A long day、 Nishimura Fleet   作:石狩晴海

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第二話

 最上が左腕を持ち上げる。手持ちの航空甲板を空に晒して構え、薬指で二回、中指で一回引き金を引いた。甲板の内部機構が稼働して、上面に水上航空機瑞雲』がポップアップする。

「索敵を開始するよ」

 最後に人差し指のトリガーを引くと、甲板の射出機によって瑞雲が打ち出された。

 最上は少し腕の向け先を変えると、もう一機の瑞雲も発艦させる。

 小さな点となって空に消えてゆく自分の艦載機を見送りながら、最上は呟く。

「近くに深海棲艦がいるってわかっていながら、これだけしか航空機がないのは怖いなあ」

 駆逐艦の時雨が最上の左後ろ側から通信を入れてきた。

「今回は、相手に空母型がほぼ居ないとしての編成配置でしょ」

 そう思うことにしようと同意しておく。

 北上する西村艦隊は、移動時とは陣形を変えて進む。

 左に山城、右に扶桑。少し後ろの中央に最上を置いて、最後に時雨と満潮。駆逐艦の二人は、戦艦姉妹よりも外に広がって遠方を警戒している。

 2ー1ー2の変形複縦陣。索敵と先制砲撃を重視した形だ。

 昔の記憶に頼るのなら、海峡に入ったところで北西側から敵の水雷部隊が攻撃してくるはずである。当然哨戒も左側に偏らせている。先行水雷部隊の魚雷で損傷する扶桑を東側に布陣させているのも、そのためだ。

 これで昔の様にはいかない。

 西村艦隊は厳重に警戒を重ねて、スリガオ海峡に入っていった。

 周囲を警戒する扶桑が、妹にあることを確認する。

「山城、栗田艦隊との連絡はどう?」

「相変わらず不通です。おそらく栗田艦隊の旗艦はあの主計科所属でしょうから、忘れているのかもしれません。本当に援護する気があるのか不安です……」

 艦隊旗艦は暗い顔で重たい溜息を吐き出した。

 西村艦隊への支援として挟撃する手筈の栗田艦隊には、世界七大戦艦の一角に加えて連合艦隊総旗艦を務める超大型機密艦が所属している。主力戦艦を中心に数多くの艦艇で構成された打撃艦隊。強力無比の砲火力を誇る無敵艦隊だ。彼女たちが援護してくれるのなら心強い。

 問題は、作戦決行が同期できるかどうかだ。彼女たち"援護艦隊"が計画通りの時刻に到着するか。史実と同じか違うのかが気に掛かる。

 最上は昔を思い返して首を傾げた。

 ……あれ、これっておかしくないかな?

 作戦指示の時、提督は『戦艦を主軸にした艦隊が援護する』と言った。本来、西村艦隊こそが別働隊。援護する側だ。

 つまり歴史上の本隊はあちらだが、今は西村艦隊の方が序列の上位に位置している。

 これは史実に添わない要素だ。

 艦娘の源泉は旧帝国海軍の軍艦である。

 再現元からの影響は強く、艦娘の性格や言動にまで影響を及ぼす。その特徴として、モデル元が抱えたエピソードやそれら関連する環境に身を置くと、活動制限や能力の上昇、なにより特異現象が発生する。

 顕著な例は五航戦鶴姉妹の幸運バランサーや、最上型四番艦『熊野』の帰路不到能力などだ。もやは不運不幸の領域を超えた超常現象で、原理は未解明だが確実に影響を及ぼしてくる。

 この影響は、深海棲艦との戦闘でも例外なく発揮される。

 今日の作戦指示を受ける折に最上が強く反発した理由がこれだ。

 勝利した戦闘の再現なら良い。

 大敗した海戦を彷彿とさせる場所に、艦娘で再現構成された艦隊で向かうのは、キングストン弁で無計画注水するのと同じだ。

 なにより艦娘たちが自発的に歴史を再現をしているのではなく、再現させられていることが問題だ。穢艦側が有形無形の迂遠な方法で艦娘たちを誘導しているような気配がある。噂に聞けば、日本以外の海洋国家に所属するフリートガールズたちも同様の対処を迫られているという。

 上記を踏まえると、本作戦の主役を西村艦隊が担うのは強力な対抗措置なのではないか。レイテ沖海戦での主力である栗田艦隊は、損害を多数出しはしたが帰投している。この海戦の主役は”帰ることが出来る”のだ。

(もしかして提督は最初からこのつもりで編成したのかな?)

 悶々と考え込む最上。答えを聞きたいが、相手は遠い海の向こう側にいる。

 悩む航空巡洋艦を余所にして、山城がぐちぐちと続ける。

「だいたい国号の異称は姉さまのものよ。ぽっと出の晴れ着娘が名乗るのは控えるべきではなくて……」

 そんな作戦旗艦を、満潮が一笑に付す。

「よく言うわね。あっちが主計科なら、山城は整備科の配属になるのかしら?」

「ぬわぁんですってぇっ!!」

 一番言われたくないところを直撃されて、山城の両目が釣り上がった。

 隊列逆側の満潮に向かって舵切りしようとする妹を扶桑が宥める。

「落ち着いて……。今は索敵警戒中よ」

「ぐるるるるるるぅぅぅ……」

 諌められた戦艦妹は、獣の唸り声で駆逐艦を威嚇する。

 満潮は怒り狂う超弩級戦艦に怖気づくこともなく、きつい眼差しで睨み返した。

「嫌味言われて切れるぐらいなら、他人の陰口叩くんじゃないわよ! 傷付きたくないなら大人しく穴蔵(ドック)に篭ってなさい」

 揺るがない眼光に山城の方が先に折れた。前に向き直ってなにやら小言を続けている。

「だって、あっちの二人は……」

「自分から目を逸らすような臆病者が人様をどうこう言わない。艦隊間の連絡が滞るのは経験から想定済みでしょ。どうせ深海魚たちが妨害しているんだから、味方への不審よりも周囲への警戒を密にしなさい」

 言うだけあって、いち早く異変に気がついたのは額に手を翳して遠見する満潮だった。

「右舷遠方に不審物があるわ。最上、確認して貰える」

「了解だよ」

 僚艦の観測を聞いて、航空巡洋艦が新たに哨戒機を打ち出す。

 三機目の水上機が東側に消えてゆくのを見守る間もなく、先に出した瑞雲が戻ってきた。

 偵察機は戦艦姉妹の間に着水して、最上まで漂ってくる。水上機からパイロットの妖精が顔を出して、回収を要請してきた。

 水上航空機には名前通り海上に浮くためのフロートが着陸脚の代わりに付いている。こうすることで艦艇が着艦用の甲板を装備していなくとも航空機が運用出来た。省スペースで搭載運用が可能なため、大型の巡洋艦の速力と航行能力を活用して偵察や警戒網構築を素早く行える。クレーン型のカタパルトを持つ古い巡洋艦から続く伝統的な形式。まさに海原が甲板だ。

 欠点は、水上機なので単体での戦闘能力が低いことだ。瑞雲は爆撃機としても使える偵察機だが、対艦載機戦闘は考慮されていない。空中機動には不要な水上用脚の死重量が大きすぎる。

(瑞雲は可愛いけど、使える場所が限られるよね)

 最上は海上に浮かぶ飛行機を頬を緩めながら眺めていたが、あることに気が付き表情を引き締めた。

 この瑞雲は海峡中央側を担当した方だ。つまり先に飛ばした西側担当に帰還できなくなる何かがあったということになる。

 最上は膝を曲げて、海面に浮かぶ自分の艦載機を丁寧に拾い上げた。

「お疲れ様。そう、うん、うん。わかったよ。偵察ありがとうね」

 左腕の航空甲板に瑞雲を収納しながら、操縦士妖精からの報告を聞く。

 最後にぴしっと敬礼した操縦士妖精が姿を消すと、最上は山城に偵察結果を伝える。

「海峡中央に敵影見えず。航路異常無し、だよ」

「報告を受けたわ。……でも、もう一つの偵察機が落とされたということは、西側にいるのは水雷部隊ではないのかしら?」

 わずかに首を傾げる山城。

 索敵が失敗した場合でも、その結果から状況推移は変わってくる。

 敵艦艇を発見できなかっただけと、偵察機が戻って来ないとでは、今後の対応が大きく違う。

 偵察機が事故を起こしていない限りは、未帰還の場所に脅威となる戦力が潜んでいると考えるべきだ。

 当然山城も姉を撃沈させた西側の部隊を警戒していたので、そこまでは想定内だ。しかし、待ち伏せから奇襲を仕掛ける駆逐隊と内火艇に偵察機を落とす力があるとは思えない。

「何から何まで、昔のままとはいかないのね」

 それはそれで喜ばしいことだが、今の自分が記録に縛られすぎていることに嫌気が出てきた。

 山城が自分の意固地さで傷付くより先に、警戒を続けていた満潮が叫んだ。

「偵察機が予定より早く戻ってきたわ! 照明信号発信を確認」

 まだ昼間であなりがら照明での伝達が出されている。よほどの緊急事態なのか。満潮が目を凝らして瑞雲の点滅信号を読み取る。

「……敵艦発見、急速接近中!」

「艦隊、戦闘用意! 最上、爆装機を出しなさい」

 駆逐艦の叫びと重なる速さで、旗艦が号令を上げる。

「りょーかい!」

 もう一度左腕を空に向けて、連続五機の瑞雲を打ち出す。

 爆撃部隊は西村艦隊の上空で旋回して隊列を整えると、偵察機と入れ替わりで東に飛ぶ。

 続けて最上は戻ってきた偵察機に向かって手を振った

「高度と速度落として、そうそう。ゆっくりと、おーけい!」

 自分の真上に来たところで飛び上がり、ダイレクトキャッチ。慣性を無理に崩さないように身体をひねりながら着水して、更に減速回転。一回転して元の向きに直りながら、見事帰還機を受け止めた。

 満潮が心底呆れた顔をする。

「なによそれ。水上機の運用方法を無視しまくってるじゃない」

「いやー。前に演習で隼鷹さんがやってるの見てさ。ボクにも真似出来るかなって思って」

 照れる最上に、今度は時雨がツッコミを入れる。

「あれは陰陽式艦載機だから無理なくできるんだよ。機械式には壊れるリスクが高いよね」

「そうなの? 弓矢式の瑞鶴さんたちもやってたよ。これなら船速落とさずに回収できるから、便利なんだけどなー」

「正規空母たちも緊急時に素手取りするけど、あれらは手の平を飛行甲板に見立ててやるものだって。それに瑞鶴のは、……純粋に本人の努力だよ」

 時雨に言われて手の中の瑞雲を見る。確かにちょっと無理をしたのか、機体と翼が歪んでしまっていた。

 空母への着艦は"制御された墜落"と言われるほど難しい。十分な訓練を受けていないパイロットには任せられない行動だ。”港に接舷してクレーンで艦載機を補充した”経験のある『瑞鶴』は、ならば自分が受け止めてみせると奮起し、先輩空母たちの技を必死になって体得したのだ。

 着艦作業の短縮程度にと気楽に考えていた最上は、反省しながら瑞雲をしまう。

 そういえば今後の正規空母には、弓矢式の艦載機運用にプラスして機械式の飛行甲板を装備させるとも噂されている。工廠では艦載機を安全確実に着艦させる方向に技術開発を進めている。艦載機運用とはそれほどの大事業だ。

 最上は自分一人で浮かれていたことを恥じらいつつも、索敵に出ていたパイロットの報告を聞いて気分を切り替える。

「敵艦隊構成は重巡1、軽巡3、駆逐2。これ単純な水雷部隊じゃないよ」

 言うや、水平線に見えた船影に対して上空の爆撃部隊が動いた。搭載した爆弾を敵艦に向けて投げ落とす。爆炎が上り爆音が鳴る。

 先制爆撃により高速で接近してくる敵性艦の船影が揺れ数が減じたが、無くなりはしなかった。

 山城は手信号(ハンドサイン)で速力上昇を指示しながら状況を分析する。

「こっちの瑞雲は落とされなかった。航空戦力の無い前衛部隊なら、わたしと姉さまで先手を取ったほうがいいのかな……」

 通常の編成セオリーならば、哨戒を任務とする前線部隊に索敵範囲を広げる航空戦力を持たせないなんてありえない。こうしたミスは深海棲艦ならではだ。

 ただし編成ミスは深海棲艦に知性が無いという証拠にはならない。極僅かだが人語を解す上位種は発見されているし、構成の偏りに関しては単純に穢艦側の空母型が希少なだけかもしれないからだ。慢心は禁物である。

(航空戦力が貴重なのは、わたしたちも同じことよね)

 今現在自分が苦慮しているのは、本来なら主力の正規空母たちが寝込んでいる所為でもある。

 さっきの爆撃が航空巡洋艦の最上ではなく正規空母の誰かの手で行われていたのなら、悩むこともなく姉と二人で残存艦艇への砲撃に移れた。それだけの遠距離高火力が正規空母たちにはあるのだ。

 まず警戒すべきは、目の前の艦隊に同航戦で追い立てられ海峡の中場で挟み撃ちされることだ。海峡西側の戦力はまだ詳細不明だが、偵察機未帰還を踏まえて動かなければならない。

 山城は決意する。

 それなら合流される前に叩く。相手側に戦艦種は居ない。ここは火力差に物を言わせて押し切る。

「砲雷撃戦に入るわ。準備して!」

 山城の指示に従い、西村艦隊も敵性艦隊側に舵を切った。発見時から加速していたので、向かい合わせの反航戦にはならない。先行する西村艦隊を追う様にして、深海棲艦たちも進路を塞がれまいと脚を速める。

 このまま敵艦隊の進路を塞ぎ砲撃戦に有利となる丁字戦での横線を狙いたいが、転舵で船脚を落としてしまうと挟み撃ちに合う確率が増える。

 両艦隊は海峡を進みながら更に接近する。

 満潮は爆撃を避けた敵軽巡が寄り人型に近いボディを備えた穢艦であることを見た。

「雷巡チ級1を確認。こいつらどうみても強襲偵察用の巡洋部隊じゃない!」

 目視で確定した敵艦隊の構成は、人型に近い重巡リ級を旗艦にしていた。他の随伴は異形三胴の軽巡ト級と、砲弾のような形の駆逐ロ級が二隻。一列に並んで進んでいる。

 駆逐ロ級は器物感が強く無生物のようだが、他の艦艇は青白い人体パーツに素材不明な武装を纏っている。それでいて輪郭が薄く実態感に乏しく幽霊のような印象も受ける。また軽巡クラスは中途半端に人体の一部が模されているので、異形への嫌悪感を強く漂わせていた。

 深海棲艦には識別名として発見順にイロハ音が振られている。大型になるに連れて識別音は下がり、重巡クラスは戦艦であっても注意が必要な相手だ。

「撃ち方、始め!」

 旗艦の号令に敵艦隊との距離を読んでいた扶桑は、速度を落として妹の砲撃線を確保しながら言った。

「山城、先に行くわね」

 ドンッ!

 扶桑に背負われた身長と同じぐらいの横幅を持つ巨大艤装が震える。戦艦『扶桑』が放った初弾が艦隊間を飛び抜けて、駆逐ロ級一隻への極至近弾となって海面を崩す。

 派手な水柱が上がり、最上の先制爆撃にダメージを受けていた穢れの駆逐艦は無情にも船体を割られながら横転し撃沈した。

 山城は扶桑の様子を観察し、自らの主砲仰角を調整する。

「測量結果、頂きます」

「ええ、がんばってね」

 愛しい姉の声援に応えるべく、山城も主砲を発射。

 狙いは万全で、無傷の軽巡ト級に向かって戦艦の砲弾が見事な弧を描く。

 しかし回避行動を取り出した軽巡ト級には直撃しなかった。今度も至近弾で終わるが、駆逐よりも頑強で損傷を受けていなかった軽巡ト級は波と飛沫を浴びるだけで切り抜けた。

 山城が悔しがる前に、2つの艦隊が接近する。

 相手先頭の重巡リ級が、黒い艤装に包まれた腕を持ち上げて威嚇声を叫ぶ。声と思ったのは一瞬の錯覚で、正体は同じ腕に装着された砲門が放った噴射音だ。

 扶桑を狙った敵砲弾だが、目標が減速していたことで目算がずれたのか行く先の海面を歪ませるだけだった。

 速力を維持する山城と減速する扶桑の間を抜けた最上が、お返しとばかりに近づいてきた敵旗艦を狙う。

「いっけぇー!」

 右手の20.3cm連装砲を発射。脅威度の高い重巡リ級に直撃する。

 かに思われた。

「やったか、って言っちゃだめなんだっけ」

 最上の軽口は、重巡リ級への砲撃が敵艦隊にいたもう一隻の駆逐ロ級に防がれてしまったためだ。

 突然最上の前に飛び出してきた駆逐ロ級。重巡洋艦クラスの攻撃力を持つ最上の砲撃をまともに受け、船体に大穴を穿たれて沈んでいった。

 この行動は重巡リ級を庇ったものか、それとも最上を襲おうと逸った結果なのかは解らない。重巡リ級を撃ち漏らしたという悔しさだけが、現実である。

 両艦隊の距離がさらに近づき、満潮を時雨も砲撃の準備を開始する。

 隊列の関係から扶桑の後ろに居た満潮はそのまま直進して、彼女を護衛する位置を取る。

 一方で時雨は大きく面舵を切った。左翼側では砲撃が難しいと判断、取り残されるよりも旗艦の補佐を続けることを選んだ。扶桑の前に出て山城と最上の護衛に入ろうとする。

(最後尾には、行かないよ……)

 『時雨』の記憶では昔の西村艦隊がスリガオ海峡に突入した際、自分は最後尾に居た。故に最初の奇襲を受けた時、戦艦『扶桑』が集中的に狙われ後続の駆逐艦は後回しにされた。

 それが生存出来た理由の全てとは言わないが、重大な要因だと思っている。あの時の隊列は妥当で、駆逐艦が戦艦を補佐するのは当然の役割だ。艦隊の隊列は戦術的に大きな意味を持つ。時雨一人で決められるものではない。

 が、納得できない蟠りもあった。

 

 所属する駆逐隊を失った単艦の自分が殿(しんがり)に当てられた。

 運が良かった。

 

 理由を上げればそれだけだ。 

 でもたったそれだけの言葉で、あの恐ろしいまでの消失感を片付けたくない。

 理由を突き詰めてゆくと、姉妹艦が沈んでいたから助かったとも言い換えられる。

 だから、許諾できない。

 『呉の彼女』だって、願を掛けて同型の制服に袖を通さずにいるんだ。僕だって……。

 時雨が艤装を背中に留めている紐を引くと、肩紐と機関部が離れて後ろに倒れる。片腕を腰後ろに廻して艤装を受け止め、腹前に廻す。機関部横のグリップを引き出し、臍下に引き押ててしっかりと固定させた。

「僕だって、……代わりぐらいにはなれるさ」

 つぶやいて時雨は積極的に前に出た。

 相互の距離が狭まり、近射程の打ち合いが始まる。

 西村艦隊が陣形を組み変え体勢を整え切る前に、穢艦の重雷装艦が動く。

 穢れの雷巡は白く中心線が迫り出した仮面を付けている。仮面は瞳の部分だけが欠け、少しだけ露出した人型の瞳が『扶桑』を捉えた。彼女が乗っている口の付いた船体が砲弾を吐き出す。

 砲撃は護衛していた満潮を飛び越えて、扶桑の艤装に命中。

「きゃっ……! やだ、もー……」

 扶桑が短い悲鳴を上げるが、砲弾角度が浅かったようで戦艦の重装甲によって弾き返された。損傷度は軽微。

 続けて敵軽巡二隻の砲撃も受けるが、扶桑は後退速度をさらに落として至近弾で済ませる。軽巡洋艦の中砲径程度なら、いくら高波を作られても戦艦の大型船体で軽々と波濤出来る。

「やってくれたわね!」

 護衛対象を執拗に狙われた満潮が怒り混ぜて反撃する。雷巡チ級に命中。しかし装甲に阻まれて有効打にならなかった。

 腰溜めに撃たれた時雨の砲撃は、丸い船体からヘルメットのような頭部と腕一本を伸ばしている軽巡へ級に向けられる。命中するがこちらも撃沈はできない。自分たちの非力さに厭世感を覚える。所詮は駆逐艦の火力である。

 状況を見ていた山城が、両目を釣り上げて吠えた。

「扶桑姉さまを撃ったわねっ!」

 扶桑型は旧式艦ではあるが、それだけに古い戦い方では使い用がある。同航戦での接近砲撃。この瞬間が一番輝く。

 山城は片舷に並べられた副砲たちで至近した敵軽巡を滅多打ちにした。山城の副砲は主砲と比べれば断然小さいが、それでも軽巡洋艦の主兵装と同等の威力を誇る。山城はネガティブではあるが、腐っても超弩級戦艦だ。火力比べで格下に負けることはない。

 軽巡ヘ級の視点から見れば、己の武装を何本も突き付けられた感覚だ。軽巡洋艦の装甲では耐え切れず、着弾の衝撃で横転し沈んでいった。

 敵重巡は僚艦を沈めた艦娘側の旗艦山城に狙い定めた。

 咄嗟に時雨が増速して航路を敵艦隊に寄せる。左側から味方艦隊を突き抜けるほどの舵きりだった。

 意図を見抜いた扶桑は駆逐艦の背中に叫んだ。

「無茶をしないでっ!」

「平気さ。僕はここで沈まない……」

 時雨のつぶやきが聞こえたのかはわからないが、重巡リ級は単艦隊列を外れた駆逐艦に砲門を向け直した。

 運が悪ければ戦艦さえ大破させる敵重巡の砲弾が時雨の至近に着水し、扶桑型の高層艦橋に匹敵する水柱を立ち上げる。

 西村艦隊は一瞬息を飲むが、時雨が水柱の真横を走り抜けたことを見つけて安堵する。

 水滴を払いながら主砲を構える時雨に、最上は嫌な感じがした。

 時雨の突出が山城に砲撃を集めさせないための囮行動なのはわかるが、他の艦との連携も無いんじゃ無茶無謀だ。

 確かに『時雨』はスリガオ海峡夜戦で沈まなかったが、艦娘の時雨が損傷しないと保証がされたわけではない。

 最上は焦りながら再装填が終了した主兵装で敵重巡を撃つ。気持ちを反映した攻撃は、相手の装甲を少しだけ歪ませるだけだった。

 続けて時雨も敵旗艦を狙い損傷を重ねさせる。駆逐艦の小口径でも重巡をひるませることが出来た。距離を詰めた甲斐がある。

 近付いた時雨を穢れの雷巡が砲撃するが、見事な蛇行操舵で砲弾を避ける。

 さすがに僚艦の独断操舵を見かねた山城が隊列復帰を命令する。

「隊列から離れすぎよ。戻りなさい!」

 命令を受けた時雨が自艦隊に目を向けた瞬間、ざばっと海面を弾かせて残っていた敵軽巡が飛び上がった。

(あっ……)

 覆い来る影と同期したかのように、時雨の思考が驚嘆に塗り潰されてゆく。間延びした時間の中で、首と眼球を可能なだけ右舷に向けた。

 そこには時雨に白兵攻撃を仕掛けた軽巡ト級がいて、その部位だけ人と同じ形をした腕を振りかぶり、扶桑の砲弾に吹き飛ばされた。

 ドォンッ! と一瞬遅れた発砲音で、我に返る。

 扶桑に続いて重巡リ級への牽制砲撃をする満潮が、時雨の無謀を罵る。

「出過ぎよ。もう少し下がって!」

 仲間から険のある言葉を受けて、悔み顔の時雨が取舵で戻る。

 最上は左腕の甲板から魚形水雷弾を取り出して、駆逐艦二人に合図した。

「雷撃行くよ、合わせて!」

 軽巡ト級が扶桑の砲撃で撃沈したから、残りは2隻。自慢の水雷撃で殲滅を狙える数だ。

 深海棲艦の2隻は自艦隊の劣勢と西村艦隊の追撃を察して離脱行動に入る。

 下がるならそれを含めて最適の好機をと伺う最上の後ろで、また時雨が独断先行した。

「逃さないよ」

 重巡リ級に向けて単独で魚雷を発射。両太股に吊るされている魚雷発射管を側舷に向け、一番上部の雷管から魚雷を吐き出していた。

「ああ、どうしちゃっのさ。もう!」

「とにかく雷撃するわよ!」

 最上と満潮も、慌てて魚雷を発射。

 海中に投げ入れられる音を最後に、微かな影が静かに水中を進む。帝国海軍独自の酸素魚雷は、視覚的聴覚的に航跡が悟られづらいのが特徴だ。そして快速で、威力も高い。

 誘導技術が未発達なため長距離での命中度に難がある魚雷だが、これだけ距離が肉薄すれば外すことはない。

 狙われた穢艦たちは、巡洋艦と駆逐艦2隻から撃たれた魚雷を避けようともせず相打ち覚悟で魚雷を打ち返してきた。しかし何度も砲撃された重巡リ級は、雷撃能力を潰されていたようだ。反撃したのは雷巡チ級のみ。

 時雨が先手で放った魚雷は雷巡チ級に命中した。面舵で戦場離脱を試みた深海棲艦たちは隊列が入れ替わっていて、チ級が旗艦の盾となる位置になっていた。

 立て続けに残り二本の魚雷も命中。雷巡チ級の船体が爆発し、破砕された穢艦が海底へ沈んでゆく。

 逝き掛けの駄賃に投げ渡された敵魚雷は、扶桑を狙っていた。

「こっちに来るんじゃないわよ」

 護衛役の満潮は苦し紛れに機銃で海面を掃射するが、努力報われず魚雷は扶桑にまで到達した。

「ありがとう、対処は私がするわ。えいっ」

 援護に礼をした戦艦は、水上下駄で敵魚雷を踏み潰した。本当に踏んだわけではなく、海面を足裏で叩いて小波を起こし魚雷の信管を誤作動させる防御法を使ったのだ。

 ドバンと爆音を鳴らして扶桑の真横で水柱が立った。降り掛かる水滴に少しだけ目を細めて耐える。

 その姿が、ぐらっと傾いて、慌てて踏みとどまった。扶桑の右足を支えていた水上下駄。その鼻緒が魚雷を誘爆させた衝撃で切れてしまっていた。仕方がないので片足立ちでバランスを取る。

 扶桑がふらふらと揺れていると、血相を変えた山城が急いで駆け寄ってくた。

「扶桑姉さまっ!?」

「大丈夫よ。大したことは無いわ。応急処置ですぐに直せる程度よ」

 戦場を見渡した扶桑は敵戦力の逃走を確認した。穢艦側の旗艦を逃したが撃退は出来た。巡回部隊を壊滅させたのだ。

「でも、でも……!」

「慌てるんじゃないわよ。まだ一戦目を切り抜けただけなんだから」

 満潮が扶桑の水上下駄を拾って近づいてきた。

 山城の表情がさらに険しくなった。駆逐艦の癖に戦艦であり艦隊旗艦である自分に意見する小娘を睨みつける。爆発しないのは、姉が軽い仕草で抑えているからだ。

 扶桑は駆逐艦から自分の履物を受け取ろうとしたが、満潮は差し出された戦艦の手の平をじっと見つめた。

「あの? 拾ってくれてありがとう。返してもらっても……」

 戸惑う扶桑の右手を、満潮は自分の肩に乗せた。その状態で手に持つ水上下駄の修繕を始める。

「少しは不便を我慢なさい。すぐに直しちゃうから」

 身長の高い扶桑からは手元の作業に集中する満潮の顔は俯かれていて見えないが、駆逐艦の不器用な心遣いに甘えることにした。

 支えを得て楽にはなった扶桑は、満潮にヒシャーと歯を剥いて威嚇する妹を宥める。

 旗艦の勤めよりも同型一番艦の心配を優先する妹に変わって、西村艦隊を見る。

 扶桑の損傷を受けて、西村艦隊は進軍速度を落としていた。雷撃で損傷してしまったが、撃沈するほどではない。損傷箇所も歴史とは少し違う形になっている。気を緩めは出来ないが、少しの安堵ぐらいはしてもいいだろう。

 最上は戦闘開始時に打ち出した爆撃隊の回収作業をしている。

 そして時雨は一人、深く俯いていた。背嚢一体型の主砲を背中に戻さずに、両手に持って力なく垂れ下がっていた。

「時雨……」

 扶桑が声を掛けると、最初は気づかなかった様子でのっさりと鈍い動作で寄せてきた。

「どうして? って、聞いてもいいかしら?」

 こちらもなにか言いたげな山城を制して問いかける。すっかり扶桑の方が旗艦として動いていた。

 内容は先ほどの戦闘での行動について。独断での隊列逸脱に強引な攻撃など、普段の時雨には見られない問題行動だった。

 顔を上げた時雨は普段の澄ました表情を保っていなかった。青ざめた顔で、主砲を持つ手も震えを抑えるためにきつく握られている。

 口を一文字に結んで、何かに耐えているようでもあった。

 痺れを切らした山城が、喋らない時雨に詰め寄る。

「黙っていないで何か言いなさい。独断先行で戦果を稼ぐなんて、ソロモンでの姉妹艦を真似たつもりなの」

 白露型二番艦は、戦闘中と同じ言葉をつぶやいた。

「僕は、この戦いじゃ沈まない」

 作戦前には余裕があったが、時雨は自分の楽観を悔いていた。

 囮役として突出した時に、頭の何処かで黒い霧のような恐怖が出てきた。明確なものではないが、僅かな濃度でも見通しが効かなくなる。黒い霧から逃れるように前へ、前へと出た。

 それでも戦っている最中はまだ軽い方だった。

 敵の魚雷が扶桑に命中したと思った瞬間に、全身を瞬間冷凍されたような虚脱感がやってきた。

 抜けた力と入れ替わる形で、駆逐艦『時雨』の感覚に置き換えられる。

 それは、おぞましい記録だった。

 突入作戦失敗、西村艦隊は壊滅。戦死者の数は3000名を超え、貴重な戦艦を二隻も失う大敗である。

 時雨の五感に地獄の光景が生々しく再現された。だた一人生き残ったのだからこそ、これから起こる悲劇を他の誰よりも一番鮮明に覚えていた。

 艦隊を焼く炎の色や熱まで繊細に思い出せる。過去の砲撃、爆発、炎上、全ての音が耳朶に震え伝わる。

 刻まれた記憶が沈む魂を鮮烈に突き動かしてくる。『生きろ、生き延びろ!』と。

 そして悟る。黒い霧の正体は死への恐怖ではない。寂寥への後悔だった。

 みんなと一緒に逝きたかった……。

 どれだけ衝動が身体を埋め尽くそうとしても、惨劇を記憶している頭の中から恐怖の霧が払われることはない。

 皮肉にも西村艦隊の全滅という結果と、時雨の生存は近しい意義を持つ。

 

 これに抗うには……、西村艦隊で『時雨』だけが沈めばいい。

 

 行き着きたくなかった結論に、何もかもが虚しくなった。

 衝動に任せて生き残ればいいのか、恐怖に打ち勝って果てるべきなのか。

 矛盾がこれほどまでに辛いとは思っていなかった。心臓がぎりぎりと締め付けられるように痛む。

 だからこそ、過去に抗うために感情を押し殺して力を込める。どちらにも傾かないで、自分の望みを叶えるんだ。

 生き延びることが示されているのは自分だけだ。やらなければならない。

「みんなを守るためなんだ。やらせてほしい」

「残念だけど、死にそうな顔をしている人に守って欲しいとは思わないわ」

 水上下駄の鼻緒を外した満潮が、結び直す余裕があるのか確かめながらそっけなく言い返した。

「さっきの戦闘、攻撃してきた軽巡を扶桑が撃ち落としてなきゃ中破以上の損傷してたわよ。ポンコツの扶桑に無駄な主砲を使わせた時点で、あんたの思惑は失敗しているのよ」

 僚艦を見下して鼻を鳴らす満潮。

 時雨が言い返せずに押し黙るが、ポンコツ認定された戦艦は駆逐艦以上にもっと酷く落ち込んでいた。

 一時期の扶桑型は、主砲を発射すると自分の艦橋を損傷してしまう不具合があった。戦艦の本分である大口径砲台のプラットフォームという役割を投げ捨てる設計上の完璧完全な欠陥だ。

 後に改修を受けある程度解消されはしたが、ただでさえ主砲の衝撃波対策は超弩級戦艦種の逃れられない構造的な問題である。船体にも不具合を持つ扶桑型が弾数を重ねると、どんな故障が出るのかわかったものではない。

 余分なところまでモデル元を再現してしまった扶桑姉妹には、出来るだけ主砲の連続使用を避けるように司令官から言い渡されてた。扶桑型は砲塔の数が多いので、一つの主砲を連続で使わないよう入れ替わりで撃つことが出来るが、無駄弾を撃たないことに越したことはない。

「ふふふ、山城。今日も空が青いわね……」

「はい、姉さま。あの青海をいつか二人で渡りましょう……」

 ポンコツ姉妹は頭上を見上げ、太平洋の空へと漕ぎ出し始めた。

「鬱陶しいから、そういうのは司令室でやってくれない」

 切れた鼻緒では直せないと判断した満潮は、自分のリボンタイを外して代用に当てる。

「あの……、そこまでしなくてもいいのよ」

「どうせ装備の損傷は司令官に補填してもらうんだから、気にするんじゃないわよ。私の格好よりもあんたの航行能力の方が重要なのは話すまでもないでしょう」

 扶桑の制止を聞かず、緑色の鼻緒が付け直された。

「左右で色が変わっちゃったけど、鎮守府に戻るまでは我慢しなさい」

「ええ、ありがとうね……」

 扶桑は満潮に水上下駄を返してもらうと、海面を軽く滑って見せる。

 満足げに頷く満潮に頭を下げて、今度は時雨の前に立つ。

「気負っていないって、言ったじゃない……」

「僕も、そのつもりだったけど。ダメだったよ」

 勲章を授かったこともある勲功の駆逐艦は厭世感を漂わせて笑った。

「沈んでしまうことは怖いけど、一人残されるのはもっと寂しかったんだ。『扶桑』みたいに居られたら良かったのに」

「あら、私もここは怖いわよ」

「僕が言ったのは伝説の方さ。でも、それは貴女のことでもあったんだね……」

 時雨の飾った言い方に、扶桑は微笑みを溢した。

 東方の海で日が昇る場所に聳える神聖の大木。広い大海で一人佇む伝説の樹。どんなことにも揺るがない強さを、永遠の命と讃えられた空想上の存在。

 欠陥戦艦の烙印を押された自分だが、それでも『扶桑』と呼ばれる以上の称賛は無い。

「ありがとう。私の名を認めてくれる貴女は、とても優しい人ね。だから西村艦隊(私たち)のことで必死になってくれている。でもね……」

 伝承の大樹を由来とする超弩級戦艦が、時雨の頭をゆっくりと撫で擦る。

「呉のと違って、貴女は小破だけで大戦を切り抜けたわけじゃない。最後には沈んだのよ。貴女を楯にした作戦は容認できないと言われたわよね」

「うん……」

「全員で港に帰るんでしょ。貴女も西村艦隊の一員なの。約束、忘れちゃだめよ……」

 時雨が頷くのを見て、扶桑は手を離した。

 入れ代わりで満潮がやってくる。

「扶桑がどう言おうが、私は許さないからね」

 言うや、平手を振り上げる。

 咄嗟に身を固くする時雨の頬に、満潮の張り手がぺちっと張り付いた。

「だけど、取り残されるのが嫌だから頑張るっていうのは賛同してあげる。今度は気をつけなさい」

 振り返って言い捨てる。

「似合わないことをするから失敗するのよ。あんたはいつもの気取った感じでいればいいの。白露型はそんなのばっかりでしょ」

 満潮の声音は、少し上ずっていた。

 背中を見せる相手の顔を想像して、時雨も笑った。

「確かに白露型(僕たち)は、船底のどこかが抜けてる節があるからね」

 姉妹艦たちの言動を思い出す。

『いっちばーん!』

『はいはーい』

『素敵なパーティっぽい?』

『ドジじゃないですよー』

『ガッテンダー!』

 返す返すも明るく愉快な姉妹たちだった。

「朝潮型はしっかり者が多くて羨ましいよ」

「頼んでも換わってはあげないわよ」

「それは……、少し残念かな」

 駆逐艦二人は苦笑し合いながら、左右に別れて元の陣形に戻る。

 扶桑は状況に取り残されて不満顔の山城の肩に触れてスリガオ海峡進攻を再開させる。

 四人は陣形を整えなおして、艦載機を回収していた最上を待つ。

 追いついた最上が、もう一度航空甲板を掲げた。

「索敵の第二陣、いくね」

「待ちなさい。前方に何か見えるわ。山城も確認して」

 扶桑が青空の中に小さな違和感を見つけた。北北西の蒼穹が胡麻よりも小さな点に穢している。

 姉が指す物体を認めた山城が即座に命令を下す。

「最上、艦載機を緊急発艦! 制空権防衛を優先して」

 飛んできたのは深海棲艦側の艦載機だ。駆逐艦を小型化した様なフォルムをしている。

 最上は命令を実行しながら渋面になった。つまりこれは、

「やっぱり西側に航空戦力が居たんだね」

 歯噛みする山城。

「どうして当たって欲しくない予測ばかり的中するのかしら……」

 満潮が肩を竦めた。

「運が悪いのは今に始まったことじゃないでしょ」

「わ、私は不幸じゃないわよ!」

「安心して。だれも山城一人を不運扱いしないわ。ツキがないのは西村艦隊そのものよ」

「僕たち全員が通り雨を呼び寄せているんだから、濡れないことよりも乾かすことを考えよう」

 駆逐艦たちの返答に、顔を赤くして不幸を否定した旗艦が拗ねた。

 仲間たちの絆に微笑む姉が、妹を促す。

「山城、陣形の指示をして」

「全艦、対空警戒! 輪形陣に」

 山城を中心にして、後方に扶桑、前方に最上、右舷に満潮、左舷に時雨。日頃の訓練の成果を発揮して、素早く陣形を組み変える。

 航空機による艦艇への攻撃も、基本は砲撃と変わらない。正面よりも側面から攻撃する。的が小さいよりは大きい方がいいからだ。

 これに対して対空兵装を効果的に使える形にして防衛する。飛んでくる敵航空機に僚艦の防空圏を重ねる配置を取るのだ。

 単横陣を敷いた艦隊の防空圏全てを通ってもらうことが理想だが、当然航空機側も律儀にまっすぐ飛ぶことはない。狙う艦艇を絞って突入と離脱をする。艦隊を一列に並べては味方艦の対空範囲に無駄が多い。

 そこで選択するのが輪陣だ。輪形陣ならば中央列の艦艇は前後の僚艦から援護が受けられる。攻撃する艦載機に視点からは、どの方角から陣形に突入しても複数の対空範囲に飛び込まなければならない。

 加えて今は最上が射出した護衛機が居る。西村艦隊の頭上で円を描いて敵艦載機を待ち受ける。

 穢れの艦載機は翼もなく軽快に飛び回る。敵駆逐艦はまだ船の様相を真似られている箇所があったが、艦載機はもはや何が元になっているのか解らない。艦載機も大戦期の技術を”再現”している艦娘側と違って、どうやって飛行しているのか判明していない。捕獲しようにも深海棲艦でさえ”残骸”が残る程度である。艦載機などは、捕まえてもすぐに実体が消えてしまい調べ様がなかった。

 仮にヘリコプターとみなしてもローターが見受けられないし、飛行音からジェット噴射式のVTOL機とも疑われていた。実験巡洋艦『夕張』などは冗談混じりに重力制御のUFO説を出して笑っていたが、真偽が定まらない現状では、彼女の作り笑いに誰も追従出来なかった。

 そんな正体不明の敵艦載機が、全員の目に判る大きさまで近づいてきた。山城が号令を出す。

「対空迎撃、開始!」

 群れを()してやってくる敵艦載機に向かって、瑞雲たちが攻撃を開始した。それぞれが散開して複雑に飛行路を絡ませ合う。

 西村艦隊の航空戦力不足は出発前から解っていた。対空砲火用意中の最上が涙目で愚痴る。

「やっぱりほとんど落とされちゃったじゃないか」

 穢艦の艦載機たちは瑞雲たちを蹴散らして西村艦隊に肉薄する。

 時雨も主砲を背中に戻し、背嚢の貨物部分からピストル型の10センチ高角砲を取り出した。白露型の姉妹艦が使っているタイプだ。対空兼用の主砲を両手に握って敵艦載機の迎撃を開始する。

「それにしても、数が多いね……」

 敵艦載機の航空戦闘力は護衛水上機より高い。更に飛来する敵機が瑞雲で対応不可能な数となっては、虚しく散るしかない。

 時雨は首筋に冷たい金属の刃が押し当てられる様な嫌な感覚を覚えたが、強く首を振って幻覚を振り払う。

 今は一つでも数多く撃ち落とし敵の爆撃雷撃を避けることに専念するが、必死に迎撃する西村艦隊の対空砲火をくぐり抜けて、数機の敵艦載機が肉薄してきた。

 二機の敵艦載機が急接近して、山城の前で転進。航空雷撃を落としてくるが無理な機動の代償に大きく外した。

「馬鹿にしてっ!」

 作戦旗艦が逃げる敵艦載機に対空機銃を向ける。

 その流れを待っていたと言わんばかりに、追撃の敵艦載機一小隊が飛び抜けた。山城が意識を逸らした瞬間を狙われた形だ。

 敵艦載機が艦隊最後尾の扶桑を狙って直進した。

「えっ……。ちょ、ちょっと……」

 扶桑が避けようにも、山城へ撃たれたはずの航空雷撃がこちらを挟むように航跡を伸ばしており転舵を阻害する。こうなっては迎撃するしかない。

 穢艦の攻撃機は標的の対空砲火をロールを切って交わし、爆弾を投下。水柱が複数立ち上る。

「きゃぁー!」

 悲鳴を上げる扶桑が右腕で頭部を庇う。致命打に為らずに済んだが、投下弾の炎が袖に引火した。慌てて腕を海面に浸けて消火する。

 お陰で袖が無くなり肩から脇までの諸肌が露わになった。衣装の破損は思っていたよりも大きく、右の合わせが緩められ扶桑の豊かな実りが僅かに横面を覗かせた。

「今日は厄日だわ……」

「扶桑たちは毎日が厄日でしょ!」

 満潮が身も蓋もない突っ込みをしながら、半身の姿勢で右腕の両用砲を空に向け続ける。

 腹に抱えた爆弾を投下した穢れの航空機体たちは、深追いをせずに西村艦隊に尻を向けて自分たち母艦へ帰投していった。

 最上が振り返って全員の状態を見る。戦艦姉妹を狙った艦載機以外を艦隊に接近させずに済んだのが幸いだ。まだ戦える力を充分に残している。

 しかし、次の不運はもう目の前まで来ていた。

 敵側の航空戦力をやり過ごした西村艦隊が、左前方に目標を発見する。山城は相手の前衛に嫌なものを見つけて顔を歪めた。吐き捨てるように伝達する。

「戦艦ル級を確認! やっかいなことが続くわね」

 出来れば遭遇したくなかった戦艦種。戦艦ル級は両手の大振りの艤装を持つ人型の深海棲艦だ。とはいえ完全な上位種というわけではなく、人語を解したり配下の穢艦に命令するといった事例は確認されていない。

 より上位の戦艦タ級でないことが救いだが、脅威であることに変わりはない。戦艦ル級の攻撃でも、直撃されれば最上や満潮たちの装甲では耐え切れず撃沈は免れない。先ほどの戦闘から続く姉の損傷を考慮すると、アンラッキーヒットに耐えられるのは自分しかいない。

 いざとなれば……。

 先程聞いた時雨の決意を笑えない判断を描きながら、作戦旗艦はほぞを噛む。

 西村艦隊に襲いかかる絶望は、まだ終わっていなかった。

 戦艦ル級の背後、陣形の中央に居るのは巨大な帽子を頭に載せた白肌の少女がいた。彼女が人間では無い証拠に瞳を薄蒼一色に輝かせている。

 最上が悲鳴を上げる。

「空母ヲ級……!? そんな、事前の調査じゃ軽空母だけのはず」

 帽子の穢艦は正規空母に匹敵する能力を有している。自分一人で対抗できる相手ではない。まして偵察と戦闘で散々消耗した後だ。絶望的な能力差がある。

「大丈夫さ。ちゃんと軽空母もいるよ」

 時雨が肩を竦めて笑った。

 アンコウみたいな楕円のボディに人間の手足が生えたような穢れの艦艇、軽空母ヌ級が二体も随艦していた。

「どうりで深海棲艦側の艦載機が多いわけだ。空母三隻に護衛の戦艦なんて、贅沢な艦隊構成をしてるね」

「超弩級戦艦二隻は贅沢な編成じゃないの?」

 ………………。

 満潮の鋭い自虐が西村艦隊に沈黙を(もたら)す。

 最上が凍てつく空気に刺されながらも、空元気の大声で笑った。

「この期に及んで自爆はやめよう。悲しいからね! ねっ!!」

「うふふふ。山城、今日もいい天気ね」

「はい。扶桑姉さま」

「うーんと、ほら。扶桑たちとは鎮守府で毎日顔を合わせているから、特別って気がしないんだよ」

「……どうせドックにいる方が長い超弩級戦艦ですから」

「山城、しっかりして。船体が酷く傾いているわよ。あら、もしかして私も……?」

「うちの戦艦たちはどれだけトラウマ持っているのよ。欠陥は船体だけにしなさい」

 駆逐艦の追撃により戦艦姉妹は顔を覆ってさめざめと泣きはじめた。

「だから、そんなことしている場合じゃないって! 山城さんは戦闘指示を出して!」

 先頭で身構える最上からは、自軍と同じ輪形陣で向かってくる深海棲艦の全隻が確認できた。戦艦ル級と空母三隻の他に輸送ワ級と呼んでいる艦種が2つ。

 輸送ワ級。石油タンクのような球体に女性の上半身が後ろ手で拘束された異形の輸送船。今回は空母たちの艦載機を補填する役割を担っているのだろう。穢艦たちが盛大に航空機を飛ばせた理由がこれだ。

 必死の対空砲火で制空権は奪われなかったが、西村艦隊側の有利とは言い難い。最上の艦載機格納庫は空に近い。これ以上敵航空機で攻撃されても瑞雲での援護ができないまでになっていた。

 山城は、瞬間で決断した。

 確かに敵空母群は強力だが、この狭いスリガオ海峡で戦うのに適した艦種ではない。

「前に出るわ! 全艦、私に続きなさい!!」

 増速して最上を抜き、砲門を開く。

「艦載機を補充される前に敵輸送艦を叩くのよ!」

 超弩級戦艦が主砲以外の艤装を載せているのは意味がある。長大な主砲は水平仰角にしても側舷から有効射程までが長い。連射にも適さないので隙も多い。その空白を埋めるのが副砲の役割だ。

 空母の主砲を艦載機と言い換えると、弱点もわかりやすい。

 航空機を飛ばされる前に懐に入れば、一方的に攻撃出来る。通常の艦隊編成なら駆逐艦や軽巡が護衛役をするはずだが、深海棲艦にはそこまでの論理的な思考が出来ないのだろう。

 ましてやここは狭いスリガオ海峡だ。逃げ撃ちならぬ引き発艦しようにも逃げ場がない。

 戦艦ル級が駆逐艦の代わりに空母を護衛役をするのなら、最初に自分が飛び込んで引き付ける。

「主砲、撃てーーっ!!」

 山城は前進して主砲一斉射。空母ヲ級の脇に居た輸送ワ級が、着弾の衝撃で跳ね上がった。

 ぐったりと海面に座り込む輸送ワ級。タンク部分に穿たれた穴を赤い舌が舐め取ったように見えた後、炎が急激に膨張して船体を爆炎で包む。

 敵戦艦ル級は味方の損害に振り向ことなく山城に向かって吠えた。身体の半分程もある両手先の艤装を持ち上げ主砲を発射。

 砲弾の一つが山城に命中する。先に身体の前で両腕を交差する防御姿勢を取っていたので致命打にはなっていないが、代わりに命中弾は山城の両袖をむしり取っていった。

「ぐぅ……! 解っていても辛いわね」

 痛みを堪えて山城は進み、戦艦ル級との至近に接して構えを取る。

 それは古式の拳打法。名も無い当て身武術。まだ鉄器が希少だった頃、青銅で鎧った敵を打ち倒すために考え出された無手の技法。失われた古武術だった。

 山城が自ら習得した格闘技ではない。『山城』の艦娘となってから覚えた、いや”思い出した”技だ。

 おそらく『山城』の建造に関わった数多くの作業員の中に、これを扱う誰かが居たのだろう。建造中に『山城』の内部で繰り返された古武術の鍛錬が、『山城』と同調した艦娘に伝えられた。

 『戦艦』には意味の無い記憶だが、今の山城には昔に忘れられた武術を”再現”できる手足があった。

 この技を使うと鍛錬と称した鉄骨殴打の不快感を思い出してしまう。身体の内側を叩かれる感覚を何度も思い出したくはないから、普段は使用を控えている技能だ。

 此処に至り躊躇はしない。悲運のスリガオ海峡を超えるためなら、構わず拳を振るおう。

 山城はボクシングのようなフットワークを使わずに、踵を下ろすベタ脚で構えた。脚捌きからして基礎理念の古さが伺える。だが重い艤装を背負った山城には丁度良い。踵を下ろす安定感は、海上で扱う格闘技として理にかなっている。

 大きく踏み込み、拳ではなく掌を突き出す。打点は手の平の中心ではなく親指の付け根、手首関節だ。まだ握り拳の有効性が確立する前に考え出された打ち込み方。拳一つ分間合いが短いが、その分踏み込みに踏ん切りが付く。

 身体の重い戦艦種は、至近戦といっても帆船時代の白兵戦にはならない。戦闘中に接舷は即衝突で、そこまで近づくことが、まず無い。まして戦艦同士の衝突なんてありえない。

 ただし現在スリガオ海峡で繰り広げられている戦いは艦隊同士の海戦ではあるが、艦娘による深海棲艦の浄化作業でもある。嘗てのセオリーは一つの発想や決意によって容易に翻る。

 吶喊しての格闘戦よりも、適正距離を取った砲撃の方が敵艦に与えるダメージを期待できる。

 それでも山城は決断した。

 空母三隻の脅威度を減らしつつ西村艦隊が戦艦ル級の射程内に居座るリスクを下げるため、自ら格闘戦に飛び込むことを選択した。砲戦では味方の損害がどれだけ出るか解らない。それなら死中に活を求めるべきと。

 穢れの戦艦は山城の行動を理解できず、掌打をまともに受ける。胸を強打され、戦艦ル級がよろめいた。

 追撃に山城の背面体当たり。背負われた山のような艤装で殴る。文字通り『山城』をぶつける。

 さすがにこれには戦艦ル級も腕を上げてガートした。戦艦二隻の艤装が、激音を鳴らし、火花を散らして衝突する。

 攻勢の山城は反動に耐えたが、戦艦ル級が驚愕の表情で海面に倒れた。派手な着水音が轟き、水飛沫が舞い飛ぶ。

 初撃の格闘戦で優位を取れた山城だが、内心は野蛮な行為と僻へきしてた。こういうのは単純な長門型一番艦や、金剛型四番艦の裏面が担当すべきだ。そしてやっぱり身体の中に違和感が出てきた。肋骨当たりに針先で突かれる微痛を感じながら、山城は号令を叫ぶ

「総艦、撃て!」

 戦艦が転倒させられ護衛を失った敵空母群に西村艦隊の砲火が飛ぶ。

 山城の後を追い近づいてくる四人の砲撃で、もう一隻の輸送ワ級を撃沈。軽空母ヌ級の一隻を小破まで持ち込む。

 戦果を見て、山城は焦った。

 敵空母群の艦載機能力を封じ切れなかった。連戦で砲身の精度が落ちていたのか、押し切れていない。

 空母ヲ級が被る平べったい帽子の前面には、大きな歯が目を引く口がある。下にいる白肌の少女は無表情だが、帽子の顔がにんまりと笑った気がした。

 帽子の口があんぐりと開き、咽奥から深海棲艦の艦載機を吐き出し始める。飛行原理不明の敵艦載機が湯水の如く湧き出てくる。

 脇の固める軽空母ヌ級たちも大口を開けて艦載機を出してきた。

 本当に空母ヲ級が笑ったのかは解らない。これが穢れた空母たちの発艦方法なのだから。

「対空迎撃をーー……」

 山城も機銃を準備して西村艦隊との連携に入ろうとするが、目の前で戦艦ル級が起き上がるのを見て脚を止めてしまった。

 ここに穢れの戦艦を留めておかないと、消耗した西村艦隊に大口径砲が向けられてしまう。山城が敵陣に飛び込んだ意味が失われてしまう。

 敵艦載機が迷う山城の頭上を飛び越え、西村艦隊への爆撃を開始する。

 狙われたのは満潮だ。甲高い降下音を鳴らして爆弾が駆逐艦に殺到する。

 弾雨から頭部庇った右腕に被弾。連装砲が破裂した。

「きゃあーっ!」

 不幸中の幸に、連戦のおかげか次発未装填だったので二次被害は少ない。爆炎でブラウスの右袖が焼け落ちただけで済んだ。

 但し二次被害の少なさは初撃でのという意味でしかない。身軽になった敵艦載機は、後続と入れ替わって再度の爆撃を狙っていた。

 満潮の援護に扶桑がやってくる。対空機銃で曳光弾の噴水を出しながら味方駆逐艦を自分の防空圏深くに入れようとする。

「大丈夫? 今助けるわ」

「無理に来ないで……。扶桑、上よっ!」

 満潮の警告に、扶桑は慌てて身体を前に倒した。直後、敵艦載機の爆撃が左砲塔に直撃。

「こんなところで……」

 着弾の衝撃で飛びそうになる意識を後悔が繋ぎ止める。装甲貫通こそしなかったが、損傷は大きく衝撃波により左上部の主砲機関が破損、使用不能に陥った。満潮が叫ばなければ艦橋(頭部)直撃でもっと酷い被害になっていた。

「扶桑姉さま!」

 慕う姉の被弾で山城が我を失う。完全に後ろを向いて後退し始める西村艦隊旗艦。

 その背中を身を起こした戦艦ル級の近距離砲撃が襲った。

 砲撃音、炸裂音、悲鳴が続く。

「あああーーーっ!!」

 山城の左主砲塔に命中。倒れそうになるのを必死に踏み留まる。

「やってくれたわねぇ!」

 お返しに掌打からの組み付きで、戦艦ル級の砲撃を封じ込めに入った。

 苦渋の顔で最上が左腕の航空甲板を掲げた。

「瑞雲の残り全部、発艦! このままじゃやられっぱなしになっちゃう」

 継戦能力維持とかキルレシオ換算とか四の五の言っていられない。敵空母に空を好き勝手されては西村艦隊が保たない。出し惜しみ無しで水上機を連続射出する。

 時雨が両手の高角砲で航空機に牽制しながら最上に近付いた。

「僕が扶桑と満潮を援護するから、最上は山城をお願い」

「ちょっと、勝手に決めちゃ……」

「あの時、最後まで一緒にいてくれて本当に心強かった……。だから、今回もお願いするよ」

 時雨は被せるように言い残すと、手際よく艤装に次弾装填して走り出す。

 駆逐艦の背中を見送る最上は言葉が出なかった。

 白露型二番艦が何時の事を指して最上を頼ったのか考えるまでもない。自分と彼女が関連する『最後』なんて一つだけだ。

「まったく、しょうがないなぁ」

 僚艦にお願いされてしまっては、応えないわけにはいかない。

 最上は打ち出した艦載機たちに扶桑側の護衛を指示すると、敵艦隊に向かって増速した。

 戦艦同士で組み合っているところに砲弾を打ち込む勇気はない。だから直接的な援護ではなく、山城がやりたかったことを引き継ぐ。狙いは敵艦隊の中核、進入して攻撃力を削ぐ。

 右手と両太股の20.3センチ連装砲を一点集中。まずは取り巻きの軽空母ヌ級を落とす。

 戦闘初期の対空砲火前から飛んでいる自艦の艦載機が距離情報を送ってくる。最上は情報通りに狙いを定め、引き金を絞った。

「いっけぇー!!」

 最上は、実のところ軽巡洋艦の派生型である。

 巡洋艦を重軽二種に分別する境目は技術的な限界や運用方法から生まれたのではなく、当時の軍縮条約の文面上から発生した制約だ。この規制は砲塔の口径を基準にして作られた。

 一定以上の火力を要する艦艇が重巡洋艦、それ以下なら軽巡洋艦という判定をし、それぞれを何隻までの保有を認め合うという内容である。

 最上型はこうした条約文の穴を抜けるように建造された巡洋艦だ。

 つまり大型の船殻に、条約で軽巡洋艦に定義された砲塔を載せる。軍縮条約が破棄された折りに、砲塔の交換改装が行われ条約定義の重巡洋艦へと変更される。

 艦艇を建造しつつ、無駄なく戦力を増強させるための搦手だった。

 建造当初、最上は軽巡洋艦だったのである。故に山地を冠する重巡の命名則から外れ、軽巡基準の河川名をしている。

 数奇なことに、その後の最上は水上機甲板の設置で砲塔の数が減らされ、総火力が下がってしまう。条約を出し抜き高火力を得たはずが後戻りする結果になった。

 だが最上は自分の来歴を悔やんだことはない。

 航空巡洋艦の砲撃が穢れ軽空母に炸裂する。空母ヲ級の帽子と同じような大きな目と歯を見せる船殻に、破裂穴が穿たれた。着弾痕から盛大に浸水され軽空母ヌ級が傾く。船体を立て直そうと白い腕脚をおたおたと振りまわした。

 よし。撃沈は出来なかったが艦載機運用能力を奪えた。自分にはこれだけの砲火力が残されているのだ。艦隊補力の巡洋艦として充分に働ける。

 結局のところ最上が持つ主砲の口径は他の重巡洋艦と同じだ。砲門が減り片舷投射重量が下がっているが、戦闘に必要なのは命中するかしないかだ。着弾の観測機を持つ最上は命中率に自信がある。砲塔の数が減らされたところで、落ち込むことはない。

 確信を得た最上が腕を上げ、戦闘初期から上空を飛び回っている一機の瑞雲に礼の手信号を出した。あの瑞雲は危険を冒してまで敵艦艇との距離を知らせてくれたエースだ。

 運用コストが高すぎる戦艦に換わる戦力、巡洋戦艦の後継種。海戦に置いて全方位に力を振るうのが重巡洋艦の役割だ。特に航空機動部隊の隆盛著しいあの時代、艦載機能力を強化された航空巡洋艦は万能の艦艇といえる。何より単独で着弾観測機運用を行うと、まるで超長射程を扱っているような高揚感がある。

 今度は山城と睨み合っている戦艦ル級を素通りして、陣形奥に座す空母ヲ級を狙う。

 空母ヲ級の艦載機は扶桑たちに向かっていて、護衛の戦艦ル級はこちらの旗艦が抑えている。敵主力艦艇を落とす好機は、今しか無い。

 最大戦速を絞り出しならが、ゆるい蛇行で空母ヲ級に近づく。

 穢れの空母が帽子の横に生えた護身用の高角砲で最上を撃つ。近距離が弱点の空母だが、ある程度の武装を持っていた。

 しかし、まるで予見していたのか最上が蛇行の大きさを変えた。敵に向けて片舷を見せるまで船体を傾ける。敵艦艇の砲撃を避けることができたが、そのままでは折角近付いた敵空母から離れる勢いだ。両足の砲塔も背中側に向けられていて、攻撃の意思を失い逃げ帰る用意をしていた。

 相手の戦意喪失に、艦載機操作用の杖を構えていた空母ヲ級が腕を下げた。

 狙い通り。

「それじゃ、いっくよー!」

 掛け声と共に逆舵。

 もう一度空母ヲ級に向き直るかもと思うが、それすら越えて重巡洋艦の大きな船体が軋みを上げながらもくるりと回る。空母ヲ級の目の前に、最上の後方に向けた砲門が挨拶する。

 台風の脅威を船体に刻まれた第四艦隊事件。その損傷艦の中に『最上』の名前がある。あの時のコンクリートよりも硬くビルよりも高い波浪や、砂嵐となんら変わらない暴風雨に比べれば、スリガオ海峡の穏やかな海面は安全で走りやすい陸上競技場のように思える。このぐらいの転舵は造作もない。

 これは逆舷に準備していた主砲を、接近回頭で目標に向け直す戦列艦以前からあるちょっとした強襲法の一つ。砲塔旋回が出来る近代艦艇では無駄が多い、割に合わないと言われるが、引っ掛け(フェイント)とはそういうものだ。古事を知れば新しいものが見えてくる。廃れた戦術だって、現代に適応する状況は存在する。

 詰めに詰めた近距離だ。照準は甘くても構わない。一斉射!

 声に無い悲鳴を上げて深海棲艦の空母がよろめいた。

 扶桑たちを攻撃していた艦載機の動きが鈍くなる。穢れの空母たちは、艦娘たちと違い母艦が直接艦載機を操作していると言われている。だから一機一小隊ごとの能力は高いが、頭を潰されると途端に戦力が減衰する。

 奮戦する最上だが敵旗艦の推測損害は小破。一時の混乱を得ただけだった。

 軽傷の軽空母ヌ級が操る艦載機が最上を狙ってくる。奇襲回頭からさっさと離脱に移っていた最上を追いかける。艦艇が艦上機を振り切れるはずもなく、容赦の無い爆撃が襲いかかった。

「うわわわわ!」

 最上は悲鳴を上げて逃げる。やっぱり時代の流れには勝てないのか、航空機の圧倒的優勢は戦術を工夫した程度では覆せない。爆撃の炎が赤茶の制服を焼き焦がしてゆく。

 山城を助けようと飛び込んだはずの最上がコメディチックに走り回る。

 彼女の滑稽な結果を笑わずに受け止めた戦艦がいた。駆逐艦二人に援護を受けて、体勢を立て直した超弩級戦艦だ。

「最上、良い情報をありがとう。奮戦のお礼に戦艦『扶桑』の力、見せて上げます!」

 巨大艤装右側の主砲から砲弾が放たれる。

 最上の艦載機が彼我の距離を観測し、攻撃してくる敵艦載機の動きを鈍らせ、扶桑に集められたチャンスが結果を産む。僚艦の援護を存分に得た扶桑の砲撃は、最上を攻撃している軽空母を一撃で粉砕した。

 姉の戦果を見て山城は微笑んだ。

 残っている敵戦力は、空母ヲ級と中破した軽空母ヌ級。そして眼前の黒い戦艦。

 山城は戦艦ル級の腕艤装を掴み、両腕を広げて運用阻害をしている。手の平からは薄く穢れの黒煙が立ち上り、深海棲艦との接触面に蝋燭で炙られるような痛痒を感じる。

 目の前の穢艦は顔を怒りに歪めて砲門を西村艦隊に向けようとするが、山城によって妨害されている格好だ。理性の薄い深海棲艦は体系だった体術を持たない。腕力で山城より優れていても、艦娘として継承された技術と技能の前にやり込められていた。

 今なら、いける。

 山城が叫ぶ。

「西村艦隊、『夜戦』用意!!」

 旗艦の号令で西村艦隊に緊張が走った。

 記憶にあるスリガオ海峡は深夜の戦い。夜戦だった。

 今回、わざわざ日中に作戦を開始したのも昔に重なる部分を忌避したからだ。云わくのある作戦だ。不安要素はできるだけ減らしたかった。

 意外にも一番に賛同したのは、姉の扶桑だ。

「了解よ。いきましょう!」

 左砲塔を破損し(はだ)けた肩を抑える扶桑だが、特徴的な長身(パコダ・マスト)を揺るがすことなく凛々しく立っていた。

「最上の艦載機も今飛んでいるのだけ。『夜戦』へ入るのに躊躇する理由はないわ。損傷を受け続けるより、こちらから押していきましょう」

 脇にいる駆逐艦たちに目を向けて意思を伝える。

 二人も肯定の意味で頷き返した。

「わかったわ。やってやろうじゃない」

「向こうには僕たちを怒らせた代償を払ってもらう」

 残存する敵艦載機から攻撃を受けている最上は、逃げながら一も二もなく泣き付いた。

「いいから早くしてー!」

 僚艦たちの同意を得て、山城は心の中で感謝を捧げる。

 この作戦を始める前は苛立ちと不安で心が潰されそうだった。スリガオ海峡突入直前には、余裕を失い震えるだけだった。

 辛い記憶しかない西村艦隊編成だが、艦娘となっている自分たちは昔の艦艇そのものではないのだ。

 互いが助け合えば、勝利を目指せる。あの悲しい結末を変えられる。きっとレイテ湾に辿り着ける。

 前哨戦に勝利して、現在強力な航空部隊と競り合っているうちに、そうした希望が持てるまでになった。

 戦艦ル級が組み合う山城にしびれを切らして、背中の副砲を向けてきた。

 山城は丁度良いとばかりにすり足と押し手で相手を崩しに掛かる。

 思いがけない反撃で相手が堪え固まった瞬間を見抜き、今度は身を引きながら腕を交差させ、その場で旋回する。

 戦艦ル級の身体が空気投げの要領で海上から引き離された。宙を舞う穢れの戦艦が瞳のない翠眼を見開いて驚愕しながら、頭頂から着水する。

「おめでとう。貴女はあのホテル娘より先に空を飛んだ戦艦よ」

 二度目の水柱を作り上げる相手に、嫌味を残して数歩離れた。

「これより西村艦隊は『夜戦』を執り行う!」

 今一度の号令。

 まだ太陽が空に見える時刻に『夜戦』を敢行する支離滅裂な命令を繰り返す山城。彼女は意識を身体の内側に向け、自らと同化している『戦艦』の認識を強く持つ。

 山城の心に広く、どこまでも広がる海原を勇壮に進む戦艦が映し出される。特徴的な高層艦橋に多数の砲塔。扶桑型二番艦、超弩級戦艦『山城』である。

 『山城』は見渡す限りを水平線に囲まれ、海原の王者として君臨していた。

 空想の戦艦は、東へ東へ、朝日の方角を目指す。『山城』が太陽を迎え、天頂に掲げ、背へと落とす。東進が一日を早回しにして過ぎ去る。

 そして女王が勅命を発する。艦隊に向けての命令とは違う。自分が制する大海原に対しての、厳格なる幻覚の宣言だ。

 欲するは、闇夜の狩猟場。

 

「 我、 夜 戦 に 突 入 す !」

 

 艦娘『山城』の言霊に世界が切り替えられた。

 『夜』を所望する絶対王者に世界が従う。女王がお望みの通り、太陽を水平線に沈めた幻影の戦艦『山城』は夜の海に浮かんでいた。空想の光景が艦娘『山城』を通して現実に影響する。なぜなら王者の言は絶対だ。

 まず視界が失われた。

 分断機(シャッター)で外界から切り離された倉庫のように、光量が激減し視界が極端に短くなる。空の太陽が月と見間違えられるほどに輝きを絞った。一呼吸よりも短い狭間に、世界が夜へと変わる。

 これが艦娘の『夜戦』能力。

 本当に地球の地軸や自転を操り昼夜を切り替えているわけでない。そんな大それた力が艦娘一人にあるはずがない。狭域で光学観測阻害を擬似再現(エミュレーション)しているだけだ。物理的に光を遮っているわけではないし、影響を受けるのは艦娘と深海棲艦のみ。格好付けて言えば『戦場を仮想の夜に落としている』。

 この観測阻害というシチュエーションは、戦いを進める上で重要な意味を持っている。

 最初に西村艦隊を爆撃していた深海棲艦の航空機が統率を失った。目標である扶桑たちを見失い、出鱈目に飛び回る。

 海上の夜間飛行は最高難易度に位置づけられる。昼でさえランドマークが何もない見渡す限り海原に、夜ともなれば太陽もなく方角を失いやすい。そんな劣悪な環境を計器だけを頼りに飛ばなければならない。まして戦闘機動を重ねられると、達成できるのは極僅かなエースたちに限られる。

「今度は私の番ね」

 扶桑型一番艦が両腕を仮想の夜空に広げた。背負った巨大艤装から花火のような対空砲火が始まる。僅かな光が(はだ)けた扶桑の胸前に淡い陰影を落とす。光量が少なくとも、描かれた曲線によって存分に存在を誇示する双房が見えた。

 空に打ち上がる光の逆滝に穢れの艦載機たちは我先にと離脱する。対空砲火が弱い艦艇相手ならまだしも、機銃を数多く持つ戦艦が近くに居ては接近出来ない。折角爆弾投下目標が見えても、呼び寄せる光こそが相手の牙だ。逃げるしかない。

 航空機が逃げる先、そこに彼らの母艦がある。本来なら視界が効かない『夜戦』で正確な位置情報が判るはずがない。穢れの艦載機だからこその帰巣本能であり、意図しない先導員となった。

 満潮が不敵に笑う。

「夜戦の水雷撃こそ、私たちの領域よ!」

 西村艦隊の駆逐艦娘二人は、慣れた手付きで魚雷を装填してた。山城が『夜戦』場を展開した時から、二人の手は無意識に動いていた。

 夜間戦闘の訓練は、前時代から繰り替えし受けている。それこそ死ぬ(沈む)ほど行った工程だ。更に艦娘として生まれ変わっても、訓練は続けられてきた。満潮と時雨は、眼を開かずとも水雷撃の装填から発射まで出来る。もはや身体(船体)に刻まれて習性となっていた。

 時雨の両足の魚雷管が前面に向けられ、満潮も左腕の魚雷発射管を突き出す。

「雷撃、いくよ」

「時雨こそ外すんじゃないわよ」

 駆逐艦二人から魚雷が放たれる。狙いは艦載機が戻る先に居る空母ヲ級。散々艦載機で攻撃されたお返しに加えて、この雷撃にはもう一つ目的があった。

 最上が魚雷を握って軽空母ヌ級に近づく。

「これで最後だっ」

 ラグビーボールをゴールラインに突き刺すように、水雷弾を打ち込んだ。

 二箇所への同時攻撃に、護衛役の戦艦ル級は完全に動きを止められた。首を振ってどちらを援護すればいいのか迷っている間に、着弾。水中の長槍が敵空母群に止めを刺した。

 高く太い水柱が沈む穢れの艦艇を覆い隠す。見て判るほど昼間の魚雷から威力が増していた。

 これが『夜戦』もう一つの効果。艦娘たちの能力は環境によって変異するが、環境の範囲に『夜戦』も含まれている。旧帝国海軍が夜戦を得意としたことを起因にして、艦娘たちが自発的な能力上昇が出来る特殊戦闘領域。それが『夜戦』。ここでは大型の敵空母にも駆逐艦の魚雷によって大損害を与えられる。

 但し能力上昇の影響を受けるのは艦娘だけではなく、深海棲艦側も同じ。無闇に『夜戦』を展開するのは愚策だ。それらリスクを秤に掛けた上での決断を必要とした。

 今回は正しい判断だったと僚艦が示したことで、山城の戦意は高揚した。

「さあ、こちらも終わらせましょう」

 西村艦隊の旗艦が主砲を最後に残った戦艦ル級に向ける。まだ海原に倒れたままの相手に容赦なく打ち込む。ドンッと内蔵まで揺らされる砲撃音と衝撃波。

 黒い大型穢艦は水上に身体を転がして避ける。直撃はしなかったが衝撃で吹き飛ばされる。

 戦艦ル級は不利な体勢なのを承知で腕を持ち上げ、反撃を試みた。

 扶桑型二番艦は相手の照準が夜戦に適応しきれていないと踏んで、無理に回避行動を取らず自弾の必中を狙う。

 山城と戦艦ル級が至近距離で撃ち合う。

 直撃した砲弾が、胸に大穴を作る。

 苦悶の表情で沈んでゆくのは、深海棲艦の方だ。

 戦闘の轟音が止んで、興奮を覚ます余韻が艦娘たちに訪れる。

 『夜戦』が解除され擬似的な夜となっていた周囲に光が戻ると、崩れ落ちてゆく深海棲艦の船体がはっきりと見えた。

 穢れが黒い塵となって海に消えてゆく。戻るべき空母の撃沈に合わせて、敵艦載機たちも空中分解を始めた。

 スリガオ海峡に入ってからの二戦。特に”残骸”が残ることもなく消えてゆく。

 少しだけ外れを引いたことを悔しく思う。片腕で胸前を隠しながら扶桑が呟いた。

「新しい仲間は、まだお預けね」

 満潮は戦いで乱れた髪を左手で軽く直しながら、消え去る敵艦隊を眺めていた。不満そうに顔を歪めて言う。

「『夜戦』しても大丈夫だったじゃない。警戒しすぎだったわね」

「そうでもないさ。『夜戦』よりも前に被弾しちゃ、警戒する意味がない。特に扶桑と山城がね」

 時雨が戦艦姉妹を交互に見る。

 諸肌隠す扶桑は左上砲塔が損傷して使用不可能。艤装の内部では妖精たちが復旧作業中だ。

 山城は面白くも笑えない状態になっていた。

 戦艦ル級最後の攻撃が身体には当たらなかったかわりに、右主砲の砲身に命中。その一本が見事に歪んでしまった。傍目に見ても利用不可能、現場の応急処置では直せない損害だ。

 よりによって身体よりも細い砲身に当たった不運を、酷く肩を落とした山城が嘆く。

「不幸だわ……」

 扶桑型の主砲は連装砲なので完全な沈黙ではないが、戦力が削られたことには違いない。山城は戦闘中に左側にも一発被弾している。早期の損傷確認が待たれた。

「満潮の右腕は大丈夫? 被弾したよね」

「……あんたが気にすることじゃないわ。大丈夫よ」

 への字口の満潮が損傷した主砲を持ち上げる。主砲に群がる妖精たちが修復材を持ち出して修理しているのが見えた。

「すぐには使えないけど、完全に壊れわけじゃない。私はまだ戦える」

「右腕をちょっと見せてくれないかな。艤装よりも腕の方が心配だよ」

「はい。ストップ」

 満潮が追求してくる時雨を制して言い返す。

「もしかして自分が無傷なのを気にしてるの? 冗談じゃないわ。私は無駄に心配されるのって大っ嫌いなのよ。それ以上グダグダ言うのなら魚雷をぶち込むわよ」

 怒りを吐き出して背を向ける。

 時雨は満潮が必要に右腕を見せないことへ不安を募らせる。

「心配するに決まっているじゃないか。僕の怪我なんて関係ないよ」

「ちゃんと自己診断は出来てるわ。第三戦隊の姉二人みたいなヘマはやらない。他人に構う余力があるなら周囲への警戒に向けなさい」

 言い合う二人に扶桑が割って入る。

「時雨も満潮も、程々にしなさい。まだ戦闘は続くわ。警戒も維持するけど、陣形の再構築も急がないと」

 先の戦闘で敵陣に突進した山城と最上は、三人との距離を少し開けている。

 さらに長身の戦艦は、時々可愛らしく右膝を後ろに折り曲げて片肺航行していた。最初の戦闘で損傷した右の水上下駄が不調のようで思うように進めず、なかなか先行する二人とは距離が詰められない。

 西村艦隊の損傷度合いも重要だが、艦隊行動の基礎となる陣形が崩されていることも問題だ。

 早く隊列を立て直さないと、小中破した艦を個別に狙い打たれて沈められてしまう。

 事前調査によって数えられた深海棲艦の艦隊数は4。これで五合目に辿り着いたといったところだ。まだまだ海峡攻略を掲げるには遠い。

 西村艦隊単独では任務達成が難しい状況になっている。切実に支援艦隊の到着が待たれた。

 最上は航行速度を落とす山城に一言。

「ねえ、山城さん。瑞雲たちを拾いに行ってもいいかな?」

「……するのなら急ぎなさい。どれだけ稼働機が残っているのかも報告すること」

「もちろん!」

 旗艦の許可を取り付けた最上が急ぎ足で走り出した。

 最上の艦載機たちは、『夜戦』展開時に艦隊上空から退避して方々に散っていた。

 『夜戦』中は視認飛行が不可なので、迂闊に飛び回らずに逃げるのが賢明だ。その分艦載機たちが散り散りになってしまうので、戦闘終了後の回収に手間が掛かる。穢れの空母郡に対抗するために全機発艦したから尚更だ。

 最上も西村艦隊の苦境を理解している。山城から離れる時間を短く済ませるため、前方の海面へ着水した瑞雲の回収から入った。

 南側へ逃れた艦載機たちは、行き脚を鈍らせた扶桑の護衛よろしく後ろの三艦に集まっていた。回収と補給、発艦は最上にしか出来ないが、随行だけなら誰でも構わない。満潮や時雨からロープを出してもらい曳航されているちゃっかり者も居る。その姿は散歩する愛玩動物のようで、これぞ水上機の特性と言ったところだ。

 現状、制空対空能力の確保は命に関わる重要項目。こうした艦娘ならではの現場運用も活用していかなければならない。

 先を進む最上の背中を見て、山城は溜息一つを溢すと水上下駄の回転数を上げた。瑞雲を拾い上げる最上と、後方三人との間に山城が入る形だ。艦隊が単縦陣以上に伸びてしまっていることを不安に思う。早く姉たちと合流したいが最上一人を孤立させることはできない。気休め程度ではあるが、瑞雲の制空能力が西村艦隊には必要なのだ。

 スリガオ海峡で大型空母が出てくるのは予想外だった。司令官が『軽空母ヌ級を認む』と事前情報で出していたことに違和感を覚えはした。だがそれには『自分が知っているあの戦いではない』という『安堵』もあった。気の緩みから状況分析を軽んじた山城は、このことで提督を罵るのは軽くで済まそうと考える。

 それだけに、別の危機感が増大してきた。

 穢れの艦艇たちが艦娘たちを仲間に引き込もうと手を尽くしているのなら、この戦いに空母を投入するとは思えない。付喪神や魂魄の概念を利用してモデル元から能力を借り受けている艦娘には、艦歴に添った戦いを仕掛けるのが一番である。以前の海戦には存在せず地形的にも不利な艦種を混合させているのは、何か裏の意図があるのでは……。

「考えすぎかしら……」

 深海棲艦たちの緩やかな指揮系統では複雑な艦隊行動は無理だと解っている。やれるとしても強力な個体が連合旗艦となって群れを引っ張る程度だ。だからこそ、鎮守府は無限に湧き出る穢艦に”土竜叩き”を続けられてきた。

 今回の掃討浄化作戦には、そういった上位種の存在は感知されていない。アレらの存在感は空母ヲ級すら足元に見る。『鬼』と『姫』が事前情報で見逃されては、鎮守府の観測体勢を一から見直すことになってしまう。

 言葉に変えられない焦燥が山城の胸中に漂い続ける。いくら考えても晴らせそうにない。

 せめて警戒は密に厳にと、努めて顔を上げて遠くを見た。

 

 見てしまった……。

 

 敵艦載機の大群が、青い空に浮かんでいた。

 脳裏に叢雲という形容が出た。同名の駆逐艦娘に怒られそうだが、空を覆い尽くす数に連想せずにはいられなかった。

 続けて水平線に穢れの母艦たちも姿を表す。その艦隊構成に、先程の戦艦ル級と空母ヲ級に感じた絶望が容易く塗り替えられる。

 空母ヲ級が二体。さらに艦隊旗艦を務める片方は赤い燐光を放つ強化体だ。敵旗艦が操る艦載機も同様の光を纏っている。叢雲が赤い光を放つ様は、まるで夕闇が世界を食らいつくそうとしているかのようだった。

 山城が喉に引き攣りを感じながらも叫んだ。

「全艦、対空警戒!! 最上、悪いけど回収は終わり! すぐに戻りなさい」

 妹に続いて扶桑も声を張る。

「右舷、敵艦隊見ゆ!」

 首を巡らせて東側を見据えていた姉の声は、悲鳴に近かった。

 それもそのはず。東側に姿を表した艦隊の先頭には戦艦ル級が二隻。こちらも旗艦となっている方が赤い眼をしていた。

 山城たちは、頭と右手から二艦隊に迫れる形になった。

 相手側の戦闘序列。北側、空母ヲ級2、戦艦ル級1、重巡リ級2、駆逐ニ級1。東側、戦艦ル級2、空母ヲ級1、重巡リ級1、軽巡ヘ級2。加えてそれぞれ旗艦に赤色後光(エリート)が認められる。

 想像以上の大艦隊。

 大戦力の挟撃を前に、西村艦隊の誰もが動けずにいた。

 最初に恐怖を振り切ったのは、国の威信を掛けて造られた超弩級戦艦だ。

「みんな、一箇所に集まって! 密集陣形で最初の艦載機爆雷撃を凌ぐわよ!」

 不調の片足を引きずって扶桑が声を張り上げた。

 山城は、そういうことかと歯噛みする。

 これは力技だ。

 歴史にあるスリガオ海峡夜戦の再現は場所と艦娘側だけで、深海棲艦たちは数頼みの力押しに来ている。

 指示系統が貧弱であることを甘く見ていた。艦娘たちに各個撃破される深海棲艦だが、閉所に数を集めることで対策としていた。単純な殴り合いなら頭数が物を言う。その上で、旗艦に強化体を据えた艦隊での同時攻撃。昔の連合軍ような組織立った待ち伏せではないが、こうした正攻法も立派な戦術だ。これらが本能と幸運に寄る状況ではなく意図的に演出された舞台だとしたら、その黒幕に称賛の張り手を贈りたい気持ちだった。

 胸に瑞雲数機を抱えた最上が血相を変えて山城に合流する。

「ど、どどどど、どうしよう。山城さん」

「落ち着きなさい。一先ず持っているそれを壊さないようにしまって補給しなさい。姉さまがおっしゃるように集中防御するわよ」

 山城が取舵を切り姉と駆逐艦二人への連携を回復させようとした時、今度は時雨が叫んだ。

「二人とも止まって! こっちに来ちゃだめだ!」

 時雨が指差す所には、海面に一線を刻むものがあった。

 水雷航跡っ……!

 それもひとつではない。10本近い数の魚雷が西村艦隊に向けて迫ってきていた。

 魚雷を回避するために山城は舵を切り直し、時雨たちは減速する。これで二組の距離が更に開いた。

 通り過ぎる魚雷の発射元を見つけた満潮が、強張る頬で無理やりに笑顔を作る。

「これは、なんとも絶望的な状況だこと……」

 西村艦隊の後方八時。穢れ艦の新手が出現する。

 正確には新しい艦隊ではなく再編成部隊だった。なぜなら旗艦に居るのは最初の戦闘で取り逃がした重巡リ級だ。穢れの雷巡を始め、軽巡駆逐で構成された水雷戦隊を率いて戻ってきた。

 満潮は空母と戦艦の艦隊とは別に敵の水雷戦隊が現れたことを訝しむ。

「あの重巡、レイテ湾からの増援と合流したにしては方角がおかしいわね。海峡の外に回遊部隊がいたのなら、どうして私達がスールー海を横断している時に攻撃してこなかったのよ」

 知性が薄い深海棲艦たちは目に見えるものを襲う。スールー海で遭遇戦が起きなかったのは運が良かったのか。それにしてはご都合に思える。

 駆逐艦の疑問に扶桑が応えた。

「思い出して。レイテ沖海戦は比諸島をめぐる4つの海戦を纏めた総称よ。わたしたちのスリガオ海峡夜戦もその一つ。あの逆襲部隊をよく見てみて」

 促されて穢れの水雷戦隊を観察した満潮は得心した。あの5つめの艦隊は、そういう仕組みで出来ていたのか。後で高雄たちに恨み文句を叩きつけなければ。

 一つの謎が解消されたが、西村艦隊は分断された上に三方を大戦力に囲まれた状態になっている。

 上空に留まっていた敵の艦載機部隊が山城と最上に向かって飛翔、殺到する。

 気を張り機銃を構えた山城と慌ただしく航空甲板を操作する最上へ向けて、扶桑が叫んだ。

「二人とも、今は逃げなさい!」

「ですが、山城は姉さまと……」

「私は大丈夫よ。後で必ず時雨を……!」

 言い終わる前に山城と最上の頭上へ穢れの航空機が侵入しようとする。

 最上と二人だけでは効果的な対空陣形を組めない。言われたとおりに逃げるしか手段がない。

「必ず戻りますから!」

 山城は蛇行しながら敵艦隊との距離を引き離しにかかった。最上も航空甲板を掲げて逃げる。

「準備できた子から発艦! 出来るだけ急いでね。直上だけでも守りきるよ」

 機械式甲板から残り僅かの瑞雲が飛び立つ。積極的な迎撃ではなく、最上の指示通りに直上護衛だけに専念する。たった数機の護衛機たちでは微塵の余裕もない。

 機関出力を上げて海上を疾駆する山城と最上に、敵艦載機たちは易々と追いついた。船の速さで航空機を振りほどけるはずがない。爆撃と雷撃、機銃の弾丸が何度も二人に降り注いだ。

 最上は航空甲板で頭を庇った。もう瑞雲の運用は見込めない。後は楯代わりに使うだけだ。ごんこんと航空甲板が着弾音を鳴らす。

「日向さんに怒られちゃうよ」

 一方山城は、脚の遅さから最上の少し後ろを走ることになった。当然最上よりも襲い掛かる敵艦載機の数が多くなる。数多くが命中し衣服がボロボロと焼け剥がされる。戦艦『山城』の装甲に守られ、行動不能にまでは陥っていないが中破判定は既に超えていた。最後には極短赤袴が焦げ落ち、丸い臀部を持ち上げ支える下履きが見えた。

「ああん。恥ずかしいわ……」

 尻を覆い隠したいが、羞恥を堪えて走る。

 姉たちの姿はもう山城からは見えない。

 追い立てられる二人の前にレイテ島の南東岸が見え始めた。さすがに海峡と名付けられただけのことはある。全力で走れば岸まで簡単にたどり着く。

 これ以上西側に逃げては座礁の危険があるが、そんな小さなことに構っていられない。生き残れるかどうかの瀬戸際なのだ。座礁して固定砲台となっても動ける限り戦うだけだ。

 ここで一旦穢れの航空機たちが引いていった。爆弾弾丸を撃ち尽くし、燃料を減らしたのだろう。

 帰投先へ向けて山城が振り返ると、戦艦ル級と空母ヲ級の両艦隊が追いかけてきてた。艦載機が考え無しに山城たちを攻撃したために、母艦たちも引っ張られた形だ。

 深海棲艦たちの愚直さに少しだけ感謝しつつ、内心ほくそ笑む。

 扶桑たち三人で水雷戦隊を相手取ることになるが、主力二艦隊と事を構える自分たちより生還率が高いはずだ。

 敵水雷戦隊の出現元を気にした満潮ではないが、山城も少し気がかりがあった。この分断が史実に基づく戦術なら『時雨』はこちら側に居て然るべきだ。先に落伍と撃沈をするのは『扶桑』と『満潮』のはずである。突入先行する側に『時雨』が居ないのでは、西村艦隊全滅の再現性が低くなる。

「これも佐世保の武勲艦が張り切ってくれた御蔭かしら」

 先の戦闘で、被弾した姉と満潮の援護に時雨が入ったことが切っ掛けだろうか。まあ偶然だと結論付ける。

「最上、脚は落ちてないわね」

「大丈夫。まだまだいけるよ」

「それじゃあ、取舵いっぱい。岸に沿って南下、姉さまたちと合流します」

 艦隊旗艦の言われるがままに操舵する。

 最上が身体を左に傾けて、綺麗なターンを見せる。レイテ島東海岸を右手にして南へ進路を向ける。

 このまま速力を保てば敵艦隊の包囲を抜け出せる。

 戦闘出力を続ける機関の熱は高いが、窮地を脱せる目星が見えたことに最上が眼を輝かせた。

 ガキンッと悲痛な音がしたのは、余裕が出た最上が山城に振り返った瞬間だった。

「こんな時に……!」

 山城の顔が歪む。彼女の姿勢が左に傾いたまま戻らない。旋回を続け最上との距離が離れだす。

 最悪なタイミングで山城が履く水上下駄の舵が折れていた。空爆時に撃たれた艦載機雷撃のダメージが、遅れて表面化してしまった形だ。

「山城さん! ちょっと待ってて!」

「私に構わないで! あなたは行きなさい」

 もう一度反転して旗艦の援護に入ろうとした最上を山城が制する。

「ここで相手を振り切っても、合流されてはどの道同じよ。どちらかが殿を務めて押し留めないと……」

「それならボクが残るよ。旗艦の山城さんこそ離脱しないと!」

「速度と損傷を考慮すれば選択肢すら現れないわ。歴史的にも妥当でしょう。ほら、空爆の第二波が来る前に逃げなさい」

 追って来る大戦力から再び艦載機たちが飛び出してきた。空母三隻が抱える艦載機の総数を考えれば、遊々と話し込む余裕はない。

 最上は溢れ出す涙を堪えら切れず嗚咽した。敵は西村艦隊が万全の状態でも勝てるか解らない大群だ。山城を一人残せばどうなるか、火を見るより明らかである。

 だからといって、ここに最上が加わっても共倒れになるだけ。

 最上がなによりも嫌なのは、こうすることで『山城』以外の艦娘がスリガオ海峡から脱出することができることだ。

 予想外の敵戦力が確認され、自軍現戦力での目標達成が困難であり、作戦旗艦の山城が戦没したので、撤退した。

 なんと通りのよい筋書きだ。そんな犠牲を強いる選択をしたくない。

 かといって、戦えば沈む。逃げれば残悔を抱える。どちらも選べない。

 自分がどうすればいいのか。最上の思考が混戦する。

 山城は姉と同じように片足を浮かすきわどい操船で船体の傾きを正した。だが最上に背を向けていて、お互いの距離が離れ続ける。

 顔の見えない僚艦の決断を促すため、旗艦『山城』が命令を下した。

「現時刻を以って旗艦の権限と機能を扶桑姉さまに移譲します。合流後は姉さまの指示に従いなさい。ふふふ、旗艦の変更が簡単過ぎるのはあまり好きではなかったけど、こういう時は便利ね」

 数少ない山城の栄誉に、帝国海軍連合艦隊総旗艦を務めたことがある。建造前から予定されていた栄光であり、唯一の計画通りに行われた任務と言えなくもない。逆に同型一番艦である戦艦『扶桑』は時期が合わず海軍旗艦を務めはしても連合総旗艦になれなかった。山城は姉を気遣い連合艦隊総旗艦就役を積極的に自慢することはないが、唯一誇れるたった一つの栄誉としている。

 連合総旗艦の変更は海軍首脳部の移設と同義。(おか)で例えるなら省庁の建屋引っ越しに相当する一大行事。おいそれと行えるものではない。

 しかし、艦娘となってからは旗艦の役割が作戦艦隊のまとめ役程度にまで落ちてしまった。連合艦隊への全体指揮権を持つ総旗艦は名目だけの価値となり、事実上廃止されたと言える。

 現在の司令官は必要に応じて頻繁に旗艦を変更する方針を明言していて、『遠征』などでは駆逐艦娘が旗艦に収まるのも珍しくない。

 連合艦隊総旗艦に誇りを抱いていた『戦艦』勢は、その扱いの軽さに多少なりとも不満があった。もちろん山城もその一人。あの荘厳たる帝国海軍連合艦隊総旗艦を一時期でも務めた身としては、軽々しく扱われるのは気持ち良くない。

 これが艦娘としての特性であり利便性なのは理解していた。作戦艦隊の指揮なら、艦娘同士でコミュニケーションを計ればそれで済んでしまう。艦艇の人格を持つ艦娘は、巨大な船体を操るために船員を載せ明確で厳格な指揮系統を施設する必要がないのだから。姉妹艦同士なら無言の目配せや首肯だけで通じることすらある。

 指揮系統の即決簡便化に悪い所があるとすれば、今こうして、背を向けて最上に命令を伝えるのだって、……苦労させられているところだ。

 山城は自分の顔がどれだけ恐怖に引き攣り、血の気を失い、哀涙に瞳を濡らしているかを自覚していた。

 追って来る敵戦力を考えれば、これから伝える命令は自殺行為に他ならない。

 しゃくりあげる胸を強く手で抑える。声が上ずらないように意識しながら、言葉を続けた。

 

「私がどれだけ攻撃されようと、構わず作戦を完遂させるようねえさまに伝えて……」

 それが、かつて『山城』が発した最後の命令に近しいことに涙を溢す。山城も、最上も……。

 

「…………い、いやだ! その命令は聞けない、聞きたくない! ボクも一緒に戦うよ」

「何を言っているの。私は何をするのも扶桑姉さまと一緒でなければ嫌なの。あなたとなんか願い下げよ。さっさと離れなさい」

 最上に背中を見せたままの山城が、追い払うように手を振る。

 それを見てはっとする。白い指先が尚色を失い震えていることに最上は気がついた。山城の意図を、理解してしまった。

 気丈に振る舞おうにも、魂まで震わせる恐怖を全て隠すことは出来ない。指先の震えは山城の真意を代弁いていた。

 航空巡洋艦『最上』は、スリガオ海峡夜戦の最中に没してはいない。一度海峡から脱出した後に追撃を受けたことが原因だ。

 まだ自分はここでは沈まない。山城が沈ませないと言っている。

 最上が強く唇を噛み締める。

 悔しい。すごく、悔しかった。

 どうして自分たちはこうまで歴史の強制力に翻弄され、その運命を覆せないのか。

 最初の戦闘で扶桑が落伍しなかった。満潮は沈まなかった。『夜戦』を行なっても無事だった。

 安堵していたのは確かだ。負傷は受けていたから、慢心していたとは思いたくない。

 だからといって、山城が沈まないとは限らない。

 これから起こることが解っていたはずなのに、既に知っているのに。逃げられない。

 そんなのは嫌だ。

 涙を浮かべて、必死に考える。どうすればいい。

 山城が沈む状況を、深海棲艦たちに再現させないことだ。

 再現させないためには、歴史とは異なるものを付ければいい。

 じゃあ、なにが用意できる。

 最上では駄目だ。『最上』よりも先に『山城』が沈んでいる。自分がいることでは変わらないし、ここで逃げ去っても単艦残された山城の撃沈は確実だ。

 自分が居てもだめなら、……他の艦に頼ろう。

 そうだ。ボクたちは艦隊だ。

 第二艦隊第一遊撃部隊第三支隊。通称として指揮官の名を戴いた西村艦隊。あんなにきれいな扶桑がいるじゃないか、皮肉屋だけど仲間思いの満潮に、いつだって落ち着いている時雨もいる。

 なによりも、『扶桑』が健在なら『山城』は沈まない。

 もう一度みんなが集まれば、西村艦隊なら、戦えるんだ!

 心に閃いた一縷の希望に、最上は全身全霊で大声を張り上げた。

「扶桑さんを呼んでくるから、みんなを連れて戻るから! 沈んじゃダメだよ! 絶対に助けるからね!」

 急げ、急げ!

 扶桑たちが居る場所を目指して全力で走り出す。

 山城に背を向けて動き出した最上に、深海棲艦たちも反応する。戦艦と空母の護衛役だった穢れの重巡洋艦が三隻が、独立航行で最上の予想進路上に壁を作った。大型艦の補助には軽巡と駆逐艦を残している。

 最上を逃さない腹積もりだろう。それは甘い。

 丁時航路不利の位置だが、最上の後部主砲は航空甲板に置き換わっている。縦棒でも火力が減るわけじゃない。

 無数の砲門が向けられ砲火が始まるが、臆さず増速。

 昔この場所で西村艦隊が対峙した敵軍総数に比べれば、自分と同級の巡洋艦三隻なんて無いも同じ。前方の砲塔で反撃しつつ真っ直ぐに突き進む。

 回避蛇行を捨てた行動が運良く働いた。砲門の数に頼ってばら撒かれた砲弾は、最上に直撃することなく海面を叩く。

 砲撃されても構わず接近する艦娘に穢れの重巡たちも珍しく狼狽を見せた。このままでは衝突してしまう。攻撃を続けるか、最上を回避するか迷っている。その判断が下される間にも、両者の距離は縮まる。

 最終的に避けることを選んだ重巡リ級たちだが、既に時遅し。

 最上が三隻の真ん中に突っ込んだ。

「衝突は、ボクの得意技だよっ!」

 重巡同士の激突は何度も経験済み。上手く損害を減らす要領は良く知っている。

 船体を使ったバリケードなら、ぶつかってもいいっていう覚悟を決めていないとね。

 衝突する瞬間に少しだけ膝と曲げ腰を落とす。首を窄め、肩を上げ、両腕で頭を固定する。これで相手の腰を狙う。

 衝突した瞬間、前進する力に強い抵抗が加わるが、それを押し退けるよう更に力を込めて進む。

 体当たりされた重巡リ級が、衝撃でバランスを崩した。上体を最上に被せるようにして転倒を防ごうとする。

 機を逃さず最上は上体を起こし、脚を前に出し、押し進め、相手の身体を肩と背中で持ち上げた。

 技もへったくれも何も無いゴリ押しのチャージリフトフォール。

 最上の突進力に持ち上げられ、その背中から転げ落ちた重巡リ級が頭から水面に叩きつけられる。

 派手に立ち上る水しぶきに、残り二隻の重巡リ級が最上を見失う。砲撃しようにも距離が近くて同士討ちの危険がある。格闘しようにも姿が見えない。

 水柱が収まった時、全速力を出す航空巡洋艦は背中を小さくしていた。二隻の重巡リ級は慌てて最上への追撃戦を開始する。

 僚艦の強引な包囲突破を見て、山城は呆れた。

「あれではまるで猪ね……」

 彼女の衝突癖が直らない理由が、なんとなく察せられる。

 一人佇む山城へ、いよいよ穢れの航空機たちが襲いかかってきた。腹を空かせた野獣が獲物を仕留めるように、怒涛の勢いで容赦の無い暴力を降り注がせに来る。

 絶望を前にして、山城は自分の心が落ち着きを取り戻していることをに驚いた。

 なぜだろうと自問してみる。答えは考えるまでもなかった。

 仲間が希望をくれた。姉さまが助けると言ってくれた。最上も深く考えてはいないだろうが、別れ際に少しだけ敵戦力を分割してくれた。

 これだけお膳立てされたのだ。最後まで足掻いて見せよう。

 まだ指は震えている、唇は血の気を失って青い。

 だが山城の涙を堪えた瞳が映すのは、死地(過去)ではなく戦場(現在)であり、目指先は(未来)だ。

 敵航空機舞台に対して、左側を前に半身になって構えた。左外側の砲塔は二戦目に背後から被弾した場所だ。僚艦たちには隠していたが、この左砲塔も内部機構が破壊されていた。使えない艤装を楯にして、少しでも船体を守ろうとする。

 爆撃の第二波が山城に降り注いだ。対抗に機銃残弾を躊躇なく空へと打ち出す。

 航空雷撃も迫る。これは舵の折れた左脚の水上下駄を蹴り飛ばして誘爆させた。どうせ逃げられないなら、徹底的に反撃してやる。

 主砲は有効射程前でも発射。穢れどもを近づけさせないよう絶え間なく撃つ。砲身が加熱して歪もうが、身体が発砲の衝撃に折れようが構わず攻撃した。

 山城の猛攻に深海棲艦たちも歩みを鈍らせる。

 だが相手は大型艦6隻の大部隊。まして空母が半数を占めている。一人で押し返すには、物量が違い過ぎた。

 数に任せて機銃の防空圏を突破した敵艦載機たちが、山城への爆撃と命中させる。楯代わりにしていた左砲塔の装甲を貫通、内部で爆発。

 悲鳴を上げる間もなく、山城は爆発の衝撃で海上に倒れた。

 衝撃と熱で真っ白に染まる思考と視界を、歯を食いしばって押し留める。倒れた身体の動く所を全部使って、体勢の立て直しを始める。

 今度は激痛が意識を削り出す。

 砲塔に近かった左脇腹が痛い。皮じゃなくて骨にきている。でも内蔵じゃないから問題ない。動け。

 肋から発生した激痛が背骨を通って脳内を焼く。

 たった一発で、この様か。オンボロめ。

 自分の身体を罵りながら、それでも山城は立ち上がった。

 見れば眼の前に戦艦ル級が3隻が並んでいた。先頭の一人は感情の無い赤い瞳で山城を捕らえている。

 砲門数では勝てない。先制して敵の数を減らす。

 本能な反射行動で、山城が身体を翻し右側主砲で相手を撃とうとする。

 艤装が艦娘の意思を反映せずに沈黙。仰角装置動作不能。主砲が先程の転倒で故障していた。

「不幸ね……」

 自分の不運を嘆いた時、穢れの戦艦たちが一斉に攻撃開始。損傷した山城の船体を更に蹂躙した。

 怒涛の攻撃に再び山城は倒れる。衣服のほとんどが焼け破れ剥がれ落ち、山城の身体には紐状に残った残骸が巻き付くだけになった。

 撃沈を確認するためか、戦艦ル級の一隻が警戒しながら近づいてきた。

 倒れている山城の手が右砲身を掴み持ち上げ『手動』で照準を合わせる。発射された砲弾が接近する戦艦ル級の腕に命中。一部砲塔を破壊する。

 幽鬼のごとく山城が立ち上がる。切れた額から流れて落ちた血糊が眼窩の淵を通り、涙の様相を体していた。左側の艤装は装甲が剥離し、火災炎と黒煙を立ち上らせる。満身創痍の大破重体。

「本当に、とんだ欠陥兵器で、出来損ないだこと……」

 山城は自分の状況に自虐で泣き笑う。

 ある畜産家は言った。経済動物の言葉を理解しては仕事を行えない。気が狂うだろうと。

 もしも船に魂や意思があったのなら、その声が工員や乗組員たちに聞こえはしなかったのだろうか。

 聞こえたこともあったはず。自分たち艦娘の存在が、万物に宿る意思()の存在を証明している。

 いや、だからこそ。嘆きと怨嗟を訴える『戦艦』の声が当時の技師たちや上層部に届かなかったのは、神仏の慈悲だったのかもしれない。

 建造当時に正しく設計されていたのなら、山城がこれほどの恐怖や苦心を背負うこともなかったのだから。無数の栄光と期待を背負い、それを裏返された超弩級戦艦の深く暗い嘆きは、深海棲艦たちの穢れすら超える霊障になっていただろう。

 今からでも自分の内にある『山城』を通して叫び散らそうか。

 無意味な行動と解っていても、船の記憶を意識してしまう。このまま奴ら側に堕ちて、姉さまの元へ帰るのも悪くない。

 山城の魂と重なる『戦艦』も酷く損傷していた。

 そんな情けない『山城』に向けて、どこからか誰かが絶賛している声が聞こえた。

 なにごと、一体どこから?

 船の記憶を辿ると、水抜きされた船渠に支え下駄で浮かぶ『自分』がいた。

 そんな『山城』を近場の丘に登った子供たちが見下ろしている。もっと高いところから見ようと木によじ登り『山城』の姿を見ては感嘆の声を上げていた。

 艦隊に参加していることが珍しい『山城』。大した戦歴もなく船渠に篭ってばかりだが、軍港近くの子供たちには大人気だった。

 それは『山城』が、いつだって見ることが出来た『戦艦』だからだ。

 作戦前に時雨が見せた笑顔を、唐突に思い出す。

 そうか、あの顔だったんだ。

 あれは丘の上からドックを見下ろしては、まるで自分のことように『山城』を自慢する子供たちと同じものだった。

 その感情の正体は信頼であり、憧憬だ。

 すごくおおきい。かっこいい。

 とてもつよいんだぜ。

 どんなふねがあいてだって、たいほうでいっぱつだ。

 少年たち特有の高い声で、何度も称賛され感嘆される。

 いつもの自分なら、あるはずの無い戦歴を想像され期待が重く辛いと嘆くかもしれない。

 違う。そうじゃない。これは戦艦『山城』の栄光。

 震災の折、横須賀に姿を見せたビック7のように。その巨体は、そこにあるだけで人々の支えになる。

 これこそ『山城』が『戦艦』として活躍した、小さな小さな確かな戦果。己が身の不幸を嘆きながらも、奴らに組みせず鎮守府に席を置く原初の理由。

 あの笑顔に応えるために……。

「私は『戦艦』扶桑型二番艦の『山城』! どんな状態だろうと、いかなる困難だろうと、負けるわけにはいかないの!」

 巨大な船体は、そこにあるだけ国威を背負う。大艦巨砲時代において超弩級戦艦は戦略兵器の一面も持っていた。国力の象徴として扱われた。

「簡単に沈められると思わないことね!」

 今一度自らの腕で砲身を固定させる。加熱した砲身が手の平を焼き焦がす。

 傷だらけの身体で、不恰好に傾きながら、半壊した艤装を支える姿は、無様だった。だとしても、山城は栄光ある海軍旗艦の姿として誇り戦う。

「主砲、撃てー!」

 号令を下しても反応しなかった。今度はどこが壊れたと、自分の装備を見る。

 砲塔の縁に何人かの妖精たちが具現化していた。

 兵装要員の妖精たちが涙を浮かべて首を振る。

 現状での主砲発射は、山城の損傷を増やすだけだとわかっているからだ。敵に攻撃されるのではなく、山城自身の発砲で船体や艤装がダメージを負ってしまう。通常の対衝撃防御も儘ならないのが山城の現状だった。乗組員たちは主の身を案じて命令を拒否していた。

「いいから撃ちなさい! 今こそが戦艦『山城』の死力を尽くす時なのよ!」

 どうせこのスリガオで果てるのなら、せめて『戦艦』らしく華々しく戦って散りたい………。敗れるにしても『飛龍』のように一矢報いて終わりたい。

 脳裏に浮かんだ言葉に、自嘲する。

(こんなんじゃ、あの娘たちのことを笑えないわね……)

 沈むのなら戦場で……。

 あの大戦艦姉妹が言葉にせず内に秘めているであろう想い。謀らずも彼女たちに共感してしまった。

 山城がまだ稼働することを目視した穢艦たちが、今度こそ確実に沈めようと包囲展開する。

「同じ散るのなら、私が『山城』である意味を失わせないで……」

 山城は妖精たちに笑いかけた。

 砲長妖精は宿借り先の決意を聞いて、涙をこぼし鼻水を垂らしながら主砲発射を指示した。

 兵員妖精たちもわんわん大泣きしながら動き始める。

 ああ、たしかあの時も艦内はこんな感じだったかな……。

 扶桑型二番艦は哀愁と懐かしさを感じながら、敵の包囲攻撃が始まるのを見ていた。

 冷静冷徹に考えて、先に砲火を切るのは深海棲艦たち。損傷と故障の多い山城に次を耐える力はない。

 ここで詰みだ。

 別れ際の最上には心ないことを言ったけど、一つだけ本心が混じっていた。

 

「ひとりは眠るのは嫌。扶桑姉さまと御一緒したかった……」

 

 それが何よりの心残りだった。

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