「ほ、ほあぁぁ……!こ、こっわ……!こわいぃっ……!」
入れた気合と決意は僅か数分で掻き消え、アイシャは今いる空間の上から下まで深く響き渡る物音からこの立坑の深さを察する。
見下ろせば燭光石の明かり程度では見通すことの出来ぬ深く重い暗闇がぽっかりと開くばかりで、その未明の光景は今隣り合い続けている”死”を浮き彫りにさせた。
腰に重ねて結んだ数本のロープのみが深淵へと引き込む重力から命を繋ぎ止め、本来地面へと着ける両足は立坑の壁の側面の僅かな突起にのみかけられ、十分な支えを持たぬ体が揺れ動こうとする度に爪先に込める力を調整し、バランスを取る。
「ひ、ひぃっ……!お願いだから切れないで下さいよぉ……!?」
立坑の手前に楔を打ち込み、そこに持っているだけのロープを結び延長したものを通し、胴のベルトのフックに通した上で、アイシャはゆっくりと立坑を下っていく。
しかしいかに硬く結んだと言っても、途中で結び目の一つが解けてロープが切れれば、それだけで抗う事も出来ずに体はただ立坑の底へと落ちるだけとなる。
ロープが切れない事、打ち込んだ楔が抜けない事、自分の体重に最後まで耐えてくれる事。それら全てを祈りながら、バランスを大きく崩さない事を念頭に一歩一歩立坑を降りていく。
「……そ、そろそろもう一本打ち込みますか……いや丁寧にやらなきゃダメですからね、こういう時は臆病なぐらいが丁度いいですからね……」
誰に聞かせる訳でもなく一人言い訳をしながら、アイシャは荷物袋より予備の楔とハンマーを取り出し、自身の目の前の壁へと打ち込み始める。
立坑を降り始めてからアイシャはなるべく等間隔になる様に、楔を壁面へと打ち込んでそこにロープを通す作業をこなしていた。
深く降りれば降りるほど、降り始めた地点からは遠ざかりロープは大きく揺れ動く。もしも降りている最中にバランスを崩せば、ロープの揺れは楔や結び目に負担を与え、下手をすれば楔が抜け落ちたりロープが千切れる可能性がある。
それを防ぐ為にアイシャは中間に楔を打ち込みロープの揺れを抑え、かつ楔にかかる重量を分散させる事で、落下のリスクを抑えながら下降を続けていた。
「……あとどれぐらいですかね……さすがにちょっと不安になってきました……」
そうして慎重に立坑を降り始めてどれだけ経ったのかわからなくなって来た所で、手元の楔の残数とロープの残量に少し不安が出始めた。
中継点である楔が無くなれば下降のリスクは上がり、ロープが足らなくなればこれまで下りてきた道程を今度は登らなければならなくなる。その距離は既に最初は補助用として併用していた鈎付きロープの長さを遥かに上回っている。
実の所アイシャは鈎付きロープの長さが足らなくなる手前でこの立坑を登り直し、一度回収している。下降点に打ち込んだ鈎を降りながら引き抜くのが無理だったとはいえ、登り直した時ばかりは正直こんな苦労をするなら最初から胴のロープのみで降りれば良かったと後悔した。
これで足りなかったらまた登り直すのか、やだなぁ。そう思いながら立坑をまた一歩降りると、足をかけた場所に小さく罅が入り、壁の突起が小石一つ分崩れ落ちた。
「のわっ!?った、たた……!」
崩れた足場に足を滑らせ、バランスを崩したアイシャはロープを掴みながら咄嗟に横の壁へ足を付けて体の揺れを抑える。
後ろ向きに歩くように降りていく姿勢の為に、明かりで降りる先を照らす事も、次の足場が安全かを確認する事も難しい。その為、下降を始めてから何度かこの様に足場が崩れる事があった。
ロープと体の揺れが収まった所で、アイシャは安堵の息を漏らす。それと同時に、自身の耳にぽちゃんと小さな水音が届いた。
「――へ?水?」
八方に石しか無い空間としてはあまりに場違いな物音に一瞬耳を疑うも、反響する水面が弾けた音はアイシャの頭上へと抜けていき、その余音は立坑に残り続ける。
もしやと思った聞き耳を立て、自身の下側に意識を向ける。すると、微かだが水の流れる音が下より聞こえてきた。
「……地下水……?こんな所に……?」
アイシャはもう一度音の位置を探るべく、ハンマーで目の前の壁の突起を叩いて割る。そして出来た適当な大きさの小石を左手に握ると、それをなるべく立坑の中央で手放し、落とした。
手放しておよそ二秒に届かないほど後に、水面に石が落ちる音が再び響く。水流はそれ程急では無いようで、距離からすればアイシャのいる場所よりもう二十メートルといった深さと推測出来る。
この距離でも集中しなければ聞こえない程の静けさからして、立坑を縦に落ちる水流では無く、河の様に緩やかに流れているのだろう。となれば――
「……や、やっとゴールですかね……やっとまともな地面にありつけます……」
この立坑の底が近い、即ちそれはアイシャの目指していた下の階層へと辿り着いた事を意味する。
目の前に最後となるだろう中継の楔にロープを通して打ち込み、アイシャはようやく見えた立坑の終わりに向けて壁を蹴って降りる。数歩下るごとに燭光石の明かりを下へと向けて周囲を確認するという事を繰り返していると、やがて壁面に横穴が空いている場所を見つけた。
「――よっと!……はひぃ」
ようやく見えた目的地へ急ぎ降りるという事もせず、アイシャは横穴の場所までそれまでのペースのままゆっくりと下っていき、自身の足の高さを横穴の地面と合わせた所までロープ伝いに降りる。
真っ直ぐに地面に立つという久々の感触に、思わずその場で膝が崩れて座り込んでしまう。落下の恐怖と共にロープと握力のみを頼りに壁を降りていくのは、思った以上に肉体・精神両面を疲弊させていた。
とはいえ、疲れに身を委ね続ける訳にもいかない。すぐさま息を整え、ロープに引っ掛けていたベルトのフックを外し、余って垂れ下がるロープを残りの楔を使い地面に固定する。
これで再び登る時は体の揺れもマシになるだろう。正直怖いのでもうこんな危険な場所を登り下りしたくないというのが心情ではあったが、戻る時にはどうせこの立坑を登り直す必要がある。
ロープの固定を終えて立坑の底へ大きく溜息を落とせば、底より届く穏やかな水流の音がそれを掻き消した。
「……さて、と。ちょっと弱くなって来てるし、灯し直しますか」
明かり袋より燭光石を取り出すと、まだ周囲を照らすには十分な光量を持ってこそいるものの、その輝きは最初に手にした時よりもずっと弱まっていた。
立坑を降りるのに思った以上に時間を費やしていた為、内蔵する魔力が尽きつつあるのだろう。アイシャはその場で座り込み両掌で石を包むと、目を瞑って深呼吸をする。
自身の中の魔力の流れを意識し、掌へとその方向を誘導してやる。両手へと集まった魔力は燭光石の性質により吸い上げられ、弱まっていた光が再び強くなると同時に石の表面は僅かな熱を帯び始める。
「――こんなモンでしょう。やっぱラクですね」
適度に石へと魔力を吸わせた所で目を開き、掌へと誘導していたその流れを元に戻す。
アイシャは魔法こそ使えないものの、こういった魔法道具の取扱いについては概ね知識として持っている。というより、生まれ持った魔力が少ない為に魔法を扱うのに致命的に向いてなかった。
ただ、魔力を込めるだけで簡易的に魔法を再現するような魔道具の類を使えばその欠点はカバー出来る。アイシャにとっての知識や技術は足りない物を補う為の手段であり、立派な”武器”の一つだった。
「んくっ、ん……よし、そいじゃあ出発しましょか」
丁度小休止の様な形になった為、ついでとばかりに水袋に貯めていた水を飲み、喉の渇きを潤す。
飲み慣れた生温い水を喉奥へとただ流し込んで、失った水分を取り戻す。最低限の水分補給を済ませ終え、水袋の口を硬く締め直してその場を立ち上がる。
目の前に明かりを向ければ前の階層と同じく錠の付いた鉄の格子扉があるものの、内側である
「ふぬっ……ぬ、ぬ……!」
錆び付いた金具のつまみに指をかけ、力を込める。その回しにくさに少々手こずるものの、それだけの為に油を差し直すのは少々勿体なく感じた為、手首の力で強引に回す。
なんとか鍵を回し扉を開くと、その先の通路は少しした所で部屋への入口の様に広がっているのが見えた。
「むっ……気配は無い、かな……?」
両耳を頼りに見えぬ空間に何かが潜んでいないかを確認し、アイシャは通路の先へ向けて歩き出す。
先程採石場に潜んでいた男の事もあるので、今度は剣を抜いて構えた上でゆっくりと歩いていく。もしも部屋に入った直後に死角となる壁際から襲われれば、初動の差で無抵抗のまま捕らえられてしまう。
最悪の事態も想定した上で、一歩一歩部屋への距離を差し足で詰めていく。あと数歩という所で明かりを向けた先に何も無い事を確認し、地面を強く蹴って一気に部屋の中へと飛び込んだ。
「ッ――……さすがに、そうそう居るもんじゃないですよね」
すかさず壁面に明かりと剣を同時に向けるも、敵影がいない事を確認し剣先を下ろす。
安堵と共に剣を鞘に収め、改めて周囲を見渡し直す。壁面は自然の凹凸を色濃く残した岩肌が天井にまで続いており、幅五メートルほどの地面の中央には幅狭のレールが二本並列して敷かれている。
レールの奥までは明かりが届かないものの、その右側には人一人分より少し大きめの横穴が一つ見え、その整えられていない不均一な穿かれ方から原始的な力によって掘削されている事がわかる。
続けて左側へ明かりを向けると、そこには暗闇しか無かった。
「ん?――おぅぁっ」
てっきり右側と同じく岩肌が見えるものと思い、一歩近付いて明かりを上下してみるとその先に地面は無く、思わずアイシャは一歩飛び退く。
何事かと自身の手前から明かりを奥へとゆっくり動かして確認してみれば、左側はまるごと断崖となっており、その下からは立坑でも聞いた僅かな水流の音が聞こえてきた。
もう一度崖へと近付いて崖下へと明かりを向ければ、川ほどの大きさがある地下水流が十メートルほど下に見え、立坑の方面へと流れ込んでいる。岩の塊の様な隆起した岸辺からは、人の掌ほどの太さを持つ蔦が崖全体に沿って伸び、葉が崖面を覆い尽くしている。
「さっき聴こえた水音はこの地下水流ですか。……とはいえ、別に気にするような事でもありませんか」
崖の様子を見終えるとアイシャは安全を期して崖際より離れ、右側の壁際に寄って奥へと歩き出す。
壁に沿って歩いていけば中途半端な深さの横穴が点々と現れ、左側の崖は途中で途切れて右側と同様に岩肌の壁が続く様になる。そういった周囲の雰囲気には、一つの奇妙な点があった。
「また、掘削方法が戻ってる……?」
明らかに人力によって掘られた横穴や自然の色を残した岩肌など、今居る場所は前の階層の様な均一で不自然な整い方が見られず、どちらかと言えば廃坑に入ったばかりの階層に近い雰囲気が見られる。
単に地中を掘削する魔法を一部ケチっただけかと最初は思ったが、しばらく歩いても一向に魔法で削られた特有の痕は見られず、視界の限り同じような光景は続いている。
一階層丸ごと殆ど魔法で掘削した様な昔の廃坑が、また再び人力で拓かれている。場所全体に統一感が見られず、理由がわからない違和感が胸にどうにもひっかかった。
「……何がなんだかサッパリわかりません……実は大昔の
遺跡の中には昔の魔術師によって作られた、進む度に階層が変容する迷宮も存在する。
かつての盗賊対策として造られたそういった遺跡は、それぞれの階層には一切の統一感が無く、日を改めて入り直せば全ての地図が無駄になったりもする。数も少なく見つかるのは極稀でこそあるが、それでもある程度の数は発見されている。
が、言っている最中にアイシャは自身の考えを否定した。そもそも魔法で造られた迷宮なら最初から最後まで魔法で拓かれていなければおかしいし、手元の地図は今の所概ね正しく描かれている。
そうなると、やはりこの場はなんらかの意図を持って前の階層とは異なる掘削方法で拓かれたものという事になる。そこまで考えた所で、結局は理由がわからないという事実に回帰する。
「……あ゛ー、やめです。あたしが学者なんてガラですか」
わからない事をどれだけ考えた所でその事実は覆らない。そもそもそういった過去の詮索は考古学者の範疇であり、盗賊である自分がやるべき事では無い。
奥へ進んで、お宝を見つけて、見つかる前にズラかる。最初からその目的は一切変わっていない。ならば、余計な事に頭を悩ませるよりは先に進むべきだ。
開き直ったアイシャは、地図を見直して現在地点を確認する。地図によると立坑の傍、今居る地点は”東採鉱道”と一括りにされた小坑道群であり、しばらく真っ直ぐ歩けば集石用の”大ホール”、途中で曲がる事により”南採鉱道”に繋がっているらしい。
三階層目は大ホールを中心に西、東、南と採鉱用の坑道群が広がっており、この廃坑の最奥に位置するのが南採鉱道らしい。盗賊が燭光石や鉱石を掘っているとしたらまずそこを中心としている筈だ。
「とりあえず見つからない様に順々に回っていきましょっか」
ひとまずの目的地を地図内で最も広く描かれている大ホールに決定し、アイシャは壁伝いに歩いていく。
全ての採鉱道の中心となる位置なら、廃坑が閉じる前に集められていた鉱石がそこに集中していてもおかしくはない。実際の所は恐らく同じ事を想像され、盗賊団が主要な物を回収し終えているかもしれないが、それでもおこぼれの一つや二つぐらいはあるかもしれない。というかあってほしい。
思惑に僅かばかりの願望を混ぜつつ進んでいけば、左手側に一際大きな通路が現れる。地図にあった南採鉱道へ通じる道だろうが、地面に敷かれた二本のレールは真っ直ぐ目の前の通路に続くままだった。
(このレールは大ホールへの集石のみに使われたものっぽいですかね)
前の階層までは道を示す様にあちこちへ敷かれていたが、ことこの階層では石の行き先が大ホールに集中していたのか、全ての通路に敷かれている訳では無いらしい。
そう結論付けてアイシャはレールに従って歩き続ける。ついでに何か鉱石が落ちていないかな、と思いつつ左右に明かりを向けていくも、当然の様に転がっているのは掘削の際に横に棄てられた小さな廃石ぐらいだった。
一部の横穴の壁面には鉱物らしきものが表面に埋没しているのが見えたが、結晶が小さすぎる上に専用の道具も持ち歩いていない以上は採掘するのは手間がかかりすぎる。せめて小さめの
「こんな場所ですし、探してもいいかもしれませんね」
盗賊団の位置を把握した上で離れた場所で採掘を行えば、いくらかの鉱物は自由に採れるだろう。
鉱物にそれ程目利きが利く訳でも無いが、少なくとも燭光石やその他宝石の原石ぐらいは多少は見たことがある。問題は音が響く事で位置がバレる危険性と、その為の道具が無い事だ。
坑道である以上、宝箱の中に鉱物が隠されているという事も無いだろう。それなら自力で採掘をするのも十分に視野に入って来る。
正直そんな地道で疲れる作業をしたくは無いので、出来ることならお宝を見つけたいなぁ。そんな事を考えつつ現実的に儲ける手段を頭の片隅に置いていると、通路の先の終わりとその向こう側の光が見えた。
(――居る)
これまでにない大勢の人間の気配と話し声が足を止め、燭光石の明かりを袋の中へ仕舞わせる。
一瞬にして思考が冷え切り、一呼吸で自身の気配を闇の中へと溶け込ませる。通路の向こう側からは絶え間なく多くの足音が僅かな振動となってその場の人間の存在を伝えてきており、その数は数人程度といった数え切れるものでは無い。
しばらくその場で留まり、暗闇に瞳を慣らして夜目へと変える。今居る場所には光一つ無く慣れた程度で先を見る事は出来ないが、いざ明かりの少ない場所で争う事があれば目の差は大きい。
心身の準備を十分に終え、アイシャはゆっくりと通路の終わりへと歩き出す。気配は通路を出た場所から離れた場所に集中している。もう一歩で通路から出るといった場所で左壁際に体を寄せ、手鏡を取り出す。
「あ゛ぁー、だっりぃ、空気悪ぃー……」
「文句言うヒマあったら入口までさっさと運べ!それとも別の班に回りてえのか!」
「班長ぉー!こっち目一杯になったんスけど、次の袋どこスかー!」
「休憩室にまとめて置いてあるっつってんだろボケ!」
ホールの中央へ鏡を向ければ、多くの男達が鉱石が入っているだろう袋を肩に担いで運び込み、まとめて一箇所へと集めて置いている光景が目に入った。
班長と呼ばれた男は集められた袋の中央に座り込み、中に入っている鉱石を取り出して一目見ては別の空いた袋へと仕分けていく。
班長の後方へ置かれた袋は、運び込んでくる男達とは別の男が拾い上げ、恐らくは第二階層に続いているだろう斜坑へと持っていかれて行く。
そういったサイクルが回されている中、足取りが重い男にはどこかしらか飛んでくる怒号がぶつけられ、休む事を許さない空気が形成されていた。
(…………見つけましたよ、こんにゃろうども……っ!!)
ようやく見つけた商売敵の本隊らしき姿を瞳に収め、アイシャは敵愾心を燃やした。
別の小説更新してたり頭痛に苦しんだりダラダラしてる内に一ヶ月が経とうとしてたので焦って書きました。
一度作り直したマップを勘違いしたせいで半分書き直す羽目に。ちきせう。