ここは、箱庭だ。
青い空。澄んだ空気。柔らかく暖かい風。穏やかに流れる水。青々と茂る草。たくさんの果樹。健康な家畜たち。良質な木がとれる林。
立ち並ぶのはまちまちの大きさの木の家。魚を釣るための小さな船。外界の、俺たちが見たくないものをすべて覆い隠す現実との狭間には、頑丈な扉。
そして、俺たち、選ばれた人間がいくらかだ。
それだけがこの場所を構成する。
ここには雪はない、争いはない、悲しみはたまにしかやってこない。飢えはない、孤独はない、惨めになることは、ない。
だれかがここは天国のようだと言ったが、そうじゃない。ほんのたまに俺たちは天国にいる天使でもなんでもなく、ただの人間だと分からせるように寿命による静かな死がやってくるからだ。
天使というのももしかすると普通に死ぬのかもしれないが、真偽は誰も知らないことだ。ただ俺たちはどこまでもただの人間でしかない。死ぬとその人の亡骸はだんだんと生き物らしく萎びて、俺たちは仲間を失ったことに多かれ少なかれ泣いて、遺体を木の下に運んで、みんなで弔って、埋める。そのとき俺は人間であることを再び自覚する。
そのほかは何も苦しいことはない、らしい。毎日決められたことをめいめい分担してやって、穏やかに悩みと苦しみのない日々を過ごすだけだ。
もちろん良くも悪くも物事の少ないここにも昼も夜もある、極端ではないが気温の変化もある。雨だってたまには降る。だが、そのすべては外に比べれば穏やかで、毎日野宿したところでなんら困ることは無いのだから、めいめい決められた最低限の仕事をこなせばあとは好きなことをやって過ごせる。そしてそれが許される。
それもこれも、救世主さまのおかげ、だ。
俺はどうしてもその「おかげ」に「らしい」とか「聞いたところによると」とか付けたくなるが、俺が最初の方に「救済」された人間の一人だから、そう断定するしかない。
なにせ、ここは救世主さまが直々に創りたもうた救いの地、らしい。俺だってやろうと思えば一日で一周できるくらいの広さの、突き当りのある、行き止まりの楽園だ。ここにいる奴らはここで安寧を享受し、世界のバラバラなところから来た仲間とゆっくりと親睦を深め合い、そしていつか穏やかに眠って、死ぬ。
申し分ない人生だと口を揃えてみんな言う。そこしか知らない子どもも、外で長く生きた老人も。二度と会えない人はいても、ここは孤独じゃあない。人々は誰よりも優しさを知っていて、だがひたすら人間同士集まるわけではなく、適度に一人になれる。
しかも、ここには外から来た奴らが皆何かしら味わってきたひとりぼっちの悲しさ、あるいは飢える苦しさも、あるいは貧しさや、凍えるような寒さも、自分や大切な人の命の危険もない。
だから多分、ここにいる人間は大抵、幸せになれるようになっている。穏やかさゆえに物足りなさを感じるやつはたまにいるが、いつしか幸せの方が勝って、結局隣にいる、穏やかな顔をした大切な人とゆっくりと歳をとる。
そういう奴らのあいだで子どもが生まれることもたまにあるが、ここで生まれた子どもが大人になるほどここは長く存在していない。ここ育ちが一番長いのは、まだまだ子どもの俺の妹、マヤだ。
その穏やかさの中で俺はどうも、ここにいる人間の中では少々異端だと思う。ひたすらに穏やかで、何かに苦しむことのない現状に感謝はしているが、どうも違うような気がしてならねぇんだ。なにより、その状況を創り上げた、特別な力を持つ優しく慈悲深い救世主さまが完璧な救済者であることに違和感を持っている。
その彼の、兄のような、あるいは父のような優しさに包まれて成長してきたくせに、いつだって柔らかく微笑んで俺たちを見守る姿にほかの姿を求めてしまう。
もし、歳を取らず、いつまでもその美しいかんばせを持ち続ける彼こそが、本物の天の使いであるというのなら、俺はそれに納得するしかないってのに、俺は、彼もただの人間のはずで、それゆえにあるはずの苦しみをこっちに吐き出してほしいとまで思う。
彼が苦しんだり、助けを求めたりするなんてことは一度もなかったのに、俺は潔癖なまでに完璧な救世主さまに違和感を持って仕方がなかった。もっと彼は愚直なはずで、優しさしか知らない無垢な子どものようで、大切に育てられた可愛らしい存在で、苦悩するただの人だったのではないか、と。
それはきっと、俺がとうとう彼よりも見た目には年をとって、見ようによっては弟のようだからそう思うんだろうか。背丈はまだ勝てないが。それとも、そこかしこに見受けられる育ちの良さと危うさが、完璧ではない儚い微笑みがそう思わせるのだろうか。
やまない吹雪の中でマヤと二人、凍え死にそうだった幼い日、不思議な青い光に包まれて現れた救世主さまが現れた。その時から俺たちは救われ、穏やかな人生を約束された。救世主さまに選ばれたからだ。
俺たちは、すべての不安から安心させられるように泣きそうな顔で優しく微笑みかけられ、気がつくと二人いっぺんに彼に抱えられて、瞬きした次の瞬間には雪の気配のまったくないここにいた。あれから俺たちは一度も「外」を見ていない。
ここには当時、どこか今よりもくたびれたロウじいさんと、ひどく怯えているが気の強そうな年上の女の子、マルティナがいて、まだここには今みたいに家も船もなかった。
だがどこまでも俺たちにはあたたかくて、安心できるところだった。簡素な一枚の敷布だけがそこにあって、凍えていた俺たちをじいさんが慌てて介抱してそこに寝かせてくれた。髪を凍らせるほどまとわりついた雪を払ってくれる皺のある手に俺たちは初めて優しさを教えられ、飢えを忘れさせてもらって大切に育てられた。
そのとき救世主さまと呼ばれたその青年は、新しい仲間だと俺たちを二人に紹介した。なんとなく俺はなにか他にふさわしい呼び名があると思って、言い返したかったのを覚えているが、慈しむように頭を撫でられて、何も言えなくなった。撫でられる事に凍えていた体に温かさがじんわりと染みとおっていった。
外見の年齢は十五か十六ぐらいの、いつだって真っ黒くてデカい剣を担いだ、抜き指グローブとさらさらの髪がトレードマークの救世主さま。
誰よりも強く、沢山の人を外から救済してくる救世主さま。あの日から俺たちは飢えからも寒さからも解放されて、救世主さまの救った子どものひとりになった。まだ赤ん坊だったマヤがもう腹が減って泣くことが無くなったのが、幼いながらに嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
救世主さまは俺たちに丈夫な新しい服を着せて、たまに不安になって泣き出した俺たちを温かいその膝に乗せてあやしてくれた優しい思い出。
あの頃、俺はまだ三つくらいで、物事の何も分からなかったが、手馴れたように作られた温かいシチューの味が世界で一番だと思ったのは間違いないことだろう。
そのあと、俺たちが見よう見まねで自分たちの最初の家……というよりは子どもの秘密基地の規模だが……を建てたり、じいさんに字を教わったりしている間に時期もまちまち、人数もまちまちに人はどんどん増えていった。
人が増えても食べ物で困ることは無かったし、連れてこられる人たちはたいてい酷い目に遭ったばかりか、遭う直前の、救世主さまが救いを差しのべるのを見逃すはずもない人たちだったから、俺たちはどんどん受け入れた。
人が増えても一晩くらいは星空のしたで眠っても風邪をひくことはないくらい暖かい場所だったから、そういう時は身を寄せあって救世主さまを取り囲んでみんなで眠った。どこか一線を引いていた彼はそのときばかりは拒まず、決まって俺たち兄妹を抱き寄せて眠った。救世主さまは寝る時ばかりは普通の人間らしくよく眠るが、こういう時が一番人間らしく見える。そういう時一番に抱き寄せられる俺たちは、多分、彼に気に入られている。
そう思うのはほかに何人かいる「お気に入り」よりも隣に置かれることが多かったからだ。だが、それに自惚れるよりも、なぜ俺たちなんだと疑う気持ちの方が強かったが。今もそういうものなのだと受け入れるしか納得の方法は無い。
だが、その整った横顔を眺めている時が一番心安らぐひとときに違いなく、俺たちは、いや、俺はそれを受け入れている。マヤがどこかに遊びに行っても彼は俺の隣で時たまうとうととしていた。外見が年齢であるというなら、年相応に幼い顔をして。
俺の父のようだった少年は、すぐに兄のようになり、今はもう、弟のようだ。人間であり続ける俺と違って、歳を取らない救世主さま。彼は俺をだんだん子ども扱いするのをやめて、だんだん俺にこの箱庭の管理を任せるようになった。
管理といっても、今までだって手伝っていたような薪割りや、家を建てる時の采配などだったが。ただの人間の俺に彼の本当の「仕事」を手伝える日は来ないんだろう。
ある時、どうしてここに人間を連れてくるのかと聞いたことがある。彼は眉を下げ、珍しく困ってから、しばらく考えて、「僕のエゴだ」と答えた。返事をする頃にはいつものように、夜空の星ぼしのような、煌めく、どこか遠い笑顔になってだ。
エゴ。
ただのエゴで、こんなにここが穏やかなものか。増える人数だってエゴと言うには多すぎる。救済を受けた人はどんどん増えた。村を、いわれのない罪で焼かれそうになった一つの村の人間をまるごと連れてくることもあったくらいだ。
連れてこられたといえば、珍しく抵抗しながら連れてこられた、城に仕えていたというグレイグという男が元々仕えていた王族だったらしいマルティナとロウじいさんと一緒に過ごすようになったのもそのころだったか。
グレイグと同時期に「救済」を受け、暫く手負いの獣のようになんにも信じられない様子だったホメロスという男とはもともと知り合い、いや多分……友だちで、何かあったのか、まだ少々わだかまりがあるらしい。
俺たち、箱庭の住人は向こうから言われなければ外のことは聞かないことにしている。元々の身分も本人から聞かなければ知らない。
何故なら、ここに来たのならば王様だって、その小間使いだって同じ仲間になって、同じことを協力してやって、同じように火を囲んで食事をし、いつしか家族になるか友になるか、あるいは師にして共に生きるからだ。
元々の責務を果たしたいのなら、果たすことで穏やかになれるのならば好きにすればいい。だが俺たちまでそれに付き合うことは無い。
身分の差を主張し、それを強制するような気性の人間はそもそもここに連れてこられることはなく、だから王族がいようと平和なものだが。とはいえその王族が本当の最初の最初に救済された人間だしな。人の良いロウじいさんと俺たちの姉の存在であるマルティナが何かをするはずもない。二人を見ていればしがらみがない事くらい簡単にわかる。
だから、久しぶりに元々の身分に囚われるやつを見つけて、珍しくて、まぁだからと言って何をすることもなく見ているだけだったが。今はただただ、二人とも憑き物が落ちたように穏やかだった。
とはいえなかなか素直になれない大人を見るのは面白い。からかいに行こうとするマヤを止めて、なまやさしく見守る。時間と、ここでの穏やかな生活は魂を洗って、俗世間でのわだかまりを浄化する。
たまに二人で静かに話しているのも見かけるから、解決は遠くなさそうだしな。どう見ても俺よりもひと回りは年上のくせに子どもみたいに口喧嘩をしている時もあって、その時は聖地の魔法使いの女やその妹、あるいは最近芸人になった騎士、それか二人の主に値する姫が止める。
俺はなんとなく二人を見ていると違和感というか、不思議な気持ちになって、眺めているだけだ。喧嘩を止める腕に覚えのある面々には逆に既視感があるような気も、する。何故だろうか。俺は彼らと違って戦えないし、生活は共にしていても出身すら共通点はないはずなのだが。
そうだ、その魔法使いの姉妹の出身である聖地ラム……なんとかと呼ばれる場所の人をまるまる連れてきたこともあったな。あのときは救世主さまを他の誰かと勘違いして感動するのでみんなで説明するのが大変だった思い出がある。
俺たちの救世主さまは、あくまで俺たちの救世主さまで、そのユウシャとかいう別の救世主的存在とは違うのに。ユウシャはかなり前から行方が分からないらしいが、仮に彼がそうだと認めたとしても、救世主さまとどうしたって年齢が合わないからおかしい。……なぜ、幼い時から箱庭にいる俺がそれを知っているのか?
ユウシャ、というのはロウじいさんの行方知らずの孫だからだ。名前はイレブンと言って、ロウじいさんとマルティナが救済される直前にはぐれてしまって、それっきりらしい。
何かの奇跡でも起きない限り……亡くなっているはずの、亡国の王子。ロウじいさんは未だに心を痛めている。ロウじいさんの良き友だった、老衰で亡くなったテオじいさんの死と同じくらい。俺はロウじいさんに恩がある。本当の孫のように、もともと知り合いだったマルティナとは違うのに、マヤともども育ててもらった恩が。
だから、誰よりも救世主さまと話す機会があり、多分一番気に入られているらしい立場を利用してでも孫息子に会って欲しくて、幼い頃、ユウシャ、いや、ロウじいさんの孫の救済を頼んだこともある。ロウじいさんは少しだけ、救世主さまが近寄らない人だから。何故かはわからないが、かつてのテオじいさんやシルビアやグレイグ、ホメロスに救世主さまは似たような対応をしているから、なにか理由があるんだろう。
だが救世主さまの返事は無情で、しかし、仕方の無いものだった。
「ごめんね。できないんだ。
あの日の嵐の中、ロウさんの娘さんとお孫さんだけは……僕が到着した時には遅かった。ユグノアが滅んだ時、誰を助けるのか迷ってしまって、結局二人しか救えなかった。そのあと、同じ魔の手に落ちたデルカダール……マルティナのいた国からは騎士の二人を洗脳される前に連れ出すので精一杯だった。僕の力不足だよ」
珍しく、饒舌になった救世主さまは特に救えなかった二人の話をする時は特に辛そうな顔をしていた。特にロウじいさんの娘は目の前で魔物に斬り殺されるのを見てしまったという。
あと少しだった、と拳を震わせる姿に、俺は安易な気持ちで頼んだことを後悔した。ロウじいさんはたまたま物陰でその会話を聞いていたらしく、俺の頭を優しく撫でて、俺を抱きしめた。それは孫にしたかっただろうに、無関係の、俺にしてくれた。
そして俺が知らない、自分たちを救ってくれた時の救世主さまのことを語ってくれた。ずぶ濡れになって気を失っていたマルティナを抱き抱えた救世主さまは、そのとき、娘に見えて驚いたのだと。だが駆け寄るとそれは似た顔立ちの少年で、ひどく泣きそうな顔をして、あなたを救う者だと言ったのだ、と。
どうにもたまに、ロウじいさんは救世主さまをエレノアと、亡き娘の名前で呼んでしまうことがある。二人は本当に似ているらしい。それなら多分、孫のイレブンも救世主さまに似ているんだろうな。呼ばれるたびに救世主さまは困った顔をしている。
一度だけイレブン、と間違えて呼んだロウじいさんは、何故か振り返った救世主さまを潤んだ目で見つめて、その日、一日一人で、何かを考えて、ずっと釣りをしていた。
曰く、救世主さまの紫の服はロウじいさんの国の兵士が昔着ていた服だと。二人になにか関係があるのかもしれないと思ったが、当の本人は何も言わないし、ロウじいさんが分からないのなら、俺にはもっとわかるわけが無い。
救世主さまが言われなき罪で焼かれそうになった村をまるごと連れてきてから、連れてくる人数は加速的に増えている。どこかの富豪の家族を連れてきたり、ずぶ濡れになった漁師を一人連れてきたりする時もあったし、赤い髪の親子と、その家族が敬う黒い髪の男を連れてきたときは、四人がもともといたなんとかという里はどうなったんだという質問に対して無言で首を振っていたことは記憶に新しい。
外から来たばかりのやつは、外にいる知り合いや元いたところが気になるだろうが、救世主さまには聞かないのが暗黙のルールだ。救世主さまは万能ではなく、救える人しか救わない。仮にそういう人間は救えても、箱庭に馴染めず、きっと不和が生まれると分かっている時は連れてこないとはっきりと宣言している。
救世主さまは救ったあと、ここにいる人間のことを、外の人間よりも明らかに大事にする人だからだ。懐に入れた家族には優しい人だ。心を砕いてくれる。料理だってしてくれる。よく献立を決めてその腕を奮ってくれるが……その際煮込み料理が多いのは間違いなく俺のせいだ。
ただ、外のことを救世主さま以外に聞くのは自由だ。気になって後から救済された人に片っぱしから聞いている奴もいる。たいてい全く違う地域からバラバラの時期に救済されてきているから収穫があったやつを見た試しがないが。
そうだ、救済についておかしなことと言えばいつも変わらずひょうひょうとしている救世主さまが、どこか思い詰めたような騎士の青年とその父親、そして二人に仕える老執事を連れてきた時は疲れきった様子だった。もっとたくさん連れてきた時にだってそんな顔をしなかったものだから、みんなで元気づけるために彼の好物のシチューを作ったのを覚えている。
ここで一番料理が上手いペルラさんの味付けのシチューを彼が大好きなのはみんなが知っている周知の事実だ。それを食べるとどんな時でも、救世主さまというよりはみんなの息子か弟のように彼は穏やかな、幼い顔をするから。
ちなみにそのとき連れてこられた騎士は、芸人になった騎士でゴリアテともシルビアともいうらしい。人々を笑顔にするために芸人になりたくて、それを反対する父親と大喧嘩して、故郷の町を飛び出そうとしたところ、ダーハルーネという都市が魔物に攻められたという話を聞き、聞き逃すわけにもいかずにそれを助けるために戦っていたが、数があまりにも多く追い詰められ、大変なところを救われたらしい。
同じように戦っていたほかの人はどうなったのか、彼……いや、彼女は気になって仕方がないようだが、俺たち人間は外に出ることはできない。外に出るための扉は開かないし、救世主さまは青い光、聖地のベロニカ曰くルーラという呪文で移動するから、扉が役に立ったことはない。
そういえば……これは一体何時だったかもう曖昧だ。箱庭に居ようとも俺はただの人間だ。それは間違いないが、天国に一番近いところに長いこと住んでいて、時間の止まった救世主さまのそばにいつもいるとどうにも時間が曖昧だ。だから、今さっきの救済の順番が正しいとは思えない。
俺が何歳の頃にあったことだ、とはっきりわかるのは最初の救済の時だけだ。きっとそんな俺よりももっと、マヤは、天使に近いんだろう。マヤのこの前は数年前、昨日は同じように「さっきのこと」だ。時間なんてあってないようなものだから仕方ない。毎日は穏やかにすぎていく。
ここに救世主さまによって選ばれ、救済される人に俺はあまり共通点を見いだせなかったが、総じて穏やかな気質を持つ、争いを好まないような人が多い。
ここで穏やかに過ごせる人を救うというのなら、俺が救われた理由が全くわからない。俺だけ、どこか浮いたようだった。だが中途半端に外を知っているのに、長いことここにいるからそう思ってしまうだけかもしれない。
俺は、外といえばあの白くて寒い景色しか知らない。争いといえば、軽い喧嘩ぐらいならしたが、それは他の奴らもするものだ。くだらない喧嘩以上に争う理由はない。だがどうにも純真なあいつらと違うような気もする。
だがここは救済の箱庭。俺が悩んでも、俺は救われた人間なのだから考えても何も起こりやしない。救世主さまだけが救う人間を決められる。
救済によってどれだけ人数が増えても食料に困ることは無い。寒さに悩まされることはない。ただの風邪以上の病気もない、着るものに困ることもない。
だが、当然この箱庭に閉じ込められていればおのずと外に出たくもなる。そんな気持ちを持ったのは俺だけじゃなかった。外にいる、知人に連絡を取りたいと言った人もいた。外に出られないことを承知で、だがそれでも救世主さまに頼んだ。
だが救世主さまはこう言った。
「外の世界はもうすぐ滅ぶ。君たちはここにいて、すべてが終わってから外に出るまでちょっとだけ我慢していてほしい。君たちがいれば、きっと世界は滅ばずに済むのだから。大丈夫、僕は君たちを飼い殺しにするために連れてきたんじゃないから」
ってな。
誰が納得するだろう。だが納得なんてしなくて良かった。みんなの親のようで、兄のような、そして弟のような、窮地を救ってくれた恩人の、稀に見る涙を流しそうなその顔に誰が抗えるだろう。どこか俺たちと距離を置いた彼は、それでもだれにでも好かれていた。
あの出来事は、俺がいくつの時の話だろう?ゆっくりと時が流れるこの場所では年齢なんてあまり意識していないことだ。
救世主さまは、ここをたまに箱庭と呼ぶ。ここはまさしく箱庭なのだ。世界が滅んでも、人間が滅ばないようにするための箱庭なのか。俺たちは選ばれて、ここで平和に過ごす。そして「もうすぐ」世界が滅んだら、滅んだ世界の生き残りとして世界に飛び出していって、救世主さまがまた俺たちを導くのだろう。
ただ、俺もマヤもすっかり大きくなって、ロウじいさんが年をとって、マルティナがすっかり大人になっても彼は微塵も背が伸びず、幼さの残る少年の顔つきをしたままだった。俺たちに微笑みかけたあの日のままだ。世界は「もうすぐ」滅ぶらしいが、まだ滅ばない。
思えば救世主さまは歳を取らないのだから、「もうすぐ」俺が老いて死ぬっていうくらい気長な話なのかもしれないな。
優しい救世主さまは時折、それでもせめて外を見たいという誰かの願いを少しでも叶えるために左手を空へ振りかざす。するとかつて見た誰かの景色を映し出すことが出来る。未だに危機に瀕して恐怖が抜けない子どものために優しい夢を見せたこともある。そういう力を彼は持っていた。
幻と、かつての現を彼は見せる。
そういうことをするとまたラムダのやつらが騒ぐが、ユウシャの祖父のロウじいさんが違うと言うのだから違うだろうに。いくら顔立ちが娘に似ていても、明らかに年齢が合わないんだ。もちろんロウじいさんは孫息子の、普通の赤ん坊の姿を何度も見てきたしな。
……時折、思うんだ。俺は、救世主さまというのは、その力を使って俺たちに、わざと救いを求めるような幻覚を見せてからここに連れてきているんじゃないかってな。俺たちに雪の幻覚を見せ、ロウじいさんとマルティナにユグノアという国が滅ぶ様子を植え付けた、とか。
だが、ほんのちょっと思っただけだ。間違いなくあの冷たさは本物だった。ロウじいさんの見た残酷な光景は本物だった。マルティナは今でも手を離してしまったユグノアの王子のことを悔いているし、その赤ん坊をどうしても救えなかったことを、救世主さまはとても悔やんでいるようだった。だから、それらが偽物だったとは思えない。
俺たちは、救世主さまの名前すら知らないのだから、彼の行いに踏み込んではいけないのかもしれない。
いや、正確には違う。みんな、何かしらの名前は知っている。ただ、彼が名乗る名前は毎回変わるから、きっと嘘なのだろうとみんな思っている。
俺に名乗った名前は、ハンス。だがマヤにはジョンと明らかな偽名を名乗って、曖昧に誤魔化す。だから今はもうそれぞれに名乗られた名前よりも救世主さまとただそれだけ呼ばれている。
「何回やり直したっけ」
勇者は箱庭の前の扉に立って、呟いた。何度、時のオーブを壊しただろう。何度、世界の滅びるさまを見ただろう。何度、失敗しただろう。
とうとう今回、時間が狂ってしまって自分が生まれてすぐに飛ばされてしまった。それを利用して、死んで欲しくない人を自分のエゴで、預言者の消えた預言者の家に集めた。僕が勝手に選んで、勝手に連れ去った。
世界は滅ばない。今度こそ。繰り返した僕にはウルノーガを討つのは簡単だった。まだ若いグレイグと、闇に魅入られる前のホメロスを「救った」ついでに倒しておいた。だけども、そのあとが難しい。僕には邪神をうまく倒すことが出来ない。
正確には九回ほど倒して来た。だが毎回、かけがえのない仲間が一人、死んでしまう。誰一人死ななかった時もあるけれど、そのときはどうやら僕が死んだらしい。それを嘆いた誰かが自分の骸を使って時のオーブを壊したらしい。その誰かはわからない。勇者の力がないと過ぎ去りし時には戻れない。
結局、その誰かは戻れなくて、時のオーブを割るために使われた僕だけが戻った。
だから決意したんだ。なら一人で倒して、かつてのみんなの元に戻ると。
今回はだいぶ運がいい。カミュやマヤちゃんは幼いころから「箱庭」にいるから誰に虐げられることなくすごく平和に過ごしているんだ。ロウじいちゃんには悪いことをしたけれど、本当に母を助けるのは間に合わなかった。時を戻った瞬間に、目の前でなくなってしまったから。赤ん坊の自分は多分、僕がこの時代に来たせいでいなくなってしまった。ユグノアも、守れなかった。だけど、それは今までと同じ。
今更元々はどうやったって救えないところを悔やんだって仕方ない。前を向かなければ進めないから。
僕は、かつてのカミュが嵌めてくれた手袋で勇者という紋章も立場を隠しながら、今日も空を睨みつけた。
邪神は、きっともうすぐ復活する。「勇者」の星は随分落ちてきていた。
2021/2/1 改稿