「……さむひ……さむいよぉ……」
”天蓋”を後にしたアイシャは、またもやずぶ濡れとなった自分と服を乾かすべく、大扉前の石柱郡がある広間でランタンを置いて休憩していた。
所持品・装備品の全て、自分の着ていた服、下着までもが隠される事も無く床に広げられ、その中央に毛布に包まったアイシャがランタンの間近で丸まっている。
背負袋の中にあった毛布も同様に、湖に落ちた時に濡れてしまっている。出来る限り手で絞り、ランタンの火で乾かそうとしたが、流石に水気を全て取る事は不可能だった。
濡れた服を着たまま休憩するよりは遥かにマシとはいえ、それでも湿った毛布の内は寒い。アイシャは念の為左右をきょろきょろと見渡した後、体の前の毛布の合わせ目を少し開き、灯りのついたランタンを毛布の中へと引き込んだ。
「……あぁー……あったか……」
包まった毛布のカーテンの内側、遮るものは何もない素肌でランタンが宿す火の温もりを感じ取る。今いるこの場所は誰も辿り着けない安全地帯であるという安心も相まって、アイシャは今にも眠ってしまいそうな程に脱力感に満ちていた。
とはいえ、こんな場所で深く寝入る訳にもいかない。程良い眠気の中でかくりかくりと首を揺らしながら、眠らないように意識的に呼吸を薄く刻んでいく。
(惜しい事、しちゃったかなぁ……)
今にも眠りそうな自分の意識を繋げるべく、アイシャは自身の斜め後ろにある太陽と花の模様が描かれた、
先程までは開いていた大扉は、アイシャが洞穴を出て休息を取り始めた時にゆっくりと音を立てて元の場所へと戻っていった。
元々時間が経てば閉ざされる様になっていたのか、自分が外に出たのを感知して閉じたのか、仕掛けの詳細はわからない。とにかく、扉はまた閉ざされてしまった。
扉の先で眠りについた星々と華の石が再び脳裏に浮かぶ。しかしその未練に等しい心像を、アイシャは頭を振って掻き消した。
(いやまぁ、コレでも十分すぎる儲けですし。身に余るものは求めてませんし。ホント全然、これ以上は興味とかないですし。惜しくとかないです、ないですね、うん)
多少言い訳がましいのは自覚していたが、本心ではあった。アイシャはもう二度とこの扉を開けないし、この遺跡を出たらあの場所についてはすっぱり忘れると決めている。
此処で手に入れた燭光石の数々は、アイシャの中では既に”この階層の崖下で全部回収してきた”という事になっている。石柱郡・大扉・扉の先の洞穴?何のことですか、あたしサッパリわかんないです。
こんな危険そうな場所に関わるのはまっぴらごめんだ、あたしは自分のおうちに戻る。そして今日の儲けで何もかも忘れるまで酒を浴びるのだ。
それがこの冒険の全てだ。それで、良いのだ。
「……はぁ。さて、そろそろ準備しよっと」
しかし、冒険はまだ終わってはいない。どんな宝を手にしようと、生きて帰還して金銭に替えれなければ意味が無い。詰めを誤れば、自分の宝は別の誰かに奪われて終わりだ。
十分な休憩を取り終え、アイシャは自分を包む毛布を左手だけで掴みながら周囲に広げた下着と服を手に取る。もう一度だけ周囲を確認してから、アイシャは毛布を身体から離してその場で小さく畳んだ。
「ホントに誰も見てないですよね……扉に変な目とかついてませんよね……」
ふと一つ思い当たり、アイシャは両手の衣服で胸と下半身を隠す。魔法の中には、人形や紋様を通して離れた場所から視界を繋いだり、人間の状態を感知したりするものもある。
この大扉と石柱の仕掛けは既に息絶えた過去の魔術師の物であるのはほぼ間違いない。しかし、それでも何かに着替えを何かに見られるのは気恥ずかしい。
念の為に石柱と大扉を見直すが、瞳にあたる仕掛けは見当たらない。さすがに思い過ごしだったか、そう安心してアイシャは手早く服を着直していった。
「うーむ、べたべたする……しゃーなし、です」
時間を置いて干したとはいえ、全ての衣類は未だに湖の水が染み込んだままだ。
乾いた身体から熱を奪おうと、湿った服が纏わり付く。本日二度目とはいえ、この感覚は慣れない。帰る過程でちゃんと乾いてくれる事だけを望み、アイシャは床に置いた所持品を回収していく。
剣を腰の後ろに、ダガーとダークを腰横のベルトに、熾火の腕輪を左手首に、燭光石の首飾りを胸元に。てきぱきと手際よく身支度を整え、最後に床に広げた所持品をそれぞれ背負い袋と小袋に入れ直す。
最後にもう一度周囲を見渡し、忘れ物が無い事を確認し終える。最後にランタンを左手に持って、アイシャはその場を発った。
(さて……油断せずいきますか)
体力の消耗を抑える為に、背を真っ直ぐ伸ばしてゆっくりと歩く。まずは飛翔の石版のある場所、白石の台座まで戻らなければならない。
この遺跡を出る為の確実な帰路は、自分がこれまで歩んできた経路そのものだ。つまりは飛翔の石版に乗って大空洞へ、そこから崖沿いに戻ってこの層へと降りてきた縦穴へ、狭い洞穴を登って地下水脈へ。
地下水脈を水切踵で下った先で立坑を登れば、あとは坑道を戻って地上へ戻ればいい。盗賊達が依然警戒している事は確かだが、ここを潜り抜けさえすれば後はもう安全なのだ。
冒険の山場は先の”天蓋”だったが、正念場はここだ。なんとしてでも盗賊団の目を盗み、遺跡を潜り抜ける。十分な休息を取ったことで、体力もほぼ戻った。あとは、考えた通りにこなすだけだ。
「やっぱり、問題は地下水流ですよねえ」
歩きやすい平らな石の道を戻りながら、一番の問題点を思い浮かべる。帰るにあたり最も警戒すべきなのは、隠密のしようが無い地下水流だろう。
水切踵を使用しての移動は、どうしても大きい水音が鳴り響く。行きは盗賊達から離れる様に地下水流を上った為に見つかることは無かったが、戻りの際水流近くの東採鉱道に盗賊が侵入者を探して歩き回っていたなら、アイシャの立てる水音に反応して近寄ってくるのはほぼ間違いない。
いっそ、地下水流を流されるがままに下るのも悪くないかもしれない。水流の勢いはそれほど激しくはなかった為、上るのは水切踵が必要だったが、蔦の生えた岸辺まで下るだけならそれほど苦心はしない。
強いて言うなら、また身体が水に浸るのがイヤなぐらいだ。
(……そういう日なんですかね……あぁ、せっかく乾かしたのにぃ……)
先のことを考え、心の中でアイシャがぼやく。とはいえ、安全と自分の気分を天秤にかければ、優先されるのはどんな状況だろうと前者である事は変わらない。
とはいえ、まずは目先の事からだ。そうこう考えながら歩いている内に、白石の上で鎮座している飛翔の石版のある場所に辿り着いていた。
手に持っていたランタンを左腰のベルトに取り付けて提げる。ここに来る時にも使用した燭光石の欠片を右手で取り出し、石版の上で座り込んで石を両手で押し当てる。
ひとつ深呼吸を挟んだ後、石越しにゆっくりと魔力を注ぎ込むと、行きと同様に石版はその場で浮かんでから崖の方向へと動き始めた。
「これでようやくオサラバ、ですね。……もう二度と来ませんからねこんなトコ」
捨て言葉を石の通路へと残し、アイシャはそのまま石版に乗って崖から飛び去っていく。
この場所へ来る時にどれだけのペースと時間で飛んできたのかは覚えている。石版へ魔力を少し多めに注ぐ様にして、振り落とされない程度に戻る速度を早めていく。
魔力・精神力の減退による体力の欠如はもう感じられない。ここまでの冒険の疲労こそ全身にわずかにこびりついているが、アイシャの動きを妨げる程の重さでは無い。
これならうっかり飛んでいる最中に魔力切れで崖下へすとーん、なんて間抜けな事も有り得ない。大空洞から飛んできた時は先の見えない不安に押し潰されそうだったが、今は確実な帰路の上に居る事への安心感に包まれている。
「――お、もう着いた。いやぁ、帰りは早いですねえ」
石版を動かす魔力を多く注ぎ続けた事もあって、石版が飛び始めておよそ一分ほどで大空洞の崖際が見える所までやってきた。行きの時は不安のせいか体感の距離がとてつもなく遠く感じられたが、実際の距離はそれほど離れている訳ではなかったのかもしれない。
石版はそのまま大空洞の平たい地面の上を滑る様に進み、石扉の上まで戻ってくる。定められた距離を飛び終えた石版は石扉の上に降り立ち、その場で横に半回転をする。
石と石が擦れる重い音を周囲へ鳴らし終えて、飛翔の石版は沈黙した。
「……ふー。やっぱ、地面の方が落ち着きます」
石版から立ち上がり、燭光石を小袋に戻す。飛行する石版の上よりもずっと安全だと語る地面の確かな感触を靴裏で感じ、安堵する。
この階層を後にするに辺り唯一危険と言えるのは、落下の恐れがあったこの石版の上だけだ。あとはこの階層に着た時の縦穴まで戻り、登っていけばいい。
崖際に点在する足場だの、人が通れない滝の中だの、往路はとてつもなく厄介だった。それだけにこうもあっさりと山場を過ぎた事は少々肩透かしを食らった気分だが、楽に越したことは無い。
(あ、そうだ。この石版、元に戻した方がいいかな)
そのまま大空洞から離れるべく足を一歩踏み出した所で、自分が乗ってきた石版が未だ扉の上に乗ったままな事に気付く。
この遺跡に調査が入れば、いずれはこの場所も誰かに見つけられる事もあるかもしれない。その時に石版がここに安置されていたままなら、その誰かはアイシャの様にあれこれと苦労をする事も無く、向こう岸にまで飛んでいってしまうだろう。
それは大扉の奥に眠るエルフの願いとは反する事だし――何より、自分が苦労した物事を誰かにあっさりとこなされてしまうのは、癪に障る。
出来ればあたしと同じ苦労を味わっていただきたい。そんな性根の悪い思いから、アイシャは
その時だった。
「おーい、そこの!そんなトコでなーに突っ立ってんだよ、サボリかー?」
「…………へっ?」
幻聴ではない。確かに遠く離れた左手側から、誰かがアイシャに声をかけてきていた。
思考は止まりながらも、視線は反射的にそちらに向いた。アイシャ同様、ランタンのものと思われる火の灯りが小さく洞窟の暗闇の中に見える。
見える。見える、という事は――
「……ん?おい、オメー……女……?誰だテメェは!?」
(――ウッソでしょぉおお!?)
一度は止められた思考が正気を取り戻し、状況を理解すると同時にフル回転し始めた。
今自分に声をかけてきたのは、盗賊団の誰かだ。こちらははっきりと容姿を確認出来なかったが、この遺跡内にいる人間など、それ以外有り得ない。
何故ここに居るのか。どうやってここまで来たのか。何もわからないし、考える時間も無い。
見つかった。バレた。ならば、自分がやるべき事は一つ。
(逃げですッ!!)
「そこでじっとしてろよ、テメェ!……あぁ!?なんだ、そりゃ――」
男が走り出す靴音が聞こえる。それが近寄るよりも早く、一度はしまった燭光石の欠片を再び小袋から取り出し、飛翔の石版に飛び乗ってしゃがみ込むと同時に両掌でそれを押し付ける。
駆けてくる足音は一人分だが、その分近付くのが早い。十秒もしない内にこちらに辿り着くだろう、だがそれだけあればこちらの逃走経路は起動する。
三度魔力を注ぎ込まれた飛翔の石版が、アイシャを乗せて浮かび上がった。
「飛ん、でッ……!?」
(ごーごーごーっ!!)
男が石扉の場所にまで辿り着くとほぼ同時に、石版が水平方向に飛び始める。
アイシャが念じるがままに魔力を得た石版は速度を増し、一度は渡った向こう岸へ向けて飛んでいく。とにかく今は、盗賊団の男を確実に撒ける場所にまで逃げる事が先決だ。
「待てやぁ!逃げられると思ってんのか、オイ!」
(思ってっから逃げてんですよ!)
飛行して逃げるアイシャの後ろから男の足音が付いてくる。今乗る石版の速さは常人が走るよりも間違いなく上だと確信出来るほどだったが、そのペースにも後ろから聞こえる足音は付いてきている。
声を上げながら走ってくる男の足音は、徐々に近付いている。相当な健脚だと関心はするが、すぐに追いつくことが出来る距離では無い。そして、ここで追いつかせなければ、絶対に逃げ切れる。
アイシャの視界の先に、崖とその先に広がる遥かな暗闇が見えた。
「げ、崖かッ!」
(よし、逃げ切った!)
後ろの男が崖を見て足を緩めるも、迷う事なくアイシャは崖の先の宙へと飛び立つ。逃げた。逃げ切った。その確信がアイシャの胸に広がる。
完全に結果論だが、石版を使って逃げたのはベストな判断だった。男が速度を上げた石版にも追いつきかねない程の脚を持っていた以上、隠れる場所もろくに無いこの階層で陸路に逃げてもいずれ捕まっていた。
盗賊に見つかってしまったのは痛手だが、この場を凌げただけでも良しとしよう。ほ、と息をついて後ろの崖際で立ち尽くしているだろう男へ振り返った。
「逃がすかよッ!」
「えっ」
声と同時に、アイシャに向けて男が何かを投げつけてきた。ナイフでも投げたのか、そう思ったアイシャが体を強張らせるも、その予想は完全に的外れだった。
がり、とアイシャの後ろの石版の淵から表面が削れる音が立つ。投げつけられたそれは、アイシャ本人では無くアイシャが乗る石版に向けて投擲されたものだった。
視線を石版の淵へと下ろせば、そこには獣の顎を象った大きく鋭い
「オラアッ!」
「――ウッソ、でしょッ!?」
そして男は鉤から伸びるロープを強く握り締めて、逃げようとするアイシャへ向けて大きく跳躍し、石版にぶら下がる様にしてアイシャを追ってきた。
もうちょっとだけ続くんじゃ
盗賊団「簡単にクリアされたら悔しいじゃないですか」