「・・・・・ぁ・・・ッ・・・ここ・・・は?」
「「一夏!」」
アリーナで行われた模擬戦闘から一時間後。
膝から崩れ落ちた状態で気絶してしまった一夏が目を開けた時、彼の網膜に映ったのは夕焼け色に染まった保健室の天井と自分を心配そうに呼ぶ箒と鈴の顔だった。
何故にこの二人が此処に居るのか。
其れは意識を失っていた一夏を保健室へ送っている最中、偶然にも出会ってしまったからである。
「・・・俺・・・一体・・・?」
「覚えてないの、自分に何があったのか?」
「え?・・・あッ・・・!!」
「思い出したか?」
自分に何が起こったのか、気づいた様に声を上げる一夏に対して「一体、何があったんだ?」と箒は問いかけた。
「何がって、別に・・・なんでもねぇよッ」
「うそを吐くな、眉間にシワが寄っているぞ」
「うッ・・・」
「何? 一夏、アンタ誰かに突き落とされでもしたの?!」
「そ、そんな訳ないだろッ。俺は、別に―――――ッ・・・!!」
何だか事を大事にされそうな予感がした彼は否定の言葉をしようとするのだが、一時間前にあった忌まわしい出来事が脳裏を過ぎ去った。
この記憶に躓いて言い淀んでいる一夏に「本当に誰かに突き落とされたのではないか?」とあらぬ誤解が二人の間で芽を出し始めた。
こうなると『一夏を突き落とした犯人』としてブッチギリの最有力候補に真っ先に挙げられるのは春樹であろう。
・・・日頃が日頃故、不憫な男である。
「あーら。漸くお目覚めね、王子様」
「ッ!」
そんな中、そう言って閉ざされたカーテンを開いて現れた楯無に一夏はギョッとし、目を見開く。
その表情が気になったのか、「ん?」と箒が頭に疑問符を浮かべた。
「あッ、会長。今回はどうもウチの一夏がお世話になりました」
「えぇ、別にいいのよ。困ってる生徒を助けるのが、生徒会長である私の役目だからね。そうでしょ、織斑君?」
「え・・・あッ、あぁ・・・はい」
「なんだ一夏、その間の抜けた返事は? なにか、おかしいぞ」
「い、いや・・・別に、なんでもねぇよ・・・」
未だアリーナで起こった出来事のショックを受け止め切れていないのか。心ここにあらずな彼に対して、楯無はここぞとばかりに本題を切り出す為の前置きを並べる。「ところで、話があるんだけど・・・いいかしら?」と。
とても先程まで簪から小一時間説教を喰らい、メンタルがズタボロとは思えない程の艶やかな微笑みを浮かべて。
「話? 話とはなんだ?」
「あー。別に君じゃなくて彼・・・織斑君と二人っきりで話がしたいんだけど」
「なによ、一夏と話って。それも二人きっりでって・・・」
「あら? 私・・・何か変な事言った?」
楯無が何気なく言った言葉で二人の態度は明らかに豹変し、目から笑みが消える。
之には流石の楯無も頬を引きつらせるが、意外にも彼女の突破口を開かせたのは一夏であった。
「箒、鈴・・・すまないけど、会長と話をさせてくれないか」
「一夏ッ?」
「彼はこう言って言ってるんだけど?」
「なんだ、その話と言うのは? 幼馴染である私が居ては不都合な話ではあるまいな?」
「う~ん、そうね・・・」
だが、その突破口も二人の睨み眼に潰されてしまい、増々疑いの目を向けて来る。
こんな箒と鈴に楯無は春樹とは違った手の面倒臭さを感じ始め、彼女はもう本題を斬り出すことにした。
「この生徒会長である私が一肌脱いで、直々に彼へ特別授業をつけてあげようと思っ―――「断る」―――・・・ちょっと、篠ノ之さん? 君には聞いていないんだけど?」
「一夏にはもう私と鈴が付いている。これ以上の鍛錬相手はいらん!」
「へぇ~、そう。私はお邪魔虫って事ね、なら―――「ッ、待ってくれ!」―――あら?」
特別授業に断固拒否の構えを取る箒に対し、容易に引き下がろうとする楯無を引き留めた一夏。
そんな彼の口から出た次の言葉は「受けます・・・会長の特別授業を」だった。
「一夏!?」
「ちょっと、アンタ本気なのッ?」
「あぁッ・・・それで強くなれるならな」
「・・・そう。なら、決まりね」
真剣な眼差しの一夏に優しく微笑む楯無。
「”彼”もこんなに素直だったら良かったのに」と彼女は不気味な笑い声を響かせる男を思い出した。
・・・因みに。
この後で「なら、私達も!」と箒と鈴がこの特別授業に割り込んで一騒動起こったのは、別の話。
◆◆◆
一方その頃。
「阿”ぁ~・・・疲れた・・・ッ」
異様に疲労感漂う溜息を漏らしながら、春樹は帰路を歩んでいた。
彼がこんなにも干乾びた中年の様なかすれ声を出すにも理由がある。其れは余りにも今日一日が”濃過ぎた”為だ。
まるで一週間の出来事を二クールのアニメにされたように濃かった。
朝は、生徒会長の楯無から全校生徒に向けてとんでもない暴挙が宣言され。
昼は、そんな暴挙が大きく捻じ曲げられた噂話が校内中を駆け巡り。
放課後は、元凶となった楯無の口車に乗せられた一夏と試合をやらされた。
特に放課後の部分が春樹には酷く堪えた。
普段から嫌悪の対象として見ている一夏を公然とボコボコに出来る機会があったまでは良かったのだが・・・計算違いだったのは、春樹が一夏に対して本気を出す程ではなかった事だろう。
小手先調べのジャブ程度の攻撃で勝敗が決まってしまった事は、ハッキリ言って消化不良である。
春樹の身体には、行き場のない感情がグルグル巡って仕方がない。
こんな酷い日にはいつも飲んでいるウィスキーではなく、ウォッカのような火酒を飲むのが一番だ。
そんな酒を飲む前にやるべき事がある。
最初は、部屋に備え付けられたシャワールームで今日の皮脂汚れを洗い流す事だ。
ここで試合で火照った身体と熱くなった心を冷たい水で冷やし、ついでに専用機の洗車(?)も兼ねて琥珀を身体に纏っておく。無論、全裸で。
身体と琥珀を水で洗い流した後は、昨日から予め用意していた甚平に身を包んで、南京錠のかかった冷蔵庫を開ける。
中にはキンキンに冷やされた酒瓶たちが勢揃い。
春樹はそんな”彼女達”を見ながら舌なめずりをし、丸氷を入れたグラスへ溢れんばかりに並々注ぐ。
そして其れを一気にグッと飲み干す・・・前に今夜見る映画をセットする為、テレビの前へと向かったのだが―――――
「・・・阿”ッ?」
・・・ベッドの中に誰かいる。
毛布を被っており、顔は解らないが・・・大体誰なのか彼には見当がついていた。
「はぁ・・・何をしょーるんなん、君は!―――って、ィいッ!?」
毛布をバッと剥いで見れば、其処には彼の思った通りの人物がくぅくぅ寝息を立てているではないか。
だが予想外だったのは、彼女が今朝方洗濯機へ放り投げた筈の春樹の甚平を一枚だけしか着ていなかった事だけだ。
「ん、んー? おぉー・・・おかえり、春樹」
眠気眼を擦りながらボヤけた声で彼を迎えたのは、紺の甚平に良く映える長い銀髪を有したラウラであった。
その紺色の甚平一枚しか羽織っていない為、チラリと彼女の白い柔肌が垣間見える。
「阿ー・・・なんで君が俺の部屋に居るんかの理由は聞かん。”いつも通り”、ピッキングで鍵を開けたんじゃろう・・・・・じゃけど、なんで俺が朝脱いだ甚平を着とるんかは教えろや」
「ん? あぁ、お前の部屋を訪れたら調度発見してな。春樹の良い香りがするので、堪能させてもらっていたのだ!」
「威張んなや、このおわんごッ! あと、着るんならちゃんと着んさいや!! 目のやり場に困ろうがなッ!」
エヘンと少々変態じみた持論を述べるラウラに春樹は、酒も飲んでいないのに頬を紅に染めて目を片手で覆う。
「ん~? 何を照れておるか、私とお前の中だろう」
「『親しき中にも礼儀あり』言う言葉が有ってじゃな。つーか、君ってそんなキャラじゃったか!? 初登場の尋問口調の少佐殿は何処へ行きよった?!!」
「むぅッ・・・時々私を階級名で呼ぶな、お前は。春樹の前では私はただのラウラだと言うのに・・・そう、つれない事を言うな・・・ッ」
「あッ・・・ごめんな、ラウラちゃ―――「隙あり!」―――のわッ!?」
悲しそうな声を出すラウラに何故か謝罪の言葉を述べた直後、ラウラは春樹の手に握られたウォッカを奪取しようと飛び付いた。
しかし、流石はヴォーダン・オージェ完全適応者か。春樹は瞬時に彼女の銀髪アンテナがあるデコッぱちを掴む。
二人には二十㎝以上の身長差がある為、ラウラはこれ以上の接近は出来ないのだった。
「むぅ~! 手を離せ、春樹! そして、その手に持っているアルコールを渡せ!! 毎日毎日、お前は飲み過ぎなのだッ!!」
「喧しいッ! 俺の一日の終わりを奪おうとは、なんて不貞野郎・・・いや、女郎じゃ!!」
「夫の身体の心配しない妻が何処にいると言うのだ?!!」
「そもそも夫婦じゃなかろうがな、俺らぁはッ!!」
「問答無用ッ!!」
ついにラウラは専用機であるレーゲンを部分展開した強行手段に打って出た。
「ず、ずりーぞ!!」と、のたまう春樹をベッドへ押し倒し、無理矢理組み敷くラウラ。
彼女は「むふふッ、良いではないか良いではないか!」と何処で覚えて来たかは知らない言葉を発しながら春樹からウォッカを奪う。
そして―――――
「ぎゅーッ!」
「ッ!!!??」
―――彼の頭を自分の胸へと埋めてしまったではないか。
この予想だにもしていなかったラウラの行動に春樹は思わずフリーズしてしまう。
だが、彼女の行動は之だけに留まらない。
「春樹・・・今日も良く頑張ったな」
「!・・・ッ・・・」
ラウラは固まってしまった春樹の頭を部分解除した白魚の様な掌で優しく撫でる。
まるで母親が愛おしい我が子を撫でるが如く、優しく優しく、其れは慈愛に満ちたように彼の頭を撫でた。
またしても予想だにしていなかった彼女の行動に春樹は身動きが取れず、ただラウラの成すがままに撫でられるばかりだ。
「お前はよく頑張っている。だから、あまり無茶するんじゃない」
「ッ・・・・・うん・・・」
ラウラから撫でられる度、春樹の強張った筋肉が徐々にほぐれて行く。
最近・・・と言うかこの学園に入ってからと言うものの、彼の人生はこれ以上ない程に乱高下が激しかった。
春樹は苦しい事が多いこの学園生活を此れまでカラ元気と酒の勢いだけで乗り切って来た。
肉が裂かれては、酒を飲み。
骨が砕かれては、酒を飲み。
血が吹き出しては、酒を飲み。
心がひしゃげては、酒を喰らい。
酒に次ぐ酒を飲んでは、酒に溺れ。
酒が無くなれば、激しい渇きと喪失感に際悩まされ。
其れを埋めて潤す為にまた酒を喰らう。
人間の身体の七割が水分で構成されていると言われているが、春樹の場合は身体の五割がアルコールに満たされていると言っても過言ではない。
・・・そんなアルコール依存症重度の男が今、ラウラからの抱擁によって確りと握った筈のグラスを零れ落とす。
「・・・ぅうッ・・・しんどかったよぉッ、辛かったよぉ・・・ッ!!」
度数90%のアルコールがシーツに染み込んで行く隣で、春樹はか細いラウラの背中へ両腕を回し・・・泣いた。
前の世界から数えて二十代半ばの年月を超える男が、軍属と言えど二十にも満たぬ十五の少女の胸の中で静かに泣いた。
そんな彼をラウラは「よしよし」と慰めると、おもむろに春樹の頭を嗅いだ。
「くんくん・・・春樹、お前はなんだかいい匂いがするな」
「ぇ・・・そうかのぉ? 新しゅう買い替えたシャンプーの匂いじゃねぇんか?」
「・・・いや・・・違うな・・・ッ!」
「!?」
何故か突然、ラウラは自分の背中に回されていた春樹の腕を掴むと、そのままマウンティングをとった。
「えッ、ちょっ・・・ラウラちゃん?!」
着ていた甚平の紐が緩かったのか、完全にほどけてしまい・・・チラ見どころの騒ぎでは済まない程に肌がハラりと露出する。
彼女の美しい柔肌から真っ赤に茹で上がったタコの様な自身の顔を春樹は背けようとするのだが、其の頭をラウラはガッチリと掴んで自身へ向けた。
「いい匂いだ。とても・・・とてもとても、とてもとてもとても・・・いい匂いだ・・・ッ!」
「うへぇッ!!?」
彼の頭を両手で掴んだラウラは血涙を流しそうなほどに血走った灼眼と光が漏れる程に眩しく輝く越界の瞳を向け、春樹の首筋にガブリッと喰らい付いた。
別に・・・喰らい付いたと言っても肉食獣が牙で肉を抉るようなものではない。
どちらかと言えば、幼子がアイスクリームを頬張るように歯を添わせてベロリと舌で皮膚を撫でたのである。
「甘い・・・まるで砂糖菓子のように甘いな、お前は。春樹がこんなにも甘かったとは知らなかったぞ、私は」
「ちょっと待て! かなり待ってくれ、ラウラちゃん!! 眼がッ、目が完全に正気じゃないでよッ!!」
「正気? 想い人の男を慕う女が正気な訳があるまいッ!」
「ヒッ、ひぃぇええ!!?」
『喰われる』。
春樹はそう思わずにはいられない。まるで蛙が蛇に飲まれる瞬間を味わっている気分だった。
抵抗しようにも、あのか細い腕からは想像も出来ないほどの万力の力で拘束を解く事が出来ない。
「大丈夫だ、天井のシミを数えている間には終わらせてやる。それまで大人しくしていれば、お前の肌を傷つける様な事はしないぞ」
「おいおいおい! そう言うシチュエーションじゃあ、普通立場が逆じゃろうがなッ!!」
「五月蠅いッ、問答無用だ!」とラウラに身包みを剥がされる春樹。
あわや此れまでかと思われた・・・その時だった。
「春樹、いる?」
「「!」」
トントンと部屋のドアをノックする音とラウラのルームメイトであるシャルロットの声が聞こえて来るではないか。
之に「・・・ッチ」と舌を鳴らしたラウラは身なりを整え、ドアの前へと歩んで行く。
「・・・春樹」
「は、はい!?」
「続きは、また今度だ」
「ふふッ」と普段では到底みられない妖艶な笑みのラウラに春樹は不覚にもドキリッと胸を高鳴らせる。
「あッ、春樹―――――ッじゃない!? なんでラウラがここに居るのかな?!!」
「別にいいだろう」
「よくないよッ! と言うか、その服は?!」
「ん? あぁ、春樹の着ていた甚平なるものだ。良い香りで、春樹に全身を抱きしめられている感触がするぞ」
「だ、だだ、抱きしめられッ!!? ちょっと春樹ッ、どういう事なのかな?!!」
玄関先で叫ぶシャルロットの声に春樹は「・・・・・知らんがな」と弱々しい声で何とかツッコミを入れるのだった。
若干回復傾向にあった春樹のSAN値は急転直下の降下状態。
こんな具合で、彼は学園生活を乗り越えられるであろうか。
〈大丈夫か・・・・・なんて言葉は愚問だな、ハルキ〉
そんな春樹をハンニバルは嘲笑うかのようにほくそ笑んでいた。
・・・・・はい。という訳で今回は此処まで◆◆◆◆◆