トゥエイル洞穴の小天蓋   作:灰の熊猫

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何言ってんですか

「こ、このっ!外れ、ろっ!」

 

 石版の淵に引っ掛けられた大型の鈎を、アイシャはしゃがんだ体勢のまま後ろ足で蹴り飛ばす。が、掛かっている鈎部分は何度足裏をぶつけても、石版から外れる事は無かった。

 今アイシャは十分な力の入らない姿勢である事を踏まえても、ただの鈎付きロープであれば軽く蹴飛ばしてやれば外す事は容易だ。だが、石版に噛み付く様に引っ掛けられている獣の顎を模した鈎爪は、がっちりと縁に固定されて動かない。

 

牙付き(ファング)ロープ!)

 

 今石版に引っ掛けられている盗賊の男の鈎付きロープの正体を理解し、アイシャが渋い表情を浮かび上がらせる。

 牙付き(ファング)ロープ。獣の顎を模した可動式の鈎に、鋼線で出来たロープを繋げ、ロープを引くと鋭い牙を持った顎部分が強く締まる、冒険者道具の一つ。

 使い手の腕力次第では、猪などの大型獣を捕獲するのにも使うこのロープを外す事は、少なくとも石版を動かす為に両手をついた体勢でいる自分には厳しい。そうアイシャは早々に悟った。

 厳しい、難しい、出来ない。それならば。

 

「うお、ぉっ!?」

(――振り落とす!)

 

 石版へ流す魔力を、さらに増やす。その瞬間、石版が飛行する速度が一気に増した。

 アイシャを乗せて男をぶら下げた石版が、矢のように暗い宙空を裂いて飛んでいく。急激に速度を増した石版に困惑する声が上がり、過ぎ去った虚空で響き渡った。

 両手を付いた状態でなければ石版が動かせない以上、アイシャが取れる対応は限られている。石版を止めた所でどうにもならない、それならより速く動かして男を振り落とす事しか無い。

 

「ナ、メんな、よぉっ!」

「ひぃー!?」

 

 が、男は不安定な空中で石版の勢いに体全体を引かれながらも、素早くロープを伝って登ってきたのか、牙付きロープを引っ掛けた縁に両手をかけてきた。

 そのまま腕をかけ、頭を持ち上げて覗かせる。振り落とすつもりで石版を加速させたにも関わらず、男は今にもアイシャに掴みかからんという所まで登ってきている。

 石版に両手をかけられた状態では、もう崖の下へと落とすのは無理だ。自身の考えに早々に見切りをつけ、回転し続ける思考は次にどうすべきか、答えを求めて頭を駆け巡る。

 

(仕留めるしか、ない!)

 

 その答えは、すぐに出た。

 ペースを上げた石版は、もうすぐにでも向こう岸に着くだろう。崖の下へ落とす事が出来ない、逃げ隠れする場所はどこにもない。

 それなら、別の方法でこの男を排除する事を考えるべきだ。幸い魔術師の時と違って、今この状況の主導権は石版という移動手段を動かしている自分の方にある。

 覚悟を決めろ。そう自分に言い聞かせた時、石版の終点である崖が目に入った。

 

「とぁっ!」

「な――っど、わあッ!?」

 

 石版が崖の上を通過したタイミングでアイシャは両手を離し、進む方向とは逆方向に飛ぶ。未だ飛行中の石版に掴まっている男を置き去りに、アイシャは一足早く地面に着地し、足裏で自らの勢いを殺した。

 唐突に石版から離れたアイシャに目をやった男は、残存した魔力と慣性を糧に移動する石版の行き先――白石の台座の先にある石壁が迫ってくる事に、一瞬反応を遅れさせた。壁とぶつかる前に、男も慌てて石版から両腕を離れさせ、石版を降りる。

 

「だわッ、どっ、とぉっ!」

(体勢、不十分――()れるッ!)

 

 同じ行動、一瞬の差、判断の違い。それらは急に降りた自身の体の勢いを殺すのに手一杯な男と、既に抜剣して男に向けて走り始めたアイシャという二人の姿で表れた。

 いける。武器を手に取るどころか体をよろめかせたままの男は、完全に無防備だ。アイシャは両手で剣を強く握り、肩に担ぐ様にしながら男へ向けて駆けていく。

 男が体勢を整え、こちらを見た。もう遅い。剣を頭の斜め上へ振り被る。

 アイシャが強く一歩を踏み込む。間合いに、入った。

 

「だあぁっ!」

 

 渾身の力を込めた一振りを、男の首へ向けて放つ。

 走り込んできた体の勢い、一際深い踏み込み、全身の筋力。相手の首を落とすという意志と共に放たれたアイシャの一刀は――

 

「おっとアブね」

 

 ――いとも容易く、頭を引くだけでかわされた。

 

「ッ!や、はっ、あぁっ!」

「おいおいなんだ、思ってたよりカワイイ顔してるじゃん」

 

 剣先を切り返し、胴を狙う。男は右腰から幅広の短剣を抜き、短剣を右逆手で引き上げる勢いだけで弾き返した。

 顔面を割ろうと、真っ直ぐに振り下ろす。男はアイシャが剣を下ろすよりも速く、アイシャの左側面へと鋭く踏み込んでそれを躱した。

 男を追って、剣を左真横へと振り抜く。男は空いていた左手で曲剣(ファルシオン)を抜き放ち、その剣の腹で易々と受け止めた。

 

「ぐ、ぬ、ううぅ……!」

「イキがいいなぁ、嬢ちゃん。オレじゃなきゃヤれてたかも、なっ!」

「くうっ!」

 

 片手で構えているとは思えない程の力が込められた男の剣は、アイシャが両腕の全ての力を込めて押してもビクともしなかった。

 数秒の鍔迫り合いは、男が左腕に力を込めて雑に振り払うだけで、アイシャの剣が弾き飛ばされて終わった。弾かれた剣を手放さない様に、アイシャは剣が弾かれた方向へと大きくステップして離れる。

 そして数歩分の距離が空き、互いにその場で睨み合う。ただ片腕の力だけで、剣とそれを握るアイシャの両手はいくらか痺れを覚えていた。

 

「さて、嬢ちゃん。いくつか質問したい事があんだけど――話して、くれるよな?」

「…………ッ」

 

 男は左手の曲剣の剣先をゆっくりとアイシャに向け、口調は崩さぬまま、しかし言葉の内に静かな威圧を込めて飛ばしてくる。

 まずい、最悪だ。アイシャは男を視界に収めたまま、現状の危険性を考える。

 この場所は、石柱群のある場所まで一切の遮蔽物の無い石の平野だ。身を隠す所など無いのは、ここに最初にやってきた時に確認している。

 さらに、逃げ場も無い。此処は一本道の通路であり、片側には竪穴・逆は石柱群と大扉だけ。つまり、どうにか男から一時逃げたとして、どっちに行っても行き止まりが待っている。

 最後に、初撃で仕留めきれなかった。自分が有利な状況で殺せなかった、それは即ち目の前の男の力量が純粋に自分より遥かに上である事を示している。

 じり、と足裏が地面を後ろへ擦る。瞬間、()()()()()()()()()()

 

「――勝手に動くなよ」

「ひぇっ」

 

 遅れて、自分の髪が数本地面へ落ちていく。アイシャが視線を真っ直ぐに戻すと、目の前の男は空になった右手をこちらへ向けて上げていた。

 恐らく、右手で持っていた短剣を右手首の力だけで素早く投擲し、正確に顔の横を通したのだろう。アイシャも投剣は得意としているが、それは投剣専用の小さいナイフでの話であり、少なくとも三十センチはあった男のナイフで同じ精度の投剣は出来ない。

 ここで初めてアイシャは、目の前の男の声に聞き覚えがある事を思い出した。

 コイツは、南採鉱道で魔術師と一緒に居た時、粗野な口調で話していた幹部の一人だ。

 

「……よーしよし、逃げようとか思うんじゃねーぞー?こう見えてもオレは、かわいいオンナノコには優しくてな。出来るだけ傷つけたくは無ぇんだ、わかってくれよなー」

(殺気ビンビンで何言ってんですかこのヤロウ……!)

 

 冷や汗が一滴首筋を落ちていきながら、アイシャは男に注視しながら剣を構え続ける。

 男は左手で剣を構えながら、右手を腰の辺りで留めている。今は空手のままだが、恐らくは次アイシャがまた妙な動きをした時、再び投剣するつもりなのだろう。

 完全に主導権が奪われた。その事に内心で舌打ちしながらも、アイシャは少しでも隙を探るべく目の前の男を強く見据えた。

 

「一つ目だ。どうやってココ来た?」

「……あなたと、同じ道を使って……先に、ここに――」

「すぐバレるウソはやめとけよ」

 

 アイシャがひとまず茶を濁そうとするのと同時に、男の右手が一瞬翻る。ただ右手が震えただけにしか見えないその動作の間に、既にその掌には投げナイフが握られていた。

 全く、目で追えなかった。どこにナイフを仕込んでいるかも、取り出す瞬間も、握った所も。洗練された動作はあらゆる無駄を省いており、アイシャが見切る余地など無かった。

 悪寒が背筋を駆け上がる。目の前の男は腕っ節だけでなく、盗賊としての技巧も完全に自分より上だ。

 

「あの道を最初に見つけたのは外でもねえオレだぜ。ま、あの地響きでたまたま崩れた所に通りかかった、ってだけだけどよ」

「……地響き?」

「おいおい、あんなデケー地響き、知らねーってこたないだろ。大分前に、洞窟(ここ)揺れたじゃん」

 

 地響き。洞窟が揺れた。覚えの無い出来事を持ち出され、アイシャが困惑する。

 本当にわからないといった風なアイシャへ、男は説明を付け加えた。

 

「ズズーン、って大きく揺れたじゃねえか。なんか爆発でも起きたんじゃねーかって感じのよ」

「…………あ゛っ」

 

 大分前。大きい地鳴り。爆発。その三つが重なる所は、一つしかない。

 崖下を目指していた時に差し掛かった、刳り貫かれた空洞の道の中。土砂で塞がれた道を開くべくアイシャ自身が行った、燭光石を用いた発破作業だ。

 その爆風と圧力によって()()()()()()()()()、離れていたアイシャも押し飛ばされて全身を強打した記憶は未だに新しい。というか、それ以外に思い当たる物事が無い。

 

(あの時の衝撃が上にまで伝わって、この場所に繋がる道が開いた……!)

 

 思えば、この層に至る道が一つしかないというのがおかしいのだ。これだけの規模と価値を持つ遺跡なら、奥への道を複数作るのが自然だ。

 ”たまたま崩れた所を見つけた”と、男は言った。恐らく上の階の採鉱道のどこかにあった”奥の層”への道を盗賊団が探している最中に、アイシャが発破作業を行い、その時の振動がキッカケで新たな道が崩れた形で見つかった、のだろう。

 アイシャの主観的には、あの発破はそれほど前の出来事では無い。しかしアイシャは石柱群の仕掛けで長い時間気絶しており、その後も休憩を取ってから戻ろうとした。その時間の分が、男の言う”大分前”だ。

 

「納得いったらしい所で、質問の続きだ。どうやってココに来た、もうウソはいらねえぞ」

「……地下水流を登った先に、道があって……そこから、降りてきました……」

「へえ、あそこに道なんてあんのか。マジかぁ、そいつは見落とすわなぁ」

 

 もはや、一つの誤魔化しも命取りになる。そう考え、アイシャは正直に質問に答え始めた。

 内心で怯えるアイシャをよそに、男はアイシャの返答を真っ直ぐに受け取り、一度は見せた鋭い殺気を緩め、既に打ち解けた間柄の様に話しかけてくる。

 それでいながら、男の剣先と視線はこちらを捉えたまま、ただ一瞬も揺らいではいない。

 

「次だ。嬢ちゃんは、いつこの遺跡に入った」

「……今日の、昼ぐらいです……」

「マジかよ。大したモンじゃねーか、オレらん目ぇ盗んでココまで潜るなんざ」

 

 ははぁと感嘆を漏らしながら、男は大袈裟な程に目と口を大きく開き、アイシャを褒める。

 男は未だに剣を構えているアイシャに対して、あくまで余裕を見せ続けている。それは先程の交戦で、(じぶん)の方がアイシャ(あいて)よりも強いと認識している証拠だ。

 余裕の緩みは、油断の始まりだ。いずれ油断は目に見える形となり、付け入る隙となる筈。

 男の一挙一動、まばたきすらも見逃さないつもりでアイシャは視線を返し続ける。

 

「最後だ。……嬢ちゃん、ローブ着込んだ陰気な魔術師、知らねえか?オレの仲間なんだが、よ」

「…………っ」

「――あぁー、そう、か……やっぱかぁー……」

 

 問いかけと共に、男の声色が僅かに低く抑えられる。

 静かな迫力に気圧され、思わずアイシャが唇を結ぶ。この質問に返答すればどうなるか、体が理解したかの様に口が開かず、噤んだままで留まってしまっている。

 その反応を見た男は、むしろ得心した様な声を漏らした。

 

「アイツを()ったの、嬢ちゃんかぁ……悪ぃなー、嬢ちゃん」

「……?」

「かわいい顔してっから、態度次第では見逃してあげよっかなー、とか思ってたんだけどよ」

 

 男が曲剣の柄を握り直す音が、小さく聞こえる。男がアイシャを睨む眼が細められる。

 隙はまるで無かった。剣を構えてこちらを見ている、ただそれだけで格の違いを既に教えられた身体は竦み上がろうとし、理性だけでそれを押し留めている。

 男の纏う気配から、緩みは既に無くなっていた。

 

「悪ぃが、ダメだわ。残念だが、嬢ちゃんには――」

 

 男は今にも斬りかからんとする程の殺気を、隠そうともせずに立ち昇らせている。

 蛇に睨まれた蛙の様な気分だった。少しでも足を動かせば、構えを緩めれば、その瞬間に男が襲いかかってくる。そんな錯覚に、呑まれてしまっている。

 汗が一筋、また流れ落ちていく。息を、呑んだ。

 

「――オレらのオモチャになってもらうぜ」

「ッ!!」

 

 言葉と同時に、男は空いていた距離を一息でゼロに変える。

 それにアイシャが反応するよりも早く男の剣が一閃し、甲高い金属音と共にアイシャの剣は遥か後方へと弾き飛ばされた。

 




*アイシャは にげだした!

*にげられない! げんじつは ひじょうである!
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