「みなさん、今日は先生から大切なお話があります」
午後の授業が始まり、先生が単刀直入に切り出した話は普通、生徒や保護者に関係する話なのだが彼女がこう言う場合、誠にどうでもいい話の可能性の方が高い。心して聞くように、と前置けばさらにその確率は高くなる。
ゴクリ、と息を呑む音が共鳴する中、僕は窓の外を見ていた。しかし、どうでもいい確率の方が高いのに、席替えで隣に座ったマミはちょんちょんと僕の肩をつついて、ちゃんと聞くように促してくる。
仕方なく耳だけ傾けて、今日はどんな話か一人賭けで「どうでもいい愚痴」に賭けると同時、先生のありがたい御高説は始まった。
心して聞くように、と前置いて。
「朝はパン派ですか?ご飯派ですか?–––はいっ、十条君!」
名指し付きで、珍妙な問題を出した。
あぁ、また、破局したんだ。とクラスメイト達の呆れと哀れみの声が重く響く中、白羽の矢を立てられた僕は適当に答える。
「どっちでもいいと思います」
「そうでしょう!」
バンッ、と教卓を叩いて先生は力説する。
「朝がパンかご飯なんて、そう、どっちでもいい!まして『俺、今日はパンが良かったのに』とか前以て言わない男には男子の諸君はならないように!」
やれやれまたか。と、僕は思う。これで通算何回目だろう。この手の話、最近、僕が割り振られている。
しかしそれでも、今回の鬱憤を晴らすには足らないのか先生の暴走は止まらない。さて、次です。と今日は続くパターン。
「味付けは濃い方が好きですか?薄い方が好きですか?–––はいっ、十条君」
今日もまた、僕が集中砲火を喰らってしまった。
飛び火した僕に、マミ以外は同情すらしてくれはしない。
苦笑いしているマミを横目に見た。
何故か、注視されていた。
「……気分ですね。濃い味のものが食べたい時と、薄い味のものが食べたい時もありますし」
「そんな曖昧でいいんですかっ、十条君!先生の話を聞いていなかったんですか!」
しつこい先生である。気分は、女子にも男子にもあるだろう。
そんなことを考えていると、今度は別の人間に飛び火する。
「巴さんも男子にははっきりして欲しいですよね!」
火事とは、隣の家に引火するものである。
これまた慣れた様子で、マミも答える。
「そうですね。私も十条君にははっきりしてほしいかな、って思います」
そこで何故、僕が……。
朝食も昼食も作って貰っているから当然か。
だが、実際、気分なんだから仕方ない。
それを差し引いても、僕は食べ残すなんてことはしないが。
美少女が料理を作ってくれるんだし。
「別になんでもいいよ」
「そのなんでもいいが女子は困るんですよ!いいですか、献立を考える女性の身にもなってください、毎日毎日彼が飽きないように味付けを変えたりメニューを変えたりする女性の気持ちを!それを、なんでもいいと!女子の努力を何だと思ってるんですか!」
「……っ」
僕としたことが言い返せなかった。まぁ、確かに、夕食以外は任せっきりである。
目を逸らして苦笑いしていると、マミが弁護するかのように先生に物申す。
「あの、先生……?十条君は夕食を……その……毎日、作ってくれていて……一人暮らしの私としても、すごく助かっていて……」
「ぐはっ!!!!」
思わぬカウンターに遭ってしまった先生は教卓に突っ伏した。
うわぁ。とクラスメイト達の悲惨な現状を見たと言わんばかりの声が、痛烈に心を抉っていく。
それでも折れないのが先生だ。
何度、(破局で)折られたであろう精神を立ち上がらせ、子供達の教師足らんとする。
しかし、内容が100%プライベート、教師として尊敬すべきかどうかは置いておいて。
「ですが、嫌々食べて仲が悪くなるという事態もあり得るんですよ!」
「そ、そうなんですか……?」
くだらない先生の経験談に喰いついたのはマミだった。恋愛の話には些か興味はあるのか、華のある乙女らしい喰いつき。やっぱり女子はコイバナの類が好きなんだろう。
「先生なんて何度、味の好みや食事の話題で破局になったことか……!」
「た、確かに……」
説得力があり過ぎて困る先生だ。
クラス全員の心が今、一つになった。
「ですから!十条君と巴さん、あなた方はもう少しそこらへんを考慮するべきなのです!」
一周回ってお節介。
しかし、これではまるで僕達が付き合っているみたいに聞こえる。
このままいくとクラスメイト達の話題の餌食になる。
それは少し我慢ならないので、はっきりと否定しておくことにした。
……マミも迷惑だろうし。
「別に付き合っているわけじゃないですから」
一瞬、世界が凍りついた。
え、なに?僕なにか変なこと言った?
「……えっ?」
様々な方角から、意外だというような嘆息。
隣のマミからも聞こえたような気がして、いざ振り返ってみれば、
「……っ」
彼女は泣いていた。
「……マミ?どうしたの?」
どうすればいいかわからなくなって、慌てて椅子を蹴飛ばし立ち上がる。
触れたら壊れそうな肩を震わせる彼女は涙を拭って、気丈に笑ってみせる。
それが、いつもの強がりだとは明白だった。
繋いだ言葉も、誰にも迷惑をかけないものを選ぶことも、わかりきっていた。
「ごめんなさい。私、少し、勘違いしてたみたいで……」
「か、勘違い……?」
「十条君と私は……付き合っているものだとばかり、思っていたから……」
うんうん。と、頷くクラスメイト達。白い眼は僕に向けられていることは明白だった。
「先生。保健室に行って来ます」
「……不純異性交遊だけは先生許しませんからね」
いつもの愚痴モードは何処へやら、申し訳なさそうに逡巡した後、茶化す先生を無視してマミの手を取って教室を出た。
扉を閉めると、先生が授業を再開する。
思わぬ事態に混乱してしまったが、やってしまったことは仕方ないと割り切って。
「もう一つだけ大事なお話があります。ああいう不誠実な関係は作らないように、特に鈍感な男子は気をつけてください。それでは授業を再開します」
誰のせいだ。もう一度、クラス全員が一致団結した瞬間だった。
◇
保健室。……ではなく、屋上。マミの手を引いて、二人だけで話せる場所をと思ったのだが、生憎とこのような場所しか思い浮かぶはずもなく、二人で空を見上げる。何から話していいかわからず、手だけを握って何か話さねばと思うも頭の中は真っ白だ。
マミが僕と付き合ってる。付き合ってる?少なくとも、マミはそう思っていたと。さっきの会話から察するにそういうことになっていたみたいだが、当の相手の僕にはその記憶がない。好き、とは言った覚えはないが。いったいいつからそんなことになっていて、二人の間に認識の差異が出たのだろう。
「……あの、マミ」
話しかけた。けれど、無視されたのか、必死に涙の跡が残る顔を見せまいと俯く。
こうなってしまっては、普通に話を聞いてくれそうにない。
だいぶ拗ねているみたいだし、怒ってもいる、その原因は僕なのだろう。だから、率直に聞くことにした。
「僕らの関係って何?」
「ただのクラスメイトでただの隣人」
答えた声には、静かな底冷えとする怒気が含まれているような気がする。
「少なくとも、十条君は私のことそういう風にしか思ってなかったみたいね」
冷たい声で突き放すような言葉。
繋いでいた手を払って、マミはフェンスまで歩いて行ってしまった。
「……マミはどう思ってたんだよ」
「言わなくてもわかるでしょ」
それがわからなかったから、今こうしてここにいる。
まったく僕というやつは鈍感らしい。少なくとも、そんな人種ではないと自分では思っていたのだが、生憎と理想と現実は違うみたいで、意外にも好かれていたみたいで……自分が情けなかった。
ツンと拗ねたままで、マミは頰を赤く染めながら、自慢の髪をくるくると指に絡めて、恥ずかしそうに独白する。
「私……好きでもない男子と、一緒に寝るなんて……しないんだから」
そう。
僕らの認識の違いは、そこからだった。
マミはぎこちない笑顔を浮かべて、気丈に笑ってみせる。
冗談を言うように、本心を吐露する。
「まぁ、道理で十条君はエッチなこともキスもしてこなかったわけね」
笑い飛ばそうとして、渇いた笑いしか出せないマミ。
色々と誤魔化そうとしているように見えた。
寂しそうな表情。笑顔とは違う、どこか愛おしく感じるそれは、マミの一面のほんの一部。
「……本当にカッコ悪いなぁ。僕は」
魔女探索じゃついて行くだけで何もできず、見ているだけ。あまつさえ女の子を泣かせて。本当にいいとこなしである。その上で女の子の方から好意を口にして欲しいだなんて。
さて、そんな僕のどこがいいというのだろうか。
「マミは僕のどこを好きになったの?」
「……さぁ、どんなところかしらね」
また、はぐらかそうとする。もうこの話は終わりだとでも言うように。なかったことにしようとする。これ以上、傷つきたくがないために。
「戻りましょ。十条君」
くるりと踵を返して、屋上を後にする。
「戻る」という言葉が、より深い意味だとはいくら鈍感な僕でも気づいていた。
それでも、仕切り直しというのは必要で、今話をしてもきっと聞いてくれないだろうな、と僕は逃げた。