魔法少女みおみ☆マギカ 第二部 つなぐ魔法 作:鉄槻緋色/竜胆藍
「か……!? 」
薫ちゃん、と言いかけて口をつぐみ、ゆりは改めて言い直して足を踏み出した。
「……御鐘さん!」
焼却炉の脇にゴミ袋を置いた薫が、のろのろと起き上がってゆりを振り向いた。
どこか疑惑に満ちた眼差しで、陰鬱に。
その様子を見てゆりは胸が痛むのを感じた。
そこには、かつての自信に満ち溢れた理知的な委員長としての輝きが全くなかったから。
あれから薫と二人きりになれる機会を探っていたゆりは、クラスメイトにゴミ袋を押しつけられた薫を追って、校舎裏へとやって来ていた。
テレパシーで呼びかけることは、やめておいた。
もしも魔法の事も忘れてしまっていたら、余計な混乱をさせてしまうだろうから。
「……なんですか?」
これまた聞いたことのない「です・ます」言葉で返事され、ゆりは再び面食らった。
そう言えば、魔法少女となって態度を豹変させる以前の薫とは会話したことがなかった。
薫の語り口に困惑しながらも、ゆりは居住まいを正した。
「……え、っと、あの、」
すずから薫の状態についての調査を頼まれたが、具体的にどうすればいいか見当がつかなかったゆりは結局直接的に訊いてみることにしたのだ。
「これ、知ってる?」
言ってゆりは、掌に喚び出した薄紫に輝く自身のソウルジェムをおずおずと差し出してみせた。
もしも知っているならば、薫をひどく馬鹿にした質問になってしまうが、仕方がない。
「……?」
ところが、怪訝にゆりの掌に乗せられた卵形の宝玉に目線を下ろした薫は、無感情に首を横に振ったのだ。
「……あ……」
喜ぶべきか、悲しむべきか。相反する感情が同時に沸き上がり、ゆりは言葉を詰まらせた。
だが、生きた薫が「挙げ句魔女になった」あの悲劇を知らずにいるのならば、それは良いことのはずだ。
「……あの。 それが、なにか……?」
「あっ!? いやっ、えっと……!? 」
泣くとも笑うともつかない表情でぼぅっとしていたところに声をかけられて、ゆりは慌てて意識を復帰した。
「あの……ごめんなさい! なんでもないの!なんでも……」
言いながら胸元で両手を握り込んだゆりはそそくさと後退り、振り返って駆け出した。
「ごめんなさい! それじゃあ」
上擦った声で言って、そのまま走り去っていった。
(よかった……! でも、よかったよ……!)
「…………」
頓狂なことを言って走り去ったゆりを黙って見送った薫は、怪訝に思いながらも作業に戻るべく足下のゴミ袋に屈み込んだ。
『やあ。御鐘 薫』
「っ!? 」
耳から聞こえるのとは明らかに違う、脳裏に意図せぬ声が閃くという異常な感覚に、薫はぎょっとして左右を見回した。
『どうか、驚かないで聞いてほしい。 ボクの名前は、キュゥべえ!』
焼却炉の隣のくたびれた物置小屋の脇から白い小動物がとことこと現れ、行儀良く座って薫を見上げた。
その猫ともウサギともつかない奇妙な生き物を、薫は愕然とした顔で凝視していた。
「……あなた……なの?」
『そうだよ。御鐘 薫。 ボクは君にお願いがあってきたんだ』
「……お願い……? え?……」
眼前に現れた有り得ない異常事態に、薫は目を白黒させて困惑するばかり。
だが、白い生き物は頓着せずに、赤いビー玉のような瞳をくりくりさせて、その「お願い」の内容を語り出した。
(あわわわわ……!? 薫ちゃん、まだいるかな……?)
ゆりは、たったいま走ってきた道を、校舎の間を駆け戻っていた。
焼却炉から立ち去った直後に、「薫の記憶がないなら、改めて友達になればいい」と思いついたのだ。それも、自分から言い出す形で。
かつて薫に「友達になろう」と言われたことへの恩返しの意図もあった。これからは、ゆりが薫を守るのだから。
薫がソウルジェムを知らないということが、「魔法少女にまつわる記憶を失った」のか、すずが推測した「ここが薫が魔法少女になる前の世界」なのかについては、今のゆりの意識からは消え失せていた。
薫はゴミ出しの為に焼却炉に行ったのだから、教室で待っていれば普通に会えるのだが、さすがに誰がいるとも知れぬ教室で「友達になろう」と言い出すのは恥ずかしくてとてもできそうにない。
だから、ゆりは慌てて戻ることにしたのだ。
再び薫と一緒にいられる喜びと期待に高揚したゆりは、息を切らせながらも笑顔を綻ばせていた。
ところが、ゆりの目の前に、突如真上から人影が舞い降りた。
「ひゃ!? 」
たたらを踏んで立ち止まる。
慌てて左右を見回したゆりは、ここが高い校舎に挟まれた場所であることを知り混乱した。今のように飛び降りてくる場所が、左右どちらかの校舎の屋上からしかないことに気付いたから。
「──よう」
すっくと立ち上がったのは、がっしりした体つきの、見慣れない制服を着た少女だった。
だがその放埒な髪型にも、顔にもゆりには見覚えがあった。
「……浮絵さん!? 」
「は? ああそっか。アタシのこと知ってんのか」
「……!? 」
ところが、浮絵 桂華の素っ頓狂な返答に再び面食らう。
「まあいいや。悪ぃけど、こっから先は立ち入り禁止なんだわ」
すぐにいつもの屈託のない笑顔に戻ると、浮絵 桂華は白いリボンが付いたクロームイエローに輝くソウルジェムを振りかざして魔法少女に変身した。
閃光の中から、まるでバイクに乗るかのような漆黒のライダーズジャケットを纏い、ライオンのような逆立った髪の頂点のみを白いリボンで括った「白魔法少女」の姿が歩み出てきた。
「なぁに、ほん~のちょっとココで待っててくれりゃあいいのよ。 すぐ済むからさ。多分」
「浮絵さん、どうして……?」
まるで知らない他人を見るような目でこちらを見る浮絵 桂華に、ゆりは身震いする身体を両腕で抱き締めながら僅かに後退るが、ある可能性に思い至って目を剥いた。
「……薫ちゃんを、どうするんですか!? 」
卑劣な発想とは無縁に見える浮絵 桂華だが、魔法少女が他の魔法少女を阻む理由はひとつしか思い当たらない。
まさか、ゆりの知らない浮絵 桂華の仲間がいて、それが薫に危害を加えようとしているのではないか!?
それ以上の難しい考察はゆりの頭脳には余るので思い付かないが、今のこの構図は、薫になにかしらの危機が迫っているとしか思えない。
「たいしたこっちゃないよ。イエスかノーか、本人が決めることだしな」
「……!? 」
肩をすくめながら言う浮絵 桂華の抽象的な言い回しの意味は分からないが、ゆりは構わずに魔法少女に変身した。
「……なにを言ってるのかわかりませんけど、すみません、急いでいるので通ります!」
「は!来いよ!」
ゆりの宣言に、拳銃とメリケンサックを掛け合わせたかのような武器を握り込んで身構えた浮絵 桂華が犬歯を剥き出した。
「んな!? 」
ところが、薄紫色のメイド姿に変身したゆりがたちまち百人以上に分身したのを見て浮絵 桂華が血相を変えた。
「「ごめんなさい! 浮絵さん!」」
「っひゃっ!? ぅわあわあわあああああああああああ!? 」
まるで濁流のように路地いっぱいに迫るゆりの大群に、浮絵 桂華はあっと言う間に踏み潰されて飲み込まれ見えなくなった。
「薫ちゃんっ!? 」
校舎裏の焼却炉のある一角に、ゆりは魔法少女の姿のまま駆け込んだ。
「っ!? 」
ところが、そこには既に、有り得ない光景が展開されていた。
「……かおる、ちゃん……?」
焼却炉の前には薫がこちらに背を向けて立っており、それと向かい合うようにキュゥべえが地面に座ってふっくらした尻尾を揺らしていた。
薫の両肘は曲がっており、胸元で何かを捧げ持っているように見える。
この図式が示すところを、ゆりは即座に直感した。
「薫ちゃん!? だめ……!? 」
間に合わないと分かっていても、叫ばずにはいられなかった。
「…………」
薫が、ゆっくりとこちらを振り向いた。
それにつれ、手元に持っているものがゆりの視界にも映る。
「……そん、な……」
真紅に輝くソウルジェムが、そこにはあった。
続いて薫の目を見たゆりは、恐怖に身を竦めた。
それは、薫が魔法少女になる前にも後にも見せたことのない表情だったから。
まるで底なしの闇に穿たれた深淵を覗く穴のような無機質な瞳で、ゆりのことを睨みつけていたから。
「……かおる、ちゃん……!? 」
『ところで、君は何者だい?』
キュゥべえが、朗らかな声で空気を読まずに質問を差し挟んできた。
赤いビー玉のような瞳が、ゆりの方を見ている。
『君みたいな魔法少女とは、契約した覚えがないんだけど』
『あんたが知る必要はないよ!』
そこに別の声が割り込み、この場に飛び込んできた小さな影がキュゥべえに飛びついた。
『……君は……!? 』
白い生き物に絡まるようにして組み付いているのは、ミントグリーンの獣、キュゥりえ。
『わたしの事もね!』
どたばたと地面を転げ回る二匹の小動物。
やがて、キュゥりえの細長いあごが、ずらりと並んだ凶悪な牙がキュゥべえの丸い首に噛みついた。
『ひ!? 』
『とりあえず、消えろっ!』
振り抜くように噛みちぎられたキュゥべえの首が、地面に落ちるより先に白いつちくれのように崩壊して散らばった。
凄惨な争いが背後で行われているというのに、薫はその昏い視線をゆりから逸らそうとしない。
ゆりも、突然のキュゥりえの乱入に驚きながらも薫の視線に縛られて動くことができなかった。
「!? 」
同時に別方面で起きたことに気付いてゆりは来た道を振り返った。
浮絵 桂華を押さえ込んでいた大量のゆりの分身が、腕力で強引に振り払われ突破されたのだ。
残るゆりの分身の視覚から、浮絵 桂華がこちらに向かっていることが分かる。じきにここに到着する。
だが、この状況の意味がゆりには理解できない。
「……かおる、ちゃん……?」
「……藍緒さん。 ……ゆり」
「!? 」
身体ごとこちらに向き直った薫が、ゆりの名を呟いた。
覚えのある、二つの呼び名を。
「……あ、あの、……記憶、が……?」
「記憶とは、ちょっと違うみたいね」
ゆりの抽象的な言葉から言いたいことを察したのだろう、応えて薫は、懐から細長い紐のようなものを抜き出した。
「え……!? 」
それは、酷く見覚えのある、白いリボン。
「……なんでかしら。いつの間にかこの白いリボンを持っていたの。「このわたし」には、浮絵 桂華と出会った記憶はないのに」
たたみかけるようにして次々と現れる矛盾に、ゆりは完全に混乱していた。
クラスの様子は数ヶ月前の状態なのに、屋上のフェンスも壊れていないのに、現れた浮絵 桂華と、薫のソウルジェムと白いリボン。
なぜ……?
身体を震わせるゆりに構わず、薫はつまみ上げた白いリボンを眇に眺めた。
「まあ、どうでもいいわ。これから新たに始めるのと同時に「もう一度やり直せる」だなんて、よく分からない感覚だけど、悪くないわね」
指先でリボンを弄んでいた薫の瞳が、再びゆりの方を向いた。
「……それにしても、ゆりの分際で、わたしのこと裏切って、また友達面しようだなんて、ほんと生意気になったわね」
「……あ……」
それは、明らかに薫の語り口。
今日の教室での気弱な態度はいったいなんだったのか。
疑問は止めどないが、かつてゆりの心を縛り付けた薫の視線は相変わらず健在だった。
「いようっ! いやーさすがにあの魔法にはびっくりしたわ。 んで、状況はどう?」
背後から駆け込んできた浮絵 桂華が、空気を読まぬあっけらかんとした声がゆりの隣に立ち並んだ。
険悪なオーラを放出している薫と、そこで立ち竦んでいるゆりとを見比べてきょとんとするが、浮絵 桂華はすぐに薫の方を向いた。
どうやら、ゆりの事を害するつもりはないらしい。
「よう! そのリボン知ってっか? いま一部で大流行してんだぜ?」
「良く知ってるわ。 忌々しいことに魔法が効かなくなって、かつ使用者に無限の魔力を与えてくれる。 ……誰かさんに見せつけられたものね」
浮絵 桂華も、薫も、まるで見てきたかのようにリボンのことを語る。
だが、浮絵 桂華の言い方はまるで薫に白魔法少女のことを話したことがないような言い種で。
「二重契約だなんて忌々しいけれど、無限の魔力は魅力的ね。 いずれ魔女になる運命なら、その前にわたしの望みを全て実現させていこうかしら」
言って、薫はソウルジェムにリボンを巻き付け始めた。
浮絵 桂華はその様子を黙って見ている。
白魔法少女に勧誘した当人なのだから、これが目的なのだろうが、ゆりは底冷えのする恐怖を感じずにはいられなかった。
なにせ一度、魔法を全開にした薫の凄まじい強さ、恐ろしさを体感しているのだ。
このまま放っておいたら、ゆりも、そして浮絵 桂華の身も危ない。
「……か、薫ちゃん、だめ……!? 」
「ゆりの分際で、指図しないで」
てきぱきと手際よくソウルジェムの頂点の突起に綺麗なちょうちょ結びを作った薫は、瞬時に閃光に身を包み、魔法少女に変身した。
まるでファンタジーめいた短衣の上に各所を覆う軽甲冑。額を飾る、真紅のソウルジェムを納めたサークレット。
そして、喉元に、首に結びつけられた白いリボンが追加されていた。
「さあて。これでわたしは無敵よ。忌々しいゆりも、浮絵 桂華も、どいつもこいつも始末してあげる!」
薫が軍配扇を振りかざすと、たちまち周囲の景色が歪み、視界の全てが真紅の輝きに包まれると焼却炉が、物置が、校舎が歪み、ひび割れ、変形し、鋭利に、凶悪に形を変えてゆく。
地面が鳴動し、部分的に隆起してまるで蛇竜のように吹き出してのたうち乱立した。
薫の「支配」の魔法は、無限の魔力を得て、世界の全てを己の武器としてしまった。
「もう、なにもかも潰れてなくなっちゃえばいいんだあっ!」
指揮官のごとく、軍配扇が振り下ろされた。周囲の物体から生えた無数の鋭利な切っ先が一斉にゆりと浮絵 桂華の方を向く。
その薫の眼前に、虚空に突如ミントグリーンの獣、キュゥりえが跳ねるように現れた。
『契約完了ね。 ところであなた。契約の条件は覚えてる?』
「は?」
真紅の嵐になぶられて鳴動する校舎裏に、純白の輝きが現れ爆発的に光量を増幅させて何もかもを真っ白に染め上げ、なにも見えなくなってしまった。
ある日の久那織南中学校の昼下がり。
御鐘 薫は廊下の曲がり角に潜んで「その時」を待ち構えていた。
壁に身を寄せている薫の様子は普段教室で見せる姿と全く異なり、あまりの緊張に唇を引き結び、柳眉を釣り上げ顔を紅潮させており、自身の状態に気を配るゆとりも失っている。
心臓が痛いくらいどきどきする。
うまく行くだろうか。下準備までは魔法でできても、肝心な部分はそうはいかない。
薫は掌にソウルジェムを取り出し、ソウルジェムの中から己の武器である軍配扇を喚び出すと、ソウルジェムから生やした状態のまま軍配扇を揺らして魔法を限定発動させた。
効果範囲は校舎全域に渡る空間そのもの。
これにより、床を打つ足音や校舎内の空気の流れから全校生徒、教職員一人ひとりに至るまでの一挙手一投足が全て把握できるようになる。
既に、事前に「ある人物」以外の全ての人間がこの場に来ないように魔法で操作してある。
だから今、この場所に向かって移動しているたった一人の人物は「彼」でしか有り得ない。
無人のこの廊下に足音が直接耳に聴こえてきた。
「彼」の足音だ。
その床を擦る音、床を蹴る音。特徴のあるそのテンポを聞けば、見なくたって薫には分かる。
(……うまくできるかな……)
魔力を通わせたポケットのハンカチは、薫の思い通りに「さりげなく」床に落ちてくれるだろう。
そうして、彼の前をさりげなく通過するのだ。
その為に今日、この時間、この場所で準備をしたのだ。
(来た……!? )
「彼」の気配が予定のポイントを通過したのを確認して軍配扇を引っ込めソウルジェムをしまう。
握り拳を胸元に押しつけ、身体を揺さぶるほどの激しい鼓動を上からどうにか抑えようとする。
深呼吸をひとつ。そう、ただ歩くだけでいい──
(あ……だめ……怖い……!? )
だが、土壇場になって恐怖心が鎌首をもたげてきた。
うまくいかなかったらどうしよう。間抜けなやつと嫌われたらどうしよう。
そんなネガティブな思いにあっと言う間に心が塗り潰されてしまう。
足は、進む方向に動いてくれない。
このままじゃ、こんなところで立ち竦んでいる間抜けな姿を見られてしまう。
(もう、だめ!? )
逃げなきゃ。
恐怖心に完全に支配されてしまった薫は、とうとうその場から逃げ出そうと身を翻した。
「ばあ」
「っ!? 」
いつの間にそこにいたのか。全く気配を感じなかった。
薫が振り向いた目の前に、快活な笑みを浮かべた魔法少女姿の浮絵 桂華がいたのだ。
「契約だ。ちょいとお節介を焼きに来た」
にんまりと笑って訳の分からないことを言った浮絵 桂華の手が、混乱している薫の肩を思いのほか強く突き飛ばした。
「あっ!? 」
完全に不意を打たれた薫に、それに抗う術はない。
よろよろと廊下に転び出ると、床に尻餅をついてしまった。
ちょうどそこに通りかかった、貴籐 佑樹の目の前に。非常にみっともない格好で。
「……………………!? 」
その状況に気付いた途端、たちまち薫の顔が比喩でなく真っ赤に染まった。
薫を突き飛ばした浮絵 桂華の姿は、一瞬目を閉じた瞬間に完全に姿を消してしまっていた。
近くには開いた窓も隠れる場所もないのに。
「あの。大丈夫?」
「……ッッ!? 」
横からかけられた心配そうな声に再び緊張を刺激された薫にはもう、それ以上この状況に対処できるだけの意志力は残っていなかった。
さっきまで苛んでいた恐怖に代わり、どうしようもないほど圧倒的な羞恥心に全身を塗り潰され、ほとんどなにも考えないまま跳び起きて立ち上がると、脇目も振らずに走り出した。
自分のクラスに向かって。
ドアに飛び込み、無人の教室を駆け抜けて自分の机に飛びつきうつ伏せにしがみついた。
(もうダメ!? あんな恥ずかしいところを見られた!? きっと変なやつだって思われた!? もう終わりだ!? )
机に突っ伏して、薫はいつか泣きじゃくっていた。
もうどうしようもない。最悪だ。後悔と悪想念がぐるぐると頭を駆け回る。
「あの」
「っっ!? 」
横から再びかけられた声に、薫は仰天して跳ね起きた。
薫の机の真横で、貴籐 佑樹が心配そうな顔で薫を覗き込んでいた。
同じクラスなのだから、あの場から走って逃げたとしてもすぐに合流してしまうなどという簡単なことにすら今の薫は思い付かなかった。それくらい前後不覚に陥っていた。
それくらい貴籐 佑樹のことが……好きなのだ。
「……あ……あ……」
貴籐 佑樹としっかり目が合ってからようやく気付いた。涙でぐしゃぐしゃの泣き顔になっている自分に。
もうおしまいだ。変な女だと馬鹿にされるに違いない。
諦観の域にまで落ちた薫にはもう、正常な思考はできなかった。
「大丈夫?」
「へ?」
ところが、薫を奈落に叩き落とすはずの嘲笑・侮蔑はいつまで経っても現れず、貴籐 佑樹に心配げな気遣いの言葉をかけられて薫は呆気にとられた。
「あと、これ、さっき落としたみたいだよ。」
続いて、薫のハンカチが差し出された。
「あ……」
「なんていうか、どうぞ?」
のんびりと、穏やかに、優しく。とても優しく。
差し出されたハンカチに薫はおずおずと手を伸ばした。
怖かった。とてもとても怖かった。
いじめられ続けた世界の中で、唯一普通に接してくれた貴籐君のことを、初めて声をかけられた時からずっとずっと好きだった。
でもとても告白だなんてできそうになかった。
だからキュゥべえに願った。
たとえキュゥべえが相手だとしても、誰かの前で「貴籐君に好きになってもらえるように」だなんて恥ずかしくて口にできなかったから、誤魔化しと物のついでに「みんながわたしの言うことを聞いてくれるように」と願ったのだ。
それから世界は激変し、わたしは有機物・無機物問わず、犬猫だろうと人間だろうと、魔女ですらも従わせることができる「支配」の固有魔法を授かった。
わたしは何者にも逆らえない絶対の力を手に入れたのだ。
気に食わないやつを従順にさせ、全ての人間の印象を操作して確固たるカリスマ的地位を作り上げた。
でも。
なぜか貴籐君にだけは魔法が効かなかったのだ。
どんなにわたしの事を好きになってくれるよう願っても、なぜか貴籐君には効果が現れなかった。
怖かった。絶対的なはずの魔法が効かなくて、その理由が分からなくて、とてもとても怖かった。
どうすればいいのか、さっぱり分からなくなった。
だからもう、直接言うしかないのに。
もう、このままだと胸がはちきれそうなほどに想いが膨れ上がって頭がおかしくなりそうなのに。
「……すき」
「……え?」
ハンカチを受け取った姿勢のまま薫が呟いた単語に、貴籐 佑樹が怪訝に聞き返した。
「……すき、です」
もう、どう思われてもいい。
ここで言わないと、吐き出してしまわないと、胸が苦しくて壊れてしまいそうだ。
「ずっと、前からずっと、好きでした!」
「え……あ……」
貴籐 佑樹の顔が見るみる赤くなってゆく。
「ごめんなさい!? でも、もう、我慢できなくて!? 言わないと、伝えないと、もう……!?」
そこまでが限界だった。
言うだけ言った薫はとうとうハンカチで顔を覆い隠した。
時計の針の音が聞こえる。
痛いくらいの静寂。
「……あ、あの」
やがて、貴籐 佑樹が声を発した。
けど、薫は答えが怖くて顔が上げられない。
「ありがとう」
「っ!? 」
穏やかに告げられた言葉に、薫は顔を跳ね上げた。
貴籐 佑樹は、いつもの茫洋とした笑顔で薫の顔を見返していた。
「こんな僕なんかのことを、そういうふうに思ってくれて。 でも、」
でも?
否定的な単語に過敏に反応した薫の肩が大げさに跳ねた。
「あ!? いや!? そうじゃなくて、あの」
薫の様子に気付いた貴籐 佑樹が慌てて手を振った。
「僕、ほら、御鐘さんとはまだあんまりお話ししたこととかなくて、まだ御鐘さんがどういう人なのかを僕はまだ良く知らなくて!? 」
薫の懸念を否定しながら、薫が心配するような言葉ばかりをあたふたと繰り出す貴籐 佑樹に、薫は絶望的な諦観に染まりそうになるが、貴籐 佑樹はその反応を悟りながらも一生懸命に言葉の先を急いだ。
「だから、その、「好きだ」って言われたから「じゃあ僕も」って言って好きになるものじゃないと思うから、その、」
阿波踊りかなにかのように両手を振り回してまくし立てた貴籐 佑樹は片手を薫の眼前に突き出した。
「これから、御鐘さんのことを良く知って、好きになりたいと思う」
「……え……?」
「それじゃだめ……かな……?」
言われたことの内容が一瞬理解できずに呆然とした薫の見上げる前で、貴籐 佑樹が困ったように首を傾げた。
握手の形の手を差し出した体勢のまま。
「あ……」
言葉の意味を理解した途端、言いようのない歓喜の感情が沸き上がった。
薫は、引き寄せられるように片手を伸ばした。
「……なに……これ……」
真紅の暴風が荒れ狂う久那織南中学校の裏庭で。
己の魔法を全開にした薫が、突如現れた「記憶」に困惑していた。
片手で頭を押さえ、呆然と立ち尽くしている。
「わたし……貴籐君と……?」
それも、まるで魔法を発動させたのと同時にたったいま体験したかのような追憶。
そんなばかな。「今」は、間違いなく学校の裏庭で邪魔な浮絵 桂華を殺そうと魔法を展開している「今」のはず。
それなのに、この胸に沸き上がる幸せな感情はいったいなんだ?
押さえた掌の下の頬が喜びに緩み、相反する感情にひくひくと震えている。
「そーだよ。それも間違いなくあんたの思い出だ」
ゆりの前に立ちはだかり、薫と相対する桂華が快活な笑顔でメリケンサックを握る拳を打ち合わせた。
「そんな……!? わたし、あの時確かに、怖くて、逃げて……!? 」
「良かったじゃねーか。結果的に上手くいって」
「え!? あれ……!? 」
薫は今、荒れ狂っていた怒りの原因のひとつが急速に薄れて消えそうになっていることに気付いて狼狽した。
絶望に打ちひしがれ、だから謎の白い奇妙な生き物の提案を受けて契約し、白魔法少女の力も得てなにもかも壊してやろうと思っていたのに。
貴籐 佑樹と付き合い始めてから、無視され続けていた薫の日常は大きく変化した。
クラスの女子の陰湿ないじめも、貴籐 佑樹が一緒にいてくれることで前ほど辛くは思わなくなった。
寡黙なだけで決して気弱ではない貴籐 佑樹は男子にからかわれても平然としていたし、そうして貴籐 佑樹という接点ができたことで、クラスメイトの中の御鐘 薫に対する認識がゆっくりと変わっていったのだ。
男子で御鐘 薫を侮る者はいなくなった。
薫に悪意を抱いていた女子も手を出しづらくなり、いじめもだんだんと減っていった。
そして。
キュゥべえに願った「みんなに言うことをきかせたい」という思いの根拠が、怒りの根拠が消滅してしまった。
「あ…………?」
これが、キュゥりえの言っていた「悩みを解消する」ということなのか?
「さあて。 気が済んだんなら、その物騒な魔法ひっこめてくんねえかな」
薫の困惑に頓着せずに桂華が言うが、その面白そうに笑う瞳は、まるで逆の事を望んでいるかのようにぎらぎらしていた。
「……だからって……」
頭を押さえてうつむいていた薫が、掌の下から絞り出すように呻いた。
紅い魔力の奔流は、まったく収まる様子を見せない。
「だからって、わたしはもう、魔法少女になっちゃったのよ!? 」
ごう!と魔力の嵐がいちだんと勢いを増した。
顔を跳ね上げた薫が軍配扇を桂華に突きつけた。
「せっかく貴籐君に告白できたのに……!? 魔法少女が魔女になるなら! もう、みんな死ぬしかないじゃない!? 」
変形の途中で止まっていた物置小屋が、校舎の壁が、隆起した大地が再びその錐のように鋭い先端を伸ばし始める。
「どこに行っても結局死ぬ運命なら……こんな救いのない魔法少女なんかやってたって……!? 」
「救いは、ある!」
薫の譫言のような叫びを遮って桂華が突如怒鳴り上げた。
「……救いは、あるんだ」
強気な、優しい笑顔で桂華ははっきりと言い切った。
「その為にアタシはダチに協力してるんだ。……お前も、」
桂華は、背後のゆりを振り返り、そして正面の薫を見据えて。
「お前も! 絶対大丈夫になっから! だからお前! 残りのモヤモヤも全部吐き出しちまえ! アタシが相手になってやる!」
「ワケ分かんないのよあんた!? 初めて会った時からずっと!」
薫の「支配」の魔法で変質された周囲の物質が変貌した無数の錐が、その切っ先を全て桂華に差し向けた。
「いいわ! お望み通りあんたからずたずたにしてあげる!」
「おう! このアタシがあんたに会うのは初めてだけどな。 ……おい。あんたは下がってな」
桂華の台詞の意味に困惑していたゆりは、振り返って言った桂華の言葉に従って素直に後退した。
ゆりもひどく混乱してはいたが、今の薫に対抗できる自信はなかった。
「おっしゃ! かかってきやがれえええええええ!」
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「いやあ、一大告白はやっぱ気分がいいなあ!」
第10話 時は可逆、歴史は不可逆
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