河童の多くは沢のほとりに居を構えている。それはいくら変わり者で天才的な技師であるにとりとて、例外ではない。加えて彼女はよく自宅周辺で作業をするので、合いたかったらまずは水辺を探すと良い。
親友である雛は当然彼女の家を知っているので、会うのにそれほど苦労はしなかった。
さあ、目の前に、もうあと十数歩先に、にとりがいる。彼女は、しかし雛に未だ気が付いていない。言葉は喉に突っかかって出ないので、気付かれなければこちらから近づくほかない。一歩、一歩と歩を進めていくが、結局最後はかわいた草を踏む音で気づかれた。
「ねえ、にとり――」
「え!……雛」
にとりは、雛の変りっぷりに思わず言葉を遮った。肩を覆う絞られた袖には切れ込みが入っている。枝か何かが引っかかって、それでもなお走り続けたのだ。スカートの裾はとくにひどい。フリルは摩耗して原型をとどめておらず、また先はただれたようになっている。
それでも、服は些末な問題にすぎない。彼女が驚いたのは、雛の放つ負の影……。人間の厄を正常に司れていない証拠だ。目からは黒い涙が滴る。
「どうしんだよ、何があった!?」
「にとり、人間にね、私……わ、たしのこと……、いじめるよう、に……、言った?」
「いじめる」。雛は、そう言った。えずき、
「な、何を言ってるんだよ、一体! 私がそんな事、するわけがないじゃないか! 雛、変だよ……。何があったか、言ってよ!」
「そうなんだ。そう、だよね……。にとりは、にとり……、は、あんなこと、しないよね」
「ちょっと本当にどうしたのさ! あ、突然泣かないで! ほら、大丈夫だから、さあ」
「ううッ……、ありがと」
厄を操る力が低下しているのなら、彼女からは当然それが漏れ出している。となると、彼女の周りにいるだけで不運に見舞われる。だがにとりにとってこの状況は、親友が深刻な神経衰弱に陥ってしまった、というものだ。苦しむものを放っては置けない。にとりは友を助けたいという一心で、「禍々しい気」を放つ彼女を優しく抱擁した。
「ほら、落ち着いてきた? じゃあぼちぼち話を聞かせてくれる?」
再び風が吹いたとき、雛は徐に、そして重々しく口を開き、事の顛末を話し始めた。まるで無機物のように、感情を排した声色だった。
◆
「なるほど。これはひどい。まとめると、雛が人里にいったら、問答無用で“忌避”されて、疫病神扱いされた、と。こんなかな?」
「うん……」
すっかり憂いに沈んで、無言で頷く友の姿は堪えるものがある。それほどまでに、雛は心をすり減らしたのだ。にとりはそう解釈して、これ以上根掘り葉掘り聞こうとはしなかった。そのかわり、問題を改善する方向へと転換する。
「さて、と。このよくない状況は、必ず打破しないといけないけど、具体的にどうするかまでは、やっぱりその理由を知っておかないとね。抜本的な解決ってやつにはたどり着かない」
「そうね……、なら、射命丸さんに頼むのは? 天狗だし、記者ならばその辺の情報にも精通しているんじゃないかしら」
「なっ……! 天狗なんか、クソくらえだ! あいつら、私たち河童から搾取することしか考えてないんだからさ」
“天狗”という言葉に、にとりは唐突に声を荒らげてしまう。が、それもそのはず、最近の天狗は、それほどまでに河童をこき使っていた。とても納期に間に合わないような品数を平気で依頼してくるのはもちろん、無茶な依頼や逆らうとすぐに自分たちを「ヒエラルキーの頂点」と称して暴力が降ってくる。河童の前で、彼らの話はしない方が良いのだ。
「あ、怒鳴っちゃったりして、ごめん。……それよりさ、そうだ! 雛、厄を神に捧げてるんだろ? ならさ、この問題も神様に頼めばいいじゃないか。ほら、最近引っ越してきた、あの妖怪の山の」
「う~ん、悪くはないんだけど、私が厄を捧げて力を貰ってる神様は、天上神だから、難しいかも。八坂様は、もう地上に天下りなされてかなり経ってるだろうから」
「なるほどねぇ~」
二人はしばしの間首を垂らし、より良い案は思いつかないものかとうんうん唸っていた。だが、一方は日々の過酷な作業によって疲弊していたし、もう一方は昨日ひどい仕打ちを経験したばかりだ。最悪の状況で酷使するから、脳が軋んでくる。もう止めよう。きっかけはまたしてもひと撫での風。彼女たちは互いの顔を見合わせた。
「私、やっぱり射命丸さんに賭けてみるわ! 自分で探り行くのは、まったくの自殺行為だもの」
「そうか、まあ雛がそう言うんだったら……、なら、私も、私も個人的に協力するよ!」
何故だか、その言葉に雛はたじろいでしまう。不安感に駆られるのだ。訳も分からず、「ありがとう」と意を述べるが、それでも一向に治まる気配はない。
にとりは相変わらず笑顔で、「おう!」と返事をしていたが、その後ろでは清流のはずだった川の水が、いつの間にか濁っていた。