それから、冬はますます冬らしくなる。太陽を雲が遮り、大地が白い雪に覆われることが多くなった。足を捉えるほどに降り積もった雪が溶けきらずに固まり、白い地面を形成した。
雛は、戦力の貯蓄のため、正体を隠し、人里に面した森を徘徊していた。原動力となる「厄」を回収するためである。そして森奥深くにある住みかの前で、彼女は来るべきその時に向けて訓練をした。あの天狗――射命丸の底を知らない笑みを思い出しながら、またあの時に見た二人の巫女に関する断片的な情報を想像に反映しながら。
にとりは、雛の助けをするという、ただそれだけの信念から、現在受け付けている依頼をすべて後回しにして武器の開発に努めた。それは、例えば鉄球を放出する装置だったりリフレクトマントだったり、もはや武器というよりは兵器に近いものだ。戦いに特化した、強力なおかつ人間や妖怪ですら扱ったこともないであろうものを、彼女は総力を挙げて作り上げていく。
そして里の人間たちは、厄病神の出所をうかがっていた。この先奴をどうするか。攻め込むか、現状維持か、戦うか、厄を浴びるか……。
今のところは、食料の少なくなるこの時期にわざわざ排斥行為をするのは生活を圧迫しかねないということで、厄病神の退治は凍結されている。だがこの受動的な選択も、集団が調和に漂う今しか出されない英断だ。少しでも刺激を感じれば、緩やかな集落の意思はすでに刺々しいそれに豹変していることだろう。
雛も、にとりも、里の住民の意向を敏感に感じ取り、生じるであろう必然的な結果に向けて行動しているに過ぎない。もはや絶望ですらない。絶望の対角線上には「希望」があるが、それすらもないのだから。自由も制約も喪失した彼女らには、暴力にあらがう以外の道が残っていただろうか?
◆
先述の膠着状態が続く中、ある日奇妙なことが起きた。人間たちの共有財産の一つである武器庫から、収納されていた武具防具が一夜にしてすっかり消えてしまっていたのだ。これが盗っ人の仕業では無いということは、歴然として明らかである。第一、あれほど大量の物品を誰にも気づかれずに運べるだろうか。また運べたとしても、一体何の目的があってそんなことをしたのだろう。邪推がいくら飛び交おうとも、真相を掴める者は一人もおらず、空虚な謎だけが根をはる。そういった何かもやもやとした胸騒ぎのような不吉さが、とうとう「あの厄神の業」として噂されるまでになった。
この噂は、隠遁者のように世俗からの情報が極端に届きにくい位置にあった雛にさえ届く。そう、にとりが事態を重く見て、彼女に顔を合わせようと決意したその日よりも前に――。
「雛、雛雛雛!」
いくら雪景色に雛の赤い衣服が目立つと言えど、山麓の森は広く見渡しも悪い。だから彼女の姿を見つけた時、にとりは素直に喜べたし、雛の凍てつくような視線によって感情が一気に冷え込んだ。
「雛……」
木に寄りかかりながら、息を整えながら。
森の深奥部よりも少し手前にある泉に、雛は立ち尽くしていた。にとりの気配を感じ取った彼女が、一言呟く。
「どうして」
「雛」
彼女の声は、冷え切っていた。それに呼応してか、寄りかかっていた木もひやりと表皮を刺激して、腕を離した。
「どうして人間たちの邪魔をするの」
「それは、だって、そうでもしなきゃ、雛がダークサイドに……、いや、とにかく、今のままじゃ、雛にとって災厄しか残っていないはずだから」
「私の運命を、軽率な憶測だけで弾き出そうとしないで!」
思わず、肩に添えようと差し伸べていた手を引っ込めた。これほどまでに、悲しい威圧があったのかと。にとりは、未だに雛の背中しか見ることはできなかったが、感情はおろか表情までまざまざと想像できた。
雛は、少しの沈黙の後、さらに厳しく続けた。
「あなたは計算が得意なのだろうけれど……、なら言うわ! 私の人生は乱数そのもの。いくら機械いじりの達人だって、一人だけで解読しきれるような存在ではないの」
そよ風が吹き、にとりの胸にある鍵が裏返った。今や押さえる気力がなくなったとはいえ、胸騒ぎはした。
それから、泉の氷面に、亀裂が入った。乾いた音を響かせる。
「うん。ごめんね」
にとりは去っていった。いつもなら反論の一つや二つくらいが飛んでくるのだろうが、「ごめんね」以外を彼女の口が発することはできない。
だから、にとりはただ、去っていった。
次は、自分が去る番だ。分かっていても、雛は一歩が踏み出せない。あの、親友だった彼女が去る足音を聞く度に、黒い涙が無数に零れ墜ちる。一体何を考えているのかを想うだけで、切なさに胸を噛み千切られそうになる。
だからといって……。
にとりを止めては、これまでに失ってきた全てが水の泡と化す。心を裏返してまでとってきた、にとりを救うための行動を、無下にすることになってしまう。そう、どれだけ辛くとも、闇に染まろうとも、彼女は友を救うことを選んだ。自分の存在を捨ててまで、助けることを選んだのだ。
最後の涙が、雪に染み込む。
こうして、雛のもとからすべてが消え去った―――。
◆
「はあ……、今年は紫が凶。今の着こなしじゃ、リボンがジャマしてるのか」
こちらも、赤い服を全身にまとって、雪の積もるここら一帯ではよく目立つ。
頭には紫のリボン。手には「文々。新聞」。そして頭上には……、射命丸文。
「こんにちは! 清らかで潔い、清浄無垢な射命丸です!」
「……っ! な、あんた、わたしに、何のよう……」
同じような言葉をべたべたと並べながら、急降下する射命丸。その態度は、いくら驚かすことを専門にする赤蛮奇さえ狼狽えさせた。驚愕のあまり頭を少し浮遊させてしまった彼女が問うと、射命丸は咳払いを一回、こう答えた。
「今はね、ちょうどこの鋭く光る鴉の目が、商売のオーラを捉えたんですよ。悪運リボンさん」
「う……」
思わず後ずさりしながら、頭部から飾りを乱暴にとる赤蛮奇。そんな彼女を獲物をみつけた蛇のような表情で見つめる鴉天狗は、ポケットから赤のリボンを取り出す。これ見よがしに風にたなびかせたり、商売相手の目の前でひらひらと浮遊させたりする。
ここで、赤蛮奇はようやくなにかを勘付いたようだ。目の前の悪趣味な人物が、自分の持つ新聞の執筆者であるということや、その目の前のリボンが揃えば「幸運ファッション」が完成するということに。
「わ、わかったわ。言い値で、買わせてくれる?」
「そうですねえ。でもあなた、あまり持ってなさそうですけど」
どこまでも小馬鹿にしたような言いぐさにしびれを切らしたのか、赤蛮奇はスカートを震わせる。銭の躍る心地よい音に満足をしたのか、その天狗は歩み寄った。
双方が互いの欲をぶつける場、それが射命丸文の
「では、以後もごひいきに!」
「フンっ。そんな態度だと、お客さんに嫌厭されるわよ」
「そうなったら、それまで。また次の客層を開拓していくんですよ」
結局、最後まで口では勝てずにいた赤蛮奇は、その会話自体を無いものとした。気分を一転させ、幸運の効果をどれほどのものか、実感することにしたのだ。
そして……。
「うわ!?」
降り積もった雪に隠れた木の根に躓き、盛大に転ぶこととなる。カシャリ、という音と共に。
「ふふふ、首ポロリ、パンチラ頂きました~」