厄神様のただひとつの願い   作:映陸沙汀

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第二 幸神転厄神事

 

 雛は幸神(さちがみ)である。厄を操る程度の能力を、人間と災厄の縁を切るのに使っていたことからいつからかそう呼ばれていた。両者の出会いはかなり古いとされ、彼女の存在は人里に深く根付いている。

 一方で、人里の人口が増加するとそれに伴って厄も増える。すると雛は膨大な厄を(かみ)つ神へ捧げるのに時間を費やすようになり、自然と人間との関係が疎遠になってしまう。

 そんな彼女が(親友のからかいもあったとはいえ)、人里に赴こうとしている。それが雛にとっても、また人間にとっても大きな変化であることは言うまでもない。

 大きな変化を祝す際、彼女は花で様々な装飾を作る。今はそのための原料を調達しに樹海を散策している。

 

「これは……、秋桜かしら? うんうん、いいじゃない」

 

 秋桜にとどまらず、ここ一帯は開花時期を秋とする花が咲き乱れている。まさに百花繚乱である。この極彩色の空間は、雛が所有する“隠し庭”の一つ。

にとりの協力もあって無事調合に成功した手前肥料を、雛は毎年森の決まった場所に撒く。そしてそのまま半年間は放置しておき、それぞれが開花する時期に合わせて花を摘みに来るのだ。今年はかなりの豊作らしく――

 

「こんなにたくさん咲いてくれるなんて。まるで私が人間と会うのを言祝(ことほ)いでくれているかのよう……!」

 

 と、雛は喜びの言葉を漏らす。

 一通り感動を身に染み込ませて、彼女は贈り物である花飾りの作成に取り掛かる。

 

「さあ、まずは花人形の胴を作って……、桃色のケイトウを人形の頭にかぶせて……」

 

 かなり手馴れた手つきだ。ものの十数秒で花人形が一体完成していた。続けざまにもう四体の人形を作ると、今度は花冠や手飾り、髪飾り、お守りなどを一気に作り上げる。

本来ならば人間に見つからないように作業は家で行うのだが、彼女はいま、有頂天だ。久々に人間に会えるということ、また奇跡と言っても過言ではないほど多くの花が咲いていたことが、正常な判断を鈍らせた。

 

 

「ふう……」

 

 気付けばもう夕刻。橙色のやわらかな光線が、体を撫でている。仕事をやり遂げた一種の悦楽にひたっていると、目の前には少年が立っていた。

 

「あ、や、厄……」

「あら、僕。大丈夫? もう家に帰らないと、お家のひと、心配しちゃうんじゃないの? ほら」

 

 雛は少年の手を握ってやる。この森を脱出する道の案内をするためだ。しかし、少年は脅えた声を上げて手を振り払うと、その場にへたり込む。

雛にとっては、自分の姿を見られたことすらかなりの失態だった。しかし、自分が、よもや幸をもたらす鍵山雛という存在が――おそらく無知によるものだとは言え――拒絶されたことは、彼女に少なからず衝撃を与えた。

 

「ね? 大丈夫よ。私は悪いことなんてしないから」

 

 動揺した雛は、訳も分からず、一心不乱に少年を助けなければならないという、一種の義務感に襲われていた。それゆえの行動は、やはり怖がる者には逆効果だ。

 

「うわぁッ! ち、近寄るな! く、来るな」

「わ!? ……ちょっと!」

 

 いよいよ恐怖の度合いが頂点に近づいた少年は、手元にあった(つぶて)をうった。そして間髪を入れず、彼はもう一度石を掴むと、もう片方の手に土を握り、走り去った。

 それは紛れもない、雛――否、得体の知れない恐怖に対抗するための武器だ。後ろを振り向き、もう追ってくる意思の無い雛を見、それでも石と土を投げつけてった。

 

 雛は、どうしようもない虚空に心を蝕まれていた。

 

 ◆

 

 翌日、例の幸神は人里に最も近い林に来ていた。ここで昨日作成した贈り物を再度確認し、それが終わったころには人間との対面が実現する。

 

「いいわ。この人形を、こっちに置き換えて…………。よし!」

 

 未だに昨夕の記憶が脳をめぐっていたが、あれは相手が何も知らなかった故に起きた事件だ、と妥協する。

 それでも彼女は長年にわたって人間とは直接かかわってこなかったから、今もかなり緊張しており、心に余裕は微塵もない。木の陰に隠れて、ただちっぽけな勇気が生まれてくれるのを待つしかないのだ。

 

 

 それは、日が十分に上がった時刻だった。ここまで勇気の“ゆ”の字も出てこなかった雛は、かなり疲弊していた。それでも待ち続けていると、茂みから兎が飛び出していった。

 兎にもできることを、私ができなくてどうする。私は、人間たちに会うためにここまでやってきたんだ。

 心の中で自援して、ようやく決心したようだ。彼女の足は着実に前へと進んで、腕は木から離れていく。人里への一歩が、踏み出された。

 

 何事も、始めてしまえばあとは案外容易い。雛も、今はもう気分を高揚させて目の前の集落を目指す。振り返れば、後ろには先ほど隠れていた木々がちっぽけに見える。深緑の塊は、どこかこの寂しげに見えた。あんな所にいるから、自分はダメなんだ。自らにそう叱責した。

 人里、目の前にあり。木製の家屋と蔵が立ち並んでいて、森とは正反対の印象を受ける。さながら、「人工の森」とでも言うべきか。 

 ただ、集落の外れだったのか、それとも日中の仕事に出かけているのかはわからないが、ここにはあまり人の気配がない。会えそうなのに、会えない。雛の緊張が、ここにきてピークに達していた。誰かに会おう。とりあえず、普通の人間ならだれでもいい。そんなことを心で呟いて、あたりを駆け回る。

 と、ようやく人の姿が、彼女の目に入った。

家の前に桶やまな板などの生活品を出しっぱなしにして、食器を洗っている。勝手口の方向を向いているため、女性はまだ雛の存在に気付いていない。

 

「もし、少し良いですか? 渡したいものがありまして……」

 

 自分で編んだ籠から花人形を取り出すと、それを女性に渡そうとする……、が、頭を上げると、目の前にあったのはとても贈り物を受け取ってくれそうな顔ではなかった。あえて表現すれば、それは恐怖にまみれた表情を露わにしていた。

 雛は驚く。が、それは女性も同じ。裂帛の声が辺りに響き渡り、耳をつんざいた。

 

「うう……、どうしたんですか!? 危害は加えません!」

「い、いやあっ、こないで!」

「おい、俺の家内から離れやがれ!」

 

 甲高い絶叫によって、今まで人気のなかった通りには、いつの間にか人だかりが出来ていた。家族の異変を感じた男性が、雛を脅かす。

 

「そんな……、私はただ、みんなに幸福を……」 

「厄病神なんぞが、幸福をもたらすなんてできやしねえ! さっさと立ち去れ!」

 

 男性は、桶に入っていた水を雛に浴びせる。水を吸ったことによってリボンはびてしまい、精巧につくられた衣装は本来の形状を保つことができなくなっていた。

 そして、それは彼女の心も同じ。手に持っていた籠をかなぐり捨てると全速力で駆け出す。昨日の少年といい、ここの人間といい、何かがおかしい。考えれば考えるほど、彼女はドス黒い思いに浸かっていく。

 

 こんなの、ただの悪夢。夢なら、いつか醒めてくれる。

いや、違う。そう、これはにとりによる、たちの悪いいたずらなのだ。そのはずだ。そうだ。きっとそうだ。

 

 無我夢中で、これが非現実的であることを願い、そうでなければ作られた現実であることを願う。彼女を飲み込む黒い何かは、いつの間にか全身からにじみ出ていた。

 

 疾走する雛。ひきつった笑顔を浮かべ、負の霊気を放出する彼女は、もはや誰にとっての幸神でもなかった。

 

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