「あぁぁ……せ、せめてもうちょいっ、採っときゃよかったっ……!」
石版から飛び降り息を整え、最初にやってきたのは頭を抱える程の後悔だった。
まだもう少し、燭光石を入れる為の袋は空いたまま腰に残っている。採掘の小休止として石版の解明に挑んでいたのに、想定外の現象によって大空洞まで戻ってしまった。
石版に力強くしがみついていたせいで、無意識に左手に意識が集中して火の魔力を注いでしまっている。そんな当たり前の事に気付いた時には、既に崖を昇りきっていた。
もう少し余裕を持って慎重に取り組んでいれば、石版が上昇して地面から抜け出ようとしていた事には気付けたかもしれない。そう考えると、やってしまったという感想ばかりが頭を埋めていく。
もう戻れない。石版は反響音すら消え失せる程の深さにまで落ちていった。なんてこった。
「く、くそうっ……!くそうっ……もう……く、くそぉうっ……」
手に入らず、実質的に失った稼ぎの事を思えば、口汚くなる事を自制する事も出来なかった。
しかしそれも自分の不手際のせいである事である以上、物に当たる事も出来ない。強いて言えば、あれだけの速度で飛行する事について詳しく刻まなかった、石版の作者に対して怒りたい。
だがそんな事は無意味で無駄な事であり、さらに言えば石版には「注意」とは書かれてあった。思い返せば石扉には「飛翔」について触れられていたし、この事態を考えられる事の一つではあった。それがまた、結局は自分の失念である事を示している。
結論。あたしが悪い。あまり受け入れたくない、しかし受け入れなければならない唯一の真実だった。
「んぐぐ……こーなりゃ皿まで、です」
後悔に囚われて座り込んでいてもネガティブな気持ちになるだけだと、アイシャは立ち上がる。
せっかく道をショートカットしたのだ、そのまま帰ってしまおう――では、腹の虫が収まらない。せっかく機能が解明したのだ、こうなれば大空洞の石扉についても調べてやろう。
それに、扉と石版という差異があるにも関わらず、多くの刻まれた文字と様式が同じだった事も少し気になる。
まさか扉がそのまま浮かび上がる、なんて事はないでしょうね。さっきまで体を支配していた浮遊感が想起され、一瞬身の毛がよだつ。
「……ここが崖際なのは確かですけど……扉、どこ?」
見渡す限り平らに広がった光景に対し、ぽつんと一箇所の地面だけに造られた石扉をもう一度探し当てなければならない。
視界の外の暗闇を当てもなく一人で歩かなければならないという大前提に対し、アイシャは口を小さく開いて呆然とした。
◆ ◆ ◆
「――あ、あった……」
目印も何も無い大空洞の地面をひたすら足で
古代の石扉。あちこち削れてさっぱり解読出来なかった、地面に取り付けられた謎の仕掛け。歩いている中、正直無視してもう帰ろっかなとまで思わせたブツ。
見つからずにいたままなら諦めもついたが、見つけた以上は仕方ない。腕ごと下ろしていた肩を戻し、姿勢を正してから石扉に膝をつく。
「もー同じ轍は踏みませんよ。あたしは賢いんです」
手持ちの燭光石の中から一番小さいものを取り出し、一旦地面に置いてから今度は鏨と石頭を取り出す。失敗から学んですぐに修正出来るのが人間というものだ。
石扉の隅に燭光石を置き、鏨を構えた左手の側面で抑えながら右手に石頭を持つ。そして中央に鏨の鋒を向け、まっすぐに石頭を振り下ろした。
「よしゃっ」
最小限の力と速さで振られた石頭は正確に燭光石に刃を打ち込み、三つに割れた。
本当は真っ二つに割りたかったが、砕けやすさを考えれば三分割で済んだと考えるべきだろう。小さく割れた一つのみを除き、残りは小袋の中に戻す。
燭光石が魔力を膨らませるなら、大きさを絞ってやればいい。この状態で多くの魔力を送り込もうとしなければ、さっきの様な激しい挙動は起こらないだろう。
「ふぅー……んっ」
深呼吸を一つしてから、先程石版を動かした時の様に石扉中央の溝に両手をつけ、燭光石を介して左手の魔力をゆっくりと送り込み始める。
先程同様、送った魔力は縁へと吸われて移動していき、そこから広がった燐光が白い扉全体に行き渡っていく。しかし今度は扉全体が光を灯しても、動き出す事は無かった。
「――……」
その事に変に焦る事なく、反応を待つ。発光し始めたという事は機構は失われていない、という事だ。ここでまた注ぎ込む魔力を一気に増やせば、さっきの二の舞が起こりかねない。
魔力を用いる装置には、その量が一定以上に達しない限りは動こうとしない事が多い。半端な動作をしない様に、定量の魔力を得なければ起動すらしない様に設計するのが安定するからだ。
事実、転移装置などの大掛かりな装置は魔術師一人の独力では動かせない事が多い。それこそ名のある大魔術師や、或いは永く生きたハイエルフ、物によってはドラゴンの力を要するものもある。
慌ててはならない。少しずつ、目に見えない
ゆっくりと輝きを増す石扉の様子を、意識を乱さずに凝視していく。その光が瞼と瞳が自然に絞られる程に強まった時、扉から小さな振動が掌に伝わった。
「え、こっちに開くの」
ご、と小さな地響きを始まりとして、石扉は二枚の開き戸の様にアイシャの手前に開き始めた。
中央の溝から隙間が広がり始め、扉に押されてアイシャの体は持ち上げられる。その速度は石版と異なり、極めて緩慢なもので危険は感じない。
しかし中央に手をついていた両手は離れ始め、両の扉に降ろしていた膝を起点に両脚が開いていく。体の柔らかさには自信はあるが、このまま扉が開き切る程の幅までは流石に関節は広がらない。
ゆっくりと斜めに傾く扉に、少しずつバランスは崩れ始める。ダメだ無理。すぐに判断を下し、手と足を石扉から離して後ろの地面へと跳んだ。
「……ちゃんと動いてますね」
アイシャが離れて魔力が途切れても、扉は光を失わず動き続けている。
石版は魔力を注ぎ続けなければ動作が衰えて止まったが、この扉は注ぎ込んだ魔力を内部で貯蔵し、それを使って動き続けているのだろう。むしろ石版の様に、魔力を注ぎ続けなければ動かない機構の方が珍しい。
独りでに動く扉を眺め続けていると、一つの事に気付く。この扉は手前への開き戸ではなく、縁を軸に回転しながら横に動いて開いているのだ。
縁の逆側は少しずつ沈み込み、まるで地面に収納される様に開口部に垂直になっていく。そうして扉は開き切り、真四角の穴が地面にぽっかりと出来上がった。
が、扉の動きは未だに止まらない。完全に開口した後も地面の左右を削り上げながら、垂直に横付けされた扉は下へと沈み込んでいった。
「え、どこいくんです」
ずずず、と音を立てながら光る扉は地中へと消えていく。上から頭を出して眺めただけでは見通せない深さの闇を照らしながら、光が遠ざかっていく。
何故開き切った今も動くのか。それに、開いた穴の奥に何があるのか。疑問の答えを知るべく、首飾りの明かりを穴の奥へ向けた。
「――あ゛」
目を凝らして見たその奥には、離れてる故に見えづらいものの、よく知る――というか、忘れようも無い程記憶に新しい物があった。
少々図形の意匠こそ異なっているが、間違いない。先程アイシャを崖上へと強制的に押し上げた、飛翔の石版だった。
「だわぁっ!……こ、来ない?」
飛び出る。そんな予想が咄嗟に顔を守らせ、即座に体は後ろに転がって穴から距離を取る。
だが、離れてから数秒置いても石版が飛んでくる事はない。冷静になれば、燭光石を介して大量の魔力を直接送り込まなければ動かない様な代物だ、手を離して魔力供給が途絶えている今、動く訳が無い。
おずおずと戻ってからも、石版は動いていない。代わりに扉は穴の奥へと沈み続け、石版のすぐ横にまで動いていた。
「持ち上げ、てる?」
その次に、石版の側面よりさらに下にまで潜った扉はその場で回転したのか、扉の光の大半が石版に遮られる位置にまで移動した。
そして石版の真下に移動した扉はまた一つ重さを増した音を底から発しながら、石版ごと穴を昇ってくる。飛翔の石版には光が灯っておらず、あくまで扉の力によってのみ持ち上げられている様子だった。
何十秒もの時間をかけ、緩慢に動く扉は最後まで一定の速度のまま、先程閉ざしていた位置に飛翔の石版を持ってアイシャの目の前に帰ってきた。
「……えっ。あの、それだけ?コレだけ?」
石版だけを持ってきて再び穴を閉じた状態に戻った扉は、目の前で光を失って沈黙した。
ただ底に入れた石版をリフトする為の機構。それがこの扉の機能の全てなのだろう。
それだけの為にわざわざ魔法の仕掛けを造ったのか。確かに相当量の魔力が無ければ動かせない、というのは実質魔術師以外の使用を禁じるというセーフティにはなるが、それにしたって迂遠が過ぎる。
昔にこの装置作ったヤツ、多分頭良い馬鹿だ。ほぼ確信に近い断定で思考を打ち切る。
「えぇと……使え、と?」
石扉について考えるのはやめて、目の前に持ち上げられた飛翔の石版について考え出す。
こんな勿体ぶった仕掛けで登場した、さっき自分を殺しかけた石版。表面の彫り物の意匠は、鳥頭の人間に翼が生えている、という所までは共通している。
だが、正面を向いている鳥人は体の前で腕を組んでおり、その腕からも小さな翼が生えている。さらに崖下で見つけた石版は鳥人を中心に対角線を描くような四枚の羽が生えていたが、この石版の鳥人は扇の様に六枚の羽を広げている。
また、崖下では埃が積もっていた為にはっきりとわからなかったが、新品の様に綺麗なこの石版の鳥人の翼にはそれぞれ呪文に用いられる刻印が細かく施されていた。
(めっっっちゃ、あやしい)
自覚できる程に顔を歪ませながら、アイシャはこの石版に悪感情を抱いていた。
正直な話、この石版に関わりたくないという気持ちが大半だ。これがこのまま上昇するなら、天井と石版にサンドイッチするだけだろう。ぺっちゃんこだ。
たとえ飛ぶ方向が異なっても、どこへ行くかわかったものではない。君子危うきに近寄らず、このまま道程を巻き戻し遺跡を脱出、帰還して燭光石を換金するのが最も妥当な選択だろう。
「……う、うーっ……!き、気になるっ……!」
しかし避けたい気持ち以外にも、これだけ大掛かりな仕掛けで隠された石版の意味を知りたいという好奇心と、その行き先に何かあるのか、何があるのか、あるならば確かめたいという冒険心が頭の中では共存していた。
確かに君子は危険よりも安全を取る。だが、
目の前には未知という名の冒険がある。それを確かめずして帰るのなら、きっと今日の寝床でいくらかの後悔と残った疑問に悶々とさせられるだろう。それは、なんかヤだ。
それに、盗賊団が上の階層で
頭の中で思い付いた理由が、あれこれとひたすら浮かび上がる。だが、そんなものは結局は後付けに過ぎない。結局の所、危険への恐怖より未知への興味の方が上回っている、ただそれだけなのだ。
「――あ゛ーっ!やめですやめです!乗りゃいいんでしょ乗ればー!」
結局、迷いを残すよりすっきりと解消する方を選んだ。毒を食らわば、と考えたばかりなのもあるし、未開の遺跡が危険なのは今に始まった事じゃないのだ。
やってやる。やればいいんでしょ。自棄気味にアイシャは勇気を出して、石版に足を乗せた。
「おっしゃ、行きますよー……ゆっくりー、ちょっとずつ、ちょびっとずつ……」
いつ動いてもいい様に体を屈めて重心を低くし、燭光石の欠片を両手で包み石版に押し付ける。
先程と同様、しかし格段の慎重さで火の魔力を通し、燭光石で増幅して石版に注いでいく。崖下でやった様な急発進はもう御免だ、絶対に制御出来る速度に抑えてみせる。
縁から中央へ、鳥人から翼へ、翼から呪文へ。ゆっくりと魔力の光は浸透していった後、アイシャを下から照らし出す程に輝きを増していく。
魔力、足りるんでしょうか。石版の輝きが増す毎に額から汗が滲み出してきており、短時間で何度も精神を費やしてしまっている事を考えると、幾らか自分の余力が不安になってくる。
そんな不安をよそに、石版はその場から浮かび上がり始めた。
「お、おっ?」
そのまま上昇を続けるかと思いきや、石版は一定の高さに至ると同時に、高度はそのままに水平方向へと進み出した。
石版は宙に浮かんでいるにも関わらず不思議な程に揺れる事なく、真っ直ぐ地上から五・六フィートの低空を保ったまま横へと飛行、いや浮動していく。
少しずつ石扉から離れていく飛翔の石版がどこへ向いて動いているのかは嫌でもわかった。その進路は先程アイシャが歩いてきた方向――崖際方面だった。
「や゛、いやっ、ちょ、やだーっ!ま、またあっち行くんですか!?」
折角時間をかけてやって来たのに、すぐさまとんぼ返りさせられる。その上行き先は死の恐怖と脅威しかない崖ときた。まるで崖の方から手招きをしている様な錯覚を感じる。
まだ崖は見えていない、降りるなら今の内だ。頭の隅から安全を確保しろという警鐘が言葉となって心に絡みついてくる。だが、一度行くと判断した以上はすぐに戻るという選択は取れなかった。
「あ、あわっ、あっあっ」
再度湧いた迷いに板挟みとなっている間に無情にも石版は動き続け、視界の先に崖が見える。
どうする。どうしよう。やると決めたのにも関わらずいざとなれば結局は迷ってしまう自分の臆病さに嫌気が差すが、今はそれどころじゃない。
崖際が近付く。もう目の前だ。行くか、退くか。
――退きたく、ない。
「――あぁぁー……は、離れていくぅうぅっ……」
一度決心した事を、完全には曲げる事は出来なかった。迷いと不安、幾許の後悔を抱え込みながらも、アイシャはそのまま崖より先へと飛び続ける石版の上から動かずにいた。
やっとの事で足を着けた地面が、遠ざかっていく。もはや跳躍しても届く事は無く、崩れやすい崖際へは鈎付きロープを引っ掛ける事も出来ない。
早まったか、一時の好奇心でとんでもない過ちをやらかしているのではないか。冷静さが次々に反省を促してくるも、もはや手遅れだ。行くと決めちゃったのだ。もう決まってるのだ。
「頼みますよホント……!コレで何も無かったら恨みますからね……!」
今出来るのは、この石版の行先にまともな足場がある事、望むことならば隠された古代の宝物などがある事を祈る事だけだ。
これだけの仕掛けの先に何もありませんでした、などという事があればこの石版の製作者に呪詛の一つや二つや五つぐらいは吐いても許されるだろう。きっと神も許す。その位には、この世界も寛容な筈だ。
明かりを向けても、もはや崖は見えない。周囲に暗闇だけが湛える虚空を、アイシャは小舟で海を漂うかの様な心境のままに体を縮めて運ばれていった。
フライング・リトライ
扉の挙動・構造については「引き込み扉」か「グライドスライドドア」で画像検索してください。