世の中は理不尽だ。自分の選択や実力で運命が決まってしまうならまだ良い、諦めも付く。だがもしもそれが僕自身の意志とは関係無く生まれた時に、いや、生まれる前から定められていたとしたら?……本当に、どうして人生という物はこんなにも不公平なのか。だけど僕が何よりも許せないのは――
「何グズグズしてんだ、ルーイ!置いて行かれたくなかったらさっさと来い!」
「ご、ごめん兄さん。すぐに行くよ……」
――そんな境遇を黙って受け入れてしまっている自分自身だ。
裕福という訳では無いがかといって貧乏という程でも無い、そんな何処にでも有り触れた家に僕は生まれた。違う事と言えば僕には一つ年上の兄が居て、その兄が酷く優秀で有る事ぐらいだろうか。
兎にも角にもそんな家庭で育った物だから、何をするにしても目の前には常に兄の背中が有った。兄が本を読めば真似をして同じ本を読み外で遊びに出掛ければ後ろに付いて行く。……最も、その全てにおいて兄を超えたことは一度も無いのだが。
「ルーイ、どうしてそんな事も出来ないんだ?お前の兄さんは簡単にやっていたぞ」
「やるじゃないか、ルーイ。流石アイツの弟だけ有るな」
「ルーイ、君の兄は――」
いつだって、周りが僕の事を評価する時は兄さんの影が有る。怒られる時も、そして褒められる時も。何をしたって兄の姿は僕に付き纏う。そりゃあ僕だっていずれはそんな状況から抜け出せる日が、自分に光が当たる時が来ると思っていたさ。……あの日、兄さんが自分勝手な事を言い出すまでは。
「父さん!母さん!俺、ハンターになるよ!」
18を迎えた誕生日の朝、唐突にそんな事を宣言した兄さん。僕は呆気に取られ言葉を失ってしまった。流石にこれには家族も反対するだろうと思っていたが、
「そうか、凄いな!勇敢な決断だ、誇りに思うよ」
「ええ、あなたは自慢の息子だわ!」
予想に反し妙に乗り気であった。とはいえ別に僕に関係有る話では無い、むしろやっと家を出て目の前から居なくなってくれるのかと清々していた位である。問題が起きたのはその後だ。
「だけどそうなるとルーイが一人残されてしまうのか、心配だな……。そうだ!ルーイも一緒にハンターになったら良い!」
「良い考えね、流石あなた!」
「え、あ、あの……」
そこでどうして僕に話が回って来るんだ!?そう言いたかったがあまりの事に言葉が詰まってしまった。
「お、ルーイも付いて来るのか。別に良いぜ、だけど足を引っ張るなよ?」
何故か知らないが兄さんも乗り気の様だ。誤解の無い様に言っておくが僕自身は兄さんが嫌いな訳では無いし、彼も僕の事を悪く言ったりはしない。ここで了承の返事を出したのも彼なりの善意の表れなのだろう。だからこそ僕はそれを断る言葉を持っていなかったのだが。
「よ、よろしくお願いします……」
……僕にだって学者になるという淡い憧れの様な夢が有った。そこまで頭が良い訳では無いから難しかったかもしれないが、挑戦する機会すら失われてしまったのだ。だけど仕方無いのだろう。元々そんなに強く思っていた訳でも無いし、皆の言う事に逆らう勇気も無い。憧れは憧れのまま消えていくのが一番良い、そして流されたまま人生を送って行くのが僕にはお似合いな――
「右だ、ルーイ!」
その言葉で我に返り慌てて盾を掲げる。ガツ、と鈍い音と共に衝撃が右腕を貫く。振り払い視線を向けるとそこに居たのはジャギィ、それも一匹や二匹では無く群れでやって来ていた。
「い、いつの間にこんな近くに……」
「ボーっとしていないで剣を取れ!目の前の一匹は任せるぞ!」
初めての狩りだと言うのに急にモンスターの集団に出会うとはなんて運が悪いのか。でも嘆いていてもどうしようも無い、落ち着いて訓練した通りに相手を仕留めるのだ。右手に盾を構えたまま剣を抜きじりじりと距離を詰める。後一歩、ほんの少し踏み込めば攻撃が届く――何事も無く近寄れた事に気を抜いてしまったのかもしれない。自覚はしていなかったが野生に生きる生物はそんな気配を敏感に感じ取ったのだろう、僕が仕掛けるより先にジャギィは高く飛び上がり再び襲い掛かって来た。
「ガアッ!」
「うひゃあ!?こ、このぉッ!」
思惑を潰された事には驚いたが、二回目で有る事も幸いしどうにかちゃんと受け止める事が出来た。何よりも大きな違いは軽く突く程度では有ったが反撃も行えた事だろう。浅く傷つけられ皮膚から鮮やかな紅い血を流すジャギィ、その表情には怒りが浮かび上がり息遣いも荒く口元からは涎が滴り落ちている。
まだだ、まだ油断してはいけない。上手くダメージを与える事が出来たとはいえ相手はモンスターだ、体に一撃を貰えばこの貧弱な防具ではとても受け切る事は出来無いだろう。そうなればきっと僕の体は切り裂かれ血を吹き出し骨は砕け内臓がグシャグシャに……
唐突に、全身に震えが襲い掛かる。この辺りの気候は穏やかで日差しも有ると言うのに間違い無く僕は寒気を感じていた。どうやら僕は相手の強さと共に理解してしまったらしい――死ぬ事への恐怖と、それが間近に迫っていると言う現実を。まるで金縛りに有ったかの様に体が固まり、正反対に心臓は大きくそして素早く鼓動する。少しずつ近付いて来る姿を見るにつれ全身を包むその感覚は増大して行き――
「ウオオオオッ!」
雄叫びと共に吹き飛ばされたジャギィの姿を見て、あっという間に霧散した。
「っし!良く持たせたな、ルーイ。上出来だ」
さっきまで兄さんが居た方を見ると、数匹の遺体と遠ざかって行くジャギィ達の姿が有った。僕が一匹を相手取っている間に蹴散らしてしまったらしい。
「流石だね、兄さん。皆も褒める訳だよ」
「そうでも無いさ。むしろあれ程出来の悪かったお前が無事だった事の方が凄い事じゃないか」
新たなハンターを育成する訓練所、そこでも兄さんは一番とは行かなくともかなり優秀な成績を残していた。扱いの難しいランスをいとも簡単に使いこなし思うが儘に振り回すその姿は、これならいつ狩りに出ても良いと教官達に太鼓判を押させる程の物だ。
片や僕は誰にでも扱える片手剣を使うのが精一杯、剣に振り回される事もしょっちゅうで後から来た女の子よりも下手だと言われる始末。どうにかクエストに出る許可は貰えたが、その条件が兄さんと一緒に行く事だ。……どうしてこんなにも差が有るのだろう、泣きたくなってくる。
「それはともかく、惜しかったな。あの位の群れだったら全部倒せると思ったのに、少し逃げられちまった。やっぱりこの盾重くて速く動けないんだよな……防御力は良いんだが。お!そうだ、良い事思い付いた!なぁルーイ、ちょっと相談が有るんだ」
ニヤニヤしながらこちらににじり寄って来る兄さん。兄さんがあの笑みを浮かべるのは、決まって僕に何か頼み事をする時だ。案の定今回もそれは間違っていなかった様で、
「お前の持っているそれ、俺の盾と交換してくれよ」
身勝手な願いを僕に押し付けて来たのだった。その我儘を聞いた僕はいつもと同じ様に言葉を返す。
「う、うん……分かった……」
「そうかそうか、ありがとうな!お前が弟でホント良かったぜ!」
こんな時ばかり調子の良い事を……交換して受け取った盾のズシリとした重みを感じながら、僕は内心で溜息を付く。こんな物を持ちながら動く事が出来るだろうか?不安に思っていると兄さんが前を歩きながら励ます様に声を掛けてきた。
「心配するなよ、お前だってすぐにその盾に慣れるだろうさ。それにもし敵が出て来たって俺が全部蹴散らしてやるから安心し――」
両腕を振り回しながら楽しげに話す兄さんの、その言葉が途切れたのは突然の事だった。先程ジャギィの群れが逃げて行った方角から突如として巨体の生き物が目にも止まらぬ速さで突っ込んできたのである。その紫色の疾風が直撃した兄さんは、僕に背中と顔を同時に見せるという器用な真似をしながら崖下に落ちて行ったのだった。
「あ、ああ……」
その長くしなやかな尻尾で一人のハンターを仕留めたモンスター、ドスジャギィは勝利の雄叫びを上げると今度は視線を僕の方へと向けて来た。口元からは荒い息が零れ口角が上がり笑みを浮かべている様にさえ見える。奴の目には僕が美味しい餌にでも見えているのだろう、少なくとも目の前で震えているだけの生き物に脅威を感じる事は無い筈だ。
――どうした、動かないのか?絶好の機会じゃないのか?あれ程居なくなって欲しかった男が消えてくれたんだ、今動かないで何時動くんだ?さあ早く行動しろ――!
心の中でどれ程自分自身を鼓舞しても、足は一歩も動かない。目の前にはもう誰も居ない、
思い通りに動く事を邪魔する人も僕に何かを押し付けて来る人も――様々な視線から僕を遮ってくれていた人も。
「はは、はははは。何だ、そうだったのか……」
ようやく僕は自分自身の本当の気持ちに気付く事が出来た。理不尽?不公平?そんな物は初めから存在しなかったのだ。僕が流されていたのは誰の所為でも無くただ単に兄さんの陰に居る事に甘えていただけ、窮屈だが安全な世界から出ようとしなかっただけなのだ。その事に気付かなかったツケが今回って来たに過ぎない。
「ごめんよ兄さん、出来の悪い弟で。これからは僕一人で頑張るよ」
「グゥゥ……」
いつの間にか震えが止まっていた僕を見て、ドスジャギィは臨戦態勢に入る。恐怖が無くなったわけでは無いが、此処まで追い込まれてしまったらもうやるしかない。自分の意志で無いのは情けないがお蔭でやっと覚悟を決める事が出来た。
両腕に力を込める。左手には兄さんと交換したランスの盾、そして右手には僕自身の片手剣――用の盾。武器持ってねえ!
「……兄さんのバカ!」
今更ながらさっきの提案を了承してしまった事が悔やまれる。本来なら持っている片手剣はランスと片手剣の二刀流という事ではしゃいでいた兄さんと共に崖の下だ。つまりこれからドスジャギィと盾だけで戦わなければいけないという事で――
「う、うわああああ!」
痺れを切らして襲い掛かって来たドスジャギィを見て、僕は悲鳴を上げる。勝てる訳有るか――!
……それからおよそ三時間後。あまりにも帰還が遅い事に心配した教官達が目にした物は疲労困憊で無傷だと言うのに地面に倒れ伏すドスジャギィと、何故か両手に盾を持ち同じく無傷でへばっている一人の新米ハンターの姿であった。
彼は知らない。後にこの時の話が広まってある種の有名人となってしまう事を、そしてその所為で今後も武器を手にする事無く両手盾のハンターとして一生やっていかなければいけなくなることを――
彼はまだ、知らない。
4では結構食える虫が居るな……良し。