「ふぬっ!うぐっ……」
どこまでも岩と暗闇に囲まれた空間の中央、その一点のみ火による明かりが浮かび上がる場所から、断続的に小高い音が鳴り渡っては、反響を経て薄れていく。
消え行く音は新たな音が生まれると共に、空間から追い出される様に上から塗り潰され、ただただそれは繰り返され続ける。
それらの音の源泉、縦穴のある場所から右へ十歩ほど離れた壁際。アイシャはその場で膝を付いて苦い表情を浮かべつつも、眼前の壁へ鏨を打ち付けていた。
打ち込んだ鏨が岩に白く傷を付け、一つ音が鳴ると共に鋼の
アイシャの膝元へと落ちた石片の一つを指先で摘み上げ、顔の前まで持ってきて目を凝らす。少しして、小石の表面に粒の様に小さく淡い光が宿る。
「……ぬおお、ムズいんですけど……!」
左側にちらりと目を向ければ、同様に壁には鏨が打ち込まれた跡が続き、その手前の地面に削り取られた小石がこれまでのアイシャの足跡を表す様に、ぽつぽつと散らかされている。
この場所へ降りてきてからいくら経ったかは覚えていないが、相当な時間を同じ場所で過ごしているのは確かだ。
その間アイシャが何をしていたかと言えば、ひたすら燭光石の埋まった岩壁に向き合い、採掘すべく表面に鏨を打ち込んでは、イメージより少し外れた形で掘り出してしまう。ただ、その繰り返しだった。
「うぁー、こんな事なら石工も学ぶべきだったぁ……」
尖った石片となってしまった手の内の原石を見て、天を仰ぐ。想像よりも小さく、細かく、そして歪んだ形で壁より掘り出されたそれを見て、売るには少々見栄えが悪すぎるな、と客観的な評価が届く。
それでも、これまでよりはマシだった。左側の地面をもう一度見れば、手の内の原石よりも小さく砕けた石片達が、恨めしそうに葬列を組んでいる。
その在り方は”売り物としては悩ましい”どころでは無い。原石として見てもあまりにも小さすぎる上に、中には燭光石の含有量がほぼ含まれていない物もある。溜息が漏れた。
「うん、最初よりは大分上手くなってます。進歩です。あたし、前、進んでる」
うんうんと何度も頷き、表面上の激励を自分へ与えながら、ここに来たばかりの事を思い返す。
最初は出っ張った部分の上から平目の鏨を打ち込んだ。だが、岩を砕くつもりで強く石頭を鏨の頭に叩けば、衝撃は振動へ変わり、それを持つ左手の指先を少しずつ蝕んでいく。
それに耐えてひたすら打ち込むも、偏った地点にばかり打ち込んだ力は全体へと分散し、結果掘り出したかった部分の半分以下の大きさの石片が剥離する様に落ちた。
似た失敗を続け、目の前の壁に打ち込みやすい場所が無くなれば、一歩横へと動いて手付かずの壁に挑戦をした。鏨を持つ左手はすっかり痺れ、痛みから免れる為に少しずつ体は学習していく。
削り出す時は、まずその石の流れる模様――石目を見る。そこに沿って、最初に友鏨を釘のように打ち込み、石目の中央へ点を穿つ。
ある程度深く、石目全体に渡って穿った後、その点と点の間に平鏨を差し込む様に打つ。あとは、その打ち込んだ瞬間に鏨を握る手を少し緩め、刃先を割れやすい方向へと向けてやる。
「……頭でわかってても、これなんだもんなぁ」
何百回との試行錯誤の後に、体と頭が半ば強制的に学ばされたやり方は、理屈として頭に纏まっている。
だが、それでも掘り出したいイメージと実際の結果は合致しない。そもそも石目の正しい読み方も知らない為に、鏨を打つ最中に別の方向へ亀裂が走る事もあった。
鏨を掴んでいる左手は既に感覚が薄れており、その為に力に頼らず刃先を打ち込む技術を理解出来たものの、たまに刃先があらぬ方向へと打ち込まれて手首を痛めたり、或いは集中を欠いた事でハンマーが左手を叩いた事もある。
この作業を始める前には「この遺跡を出た後には金持ちの仲間入りですよワハハ」などと浮かれていた気分も、自らが積み上げる失敗と売り物にもならない石屑という現実の前に、少しずつ摩耗していった。
今では頭脳はただ作業の結果を集積する物でしか無い。いかに力のロスを無くして鏨を打ち付けるか、石目の見方の正誤、掘り出した物の価値。かつて輝いていた瞳は、この場の闇をそのまま映した様に暗く濁り切っていた。
「こうして見ると、原石商とかは綺麗に削り出してたんですね……もー、やりたくなーい……」
手に握る道具を地面に置き、アイシャはゆっくりと後ろへと倒れ込んだ。
痺れた左腕と疲れた右腕を広げて投げ出せば、ごつごつした岩の床が迎え入れ、明らかに寝る場所では無いと背からの抗議が伝わる。知らん。疲れたのだ。休むのだ。
体を傾け、右肩に頭を乗せる様にその場で寝そべ、目を閉じる。視覚を閉ざした事で体の末端に集中した疲労が、実際にその部位が重くなったかの様に感じられてくる。
二度とやりませんこんな割に合わない作業。そう思いながら、体に感じる重さを全て地面に擦り付け、深呼吸を繰り返す。山よりも尚静かな、あらゆる音が届く事の無いこの静寂に、自分の呼吸だけが響いていく。
「……じゃ、やりましょっか……」
二度とやらない誓いを一瞬で撤回しながら、アイシャは渋々ながら体を起こし、再び道具を手に取った。
◆ ◆ ◆
「――しゃあっ!成功っ!」
それからさらに暫くの間、壁に向き合って作業し、疲れては道具を手放して休み、再びやり直すという流れを何度も経て、アイシャの手元には一つの原石が握られていた。
親指より一回り大きい程度の原石の先には、爪ほどの大きさではあるものの透明度の高い結晶が突き出ている。ほぼ粒状でしか燭光石が含まれていないこの場所の岩壁では、アイシャが見つけた最大クラスの大きさの物だ。
「く、苦労しました……!うおお、ヒビとか無いですよね……!やった、やったぁ……!」
やっと思い通りの形に取り出せた結晶を優しく両手で包み込んで、その上から手の甲越しに頬擦りをする。これまでにかかった時間と積み重ねた労力も相俟って、その達成感は
実の所、この結晶を堀り出す前にも同程度か、またはこれ以上に大きな結晶をアイシャは見つけていた。が、安易に結晶の根本付近から手を付けた事で、衝撃の余り結晶に罅が入り、その結果砕いてしまった。
アイシャ本人もその時ばかりは手の内で価値と共に砕け散った結晶を見て、この遺跡に入って一番の大声を上げた後、静かにその場で頭を抱え込みながら心の涙を流した。
二度とこの様な事はすまいと自戒し、粉々になった結晶を未練たらしくかき集めて革袋に入れてから、次の結晶を見つけるまでの間は真剣に技術を磨いた。
その全ての積み重ねの果てが、今この手の中にある結晶なのだ。記念として持っておこうかな、と考える程には思い入れも強くなっている。価値も相当になるだろうが、自分の大きな成功の象徴としてこの一個ぐらいは構わないだろう。
「……あ、閃いた」
荷物袋より裁縫セットと、シーブスツールよりペンチとワイヤー、
しっかりと固定された事を確認し、原石側へ突き出た形のワイヤーを指先ほどの長さを残し、鋸で切る。そうして残ったワイヤーを開いたペンチの片側の先に巻き、根本で結び付ける。
ペンチの先を抜けば、結晶に巻き付いたワイヤーは原石側で円状の頭を残した状態になる。その円の中心へ、最後に裁縫セットの太めの麻糸を二本通した。
「よし、すっぽ抜けませんね」
ワイヤーで固定された原石を糸で引っ張り、手の下で大きく揺らす。簡易的なものではあったが、しっかりと石の形に合わせて巻き付けたワイヤーが解けるような事は無かった。
首周りに糸を持っていき、胸の高さに結晶が来る様に調節した後、長めに切る。二つの糸をまとめて端同士で巻き付けながら強く結べば、アイシャの求めた形が完成する。
「ペンダントというよりは、ペンデュラムですかね。有り合わせにしてはまぁまぁでしょ」
燭光石の結晶を用いて作った
磨いても無い結晶の上に削り出しほぼそのままの形の為に少々不格好ではある。が、紛れもなく自分がこの場で作った物と考えれば、そのちぐはぐさもまた味のある物と捉えられる。
何より、この首飾りに限ってはただの記念品の飾り物では無く、実用性を持つのだ。
「むんっ。うおう、思ったより眩しい」
胸の上に手を当て、軽く魔力を込めてみる。少し意識を向けた程度だったが、それでも僅かに光を持っていた結晶は魔力を得ると、その内から煌々とした輝きを以て応えた。
さして集中もせずに魔力を注いだが、それでも光量はランタンのものを遥かに超えている。これならば十分だ。ランタンの中の火を吹き消し、再度荷物袋の中へと戻す。
「よーしよし、思った通り使えますねこいつ。やっぱランタンより便利です」
魔術師の戦いにおいて投げつけて失ってしまってから、ランタンよりも軽く使いやすいこの石をもう一度使いたいという密かな欲求をアイシャは持っていた。別に無くても問題は無いが、やはりあった方が楽だ。
それもこれは遺跡の最奥に来て、自分自身の手で掘り出し加工したものだ。誰かの物を盗ったり拾ったりしたものでは無い、純粋な自分の努力の成果である。
こういった技巧を磨いて宝を手に入れるというのは中々無かった事だ。たまには単純労働も良いかもしれない、本当にたまには。そう考えながら、原石部分を指で摘んで光を遠くへと向け、自らの手にした輝きを眺める。
「――あれっ?影……いや、奥?」
何の気無しに上下左右へ光を動かしていると、思ったより自分のいる空間が広い事と、壁から離れた自身の後方に照らし切れない影がある事にふと気付く。
そちらへ寄って見ると、ほとんど自分が落ちた縦穴と同じ傾斜を持つ、起伏の多い崖があった。壁際でランタンを翳すだけでは届かない位置にあったその崖は、人一人分ほどの入り口を過ぎれば奥が開いている事がわかる。
思えば、ここで鳴らした音に違和感があったかもしれない。閉塞しているには広く響いた事もそうだが、思い返せば鳴ってから戻って来ない反響が一部感じられた。
剣を抜き、崖際を叩く。鳴った鉄の音は奥へ奥へと進むも、跳ね返ってくる事が無い。
まだ、奥がある。あちこちの起伏を剣を叩き、崩れ落ちる事が無い事を確認する。
「ここまで来たら行けるとこまで行きますかね。案外もうちょっとおっきなものあったりして」
これまでの作業の中で、首の結晶には到底及ばないだろうが、価値が高めの原石の塊をいくつか空きの革袋へと回収した後、さらにアイシャは自分の欲目を露わにする。
まだ掘れる所があるかもしれない。そんな希望的な思考が浮かんだ時、何か見落としを感じた。
それは引っ掛かりとしては弱いものの、何か自分の中で思い違いをしている。そんな直観を覚えるも、理由の無いそれの正体はわからず、頭の片隅を小さな疑問符が残り続ける。
だが、自分の命に及ぶ物ではない。それまでに感じた死が磨いた六感がそう感じる。それならば、わかるまで保留すればいいだろう。そう考えながら、アイシャは崖に目を向ける。
「結構深い……まぁでも、足場は結構しっかりしてますね」
思った以上の深度を持つ闇に光を向け、念の為鈎付きロープを崖際に引っ掛けた後、右手にしっかりと握り込みながら崖を降り始める。
崖際から最初の足場までは自身よりも少し――約二フィートほど届かなかったが、人間的に見れば誤差と言えるので”少し”――離れた位置にこそあったが、それ以降は足場同士の距離が背丈かそれ以下程に収まっており、断崖という程でもないその傾斜をアイシャは悠々と降りていく。
それでもロープを握る右手の握力は決して緩めず、緊張は弛ませる事無く一つ一つの足場を確実に下る。一見堅固に見える岩の隆起も、体重をかけ方やそれまでの風化の具合によっては、一瞬で崩れ落ちる事も有り得る。
「……あの、ど、どこまで続くんですかコレ」
手元のロープの残留が心許なくなってきた所で、さすがに焦りを覚え始める。
そもそも地図に無い場所なのだ。この先が確実に繋がっているという保証も無く、下手をすれば立坑の様にただ地下水流のみがある、という事も十分に有り得る。
十分に注意をしているとはいえ、ここまで来ておいて一回のミスにより滑落してジ・エンドというのは、あまりに間抜けだ。そろそろ戻る事も視野に入れる必要があるだろう。
が、その不安は次の一歩で振り払われた。
「よ、ようやっと地面や……」
胸の光が揺れた拍子に照らし出した、確かな崖の底が見えた瞬間、安堵の吐息が抜けていく。
流石にここまで来て何も無かったから戻ろう、というのはあまりに悲惨な結末だろう。慎重に隆起から隆起へ乗り継いで行き、肉眼で地面の様子が見えるぐらいの高さにまで到達した時、ついに手元のロープが張り詰めた。
「ま、ここまで来れば十分。……引っ掛けるトコもありますね、よし」
下まで降りてもロープ無しで登攀出来るだろうと見当を付け、鈎付ロープを引っ張る力を緩めて横へとずらし、崖上から引き抜く。落ちてきた鈎爪はアイシャの目の前を通過し、地に弾かれて鋼特有の澄みながらも重い響きを打ち鳴らす。
鈎を弾き返したのを見て、落ちた先の地面が極端に脆いという訳も無い事を確認する。それだけわかれば十分だ。
足場から小さく前へ踏み出し、アイシャは降りる先の宙へと身を躍らせた。
「よっとぉ!」
自然に引かれるがままに体は宙より下り、地面を足裏で受けると同時に衝撃と相応の物音が響く。
落ちた速さに相乗し、錯覚的に重みを増した自身の体を、分かり切っていたその感覚に対して確かな受身を取る事で拮抗し、脚にかかる負担を抑えながらも着地する。
縦穴から落ちた時とは違う、予定調和の着地によって屈んだ体は一連の動作の様に起き上がる。元々身軽な以上、わかってさえいればアイシャは建物の上から跳躍したとしても、接地してすぐにでもその場から動く事が出来る自信があった。
「さて、と。おっきいの、あっるっかなー」
ロープをしまい終え、明かりと共に視界をあちこちに向ける。
着地時の物音は大きく広がっていった。響き方は先程降りてくる直前のアイシャが採掘していた場よりもさらに広く、それは閉塞的な部屋の様な場所では無い事を自然と示している。
どうせなら先程以上の大きさの結晶を見つけたいものだ。そう考えて崖際から歩き始めてすぐに、髪に何かが絡む様な感覚があった。
「んぉっ……粉?」
何かと思って手を頭に当てると、天井から落ちてきただろう石の粉が掌に付着する。
着地の衝撃が伝わって落ちてきたのか。髪に指先で櫛を通すように、それを振り払う。落とされた粉は、光となって視界の端へと落ちていった。
「――って、光……光ってる!?」
てっきり自分の明かりに照らされただけかと思いきや、落ちていった石扮は地面に落ちても尚輝きを持ち、少し見ている間にそれは淡くなって消えていった。
指に直接触れると、少しの間淡く光る。その特徴は、先程見た原石に含まれている粒状の燭光石と共通のものだった。天井から落ちてきたのは、小さいながらも確かに高純度の結晶だった。
「も、勿体無いっ。集めなきゃ――いや、待った」
慌てて落ちた砂粒の様なものを集めようとした所で、体がぴたりと止まる。
衝撃で天井から落ちてきた。それはいい。だが、それまでも完全に壁に埋没していただけの砂粒が、衝撃程度で落ちるようなものか?
ふと、結晶の落ちてきた天井へと首飾りを向ける。
「でかっ!?……え、いっぱいあるじゃないですか!?ちょ、うおぉー降りてこいぃー!」
そこにあったのは、数えきれない程に無数に突き出た燭光石の結晶体で覆われた天井だった。
大きさはアイシャの首飾りのものとは比較にならず、中には結晶部分だけで掌大を超えるものもある。
思わずその場で何度か跳ね回り、その衝撃で落とせないか試すも、根を張り巡らせた様に結晶そのものは落ちてくる事無く、天井そのものの土と混じった細かな粒だけが霧の様にゆっくりと舞い落ちるのみであった。
「ごぉおッ……マジですか……!ここに来て物理的に手が届かないとかッ……!」
天井までの高さは自身の背丈とは比べ物にならない程だ。自身の降りてきた距離と同じほど離れたその結晶は、どれだけ身軽なアイシャが跳躍した所で気休めにもならない程の高さにある。
星に手を伸ばす如き絶対的な差に、アイシャは天井を睨むことしか出来ない。あれだけの結晶を革袋いっぱいに詰め込めば、間違いなく小富豪待ったなしであるというのに。
「いや――まだです!もしかしたら天井近くまで近寄れる、あたしでも登れる様な地形が偶然近くにあるかもしれません!」
諦めに染まりかけた思考の中に一筋の希望を垂らし、蜘蛛の糸より細いその可能性に縋る。自分で言っててどこか虚しさを感じる程の都合のいい考えだが、それでもアイシャはまだ知らぬその場を目指して歩き始めた。
と言っても、何事もやってみなければわからない。本当にそういう場所がある可能性もある。可能性の有無で考えれば、希望が叶う確率は五分であるとも言える。
次から次へと破綻した屁理屈を抱え、それでも全てが潰えるその瞬間までは棄てない。あたしに運は向いているんだ。運は消費ではなく、持続するものなんだ。きっとそう。
そんな思いとは裏腹に、少しずつ今歩く道は下りの面を見せ、手が届かないまでも明かりの内にあった天井の結晶はついに見えなくなる。これでは天井へ届く地形どころか、遠ざかってしまっているではないか。
「うぁあぁぁ……こ、これまでぇ……?」
あまりの悔しさに次第に希望は声と共に虚空へ消え行き、最後に絶望の色だけが残された喉の摩擦音となる。
それでも、まだ奥はある。行き止まりになるまで、可能性は消えない。たとえ限りなく可能性が低いとしても、ゼロではない。認めない限り自分の考えの負けは無い。
まけてない。まだまけてない。歩く内に心中に残ったのは、可能性と同じだけの大きさを持つちっぽけな意地だけで、その周囲は全て理性的な諦観に満たされていた。
いずれ来る終わりの時が今の内からじわじわと背に伸し掛かり、足取りもつられて重くなる。道は一向に登ろうという振りを見せず、ただただ自分の気分に同調して下り続けていく。
さすがに、虫のいい話だったか。身の程に合った儲けと共に、そろそろ帰るべきだ――
「――へ」
不意に爪先が何かを蹴飛ばす。思考に沈んでいたアイシャの意識が目の前の視界に戻る。
蹴飛ばされたものは、石音を立てながらアイシャの足の力を受けて転がっていく。明かりより離れていこうとするその正体に焦点を合わせ、目を見開く。
掌の内ほどの大きさではあったものの、その小石の大半は結晶部分で出来ていた。首飾りによる視界から外れ、向こう側の闇へと姿が消える。転がる音は、止まらない。
「あ゛たしの゛ォーッ!!」
それを理解した瞬間、浮かんだ汗を置き去りにする勢いでアイシャは猛ダッシュした。
自分でも出したことの無いような叫喚が周囲に響くが、知ったことではない。もしかしたら天井より落ちてきた唯一の結晶なのかもしれないのだ。逃しては、後悔してもしきれない。
全力で腕を振り、洞窟内を駆ける。傾斜により追う転石は少しずつ速さを増すが、それはこちらも同じだ。最初は彼方に消え行きそうな石音が、一歩ごとに近付き、はっきりと音が聞こえてくる。
もう少しだ。そう思った瞬間、石音が真下方面へ急激に遠ざかり、聞こえなくなった。それと同時に、地面の終わりとその先に広がる宙空の闇がアイシャの視界に映った。
「うわッ、だ!!……あ゛っ、あぁ゛っ……!あ、あたっ、あたしのぉをぉーっ……!」
先の断崖を把握し、爪先に力を入れて体にブレーキをかけ、それに弾かれた体を足裏を横にする事でさらに留めて自身の疾走を無理矢理に終わらせる。
崖際で体を止めた後、追っていた石音はもはや聞こえてこなかった。明らかに深くより聞こえてくる、落ちた結晶の残響が届かぬ場所に行った事を明白に告げてくる。
思わぬ失念とミスに、幸運が手を振りながら離れていくのを感じる。やってしまった。目の前の底見えぬ断崖に広がる暗闇が、そのまま自身の終わりそのものと感じられる。
最後の最後で、とんだ大ポカだ。一度砕けた剣は二度と元の輝きを見せない、そんな事はわかっていた。わかっていたつもりだったのに、諦めが手に入る筈の宝を消してしまった。
砕けた希望を体現する様に、アイシャは崖の前で両膝と両肘をついて崩折れる。悔やんでも謝っても、あのお宝は戻ってこない。それでも、心は折れて体は詫びる形を取る。
本来は宝を手にしていた筈の掌で、何も無い地面を強く握り込んだ。
「ぉごぉお゛ぉっ……ん?」
握り込んだ手先が、熱い。その感覚が目を開くよう急かす。
輝いている。握り込んだ掌が、地面に触れた指先が、膝先が、両の脛が。
いや、下だ。肌で触れている、
「ッ!?」
異常な光景に思わず飛び退き、体を起こす。自分の手足の痕跡の様に、淡い光がその場に残る。
掌の熱は未だ感じ、内側から輝きが漏れている。手の甲を地面へ向け、ゆっくりと指をほどく。
光っていた。手が輝いている。違う。
「……!!」
もう一度自身の跪いた場所に膝を下ろし、左手で地面の表面を擦り、自身の前へと砂を集める。
そうした所で、赤子が作った様な小さな小さな砂山にしかならない。しかし違いは歴然だ。何故なら、その全ても右手の砂と同じく、指に触れたことで光を放つようになっていたのだから。
「あ、えっ、あ」
革袋の中に仕舞うべき宝を前に、戸惑いが隠せない。目の前にある光の粒子は、なんら当たりを付けずに、ただ地面を撫でただけで集まっただけのものだ。
思わず横へ手を付ける。そこも光る。足から離れた斜め後ろに手を付ける。光る。真後ろを触る。光る。
光る、光る、光る。どこに手をつけても、足をつけても、探す必要も無いと言わんばかりに、アイシャの一挙動全てが光の軌跡となって残り、それら全てが宝であると示す。
ふと、再び髪と顔に粉が振ってくる。指でなぞれば、それも光る。上から、光の雪が降ってくる。
「――うそでしょ」
断崖の奥にばかり向けていた明かりが、アイシャの動揺と共に揺れ動いて淵と崖面を見せる。
その崖の腹は全体的に刺々しい隆起が見える。だが、その尖端は全て透明だった。その全てが、燭光石の結晶だった。
第四階層編、はいよーいスタート
手作りのストラップを量産したら「女子かよ」と言われた事がありました。そうあれかしと。