シャワーを浴びた後は朝食を取り、その後ブリーフィングルームでミーティングを行うことになっていた。ちなみにあの後ヴァニラはアースラに用意された部屋でちゃんとベッドに入って眠ったらしい。幸い風邪を引くことも無かったようなのだが、結局ミーティングは欠席していた。
「それが…あんまり気持ち良さそうな顔で寝ているものだから、起こすのが忍びなくて…」
「彼女は頑張り過ぎだ。休めるものならゆっくり休ませてやりたい。むしろ起こさないでやってくれ」
シャマルが申し訳なさそうに言うと、クロノが苦笑しながらそう答えた。
「ただね…まだ8歳の子供に徹夜させるなんて…その点についてはちゃんと反省して貰いたいものね」
「「大変申し訳ございませんでした」」
リンディさんの指摘に、プレシアさんとシャマルが同時に謝罪した。所謂、最敬礼というやつだ。それを見てリンディさんも深く溜息を吐く。
「とはいえ、私達もヴァニラさんに負担を強いたという点では同罪だわ。民間協力者であるということを抜きにしても、お仕事を任せ過ぎよね…彼女だけ、学校も休ませてしまっているし」
「でも艦長、ヴァニラちゃんの『リペア・ウェーブ』が無かったら、あの怪我をした2人だってただでは済まなかったと思いますよ」
「そこも問題なのよ、エイミィ。こんなことが何度もあると、とても誤魔化しきれなくなるわ。いくら記録データを抹消したとしても、ね」
確かに爆発の規模や看守の配置が明らかな時点で、彼等が無傷なことを訝しむ人だって出てくるだろう。仮に今回の一件を偶々ということにしても、納得しない人がいなくなる訳ではない。かといって、折角治った腕や足を切り落とすなどという暴挙に出られる筈もない。
「やっぱり早いタイミングで後ろ盾をしっかりさせておいた方が良いですよね」
「それについてはグレアム提督も動いてくれているから、意外と早くに何とかなりそうよ。滞在先の記録さえ上手く調整出来れば、留学という言い訳も使えるし」
「艦長、そう言う話は別途本人を交えてちゃんと進めて下さい。それよりもこのミーティングは人工リンカーコアの摘出手術と危険性について報告を受ける場だと思ったのですが。エイミィも少し自重してくれ」
クロノが呆れたように言うと、リンディさんもエイミィさんもハッとしたように居住まいを正した。
「ごめんなさい、そうだったわね。じゃぁ改めて説明をお願いするわ」
プレシアさんが頷くと、資料を提示した。
「こっちが以前、テロリストの拠点から押収した資料…で、こっちがそれを基に調べた拒絶反応のデータよ。勿論一部だけだから完全とは言えないけれど、これをハーベスターとクラールヴィントのスキャンデータと組み合わせて算出したのが…これ」
プレシアさんが新たに示したウインドウには、複雑な式や想定される現象などがびっしりと書き込まれていた。正直に言うと、俺が見ても半分も理解できない。辛うじて理解できたのは「人工リンカーコア」という名前が便宜上呼ばれているだけで本来の名称ではないことと、元々存在する何らかのオリジナルを模倣して作成されたもののようであるということくらいだった。
「…このオリジナルというのは、矢張りロストロギア、ですわよね…? 」
「…どう考えてもそうだろう。そして恐らくルル・ガーデンに使用されているものが、そのオリジナルなんだろうな」
「このオリジナルというものも、どうやら複数存在するようなのよ。彼等も劣化コピーを作って実験しているくらいだから、恐らく本当の用途については調査中なんでしょうけれど、少なくとも人造魔導師を生成することが出来ることだけは確かだわ」
プレシアさんはそこで一旦言葉を切ると、フッと息を吐いた。
「厄介なのは例の爆発ね。スキャン結果を詳細分析したんだけど、どうもオリジナルのロストロギアがそもそも超高エネルギー結晶体のようで、外部から大きな魔力を与えると爆発する性質があるらしいの。で、劣化コピーの方はその性質を利用して、遠隔で爆破できるようなシステムを構築していたみたい」
つまり今回の件は、ただ爆発したという訳ではなくテロリストの元締めが証拠隠滅のような形で存在を抹消しようとしたということか。
「…ですが、それだとおかしい点もありますわ。何故、1人だけ爆発して残りが無事なのでしょう? 」
「ミントちゃんの疑問はもっともね。これはあくまでも想像の域を出ないんだけれど、爆発したのはリーダー格の男だったのでしょう? 本来ならリーダーが爆発した時点で他の男達も誘爆するようになっていたんじゃないかしら。ただ、そのシステムが何らかの理由で上手く働かなかった…」
その時、クロノがパンっと手を叩いた。
「そうか! そう言えばあの時、ヴァニラが妙な脳波を検出したと言っていた。最初は念話のようなものを警戒して通信遮断の魔法をかけた個室に別々に拘留していたんだ」
「あ、そのデータならクラールヴィントにも残っているわ。すぐに確認するわね」
シャマルが指にはめたリングからデータを取り出し、チェックをしていく。いくつかプロテクトのようなものの解除もしている様子だった。横から覗き込んでいたプレシアさんも目でデータを追うと、満足そうに頷いた。
「間違いないわ。巧妙に偽装されていたから見落としていたけれど、明らかに誘爆を指示するシグナルね」
「当初の認識こそ間違っていたが、結果的に正しい対応をしていたということか」
「恐らく起爆システムは個別にも作動出来るようになっている筈だけど…今彼等が爆発していないのは、その通信遮断魔法のおかげね。看守の話だと、例の男が爆発した時は丁度夕食の配膳で防壁を一時的に解除したところだったというし」
他の男達の個室にもそれぞれ同じ魔法がかけられているため、1つずつ解除する分には問題ない認識だったのだろう。勿論そのおかげで被害は最小限で済んだわけだが。
「概要については了解しました。じゃぁ次に摘出手術の可能性と危険性について、判ったことを報告して貰えるかしら」
リンディさんが促すと、プレシアさんもシャマルも明らかに表情が翳った。
「…まさか、手術する方法がない、なんてことはありませんわよね? 」
「ううん、一応手術自体は可能なのよ…ただかなり繊細な施術が必要だから、それなりの設備が整った施設が必要なのよね…」
「アースラの医務室レベルでは無理、ということですわね…」
その場にいた全員がうーん、と考え込んだ。ミッドチルダの、例えばクラナガン総合病院などに移送して手術を受けさせるなら、一度通信遮断魔法がかけられた個室から出さなければならない。アースラ内での移動だけならそれでもケージのようなものを使用して移送可能かもしれないが、さすがに転送ポートを使用する時点でアウト。下手をしたら本局に転移した途端に爆発するという、洒落にならない状況に陥ってしまうだろう。
「…1つだけ、あまりお勧めじゃない、っていうか、やりたくない方法でなら施術可能なんだけど」
「奇遇ね。私もたぶん今、全く同じことを考えたわ」
プレシアさんとリンディさんが苦笑を浮かべつつ、そう言った。まぁ言われなくても、俺でも判る。その方法とはヴァニラに手伝って貰うという選択肢だろう。
人工リンカーコアを摘出すると言うが、ただ開胸して取り出せば終わりという訳ではない。大気中から抽出した魔力を体内に循環させるため、血管や神経なども組み込まれる形になっているのだ。それらを全て、元の状態に縫合し直さないとならない。それにも増して人工リンカーコアは心臓のすぐ下、下行大動脈の横に寄り添うように存在するらしいのだ。ほんの少しのミスで致命的な状態に陥ってしまう。
それがヴァニラに「リジェネレーション」を唱えて貰うだけで、手術のリスクを大幅に軽減できる。碌に医療知識を持たない俺が思いつくのだから、シャマルやプレシアさんが検討しない訳はない。だが負担を強いることを避けるにしても、回避策が無いなら結局その意味がなくなってしまうのも事実だ。
「…ヴァニラさんに無理をさせたくないという気持ちも判りますが、だからと言ってこのまま放置していても結果は変わりませんわ。彼等をずっと断食させておくわけにも参りませんし」
俺がそう言うと、クロノが溜息を吐いた。
「ミントの言う通りだな。それにトリガーが1つだけとは考え難い。万一宿主が死ぬことで爆発する機構があったとして、餓死で爆発なんてことになったら目も当てられないからな。本当に心苦しい限りだが…ヴァニラが起きたら、一度頼んでみるよ」
「そうね…代替手段が見つからない以上、そうするしかないわね…」
施術自体はシャマルが担当し、人工リンカーコアの切除と同時にヴァニラがリジェネレーションをかける。摘出した人工リンカーコアはプレシアさんが即座に封印。これが恐らく対象の負担も少なく、一番安全に、しかも確実に実行できるプランだった。ヴァニラへの説明と依頼は後程ということになったが、彼女の性格からしてお願いされたことは出来るだけ引き受けようとする筈だ。
「他には話しておくことは無いかな? なら午前中の打ち合わせはこれで終わりにしよう。あと、人工リンカーコアなんだが、どうもそのままだと呼びにくいし、特にオリジナルはロストロギアとして扱うべきだろうから、今後は『レリック』と呼称する」
「『レリック』…ですか」
「ああ。遺物とか遺産といった意味の言葉だよ」
どこかで聞いたような名前だと思ったが、詳しく思い出せなかったので、その場はそのまま了解の意を返した。こうして、人工リンカーコアは今後局員の間ではレリック、及び模造レリックと呼ばれることになった。
ミーティングを終えた後、俺はルルが拘留されている場所を訪れた。
「…また貴女なの? 」
睨んでくるルルに苦笑を返す。
「一応、声はかけてくれますのね。昨日の今日ですから、無視されるかとも思っていましたが」
「あら、無視されたかった? 」
「いえいえ、お声をかけて頂いて嬉しいですわ」
ルルはふん、と鼻を鳴らすと、牢の中に設置されたベッドの端に腰を下ろした。その姿を見つめながら、俺はゆっくりと口を開いた。
「昨日、貴女の部下が一人、爆発して死亡しましたわ」
「…あらそう」
相変わらずの反応に溜息を吐く。
「あまり驚かれませんのね」
「知っていたもの。あいつらのリンカーコアに自爆機構がついていること」
「良く平然としていられますわね。ご自分にも同じようなものが埋め込まれておりますのに」
するとルルはニヤリと笑って言った。
「私のリンカーコアはあいつらのとは違うわ」
だが、それだけだった。それ以降は例によって何を聞いてもまともな会話にはならず、俺はもう一度溜息を吐くと、ルルが拘留された牢を出た。
(折角ですし、昼食前にはやてさんの魔力譲渡も済ませてしまいましょうか)
譲渡の後で一緒に昼食でも取れば、いい気分転換にもなるかもしれない。俺ははやてに念話を送ってこれから伺うことを伝えると、彼女達に割り当てられた部屋に向かった。
=====
ふと目を醒ますと、シャマルさんとプレシアさんが微笑ましそうに私の顔を覗き込んでいた。
「……」
「あ、あら、ヴァニラちゃん。おはよう」
「…どうかされましたか? 」
ベッドから上半身を起こすと、挙動不審な2人に聞いてみた。
「えーっとね、あんまりヴァニラちゃんが幸せそうな顔をして寝てたから、つい見入っちゃったのよ」
「…幸せそう、ですか」
自覚は無いのだが、そう言われると何となく恥ずかしく思う。顔が赤くなるのを感じて顔を逸らすと、時計が目に入った。
「…あ! 大変、もうお昼過ぎてるじゃないですか! ミーティングは…」
「大丈夫よ。午前中のミーティングはちゃんと済ませてあるから」
どうやら態々起こさないでいてくれたらしい。おかげで随分と快適な目覚めだった。
「すみません。もう少し、自己管理が出来るようにしておかないとダメですね」
「ううん、むしろ私達の方こそごめんなさい。昨夜は無理に付き合わせちゃったようなものだから」
シャマルさんは申し訳なさそうにそう言ったが、結局そこはお互い様ということにした。パジャマのままベッドから起き出して髪をブラシで梳かしながら、午前中に行われたミーティングの概要を聞く。
「…じゃぁ今後は『レリック』っていう名称で呼ぶことになるんですね」
「そうね。たぶん今日明日中には模造レリックの摘出手術をすることになるわ。その時に、ヴァニラちゃんの力が必要になる…後で正式にクロノ執務官から依頼があると思うけれど」
プレシアさんがそう言ったところで、ドアがノックされた。反射的に「どうぞ」と言ってしまってからパジャマを着替えていないことを思い出したけれど、残念ながら後の祭り。入ってきたのはクロノさんだった。
「ぁ…す、すまない。少し早すぎたか? 出ていた方がいいか? 」
「いえ、こちらこそすみません、こんな恰好で…ちょっとだけ待って下さい」
こちらが許可して入って貰ったのだから、追い出すのは失礼だろう。かといってクロノさんの目の前で生着替えするのもどうかと思い、持って来ていた荷物の中から春物のカーディガンを引っ張り出して羽織った。
「本当にすみません。お待たせしました」
「あぁ…ところで体調の方は問題ないのか? 」
「はい。ゆっくり休ませて貰ったので」
「そうか。それなら良かったよ」
朝のシャワールームでの出来事はミントさんが黙ってくれている様子だったし、報告するには恥ずかしすぎる内容だったので、敢えて内緒にしておくことにした。クロノさんの要件は、さっきプレシアさんに聞いた内容と同じだった。
「現状で模造レリックを摘出するには、障害が多すぎる。その障害を乗り越えるにはどうしても君の力が必要なんだ。君はあくまでも民間協力者で、こちらの指揮命令系統には入っていないにも関わらず、既に過剰な程の協力をして貰っている。だがその上で、是非お願いしたい」
深く頭を下げるクロノさんからは必死な想いが伝わってきて、とても好ましく思えた。
「顔を上げて下さい、クロノさん。私はお手伝いをするためにここに残っているのですから。お役に立てるのであれば、喜んで協力します」
「すまない…感謝する」
だけど、顔を上げたクロノさんの表情からは悔しさしか感じられなかった。ふとリンディ提督が昨日、ままならないと言っていたことを思い出した。クロノさんもリンディ提督も、本当に私達を護ろうとしてくれていることが痛いほど良く判った。そして私のお父さんもその生涯を捧げた、時空管理局という職場で働くことに誇りを持っている。
(優しい人達なんだな…それに、とても暖かい)
改めてそう思うのと同時に、以前ハラオウンの養女になることを打診されたことを思い出した。中学校を卒業するまで高町家にお世話になることは既にリンディ提督にも伝えてあるけれど、それ以降のことについてはまだ正式に回答していない状態だった。
(養女っていうことになると里子と違って姓も変わることになるし…『ヴァニラ・ハラオウン』ってことになるのかな…)
リンディ提督もクロノさんも優しくて親切だし、人柄は全く問題ない。リンディ提督が懸念している後ろ盾という観点から見ても、提督の肩書があればきっと大丈夫なのだろう。今後ミッドチルダに帰って治癒術師の道に進むことを考えれば、最良の選択であることは間違いない。
ただ、私は両親が遺してくれた「H(アッシュ)」の姓を手放すことには抵抗があった。別にギャラクシーエンジェルのヴァニラになりたい訳ではないし、キャラクターと異なる名前になることは構わないのだが、私の姓が変わってしまうことによって両親との絆が切れてしまうような気がして、それが怖かったのだ。
「…施術は今日中に行う予定だ。ただ本当なら全員纏めてやってしまえれば楽なんだが、残念なことに例の爆発も気にしなくちゃならない。時間はかかることになるが、1人1人個別に処理していくことになる」
「判りました」
クロノさんの説明に了解の意を伝えつつ、考え事は一旦棚上げすることにした。中学卒業まではまだ時間もあるし、今からずっと心配し続ける必要もない。それよりも今は今日行われるという人工リンカーコア改め模造レリックの摘出手術に集中するべきだ。
「模造レリック摘出手術自体はシャマルに担当して貰う。ヴァニラは摘出後、対象者の治療を頼む。摘出後のレリックはプレシア女史に封印して貰う」
「メインの執刀医はシャマルさんですね。じゃぁシャマル先生、プレシアさん、今日はよろしくお願いします」
「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。きっと上手く行くわ」
緊張を誤魔化すために敢えて少し冗談じみた言い方をしてみたのだが、どうやらプレシアさんには御見通しだったようだ。
手術は16時から開始することになった。1人当たりの所要時間は約30分を見込んでいるが、順調にいけばもっと早くに終わるとのことだった。開胸は必要だが、肋骨はギリギリ切断しなくて済む位置だったのが幸いだった。
「本当なら開胸せずにレリックだけを転移させられると楽なんだけれど…いずれにしても実際に目視で状況確認しながらじゃないと正確な転移は出来ないし、大動脈に傷をつける訳にもいかないしね」
模造レリックは下行大動脈に密接した状態で、そのまま転移させようとすると、位置的にどうしても下行大動脈にまで傷をつけてしまうらしい。そのため今回は転移は用いず、メスによる執刀を行うのだそうだ。
「念のため15時から関係者を集めてカンファレンスを行いましょう。それまではゆっくりしていてね」
「その辺りのことは任せるよ。じゃぁ、僕も手術には立ち会うから。みんな、よろしく頼む」
クロノさんはそう言うと、部屋を出て行った。すると今度はプレシアさんが隣にやってきて、そっと聞いてきた。
「たぶん、精神的に参っている部分もあると思うけれど、無理にでも何か食べておいた方が良いわよ。昨夜から何も食べていないのでしょう? 」
不思議なもので、そう言われると急に空腹を感じた。吐き気は治まっているので昼食を食べても問題は無いだろう。
「ありがとうございます。体調は大丈夫そうなので、着替えたら食堂に行ってきます」
「良かったわ。ゆっくり食べていらっしゃい。じゃぁまた後で、カンファレンスの時に」
プレシアさんもそう言って微笑むと、部屋を出て行った。
「あ、ヴァニラちゃん、私も一緒にいくわ。はやてちゃんもいる筈だから」
「判りました。少し待っていて下さい」
シャマルさんに待って貰うと、パジャマを脱いで水色のワンピースを身に纏う。さっきまで羽織っていた春物のカーディガンをちゃんと着直すと、いつでも外出できそうな格好になった。
「お待たせしました」
シャマルさんと微笑を交わすと、私達は部屋を出て食堂に向かった。
「あ、ヴァニラちゃん。もうええん? 」
はやてさんは開口一番でそう聞いてきた。
「心配かけてゴメン。もう大丈夫だよ」
「そっか。なのはちゃんやアリシアちゃんも心配しとったで。後でまた来る言うとったから、声かけてあげてな」
はやてさんはそう言って微笑むと、昨夜なのはさん達から言付かった内容を伝えてくれた。それを聞いていると、不意に目の前に軽食セットのプレートが置かれた。
「H(アッシュ)もこれで良かったか? シャマル一人だと運ぶのが大変そうだったので手伝ったのだが」
「ありがとうございます、シグナムさん。助かりました。すみません、お手を煩わせてしまって」
「いや。お前にも随分と世話になっているし、この程度のことは気にしなくていい」
シャマルさんが昼食を取るのに合わせてシグナムさんが私の分も持って来てくれた。その時、ふと「H(アッシュ)」と呼ばれたことが気になった。
「そう言えば、シグナムさんは私のことを『H(アッシュ)』と呼びますが、もし姓が変わったら呼び方も変わりますか? 」
「何だ? 姓が変わる予定でもあるのか? 」
不思議そうな表情をするシグナムさんだったが、隣ではやてさんが「ああ」と手を叩いた。
「リンディさんが言うとった、養女の話やろ? そっか、受けるんやったら『ヴァニラ・ハラオウン』になるんやろか? 」
それを聞いてシグナムさんも納得したような表情を見せた。
「そう言うことか。お前が気にするなら呼び方は変えてもいいが…仮に姓が変わったとしても、お前が『H(アッシュ)』だった事実は変えようがないだろう? 」
さも当然のように言ってくれるシグナムさんの言葉を、とても嬉しく感じた。
「ありがとうございます。何だか自分が自分じゃなくなるような気がしていたものですから」
「そう言うことか。名前が変わったからと言って、本質はそうそう変わるものじゃない。お前は間違いなく『H(アッシュ)』なのだし、あまり気にする必要はないだろう」
「…名前を変えたくないなら、それでもいいんじゃねーか? 結構養子に出された奴が旧姓を名乗ってたりすることもあるらしいぜ」
「そうだな。一番多いのは旧姓をミドルネームに持ってくるパターンか」
ヴィータさんやザフィーラさんもアドバイスをくれたおかげで、私は目から鱗が落ちたような気分だった。
「そっか、そしたら『ヴァニラ・H・ハラオウン』ちゅうところやろか。響きも悪くないし、ええと思うよ」
私は口の中で小さく「ヴァニラ、アッシュ、ハラオウン」と呟いてみた。不思議な程しっくりくるように思えて、思わず笑みが零れた。
「ありがとう、はやてさん。みなさんもありがとうございます」
落ち着いたら、リンディ提督にも相談してみよう。そう考えながら、私は昼食を終えた。
カンファレンスはメインの執刀医となるシャマルさんと麻酔導入などのサポートをするアースラの医療スタッフ、術後治療を行う私、封印を担当するプレシアさんに立ち会いのクロノさんというメンバーで、予定通り15時から実施された。
「リジェネレーションなら呼吸器系の不全や肺炎などの、開胸に伴う合併症もある程度防げると思います」
「助かるわ。あとは万が一手術中に動脈を傷つけることになってしまった場合だけど」
動脈損傷はグレードにもよるが、大量出血を伴う場合ショック状態を引き起こしてしまう可能性もある。この場合、かなり高い確率で死に至る。でも予め準備出来ていれば、リジェネレーションの出力を上げることでカバー可能な筈。
「だがそれだとヴァニラにかかる負担が大きすぎないか? 」
「…緊急時ですから、多少は仕方ないです」
「出来るだけ発生しないように注意はするけれど…じゃぁ、万が一の時は出来るだけ早めに通達するからよろしくね」
シャマルさんの言葉に頷いて返す。
「あと前にも言ったが、心肺停止状態で起爆する可能性も無いとは言えない。出来れば模造レリックはサンプルとして確保したいが、緊急時の判断はシャマルに一任するよ」
「封印方法だけど、デバイスによる一般的な封印を施した後に3重にコーティングする予定よ。これで暴発はほぼ防げると思うけれど、処理は封印だけの時に比べて0.5秒ほど遅くなるわ。一応覚えておいて。封印だけだと、起爆が始まっている状態のレリックを抑えきれないと思うから」
麻酔は全身麻酔を導入することになった。男達の態度が反抗的だったこともあるし、これは当然だろう。こうして手術の詳細な手順やメディカルルームへの移送手順などを打ち合わせ、私達はカンファレンスを終えた。
「それから、ヴァニラ。手術が一通り終わったら、艦長から話があるそうだ。時間を空けておいて貰えるか? 」
「…判りました。では後程」
15時50分になり、全身麻酔を施された男が移送用のケージでメディカルルームに搬送された。16時からの手術に合せて、私達もメディカルルームに入る。前世の手術だと麻酔導入や手術準備にかなりの時間をかけた筈だが、魔法を併用することで大幅な時間短縮が出来るようだ。
だが問題は、シャマルさんが開胸のためにメスを入れた時に発生した。
「!? 模造レリックの魔力反応に異常確認! レリック内部の魔力圧力が急速上昇! 」
「ゴメン、ヴァニラちゃん! 後お願い!! 」
開胸手術そのものに反応する仕掛けがあったのかもしれない。シャマルさんが咄嗟に転移をかけた。レリックだけを艦外空間に放り出したのだ。それと同時に開胸部分から血がすごい勢いで溢れてくる。
「っ! 『リジェネレーション』! 」
≪"Regeneration" invoked.≫【『リジェネレーション』、発動】
事前にある程度予測が出来ていた分、落ち着いて魔法を発動出来た。ハーベスターがサポートしてくれたのも大きかった。生成した魔法陣が翠色に輝き、徐々に出血が治まる。
「大丈夫、まだ大丈夫…」
溢れてしまった血液も、可能な限り下行大動脈に戻すよう、術式を制御する。解離が起こらないように慎重に大動脈の傷を塞ぎ、レリックに取り込まれていた血管や神経の再生、結合を進めた。体内の治療を終え、開胸部分の傷を塞ぐと、私はふっと息を吐いて術式の行使を終了した。
「1つ目は…失敗ね。残念だけど」
「ごめんなさい。まさか開胸のメスに反応するなんて…」
「いや、今のは仕方ないさ。それよりも咄嗟に転移させたのは良い判断だった。ありがとう」
どうやらアースラの艦外で模造レリックの爆発が確認できたのだそうだ。レリックの確保には失敗したものの、対象となった男性が生存しているのは不幸中の幸いだろう。
「ヴァニラも良くやってくれた。おかげで大切な証人を失わずに済んだよ」
模造レリックを摘出できたとはいえ、ルル・ガーデンさんが言うところの「壊れてしまった心」が元に戻るかどうかは微妙なところだ。でもクロノさんが言うには、生きているだけで証拠として有効な部分もあるとのことだった。
「問題は残りの手術についてだが…今日は中止にするか」
「そうね。今の施術も踏まえて、もう一度確りとカンファレンスをしておきたいわ。残り3人の施術は延期させて貰えると嬉しいかも」
結局、残りの模造レリック摘出手術は翌日以降に延期されることになった。ただ今回の失敗は残念ではあるものの、決して致命的ではない。対象の男は生存しているし、模造レリックの確保は1つを失ったとはいえ、他の3つでやり直しが出来る状態だ。
恐らく学校を終えてすぐにやって来ていたのだろう、なのはさんやアリシアちゃんが、はやてさんと一緒にメディカルルームの窓の外から心配そうな表情でこちらを見ていた。私は大丈夫だよ、という気持ちを込めて彼女達に微笑みかけた。
このお話を書き始めてから、2度目の年末を迎えました。。
とは言っても最初の投稿が2013年10月なので、それほど時間が経っているわけではありませんが。。
いずれにしても今回が今年最後の投稿になります。。
去年もそうだったのですが、年末年始はネット環境が整備されていない田舎に帰省予定ですので、1月3日(土曜日)はお休みします。。
次回投稿は1月10日を予定しています。。いよいよシャマル先生の「旅の鏡」が活躍する。。のかな。。?
おかげさまで900件を超えるお気に入り登録を頂き、本当に感謝頻りです。。
また来年もぜひよろしくお願い申し上げます。。
ではではみなさま、よいお年をお迎えくださいませ。。