魔法少女みおみ☆マギカ 第二部 つなぐ魔法   作:鉄槻緋色/竜胆藍

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第6話 例えどんな汚い手だろうと

 ある日の久那織南中学校の昼下がり。

 御鐘 薫は廊下の曲がり角に潜んで「その時」を待ち構えていた。

 壁に身を寄せている薫の様子は普段教室で見せる姿と全く異なり、あまりの緊張に唇を引き結び、柳眉を釣り上げ顔を紅潮させており、自身の状態に気を配るゆとりも失っている。

 心臓が痛いくらいどきどきする。

 うまく行くだろうか。下準備までは魔法でできても、肝心な部分はそうはいかない。

 薫は掌にソウルジェムを取り出し、ソウルジェムの中から己の武器である軍配扇を喚び出すと、ソウルジェムから生やした状態のまま軍配扇を揺らして魔法を限定発動させた。

 効果範囲は校舎全域に渡る空間そのもの。

 これにより、床を打つ足音や校舎内の空気の流れから全校生徒、教職員一人ひとりに至るまでの一挙手一投足が全て把握できるようになる。

 既に、事前に「ある人物」以外の全ての人間がこの場に来ないように魔法で操作してある。

 だから今、この場所に向かって移動しているたった一人の人物は「彼」でしか有り得ない。

 無人のこの廊下に足音が直接耳に聴こえてきた。

 「彼」の足音だ。

 その床を擦る音、床を蹴る音。特徴のあるそのテンポを聞けば、見なくたって薫には分かる。

(……うまくできるかな……)

 魔力を通わせたポケットのハンカチは、薫の思い通りに「さりげなく」床に落ちてくれるだろう。

 そうして、彼の前をさりげなく通過するのだ。

 その為に今日、この時間、この場所で準備をしたのだ。

(来た……!? )

 「彼」の気配が予定のポイントを通過したのを確認して軍配扇を引っ込めソウルジェムをしまう。

 握り拳を胸元に押しつけ、身体を揺さぶるほどの激しい鼓動を上からどうにか抑えようとする。

 深呼吸をひとつ。そう、ただ歩くだけでいい──

 

 貴籐 佑樹は昼休みだというのにやけに閑散としている廊下を見渡して怪訝な顔になった。

 ひょっとして、この後は教室移動だっただろうかと慌てて記憶を掘り返してみるが、そんな予定は考えるまでもなく、ない。

 まあ、いいか。

 もともと暢気な性格の貴籐 佑樹はそれ以上心配する意味を失い、気にせずに階段前を通過して自分の教室に向かって歩いていった。

 

 階段の折り返しの陰で泣きじゃくっている薫の存在になど気付かずに。

(……やっぱり、むり!? できないよ!? )

 

 

 その頃ゆりは、今日も今日とて裏庭の花壇の花の世話に、大きなじょうろを抱えてやって来ていた。

 先日の反省を活かして、担任教師に小さいじょうろを買ってもらえるようお願いし、この大きなじょうろには水を半分ほどにとどめて入れた。

 なるほど。確かにゆりの矮躯でも扱い易い。

 そしてじょうろの上面の口から片手を突っ込み掬い上げた水を花々に撒いてゆく。

「……」

 このことを教えてくれた浮絵 桂華のことを、ふと思う。

 会って間もないはずなのに、浮絵 桂華はゆりの心の中に大きな存在感を伴って居座っていた。

 とても活発で元気の塊みたいな賑やかな人。正直ゆりの苦手なタイプであったが、決して悪い人だとも思えない。

(……大丈夫かな……?)

 薫の癇に触れてしまった桂華が重傷を負わされた先日の事件を思い出した。

 ちなみにあれ以来、鉄柵の強度に不備があるとしてしばらくの間屋上は出入り禁止になった。

 あの時の桂華の言わんとしたことは、自分たちの事を思ってのものなのだろうなということは、なんとなく分かる。

 けど、ゆりは薫がいなければ何もできないし、薫の采配に間違いなどありはしないのだ。

 ただ。

 その薫にもどうにもならない問題があることも知っている。

 なんとか助けになりたいけど、どうすればいいのかがさっぱり分からない。

「……………………ふぅ」

『なにかお困り?』

「ひっ!? 」

 知らず吐いた溜め息に突如反応されてゆりは喫驚した。

 脳裏に閃いた声は、キュゥりえのもの。

 慌てて周囲を見回したゆりは、花壇の向こう側に立つ大木の、幾重もの葉の陰、奥の枝に腰掛けてこちらをじっと見つめるピンクの双眸にようやく気付いた。

「……あ、あの……?」

『前にも言ったけど、私と契約するに当たって悩みの内容を宣告してもらう必要はないから』

「…………」

 ゆりは黙ってキュゥりえを凝視している。

『私は、あなたに力を貸して欲しい。あなたは、ただリボンをソウルジェムに結んでくれるだけでいいの。それだけで、あなたがいま煩悶としていることは解消される。 これは取引だよ。ただの好意よりは信用できるでしょ?』

「……あ……でも……」

 キュゥりえを凝視するゆりは、身体を震わせ声を絞り出すように。

「……私は……薫ちゃんの……薫ちゃんが、いてくれないと、私……」

『ゆーりんの意見が聞きたいんだけどなあたしは』

「っ!? 」

 そこにさらに、脳裏に唐突に桂華の声が弾けた。

 入院しているはずの人物の声に、ゆりはあたふたと周囲を見回した。

『ああ大丈夫だよ。あたしはいま病室で死んだフリしてっから。テレパシーの有効射程って結構遠くまで効くんだぜ?』

『正確には私が中継してるんだけど』

 いつも通りの桂華の口調に安心はしたが、ゆりには一連の話がいまいち理解できておらず、どう答えていいのかがさっぱりわからない。

 いつもそうだ。ゆりは、小難しい話が苦手だ。たったこれだけの会話でもゆりの頭脳には余る。

 考えることは、全て薫がしてくれたから。

『まあとにかくさ。あたしも小難しいハナシは大の苦手だから簡単に言うわ』

 桂華の声は、ゆりの考えを知ってか知らずか同じ事を告げて、あっけらかんといった調子で軽快に続けた。

『ゆーりん、かおるんのこと助けたいんだろ?』

「えっ!? 」

『おっ、図星の声?』

 脳裏に伝わる声だけなのに、ゆりはそこににやりと笑む桂華の顔が見えた気がした。

『二人がどんな問題を抱えてるんだかは知らねえ。 相談に乗ってやりたいけど、他人が近付くとこのザマだしよ』

 それは、桂華の怪我の事を言っているのだろう。

『でもまだ手はある。 リボン、結んでくれよ。そしたら、魔法少女になった時みたいに不思議な力が困ってるゆーりんを助けてくれる』

「でも!」

 桂華の長広舌を遮って突然ゆりが大声をあげた。

「でも私は! キュゥべえと契約しても、結局ひとりぼっちのままだった!」

 悲壮な形相で吐き出されるそれは慟哭であった。

「馬鹿にされていじめられて、昔よりも全然ひどくなった! 薫ちゃんがいてくれなかったら私、ずっとひとりぼっちのままだった!だから薫ちゃんのことだけは裏切る訳にはいかないの! だって、……だって薫ちゃんに嫌われたら私、またひとりぼっちになっちゃう!」

『ゆーりん……!? 』

 あれほどおとなしかったゆりの絶叫に、桂華の意識は息を飲んだ。

「キュゥべえに言ったの!「もうひとりぼっちになりたくない」って! そしたら、無視されなくなった代わりに、地獄みたいな世界に変えられちゃったの! あなたも同じよ!どうせ酷い事するんでしょ!? 」

 

「……なるほど、そういう事かよ……!? 」

 キュゥりえに中継してもらったテレパシーからゆりの訴えを聞きながら、病室のベッドに横たわる桂華は臍を噛んだ。

 強硬な態度の薫に協力を取り付ける為にまずはゆりと交渉しようとしたのだが、その目論見は甘かったと思い知らされたのだ。

 だが、だからと言って諦める訳にはいかない。事情があるのは、誰しも同じなのだから。

 

『……わかったよ』

「…………」

 嘆息の声を聞いてもゆりは花壇の前で唇を引き結び、木陰のキュゥりえを睨み付けている。真っ赤に腫らした涙目にははっきりと拒絶の意志が宿っていた。

 だが、テレパシーの声も一切頓着しない。

『でも、ひとつだけ、どうしても伝えときたいことがあるから聞いてくれよ。魔法少女にとって大事なことだからさ』

 ゆりは応えない。

 だが自分から立ち去るつもりもないらしいゆりに桂華の声は構わず続けた。

『ソウルジェムの澱みが溜まりきったら、魔法少女はどうなると思う?』

「……え?」

 方向性がまるで異なる問いに、ようやくゆりが怪訝な声を漏らした。

『考えた事もないって感じだな。 まあ普通はそうだろう。あたしもそうだった。 いや、二人の戦い方があんまり無茶だからさ、一応教えておいた方がいいと思ったんだ』

「どう……なるの……?」

 目を丸くしたゆりが、唇を小刻みに震わせながら訊く。

 桂華の声はあっさりと応えた。

『ソウルジェムが真っ黒に染まりきるとな。……魔法少女は身動きが取れなくなる。悪くすりゃ、そのまま死んじまうこともあるかもな』

「え……!? 」

 ゆりが喫驚に口元を覆った。

『二人とも、結構フルパワーで戦ってるだろ。 でも魔女一体倒しても、取れるグリーフシードは一個きりだ。 あんな戦い方を続けていたら、そのうち二人とも死ぬぞ』

「…………」

 心当たりがあるのだろう。ゆりの瞳には先ほどまでとは別種の怯えの色が浮かんでいた。

『なんで知ってるかって? 目の前で、ソウルジェム真っ黒にして死んだダチがいたからさ。 だからせめて、二人でちゃんと話し合って、戦い方を変えたほうがいいと思う。 ゆーりんに疑われてもしょうがねえけどさ、あたしは二人のこと本気で心配してんだぜ?』

「…………」

 沈鬱にうつむいたゆりからの応えは、ない。

『じゃあな。 かおるんの言う通り、タイムリミットまで時間がないし、タイミングによっちゃこのままもう会うこともないかもな』

「え?」

 その言葉にゆりは思わず木陰を見上げたが、そこにはもうミントグリーンの生物の姿はなく、桂華の声もそれきりしなくなった。

 

「……最後は脅迫かよ。 最低だな、あたし」

 病室で、ベッドに仰向けに横たわる桂華は両手で顔を覆った。

『上出来だったよ。桂華』

「うるさいよ」

 キュゥりえのテレパシーに桂華は素っ気なく返した。

「分かってるよ。あたしの願いの為だ。 例えどんな汚い手だろうと、なんだってやってやるさ」

 顔を覆った掌の隙間から、涙が一筋流れ落ちた。

 

 

「久那中の最後の魔法少女が死んだって」

 放課後、そう言った薫に連れられて、ゆりは薫と一緒に久那織市内の山間部に来ていた。

 二人は今、薫が限定発動させた魔法で操縦するダンプトラックの運転席に並んで座っている。

 室内にこびりついた煙草の臭いが、窓を全開にしてもなかなか消えてくれなくて、ゆりは顔をしかめていた。

 こんなに臭いのに、薫は一顧だにしていない様子で進行方向を眺めている。

 往来の少ないカーブを、薫の操るダンプトラックは危なげもなく緩やかに抜けていった。

「久那中の……って、あの、背の高いひと?」

「そ。 あの目のほっそい……名前忘れちゃった。 髪を片方に括ったあの女」

 ゆりの問いに薫はソウルジェムから生やした軍配扇を揺らしながら、思い出そうと持ち上げた片手を宙で振って、結局諦めて締めくくった。

 だがゆりは覚えている。かつて魔女の結界で対峙したことがあったが、彼女はゆり達を見るや「自分は魔女退治に興味はない」と言ってそのまま去っていってしまったのだ。だからそもそも互いに名も名乗っていない。

「どうして、その……」

「久那中の「お友達」から連絡があったのよ」

 薫の言う「お友達」とは、薫が情報源として利用している、魔法で操った久那織中学校の名前も知らないとある生徒である。

「そうじゃなくて、その……」

「さあ? なんのかんの言って、やっぱり魔女に喰われたんじゃないかしら」

 ようやくゆりの質問の意図を汲んだ薫に、ゆりはわずかに顔を綻ばせた。

「……? どうしたの?」

「なんでもない」

 やっぱり、薫ちゃんは分かってくれる。

 その事を再確認し、ゆりは怪訝な顔の薫に首を振って緩みそうな頬を隠した。

 

 結局、薫の今日の目論見は失敗したらしい。

 直接訊いたわけではない。

 薫は昼休みを過ぎても相変わらずの澄まし顔だったが、放課後になっても薫が単独であったことでその結果は知れる。

 それくらいはゆりにも分かる。

 だから、なんとかしてあげたいなとゆりは思った。

 

「ここね」

 魔女確定の輝きを灯すソウルジェムを持った薫と共に、ゆりもダンプトラックの運転席からもたもたと足場を探りながらようやく地上に跳び降りた。

 そこは、大きな河川をまたぐ巨大な鉄骨の橋。

 山並みに沈む夕陽が未練たらしく斜面を朱に染めている。

「さあて」

 小さく唇を舐めた薫が、真紅の輝きを放ってファンタジーめいた軽甲冑姿の魔法少女に変身した。

 額のサークレットに埋め込まれたソウルジェムに手をかざすと、二人の正面、橋の入り口付近に不気味で複雑な紋様──魔女の結界の入り口が浮かび上がった。

 即座に振り返って軍配扇を振るうと、魔力干渉を受けてぼんやりとした赤い輝きに包まれたダンプトラックが、めきめきと異音を立てて変形し始めた。

 鉄骨の四肢を延ばして身体を持ち上げ、ドアを左右に大きく広げたそれはまるで鼻のない巨象に見えた。

「さあ。ゆり、行くよ!」

 再び結界を振り向き、意気を上げて宣告した薫の声に、なぜかゆりの応えがなかった。

 

 

「~♪」

 すずは上機嫌で帰途を歩いていた。

 辺りは既に真っ暗になっており、光源と言えば等間隔に並ぶ外灯の他は時折通り過ぎてゆく車のヘッドライトくらいしかない。

 見上げれば左右に立ち並ぶうず高い森の葉影がまるで牙のように、星が瞬き始めた紫紺の空に噛みついている。

けど今のすずにはそれすら自らのアートを彩る美しい情景に見えた。

「~♪」

 唄われる鼻歌は、いかなる楽曲にも類似しない独特の旋律を刻んでいた。

 まるで初夏を思わせる、期待感に満ちた力強いメロディ。躍動感あふれる激しい音階がスピーディに流れ紡がれてゆく。

 それは、桂華の為のメロディだった。

「~♪」

 薄暗い道をひとりで歩きながら、すずはにこにこと笑顔で浮かれていた。

 誰かの為に音楽を作ることがこんなに楽しいなんて。

 後からあとから湧いてくるイメージとメロディに、すずは久しく感じ得なかった充足感と解放感を感じていた。

「……」

 たまらなくなったすずは歩道で立ち止まると、前後を見回して近くに他人がいないことを確認し、やおらソウルジェムを取り出すとシアンの輝きを放ち、宙に無数の鍵盤を召還した。

 それらを自身の手前に横一列に配置すると、両手でその鍵盤を弾きだした。

 たちまちピアノの音が、同じ旋律を鼻歌よりも重厚な音色でなぞりながら紡ぎ上げた。

「……よしっ」

 一節だけ奏でてすずはすぐに鍵盤を消した。

 誰かに見咎められたら、事である。その程度には冷静であった。

 その代わりに鞄から取り出した五線譜にシャープペンシルでせかせかと音符を書き込み、再び鞄にしまい込んだ。

「……」

 ふと思い付いてすずは、再び自身のソウルジェムと、桂華に渡された純白のリボンを取り出した。

 桂華に「持っているだけでいい」と言われていたリボンを、言われた通り持ち続けていただけのものだが、すずは目の高さに摘み上げたそれを、空にかざしてしばし黙考した。

 まるで天の河のように紫紺の空を縦断する白の筋。

「…………」

 やがてすずは手をおろし、リボンを自らのソウルジェムの頂点の突起に結びつけ始めた。

 なぜここまでする気になったのか。それは自分でも良く分からない。だが。

(……あなたの為なら、悪くないかな。って)

 気恥ずかしくて、代名詞で桂華の事を思いながらすずの手は綺麗なちょうちょ結びを仕上げた。

 

 

「さあ。ゆり、行くよ!」

「……」

 いつも通りの薫の宣告に、ゆりは応えなかった。

 なんて言えばいいのか、分からなかったから。

 でも、やる事は決まっている。

「……ゆり?」

 返事がないことを訝しんで振り向いた薫の前に、ゆりは自分のソウルジェムを、薄紫に輝くソウルジェムをかざして見せた。

「…………っっ!? 」

 それを見た薫の瞳が、喫驚に大きく見開かれた。

「……そっ、それ……!? 」

「……うん」

 顔色を青くした薫が震える指先で示したゆりのソウルジェム──頂点の突起に白いリボンを可愛らしく結びつけられたソウルジェムをかざしてゆりはうなずいた。

 とても穏やかな笑みを浮かべて。

「あ、あなた……なんで……!? 」

「ごめんね。薫ちゃん」

 対してゆりは、これまでのようにおどおどしていた素振りを一切見せず、嬉しそうに、誇らしげに微笑んで言った。

「私、薫ちゃんが困ってるの、知ってたし、なんとかしてあげたいって思ってた」

 けど、と僅かに目線を逸らして。

「……私なんか、なんの役にも立たないし、ぐずだしのろまだし、いい所なんかなにもないんだけど、でも」

 再び、ゆりの瞳が真正面から薫を見つめる。

「でも、魔法がある! それでもたいしたことができる訳じゃないけど、私、薫ちゃんのこと、助けたいの!」

 目を剥いてわなわなと震える薫の前で、ゆりが薄紫の輝きに包まれメイド服姿の魔法少女に変身した。

 衣装はこれまでと同じだが、一カ所だけ、これまではなかったもの、頭頂部に載せられたホワイトブリムの両端から見覚えのある純白のリボンが垂れ下がっていた。

 横に一振りした手に取り出したジャベリンを箒のように両手で抱え、ゆりは魔女の結界の方へと一歩、踏み出した。

「見てて!」

 未だ混乱から抜け出せない様子の薫に微笑み、ゆりは、二人に、四人に、八人に、見るみるうちに普段の数を大幅に超えて百人以上に増殖し、大群となったゆり達が地響きを立てて魔女の結界に駆け込んでいった。

 

「わひゃ!? 」

 魔女の結界に飛び込んだ大勢のゆりは侵入した端からバランスを失って頭からつんのめるように転倒していった。

 結界内の光景は、先ほど外から見た橋とその周辺の光景そのままであったが、あらゆる色彩が反転していて非常にサイケデリックな異常な世界となっており、橋の鉄骨はいびつに歪み赤錆だらけでまるで肉を削いだ骨か何かのように見えて気持ち悪い。

 そしてそれらの世界の重力が、見かけに対して九十度傾いているのだった。

 道路は壁に、そして足場は胸くらいの高さしかない手すりしかない。

 転倒したゆり達はまだ橋の入り口に集まっており、橋の支柱である大きな柱に掴まっていて無事だった。

 意識を通じて事態を察知した、まだ結界に入っていないゆり達は、結界入り口前で立ち止まり待機している。

「薫ちゃん! この中、重力が横向いてる! 手すりが床になってるから気をつけて!」

 呆然としている薫にゆりのひとりが横に指を突き出して「下」の方向を示す。

「道路が壁みたいになってる。 魔女は空にいる。 薫ちゃん、そのトラック、壁を登れるようにした方がいいと思う」

 また別のゆりが言い、他のゆりに続いて続々と結界に侵入していった。

 既に先行したゆりは、後続のゆり達の邪魔にならぬよう、上空に浮かぶ三日月型の鉄骨の魔女を無視して橋の手すりを向こう側まで駆け抜けてゆく。

 今や巨大な壁となって立ち上がる橋の路面の反対端・壁の上端から、首をひもで括られた「てるてるぼうず」のような姿の使い魔が無数に飛び出し落下してきた。

 魔女そっくりの三日月型に釣り上がった口で嘲笑を撒き散らしながら落ちてくる使い魔どもを、多数のゆり達が二人一組になって迎撃した。

 一人がもう一人のゆりの手を引いて足場を確認しながら手すりを渡り、手を引かれたゆりがジャベリンを振り上げて使い魔を打ち払ってゆく。攻撃役のゆりには足下は見えなくとも、守り手役のゆりの視覚で足場を確認できるのだ。

 やがて橋の手すりの端から端までずらりと並んだ百人のゆりたちは、数人ごとに次の行動に移った。

 ひとりのゆりが、壁の路面にジャベリンを垂直に突き刺した。

 次のゆりが、その突き立てられたジャベリンに飛び乗って、自らのジャベリンを壁に突き刺した。

 いくつかのチームのゆりたちがそれを繰り返し、遙か高所に浮遊している魔女を目指して壁を登ってゆくのだ。

『ーーーーーーーッッ!』

 上空に浮かぶ三日月型の鉄骨が、口の端を逆にへし曲げて不機嫌に呻くと、壁の上からまたさらに大量の使い魔が飛び出しゆり達めがけて降り注いだ。

 だがゆり達に動揺はない。一番高所に登り詰めたゆり達が、下で支えるゆり達を守る為に身を仰け反らせて使い魔を次々と打ち払った。

 使い魔どもの猛攻に、上端にいたゆり達がバランスを崩して落下してしまうが、瞬時に一段下のジャベリンに立っていたゆりが落ちたゆりの手を掴んで救出し、再び登坂を開始したのだ。

 もうその頃には、複数のチームが形成したたくさんのゆりとジャベリンによる梯子が組み合わさって構成された櫓が完成しつつあり、下で待機していた残りのゆり達が壁に階段状に刺さったジャベリンをぞくぞくと駆け登っていた。

『ーーーーーーーッッ!? 』

 魔女は混乱した。

 「栄光」の高みに至ったはずの自分のところに来れる者など、他にいるはずがないのだ。

 自分の結界の中に限っては。

 とうとう壁の上端の手すりに手をかけ、ゆり達が続々と頂上に立ち並んだ。

 前後を大勢のゆりに挟まれた魔女は狼狽したように三日月型の鉄骨の身体を上に下にと屈曲させている。

 浮遊できるはずの魔女は、そこよりも高く浮かび上がることはできないらしい。

「「さあ!とどめだよ!」」

 壁の上端に立ち並んだゆり達が一斉にジャベリンを突き出し、そして次々と魔女めがけて突撃していった。

 

 身体中にジャベリンを突き立てられ、ゆり達が跳び退くと同時に大爆発を起こした光景を、数人の護衛役のゆりに囲まれて一緒に結界に侵入していた薫が呆然と見上げていた。

 魔女が爆散して消滅するのと同時に百人いたゆりの分身は次々と消滅し、薫の傍らにいる一人を残して消え去ってしまった。

 たちまち周囲のサイケデリックな光景がぐにゃりと歪み、色を薄れさせて掻き消え、もとの現実世界に帰還した。

「ッ!? 」

「あいた!? 」

 それと同時に薫とゆりは、足場にしていた橋の手すりから歩道に転げ落ちて身体をしたたかに打ちつけた。

「~~っ!? 」

 重力の向きを操る魔女の消失後の影響を失念していたことに気付いて、ゆりは鼻を押さえながら照れくさそうに起きあがった。

 自分達の間抜けさに笑い合おうと思っていたゆりは、倒れ伏したまま動かない薫の様子を見て怪訝顔になった。

「……かおる、ちゃん?」

「…………」

 返事はない。

 うつむいた前髪の影から唇を噛みしめる動きが見えたから、気を失っている訳でも痛みに悶えている訳でもなさそうだ。

 なのに、なぜ。

「薫ちゃん……大丈夫?」

 傍らに近寄って声をかけるも、やはり応えはなく、路面に投げ出された片手が震えながら拳の形に握り込まれた。

「……んで、……は……」

「え?」

 何か、聞こえた。

 怨嗟にまみれた、暗い声が。

「なんで、あなたは……!」

 ゆっくりと、薫が手をついて上体を起き上がらせた。

 スローモーションのようにゆりを見上げたその顔は、いつもの薫の顔ではなかった。

「あなたは、わたしよりも下でしょう!? わたしのゆりの分際でなにカッコつけてるの!? 身の程を弁えなさいよ!」

「……か、おる……ちゃ……」

 いつもの余裕に満ちた秀麗眉目は見る影もなく崩壊し、薫は悪鬼のごとき形相で牙を剥いていたのだ。

「ふざけないでよ!? いっつも無視されるしかなかったあなたを助けてあげたのはいったい誰だと思ってんの!? キュゥべえの契約だってモノの役にも立たなかったじゃない!? そんなあなたを助けてあげたのはこのわたしなのよ!? そのわたしに断りもなくそんないかがわしいリボンなんか付けてなんのつもりよ!? 」

 これほど激高した薫を、ゆりは今まで見たことがなかった。

 いつものゆりだったなら、萎縮して平謝りを繰り返していただろう。

 だけど今は違う。

 もう、違うのだ。

「薫ちゃん。そういうんじゃ、ないんだよ」

「うるさい! 今の魔女を倒せたのなんて、ただの偶然よ!図に乗らないで!あんたはわたしの指揮がなきゃ何もできやしないんだから! そうよ!なんにもできないのよ! だからあなたにはわたしが必要なの!そうでしょ!? 」

「か、薫ちゃん!? 聞いて!? 」

「うるさいうるさい! ゆりの分際で生意気な口を利かないで! あなたは黙ってわたしの言うことを聞いていればいいのよ!」

 烈火のごとき怒りを吐き出しながら立ち上がった薫は、額のサークレットにはめ込まれたソウルジェムを輝かせ軍配扇をゆりに向かって突きつけた。

 ところが、何も起こらない。

 ゆりに向かって展開された紅の魔力が雲散霧消してしまったのを見て薫は衝撃に目を剥き身体を揺らした。

「…………!? 」

 もう一度、そして何度も軍配扇を振り回す。

 だが薫の魔力はことごとくゆりには届かなかった。

「薫ちゃん!? もうやめて!? もういいの! もう、大丈夫だから!」

「……あ……あぁ……!? 」

 白眼比率を上昇させた瞳をぐらぐらと揺らし恐慌をきたした薫にはゆりの叫がも聞こえた様子もなく、おぼつかない足取りで一歩、二歩と後退し、取り落とした軍配扇が地面に落ちきる前に消滅した。

「……ゃ……いや……」

 ふるふると首を振り、薫はゆりから遠ざかろうとしている。

「かおる、ちゃん……!? 」

 薫のあまりの変貌ぶりに、ゆりも困惑し、どうすればいいのかが分からず、名を呼ぶことを繰り返すしかない。

 近寄ろうにも、ゆりが歩を進めるだけ薫は後退してしまうのだ。

「……いや……なんで……なんで、誰も言うことを聞いてくれないの……!? 」

 ぐらぐらと首を揺らし、瞳の均衡をも怪しくし始めた薫がうわごとのように呻き始めた。

 無手になった左手が、右の手首を掴んで押さえ、しきりにさする動作を繰り返す。

「リーダーになったんだよ……リーダーになったんだよわたし……!? どうして言うこときいてくれないの?どうしてわたしを無視するの!? ねえ!? 」

「薫ちゃんっ!? 」

 発言の脈絡を失い始めた薫を見かねてとうとうゆりは薫に掴みかかった。

「薫ちゃん!? しっかりして!? 」

「やだ!? 離して!? 離してよ!? 」

 捕まれた腕を薫は必死の形相で振り回す。

 魔法少女としての腕力は、実は二人とも大差なかった。

 ところが、もみ合う内にゆりの左手が薫の右手首に触れた途端、薫はさらに激発した。

「さわるなあッッ!」

「ひゃあっ!? 」

 絶叫と同時に薫の周囲のアスファルトが突如噴水のように立ち上がり、そばにいたゆりを激しく突き飛ばした。

 数本のアスファルトの石柱の中に立つ薫は、いつの間にか軍配扇を持ってゆりを睨み付けていた。

「……わたしの言うことをきかない奴なんか、もう知らない……」

 軍配扇が横に振られるや否や、離れた位置に停められていたダンプトラックが異形に変形しながらゆり目掛けて突進してきた。

「薫ちゃんっ!? 」

 慌てて跳び退いてかわすが、鉄骨の獣は巨体に関わらず迅速に方向転換するとまたもゆりに襲いかかってきた。

「……!? 」

 仕方なくゆりは数人に分身し、それぞれの方向に跳び退いて攪乱を計る。

「やめて!? 薫ちゃん!? 」

「……言うことをきかないやつなんか、いなくなればいいのよ……もういなくていい……わたしは委員長なのよ?……わたしの言うことをきくのは当然でしょう……?」

「……っ!? 」

 ダンプトラックが変形したモンスターの攻撃には一切の躊躇がなかった。薫の強い殺意を感じるほど。

 荷台部分が紙のようにずたずたに引き裂かれると、それぞれの切っ先が捩れながら鋭く伸長して弧を描き、無数の錐の雨となって辺りの地面に突き刺さった。

 金属の爪をかい潜ってゆりは必死に躱すが、とうとうゆりの一人が鉄骨の足に踏み潰された。

「薫ちゃん!? 」

 叫び、やむなく分身を増やしたゆりが一斉にジャベリンをダンプトラックに突き立てる。

 だが、これは薫が魔法で操っているただの鉄塊に過ぎない。いくら刺し傷を与えたところで死ぬものではないし、動作不良すら起こさないのだ。

「ああっ!? 」

 迅速に周囲をひと薙ぎした機械の暴虐に、ゆり達はまとめて吹き飛ばされた。

 どうにか地面を転がって体勢を立て直すが、薫の魔力は地面にも及び、あろうことかアスファルトが波打ちまともに立つこともできなくなっている。

「……!? 」

 ところが、ダンプトラックの獣はその重量によって多少の段差は踏み砕いて移動することができる。これでは、ゆりは先ほどまでのように逃げ回ることはできそうにない。

 本気を出した薫の魔法がこれほど危険なものだとは、まったく想像だにしなかった。

「薫ちゃん! やめて!」

「……どうしてよ……どうしてわたしを無視するの? わたしだってみんなと話したい、仲良くしたいだけなのに……なんでみんないうこときいてくれないのなんでなんでなんでなんでででででででででdddddddddddd」

 分身たちで手を組み合って足場を作り、別のゆりを離れた地点まで投げ飛ばそうと画策している中、突如薫の錯乱する声が聞こえてゆりはぞっとした。

「薫ちゃんっ!? 」

 こちらに突撃してきていたダンプトラックの獣が突然ばらばらの部品になって路上に崩れ落ちた。

 その向こうにいた薫の、額のサークレットにはめ込まれていた真紅の──真紅だったソウルジェムが、ドス黒く染まっているのを見てゆりは驚愕した。

 いくらなんでも、この程度の魔法の行使で染まるには有り得ない黒さだったからだ。

 

(ソウルジェムが真っ黒に染まりきるとな。……魔法少女は身動きが取れなくなる。悪くすりゃ、そのまま死んじまうこともあるかもな)

 

 かつて聞いた桂華の話が脳裏をかすめた。

「……っ!? 」

 今の薫を止めようにも、例えどんなに大量に分身しても足場を操れる薫を取り押さえるのは困難だろう。

 せめて、力尽きて昏倒でもしてくれれば取り押さえることもできるだろうが、死の可能性もあるとしたら悠長に待ってもいられない。

「もうやめて薫ちゃん!? そんなに魔法使ったら、死んじゃうよ!? 」

「わたしにmいれいしないd   !」

 叫んだ薫の首が、額を打たれたみたいに上を跳ね向いた。

 この距離では、済んだ微細な破砕音は聞こえなかった。

 だが、薫の額から黒のかけらが飛び散ったのは見えた。

「か……」

 突如薫を中心に突風が迸り、自然の風とは異なる爆発的な圧力が周囲の瓦礫を、ダンプの成れの果てを、そしてゆり達をまとめて吹き飛ばした。

 砂利と一緒に滅茶苦茶に地面を転がりながら、それでもゆりは見た。

 倒れるように宙に身を投げ出した薫の額のソウルジェムがあった場所から、ドス黒い煙がもの凄い勢いで吹き上がるのを。

 それは上空でひとかたまりに寄り集まると何事か形を成し、そしてそこから放射された魔力が再び世界の常識を、法則を、光景を異常なものに塗り変えてしまったのだ。

「ひゃ!? 」

 ゆりの身体が転がる方向を変えた。

 ゆりは今、何もない虚空を下に向かって落下しているところだった。

 先ほどまでの山道も森も橋もなにもない。

 それどころか、時刻は夕暮れも過ぎていたはずなのに、辺りは透き通るような綺麗な青空が無限に広がっていたのだ。

 そうして自由落下にさらされる中、どこからともなく無数のロープが縦横無尽に迸り、どこかへと繋がったそれらが幾重にも重なってぴんと伸張した。

 ばさっと音を立てて、まるで万国旗のように無数に翻ったのは、古めかしいデザインのセーラー服の上着。まるで洗濯物のように等間隔にロープに提げられている。

 そして複雑に絡み合ったロープの集合点に、ひときわ巨大で、いびつで、異常な物体が鎮座しているのに気付いた。

「……!? 」

 そいつは、一瞬、女子学生に見えた。

 と言うのも、そいつは古めかしい黒のセーラー服とスカートを纏っていたからだ。

 何がゆりの認識を曖昧にしたかと言えば、その家よりも巨大な体躯はともかく、腕が左右に二本ずつ生えており、スカートの中からも、本来生えているべき脚に変わって白い腕が生えていたからだ。

 ただし、首に該当する場所には何もない。

 それら三対六本の腕を生やした首なしのセーラー服が、まるで蜘蛛のようにロープを掴んで身体を空中に固定していたのだ。

 

 

 これなるは「委員長」の魔女。その性質は「傍観」。

 

 

「……え?」

 どうにか途中のロープにしがみついて落下を免れたゆりが、その異様を見上げて呆然と呟いた。

「……どう、して……?」

 

 

 爆発的な黒の波動がいつもの帰り道にかかる橋の付近で広がったのが、この地点からでも見えた。

「……な、に……?」

 山並みとカーブの向こうの光景を見上げ、すずは呆然と呟いた。

 桂華と共に橋の鉄骨の魔女に襲われたのは、ついこの間のことである。

 すずは魔女退治に積極的でない為によく知らないが、同じ場所で魔女が再発するなどというのは、珍しい現象なのではないかと訝しんだ。

 ここから橋までは、いくつかのカーブの傾斜を越えねばならない。

「…………!」

 すずは、意を決してそちらへと踏み出した。

 

 

「おい!? どうなってんだよキュゥりえ!? 」

『成功率は、百パーセントではないと言ったはずよ』

「ここが一番可能性が高いって言ってたじゃねえか!? 」

『情報が少な過ぎた。特にあの「御鐘 薫」は大きく運命を改竄している。彼女の可能性に干渉するのは、いくらなんでも容易なことじゃないよ』

「不可能じゃなきゃ充分だろ!? いいからなんとかしろよ!? 」

『分かってる』

 前後でも左右でも上下でもない、概念の外の方角へと、運命と未来が交錯して渦を描き螺旋状に絡まりながら吸い込まれて消えてゆく。

 普通の人間には認識できない世界の中で、キュゥりえのサポートを受けながら共に時の奔流に煽られる桂華は、必死に流れに逆らい目を見開いて絶叫した。

「ちっくしょ! いったいどうすりゃいいんだよ!? ほむほむ!」

 

 




◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆ 

「……ひょっとして、浮絵 桂華って知ってる?」

第7話 まったく。あのおバカは

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