トゥエイル洞穴の小天蓋   作:灰の熊猫

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動きやがれです

「ふぬぉぉををんッ……!」

 

 アイシャは竪穴を塞いでいた鉄板――昇降機に自分が乗っても問題ない事を十分に確認してから、その鉄の足場の上に取り付けられているハンドルを掴み、体重をかけて回そうとしていた。

 が、アイシャがどれだけ身体を反って両腕に力を入れても、ハンドルはぎぎぎと音を立てるだけで、まるで回る様子を見せない。

 

「……ダメですねこりゃ」

 

 力を入れ続けて痺れを覚え始めた両手を、アイシャはハンドルから離す。

 おそらくは鉱石運搬用の昇降機を見て、真っ先にアイシャはこの昇降機による脱出を考えた。今が具体的にどの位置かはわからないまでも、今アイシャがいる場所は未だに地上から程遠いのは確かだ。

 この昇降機が地上まで続いていれば、このハンドルを動かして登っていけばそれだけで脱出、こんな危険な場所からは永遠にサヨナラして自宅へ直帰、それでこの冒険は無事終わりを迎える。

 だが、世界はそこまでアイシャに優しくはしてくれなかった。昇降機は地上まで登っていくどころか、動かすハンドルはめいっぱいの力を入れても時計の長針ほども動かず、足場は動かないワイヤーに縛られたままで固定されている。

 

「まぁ、錆びてるのが当然ですよね……当たり前っちゃ当たり前ですか」

 

 アイシャは動かない原因だろう、ハンドルのあちこちに浮かんだ赤茶色の錆に目を落とす。

 一世代前に使われていただろう昇降機は、完全に固定されている訳では無いが、巻上機とワイヤーに至るまで全体的に錆が見えている。時により外側から張り付いた錆が、心臓といえる巻上機の駆動部を繋ぎ止めてしまっているのだろう。

 こうなると、再び動かすには最低でも潤滑油が――最悪の場合は、巻上機そのものを一度分解する必要がある。

 

(こんな事なら高純度のやつ、もっと持ってくりゃ良かったですかね……)

 

 だが、今アイシャが持っている油の多くはランタン用の植物油ばかりで、ただ火を点ける事を考えたこれを潤滑油代わりに使う事は出来ない。

 蒸留加工済のオイルは一応一瓶持っているのだが、それだけの量で長年手入れされていないだろう巻上機を動かすのに足りるという事は無いだろう。

 そして、こと冒険において”もっとしていれば”という仮定という名の妄想は、なんら意味を持たない。今自分が直面している状況と手札だけが、冒険の全てだ。

 吊るしているワイヤーをよじ登っていく事も一度は考えてみたが、さっきの竪穴をよじ登るので全身の筋肉が限界に近いアイシャにとって、垂直に張ったワイヤー一本で上まで登り詰めるのは、まず無理だろうと結論がついた。

 そうなれば、行ける道は一つだ。

 

「普通に歩いていきますか……めんどくさいですけど」

 

 後ろ髪を引かれる思いだけをその場に残し、アイシャは昇降機に背を向ける。

 そのままアイシャは目の前の鉄格子の扉の鍵を内側から開け、軋む音がなるべく響かなようにゆっくりと押し開いた。

 

「ここがどの辺だか、目印がありゃいいんですけどねえ」

 

 頭に取り付けていた首飾りを小袋の中に入れ、再びランタンの代わりの光源として前方を照らす様にしてから、アイシャは扉の先にある通路へと足を踏み出した。

 三メートル前後の幅を持つ通路は、地盤を削りくり抜いて広げた様に自然的な岩肌で囲まれ、格子扉の直後から一本の鉄製のレールが地面に取り付けられ、まっすぐに道は前へと続いている。

 少し歩く毎に側面の壁が僅かに崩れたのか、道幅の半分以上を小さな土砂がレールに覆い被さる光景が繰り返し見られたが、アイシャの通行を妨げる程の塞がりは無かった。

 ただ、こんな狭く逃げ場の無い場所で敵に遭遇したら、たまったものではない。そう考えながらアイシャは警戒を保って通路を進んでいったが、その不安はすぐに解消される事になった。

 

「――あれ?この場所……」

 

 歩いて数分ともしない内に、通路は終わって開けた場所に出る。だが、そこで見た景色は、アイシャに気の所為と言わせない強い既視感を抱かせるものだった。

 ホール状に開けた空間。隅に追いやられる様に、あちこちで積み重ねられた岩や土砂の小山。アイシャが辿ってきたレールを含む、三つの通路から伸びて中央で交わっている三本のレール。

 そして、その空間には()()()()()()()()()()()が残っていた。

 

(……!備品室前――西採鉱道ですか、ココ!)

 

 不自然に地面に未だ色濃く残る黒い焼痕(めじるし)を見て、アイシャは現在の場所を完全に理解する。

 火炎を操る魔術師と交戦した、備品室の前の集石場。それを理解してようやく、アイシャは今一番の危険地帯である奥の層から自分が離脱した事を自覚出来た。

 

「あぁー……ひ、ひとまずなんとか、一安心ですかね」

 

 周囲に盗賊の気配が無い事を確認し、アイシャは廃石の山の一つに腰を下ろした。

 この遺跡に来てからどうにも巡り合わせの悪い事が続いていたが、偶然見つけた竪穴が上の階層まで続いていたというのは、これまでの不運の帳尻が合った様な幸運と言える。

 あの幹部の男に発見された時はどうなるかと思ったが、ここからは当初の予定通り、反対側の立坑へと戻り、打ち込んだ楔とロープを辿って立坑を戻ればいい。

 

(……つ、つらい……めんどくさい……)

 

 が、一度緊張の糸が切れたアイシャの脳裏には、立坑を登る事への面倒さが湧き始めていた。

 西の立坑を一本のワイヤーを伝って登るよりは遥かにマシだが、それでも立坑を登る事の苦労は今先程の竪穴の登攀で身に沁みてしまっている。

 それでなくとも、今日一日だけでアイシャは疲労を強いられる事が多かった。どれだけ休憩を取って体力を回復したとしても、全身の疲弊が無視出来ない所まできている。

 なんとかラクして帰れないものか。逃避に近い甘えが、アイシャの腰を上げる事を禁じていた。

 

「――いや、待てよ……”備品室”……?」

 

 腰を下ろして現実逃避を続けるアイシャの視線が、斜向いの壁面にある木扉の傍にある木製のプレートで止まる。

 昇降機。備品室。楽をする。それぞれの単語が脳内で整列し、無意識が思考を始める。

 まるで魚の小骨が引っ掛かった様な、言葉にならない小さな違和感がアイシャの頭に残り続けていた。それに従い、アイシャはその場で意識的に考えを巡らせた――ただ休みたかっただけというのもあるが――。

 

「……すぐ近くに、ある……って事は……!」

 

 考え始めてすぐに考えは結実し。アイシャの脚が自然と立ち上がる事を選ぶ。

 昇降機は備品室から、歩いて数分と無い距離にある。そして備品室には切削用具など、かつてこの廃坑で使われた道具が集められていた。

 それなら、昇降機の手入れに使う潤滑油も保管されて残っている可能性もある。いやむしろ、保管されているのが自然だ。そんな考えに従い、アイシャは備品室の中へと入っていった。

 

「まだ調べてない箱は、えーと――これじゃない、これでもない……」

 

 そのままアイシャは一直線に、前にここにやってきた時に調べた収納箱(チェスト)の場所へ近付き、未だ調べていない箱を開けて中身を漁り出す。

 もはや後に片付ける事も考えず、アイシャは一心不乱に収納箱の中身――カンテラ、スパナ、レンチ、砕岩(スチール)ピックなど――を取り出しては床に捨て、中で埋もれているものを確かめていく。

 そうして五つ目の箱――鏨を探した時に漁った箱を含めて――の半ばまで探した所だった。

 

「あったーっ!あった、ありましたっ!」

 

 五つ目の収納箱の中で、アイシャは自分の腰ほど幅を持つ木製のケースを発見した。収納箱の内側で削れたのか、ケース表面にあっただろう文字は今は読む事は出来ない。

 ケースの中を見れば、八つに小分けされた仕切りの中に、コルクで栓をされた掌大ほどのガラス瓶が三本収められていた。その中には、僅かに粘つきを持つ淡黄色の液体が入っている。

 その内の一本の栓を緩めて鼻に近付けてみれば、鉱油特有の突く様な鋭い油の臭いをアイシャの鼻は感じ取った。

 間違いなくこれが、昇降機のメンテナンスをする際に用いられる潤滑油だ。

 

(……キてる、キてますよこれは、あたしの流れ……!)

 

 アイシャは油を入れた三つの瓶と、分解用に使うスパナを自分の背負い袋へと入れ、床に散らした道具を順番も気にせず収納箱へ乱雑に叩き込み、ごちゃごちゃに入れ直していく。

 雑に詰め込んだせいで、僅かに収納箱の蓋の端が積まれた中身によって持ち上がっていたが、もはやそれも気にせずアイシャは足早に備品室を後にした。

 こと脱出に関して言えば、どんな物事よりも拙速は勝る。綺麗に箱を元に戻して痕跡を消すよりも、一つでも多く行動を移す事を優先すべきだ。そう考え、アイシャはやってきた道を駆け足で戻っていく。

 

「――よーし……!やったりますよ……!」

 

 備品室を後にしてから一分もかからず、アイシャは昇降機のある場所へと戻った。

 急ぐアイシャは辿り着くや否や、滑り込む様に巻上機の前へとしゃがみ込み、鉄の足場の上に(パク)ってきた潤滑油の瓶とスパナを手早く並べていく。

 まず、油を入れるべきは何よりも駆動器(ギアケース)だ。巻上機の側面から上部を見て、容器と思われる場所へスパナをかけてこじ開けた。

 案の定、容器の中には油など一つも残っていなかった。アイシャは迷う事無く油の瓶の栓を開き、ガラス瓶が空になるまで入れていった。

 

(これ一本で半分、ってとこですか)

 

 瓶が空になった所で、燭光石の明かりで中を照らして容器に収まった油の量を確認する。瓶一つでは足りないと見たアイシャは、続けて二本目の瓶も中身が空になるまで駆動器へと注いでいった。

 駆動器の内側で十分な量の油がなみなみと揺れているのを確認し、次にアイシャは巻上機の実際に駆動する部位――ハンドルとワイヤーに目を向ける。

 

「そーら、何十年ぶりの油ですよー。呑め、呑めっ……!」

 

 ハンドルの根本や巻かれたワイヤーに向けて三本目の瓶を傾け、油を差し込んでいく。

 実際に放置されて何年が経過されているのかは知らないが、とにかく久々な事には変わらないだろう油を、巻上機の各部位が外から内へと呑み込んでいく。

 吸いきれなくなった油は表面から溢れ、てらてらと明かりを反射して足場へと滴り落ちていく。

 そうして瓶の中身を八割がた注ぎ終えた頃には、巻上機の駆動部分のほとんどが油でぎらぎらと光る程になっていた。

 

「……差しすぎちゃいました、かね?」

 

 まるでそれそのものが輝いている様に油を纏う巻上機を見て、ちょっと調子に乗ってやりすぎてしまったかとアイシャの額から冷や汗が流れる。

 だが、巻上機全体が錆び付いている事を考えれば、いくら差しても問題は無いだろう。

 うん、きっとそう。アイシャは自己弁護を挟んでから、僅かに残った油の瓶に栓をして――捨てるのもちょっと勿体無いな、と感じて――背負い袋に仕舞い込み、手入れを終えたハンドルを再び両手で強く握った。

 

「ふんぬっ、ぐ、ぉぉっ……!動きやがれ、ですー……っ!」

 

 腕力と体重と祈りを込めて、アイシャは固いハンドルを引き始める。

 油は十分に差した。一度回り始めれば、後はそのままの勢いで動かせる筈だ。ハンドルを引く力は少しずつ巻上機の内のワイヤーへと伝わり、ぎりぎりと重い音が立つ。

 アイシャは体を傾けながら目を伏せ息を止め、肺腑の中の空気を全て力に変えて踏ん張る。

 やれる、出来る、回せる。今自分に到来しているだろう流れを信じ、自己暗示すらもハンドルを動かす力に変えていった。

 

「ん゛、の、ぉっ――き、た、きたきたきたぁーっ……!」

 

 力を込めた両腕全体が、少しずつ下がり始める。少しずつ軽くなる感触に目を開けば、目の前のハンドルが円状に沿って動いていた。

 ハンドルが動くとそれに応じて、アイシャを乗せる足場が浮いていく。ハンドルは未だ錆による固さは残したままではあったが、アイシャの力でも動かせる円滑さを取り戻し、昇降機はかつて使われた機構の通りに動かす人間を上へと連れていった。

 

(……マジであたしの時代キてる……!)

 

 回すごとに軽くなるハンドルの感触に、思わず笑みが浮かぶ。

 四回転、五回転。巻上機はワイヤーを巻き取り、見えない上方に設置されている滑車を経由し、ハンドルを回す力を何倍にも変換してアイシャ自身を足場ごと上へと昇らせる。

 こうまで予想の通りに行くとは思わなかった。順調に上を目指す昇降機に運ばれながら、アイシャは自分が確実に見えない波の上にノっている事を確信した。

 

「よーし、よぉし……!このまま地上まで――って」

 

 錆による影響を完全に受けなくなったハンドルを気分良く快転させていくと、立坑の中央に浮く様な形で取り付けられた滑車が上方に見えてくる。

 アイシャが腕を回すのに連動して動く大滑車の手前で、昇降機は動きを停止する。ハンドルを握ったまま上を見ると、この場所から上は穴全体が先細りに狭められ、昇降機どころか人間が行き来する余地すらも無くなっていた。

 

「……うーん、惜しい」

 

 どうやら終点は地上ではなかったらしい。上まで登り詰めて動かなくなった昇降機の横には、先程見たものと同じ格子扉と、その先にある運搬用レールが敷かれた道があった。

 今なら地上まで直で行けると思ったんですが。そんな調子の良い考えは流石に裏切られたが、それでも人目が付かない様にまた一つ出口へ近付けたのは大きな進展だ。

 そう考え、アイシャはハンドルから手を離して扉の前に足を踏み出した。

 

「――んっ?」

 

 アイシャが昇降機を後にしようとした直後に、後方から小さな音が聞こえてくる。

 振り向けば、ゆっくりとハンドルが()()()()()()()()()。それにつれ、昇降機を吊るしている上部の滑車も僅かに動き出し、それまで乗ってきていた足場を揺らしていた。

 それを見たアイシャは疑念を抱く。いかに手を離したと言っても、昇降機というのは往復する事を前提とした構造――決まった位置にまで来れば、そこで留まる様に造られている筈だ。

 にも関わらず、目の前のハンドルは緩やかに円を描き、昇降機は降り始めている。そんな筈は無い。そんな装置など、故障か欠陥のどちらかではないか――

 

「あ」

 

 その時、アイシャの瞳が上方の滑車へと伸びている、()()()()()()()()()中間が細まり劣化したワイヤーの一点を捉えた。

 巻上機はそれを気にせず、()()()()()()()内側の機構は滑りを生かして、かかり続ける下方への重みのまま、独りでに降りる方へと回ろうとし続けている。

 アイシャがその光景の意味を理解した瞬間、音を立てていたワイヤーはぶつりと切れた。

 

「あ゛っ」

 

 滑車に引かれて浮いていた足場は鋼線から解き放たれ、落下する。

 一瞬にして見通しの利かない暗闇の宙へと落ちた鉄の板が、見えない地の底に叩きつけられる。

 そして、アイシャのいる場所にまで聞こえる程の、高く重い金属音が立坑全体に響き渡った。

 

「――ハイッ!寝てません、ハイィッ!」

(――や、やばッ!)

 

 音の波は通路を伝い、アイシャの後方まで抜けていく。それに呼応する様に、通路の先から男の声が上がる。

 甲高く響く不自然な金属音を背中に、近場に人間の気配。目の前には閉まったままの格子扉と、奥には一本のみの通路。アイシャの防衛本能が、その全てを一瞬で把握する。

 

「何だ、人じゃないのか――いや、なんの音だ今の……?」

 

 通路の奥から今響いた音の出処を探りに、迷いの無い足音が聞こえてくる。

 格子扉を見る。扉全体に錆が見えている、すぐに開いて逃げるのは無理だ。

 通路を見る。目に見える位置に横道は無く、小石が転がるだけで隠れられる土砂も無い。

 後ろを見る。足場も何も無い、ただ下まで続く立坑がある。

 

(――……ッ!!)

 

 少しずつ近付く足音が、アイシャから思考する時間を奪っていく。

 どうするか、どうすべきか。そんな自問すら、アイシャには許されなかった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「あー、眠い……あと十分は寝たかった……」

 

 唐突に聞こえてきた鉄音に、本日三度目の昼寝から起こされた盗賊の男は、寝ぼけ眼を擦りながら音が聞こえてきた場所にまでやってきていた。

 この遺跡に盗賊団がやってきてから、殆どの時間を昼寝(サボリ)に費やす事に余念が無い男ではあったが、明らかな異常があったならば本来の仕事――遺跡内の見張りを再開しなければならない。

 それは仕事に対する義務感からのものでは無く、万が一に自分が異常事態を見逃した後に考えられる、立場の失墜を考えた保身からの行動だった。

 

「……なんもねーなー……」

 

 音のした場所である格子扉前へと男は辿り着き、錆びた扉とその奥の立坑を見る。

 男は耳の良さだけならこの盗賊団で二番を争う――残念ながら一番は幹部の若頭だ――と自負しており、たとえ直前までぐっすり眠っていようが、近付いてくる人の気配や物音は完全に把握出来る。

 その自分の耳が、間違いなくここから物音がしたと言っている。それならば、ここには間違いなく何かがある、あるいは居る筈なのだが――

 

「――あれ?なんか……ヘン、だな」

 

 目の前には何もない、その事が逆に引っ掛かった。

 男は絶好の(サボリ)ポジションを求めて、この周辺一帯を休憩時間の度に歩き回り、一通り目を通した。ここは寝やすい、ここは音が通りやすい、ここは人目につきやすい――様々な専門的観点から、それぞれの階層で実際にサボる場所を厳選している。

 故にこの格子扉の前にも一度は来た。だが、その時とは何かが違う気がする。

 目を擦り、目の前を注視する。錆びて閉じ切った扉、扉の奥で大きく口を開けた立坑、通路から立坑の前まで辺りに散らばる大小の小石、立坑の上部で取り付けられた複数の滑車の下部。それ以外には、何も――

 

「おいコラ!何こんなトコで油売ってんだ!」

「げっ」

 

 頭が眠りの余韻から抜けて少しずつ回転し始めた丁度その時に、後ろから呼び止められる。

 振り向けば近辺の見回り担当である上司の、怒りに満ちた表情がそこにあった。

 

「またサボリかテメェ……!外からの侵入者が居るから警戒してるって時に、随分と余裕じゃねえか、ええコラァ……!?」

「いや違うんスよ!この辺から物音がしたんで、確認に――」

「こんな通路の奥に何があるってんだ!何も無ぇだろボケ!」

 

 男が状況の説明と弁明を押し流す様に、上司は問答無用とばかりに怒号を飛ばしながらこちらへゆっくりと歩み寄ってくる。

 最悪だ。この上司は一切の詫言を言い訳と聞き流す堅物で、度々サボリに逃げる自分の勤務態度を何かがあるにつれて必要以上に叱責を飛ばしてくる。

 どうにか納得させなければならない。申し開きの材料を見つけるべく再び立坑へ振り向くと同時に、上司は男の服の襟首を掴んで強く引っ張ってきた。

 

「オラ来い!お前はもう休み抜きでオレと見回りだ!」

「ゲエーッ!カ、カンベンして下せえ!休み無しとかストレスで死んじゃいます俺!」

「いいジョークだ、どのぐらいで死ぬか実際に試してみろ……!」

「イヤだーっ!たーすけてぇーっ!」

 

 そのまま上司は男を引きずり、通路を戻っていく。

 男はばたばたと手足を動かし抵抗するも、上司の腕力には勝てず、通路にある小石を蹴飛ばす事しか出来ない。蹴飛ばされた小石は通路を跳ね転がり、立坑の先へと落ちた。

 

「――たっ」

「……ん?今なんか、声しませんでした?」

「してるに決まってんだろ、俺のこの怒りの声が今まさに響き渡ってんだろ……!俺の声なんぞ聞こえませーんってか、えぇオイ……!?」

「いや違います違うんですって!聞こえてます!バッチリッス!」

 

 その一瞬だけ、男の耳に誰かの声が聞こえた様な気がした。

 しかし上司に引きずられながらもう一度耳を澄ませてみるも、底から震え上がる様な上司の怒声がすぐ傍から聞こえるだけで、それ以外の物音は自分達の足音以外には無かった。

 気のせいだろうか。自分の耳の誤作動を珍しく思いながらも、男はこれ以上上司を怒らせない様に、素直に歩を合わせていった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「…………バレたかと思いました」

 

 男二人の足音が聞こえなくなった所で、立坑の下からアイシャが這い出る。

 立坑の縁に鈎付きロープを引っ掛け、手近な小石で支点の鈎の周囲に置いてカモフラージュし、立坑にぶら下がる。なんとかやり過ごせたはいいものの、正直生きた心地がしなかった。

 咄嗟の事とはいえ、男の注意が十分なら間違いなくバレていただろう、拙い隠伏だった。鈎を隠す為の小石は不自然に積んでいたし、そもそも滑車が本来吊るしていたワイヤーも千切れて無くなってしまっている。

 正直、立坑に隠れてから不味いことをした、とアイシャは思っていた。

 

「運が良いのか悪いのかわかんないです……」

 

 上から落ちてきた小石を受けて出来た、頭の小さな瘤をさする。

 アイシャは今しがた確実に感じていた見えない流れがどちらへと向いているのか、わからなくなっていた。

 




幸運点-1

過ぎたるは及ばざるが如しという名セリフを知らないのかよ
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