「あぁー……うぅー……」
自分の体を吹き飛ばすような速度にしないように浮動し続け、数分が経過していた。今や明かりで照らせるのは自らと足元の石版だけで、周囲は全て黒で覆われている。
ちりちりと降っては僅かに手足や首筋に撫でていく洞穴の塵粉だけが、時間が進んでいる事を証明している。それを感じなければ時間が止まっているのではないかと感じる程に、今アイシャから見た風景はずっと変わっていなかった。
暗闇、孤独、静寂。自分の感覚を鈍化させ続ける環境が、心の不安の残り火を再燃させる。
「い、いつまで飛んでりゃいいんでしょ……」
地面が恋しい。普段は有り得ない状況が、普段有り得ない感想を抱かせる。
魔法の石版は異常な程揺れないままに進んでいる。ともすれば崩れる危険性のあった崖の近くを通ってきたアイシャにとって、自分が動かない限りは心配する必要が無いというのはありがたい。
だが、代わりに今自分がどこを飛んでいるのか、どこへ向かっているのか、何もかもを知る事が出来ないままに時ばかりが進んでいく。無知というのは知識を最大の武器とするアイシャにとっては、最も打倒すべきものであり、恐怖する物だった。
そんなものに何分も睨まれていれば、流石に気分は下向きとなってくる。
「あ゛ーっ……っていうか、帰る時どうすんでしょ……」
不測の事態で動転していたが、考える時間が出来た事で一つの問題に気付く。
この石版は一方通行だ。崖下の物と機能が同じなら、魔力を注ぐのを止めれば動きも止まる――つまり、落下する。しかし魔力がある限り決まった方向へ進み続けるだけ。
つまり、戻れる保証が無い。滝を突っ切って戻る時はそれ程距離が無かった為にどうにでもなると考えられたが、これだけ長い時間飛行する以上自力でどうにか戻れるとは思えない。
勇気を出したつもりで乗ったが、それは無謀だったかもしれない。冷静になればなるほど、今置かれている自分の状況が麻糸の綱渡りに等しいものだと自覚していった。
「はぁぁーっ……――あっ」
また溜息を吐こうとした時に、変わることの無かった視界に変化が訪れる。
明かりの内側下方に、光を疎らに反射する斜面が見える。遠くへ目を凝らして見れば、燭光石の小さな結晶が傾斜のある地形に粉雪の如く散らされているのがわかった。
斜面の先に目を向け、石版は動き続ける。少しずつせり上がってくる地形の正体は、緩やかな崖面だった。浮いて進む自分と石版に対し、少しずつ地形の高さは近付いてくる。
飛行している今の高さから数メートルの所になった所で、地形はほぼ水平な地面となった。
「よ、よーしよしよし!ちゃんとありましたね!いや知ってましたけど!確信を持って飛びましたけどね、うん!」
ようやく待ち望んだ
しかし地面が見えても尚、石版は真っ直ぐに飛び続けている。アイシャを乗せている石版はそのまま、地面の上で一切高度を変えず、水平に進み続けた。
「……あのー、どこまで行くんです?あのー」
新たに湧いてきた不安を疑問に変えて石版に投げかけるも、決して言葉など発しはしない、ただ与えられた機能に沿って浮動し続ける真っ白の足場はそれに応える事はない。
相当に長い時間を真っ暗な空で過ごしていた身としては、一刻も早く真下の地面に降りてしまいたい。が、仕掛けがまだ動いている、というのがそれを躊躇わせる。
魔法の
なら、この石版にとっての”完遂”とはなんだ?崖下の石版の様に、魔力が切れるまですっ飛ぶ事か。それとも、何か他の”終わり方”が用意されているのか。
崖下のものと比べると意匠も刻印の字数も大きく異なるこの石版は、何を目指して飛んでいる?
「――げえっ、壁っ!?」
そんな事を考えて足元の石版を注視していたが、ふと視線を前に戻せば飛んでいく先には石壁があった。
考え耽っている間に、相当の距離を飛び続けていたらしい。このままのペースなら五秒もしない内に、塗り壁の様に真っ平らな石の壁に接触する。
速度は十分に調節しているとはいえ、このままぶつかるのはまずい。石版が傷付く事があれば飛行する機能が削られるかもしれないし、何よりただ両手をついただけという不安定な姿勢の自分が、その拍子で壁に突撃する。主に頭から突っ込む。
(え、え、
もしかしたら壁にぶつかって止まる、なんて原始的な手段が”終わり方”なのかもしれない。あるいは目の前の壁は見せかけのもので、この石版に乗っていけばするりと抜けていけるのかもしれない。
どちらも、不合理的な考え方だ。だが”魔法”なんてものは、知れば知るほどに信じられなくなる様な道理に合わぬ存在だ。実際に何が起こるのかなど、実際に造った本人にしか知り得ない。
止めるべきか、行くべきか。迷ったままに、壁があと少しの所へ迫る。結局どうすべきかを判断しきれぬまま、次に起こる”何か”に備えて、アイシャは強く目を瞑った。
そして、ごごんという重い音を伴った衝撃が来た。
「――……んっ?」
が、それはアイシャの真下からやってきた音と振動だった。
恐る恐る目を開けてみれば、壁は依然目の前、それこそ腕を伸ばせば届きそうな位置にあるも、既にアイシャの体は――正確にはそれを乗せた石版が――動いていない。
というか、いつの間にか地面に降りている。手は離していない、魔力も持続している。
なんでこんな壁の直前に降りたのか、きっかけは何か。そう思って再度石版を見下ろせば、その真下の地面にはそれより一回り大きい白石の隆起があった。
「おっ、おうっ?」
その次にアイシャを乗せたまま、石版が横へと動き始める。より正確には、その場で留まったまま石版だけが回転している。
どういう事なのかアイシャが困惑している間に、石版は半回転した所で完全に動きを止め、輝きが少しずつ消えていく。それを最後に、手から流れ続けていた魔力の流れが線を切った様に絶たれた、そんな感覚があった。
「これが終わり、と」
石版に押し付けていた燭光石を持ち上げ、元々収めていた小袋へと戻す。どうやらこの石版の役目はここまでらしい。
帰る手段についての疑問も同時に解決する。確かに同じ石版を反対の方向へ向ければ、そっくりそのまま帰途となる。他の石版を用意したり、帰る為の別の呪文を彫り込むよりもずっと手っ取り早い。
今石版が着陸している白石が、石版が止まる場所の目印だったのだろう。思った以上に単純な終わりに少々肩透かしを食らったものの、無事に渡り切る事が出来たという結果が大事だ。
「で……どこです、ここ」
何はともあれ、まずは状況把握が最優先だ。探索をしに来た以上、じっとしている訳にはいかない。その場で立ち上がり、石版を降りて辺りを見渡す。
真っ先に目につくのは、整然とし過ぎた風景――整地された空間だ。地面から壁に至るまで、大空洞と同じくろくな砂利も小石も転がっていない、不自然な空間。それが街道よりも真っ直ぐ、見える限りずっと伸びている。
目の前の壁は離れた等間隔ごとに半分だけが埋め込まれた円の石柱の様な飾り付けが成されている。剣で突いても特に反応は無かった為に指で触れてみたが、空気中を漂っていただろう塵が表面についているだけで、手で削り造った特有の凹凸が少しも感じられない。
「……こいつを造った主がやった、と考えるのが普通ですね」
既に眠りについた石版を一瞥し、もっとも考えられうる可能性を自身の結論とする。
石扉の仕掛けといい、石版の制作者は何から何まで魔法の力で完結させようとする、典型的な専門魔術師だ。大仰な仕掛けと必要な魔力の割に、地味な動きであるものであるのがその証拠だ。
飛翔する石版はともかく、石版を収納していた石扉などは他にどうとでもなる。それこそ扉が手前に開くだけでも良かった筈だが、手間をかけて少しでも見栄えを良くするという意志がそこには見受けられる。
力を持て余している道楽者。それが魔術師に対する
「だからって、ここまでしますか普通」
石や土の加工・操作が得意な魔術師によるものと仮定しても、この周辺で特に多く見られる整地された空間は明らかに必要な
魔法で起こす現象の大きさは魔力に比例する。だが、大空洞やこの場所の広さは異常と言っていい。思えば最初の場所から斜坑を降りた先――二階層目に見られた通路も、ここと同様の平坦な造りだった。
少なくとも人間の魔術師一人では、これだけ広範囲の整地はほぼ不可能だ。単に穴を掘る・石を削り飛ばす術を何回、何十回使えば出来るのか。それだけの力を費やす必要など、どこにも無い。
魔術師が何人いても、結局は同じ結論になる。それならこの空間は、とんでもない魔力を要する潔癖症の魔術師が数人、下手をすれば一人でやった事になる。
こんな馬鹿な事に同意して付き合う遊び人が、何人もいるとは思えないのだ。
「……まぁ、いっか。歩きやすいのは助かります」
考えれば考えるほど壮大な規模の、無駄を省かれた無駄な空間は腑に落ちないが、探索に余計な事を考えずに済むならそれに越した事は無い。
単なる飾りかもしれない壁際の石柱部と、視線誘導を警戒しその周囲の地面に気を払う。罠があるかはわからないが、あるとしたらその辺りだと目星をつける。
ひとまずは、壁沿いに進んでみよう。何かがあるとすれば整地が途切れる崖側より、整地された道の先だ。そう考え、アイシャは左手を添えながら壁沿いの右側へと進み始めた。
(まずはこの壁がどこまで続いてるか、全部確かめなきゃなりません)
整地された地面と壁面、人の意匠による石柱。それならこの先には、必ず何かがある。
これはもはや予想ではなく確信だ。そうでなければ、乗ってきた石版の様な相互移動手段など有り得ない。出来ればお金に替えられるお宝がいいなぁ、そうであってほしいな。もはや期待は希望に成り代わる程に高まっている。
適度な警戒と未だ見えない夢に意識を向けて歩いていったが、その夢が膨らみ切らぬほどの早い段階で道の
「……竪穴……?」
整えられた道が途切れた先には、荒れた岩肌に大きな亀裂が入って出来た様な短い通路と、その先にがっぽりと上下に空いた竪穴があった。
だが、竪穴の中はここまで見られた魔術によって
穴自体の広さは然程でもなく、不均一な幅とうねりを考えれば、大人が一人通れる程度のものでしかない狭さだ。少なくとも誰かが通行する為のものではないのは、梯子も何も無い事が示している。
(自然に出来たもの、でしょうか)
人の手でなんとか掘り進んだものか、この地層に元々存在した自然の竪穴か。少なくとも先程の道を拓いた魔術師とは無関係だろう竪穴は、どちらか判別し辛い。
というのも、元々この廃坑の地図には立坑が二つあった。アイシャがようやっとの思いでロープと楔を駆使し降りた東の立坑と、うっかり盗賊を暗殺してしまった採石場近くの――土石によって塞がれていてショックだった――西の立坑だ。
東の立坑は底に水流が流れていた為、この竪穴が立坑だとすれば西の方になる。”奥”の階層自体は地図には載っていないが、立坑そのものが元々深く作られていた可能性もある。
実際に登らない事には、これが立坑なのか自然の空洞かどうかは確かめられない。が、流石にそれを今確かめる気にはならなかった。
「よし、ハズレ。逆行きましょ逆」
明かりで見通せない程の深さで、狭く自然に近い竪穴。まるで魔術の手が入っていないこんな場所が”本命”、即ち飛翔の石版の作成者が意図した何かであるとは到底思えない。
瞬時にこの場所への興味を失ったアイシャは、すぐさま踵を返して逆方向へと向かった。
「なんかあるのはこっちですかね」
既に罠が無いとわかっている道程を早足で戻り、石版の着地点から見て左側へと歩く。
道に対する警戒は最低限に保ちつつ、綺麗すぎて代わり映えの全く無い平たすぎる石の道を抜けていく。罠らしい仕掛けの影どころか、先程の石版が降りた場所以外は前を見ても後ろを見ても道、壁、石柱の繰り返しで、それ以外何も無い。
これ本当に何かあるんですかね。しばらく歩く中、本気でそんな考えを抱き始めた頃になって、アイシャの視界の遥か先にぼんやりとした光が見えた。
「――光?」
自身の持つ明かりによるものではない、明かりが届かない所に見える以上、光の反射でも無い。
近づく毎に、その光は大きく膨らんでいく。歩きながら目を凝らしていけば、光自体が大きくなっているのではなく、近くで固まっている複数の光源が重なって見えている事がわかった。
そして、アイシャは光の麓に着いた。
「……光の、石柱」
手をついていた壁が途切れた道の先には、大きく拓けた広間があった。
その広間には円状に離れて配置された六本の大きな石柱と、そこから中心に向かって伸びる細い溝、そして溝の交わる先に円盾の様な小さな隆起がある。
何よりも目につくのは、それらの石柱の上に浮かぶ光の珠だった。松明の上で灯る火の様に、しかし一切揺らぐ事のない真っ白の光が留まり続けている。
「さらに、いかにもな扉、ときましたか」
そしてその次に目についたのは、その石柱の光によって照らされて奥に見える、石の大扉だ。行き止まりの石の壁に直接埋め込まれた様な扉には、開く為の持ち手も閉じる為の鍵穴も無い。
扉の表面には無数に伸びる放射状の線と無数の円を組み合わせ、その線と円ひとつひとつの内側にも細やかな紋章が浮き彫りとなった、花弁や太陽を彷彿とさせる荘厳な模様が全体に刻まれている。
扉の合わせ目の中心、即ち模様の中心には半球の様な膨らみがあり、その上から下に至るまで細かく文字が刻まれているのが遠目に確認出来た。
「……まぁ、予想通り古エルスタン語ですね。あーもー、言語学者になった気分です」
石柱群近辺の調査は一旦後回しにし、扉に刻まれた文字の解読を優先する。
これまでと同様、何かしらの魔術的な仕掛けであるのは間違い無い。それなら、扉に刻まれた文字こそがこの近辺の謎を解き明かす最大の鍵だろう。
一連の文字は当然のように古エルスタン語で刻まれており、正直未知を前にした高揚感よりも解読の面倒さに対する億劫な気分が前に出てきてしまっていた。
こうも何度も古語の解読をやっていると、冒険者というか学者みたいで辟易する。が、文句をぶつくさ言い続ける訳にもいかないので、指先で文字の表面についた塵をなぞり取って解読を始める。
「えーと……うへ、滅茶苦茶カッチリした文章だぁ」
行間が少なく一つ一つの単語が長く刻まれた長文に、面倒さはさらに加速した。
小難しい言い回しの文章は複雑に言葉を組み合わせている分、解読が一回り厄介だ。ゆっくりと時間をかけられる状況で無ければ、正直解読などしていられない。
幸い、周囲に物音や魔物の気配は全く無い。静かすぎて逆に怖い程だが、その静寂が今は有り難い。遠慮無く意識を目の前の古語にのみ集中し、文章を一つ一つ読み解き始めた。
「――六、火・光・星……率いる・交わる、転じる・化する……熱き・陽・炎、大地……」
少しずつ少しずつ、組み合わさった言葉の中に点在する中核の単語を拾っていく。
単語の前後や文章の流れ、その一つ一つを自身の知識と解釈で補っていく。解読した部分を忘れぬよう、途中からは羽ペンで訳読した各文章を地上の地図の裏側に書き込んでいった。
あれ、この単語なんだっけ。そんなど忘れと脳内でしばしば戦いながらも、長い時間と数度の休憩を経た後、アイシャはついに概ねの解読を終えた。
「……お、おわった……」
幸いな事に、文字の風化は最小限で留まっており、削られた部分はほぼ無かった。
自身の解釈で大きく補った部分こそあるが、自信を持って”解読した”と言い切れるだけの出来にはなった。
最後に判読して地図裏の一番下に書き直した一連の文章に、改めてもう一度目を通す。
『雲夜に浮かびし、六の矮星』
『星を望みしもの、唯一つの柱』
『柱は星を率いて交え、地の陽火と成る』
『落陽、持ちしを滅し、持たざるを焦がす』
『真の夜来たりて、我が星天は開かれる』
「……なるほど、うん……」
自身の書いた文章を読み直し、うんうんと頷く。そしてアイシャは――
「……ぜんっっぜん、わかりませんね!!」
――だらだらと冷や汗を流し、これ以上ない笑顔で自身の理解が及ばない事を誤魔化した。
これは一体どういう事なんだ、キバヤシ!
それらしい言い回しは苦手です(TRPG脳筋勢)