「さ、ではでは、情報の開示と行きましょうか」
「よろしくお願いします」
数日前、初めて出会ったとき、彼女は自らの警戒心を強めずにはいられなかった。目の前の少女――文は、弾幕ごっこを中断させるという尋常ではない行動をした上に、片手で持てるくらいの程良い大きさの団扇を使い、あれほどの風力を生み出したのだ。まともに戦えば、今の彼女には勝ち目など、万に一つもない。
あの時は仕方がなくとも、今日この場を単身来訪するのはできるだけ避けたかった。とはいえ当然ではあるが、にとりは同伴を拒絶した。不俱戴天の敵との鼎談など、誰でも望んでしようとはしないだろう。わかりきっていた返事を聞いて、予測していなかったことに対する恐怖とはまた違ったそれを、雛は味わうこととなる……。
こうして情報屋のもとへ訪れるかを決めあぐねていた時、ある考えが頭をよぎる。「天狗が河童を支配する立場にある」という構図とともに。
その思考によれば、「支配者が暴君であるとき、彼の地位は永くは続かない。一方で節度のある態度をとっている支配者は、その地位を末永く維持することができる」ことと、鬼がいなくなってから今までの間、天狗はずっと妖怪の山の支配者であり続けていることを考慮すれば、天狗もそこまで野蛮で礼のない妖怪ではないのではないか。そう考えられる。
何もかも、天狗の下に位置付けられた者が発している。にとりの悪口も然り、また妖怪たちの天狗に対する低い評判も然り。それならば、文に会うことがこの二進も三進もいかない状態を前進へと繋げる役目を果たすのだろう。
そしてここにやってきた。指定された日時、十五夜の月、丑の刻。
「結論から言えば、里の者があなたを避けている理由はやはり、鍵山雛を厄病神と思っているからですね。あなたが出会った人間だけがおかしかったわけではありません」
「そんな……、そ、それはどうしてですか!?」
「どうしてって、それはあなたの能力が“厄”を司るものだからでしょう。火を司る神は炎そのもの。同じ理屈です」
「では、厄を司る私は、厄そのものだというのですか。……それでは――それはあまりにも横暴なこじつけじゃありませんか!?」
雛があまりの結果と言いぐさに声を大にして反駁する。どの妖怪だって、彼が自らの性質と真反対だ、などとと言われれば、最大の侮辱とみなすだろう。
だが、文はそんなものどこ吹く風と受け流す。能力で勝てないことなど重々承知しているというのに、思わず心を荒らげる。この鴉天狗には、相手の心にまで荒風を吹かせることが出来るとでも言うのだろうか。
「まあ、落ち着いてください。一度ここで整理してみましょうか。まず、貴女が久々に人里へと出向くと、里の住民は貴女を“厄病神扱い”した。そこで真相を確かめるべく、無断で妖怪の山へと立ち入り、私のところまでやってきた。
そして依頼を受けた私は幾日かの調査をへて、こうして貴女に情報を提供しています」
「……だから何ですか?」
「ここで私たちが争っても、誰の特にもなりません。方向転換といきましょう」
彼女は、自分が得をすれば、そして結果が良ければ他には何も望まない。そんな性格なのだろう。言葉の表面だけ取ってつなぎ合わせれば、因果関係もしっかりしていて一見正しい。けれどもその裏では常に欺きの陥穽が爪を研いでいる。用心していなければ、すぐ破滅に追い込まれてしまいそうで、また俄かに恐怖が増してきた。
「どういう経緯があったかはまだ調査不足ですが、貴女がそう見做された以上、過去の状態に戻そうとするのはナンセンスです。それよりも、今よりも良い方向へと導いてあげるのが一番でしょう」
「今を、より良い方向へ……。それが唯一の道ですか」
「最良を考えるのは容易ではありませんが、私は最悪も視野に入れた方が良いと思いますが?」
「というと?」
「最悪は、里人たちが貴女を“害”として本格的に退治に乗り出すことです。どこぞの巫女が来てしまえば、それこそ一巻の終わり」
いうか言い終わらないかのうちに、文は古びた手帖を二つ、無雑作に置いた。『霊夢退魔録』。もう一つの書名はもちろん『早苗退魔録』。
「以前、霊夢が貴方のように山へと訪れた時、私は本気で闘ったのですが……、実力に差がありすぎました。それからいつも思うのですよ。彼女たちに本気を出されたら、私は消し炭になる。よもや二人が衝突したら、“主”の出番だって」
「それは、ご忠告どうも」
外装が革で出来ているため、手垢が付くほど使い古された手帖はますます古色蒼然たる鈍い光を醸す。ページを繰ると手が痒くなりそうなのを我慢して、内容を漫然と眺める。何か言われたような気がしたが、声はなぜか気にならなかった。
二冊目に手が伸びる。するともう一冊、別の冊子が置かれていた。これも読め、ということなのだ。文は相変わらず解説を続けている……。
そして最後の手が伸びた時、いつの間にか雛は、文が天眼通を持っているような奇妙な印象に気圧され、臆するようになっていた。早く逃げよう。どうせこれ以上ここにいたって、もう得るものはないはず。
意識は出口にある。
雛がここぞとばかりに退出の兆しを見せた。話題も「夜が遅い」などという分かりやすいものとなる。こう気色ばまれては、いくら鈍感な人物であろうと何となくの察しは付く。ましてや相手はあの射命丸文だ。変化を見つけることに余念がない。
「おかえりですか。なら、お代をいただかなくてはなりません」
そう、確かにそういったのだ。
「お代……? そ、それはどういうことでしょう? もうすでに依頼料は支払いましたが……」
「確かに頂きました。しかし先ほど追加料金が発生しています。私の何年もかけて構築してきたこの情報の塊……」
冷笑しながら、どこまでも不敵に。そんな神色。
言葉だけではない。声色や表情といった非言語要素ばかりか、その場の空気や自分の知恵が叩き出してしまう答え。何を手放さなければならないかなどすぐに分かった。また、決定事項へのあらがいが不可能なことも。
生暖かい風が、帰路につく彼女を気味悪く撫でていく。外気に触れてから月には雲がかかり、大気は湿度を増していた。
そして。月影すら落ちない雛の頭からは、“赤”の飾りが消えていた。