魔法少女みおみ☆マギカ 第二部 つなぐ魔法 作:鉄槻緋色/竜胆藍
どれほどの魔女を倒しただろう。
複雑に交錯する世界と結界は果てしなく、白魔法少女たちの戦いは飽くことなく続けられていた。
止めようなどできるはずもない。
賭けられているのは、自分達と世界の未来。
疲労は魔法でカバーできる。魔力は無限。
諦める謂われはない。
突き進み、倒し続ける。
無数にばらけた幾重もの繊維がより集められて一本の糸を紡ぐように。
幾度もの「時間遡航」によって枝分かれさせられた歴史の「仮想領域」が重ね合わせられてゆく。
繰り返された世界がひとつに合流する約束の時が近いことを、ほむらは感じていた。
「……もうすぐね」
ほむらは走りながら己の掌を見下ろした。
「暁美さん!? それ……!? 」
共に手を繋いで走るゆりが、それを見て悲鳴をあげた。
「ええ。時間が来たみたい」
向こう側が透けて見える薄れた片手をひらひらとかざしてほむらは応えた。
「私は現実世界の人間だから。その時が来たら、帰らなくてはならない。 でも、その前に!」
まぶたを開くように、ほむらの左腕の円盤上で宝玉が展開し、歯車が組み合った内部機構が作動して魔法が展開された。
時間停止。ぎちりと制止させられた世界の中で動けるのはほむらと、手を繋いでその影響を免れたゆりと、そのゆりの魔法たる分身たちだけ。
手を繋いで走るほむらとゆりの周りには今、百にも届きそうなほどの数のゆりの分身が併走していた。
その百もの大群が、空中に縫い止められた異形の使い魔たちになだれ込み、一方的に突き刺して蹂躙してゆく。
ほむらは既に手持ちの武器を使い尽くしていた。
ほむらの頼りは、ゆりだけ。
二人は互いの魔法を連携させてこの入り組んだ世界を侵攻していたのだ。
一時停止限界を迎えて機構を解除したほむらの盾が瞳を閉じた時にはもう彼女ら以外に動くものはなくなっていた。
だが同時にゆりの手の中の感触も薄れて消えてしまった。
「ああっ!? 」
立ち止まったほむらをすり抜けてゆりはつんのめった。
「……ごめんなさい。あとは、あなた達に任せることしかできないけれど」
振り返ったゆりを今にも泣きそうな微笑みで見つめるほむらが、押し殺した声音で告げた。
「まどかは、みんなを救いたいと願ってる。私からもお願い。勝手な事だって分かってるけど、お願い、戦って」
「……大丈夫ですっ!」
ゆりは、両の拳を握って請け負った。
「みんなに助かって欲しいのは、私も同じです!だから……」
「現実世……、待っ……」
意気込んで伝えようとした言葉の途中で、沈痛な面持ちで唇を何事か動かしたほむらの姿は完全に消えてしまった。
「…………」
まるで最初からいなかったみたいに、自分達しかいない異空間でゆりはしばし立ち尽くした。
「……暁美さん、消えちゃった」
使い魔をかいくぐって駆け回る中、薫のカバーに回り込んだゆりの分身のひとりが突然そう呟いた。
「あのセーラー服の人?」
交錯する空間を駆け回る薫は、出会う魔女を片っ端から自壊させて世界を侵攻していた。
いまや数百を越えるゆりの大群は、薫がどこの空間に跳ばされても必ず出会うほど広範囲に展開されていた。
ゆりの分身の数が膨大なことと同時に、交差する異空間の数自体が減少していることの顕れだ。
「任せることしかできなくて、ごめんなさいって」
「説明に出てきたまどかさんって人も、みんなを助けたいって願ってるから」
「戦って、って、すごく辛そうな顔で、お願いって……」
「……そう」
次々と通り過ぎるゆりの分身たちが伝える声に、薫は走りながら応えた。
「いいじゃない。わたしたちだって、元々自分の勝手で戦い始めたんだもの。今さら他人のお願いのひとつやふたつ、背負ったってたいして変わりやしないわ!」
「うん!」
嬉しそうな笑顔でうなずいたゆりの肩をすれ違いざまに軽く叩いて駆け抜ける。
「薫ちゃん!がんばろう!」
「ゆりもね。気をつけて」
辺りを跳ね回る異形の使い魔どもを、ゆりの分身たちがジャベリンで次々と斬り倒し、駆ける薫の花道を拓く。
その途上ですれ違うゆりたちと声を掛け合って薫は走り抜けた。
ところが、ふと踏み込んだ足場の感触を失ってつんのめった。
一歩進んだそこはまた別の空間だった。
まるでクラインの壷のような表裏の知れぬ捻れた閉鎖空間に薫は浮遊していた。
「っ!? 」
不安定な体勢の薫を挟み込むように、左右の彼方から鋭い牙の列がうなりを上げて迫ってきたのに気付き薫は血相を変えた。
だが、そこにもゆりの分身たちがいた。
「薫ちゃん!」
薫の下方に回り込んだゆりが足場となる。
薫は感謝の念を込めてそのゆりを蹴り跳躍した。
その下を、別方面の彼方から迫った巨大な顎が左右から迫る牙を飲み込みながら凄まじい勢いで通過していった。
足場となったゆりを巻き込んで。
「ごめん!ありがとう、ゆり!」
「へっちゃらだよ!」
無重力空間のような結界の中で、跳躍した薫を受け止めたゆりの分身が屈託なく笑う。
改めて見れば、それは巨大なジッパーのような歪な鉄塊の魔女だった。さながら無数に並ぶ牙でできたファスナーをレールのように空中に敷設しながら遠くで迅速に弧を描いて回頭しようとしている。
あんなもの挟まれたら、そのまま魔女本体に飲み込まれて噛み砕かれ、原型など残らないだろう。
「……!」
薫は一変して厳しい表情で魔女を見据えると、軍配扇をびしりと差し向けた。
魔女はたちまち身体をひしゃげさせ、姿をへこませてゆく。
程なく魔女はその牙の威力を再度披露することもなくべこべこに縮壊し爆散して消えてしまった。
サイケデリックな結界に代わって現れたアスファルトに、薫とゆり達が並んで難なく降り立った。
「さあ。早くわたしたちの使命を終わらせましょう!」
「うん!」
ピアノが奏でるメロディに満たされた、色彩のない異空間にすずはいた。
魔女も使い魔もいない。なのに現実世界には見えないここは、すずが己の魔法で構築した「結界」だった。
すずの願いから生まれた魔法は「律」の魔法。
世界に、すずの思い描く秩序・規律をもたらす。
それは効果だけを見れば薫の「支配」の魔法とほぼ同義だが、すずの魔法は音を媒介とし、音色を仲介させる構造上その効果内容は非常に曖昧にならざるを得ない。
その音色は人の心を揺さぶり、その音色は疑似的に「その音が鳴る現象」を再現し、その音色は現実にない衝撃波すら撒き散らす。
それら自分の魔法の本当の力を、すずはこの短時間で完全に自らのものとしていた。
そしていま奏でているこの音色は、外界を遮断し、自らの気配を完全に隠蔽し、何者にも侵入されない結界を形成する魔法。
つまり、白魔法少女にも魔女にも邪魔されない完全な密室をすずは作り上げたのだ。
なぜ、こんなものを作り出したのか。
『なんで、って顔してるわね』
球状に展開された白と黒の鍵盤の防護壁の中で横に並べた鍵盤を弾きながら、すずはテレパシーでそう呼びかけた。
この結界に唯一取り込んだ相手──数歩先に対峙するミントグリーンの獣・キュゥりえに。
『……こんな事、している場合?』
『そうね。でも、是非ともあなたに訊きたいことがあったのよ。いま、ここで』
鍵盤を奏でる手は止めずに、怪訝に問いかけてきたキュゥりえに素っ気なく言い返す。
『なら早くして。現実世界との合流時点はすぐそこまで迫っているの』
『あなた何者なの?』
キュゥりえの言葉を切ってすずは問いかけた。
『ほかのみんなは知ったような顔してたけど、私はあなたをついさっき初めて見たばかりなのよ』
平淡に語るすずの眼差しが、すっとその温度を下げた。
『キュゥべえにそっくりな、あなたを。 ここ最近のことで色々と疑念を抱いていたキュゥべえにそっくりなあなたを、ね』
『……そう。 私も迂闊だったね。この「あなた」には、私は直接会っていなかった』
テレパシーで応えながらキュゥりえは頭を振った。
『てっきり、浮絵 桂華の態度で私のことも受け容れてくれてるものと思ってた』
『そうね。さっきまではね……浮絵さんが攻撃を受けてさらわれるまでは!』
くわ、とすずの細い目が見開かれた。
『あんまり良いタイミングだったから訊きそびれていたのよ。 暁美 ほむらさんの説明の中にも一切出てこなかったあなたは何者なのか。それから「「ワルプルギスの夜」を解放する」って、どういうこと? さあ、納得のいく説明をお願いできるかしら? このままここで叩き潰されたくなければね!』
ピアノの旋律に一瞬だけ不協和音が混じり、同時にキュゥりえのすぐ側で衝撃が弾けた。
結界の維持と攻撃、二種の異なる魔法の行使をもすずは可能にしていた。
だが、表情が読みにくい獣の瞳には動揺した様子も浮かばない。
『……悪いけれど、説明できない』
『なら私から本音を言いましょうか? 実は白魔法少女って、白魔女の餌なんじゃないの?』
張りつめた気配の中すずはまくし立てた。
『魔法少女にならなかった御鐘 薫さんの事も執拗に契約させるよう仕向けて、白魔法少女にした! 油断した隙を突いて浮絵さんに攻撃して、それで私たちも結界の坩堝に放り込んで、いずれ白魔女に喰わせるつもりだったんじゃないの!? 』
『それで?』
裂帛の気迫を受けても、なおキュゥりえは平淡に応えた。
『それで、この状況はどうするつもり? いずれにせよ、あなたが生き残るにはこの中の魔女を全て倒さなければならない事に変わりはない』
『その前に、あなたから片付けてもいいって言ってるんだけど?』
すずの中の緊張の糸が、きりきりと引き絞られてゆく。
キュゥりえも、眦をわずかに釣り上げた。
『分からない人だね。いずれにしても殺されるかもしれない問いになんて答えられない』
『!? 』
(どういう意味?)
突如気配を硬くしたキュゥりえの応えに、すずは困惑した。
(今のは、認めたということ? それとも……!? )
『契約は履行した。なのに使命に従ってくれないようなら、仕方がないね。 あなたの分の使命、強制的に果たさせてもらう』
「なにを……!? 」
思わず肉声で問い返したその瞬間、キュゥりえの足下に光が弾け、足場にわずかに亀裂が走った。
すずの結界が破られたのだ。恐らくはキュゥりえ自身の能力によって。
それと同時に背に圧力を感じた途端、すずの左腕と左脚が後ろから引き裂かれてちぎり飛ばされた。
「ーーッッ!? 」
もんどり打って転倒する中、すずは激しく混乱していた。
この「結界」は、何者にも探知不能のはず。
探知できても、破ることは非常に困難なはず。
その上すずの固有武器である白黒の鍵盤の防護壁は完全のはず。
結界と防壁の二重の防護を音もなく破ってすずを攻撃できたのはなぜか? 何者がそれを可能とするのか?
「あ……が……」
戦闘慣れしていない為に初めて味わう激痛のせいで混濁する意識の中、すずは地面に這い蹲ったまま首を捻ってどうにか後方に目を遣った。
(……なん、で……?)
おびただしい量の血を噴き出している肩の傷口の向こうに、こちらをのぞき込む白い少女の笑顔を浮かべた白布の異形・白魔女がゆったりと迫って来るのが見えた。赤い血に染まった片手を突き出して。
空間を断絶して結界を構成しているのは魔力によるものだ。そしてすずの鍵盤も魔力によって浮遊している。白魔女がこれらを破ることは容易いことだ。
だが、白魔女がすずの「結界」の存在を察知できた理由は?
『千歳 すず。せめて最後まで戦いなさい。そのまま叩き潰されたくなかったらね』
キュゥりえの声がテレパシーで冷徹に告げる。どこかで聞いた台詞をなぞり上げて。
もはや疑うべくもない。キュゥりえと白魔女は、繋がっている。
(……みんなに、知らせないと……!? )
ゆりと御鐘 薫のことを思うも、初めて受ける激痛とショックに意識が攪拌されて魔法に集中できない。
固有武器の操作と鍵盤の防護壁の再展開。損傷した肉体の修復。テレパシーの行使・伝達。必要とされる「律」の魔法のイメージ。迫る危機からの回避。
やるべきことは山のようにあるのに、ほぼ万能とも言える自らの魔法に目覚めたのに。
戦闘経験の乏しいすずでは、負傷に混乱した今のすずではこの現状に正しく対応するのは非常に困難だった。
『すずっちさんっ!? 』
霞むすずの視界に、突如ゆりの大群がなだれ込んできた。
それらは凄まじい音を蹴立ててぞくぞくと一帯を埋め尽くし、白魔女に殺到して次々とジャベリンを突き立てていった。
それらから分かれた数人のゆりが倒れ伏すすずに駆け寄ってきた。
『ゆり! 白魔女をなんとか引き離して! それから千歳さんの手足を傷口に合わせて!』
続いて薫の声がテレパシーで響く。
『千歳さん! しっかりして! 今からあなたの身体を魔法で健常体に作り変える! 手足が繋がったらすぐに自己治癒をして!』
言われている内にゆりが運んできたちぎれた手足を身体にあてがうや否や、激痛が嘘のように消え失せてすずは目を白黒させた。
「え……?」
元通りに繋がった左手を目前に持ち上げて見つめ、すずは呆然とする。
物質を自由自在に支配する薫の魔法は、損壊した肉体すらをも復元して見せた。
だが、脳神経が混乱でもしているのか、傷口だった辺りに違和感が残っている。すずはすぐに自己治癒の魔法を行使した。
『良かった!間に合って』
数人のゆりがすずを助け起こしたところに、同様に数人のゆりに囲まれた薫が駆け寄ってきて膝をつき、すずを覗き込んだ。
『さあ、もう交差してる世界はほとんどなくなったから! もう少し、一緒に戦って』
『待って』
薫が差し出した手にすがりつき、すずは話を遮った。
『待って。ちょっと待って』
『……なに?』
心配げに身体に手を添えるゆり達を頼りながら立ち上がったすずは、周囲を見回した。
「……………………」
そこは、景色が一変していた。
渦巻く鉛色の厚い雲に覆い尽くされた空。
全周囲地平線まで見渡せる広大な黒い荒野。
その直中にすず達はいたのだ。
「……ここは、どこ……?」
すずは思わず肉声で呟いた。
離れた場所で、膨大な数のゆりの大群に追い立てられジャベリンで刺されまくる白魔女がいる。
それら以外には、なにもない。
広大無辺の異様な風景は、現実世界には見えない。
「もう異世界はないって、浮絵さんは? わ、「ワルプルギスの夜」は!? どうなったの!? 」
『じゃあ、そっちも見つけてないのね?』
回り込んだ薫がすずの袖を掴んで応えた。
『わたし達も浮絵 桂華さんとは会えなかったし、「ワルプルギスの夜」とも遭遇しなかったの』
「……!? 」
期待の外れた応えに絶句している内に、薫はすずの肩越しに後方を覗き込んで続けた。
『ねえ、キュゥりえ。浮絵さんのこと探せないの?』
「……っ!? 」
その言葉を聞いた途端すずは薫とゆりの一人の腕を掴み無理矢理引き寄せると、数歩後退して無数の鍵盤を召還して周囲に展開させた。
防壁を成した鍵盤の切っ先は、すべてキュゥりえを指している。
『……ちとせ、さん……?』
『ど、どうしたんですか!? 』
「…………っ」
先刻初めてその身に受けた暴虐に未だ足が震えている。
だがそれはやがて焼けるほど熱い怒りとなって燃え上がった。
「……ふ、ふざけてるわ! 私たち、填められてた!」
『千歳さん……?』
見開いた瞳を青白くしたすずの顔を、薫とゆりが呆然と見上げる。
『はめる、って、なにがあったんですか?すずっちさん』
『あなたたち!』
すずの目が忙しく左右の薫とゆりを射抜く。
『キュゥりえが何者か分かってるの!? 』
『……いいえ?』
『キュゥべえと同じような、不思議な生き物の仲間なのかな、ってくらいしか……』
すずは激しく舌打ちした。
『こいつは、あの暁美 ほむらさんの説明にも出てこなかったのよ!? 私たちは、白魔女の餌にされたんだわ!』
『なに……それ……』
『キュゥりえさん! どういうことなんですか!? 』
『どうもこうも』
先ほどの位置にちょこんと座ったまま、キュゥりえは嘆息するように頭をわずかに動かした。
『私の望みは最初に言った通り、白魔女を倒して欲しいってことだけ。 浮絵 桂華は、たぶん自爆したんだと思う。 ほら』
言ってあごをしゃくったキュゥりえの動作に、すずとゆりと薫は、遠くでゆりの大群に押し遣られている白魔女を見遣った。
見れば、確かに桂華を襲った白魔女の右腕だけが失われ、腕の付け根周辺が激しく損傷している。
『そんな……自爆って……』
『もうこの空間には世界はここひとつしかないし、テレパシーの探知にもかからない。自爆というのも、状況証拠からでしかないけど』
キュゥりえの双眸が、再び三人に向けられた。
『もう一度聞くけど。それで、この状況をどうするの? 残る攻撃対象は白魔女だけ。 ちなみに言うと、「ワルプルギスの夜」なら足下にいるよ』
「『ッッ!? 」』
三人は、互いに腕を掴み合ったまま飛び退くようにして足下を見遣った。
だが、そこにあるのは材質の知れぬ黒っぽい硬質な地盤であり、複雑なでこぼこが地平線まで続いている奇妙な荒野でしかない。
『……あ……でも……まさか……』
それに気付いたすずが、唇を戦慄かせて呟いた。
同時にそれに気付いた薫とゆりも、驚愕に目を見張った。
歪な岩石に見えた凹凸は、実は全て複雑に組み合わされた無数の巨大な歯車だった。
『「ワルプルギスの夜」の規模の増大も、この顕現の仕方も全く想定外だった。最初から足下にいたなんてね』
心底呆れた様子でキュゥりえが呟いた。
『あれほどの数の魔女とコレをまとめて中和していた白魔女にも驚きだけれど、それももう終わり。 さあ。白魔法少女の使命を果たしてくれる? それとも、このまま宇宙ごと壊れるのを指をくわえて見ているつもり?』
「……そっ!? それよりも、あなたが何者なのか説明しなさい!」
両脇を支える薫とゆりを背後に押し遣り、すずは再び目の前に横並びの鍵盤を配置した。
「今さっきの白魔女の一撃が偶然だとでも言うつもり!? これ以上しらを切るなら、あなたを殺してから白魔女を潰すわ!」
『千歳さん? さっきから何を言っているの!? 』
「私はさっき、自分を完全に隠蔽できる結界を張っていたの! それなのに白魔女に攻撃を受けたのよ! 直前にキュゥりえがなにかしていた! キュゥりえと白魔女は、グルよ!」
薫は、ゆりの大群の向こうの白魔女を振り返った。
「さあ! どうなのキュゥりえ!」
『……やれやれ。仕方ないね』
鼻先を下げて頭を振ったキュゥりえは、嘆息と共にすずを見上げた。
『さっき私が言ったこと、覚えてる? 「いずれにしても殺されるかもしれない問いになんて答えられない」』
「まだそんな事を……!? 」
『最後まで聞きなさい。私たちの願いを成就させるには、一連の私たちの魔法は、最後は大きな賭けにならざるを得ないとは思ってた。……キュゥべえみたいに巧くはいかないね』
すっ、とキュゥりえが腰を上げた。
『これから種明かしをするけども、いきなり攻撃するのだけはやめて欲しいな。 どうせお互いにあと一手だもの。言う通りにするんだから、せめてお互いに納得のいく答えを出したいでしょう?』
「なにを……」
すずが言い返そうとしたその時、突如キュゥりえが目映い輝きを放ち光に包まれると、その光の輪郭が膨らみ縦に伸び上がってゆく。
やがてそこに、キュゥりえの矮躯に代わって二人の人影を現すと、閃光は収まり消え去った。
「え……?」
「なに……?」
すずが、薫が息を飲む。
そこに現れたのは、二人の少女だった。いかにも特徴的な異装に身を包む二人は魔法少女に見えた。
なにがすずと薫の判断を曖昧にしたかと言えば、二人とも、ピュアホワイトとミントグリーンのツートンカラーのウエディングドレスを纏っていたからだ。
寸分違わぬ、全く同じ衣装を。二人の魔法少女が。
「……!? 」
有り得ない。すずも薫もすぐにその違和感に気付いた。
魔法少女は、変身した際すべからくそれぞれ固有の衣装を顕して身に纏う。
それは、同じ魂がふたつとないのと同様、その衣装もふたつとない、誰とも異なる衣装になるはずなのだ。
それなのに目の前に現れた二人の魔法少女は、全く同じデザインの服を着ている。
そしてさらに何よりも見る者の心を貫いたのは、こちらを冷徹な怒りの形相で睨みつける少女の隣の魔法少女が、その姿が非常に異様で、奇怪で、痛ましかったから。
『……いきなり攻撃しないでくれて、ありがとう。こっちももう限界ギリギリなの』
鋭い目付きの少女が皮肉げに言いながら傍らの、そろいの衣装を纏う異形の少女を抱き寄せた。
『見ての通り、精神と肉体だけじゃ、そろそろ自我を保つこともおぼつかないのよ』
「そ……なん……!? 」
すずが、その少女を震える手で指さし、薫が慌てて後方の白魔女とその少女を見比べた。
その少女の顔が、白魔女の上部に浮き出ている顔とまったく同じだったから。
「その人は、なに!? 」
『その前に自己紹介させてね。 私たちはふたりでひとりの魔法少女。私は由貴 きりえ。そしてこっちは……』
言ってその少女──由貴 きりえは、隣に抱き寄せる、まるで沸き上がる噴煙のように、フラクタル図形のループのようにゆっくりと身体を、同じ顔を膨らせ、縮め、捻れた変態を繰り返す異形の魔法少女を示した。
『こっちは、綾名 みおみ。私の大事な親友だよ』
捻れた腕脚が、ゆったりと反り返って縮んでゆくのと同時に、異なる場所から盛り上がった肉が先端を五つに分けて伸び再び手足を形成してゆく。
有り得ない角度に折れ曲がった首の付け根から、小さな凹凸が盛り上がると少女の顔を押し退けて広がり新たな同じ顔を形成しては顔面を塗り変えた。
そんな、人とも呼べず化け物とも言えない奇怪な変化を繰り返す少女──綾名 みおみを抱き寄せ、きりえは再び鋭い目をすずに、薫に向けた。
『それじゃ、説明させてもらおうかな。 もっとも、納得するかどうかは知らないけれど』
頬をなでるきりえの手の下で、茫洋とした少女の笑顔がぐるりと上塗りされた。
『事の始まりは、キュゥべえが久那織に召還した「ワルプルギスの夜」を、私とみおみで偶然封印したあの時かな』
魔法少女たちの間で、実しやかに語られた噂がある。「「ワルプルギスの夜」が現れた」、「それは、二人の魔法少女と相討ちになった」、「故に二人掛かりであれば、例えば「ワルプルギスの夜」と同程度の規模の魔女とでも戦える」、など。
『でもそれは、私とみおみが生き残る為にやむを得ず選択したその結果に過ぎない』
その為に二人は、矛盾を孕んだ願いでキュゥべえを陥れ、「ワルプルギスの夜」に対抗できる力を得ようとした。
『だけど、キュゥべえの持ってるテクノロジーまでは欺けなくて、結果、私たちはエラーを起こしてみおみの魂は魔女でも魔法少女でもないモノに変質して白魔女となってしまった』
そしていま。鹿目 まどかの「救済」の魔法と二人のエラーが異常干渉を引き起こした。
『このまま放っておいたら、この宇宙自体が壊れてしまう。それを回避する方法は、ひとつ』
白魔女を倒すこと。
『それは、魂を失って精神と肉体だけの不完全な存在になったみおみの、完全な死を意味する。 私は、そんなことは認められない。今までのみおみは、私の魂と半同化することで生き延びていたの』
だが「救済」の魔法が発動し、宇宙の法則が塗り替えられ始めた今、そうもいかなくなってしまった。
『みおみはね。自分の事をとても大事にしているの。自分が属する世界の安寧をとても大事にしているの。私の事も、魂を賭けて助けてくれたの。 でも、みおみは決して安易な自己犠牲を選んだりはしないの。必ず、誰かを助けて、自分も助かる方法を、最後の最後まで考えるの。 そのみおみが、白魔女を倒すと決めた。みおみは、自分の魂である白魔女を倒しても、なんとしても自分の存在を、生きることを諦めないで済む方法を編み出したの』
キュゥべえを陥れ、システムエラーを起こした矛盾の契約によってみおみのソウルジェムが白魔女へと変質したことと引き換えに存在を融合されたみおみときりえが発現した魔法は、「万能」の魔法。
『大切な親友と一緒になんとしても生き延びる為に、世界救済にやってきた暁美 ほむらさんと話し合った。 白魔女は「救済」の魔法の対象にはかからない。魔女でも魔法少女でもないから。 世界救済と、同時にみおみの存在も延命させたい。その為に、私たちの「万能」の魔法で、全魔力を懸けて「白魔法少女」の仕組みを作り出した』
みおみときりえの二人でも白魔女を倒すことは可能だった。
だが、それをしたら、みおみの魂を取り戻せる可能性は消え去り、不安定な存在であるみおみときりえは、やがてもろとも消滅してしまう。
みおみが死んでしまうと、その依り代であり運命共同体であるきりえもその存在を失うのだ。
みおみは、そんな事は決して許容しなかった。
だからみおみは、魂の代替をなんとしても必要とした。
『あなたたちに渡したリボンはね。白魔法少女の要素を付与する拡張装置であるのと同時に、あなたたちの魂にみおみを繋げる舫い綱でもあるの』
いくら「万能」の魔法でも、特定の人ひとりの魂を改めて作り出すなどという真似はできない。白魔女の存在を再度変質させて元の魂に還元させようとしても、白魔女に魔力干渉は及ばない。
根本的にエネルギーも足りない。
キュゥべえほどに無茶苦茶はできない。
だから、せめてキュゥべえの真似をして、人の悩みを解決して「懊悩が解消して鬱屈した精神が解放される」という感情の相転移の落差からエネルギーを取り出す方法を採った。
ただし、採取できるエネルギー量は「なんでも願いを叶える」という魔法少女の契約の膨大さには遠く及ばないから、その代わりに人数が必要だった。
『ありがとう。おかげでみおみの代替の魂を用意できた。 別にいいでしょ? ひとりの存在を、複数の人間の魂に少しずつ支えてもらうことで、みおみはこの救済の後の世界でも生きていけるし、魂の間借りをみんなで少しずつ分担してるから、それぞれの人格にそれと分かるほどの影響は出ないから』
これで、きりえとみおみは生き延びられる。
『あとは、最終最後の仕上げ。 白魔女を破壊して、みおみと元の魂──白魔女との繋がりを完全に断ち切って新たな依り代との繋がりを確固たるものにすれば、みおみはまた存在を確立できるの』
すずは怒りに満ちた目で、薫は苦渋に歪んだ顔で、ゆりは困惑に瞳を揺らして由貴 きりえの語る内容を聞いていた。
後方での、白魔女の足を止めるゆりの大群の戦闘はそれでもなお続いていた。
『事後承諾になって悪いけど、魂の間借りについての影響は、自覚できないくらい小さい。何も知らないまま白魔女を倒してくれれば、それで誰も困らずに済んだの』
不気味に揺らめく綾名 みおみを抱きしめ、きりえは眇に一同を眺め遣った。
『で。 説明はあらかた終わりだけど、どうする?』
「…………」
「……どうして、最初にそれを言わなかったの……?」
わずかの沈黙ののち、すずが押し殺した声音で問うた。
その顔色は陰り、暗く落ち窪んだような薄いまぶたの間から覗く瞳はぎらぎらしていた。
「こんな回りくどいことをして。 せめてもっと早く言ってくれれば、みんなで方法を考えることも、魂の間借りとかの気持ちの整理もできたんじゃないの!? 」
『へえ。あらかじめこの姿で相談してたら、あんたは信じてくれたっていうの? 信じられたワケないよね!!』
「っ!? 」
突如きりえが激発した。
『自分がどんだけ荒唐無稽なコト言ってるか、ちゃんと分かってんのよ! 他人に同じこと言われたら、私だって鼻で笑うよ!』
由貴 きりえの剣幕に、すずも、薫も唖然としていた。
『それに、暁美 ほむらさんから聞いたよ。 あんたたちは覚えてないだろうけど、あの人、「救済」の魔法発動前の大惨事について、魔法で過去に戻っていろんな魔法少女に相談したらしいけど、誰一人まともに聞いてくれなかったって言ってた! あんたたちにも会ってたんだってさ!』
つり上がったきりえの瞳に嘲りに色が混じる。
『誰も信じてくれなかったんだ! だから私は考えた! 他の魔法少女の言うことなんか誰も信じちゃくれない! だったら、キュゥべえみたいな格好をすれば、魔法少女が言うよりはマシだよね!? そして事実そうだった!』
嘔吐くように吐き捨てたきりえが、舐め上げるように一同を睨めつける。
『今さら同情も理解もいらないよ。もうこっちの手は打ったんだ。あんたたちの魂たるソウルジェムは既にみおみの存在と繋がれた。もう外せない! 私たちを殺さない限りね!』
「じゃあ望み通りにしてあげるわ!」
激高したすずがドス黒い殺意を吐き出して横に手を振り払い、改めて白黒の鍵盤を手前に横一列に配置した。
「ふざけんじゃないわ!? そのせいで浮絵さんは、桂華は無惨に殺されて、挙げ句に自爆!? バカにするのも大概にしなさいよ!? いいわ!お望み通り殺してやる!」
「ゆり! お願い、止めて!」
薫のその声は肉声ゆえにすずの耳には聞こえなかった。
完全にノーマークだった後方から大量に現れたゆりの分身たちが、すずの体中に組み付いて腕を、脚を押さえて動きを封じた。
「離しなさい! あいつ、殺してやる!」
『すずさんっ! 落ち着いてくださいっ!? 』
牙を剥いて吼えるすずを抑えながら、涙でぐしゃぐしゃになったゆりが必死に叫んだ。
いかにゆりが小柄ですずの背が高かろうと、山のように大量に群がられてはすずは身動きひとつできない。
そしてその特性上すずはもうこの状態では魔法を行使できない。
それでも暴れるのをやめずにもがくすずの前に、薫がゆっくりと回り込んできた。
『千歳さん。聞いて』
「うるさい! 離せえっ!」
テレパシーで語りかけるも、すずの狂乱は収まらない。
だが薫も構わずに語り始めた。
涙に暮れた顔で。
『思い出したの。わたし。 このリボンを通じて流れ込んできた別の歴史の自分の記憶の中で、あの暁美 ほむらさんと会ったことがあったの』
「……!? 」
すずと、そしてきりえまでもが目を見張った。
薫は、ゆっくりときりえを振り向いた。
『あなたの言う通り。その時のわたしは、暁美さんの言うことを鼻で嘲笑って聞き流してた。 今なら分かる。繰り返された歴史があったことも。だから』
そして、今度はすずの方を向き。
『だから、思惑がどうあれ、暁美さんが語ったことが真実なら、暁美さんが協力したこの人たちの言うことも、きっと真実。 それに』
わずかに薫の目が泳いだ。自分には確証が持てないから。
だが、証明なら目の前の人物がしてくれる。
『それに、浮絵 桂華さんは、暁美さんとこの人たちに協力していたんでしょう?』
「ッッ!? 」
衝撃を受けたように、すずの頭が揺れた。
『だったら! せめてわたしたちは、浮絵さんの事を信じて、最後までやろうよ! お願い、千歳さん!落ち着いて! 冷静なあなただったら、わたしの為のメロディを作ってくれたあなたなら、この人たちの気持ちも分かるでしょう?』
言って、薫はすずの前から後退し、背に遮っていたきりえとの間を開けた。
「…………」
すずはもう、暴れるのをやめていた。
群がっていたゆりの分身たちが、ゆっくりとその拘束を解いて離れてゆく。
『もし分からなくても、浮絵さんのことだけは、信じられるんじゃないかな』
「……いえ」
未だ鋭い目付きで睨み遣るきりえを見つめながら、すずはぽつりと呟いた。
「分かるわ。 ……分かってる。分かってた。 桂華は、最初からその為に戦ってたんだもの」
まぶたを閉じ、一筋の涙を落としてすずはきりえを見直した。
「ねえ、教えて。 桂華は、なんて言って白魔法少女になったの?」
『……』
問われても、きりえはしばし無言だったが、やがて気配を和らげて口を開いた。
『……友達を助けたい、って言ってた』
「……っ!? 」
「あ……」
「そう。合点がいったわ」
息を飲む薫と、驚いた表情のゆりの間で、すずは得心したように深くうなずいた。
四人の白魔法少女の中で、唯一先行して白魔法少女になっていた桂華は、きりえの求めるエネルギーを生み出す為にどんな「悩み」で契約したのか。
桂華の行動すべてが、既に自身の悩みを解消するためのものだったのだ。
友達を、助けるために。
その桂華が助けたいと願ったのなら、暁美 ほむらも、この由貴 きりえと綾名 みおみもきっと。
「なら、いいわ。 白魔法少女の使命、白魔女の完全討伐。わたしたちで完遂させましょう!」
『……ええ』
『はいっ!』
すずの、澱みの抜けきった澄んだ笑顔の宣告に、薫とゆりは同じ笑顔でうなずいた。
『……いいの? それで……』
「ええ」
きりえの暗い困惑の声に、すずはあっさりと請け負った。
「まあ疑う気持ちは分かるし、完全にあなたの言い分を認めた訳じゃないけど、これからする事に変わりはないし、なんだったら、「桂華の為だ」とでも思ってちょうだい。それだったら、あなたには何を気負う事もないんじゃない?」
『……!? 』
きりえが、驚愕に目を見張った。
「さあ。やりましょう」
薄く微笑んで振り返ったすずは、薫と、ゆりのひとりの肩に触れてゆりの大群に翻弄される白魔女に向き直った。
「御鐘さん。わたしは魔女退治ってまともにしたことなくて、戦いは不慣れなの。仕切ってくれる?」
『ええ。任せて』
言って、薫は軍配扇を振りかざした。
『白魔女を抑えてるゆりはそのまま! 他のゆりは構えて!』
白魔女には、相変わらず大勢のゆりが飛びかかり、組み付き、ジャベリンを突き立てている。
大量のゆりにしがみつかれて、宙を飛んで逃げることもできないのだ。
薫の指示に従い、それ以外の数百のゆりたちがじゃきじゃき、とジャベリンを突き出して身構えた。
『千歳さん。あなたの武器を借りるね』
「どうぞ」
言って薫が軍配扇を振るうと、すずの周囲に浮かんでいた無数の鍵盤が赤い輝きに包まれて飛翔し、ゆり一人につき鍵盤一個が取り付くと、ゆりの構えるジャベリンに鍵盤が溶け込むようにして融合した。
『さあ。これでゆりたちは同時に千歳さんの魔法にもなった』
「……そういうこと」
薫の意図を理解したすずは、いつものように己の鍵盤を操作するように魔法を展開した。
すると、ジャベリンを構えた無数のゆりたちが浮遊し、薫とすずを囲んでまるでハリネズミのように三次元的な槍衾を形成したのだ。
さらにゆりたちの構えるジャベリンが、より長大に変形してゆく。それは先端に巨大な孔雀の尾羽根のような穂先を生やした戦槍。
今や三人は、互いの魔法を融合させひとつの魔法と成していた。
「これが私たちの!」
「白魔法少女の使命ですっ!」
「存分に、受け取りなさいっ!」
すずの手振りと薫の軍配扇と同時に、虚空を無数のゆりたちが戦槍を突き出して鋭く飛翔してゆく。
白魔女に群がっていたゆりたちが一斉に飛び退くと同時に、無数のゆりの流星が次々と白魔女に突き刺さり、その身の白布をずたずたに引き裂き、抉り、やがて見えなくなるほど貫いて。
突如噴き出した爆発的な閃光が、すずの、薫の、ゆりの視界を埋め尽くし、自然の風とは異なる凄まじい速度の重圧が身体を、精神を吹き抜けて。
そして異空間は崩壊し、それから先は人間には知覚し得ない空間変動を繰り返して幾重もの仮想領域が激しい渦を巻いて一つに収束していった。
『ーーーーーーーッ!』
絶叫のような嬌声が響く。
狂った回り舞台で踊るプリマドンナが、白魔女の封印を解かれて現世へと降りてゆく。
だがそこには、既に舞台の幕を閉じる優しい救済が待ち受けるのみであった。
◆◆
夕焼けの朱に染まる久那織中学校の音楽室からは、いつものようにピアノのメロディが流れていた。
放課後の音楽室の主と名高い、三年生の千歳 すずの仕業だということは既に学校では有名だ。
聴覚障害のピアニスト。容姿端麗でモデルのように背の高い、最強のルックスと併せて彼女の未来の大いなる発展を疑う者はいない。
特にここ最近聴こえてくる新曲は生徒たちにとっても新しい刺激だった。
クラシカルでありながらポップなメロディで、その音色は初夏の言いしれぬ期待感を思い起こさせる。まるで満開のひまわりのような底抜けの明るさと底なしの力強さを感じさせる。
けど、そんな中にほんの僅かに混ざる寂寥感が、音楽室へ直接聴きに出向こうとする足を止めさせるのだ。
おかげでこの音楽室にはすずひとりしかいない。
でも、それでいい。
(……)
すずは、曲の余韻が消えてから、そっと鍵盤から指を離し、ペダルから足を降ろした。
このメロディは最近思いついたものだが、なぜ思いついたのかが本人にも分からない自分でも謎の曲だった。
だけどなぜか、ひどく懐かしい。
すぐ側にあったような気もするのだが、離れて久しいような、そんな相反した感情を抱かせるのだ。
(なんなんだろう。これ)
すずは首を傾げた。
だが、曲を弾くたびに何度考えても答えの出ない謎である。
喉元まで出かかるもどかしい疑問にいつも通り煩悶としたすずは、結局考えることをやめてピアノの蓋を閉じて立ち上がった。
『素晴らしい曲ですわね』
そこにテレパシーで話しかけられ、すずは音楽室の出入り口を振り向いた。
相手が誰かは考えなくても分かる。
この久那織中学校のもう一人の魔法少女。同じ三年生の隣のクラスの、志摩 レイカである。
「……何の用?」
すずは困惑しながらも冷淡に応えた。
魔法少女と知れて以来、互いに不可侵の約束をした間柄だったのだが、その志摩 レイカが誰かを賞賛する事など滅多にないことだから、なんと答えれば良いか分からなくなって、変な顔になってしまったのだ。
ところがレイカはすずの反応にも頓着せずに入ってくると、すずに向かって一枚の白い封筒を差し出した。
『後輩から預かってまいりましたの。これを、あなたに、って』
「なによそれ。直接渡しに来ればいいのに」
言いながらもすずは封筒を受け取った。
『さあ。わたくしもそう言ったんですけれど、どうしても、って聞かないんですの。 まあ無碍にできない可愛い後輩の頼みでしたから。 でも、後で自分からも挨拶するよう伝えておきますわ』
それじゃ。と素っ気なく振り返ってレイカは立ち去っていった。
「…………」
レイカを見送り、指先につまんだ封筒をためつ眇めつしたすずは、やがて封筒の端を破って中から便せんを取り出し広げた。
そこには、小綺麗な文字で短く簡潔に書かれていた。
『 久那織中央総合病院に、あなたのお友達が入院しています。
是非、もう一度、お友達になってください。 』
「……?」
奇妙な文だった。
すずの知り合いに、現在入院している者はいない。その前に友達と呼べる者もいない。
そして「お友達になって「あげて」ください」ではない、依願とは微妙に異なる言い回し。
あとは病室の番号以外は他になにもなく、何度読み返しても意味が分からなかった。
「……まあ、いいけど」
志摩 レイカの顔は立てておかねばなるまい。その後輩とやらには、何も言わないでおいてあげよう。
だが。
なんだろう。この胸のざわめきは。
不思議な感覚の心当たりを探しながら、すずは昇降口に降りて靴を履き変え、校庭に出た。
人気の少ない校庭の向こうの校門に、見覚えのある他校の制服姿の人影を見つけ、すずは小走りに駆け寄った。
「どうしたの? 今日は見回りの日じゃないでしょう?」
『こんにちわ!』
『別件よ。相談したいことがあって』
そこにいたのは、最近『魔獣』退治に同行するようになった久那織南中学校の魔法少女、藍緒 ゆりと御鐘 薫だった。
相変わらずヘアピンだらけのあちこち跳ねた髪型でにこにこと微笑むゆりの隣で、薫が指先に白い封筒を取り出した。
「それ……!? 」
『知らない女に渡されたの。なんか小っさいクセにすっごい生意気な女で。ここの制服着てなかったら小学生かと間違えるところだわ。 ……あ。なんか思い出したらまたムカムカしてきた……』
『薫ちゃん。落ち着いて』
苦笑したゆりが、黒い炎をくすぶらせる薫の背を撫でて宥めた。
『……まあこのわたしに渡すあたり、魔法少女の件とは無関係とも思えないし、数をそろえたほうがいいかと思ってね』
話の途中ですずが取り出した同じ封筒に、薫もゆりも目を丸くした。
「内容も同じだったりしてね」
『まさか……』
薫と交換した封筒の中身を広げたすずは、己の勘の的中に眉をしかめた。
そこには、手書きゆえの筆跡の違いはあれど、文面はまったく同じであったのだ。
『なにこれ。ますます胸騒ぎがひどくなったわ』
顔をしかめる薫だが、言うほどに悪くは思っていない様子だった。
「奇遇ね。私もよ」
『じゃあじゃあ、一緒に行ってみませんか?』
二人の間で、ゆりがにこにこと提案した。
『きっと、どこかで会ったことがあるのかもしれません! もう一度、友達になれるのなら素敵です!』
「やれやれ。気楽なものね」
ゆりの明るい調子に苦笑する。
「……もう一度、友達に、ね」
繰り返し、すずは薫とゆりを促して歩き出した。
ふと思わず例の曲の一節がすずの鼻歌にこぼれ出た。
そのメロディに、なぜか薫もゆりも胸騒ぎが鎮まる心地を感じて互いに目を見合わせた。
心の内で、欠けたピースがぴたりとはまる音がした。
...Animae dimidium meae...