられる空母を付けて。ボクだけじゃ対応しきれないよ」
贅沢を言うなら一航戦の『赤城』か『加賀』に制空権を支えて欲しいが、そうは言ってられない。少数の水上艦載機しか扱えない自分だけでは不安が残るという情けない理由だが、状況を良くしようと必死に訴える。
焦る最上の横で満潮が皮肉げに笑った。
「南雲機動部隊なら昨晩の作戦で損傷して、朝から修繕ドックを占領しているわ。一番傷が浅い飛龍でも起きるのは今日の夕方からでしょ。いつものことながら、ミッドウェーを完全再現していないことは褒めないとね」
「あぁぁーーー……」
状況を理解した最上は膝から崩れ落ちた。
正規空母の赤城たちが倒れているということは、最後の砦である五航戦姉妹や他の軽空母たちが代わりに出ているということだ。彼女たちにも頼ることができない。
自分たちの不幸は、最悪な場所に極悪なタイミングで穢れの濃い深海棲艦が現れてしまったことだ。
司令官としては、艦娘たちの艤装を即時復元させる高速修復材で一航戦と二航戦を叩き起すまでもなく、代替え戦力で対応可能と判断したのだろう。
通常なら問題ないが、控えを戦力として投入するのは比島攻略での旧海軍も同じだ。選ばれた艦娘もばっちり同じ。これはまずい。
見方によっては、五航戦の瑞鶴を中心にした即席空母部隊が囮役担っているという状況にまで一致する。
なにもそんなとこまで歴史を再現しなくていいじゃないか!
最上は叫びだしそうになるのを必死に飲み込む。
これらはあくまでも当て付けで、レイテ突入の記憶を持つ最上が気を回し過ぎなだけと言われても仕方が無い。
それぐらい解っている。でも焦燥が心の中から溢れ出そうだった。砲塔や燃焼缶が爆発した『陸奥』や『島風』もこんな気持ちだったのかとも思った。
「追加が無理なら、旗艦は山城さんじゃなくて扶桑さんにして! お願い」
必死に懇願する。二番艦である『山城』の方が司令部機能が充実しているのはわかる。現実でも、あの時の旗艦は『山城』だった。だからこそ、少しでも史実と
白い士官服の艦隊司令は、黙したまま動かない。
「提督は本当にこの作戦をするつもりなの! ボクたちが歴史に引きずられるのは……」
執務卓に詰め寄ろうとした最上を白い腕が遮る。烏の濡れ羽色をした長髪に変形巫女装束の扶桑が、白熱し煙を吹き上げる僚艦を止めた。
「あなたらしくないわよ。落ち着きなさい」
彼女と並び立つ妹の山城が一歩前に出た。迷いの無い動作で司令官に敬礼し、作戦内容を復唱する。
「了解しました。これより 当
山城の発言に最上はぎょっとした。提督からの指示には艦隊呼称まで決められていなかったからだ。それなのに山城は全滅した艦隊名を引き継いだ。
なによりも恐ろしいのは、非常に尾を引く性格の彼女がこういった方向の話題に自分から触れたことだ。
最上は山城の表情をそっと覗き込む。作戦旗艦の顔は硬いままだったが、腹の中にある機関部はどれだけ非常加熱しているのか、表側からは計りきれなかった。
◆*◆
艦娘たちで再現された西村艦隊の面々は、司令室を出てから足早に整備用の船渠ロッカーに向かう。
最上は手早く艤装の装着と最終点検をして港に出た。
「折角の新装備お披露目が、スリガオ海峡突破戦になろうとは思わなかったよ」
複雑な気分で港から滑り出ると、港の堤防先に山のような砲塔を背負った山城が待ち受けていた。山城は姉に似て長身だが、そんな彼女よりも砲塔群の方が大きい。何度見ても圧巻の大型艤装だった。
本作戦の旗艦を務める山城に、最上はそっと近づき問いかけた。
「今日の作戦だけど、本当にこれでいいの?」
歴史再現への明確な対策がなされないまま作戦を遂行することへの確認だったが、山城が不満顔で罵ったのは別件だった。
「新参の大佐風情が我が物顔で連合艦隊を指揮しているのよ。どこかのお坊ちゃまが将官任命前の点数稼ぎをしているんでしょ。それだけの後援を持っている相手に、こんな小さな作戦でいちいち反抗していても無駄よ……」
「それは言い過ぎだよ」
俯く山城に最上は苦笑いした。司令官にも、過小評価している自分たちにも言い過ぎだ。
しかし少し前の自分も似たような、そして真逆の考え違いをしていたので山城の言葉を完全に否定出来なかった。
確かにあの若い艦隊司令には謎が多い。
彼が鎮守府へやってきた時、階級はまだ少佐だった。
その後あっという間に昇進して、今では将官昇格の打診も受けていると重巡洋艦『青葉』が言っていた。
従軍記者気取りの青葉が発信源なので眉に唾を塗る話だが、自分たちの司令官が短期間に驚くほどの出世をしているのは現実の出来事だ。
司令官に対する最上の感想は、最初と現在で違いがある。
着任した時は、自分たちの纏め役に軍司令部から送られたにしては上等すぎる人だと感じた。
なにしろ150人にも満たない艦娘鎮守府である。現実の駆逐艦の乗組員ですら、ここより頭数が多いぐらいだ。駆逐艦娘たちを旧軍規律に当て嵌め四人一組で換算すれば、所属人数はもっと少なくなる。
責任者に佐官を迎えるなんて大袈裟過ぎる。良くて大尉。順当に考えて中尉か少尉で事足りる組織だ。
しかし、やってきた上司が提督と呼ばれるまでにスピード出世したことで、考えを改めさせられた。
正確には、彼の価値と一緒に自分たちの有り方も変えさせられた。
最初の感想での間違いは、自分たちの存在を過小評価していたことだ。
最上たちは、旧帝国海軍の艦艇の記憶と能力を引き継ぐ艦娘である。つまり鎮守府にいる一人ひとりを軍艦艇と考えた場合、必要となる司令官の裁量が大幅に上昇する。
100隻を超える軍属艦艇の指揮なんて、一人の人間が部屋一つで取り仕切るものではない。幕僚を据えて参謀職を務めさせ、運営作戦会議で方針を決めるレベルだ。
そこで最上は思い直した。
自分たちは旧帝国海軍の再現でもあるのだ。その指揮官が将官になるのは当然の帰結。ある意味山城の指摘は正しい。海軍連合艦隊の総司令が大佐風情に務まるはずがない。
実際には、彼の階級の方が異常に低くされていた。そう考えれば快速出世も納得できる。
そして司令本部から艦娘艦隊司令の価値を逆転させる出来事に心当たりがある。
他でもない自分たちの存在と戦果である。
おそらくきっかけは艦娘機構の確立させ、正体不明な深海棲艦に明確なカウンターを行ったことだろう。
最近増えてきた訳の分からない海洋災害を鎮静方向に変換させた立役者であるわけだから。
最上は苦笑を止めて左腕の新装備を見る。
「やり手ではあると思うけどね」
そんな航空巡洋艦娘を、山城がぐるりと首を回して見据えた。
「こちらとしては、あなたの艤装が変わっている方が気になるのだけど。司令室でも自分だけでは制空権確保がどうとか言っていたけど、もしかしてそれで艦載機運用を……」
「あー、うん。ちょっと前に司令官が持ってきたんだ」
山城が指差す最上の左腕には、機械式の航空甲板が盾のように下げられていた。
艦娘たちの艦載機運用には弓矢式や陰陽術式などがあるが、機械仕掛けの飛行甲板は一番新しい形式である。
最初は水上機母艦の千歳千代田姉妹から開発試作運用が始まった。この頃は鋼材で枠組みを作る無骨で嵩張る箱型ものだった。その後、徐々に動作の安定化と小型化が進められてゆく。
機械式の特徴は、艦娘の技量や適正に左右されずに運用できる汎用性と稼働率だ。弓矢式に必要な鍛錬や、陰陽術式に必要な高い適応性を必要としない。
機械式と術式の間に、こんな小話がある。建造中の仕様変更と数奇な改装歴に翻弄された軽空母『龍驤』の話だ。
彼女が艦娘になった時、その来歴が面白い形で現れた。初期には千歳たちと同じ機械式の大箱型甲板が装備される予定だったが、術式への適正が見出されて式神型の艦載機運用に変えられた。
もし軽量の装備で済ませられる陰陽術式型への適正がなかったら、あの小さい身体でロッカーほどの甲板を持ち運ぶ試練を背負わなければならなかっただろう。それこそ元の『龍驤』と同じく、不釣り合いな大きさの艦載機格納庫に押し潰されそうになりながら……。
そんな経緯もあり、機械式の小型化は重要課題として扱われた。
最上が使っている機械式甲板は、先に膂力のある伊勢と日向に試験運用された大盾型との融合発展系である。箱型と同じく重く大きな盾型甲板だったが、工廠の努力により最上の腕一つでも運用できる程度にまで小さく纏められていた。まだまだ船体の小さな軽巡クラスには荷が重い大きさだが随分な進歩だ。
この技術開発成功で、最上型全四隻は全て重巡洋艦から航空巡洋艦への艦種変更されることが決定した。最上にとっては勲章にも似た大切な装備である。
次は補助動力を組み込んだサブフロータータイプの手持ち甲板が最終系として計画されていて、最上型三番艦『鈴谷』と四番艦『熊野』に搭載される予定だ。水母改造姉妹千歳たちが装備する大箱型への先祖返り的な能力を持つ。
同じく独立浮場できるフロータータイプは、緊急時に一旦甲板を足元の海上に置いて艦娘と分離運用できる優れもの。重たい飛行甲板の扱い方が増えるので、戦術の幅が広がる。
今回の作戦で最上が慌てた理由の一つに、自分たちの提督はこうした先見的な装備を積極的に取り入れる人物だと思っていたことがある。
最上に甲板を渡してくれた時の彼は、温故知新がこれからの鍵だと言っていた。
新たな力を得るのに過去を否定してはいけない。現実には中途半端に終わった艦載機能力付与だが、艦娘たちなら使い道があるはずだと。
面白い考えをする人だと思った。
だが今回の出撃任務は、重たい過去に縛られた内容だ。満足に対策すらしていない。つい先程まで自分たちの艦隊司令は頼りになると思っていたのに、正直に言って提督の考えがよくわからない。
そしてこの回想が自爆であることを悟る。
「そういえば、伊勢たちも改造後に同じ様な艤装を持っていたわね……」
扶桑型二番艦の瞳が水準の病みを抱えていた。肩越しから横向きに降りけるような姿勢で、最上を見下ろす。
瞳孔が波打っているのは錯覚だと思いたいが、あれ物理的に歪んでる? 怖っ!
扶桑姉妹は改扶桑型とも言われる伊勢型戦艦二人への確執を抱えている。伊勢と日向が扶桑型の欠陥部分を再設計して建造されたためだ。
そして先の通り、伊勢型航空戦艦の航空甲板は最上が装備するものの先達だ。
羨む山城が注目するのも頷ける。
うーん、ここはどうやって切り抜けようかな。
背中が汗ばむのを感じながら、頭の中で言い訳を高速検索する。
しかし航空巡洋艦が迷いを晴らす前に、他の所属艦艇も港出口に集まってきた。
朝潮型三番艦の『満潮』が山城に食って掛かる。ブラウスに緑色のリボンタイを結び、サスペンダースカートをはいている。女の子らしく長い髪を頭後ろ横でシニョン2つに束ねた駆逐艦だ。
「ちょっと、そんな大きな身体で狭い場所を塞がないでよ。邪魔でしょ」
彼女は幼い外見の割に口調が荒い。行動も活発で、戦艦の二人にも物怖じしない。満潮が山城の巨大艤装をぐいぐいと押して除けようとする。
悲しいかな駆逐艦の出力では効果はいまいちで、港口は遅々として開かなかった。
自分を押しのけようとする駆逐艦を鬱陶しがる山城に、後追の扶桑が声を掛ける。
「ほら、退いてあげて」
「姉さまがおっしゃるなら……」
言われて山城が軽く一歩動いた。
彼女を押していた満潮は、力の向け先がなくなりつんのめって多々良を踏んだ。港口の海面を足裏の船底が叩き
不恰好をさせられた満潮が戦艦姉妹を睨むが、彼女たちは早足でやってくる最後の僚艦へ目を向けていた。
黒い髪を三つ編みにして肩に垂らす白露型二番艦『時雨』が到着して、頭を下げた。
「遅れてごめん。艤装のことで、提督から少し説明があったんだ」
戦艦姉妹が時雨を見つめるのには、理由がある。
時雨の艤装が他の白露型と違う形をしていたからだ。
通常駆逐艦は、砲塔や魚雷管などを両手や足に携える形をしている。特型以外の者は、吹雪型由来の背嚢式機関部が省略されている場合もある。その中でも白露型は比較的軽装な部類のはずだ。
だが時雨のそれは箱型の筐体を背負って、肩越しに砲身を伸ばしていた。白露型の制服である濃紺の水夫服が改造されていないだけに、時雨の異様はよく目立った。
最上も目を丸くしてしまった。
時雨の形は、まるで小型化した戦艦のようだ。もっと言うなら砲塔を背負う扶桑姉妹を駆逐艦サイズで真似たみたいだった。
艦娘たちの装備は、基本的に同型艦で共通している。個別に艤装形状の変更が許されるのはごく少数だ。仮に変更があったとしても、史実において何かしらの要因があるはずである。自分とは違う飛行甲板が渡させる鈴谷と熊野も、現実には最上と同じ改装を受けていないという理由があるからだ。
特に同型艦の数が多い駆逐艦での単独改装は珍しい。例外は、艦娘随一の強運を誇る陽炎型八番艦だけ。
そこまで考えて思い出す。戦中の『時雨』は、一時期とはいえあの『雪風』と並び称された武勲艦だ。これは嘗ての武功を賞する意味なのだろうか。
自分の背中が注目されていることを察した時雨は軽く胸を反らした。
「どう? カッコいいでしょ」
最初に目を背けたのは同じ駆逐艦の満潮だった。
「どうせアタシは特別な武功を持ってないわよ」
「そんなことを言わないで。艤装変更は別に意味があってのことだよ」
飄々とした態度の時雨に、さすがの満潮も口を噤んだ。
全員が揃ったことを見て最上は旗艦に声を掛ける。ご機嫌伺いも兼ねて雰囲気を変えたかったからだ。
「それじゃ山城さん。旗艦号令をお願いします」
本作戦の旗艦は最上をもう一度睨むように見たが、航空巡洋艦が暗に視線を時雨の背中へ誘導させる。
山城は武勲駆逐艦を見て、もう一度最上を見て、進行方向に向き直してくれた。
時雨の艤装変更が提督からの命令なら最上も同様と判断してくれたようだ。変に拗れずに終わって少し安堵する。
作戦旗艦の山城が出航合図の警笛を鳴らす。
「西村艦隊、出撃します! 作戦目標、レイテ湾の浄化!!」
満潮と時雨の肩に前触れもなく手旗信号を振る小人が出てくる。艦娘たちの乗組員役を務める妖精たちの一人だ。どこからやってきて、どうやって生きているのかわからない彼女たちだが、艦隊司令からの説明では家霊や付模神の部類だそうだ。素直に船霊の一種だろうと最上は思っている。
水夫妖精たちは非常にデフォルメが効いた等身で、短い腕でありながら的確な出航合図を発信した。
西村艦隊は事前に示されていた布陣を組んで出航する。
露払いは駆逐艦の二人に任せ、扶桑型姉妹が続き、最上を殿にした2ー2ー1の変形複縦陣。5人は巨体から加速が鈍い戦艦の歩調に合わせて滑りだす。
全艦が港を抜けて更に加速というところで、時雨が満潮に話しを振り出した。
「そうそう、満潮に提督からの贈り物があるんだ」
言って時雨が取り出したのは手のひらに収まる程度の小箱である。駆逐艦たちには見慣れた箱で、『遠征』で集める小銭入れだ。
「なによいきなり。アタシがこんなありふれたもので喜ぶと思わているのかしら」
「いやいや。形は貯金箱でも、中にはとてもびっくりする装備が入っているそうだよ」
「そんなのあるわけないじゃない。アタシを持ち上げて楽しもうっていうの。なんて最悪な性格の司令官なのよ。信じるあなたも同じよ。生憎とそんな素直さと愛想をアタシは持ち合わせて無いわ」
「そう言わないで取っておきなよ。珍しいものなのは確かだからさ」
尖り口で卑下する仲間にも時雨はにこやかに笑って返す。満潮の手を強引に取り、小箱を載せた。
「僕も同じものをもらったんだ。悪いものじゃないから安心して。そうだね。雨が止んで欲しい時に開けてみるといいよ」
満潮の感情を察せずにやりたいことを押し通した時雨が艦隊の前に出る。
困惑顔の満潮は、ひとまず手を塞ぐ小箱をスカートのポケットに入れて時雨に続いた。
二人のやり取りを見ていた最上は、なんとも言えない気持ちになった。山城は仏頂面で、扶桑は穏やかに二人のやり取りを眺めていた。
自虐が強く剣呑な態度の満潮だが、時雨の気取った言葉遣いが苦手にようだ。
まして同じく西村艦隊に所属していながら、沈んだ様子を見せない時雨に戸惑っているようでもある。
駆逐艦『時雨』は西村艦隊唯一の生存艦だが、『満潮』もまた最後の一艦という立場を負っていた。
過去の記録によれば、レイテ突入作戦の前時期に『満潮』は辛い孤独を味わっている。
満潮が修理のために一時離隊した時、僚艦であり姉妹艦の集まりだった駆逐隊が全滅した。朝潮型姉妹艦で編成されていた第八駆逐隊で『満潮』だけが取り残されてしまったのだ。その後第八駆逐隊は解散し、満潮は第二十四駆逐隊に編入される。
悲しいことに転属先の第二十四駆逐隊も満潮を残して多数が戦没し、やがて解散。
流れ流されて辿り着いた西村艦隊の第四駆逐隊には同型艦の妹たちもいたが、心の傷を癒す間もなくレイテ突入に参加。西村艦隊に所属していたという事実から、彼女らの最後は察して欲しい。
満潮の強い自虐思考は、姉妹たちの最後に関われなかった後悔が裏返ったものなのだろう。あの時一緒にいられたら姉妹たちを救えたのではと悔み、今の自分が他者から助太刀されることに否定的な態度を表す。
それだけに満潮は、時雨にどのように接すればいいのか測りかねていた。
時雨はスリガオ海峡夜戦での生還だけで、あの『八番目の死神』に比肩する武名を得たわけではない。『時雨』はレイテ沖海戦より先に行われた数々の海戦で勲功を上げた歴戦の駆逐艦である。特にブーゲンビル島沖海戦に置いては、ただ一隻無傷で帰還した幸運艦としても名高い。
それだけにスリガオ海峡夜戦での大惨敗は、時雨にとっても悔いが残る記憶のはずだ。地獄の海峡包囲網から生還できたといっても、海戦に勝利したわけではない。沈まずに済んだ、生き残ったというだけでしかないのだから。
いくら幸運の駆逐艦とはいえ、戦況を覆すだけの力を持ち得ない。どれだけ武勇を重ねようと、状況によっては容赦なく負ける。あの『雪風』すら負け知らずなのではない。彼女が『大和』の随艦であることを忘れてはならない。
これから行う作戦は『佐世保の時雨』にとって、そういう苦い黒星だ。
それなのに、満潮の横で遠くを眺めながら自分の世界に浸っている僚艦は暗さを感じさせない。
孤独と地獄を知っている満潮は、自分より更に酷い落差を味わいながらも背筋を伸ばす白露型二番艦を、羨めばいいのか、縋ればいいのか、突き放せばいいのか、引き込めばいいのか。考えがまとまらないのだろう。
最後尾から改めて僚艦を見渡した最上は、頭が重くなるのを自覚した。
(思い返せば思い出すだけ、なんてネガティブに傾いた艦隊なんだ……)
特に今回は自分だって例外ではない。
スリガオ海峡夜戦では自分も戦没しているのだ。戦闘中の損傷から操舵不備に陥った上で退避中に僚艦と激突している。いつにも増して衝突禁止を戒めにしないと。
どうか作戦が無事に終わりますように。
虚しいと知っていても、祈らずにはいられなかった。
作戦海域までの航海は順調に進んだ。
本来なら片道だけで数日掛かる距離にある比律賓諸島だが、艦娘たちは航海距離そのものを縮めることが出来る。一度昼休憩を挟んで、ヒトヨンマルマルには現着していた。
内心、最上は首を傾げた。
地球ってこんなに小さかったっけ……?
改めて自分たちの能力が飛び抜けていることを教えられる。
戦闘を目的にしているからピクニック気分とは行かないが、この力のおかげで艦娘たちは外海での作戦活動が容易だった。神出鬼没の深海棲艦に対抗するのにお誂え向きだ。
これってテレポートなんじゃないのかな?
疑問に思った最上が術式に詳しい商船改造組に聞いたところ、この力の源泉は古代中国から伝わる由緒正しい移動方法とのこと。軽空母の『飛鷹』は民営書簡の解説書まで開いて詳しく教えてくれた。
結局は自分の足で移動しなければならないので、瞬間移動とは認定されないらしい。
艦娘ならば全員扱えるが、あくまで巡航展開用の能力であり、最速の駆逐艦『島風』のように速力、機動力、回避能力が高くなっているわけではない。なにより利用できる場所があらかじめ決められている。
『これは私達の根底と深く結びついた力なのよ。他に転用するには手間が掛かり過ぎるから、悪用はされにくいでしょうけどね』
それに戦場に向かうだけの力じゃないことが救いよ。
鎮守府では、各所と提携して様々な『遠征』活動をしている。そして長距離高速航海能力は『遠征』を支える重要な能力だ。
艦娘たちの作戦活動には色々と先立つものが必要で、首脳部から配給される資材だけでは見積もりが甘く心許なかった。新参で外縁に近い立場の自分たちは、自力で稼ぐことを強いられていたのだ。
そこで注目されたのが、ちょっとした遠出にも艦娘なら即座に現場に向かうことが出来る能力だ。これは重大な売り込み要素になる。
着任直後の司令官は人脈の限りを尽くして外部と連絡を取り、艦娘を派遣する『遠征』を立案、実行してきた。
初期は失敗も多く苦労の連続だったそうだが、現在は収支の目安が立てやすくなり、計画的に出撃が出来るまでになっている。
最近は相手側から営業される依頼も増えてきて、艦娘の中には個別指定される者もではじめた。指名が多い艦娘は鎮守府でもちょっとしたアイドル扱いである。本来の趣旨とは外れた外貨の稼ぎ頭としてではあるが……。
(そういう方向にも需要が高い第六駆逐隊や、何をさせても最強の第三戦隊は華があっていいよね)
益体も無いことを考える最上を殿にして、西村艦隊は一度諸島の東側をぐるりと廻る。
以前の作戦行動を真似て、南西側からスリガオ海峡を北上してレイテ湾に入る予定だ。
昔は挟撃が画策された作戦だったが、今回同じ航路を利用するのは別の思惑があった。
深海棲艦たちは艦娘たちよりも絶対数が多いが、統制の取れた活動を行うには上位種の存在が欠かせず、大部隊を編成することがあまりに少ない。艦娘たちが総兵力で劣りながらも優勢に戦えているのは、敵個別艦隊が統率なく回遊していて、これらを各個撃破することが可能だからだ。
しかし本作戦は脅威度の高い深海棲艦が多数存在すると予測されている。
いくら司令系統が煩雑な深海棲艦とはいえ、これら湾内にいる無数を一手に相手取っては飽和攻撃される可能性があった。そこで艦隊展開数が制限されるスリガオ海峡を利用した漸減作戦が指示されていた。
予定されている砲撃支援も、レイテ湾からスリガオ海峡に向かって詰まっているところを狙うという。うまく行けば無傷の完全勝利で終了する算段だ。
そして最上たちの前に、運命のスリガオ海峡が姿を表した。
▲*▲
レイテ島南西方スールー海を東に進む艦娘たちの西村艦隊。
その旗艦である山城は、出来るだけ俯いて海面を見るようにしていた。
顔を上げるのが怖くて仕方がなかった。初めて来たはずなのに、周囲はどこも見覚えのある景色をしていた。
錯覚と言うには生ぬるい。痛みにも似た激しい既視感が戦艦『山城』を襲う。
記憶が脳髄を突き上げてくる。胃が縮小し、きつい酸味を咽奥に広がる。手の震えを意識して止められない。
弱気になるな! この程度なんともないはずよ。
瞼を強く閉じて、拳を握りしめ耐える。
だが山城が呪縛に抗おうとすればするだけ、この後に起こる悲劇が脳裏で鮮明さを増してゆく。
あの日、同調予定だった栗田艦隊が展開中に攻撃を受け、所定の日時までに到着できないと知らされた。そこで西村艦隊は日が落ちるのを待って、夜戦にてスリガオ海峡に単独突入することを決定する。
そして西村艦隊を出迎えたのは、圧倒的な戦力差と完璧な待ち伏せだった。
最初は姉の扶桑が魚雷を受け損傷したことから始まる。満潮の援護を受けて立て直そうとするが、尽力叶わず二人は沈没する。
先行していた自分は姉の落伍を知らずに時雨、最上とともに突入を続行。しかし山城も魚雷により航行不能になる。
『本艦を顧みず敵を攻撃すべし』
最後の命令を下して、山城も沈む。
その後、最上も被弾して戦闘不能になる。
こちらの攻撃がどうこうと言う話ではない。一方的な蹂躙だった。
もはや作戦完遂は不可能と判断して撤退を開始。なんとか海峡を出た二人だが、航行能力にダメージを受けていた最上は支援に来た後詰の僚艦と激突してしまい再起不能となる。最後は敵の爆撃を警戒し、急ぎ雷撃処分された。
西村艦隊で残ったのは駆逐艦一隻だけ、白露型二番艦『時雨』のみだ。
戦力差が倍以上どころではない戦闘だ。後世には敗北当然と言われているが、山城には屈辱でしかない。
自分の戦歴には、ただの一度も勝利が飾られていないのだから。
負けるためだけに生まれてきたなんて、認めたくなかった。
だが現実は、非情に冷徹に淡々と、山城にこれから訪れる敗北の恐怖を突きつけてくる。
それもただの黒星ではない。待ち構えているのは命を落とす撃沈だ。
もはや震えは全身に及んでいた。
妹の異変に気づいたのは、やはり姉だった。
「みんな、少し待ってもらえる」
姉の扶桑が一声掛けて、先を往く駆逐艦たちと後ろの最上に取舵で回遊してもらう。
隊列から外れた扶桑は、俯く妹に横付けすると肩に手を添えて慰める。
「今回は色々と云われのある作戦だからかしら、記憶の引力も強いわ。山城、大丈夫?」
「ええ、この程度は慣れたものですから……」
強がってはいるが、船体を細かく振動させる様子はどう見ても大丈夫とは思えない。
「一先ず、気分が落ち着くまで作戦開始は遅らせましょう」
「大丈夫です。いけます」
山城が意地を張って顔を上げると、目の前には厳しい顔をした最愛の姉がいた。
扶桑は無言で妹を見据える。山城の手を取って自分の両手で挟み、祈るように胸に抱いた。双山の谷間を歪ませて震える妹を受け入れる。
「……無理だけはしないで。お願いよ」
「すみません。姉さま」
このまま抱きついて甘えたい願望を塞き止め、暫し佇む。
手に感じる姉の柔らかさと暖かさに身を任せる。二人の鼓動が重なるような一体感に、安心する。このまま一つに溶けてしまいたいと思う。それが私達姉妹の本当の形なのだと言いたい。
だが今は作戦を完遂させて、姉さまに自然と話し掛けるあの嫌味で憎たらしい青二才の鼻を明かしてやらないと。
私が姉さまの行動を知らないとでも思ったか。最近妙に話し込んでいることまで突き止めているんだから。関係が今以上に進展するなら必ず邪魔してやる。この最難関の任務をやり遂げれば、提督だってやり込められる。
怪しい方向に逝きかけた思考を修正して、山城は姉に返事する。
「本当に大丈夫ですから」
震えが収まったことを知らせるために、もう片方の手で姉の手を掴む。
二人で手を握り合い、互いの心を確認する。
「うん。雨降って地固まるってところかな」
突然のセリフに振り返ると、駆逐艦の時雨がいた。戦艦姉妹を見てにこにこと笑っている。
「な、何か用なの?」
姉さまと触れ合っている場面を邪魔する小娘に、山城が威嚇を飛ばす。
「僕から二人に伝えたいことがあるんだ」
しかし空気を読まない時雨は笑い続ける。
「今度こそ、皆一緒で港に帰ろう。絶対だよ」
あまりにも普通な鼓舞に、山城の毒気が抜けた。
「あなたに言われるまでもないわ。姉さまと私、天下の扶桑型戦艦が二隻もいるのよ。作戦が失敗することはありえないわ」
「うん。期待してるよ」
時雨は山城の強がりを素直に受け入れた。
何かが、引っかかった。
山城は戸惑いを覚える。時雨の笑顔が、記憶のどこかを逆立てる。
必死に思い出そうとする。自分の記憶ではない。この感情は『山城』が訴えてきているものだ。
知って、驚く。
戦艦『山城』に、笑顔が関連する上向きな記憶があることに驚愕する。
「山城……」
妹の内心を知ってか、扶桑が名前を呼ぶ。時雨に返事をしろということか。
仕方なしに駆逐艦を見て、一言だけ残した。
「要らない世話よ」
言って、顔を背ける。山城は目標のスリガオ海峡を目指して歩き出す。
でも、ありがとう。
僚艦が信じていくれているというのは心強い。自分だけでは自暴自棄になりがちだが、頼られているのなら、旗艦の責務を果たそうという気力が湧く。
震えの収まった指を握り直し、前を向く。怯えていた景色を目に入れる。
結果は、拍子抜け。
目の前に広がるのは見渡す限りの海原で、レイテ島の南端にあるパナワン島すら見えなかった。
パナワン島と南のミンダナオ島の最短部分が、スリガオ海峡の入口を少しだけ窄めている。両岸の距離は20キロメートル以上あるが、海峡中央を通れば島影なぞ見えはしない。
スリガオ海峡の両岸に挟まれれていた圧迫感は、扶桑型最終改修の象徴である
こんな基本的なことすら忘れて、過去の記憶に怯えていた自分が可笑しかった。
自嘲する山城の行く先には膨れ面の満潮と、催促の手を振る最上がいた。
「ほら、なにをもたもたしているのよ。さっさと作戦を始めるわよ!」
「そろそろ行こう。みんなでやれば、きっと大丈夫だからさ」
姉の扶桑と、時雨も追いかけて来て山城に並ぶ。
確かに私達は西村艦隊だ。それでも何もかもがあの時のままではない。
伝達の時に満潮が言っていたではないか。一航戦二航戦は大破したが健在で、鶴姉妹も五航戦所属のままだ。
これは深海棲艦の浄化であり、決死の奪還作戦ではない。
歴史と現在は別の時流にある。気負うことなんてない。
山城が西村艦隊の面々を見ると、全員が信頼の眼差しで頷き返した。
心を決めた艦隊旗艦は大きく息を吸うと、作戦開始を宣言する。
「これよりレイテ湾への突入を目的として、スリガオ海峡の突破を試みます。総員、戦闘配置!」