曇天の空から雨が降る。
午前中はあんなにも雲一つない晴天だったにも関わらず、今は天を真っ黒な黒雲が支配し、ザーザーザーザーッ雨粒が酷く激しく地面を叩いて風景の先を陰らせている。
仕舞いにはドロドロドロドロ太鼓を敲く様な重低音が響き渡っては、時折りピカッと雲の中を駆ける龍を照らす。
「・・・・・つまんない」
そんな曇天空を自室の窓から少女が一人、湿気でうねる水色の自分の髪を弄りながら何とも不愛想な表情で眺めていた。
彼女の名は、更識 楯無。
先のワールドパージ事件においてIS学園の物理的防衛を担当し、襲い来る悪漢達に奮闘した功労者の一人だ。
しかし、其の時の獅子奮迅の戦いの中で楯無は片手と脇腹を鉛玉によって喰い破られると云う重傷を負ってしまい、今現在は自宅療養を命じられてしまっていた。
当初は日々迫り来るIS学園生徒会の業務に追われない事を喜んでいた彼女だったが、其れも最初の内三日。
情報秘匿の為に外出できない事に加え、元々アクティブな性格である楯無に此の自粛生活は退屈で退屈で仕方がない。
かと言って抜け出そうと画策すれば、同じく生徒会であり更識家の侍女でもある布仏 虚に「・・・ダメですよ、御嬢様」と釘を刺されてしまうのだ。
其れでも今日まで此の退屈に耐える事が出来たのは、いつも傍らに日頃から溺愛する妹の簪が居たからである。
つい数か月前まではギクシャクしていた関係だったが、今は普通に仲良い姉妹として簪おすすめのアニメや漫画を楽しむ事が出来ていた。
けれども・・・
「今日は簪ちゃんはIS統合部のお仕事・・・虚ちゃんと本音は生徒会の実務だし・・・・・あ~ぁッ、つまんないの!!」
今日は一緒に暇を弄んで潰す相手がいない。
仕方がないので一人でアニメや漫画を見ていたのだが・・・如何にも如何せん退屈さを拭うには至らない。其れに外へ行くにも此の土砂降りで気が滅入ってしまう。
そんな楯無は読み終えた漫画に囲まれながら大の字になって駄々っ子の様にジタバタ退屈との戦いに苦戦を強いられていた。
・・・だが、こうでもしないと思い出してしまうのである。あの時あった痛みを、恐れを。
更識家の当主の座を、『楯無』の名を受け継いだ時にある程度の事は覚悟していた。
―――――とは言っても彼女もまだ花も恥じらう可憐な十代の乙女なのだ。自分の中にある許容量を超えるものに畏怖するのも当たり前であろう。
加えて―――――
「・・・・・・・・清瀬くん」
―――――あの時の手と腹の痛みと共に彼女が思い出すのは、窮地に立たされた自分を助け出す為に颯爽と現れた琥珀色の瞳を持つ一人の勇士。
普段は口を開けば小生意気な事ばかり言って来る実に可愛くない後輩なのだが・・・あの時の彼は、まるで映画に出て来るスーパーヒーロー其の物だった。
あの日、あの時、あの瞬間、楯無は自分が寝物語に出て来るヒロインであった。あの力強く悠然とした腕に抱えられていた時がとてもとても心地好かったのである。
「ッ・・・ち、違う違う! べ・・・別に私は、清瀬君の事なんて・・・ッ! そ・・・そ、そう! これは彼に対する感謝の気持ちよ!! 私が清瀬君に・・・こ、恋なんてするわけないじゃない!! あんな・・・あんなッ・・・・・あんな男なんかに・・・・・」
「それに私の全然タイプじゃないし!!」・・・と、一体誰に対する弁解なのか。今度はゴロゴロ右へ左へ転げ回る。
其の内疲れたのかどうかは知らぬが、其れさえも飽いた楯無は気分転換に縁側の庭先でも見ようと自室の外へ足を向けた。
「・・・・・え?」
するとザーザー雨が降る中、コの字に曲がった縁側の向かい側に誰かが足を延ばして寛いでいるではないか。
今日、楯無は客人が屋敷に来る事を知っていた為にあれは父親ではない事は理解できた。
なれば、あれは一体誰であろうか?
「えッ・・・!?」
彼女は其の人物の顔に見覚えがあった。
「どうして?」「なんで?」と疑問符を浮かばせながら、楯無は其の人物へと近づいて行き・・・・・
「ど・・・どうして君がここにいるのかな?」
・・・と、腕組みをしながら疑問符を投げ掛ける。すると応える様に男は彼女の方へ目を向ける。
「阿? 応ッ、思ったよりも元気そうじゃな会長殿」
男は・・・清瀬 春樹は赤く染まった鼻と頬を掻きながら楯無へ掌を向けた。
呂律は回っているが、表情からも読み取れるようにかなり酒を飲んでいるらしく、吐く息からも酔っ払い独特の臭いが漂っている。
「そういう事を聞いているんじゃ・・・って、臭ッ!? なんでそんなにお酒臭いのよ?! ここ、私の家なんだけど!!?」
「悪ぃ悪ぃ。天山さんが、えろう美味い旨い酒を出してくれたんでな。よーけーよーけー飲んでしもうたんよ」
「ッ、ま・・・まさか、ウチに来ているお客様って・・・清瀬君だったの?!」
「ご名答。俺もまさか会長の御父上様に酒を飲ましてもらう事になるなんて思わんかったがな。・・・最初の内にちょっとした”誤解”もあったし。今はちょっと休憩じゃ。代謝か何かが上がって酔い難い身体になったとは言え、飲み過ぎはおえんじゃろう」
「なによ、それ」
春樹は此の場所に居る経緯を話すと楯無は若干呆れた表情を晒したが、「まぁ、いいわ」と溜息を吐いて何故か其のまま彼の隣へ座した。
勿論、此の彼女の行動に春樹は疑問符を浮かべる。
「阿ん? 寝ょーらんでええんか?」
「私、もう身体は大丈夫なの。それなのにみんなして・・・・・過保護なのよ、心配し過ぎ! だから暇で仕方ないの!」
「知らんがな。其れにそりゃ心配じゃろうな。会長閣下は此の家の”御当主様”なんじゃけん。聞いたで、会長の家の事。”忍者”、暗部組織の家柄なんじゃろ?」
「ッ、え・・・!?」
其の春樹の言葉に楯無はギョッとするが、そんな事など御構い無しに彼は自分の聞いた事をつらつら並べ立てる。
「天山さんの話じゃと、更識云う家は随分と歴史のある家なんじゃな。会長の代で、えーと・・・何代目? 十五か、十六代目か? 何百年も前から続いとるんじゃなぁ」
「・・・どこまで、知ってるの?」
「どこまで・・・どこまでねぇ。俺が知っとるは、此の家が北条に仕え、徳川に仕え、今は日本政府に仕えとる云う事。あとは、会長の”本名”ぐらいか?」
「そう・・・・・って、ちょっと待って・・・私の本名って!?」
「天山さんから聞いたで。『刀奈』ってのが、会長の本名なんじゃろ? 随分と鋭い名前じゃのぉ」
「なッ、なんでお父様が君に私の名前を・・・?!!」
「誤解されとったんじゃ。何でか知らんが、俺と会長閣下が良い仲・・・恋人同士じゃあ思われとったらしくてな。じゃけん、俺が会長の本名を知っとるじゃろう思われとってな。最初、誰の事を話しょーるんか解らんかったでよ。しかも彼氏じゃ思われとった御蔭で、酒の席での最初は異様な殺気当てられたしな」
「阿破破ノ破!」と冗談ぽく春樹は笑うが、其の隣ではどうしてか楯無が耳まで顔を真っ赤にして小刻みに震えていた。
「お・・・おい、そねーに怒らんでもエエがん。別に天山さんだってワザとじゃないんじゃけん」
「そ、そそ、そうね! 間違いは誰にだってあるものよね!! お父様が清瀬君を私の”婿”だと勘違いしてもしょうがないわよねッ!!」
慌てふためく彼女の言葉に春樹は「は? 何言ってんのッ?」と眉をひそめるが、そんな彼を余所に楯無は「恋人・・・恋人ねぇ・・・ふふふッ」と引き攣る口角を隠す様に頬を両手で抑えた。
そして、いつものあの悪戯っ子な笑みを浮かべたではないか。
「ね、ねぇ清瀬君? 私も・・・私も君の事を名前で呼んで良い?」
「阿? 呼んでるじゃねぇか、名前でよ」
「ノンノンッ、下の名前ででよ。私も春樹君って、君を呼んでも良い?」
「えッ、何それ。気持ち悪ッ」
「ッ、ちょ、ちょっと!! 気持ち悪いって何よッ、気持ち悪いって!!? 別にいいでしょ! 君もわ、私の事・・・か、刀奈って呼んでくれても良いのよッ?」
顔を若干赤らめ、もじもじソワソワしながら提案した楯無に春樹はキッパリとこう答えたのだ。
「そりゃダメじゃろう」
「ッ、ど・・・どうしてよ?」
まさか即答されるとは思ってもみなかったのか。楯無はジトーと睨む様な視線を彼に突き刺す。そして、「簪ちゃんの事だって名前で呼んでるのに・・・」等とブツブツ不満げな表情を晒した。
其の彼女の反応に春樹は「・・・面倒臭ぇ」と溜息を漏らす。
「むぅ・・・どうせ私はめんどくさい女よ! フンッだ!」
「閣下・・・普段は年上のお姉さんぶるくせに、ガキみてぇな事言わんでくださいよ。ホントマジで面倒臭いっす」
「あーッ! めんどくさいってまた言ったー!! それに私の事、ちゃんと名前で呼んでよー!!」
小型犬の様にキャンキャン喚く楯無に「五月蠅ぇッ。酔ってんのか、テメェ?」と春樹は諫めつつ、何故に自分が彼女の本名を呼ぼうとしない理由を述べていく。
「あのね、会長閣下? 名前ってのは、本来は神聖なもんなんじゃ。じゃけん、そう云う・・・本当の名前、”真名”は将来の”特別な人”に呼んでもらいんさい」
「・・・・・私は・・・」
「阿?」
「私は・・・私は、君の特別な人になれないの?」
「・・・・・・・・はッ??」
「だって・・・だってそうでしょ? 君は私が特別じゃないから、私の事を名前で呼んでくれないんでしょ?」
彼女の思いもよらぬ疑問符に春樹は思わず身体が硬直してしまった。
其れもそうだろう。
十人居れば十人が美少女と呼ぶであろう抜群のプロポーションを持つ早熟乙女が、身を乗り出して潤んだ宝石の様な瞳を差し向けて来るのだ。
普通の男であれば、勘違いしてしまう事間違いない。
・・・・・だが・・・知っての通り、此の男はちょっと変わっているのだ。
「・・・そねーな事ないで。俺にとって、あんたは特別な人間じゃ」
「ッ、な・・・なら!」
「じゃけど呼んでやらね」
春樹はほくそ笑む。
いや、ほくそ笑むと言っても優しそうに朗らかにではない。
ニヤリと口端を耳まで吊り上げる『バットマン』に登場する『ジョーカー』の様な笑みを浮かべたのだ。
其の表情に楯無は、ゾッと身の毛がよだった。まるで蛇に睨まれた蛙の様な気分を味わったのだ。
「・・・・・阿破破破ッ!」
「ッ・・・な・・・なによ?」
「冗談じゃ、冗談。そうマジに受け取らんでくれよ、”楯無”」
「!」
春樹はそう彼女の名前を呼びながら今度は優しそうに柔らかな表情で笑む。
「流石に本名じゃ呼べねぇが。”今は”其方の名前で呼んでやらぁ。じゃけぇ宜しくな、楯無さんよ?」
「そ・・・そう。それじゃあ改めてよろしくね、”春樹”くん」
楯無はそう何故かおずおずとお辞儀をし、春樹は「応ッ!」とあの奇天烈な笑い声を轟かせる。
其の笑い声に何処か安心してしまう自分が居る事に彼女は理解が追い付かなかった。
しかし、そんな楯無など余所に春樹は突如として「あぁッ、そうじゃ!!」と立ち上がったではないか。
「ど、どうしたのッ?」
「今何時じゃったっけ? 俺、早う帰らんとおえんのんじゃったわ!!」
「帰るって・・・さっき特別警戒大雨警報が出てたわよ? 今日は無理せず・・・と、泊まっていったら? お客様をお泊め出来る部屋くらいあるわよ?」
絞り出したような楯無の発案に春樹は「ありがてぇが、お気持ちだけで結構」と言いつつ脱いでいた上着を急いで着る。
何故に彼がこんなにも急いでいるのか?
・・・そんな事など決まっているだろう。
「俺の特別で大切な人が待ちょーるけんな。早う帰らんと!」
「・・・ッ・・・」
そう話す春樹の表情は先程の笑みよりもずっとずっと優しく柔らかかった。
そんな想い人を思う男に何故か楯無は胸のあたりがキュッとなったが、そんな事など露知らず。
春樹はさっさと長谷川や壬生達が待つ部屋へと舞い戻ると、檜の樽に入った残りの酒を一気にかっ喰らい、天山に別れの挨拶を済ませる。
そして、土砂降りの中へ立つ否や。其の背へ蒼天の空の様な翼を広げ、大酒飲みの蟒蛇は曇天の空へと駆け出すのであった。
目指す場所は唯一つ。
あの愛おしい白き黒兎が待つ場所だ。
・・・・・はい。という訳で今回は此処まで◆◆◆◆◆
次回はいよいよRに挑戦です。