「Raーーー♪」
ラウラ・ボーデヴィッヒはお玉片手に随分と上機嫌に歌を謡いつつ、想い人の好物である料理を作っている。
献立は鮭のアラを使った粕汁と茶碗蒸し。無論、食堂の御婦人方直伝の品々だ。
表面上では何もなかった事になっている体育祭の翌日。此の日は振替休日となっていたが、彼女の恋人である二人目の男性IS適正者、清瀬 春樹は朝早くから『仕事』に出ていた。
『仕事』というのは、熱狂を博した体育祭の"裏"で行われた『スパイ捕獲作戦』の後始末である。
上記の作戦は見事成功し、被疑者を確保したのだが・・・其の被疑者というのが、彼等にとってとても馴染みのある人間であった。
名をダリル・ケイシー。アメリカの代表候補生で、春樹達とは何度も共に学園の防衛作戦に携わった人物だったのだが、実は其の厄介事を此処へ招き込んでいた張本人であったのだ。
此の事実に彼女を知る者達は衝撃を受けたのは言うまでもない。春樹も其の一人であり、そんな彼女の事情聴取に彼は出向いていた。
「・・・これで少しでも気を取り直してくれれば良いのだが」
ラウラから見て、春樹の表情は優れなかった。
捕獲作戦が無事に成功したにも関わらず、彼は喜ぶどころか悲嘆にくれている様に見えたのである。
そんな春樹を元気付け様と彼女は前に春樹が食べたいと言っていた物を作った。
「・・・! 帰って来たか!」
微かな気配に耳をピクピクさせてラウラは玄関へと急ぐ。そして、扉を開けてとびっきりの笑顔で「おかえり!!」の言葉を言い放つ。
「・・・・・あぁ、おう・・・ただいま」
「ッ・・・は、春樹?」
ところが返って来たのは何処か弱々しいか細い声だった。
目は虚ろで、溜息ばかりが漏れるやつれた表情を晒している。
「だ、大丈夫か春樹?! ソラマメみたいな顔色をしているぞ!」
「阿? あぁ・・・今になって疲労感がどっと出たんかもしれん。御免なラウラちゃん」
「なにを謝っている? お前がそんな事を言う理由はないぞ、頑張ったな。それよりも、昼食を食べる前にシャワーに行ってこい。少しは血行と心がほぐれるだろう」
そう言って彼女は酷い表情の春樹から上着を預かり、彼の着替えを用意しようと身体の向きを変えたのだが・・・何を思ったのか、春樹は此れからパタパタ走るであろうラウラへバックハグをしたのである。
無論、彼女は此の行為に吃驚仰天して顔を真っ赤に紅潮させた。
実を言えば、前にも今に似た状況があった。其の時は、其のまま玄関前で欲望のままにくんずほぐれずの触れ合いを行ったのである。
「ッ、は・・・はは、春樹!? ま、まだ鍋に火をかけたままなのだ! だ・・・だから、ここでスルのはだな・・・ッ!」
「・・・・・」
「・・・春樹?」
ところがどっこい。いつまでたっても彼の手がラウラの控えめながらも確かな母性的膨らみのある胸や引き締まった臀部へ延びる事もなければ、長い舌が彼女の柔肌を淫らになぞる事もない。
ただ・・・ただ春樹はラウラの流れる様な美しい白銀の毛髪へ顔をギュウッと埋めるばかり。
其れは一分にも満たない時間だったが、其の沈黙の時間は彼女は少しばかりの奇妙さを感じ、思わず自分を抱き締める春樹の腕を掴む。
「え・・・?」
其の腕は少しばかりの震えを纏っていた。
ラウラは即座に理解した。今の春樹が怯えている事に。
其れを察すると共に彼女の鼓膜を揺らしたのは、「ラウラちゃん・・・君ぁ、俺を一人にせんよな?」との弱々しい声。
「・・・ッ、悪ぃ! 御免、離れらぁ!」
そんな弱音を吐いた直後、あらぬ言葉を吐いてしまったかの様にハッとした春樹はすぐにラウラから突き放す離れると苦笑いを浮かべてシャワー室へ足を向ける。
今更ながらの焦燥感が身体中を駆け巡り、背中は氷水でもかけられたみたいにゾーっとし、タラりと脂汗が一滴流れた。
「待て、春樹!」
「のわッ!?」
しかし、逃亡を謀ろうとする彼へラウラは足払いを仕掛けて其の背後に飛び掛かる。
無論、其の衝撃によって春樹は前のめりにスっ転んでしまう。
「痛たた・・・な、何するんよ、ラウラちゃ―――――
「大丈夫だ!」
―――――・・・は?」
そう、彼女は春樹へ言い聞かせる様に呟く。
彼より一回りも二回りも小さな手でグッと背中を掴んで、ギューっと柔らかい頬っぺたを押し付ける。
「大丈夫・・・大丈夫。私は・・・私はお前を一人にはしないぞ。私はお前と共にいるぞ」
「ッ・・・ラウラちゃん」
裏表のない純真で真っ直ぐなラウラの言葉が、先の聴取の一件で使った薬の副作用でナーバスになっていた春樹の心をほぐす。
「・・・・・ありがとう。ありがとね、ラウラちゃん」
心をほぐされた春樹は寝転んだまま身体をクルリと回転させ、包み込む様に彼女を抱き締める。其の抱擁にラウラは頬を朱鷺色に染めて「う、うむ」と彼の腕の中で頷いた。
けれども、あんまりにも愛おしく抱き締めた為か・・・
「な・・・なぁ、春樹?」
「うん? どしたん?」
「き・・・キスしたい」
彼女は潤んだ瞳で愛しい人の琥珀色と鳶色の眼を見つめる。
此れに春樹は羞恥の為なのか。思わず「・・・どんな風に?」と揶揄うようなセリフを吐いてしまう。
普段なら、こんな取るに足らない揶揄い言葉にラウラはプクッと可愛らしく頬を膨らませてポカポカとバカップルの遣り取りを行う筈なのだが―――――
「ふ、深い・・・深いのが、いい」
「ッ、阿ぇ?」
「むぅ、何度も言わせるな! は・・・恥ずかしいではないか!!」
「破破破ッ、悪ぃ悪ぃ」
「貴様ぁ~・・・こうしてくれるわ!」
「ッ!!?」
そう言って彼女は馬乗りになって春樹の頭を両手で鷲掴みにすると、其の想い人の唇へ自身の唇を重ね合わせた。
無論、彼は驚いて目を見開くが、すぐに此れへ対応する。最初は軽いバードキスから始まり、其処から徐々に徐々に互いの舌を絡ませるディープキスへと移行した。
「はぁ・・・ふぅーッ・・・はぁッ・・・!」
艶やかな声を漏らして自分の胸板へ顔を埋めるラウラに春樹は疑問符を投げ掛ける。「・・・・・どうする?」の一言を。
さて、此れに彼女は大きく口端を吊り上げて「言ったな・・・!」と艶やかな笑みを浮かべる。
其のままラウラは自らの欲望のままに春樹の身ぐるみを引き剥がすや否や・・・・・後は言わずもがな、なのであるが・・・火をかけたままの鍋が其のままなのはいかがなものか。
◆◆◆
「・・・・・」
織斑 千冬は人工的な光が照らす長い廊下をツカツカツカツカと踵を鳴らして歩んで行く。
其の表情はいつも以上に険しく、無駄のない引き締まった身体から放たれるオーラは並々ならぬ殺気を有している。
「ま・・・待ってくださいよ~!」
そんな脂ぎった眼の背後から聞こえて来る何とも気の抜けた声。
見れば、緑髪の童顔眼鏡っ子がたわわを揺らしつつ必死になって千冬に追い付こうとしているではないか。
其の声に「・・・やれやれ」と彼女は溜息を吐き連ねて立ち止まった。
―――――IS学園へ災厄を招いていた”一人”が捕まってから一夜明けた。
学園防衛の為に立ち上げられた部隊が創設直後に挙げた大手柄。
無論、一般の生徒には秘密裏にされていたが、事情を知る人間や作戦に加わった隊員達にとっては大変喜ばしい内容だ。
しかし、大変なのは此処から。
捕まえた下手人、ダリル・ケイシーから事情聴取をしていかなければならない。
最初は、意識が回復した直後の無防備な彼女から情報を引き出そうと学園ならびに日本政府の尋問官達はあの手この手で躍起になった。
だが、流石は鍛え上げられた潜入工作員か。口を一文字に結んで沈黙を貫き通したのである。
こんな甲羅に閉じこもった亀の様になってしまったダリルにどうしようも出来なくなった大人達は仕方なしと一旦手を引き、彼女を病室へ軟禁した。
未だ学園内に仲間のスパイがいる可能性も捨てきれなかったので、スパイ仲間からの暗殺を防止する為、面会謝絶。無論、自殺防止と監視の為に室内には監視カメラが配置されている。
誰にも病室へ近づく事は勿論、入る事も許されていない・・・・・”筈だった”。
「ケイシーさん・・・今度は話してくれますでしょうか?」
不安げな様子で山田教諭は呟く。
ダリルとは盛んな交流はなかったが、まだ彼女にはダリル・ケイシーと云う人物がスパイではなく、学園の一生徒と言う印象が強かった。
「山田先生、ヤツの前ではそんな不安そうな顔をするな。相手は私達を平気な顔で欺いて来た人間だ。浸け込まれる原因になるぞ」
「・・・・・織斑先生は切り替えが出来てるんですね。私なんて、まだ現実感がなくて・・・」
「私だってまだ信じられんさ。こんな内部に・・・それも生徒に化けていたとはな」
「・・・はい。そう、ですね(そうじゃないんだけどなぁ・・・)」
二人は短い会話を交わしながら病室前にあるゲートへ向かう。此処を通らなければ、容疑者を一時的に閉じ込めている部屋へ行きつく事は出来ない。
「あッ・・・」
そんなゲートの前で立ち尽くす人影に山田教諭は短く声を発するが、一方の千冬は冷淡な視線を向けた。
「なぜ、貴様がここにいる・・・フォルテ・サファイア?」
此のフォルテ・サファイアなる人物は、今回スパイ容疑で捕縛されたダリルの恋人である。
彼女は学園内で一番被疑者に近かった人物である為、隔離された場所で事情聴取を行っていた筈なのだが・・・・・
「ダリルに・・・ケイシー先輩に会わせて下さい! お願いしますっス、織斑先生!!」
「サファイアさん・・・」
一夜でまるで何十年も年を取った様にどう見ても憔悴感を漂わせている彼女から発せられるか細く弱々しい声に山田教諭は同情の余地を見せる。
けれども千冬は「ダメだ」とフォルテの嘆願を一蹴してしまう。
「お願いっス! お願いしますっス、先生!! 先輩にもなにか事情があった筈なんス! そうでなきゃ・・・そうでなきゃ、先輩があんなこと!!」
「黙れ・・・!」
其れでもすがり付く様に迫る彼女に対し、鋭い視線をギロリと向けて殺気立った圧をぶつけた。
其のオーラに思わず「ッ、先輩・・・!」と山田教諭は身を引いてしまうが、此れでおののくフォルテではない。
彼女は日頃から目の前にいる世界最強よりももっと不気味で恐ろしい人物との交流があった為、一般人よりも多少は胆力が付いていた・・・・・が。
「・・・失せろと言わねば解らんか、小娘?」
「ッ・・・!?」
千冬は更に其の上の威圧を出して遂にフォルテを黙らせた。・・・と云うよりは、恐怖によって其の場へ跪かせたと云う方が正しかろう。
そんな萎縮してしまった彼女を「あとは頼む」の一言で山田教諭に任せた千冬はゲートを通って被疑者の待つ部屋へと向かう。
「なにか、異常はありませんでしたか? 私達の他に誰か訪ねて来ましたか?」
「いえ、何も。昨夜から”誰も来ていません”」
「そうですか・・・被疑者は?」
「大人しいもので、黙秘を続けたままです」
信用のある看護師と言葉を交わした後、彼女は被疑者の待つ部屋へ入室。さすれば室内には未だ包帯と点滴をしたままの美しき女スパイ、ダリル・ケイシーが眠っているではないか。
「・・・起きているのだろう、ダリル・ケイシー? いや、その名前さえ偽名だったな。貴様の事はなんと呼べばいい・・・えぇ、テロリスト?」
疑問符を投げ掛けるが、返って来る言葉はない。
・・・一応言っておくと、別に今日もまた昨日の様に黙秘権を行使しようとも千冬は構わなかった。
先のワールドパージ事件において米国特殊部隊アンネイムドがIS学園へ襲撃した事で今回のスパイ捕縛と相成ったのだが、其の襲撃者達の逃亡を許した・・・いや、逃亡を”助けた”のが千冬だと云う事は”ただ一人を除いて”誰も知る由もない。だから彼女の心の何処かには此の騒動への『無関心』さがあった。
しかし、学園防衛の一任を担っている為、一応の仕事はしておこうと云う魂胆だったのだが・・・・・
「・・・・・まえ・・・いだ・・・」
「・・・なに?」
ボソボソした声を聞き取ろうと千冬がダリルへ耳を傾けた・・・其の時である。
「ッ!?」
突如としてダリルはガシリッと萬力の力で千冬の胸倉を掴む。
其の彼女の表情は文字通りの顔面蒼白で、此れでもかと見開かれた眼は異様に血走っており、其処から流れる雫と鼻の穴から溢れる体液は枕を赤く染めた。
「お”まえ・・・の、ぜい・・・だ!! お”前の、お前のせ”い”で・・・オレは・・・・・オレたちはぁ”ぁア”!! ア”ぁア”あア”アあ”あア”アあ”ア”ア”ッ!!」
「ッ、おい!!?」
とてもうら若き十代の少女の口から放たれているとは思えぬ怨嗟の絶叫をダリルは奏でた後、蟹の様に泡を喰うや否やグルりんと白目を剥いてしまったではないか。
加えて、其れと同時に生命維持活動が只事ではない事を伝えるアラートがけたたましく夜泣きの赤子の様に泣き喚いた。
「織斑先生ッ、一体何があったんですか?!!」
「わ、わからん! 突然、泡を吹いて!」
「何処かに隠し持っていた自決用の毒物を服用したのかもしれません! 急いで集中治療室へ!!」
「早く医師に連絡して!!」
何だ何だと病室へ飛び込んで来た医療スタッフ達が側に居た千冬を押し退け、泡を吹いて身体を大きく痙攣させるダリルへ急いで処置を行う。
「織斑先生ッ、一体何が・・・って、どうしたんですかコレは?!!」
「ダリル!? ダリーッ!!」
「落ち着けッ、サファイア!」
尋常ではない事態を察して走って来た山田教諭は両手で口を覆う横で、フォルテは四白眼にしてダリルへ駆け寄ろうとするが、千冬に其れを阻止されてしまう。
「いやっス! ダリル死んじゃダメっス! いやぁああああああッ!!」
運ばれて行ってしまう想い人をフォルテはただ泣き叫んで見届ける事しか出来なかったのであった。
「・・・あぁ、悪い事してしもうたかなぁ?」
〈ククク・・・微塵にも思っていないくせに。悪い顔が出来る様になったね〉
〈はぁ~・・・まぁ、いいわ。それで次はどうするの?〉
「・・・どうしょ?」
〈まさか・・・何も考えてないのッ?〉
「まぁ取り敢えず、ウィスキー片手にマイスイート・ラヴリー・アルビノラビットをハグハグしてから考えるでよ」
〈バカじゃないの?!!〉
・・・・・はい。という訳で今回は此処まで◆◆◆◆◆