トゥエイル洞穴の小天蓋   作:灰の熊猫

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そんなんあるわけ

「わだっ!――ふぃー、ストップストップ」

 

 奥へと跳んでいく最中、着地した一つの足場の端が衝撃によって僅かに崩れ落ちる。その音に過敏に反応したアイシャは、右手に掴んだロープを肩より高い場所に構えながらもその場で止まる。

 幸いにも、足場に亀裂が入る事はなかった。一息をついて一旦休憩を入れる。

 

(崩れないで下さいよね、お願いだから)

 

 アイシャはこれまで、谷から林立する突出した地形を足場に、跳びながら進んできた。しかしその足取りは、当初の勢いを失い始めていた。

 最初こそ勢い良く渡れたが、ある程度進んだ所からそういう訳にもいかなくなった。地盤がいかに固くとも、足を付けるには細かったり狭かったりする様な足場が増えてきたのだ。

 それ以外にも、着地する面積こそ十分でも僅かにヒビが見える足場などもあった。そういった物を避けるべく、跳ぶ前には必ず軽く先の足場の状態を一瞥する必要が出てきている。

 その安全の見立ては此処まで間違いは無かった。今足をつけている足場もそうだ。端が崩れ落ちたと言っても、ただ宙に小さく突き出た足場の余分な突起部が、アイシャの着地時の衝撃によって落ちていっただけに過ぎない。

 だが、小石一つが落ちる音が立つだけであったとしても、この跳躍一つ一つに命がかかっている以上は足を止めざるを得ない。

 

「うーん、こういう足場もちょっと増えてきましたね」

 

 アイシャはこれまで足早であっても、そういった注意に関して十分に神経は割いていた。しかし少しずつ足場の様相が変わってきたのを見て、不安は隠せない。

 今足を置いた場所は破片が一つ落ちただけで、実際にはアイシャが乗り続けていても全く崩れる事無く支えてくれている。しかし、跳び始めた直後の足場群は、そういった一つの破片も出ない程に確かな地盤だったのだ。

 そういった場所を跳び続け、着実に奥へと進んでいる自覚はある。しかしいつまで経っても、安心して歩いて通れる様なスペースに辿り着けない。

 足場と足場の間も少しずつ開き始め、それぞれの面積も全体的に見ればどれも狭くなってきている。これ以上足場間が広くなるようなら、助走なしで渡るには少々厳しい。

 その上、先程の様な足場からの転石。常に崩落を警戒するアイシャにとっては、心臓に悪い事この上無い。それら全てが、アイシャのペースを遅くしている。

 

「……むう。結構降りてきちゃいました、かねぇ」

 

 今いる足場が本当に崩れないかどうか、軽くその場で足踏みをして確かめながら、アイシャは後ろを振り返って見る。

 これまで跳んできた足場は、常に一定の高さを保っている訳では無い。当然のことだ、人の手で整えられてもいないこの洞穴が、通行用にお膳立てされている訳も無い。

 一瞬の間だが飛び降りる事になる激しい落差、膝より高い位置にある次の足場。流石に鈎付きロープを引っ掛けなければ踏破も出来ない様な場所は避けてきたし、それが必要になる程の段差は幸い無かった。

 だが、これまでのアイシャの道程は、どちらかと言えば下へ下へと向かう物だった。

 足場を乗り継いで戻れない様なルートは選ばなかったが、上方か下方、どちらが進みやすいと足場かと選んでいけば、移動方針は自然に降りていく側に寄る。

 

(とはいえ、悪いことだけじゃ無いハズです)

 

 小休止を挟み終え、近くにある地形へ慎重に目を向けながら、少し下方に降りた場所に生えた足場を次に跳ぶべき場所として見定める。

 今移動している地帯は、燭光石の含有量が少ない故に足場として安定している。その事もあって未だ移動中に結晶を見掛けてこそいない。

 しかし、この地帯を降りた所から崖の方向へと向かえば、中腹にあった結晶を採掘出来る可能性がある。

 

「……その通り、とはちと期待出来そうも無いですが」

 

 その楽観的な可能性の低さは理解している。この場所に着く直前、諦め半分による不注意から結晶を蹴って落としてしまった、あの時の光景を思い出す。

 崖から覗き込んだ限りでは、あの崖面に足をかけるような場所は、少なくとも目に見える範囲では無かった。だからこそロープで吊られながら採掘をしようと一度は考え、そしてその考えは崖側の地盤の弱さにより挫折した。

 此処はとてつもなく広い大洞穴ではあるが、空間の大半を占めるのは崖や谷による暗闇ばかりで、歩き回れる足場の割合はそれに比べれば恐ろしく少ない。

 現にここに至るまで、石扉のあった大空洞以外の足場は、少し歩けばすぐ崖際や谷底が見えてしまう程に狭い道ばかりだった。

 アイシャがこうして乗り継いでいける足場があるのは、ほぼ偶然に等しい。そんな中で、地盤の脆い結晶の崖で採掘出来るだけのスペースが見つかるかどうか。流石に、そこまでは楽観的にはなれなかった。

 

(理想はあの崖面のどっかまで、ここと同じぐらい堅い地盤がにょっきりと伸びてて――でしょうけど……うん、流石に無いです)

 

 安全を期して崩れないだろう足場を選び、ゆっくりと一跳びずつ刻みながらアイシャは着実に奥へ、下へと降りていく。

 自分が最初に見た崖は、今居る場所からほぼ真反対の位置だ。出来ればそこへ行きたいのはやまやまだったが、足場はどこまでも奥へと偏移するばかりで、崖の方角へは戻れずにいる。

 ここまで進んできてハッキリした事だが、燭光石を含む地層と堅い地層は相反する位置関係にある。大空洞の壁側付近を境目に、その両者は入り交じること無くこの洞穴の内部を構成している。

 片方が立てば片方が引くという程に綺麗に地層を真っ二つ、という訳は無いだろうが、それでもアイシャが動きやすい場所に結晶が少ないのは、これまでの跳んできた過程で思い知った。

 アイシャが最初に睨みを付けた崖側へ向かえば、確かな足場が無い。足をつけて動き回れる場所をいくら進んでも、結晶は見当たらない。そういったジレンマがあった。

 

「やっぱ、うまいだけの話なんて無いです――かっ、と!」

 

 この場の事情を頭でまとめ、アイシャは大股二歩分先にある足場へと大きく跳び乗る。

 結晶の生える地層からどんどん離れてしまっている事はわかっている。しかし、焦る必要は無い。こうして進んでいった先に、たまたま結晶が採れる場所がある可能性だってゼロでは無い。

 なんなら、この調子で一歩一歩降りて崖底を拝むのも良い。崖面の結晶は主に中腹から見られ、手の届くすぐ浅い場所には生えていなかった。

 この地層は下へ行けば行くほど、燭光席の含有量が多いのかも知れない。なら、崖の底なら?

 

「……建物一個ぶんぐらいの大きさのが、でーんっ!とか。……無いとも言えませんよね、ふふふ……!」

 

 崖底には城の様に巨大な結晶塊が突き立っている。そんな脳裏に浮かんだ荒唐無稽な想像も、ただの妄想とは断じきれない。

 何せ、未踏の洞穴なのだ。自分の目で見定めない限り、考えられる夢の全てが有り得てしまう。

 そんなん見つけちゃったら帰る時困りますねー、なんなら売り切れない結晶を豪華に冠とかにしちゃいますかねー。先走る想像が、さらに欲望の呼び水となろうとする心中を抑え、移動を続ける。

 一歩踏み外せば谷底へ真っ逆さまである事への緊張は常にある。だからこそ、淀まず”いつも通り”で動き続ける事が大事だ。

 なのでこれは決してお宝と夢に浮かれているのでは無く、平静を保っているだけなのだ。きっとそう。

 

「ほいっさ!……あれ?」

 

 未だ見えぬ下層の底に夢を勝手に馳せ、また一つ下の足場へ向けて跳んで着地する。その時、アイシャの五感がそれまでとは違う僅かな空気の変化を感じ取った。

 明かりの範囲から大きく外れた奥、肌と髪を僅かに撫でていく空気の流れと、それを伴って遥かな先から聞こえてくる地鳴りの様な物音。

 人一人が跳び回る程度で生じる、僅かな大気の変動と足音とは、規模が根本的に違う。

 奥から聞こえてくるその音は、静寂に満ちたこの場で初めて聞こえてきた、明確な”何か”の存在証明として届いている。

 アイシャの全身が、一瞬で警戒と緊張で満ちた。

 

「――………」

 

 無意識の内にアイシャは呼吸を薄くして体を屈め、自らの気配を抑え込む。

 同時に、速やかに左手で掴んでいた首飾りを腰裏に近いベルト部分に引っ掛け、空いた掌を腰の剣の柄へ伸ばす。

 呼吸を抑えた事で生み出した自身の静寂。それにより、視界の外から僅かに感じる空気の流れと、物音の正体を視えぬ闇の奥から聞き取ろうとする。

 

「違い、ますね」

 

 人間の集団か、巨大な魔物か、或いは崖の崩れ落ちる音か。アイシャは最も警戒すべき事態を三つ挙げ、奥からの情報と照らし合わせていく。

 だが、その全てが違う。頭から確かな分析による答えが返ってきた。

 

(音は一定。空気、こちらが風下。近付いてくる気配も無し。上から下――()()()()()?)

 

 人間の気配としては、音が大きすぎる。魔物の気配にしても妙だ。

 遠くからも聞こえる程に大きな物音であるにも関わらず、その音の調子とリズムはアイシャが耳を澄ませている間、一切の変化が無い。生物による音では有り得ない特徴だ。

 さらに感覚を研ぎ澄ませば、物音は上から下へと、少しずつ大きさを変えながら響いているのがわかった。

 何かが落ちている。だが洞穴の大半を占める、石や岩が滑落するような乾いた音ではない。

 その鳴動は遠く離れたアイシャにまで聞こえる轟音でありながら、高く澄んだ音だった。

 

「……敵じゃあ無い、ですね。見に行ってみますか」

 

 腰のベルトに一旦引っ掛けた首飾りを、今度は首に通す。念の為に腰の剣を左手でも即座に抜けるよう、剣帯の向きを逆へと変え腰に佩き直す。

 剣を一度半分引き抜いてみる。利き手程スムーズとはいかないが、何かに襲われたとしても剣を構えるのを間に合わせるぐらいは出来るだろう。

 姿勢を元に戻し、再び奥を目指して足場を跳び始める。右手は万一の滑落に備えて鈎付きロープを手離せない。いざという時は左で剣を抜く、そのつもりで左腕を腰近くに留め、音の出処を確かめに行く。

 空いた左手が剣の柄に伸びない事を切に願いながら、アイシャは可能な限り着地時の靴音を抑えながら奥へと進んでいく。

 

(自然の音、ですね。……古代竜のいびきとかじゃなくてよかったです)

 

 左へ右へとそれぞれ離れた足場を伝い、一歩一歩足場を跳んで、降りて進む。

 その内に、遠くから僅かに聞こえていただけの物音が確かな輪郭を帯びてアイシャの耳に届き始めた。

 自然的な、何かの音。野外での斥候時、いつか何処かで聴いた事がある様な――それでいて全く聞き覚えの無い程に大きな物音だ――、そんな音だ。近付けば近付くほど、その第一の印象は強まっていく。

 こんな地の底の洞穴で野外で聞くような環境音とは何なのか、頭で考えても想像は付かない。

 とんでもない大きさを持った未知の幻獣が眠る音なのでは無いか。そう考えた程の轟音だったが、この先から鳴り渡って洞穴の大気を揺るがすこの音は、そんな益もない想像よりも遥かに大きかった。

 わからない。耳でわからなければ、眼で確かめるしか無い。

 未知に対し、僅かに本能が怯えを抱く。しかし、自分の記憶に合致しない何かを確かめたいという探究心がそれに勝り、アイシャの足取りは”奥を見たい”という気持ちに急かされ早まっていた。

 

「ぬおぉぉ、す、すんごい、うるさい……!」

 

 近付けどもその音の出処は影も見えない。しかし聞こえてくる轟音は、もはや耳を塞いでも無駄と確信出来るほど強く、大きくなっていた。

 自分で呟いた独り言すら耳に届かない。轟々という鳴動は、もはやアイシャの居る周囲の全てを満たし、聴覚という感覚を半ば麻痺させている。端的に言って、とんでもなくうるさい。

 しかし、どうにも引っかかる。耳を麻痺させる程の轟音を持つ自然由来の音など、聞き覚えが無い。だがアイシャはこの音を知っている。知っているような気が、ずっとしていた。

 野外での、斥候時。何処だ。何処で何時、この音を聞いた。何の音なんだ。

 思い出せそうで思い出せない。そんな脳裏にかかった靄も吹き飛ばされそうな轟音の中、アイシャは足場を進み続け――ふと、肌寒さを覚えた。

 

「……んん……?」

 

 自身の不安のような、精神的な寒気では無い。その場で留まれば、先から冷たい空気がアイシャの後方へと降りていく。全身が、冷気を感じている。

 涼しい、いや少し寒い。落水した時の水気は、動き回っている内に十分乾いている。にも関わらず、奥から来る緩やかな風は体温を僅かに下げる様に後ろへと流れ込んでいく。

 ……水気と、冷気の流れ?

 

「――えっ。いや、そんなんあるわけ……」

 

 その時直感が一つの答えを出すが、理性が一瞬でそれを跳ね除ける。

 こんな場所に、それがある訳が無い。しかしアイシャはその答えを捨て切れず、心の端に引っかかったままに残った。

 前へ、進む。本当にそれが間違いなのか、確かめる為に。二跳び、三跳び、四跳び。

 その先で、答えが目の前に現れた。

 

「……あった……」

 

 目に入ったのは、どこまでも白い壁だった。しかしその壁は、上から下へと()()()()()()()

 轟音と共に、頭の上から来る寒気を全身が感じる。当然だ。その空気は、水を含んでいる。

 見上げれば顔全体が水気を帯びた。壁に見えたそれは、その全てが水飛沫に過ぎない。

 上から下へ、どこまでも落ち続ける、広大な水の壁――

 

「……滝、です、ね……?」

 

 耳を塞ぎたくなる程の音を立てながら、遥かな高さから落ちて来る水の壁。

 離れていながらもアイシャの体を濡らし、手元の光では全体の幅すらまるで見渡せない程の広大な瀑布。それこそが、足場の果ての轟音の正体だった。

 




濡れ場(水分)再び

滝の近くは本当に音が凄い(経験談)
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