My Dear Loneliness   作:黒樹

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……隣の部屋から、女の子の啜り泣く声が聞こえる。


友達以上??未満

 

 

毎晩、僕は壁越しに奇妙な音を聞いていた。シクシクと啜り泣くような少女の声。それも隣の部屋から聞こえるものだから、大凡の感が正しければ誰が泣いているのか想像に難くない。ベッドに躰を預け天井を見上げる。眠りにつこうとした僕の瞼を持ち上げるには十分な要因だった。

 

『……グスッ』

 

今日もまた、彼女は泣いている。

理由は知らない。だが、僕は知りたい。

できることなら、彼女の涙を止めてあげたい。

どうすればいいのだろうか?

 

葛藤する僕の心はてんでバラバラ。関わるべきではないと告げている。側にいてあげるべきだと告げている。まったくおこがましいことに呆れてしまった。

 

僕の立場で彼女の隣にいてあげろと?

 

そんなものお門違いだろう。

僕は何者でもない。彼女の友人、隣人、ただそれだけ。

家族でもなく、恋人でもなく、赤の他人。

僕にできることなど何一つない。

昔の僕ならば、何も思いはしなかったしどうすることもできなかった。今だって出来はしない。それでも何か知己の友人が泣いているのを黙って聞いているのも何か違う気がした。

 

知己?–––それも違うな。

理解者などではない。親友とは程遠い。

僕は彼女にとって何者だろうと考える。

そこに僕の認識は存在しない。ただ求めているのは、彼女が自分のことをどう思っているかという事実だけ。僕が彼女をどう思おうがそれは彼女の認識に準ずるものとなろう。

 

それは逃げだ。僕は自分で考えることをやめた。やめなければいけなかった。彼女にとってそうでありたいと願うのが、みっともないと思えてしまったから。故に逃げる僕は僕で完結することを恐れる。現状を流れに任せる。僕は選択を放棄した。裏切られるのが怖かったから。

 

「……まったく僕も変わったなぁ」

 

どうでもいい。何もかもがどうでもいい。そう思っていたのに。彼女といるだけで、灰色だった世界がまるで別の世界のように見えた。

 

「着替えは……いいか。だらしない姿は晒し過ぎたわけだし」

 

よっと。ベッドから出る。仮にも女の子の一人暮らし、まず玄関の鍵は開いてないだろうと踏んでベランダへと出た。だいたいのマンションやアパートはベランダから行き来ができる。隔りはあるものの無茶をすれば行けないこともない。迷惑も嫌われるのも覚悟の上で、僕は自分の家のベランダから彼女の家のベランダに移る。

怯えさせてしまうだろうか。今更ながらにそんなことを思って引き返そうか迷ったが、息を飲んだ気配がしてもう手遅れだと悟った。

 

「巴さん」

「……っ。十、条君……?」

 

恐る恐るといった風にマミはベランダを部屋の中から警戒した。ついで、僕の姿を見るとほっとしたように胸を撫で下ろす。

そりゃ、怖いよな。夜中にベランダから気配がして、訪ねて来る客なんて。僕なら迷わずフルボッコか、それが異性ならあるまじき姿にしているところだ。

この場合、ティロ・フィナーレされてもおかしくはないが、今回銃口は突き付けられておらず、安堵した様子のマミがベランダの鍵を開けてくれた。

 

「ど、どうやってベランダから?」

「それは……まぁ、気合いで」

 

愛の力とか言うところだった。危ない危ない。ふざけてる場合じゃない。

 

「何やってるの!一歩間違えばどうなっていたかわかってないの!?もしかしたら、死んじゃってたかもしれないのよ!」

「あまり僕を甘く見ないでよ。僕だって昔はアウトドアな少年だったんだから。この程度で転落して死ぬなんて絶対にない。ベランダからベランダに移ったくらいで大袈裟な……」

 

はた、と言葉は止まってしまう。

先程まで泣いていた痕跡を辿るように、また涙が彼女の目尻から流れていた。

泣きそうというか、もう泣いてる。

何をしに来たのか不明瞭な僕は何をしに来たんだっけかと思い出す。

 

「それもこれも夜泣きしてる巴さんが悪い。ほぼ毎日夜泣きなんてされたら、こっちが眠れない」

 

挙げ句の果てに全責任を押し付けた。

 

「……悪い?泣きたくなる時くらい泣いたっていいじゃない」

 

彼女はやさぐれたように認めた。

反抗的な態度に可愛くないなぁ、と思ってこちらも対抗した。

 

「ねぇ知ってる?犬の夜泣きの治し方。構わない方が良いんだって。構うと夜泣きすれば構ってくれると思って治らないから」

「じゃあ、何しに来たのよ!」

 

……うぅん?一周回って冷静になった。矛盾している。だが、それも少しの間だけ、放っておいた結果がこれではないのか?

 

「……誰の所為だよ。そりゃあ僕だって知らない女の子が泣いてたら放置するしかなかったけど、知らないわけじゃないから余計にどうしたらいいかわからないんだよ」

「知らないフリして、また明日会えばいいでしょ。……それだけで、私は」

 

言い淀むマミの消え入りそうな声が胸に杭を刺したような鈍い痛みを走らせる。これが嫌いなんだよ。僕は。

 

「それができないから困ってるんだ」

 

くだらない考えが浮かぶ。

泣いてる姿が可愛いと思った。その涙の理由を知りたいと願った。不謹慎ながら僕は彼女の涙に心を揺さぶられた。やれやれと心の中で肩を竦めて首を振る。

自分でもどうしたいのかわからない。

現状で、どんな解決策を求めているのか。結論が出ない。だから僕は、バカはバカなりに解決を急ぐ。少しでも彼女の心を軽く出来たならと願って。

 

「なんで泣いてるの?」

「……」

 

マミは当然のように黙り込んだ。ならば、質問を変えよう。

 

「僕にできることはないかな?」

「……それ普通、本人に聞く?」

 

やっと喋った。と思えば、ダメ出しである。

泣き笑いの表情。僕は続けて本当の自分を表に出す。

嘘偽りのない、僕という人間を。

虚構を捨てて、本心で語る。周りに合わせ、自分を隠して来た流されるままの自分を捨てる。

くだらない世界に期待も希望も持ち得ていなかった僕は、全てを捨てる覚悟で本心を口にする。

 

「女の子の慰め方なんて知らないし、いきなり抱き締められてもそういう行為は特定の間柄でないと適応されないだろう。僕と巴さんの間柄で抱き締めでもしたら気持ち悪がられるだけだろうし、そこは自重したんだよ。僕らの関係はそういうものではないだろう」

「……ふふ、抱き締めてくれるの?」

 

思った以上に好感触だった。

予想外だ。え、抱きしめるのありなの?

恋人とか家族とかそういう関係だけじゃないの?

その慰め方が適応されるのは。

 

「その……まぁ、してもいいのなら」

 

壊れたブリキのようにカクカクと動いた口から、情けない声が出た。

 

「じゃあ……お願いしても、いいかしら」

 

そんなことも御構い無しにマミは腕を広げた。涙の光るその瞳を瞑り、縋るように手を伸ばす。

 

「し、失礼します……」

 

今更だが、僕はやれと言われてやれない人間だ。特にこういう場合、女の子にお触りオーケーされても躊躇してしまう傾向にある。だから許可を貰っても戸惑ってすぐには抱きしめることができなかった。合法的に許してくれているのに、僕というものはなんとも貧弱で脆弱。至近距離に接近して、肌さえ触れ合う距離で止まること数秒、やっと彼女を抱きしめる事に成功した。

 

「んっ……」

「……え、変なとこ触った?」

 

マミの口から漏れた吐息が鎖骨にかかる。

マミの身体は柔らかい。温かい。いい匂い。髪もさらさらで当たるだけで気持ちよくて、ずっと触っていたいという欲求が湧いてくる。

 

「……違うの。なんていうか、人の温もりって久しぶりで……こんなに、温かかったんだなって……」

「確かに……誰かを抱きしめる事が、こんな気持ちになれるものだとは思わなかった」

 

慈愛にも似た、特別な感情。幸福感のようで、また別のもののような気もする。安心感、も何かが違う。わかるとすれば、もっとずっとこうしていたい、永遠にこの時が続けばいいのに。という小さな願望だけ。

 

「……そういえば気になっている事があるんだけど」

 

腕の中で、マミが懇願するように見上げてくる。

 

「どうして名前で呼んでくれないの?」

「そ、それは……」

 

それほど親しくもない相手を名前で呼ぶのは気が引けるどころか、女子というのも相俟って避けていた節がある。最初に「マミって呼んで」と言っていたにもかかわらず。つまり僕は逃げたヘタレである。

 

「呼んで。私の名前。十条君には、呼んで欲しいの」

 

強く懇願されて僕の決意は固まった。自分からなら勇気の一つも出せなかったが、今なら自然と呼べる気がする。

 

「……マミ」

「……変な感じ。あなたにそう呼ばれると、とても幸せな気持ちになれる気がするの」

 

思った以上に恥ずかしかった。それでもそれを代償としていいと思えるほど、彼女の反応を見て幸福になれる自分がいる。それはある意味で等価交換的なもので、代償の大きさなど気にはしていられない。代償が大きければ大きいほど、多幸感が増すというものだ。

 

「……」

「……」

 

お互いに言葉を発さないまま、数分が経過した。お互いに聞こえるのは互いの息遣いと心臓の音だけで、妙に暑苦しくなってきた頃、マミがようやく口を開いた。

 

「……もう一つだけ、いいかしら?」

 

あまりにも唐突だったため、反応に遅れてしまったが取り敢えず了承しておくと彼女はとんでもない要求をしてくる。

 

 

 

「……今日はこのまま、一緒に寝て欲しいなって」

 

 

 

ハチミツよりも甘い。甘言に一瞬聞き間違えかと思った。頭の中で幻覚の類かと疑っている間に、誘導されるがままベッドの上に抱擁し合った型のまま投げ出される。

 

「ねぇ、十条君、私達そういう関係になれないのかしら?他人より特別な関係。私は少なくとも、あなたとは……そういう関係でありたいなって思うの」

 

言葉の真意を理解するには僕には難題過ぎる。言うならはっきりと言って欲しい。返す言葉に迷ってしまう。だから、僕が彼女の言葉に返事をするべく頭を回転させていた頃、腕の中で人の腕を枕代わりにくつろいでいた彼女から規則的な音が聞こえたのは、だいぶあと。

 

「すぅ……すぅ……」

「……あれ、巴さん?」

「ふぅ……」

「……もしかして、寝てる?」

 

がっしりとしがみつかれて起き上がることもできない。起き上がったら起こしてしまう。安眠を妨げるのは良くないし、僕としても睡眠を妨害されるのはかなり好きではない。これでは部屋に帰ることもできない。

 

「まったく……甘えん坊だなぁ、君は」

 

部屋に帰還することを諦めた僕は、彼女の要求通りに添い寝する。優しく髪を撫でてから、眠れない夜と格闘した。

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