まだ朝陽も登っていない早朝。白く濃い霧から伝わる冷気を感じながら、人一人いないアスファルトの道を進む。微かな眠気とバックを背負い、膝まで伸びた厚手のコートを纏って、 身震いしながら横断歩道の赤信号で足止めを食う。僕はつかの間の暇を埋めるために懐から携帯を取り出す。
液晶画面から視界に入ってきたものに思わずに頬を緩む。そこには笑顔で卒業証書を持つ、三人の女神と僕、彼女達を笑顔で祝福する女神達が写し出される。
三日前、桜舞う学園で僕達は高校生活は幕を閉じた。多くの在校生や教職員の拍手と温かい目で見守られ、ある者は終始笑顔で、ある者は感涙とともに、学校を去った。
不意に首を上げた際、鮮やかな衣装に身を包んだ少女達の写真が貼られた大型車が目前を通過する。あれから消滅の危機に陥っていたスクールアイドルは現在も続いている。
それも以前よりも急激に注目を集めている。一年前の絵里達の卒業式の後、南理事長から海外で注目されきているスクールアイドルの宣伝活動のため、ニューヨークに向かうことになった。
この宣伝がうまくいけば逢崎蓮によって衰退したスクールアイドルの人気を取り戻すことが可能性があるからだ。メンバーの数人は渡航に対して、やや消極的になっていたもののμ’sの太陽こと高坂穂乃果の説得によりニューヨークに向かった。
結果、ニューヨークでの公演は大成功を収めて、帰国したその日にはラブライブの運営ホームページが復活してμ’sに対して多くの賛美の声が寄せられていた。無論、その中には反対意見も含まれていたが、彼女達を讃える意見はそれを遥かに凌駕した。数日後、μ’s、A-RISEを含んだ大勢のスクールアイドル達によって秋葉原での公演により、日本国内での人気が更に増加。逢崎の件で卑屈になっていた他のアイドル達も穂乃果の熱弁に折れて、参加する。そして、本番は満面の笑みを浮かべながら踊りに興じていた。
小さな人間の思いが数を増して、やがて多くの人を乗せて、価値観や世の流れを変えた。人の思いの強さを改めて思い知らされた。
後の武闘館公演にてμ’sは事実上解散することになった。そして、僕にとって大きな壁が立ちふさがっていた。そう、進路である。自分の未来など考えたことも無かったため、頭を抱えた。そして自問自答して出た答えは……旅に出ることだった。
理由はいたって簡単だ。僕が世の中や世界について無知だからだ。生まれた時から園田の作った檻の中で暮らし、両親が殺害された後も、復讐に囚われていた。
僕の人生は一つのものしか見てこなった。ニューヨークに行った際、世界の広さに驚き、自身の視野の狭さを痛感した。
担任教師も初めは眉を潜めていたが、理由とそこに懸ける想いを伝えると、渋々ながら了承してくれた。μ’sのみんなに伝えると一同はここの反応を見せた。皆言葉や表情は違えど、どれも親愛に満ちた言葉だった。
同学年の穂乃果は製菓系の専門学校進学を決めて、ことりはファッションデザインを勉強するためにパリの大学へ、海未は彼女の祖母の友人が講師をしている関西の大学に進学して、さらに舞踊に磨きをかけるとの事だ。そうして今、僕は白い息を吐きながら街の外れにある船着き場に向かっている。
薄暗い空が、陽の光で明るくなり、立ち並ぶコンクリートの建造物が山吹色に彩られていく。
船着き場に着き、近くに設置された長椅子に腰を下ろす。不意に朝日に照らされた水砂漠を眺めていると、ふと一人の少女の姿が頭によぎる。
鮮やかな琥珀色の瞳、陶器のように白い柔肌、深海よりも深く黒い直毛、身麗しい面立ち。彼女を思い出すたび、胸が疼く。症状の名は知っている。本や娯楽作品で何度も目にした。
しかし、この胸中を取り巻く感情を理解するにはしばし時間がかかりそうだ。そんな事を考えていると、地平線の方から汽笛が聞こえた。白い塊が太陽の光を背に浴び、正面に影を作り、徐々に接近する。長椅子から腰を上げた時、聞き慣れた声が後方から響く。声の方に首を振ると思わず瞠目した。
「悠人〜!」
「悠人君!」
九人の女神達が息を切らしながらこちらに走ってきた。彼女達には情報を伝えていないはずなのに何故なのか考えていると目の前に着いた。皆、服装が寝巻きだったり、外出用の服装だったりとまばらなため、かなり慌てて支度したことが容易に理解できた。
「何故、ここが分かったんですか?」
僕は疑問を問うかけると、特徴的な語尾を話す短髪の少女が真っ直ぐ手を上げる。
「凛が朝、一人でランニングしていたら歩道橋の近くで悠人君らしい人見つけたんだよ。服装がどこかにいく服装だったから駄目元でみんなに電話したら出たにゃ」
言い張ると凛はその小さな体躯で胸を張る。
「もー何も言わずいきなり出て行くなんて臭いよ! 悠人君!」
「水をちゃんと付けてください。それだと僕が臭うみたいになりますから」
僕が穂乃果の間違いを指摘すると、女神達は小さく笑い始めた。ただ一人を除いて……
「悠人……」
黒髪の少女が搔き消えそうな語気で呟く。僕を映す彼女の瞳は悲哀を宿したように見えた。細い足が重い足取りで近づき、僕の前で整列する。
「これは別れじゃないんですよね」
僅かに震える声音から、哀愁が漂う。目が合うと彼女の瞳の水分が形となり、溢れ落ちそうになっていた。僕は彼女からの返答に首肯する。
「必ず……必ず……また会えますよね?」
「はい」
今度は首肯ではなく、僕の言葉で返す。嘘偽りも虚飾もない本音だ。すると彼女は僕の腰に、白く細い腕を回す。僕の胸に小顔を当て、蚊の鳴くような声音で呟く。言葉が耳に届いた後、胸元にある黒い髪を壊れ物を扱うように優しく撫でた。
「またねー! 」
九人の女神の暖かい見送りと声援を受けながら、僕を乗せた旅客船は船着き場から離れた。手を見るみんなに手を振り返しながら、徐々に小さくなる彼女達の姿を見て、若干の寂しさを覚える。やがて確認できなくなり、街の景色だけが僕を瞳に映っても、不動のままだった。海上で吹く潮風を身に感じて、僕はゆっくりと瞳を閉じる。先ほどまで鼓膜に触れた鴎達の鳴き声が遠ざかり、船着き場で海未から発せられた言葉が脳裏から蘇る。
「いつまでも、待っています」
親愛と清純に彩られた言葉がいつまでも大きく胸中で木霊し続けた……。
今までありがとうございました! まさか去年のバイトの最中に出て来た空想がここまで続くと思ってもいませんでした。今作を書いていく過程で一人称、三人称が入り混じったり、他の筆者の作品を目にして自分の文章力の無さに絶望したこともあります。というか今でもします。もし次書くなら三人称書きたいなーなんて思ってます。もともと三人称で話を進行しようと思っていたら一人称にシフトチェンジしてました。
感想や高評価をいただける度、幸福感に包まれて、日刊ランキングにランクインした時の喜びは昨日のことのように覚えています。しかし何より嬉しいのはここまで閲覧してくださった読者の存在です。みなさんの存在が僕をここまで突き動かしてくれたと言っても過言ではありません。
本当にありがとうございました! またどこかでお会いしましょう では!