「少佐殿~、聞こえてます~?」
「・・・・・」
ある少女の半生を半ば強制的に見させられた春樹は、モニターの向こう側で黒いコールタールのような沼に沈みゆくその少女、ラウラ・ボーデヴィッヒに声をかける。
しかし、幾ら言葉を投げ掛けても返って来る言葉はなく、ただ一方的な呼びかけが続くばかり。
「あ~・・・聞こえとらんのかのぉ? でもなぁー・・・」
正直、春樹はもうこの空間から出て行きたかった。けれど、入り方すら不明なこの場所で出方など更にわかる筈もない。
「(大方、ここは少佐殿の精神世界的な場所じゃろうなぁ。まさか少佐殿が『ZZ』で言う所の『プル』や『プルツー』、『UC』で言う所の『マリーダさん』みたいな強化素体人間だったとわのぉ・・・いや、髪色的に言えば、『OO』の『マリーちゃん』や『ソーマ・ピーリス』か? そんでもって、俺は彼女を助ける『アレルヤ』か『ハレルヤ』か?・・・似合わね~)・・・・・まぁ、ええか」
ズブリッ
『この世界から抜け出す為には、彼女と関わる以外に選択肢はない』という結論のもと、春樹はコールタールの沼へと足を踏み入れた。
「おおッ、変な感触~」
沼は膝下までの深さくらいしかなかったが、予想通りと言って良いぐらいの不快な感触。
引き返そうと思って足を後ろに引こうとしたが、中々に足が抜けない。
「あぁ・・・(俺、これ知っとる。後戻り出来ないヤツじゃがん)」
若干の後悔を思案しながらも、春樹はラウラの座っている所へと進んでいく。
ズブリズブリと足を踏み出す度に不快な音と感触が感覚を刺激する。加えて、進めば進むほどに沼はその深さを増していき、最初は踝までだったのが、今や太腿を埋めるまでとなっていた。
「よっこらしょっと・・・やっと着いた。少佐殿?」
「・・・・・」
ラウラに手の届く位置まで来た春樹は無反応のラウラに再び声をかける。しかし、やはり彼女は黙ったまま。
そんな彼女の肩に手を伸ばす春樹。
「・・・ふむ」
だが、彼はその伸ばした手を引っ込める。
どうしてそんな事をしたのか。それは春樹自身にも解らなかった。けれど、『その方がいい』気がしたから、彼はラウラに触れなかった。
その後、春樹は一呼吸吐くと彼女の背に自分の背を向けるのだった。
「・・・なにも、聞かないのか?」
俯いたままであるが、此処まで無言を通していたラウラが遂に口を開く。口調も声色も、普段の彼女からは想像できない程の重く沈んだものだったが。
「はい、聞きませんよ」
「なら・・・どうして私から離れようとしない? 見たのだろうアレを? そして、理解しただろう? 私は出来損ないだ。私は失敗作だ。何の為に生きるかも解らない愚図だ」
「・・・」
「だから、もう私に構うな。もう私は・・・」
言葉一つ一つを声を震わせながら紡いでゆくラウラ。
悲壮感と絶望感が彼女を更に沼へと沈めて行く。
「・・・貴女は一体何者なんじゃ、少佐殿?」
「・・・・・え?」
春樹の言葉にラウラは疑問符と共に彼の背を見る。
「言葉からも、貴女自身からも、負の感情しか感じん。殺人マシンよりも尚、始末が悪い」
「それは・・・私が、強化人間だからだ。鉄のフラスコから生まれた祝福のない人間の出来損ないだからだ」
「・・・確かに、貴女は欠けている。人間としても、生物としても欠陥品だ。高圧的で、ぶっきらぼうで、とんでもないじゃじゃ馬じゃ」
「解っているのならば―――「じゃけどなぁ・・・貴女とおった時間は心地えかったで」―――えッ・・・」
長い銀髪の隙間から垣間見えるラウラの潤んだ灼眼が真ん丸になった。
「俺ぁよ、寂しかったんじゃ。どっかの科学者が発明した訳の解んねぇ代物を動かしたばっかりに。一人こねーな所に押し込められて、要らん義務まで押し付けられて・・・周りからはオマケじゃのなんじゃの言われて・・・もう嫌じゃった。そねーな時に貴女と会うた」
「・・・・・」
「・・・嬉しかった。一人ぼっちで戦っているんは、俺だけじゃないって・・・俺は一人じゃないって思えたんじゃ」
春樹はそう言うと反転し、銀髪から垣間見えるラウラの灼眼を見通す。
いつになく真剣な面持ちで、手を差し出しながら。
「これが俺の今の気持ちじゃ。なら・・・君は?」
「え・・・」
「思いがあるなら、言葉にせにゃあおえん。じゃないと・・・俺のような阿呆には解らんのじゃ」
「・・・でも、私は・・・私は・・・」
言いよどむラウラに春樹は続ける。
クスリとぎこちない笑顔を浮かべて。
「強化人間じゃとか、出来損ないとか関係ねぇでよ。完全な生物なんぞ、この世にはおらん。完璧な人間なんぞ、この世界にはおらん。君の代わりはいくらでも居るんじゃろう・・・じゃけど、君は君しか居らんのじゃ。ラウラ・ボーデヴィッヒっていう人間は一人しか居らん。何の為に生きているのか解らんのなら、時間をかけて見つけりゃあええ。・・・それでも、其れでも生きて行く理由が欲しいんじゃったら・・・・・ッ」
そこまで言って、春樹は言い淀む。
言い淀んだ後の言葉が・・・とても考えなしで、とても恥ずかしくて、とてもクサい台詞だったからだ。
だが此処まで言ったのならば、此処まで言葉にしてしまったのならば、後戻りは出来ない。
バツが悪いように頭を掻いた春樹は、そのまま言葉を勢いよく紡いだ。
「今この時だけは、この瞬間だけは・・・俺の為に生きてくれりゃあせんかッ?」
「!」
「ここまで振り回しといて「はい、さよなら」なんて、俺は嫌じゃ。一緒に帰りましょうや、帰って美味いもんでも食いましょうや。俺ぁ、君の何かを食うとる姿がとっても幸せそうで好きなんじゃ」
「・・・ッ・・・」
ぎこちなさから、言葉を紡ぐごとに柔らかくなる表情と温かみを持った春樹の言葉にラウラは再び顔を俯かせる。
春樹は何かマズい事でも言ったのかと焦ったが、彼女の耳が赤くなっている事に気づき、加えて自然と出た自分の言葉に顔を赤らめた。
「・・・清瀬 春樹」
「なんなら、少佐殿?」
「・・・私は―――」
ザグッ!!
・・・春樹の伸ばした手にラウラが手を伸ばした、その時。
彼の背中を何本もの杭が貫いた。
「阿”・・・ッ!!?」
「清瀬 春樹ッ!?」
杭は春樹の貫いた部分から根をような触手を伸ばし、彼の身体を覆ってゆく。
遂にVTSが飲み込んだ人間を一体化せしめんと動いたのだ。
「あ”ッ、阿ア”っ・・・!!(なんじゃあ、こりゃあッ? 身体の動きが鈍うなりょうるッ・・・! こ、この野郎・・・ッ!!)」
意識レベルが徐々に薄れ、自信がISと同化していく状態が手に取るように理解できた。
しかも、この杭は更にラウラへと狙いを定める。
「(糞タレがァ・・・このまんまじゃと、少佐殿まで・・・!!)少佐ッ!!」
「ッ?!」
「うろ”ァアアア”ア”ア”ッ!!」
春樹は脇目もふらずにラウラのか細い腕を掴むと、畑に埋まったニンジンでも引っこ抜くかのように沼から引き揚げ、そのまま未だ侵食されていない真っ新な空間へと放り投げた。
ザクザクザクッ!!
「うげぇ阿”ッ!!?」
ラウラを放り投げた瞬間、新たな杭が春樹の全身を串刺し、そして更に彼を沼の底まで引き釣り混んで行った。
「あ・・・阿”、阿ァ・・・ッ・・・」
沼に引き釣り込まれていく中で春樹が見たのは、自分の名を精一杯に叫ぶラウラの姿だった。灼眼の右目と黄金に光る左目から涙をこぼしながら、春樹の名を叫ぶ彼女の姿だった。
「あぁ・・・綺麗なもんじゃのォ。星みたいじゃわぁ」
ザグリッ!!
「”春樹”ィイイ―――ッ!!」
その呟きを掻き消すかのようにどす黒い杭が彼の頭を貫くのだった。
◆◆◆◆◆
「ハァ・・・ハァッ・・・ハァ・・・ッ!!」
・・・俺は走りょうた。
誰も居らん、学園の廊下を何でか知らんが走りょうた。
脇腹がとんでもなく、でぇーれー痛い。
胸は張り裂ける位にバクバク鳴りょーるし、喉からは血が混じった唾が出る。
「なにあれ、やっぱり『オマケ』ね。大したことないじゃない」
「おまけの分際で、この学校に来るんじゃないわよ!」
「なんで、あんなのがこの学校にいるのよ」
この長ったらしい廊下を進めば進みょーる程、教室の窓ガラスから見下す様な眼と言葉が俺に向けられる。
「なんで・・・なんでそねーな事を言われにゃあおえんのじゃッ?・・・なんでこんな思いせにゃあおえんのんじゃ?!」
歯を食いしばって、ガリガリと頭を掻き毟る。
「さ・・・酒が・・・酒が飲みてぇ! 酒が飲みてぇよぉ―――ッ!!」
・・・俺は、何の為にッ・・・俺は一体何の為に・・・ッ!?
「苦しいよぉッ・・・えらいよぉ・・・ッ!!」
誰のせいでッ・・・こんなに!!?
「・・・・・してやる・・・ころしてやる、コロシテやる、殺してやる・・・ッ!!」
・・・誰を?
一体誰を?
「清瀬!!」
・・・・・あ”ッ?
なんだ、なんだコイツはぁ?
・・・・・プツ
「聞こえてるのか、おい?!」
なんでコイツは俺が苦しい思いをしてんのに、こねーに涼しい顔しょーるんじゃ?
・・・あぁ、そうか。・・・やっぱり・・・やっぱり・・・全部ッ!!
・・・プツプツ
「聞こえてるんなら返事しろよ、清瀬ッ!!」
・・・プツプツプツ・・・ブチリッッ!!
「オメェのせぇええかぁァアアアアアッ!!!」
・・・・・はい。という訳でリハビリ投稿でした。◆◆◆◆◆