暁美ほむらが提案したのは僕の家だった。腕を組み歩くこと数分、何度か寄り道はしたものの魔女の結界には誘い込まれず、玄関を開ければ寂しい我が家。適当な部屋にほむらを通すと取り敢えず、紅茶を淹れて部屋に戻った。すると彼女は懐かしそうな表情で本棚を漁っていた。
「……いきなり初対面の人の部屋を漁ったら普通は怒られるよ」
「あなたはそんなこと思わないでしょう?それに一応、初対面じゃないようだし」
この時間軸の僕と何度も繰り返しているほむら。僕らに接点はない。だが、時間遡行を何度も繰り返した彼女なら何度も何度も知人達とは顔を合わせているようだ。それがたとえどんな形でも、どういう結末になろうとも、泣いて、心を砕いて、逃げて、戦って、諦めて、その繰り返しの中で過去の僕達は邂逅を果たした。
今の僕は“暁美ほむら”という人物を知っていて、経験を魂に直接刻まれた、僕という紛い物。平行世界の“僕”は僕であると同時、僕とは違う存在でもある。
そんな僕との対面は、暁美ほむらには喜ぶべきものだったようだ。
「ねぇ、そうでしょ、だーりん」
「待って僕そんな呼び方されてたの!?」
「そうよ。そして、これからも。私は誓ったもの。救済の魔女の下、何度繰り返しても何度も好きにさせてみせるって。経験を通しているあなたにそんな必要はないようだけど」
初耳だ。経験を刻まれた身としてもそんな事実は一切記述されていないのだが。バグか、イレギュラーか、この状態が異常なので何とも言えないが彼女が言うからにはそうなのだろう。
「それで話って?」
「単刀直入に言うわ」
話題を変えた先、ほむらは僕の首筋を指差した。
「何よそれ、誰に付けられたの?そのキスマーク」
嫉妬半分、ヤキモチ全開、イライラとした様子で訊ねる。なんとも器用な性格だった。
「あぁ、これはね……」
簡潔に語る。取り敢えず、身に起きた全てを。自分が知っていることを全て。きっとそれは一笑に付して然るべきことであったが自然と信じられている自分がいること。だからこそ、伝えるべき言葉がある。
「……僕は君の味方だ。どんなことがあろうと僕は君を支えるよ」
何度も繰り返した先で、離反してしまった彼女の心の支えにならねば、そう思った平行世界の自分の感情はやはり自分のものでもある。くだらない自己中心的な考えだが、伝えたいこと、伝えるべき言葉は伝えた。それに対してほむらは驚愕に涙を流した。これまた器用に片目だけ泣き、片面は決意の表情を固めたまま。
「……本当、女誑しのクズ野郎ねあなた」
と、罵ってみせる。
「この世界のあなたは巴マミが好きなんでしょう?」
「そうだね。僕は少なくとも今もそうだよ」
「それなのに他の女を部屋にあげるなんて」
「……君がこの部屋に来たいって言ったんだろ」
「ええ。私、あなたのそういうところも好きよ」
無表情だった。無表情で告白された。
隣で聞こえる喧騒を掻き消すような静寂。
きっと、彼女は長い繰り返しの中で感情の出し方というのを忘れてしまったのかもしれない。
大凡の好意というものを捨て切っているような、そんな顔。
彼女にとって楽しいこと、嬉しいことはもうどこにもなかったのだろう。
もっとも、彼女が時間を旅する度に生まれた世界があるからこそ、この僕がいるわけだが。
「–––さて、話の続きをしましょうか」
直後、隣に現れた暁美–––。
「ほむらでいいわ。私とあなたの仲じゃない」
彼女は僕の腕に腕を絡めてこれでもかとしなだれかかる。
僕としては年下の彼女に緊張していたものの、予想だにしない衝撃が吹き飛ばしてしまう。
ドパンッッッ–––!!!!
耳慣れた銃声と破砕音。おまけに壁が文字通り吹き飛んだ。円形の穴を開け、粉塵舞う僕の部屋は悲惨な状態でさっきまであ–––ほむらが座していた場所は瓦礫が山となっている。
『ちょっ、マミさんどうしたんですか!?』
『……そこに泥棒猫がいた気がして』
『猫?撃っちゃダメですって!』
『そ、それより隣の人、大丈夫かなぁ……?』
『大丈夫よ、鹿目さん。隣は十条君の部屋だから』
喧騒は壁をブチ抜いたことによりクリアに聞こえてきた。姿こそ見えないが、完全にマミの部屋と直通の穴が出来たわけだ。
「あらやだ怖い。十条君、あの女私の純潔を物理的に奪いに来たわ。助けて」
白々しくしれっと甘えてくるほむらは気まぐれな猫のようにスリスリとすり寄った。もし一歩間違えば、いや判断を間違えばほむらの体に穴が開くことになっていたと思うと割と無視できない状況だ。それを事前察知したであろう彼女は余裕の表情。「よし、勝った」と言わんばかりで何処か満足げだ。
「……あ、あの、大丈夫ですか?」
戯れつく黒猫もとい、ほむらの頭をわしゃわしゃと掻き乱すと不満そうに鳴く。
そうしている間にひょっこりと顔を出したのは鹿目まどかだった。
今は珍しい殊勝な娘もいたものだと感慨深げに浸る。心配してきてくれた彼女は僕とほむらを見てぎょっとした。
「あ、その、し、失礼しました……!」
「……あ、うん?」
何故か顔を赤くして引っ込むまどか、どうやら彼女は僕とほむらに盛大な誤解をしたようである。現状は誤解ではないのだが、僕は彼女といちゃついてるわけではないので誤解と言っておこう。
『ほら、大丈夫だったでしょ?』
『は、はい……その、二人とも怪我はなさそうでいい雰囲気だっ–––ひっ!』
『…………イイ、雰囲気?』
『ちょっとマミさん落ち着いて!まどか、見間違いじゃない!?』
『うーん……。え、でも、並んで座ってたし……』
『まどかの主観から客観的に見た結果を言えって言ったんじゃなくて、そこはフォローしてよぉ!』
……隣は何やら楽しそうである。
次の瞬間には、冷気が隣から流れてくると共に。
とてもいい顔のマミが入り口(穴)から僕とほむらを見ていたが。
完全にほむらさんはトリップ状態、役に立たない。マミを当然の如く蚊帳の外で微動だにしない。
僕は僕で絶対に当たらないという自信がある。
たとえ、わなわなと震えるマミに連動して銃が振動していてもだ。
「……ごめんなさい、お邪魔したかしら」
「いいえ。あれくらい愛の障害だと思えばどうってことないわ」
挑発しているのか素なのか結果的にはマミにとってほむらの行動は彼女の心を揺さぶるには十分だった。獲物を睨むその瞳は……あれ、何故か僕に向いている。
「後輩に鼻の下伸ばしていやらしい!」
「あはは……」
違うとも言い切れないので苦笑いで誤魔化す。正直、悪い気はしていないのだ。
突き放すことも出来ず、誤解を解くことも叶わず、当初のマミを探していた目的を達成するどころか状況がより悪化している気もする。だけど、恋煩いのような想いとは裏腹に、繰り返し続ける少女を放っておけないのもまた一つの事実だ。
◇
夜が来る。
今日知り合った鹿目さんと美樹さんが帰って一人になってしまった部屋で私はどこか寂しい気持ちを抱えていた。
–––また、独りだ。
いつにも増して思う。寂しいって。
そうなったのも彼が原因だ。私が突き放したらいきなり他の女を部屋に連れ込むし、仲が良さそうだし。
面白くない、と思った。
大好きが傷を胸の奥に刻んでいく。
それがとても痛くて、切なくて、悲しくて。
……寂しくて、泣きそうになる。
私が壁に開けた穴。それはまるで私の心にぽっかりと空いた穴を表しているようで、穴が大きければ大きいほど寂しさは増幅していく。
膝を抱えて、穴を見つめた。
もしかしたら、十条君が心配して来てくれるんじゃないかって……。
そんなはずはないのにね。バカだな私……。
結局のところ、独りで生きられないのは私。寂しさに彼を求めているのも私。突き放したのも私。
……こんなことなら、夢だけを見ていればよかった。
そう思うのも、私だ。
もし私だけ勘違いしていられたなら、その幸せはずっと続いたはずだった。
私だけが幸福になれば、それでよかったはずだった。
彼がどう思おうとその関係は続いたはずだった。
彼は甘えさせてくれるから。傍にいてくれるから。何も言わない、言えない、そんな関係であるべきだった。たとえ言葉にして愛を示さなくても幸福は確かに存在していたはずなのに。私は多くを願った。
–––彼を私だけのものにしたい。
欲深い願い。
それはきっと私の不安の裏返し。
この先もずっとこのまま続けばいいのに……。
なんて永遠を願ったのは、私が唯一無二、安心していることが出来た場所だから。
帰る場所だと、思いたかったから。
束の間の平穏だと思いたくはなかったから。
陽が落ちて、闇が満ちる。魔女の活発になる時間帯。ゴールデンタイムと呼ばれる時間帯に奴らは行動を開始する。逆に深夜はあまり活発な行動を見せない。それはひとえに街が寝静まるから。活動する人が少ないと魔女はそうやった行動を取る。
そんな時間帯だというのに私は魔女探索に行く気にはならなかった。膝を抱えて、未だ誰かを待っている。穴の向こうに見えるかもしれない彼を待っている。
そうしてるうちに時間は刻一刻と過ぎて……。
時計の針が頂点を降り始める。
何もする気にならないまま、私は気分転換にシャワーを浴びることにした。
温かいお湯は私の冷え切った身体を温める。だけど何故だろう、そうすることで余計に内側と外側の温度差がはっきりとわかってしまう。寂しさを紛らわせようとしたけど、上手くいかない。気分が変わるどころか余計に意識してしまう。
やめた。温かいお湯に浸かるのは今日はいいわ。シャワーヘッドから流れたお湯が身体を伝って落ちていくのを眺めながら、混ざる他の水分を自分のものとは思わないことにした。涙を流すこと、その熱さの分、私の心は冷えていくから。
「……ふぅ。寝ましょう」
誰に伝えるわけでもなく、独り言。
「おはよう」も「おやすみ」も言う相手はいない。
たったそれだけのことで私は心底寂しくなってしまう。
まるで、魔法少女になった最初の夜のようで……強くなろうって決めたのもその時だった。
部屋に帰ると十条君の部屋と直通で繋がっている穴は以前、開いたまま。
キュゥべえの気が利かなかったのか、或いは神様の仕業か……魔法で開けた穴を誰も埋めてくれはしない。私の心の穴もそう。誰かが埋めてくれるわけもない。
「……寝てるわよね?」
ただ、それはちょっとした確認だった。
帰って来てないだとか。また魔女に絡まれてるんじゃとか。そういう言い訳に本心を隠して、私はゆっくりと穴に近寄った。顔が見たいだとか、起きてるかな?とか気にしているわけじゃない。そう、私は別に下心があるわけじゃない。ただ確認したいだけで私が安心して眠るのに必要な行動なのだ。念のため魔女の反応を確認したけど、近辺には出現していないようだった。おそらく出現したのもあの女が狩ったのだろう。そう思うことにした。
私の部屋と彼の部屋を繋ぐ穴を覗く。
しかし、電気が点灯していないので中は暗くてよく見えなかった。
街の明かりと、月明かりとに照らされる部屋は人気のないような気もする。
ここからじゃよく見えないし、いないようなので私は穴を跨いで彼の部屋に侵入する。
「……ほっ」
–––いた。穴からじゃ死角になっていたベッドに眠っていた。
思わずほっとした私はほっとけない彼の傍に寄る。別に寝顔が見たいとかじゃないけど、起こさないように抜き足差し足で忍び寄る。
「私がこんなに苦しんで眠れない夜を過ごしているのに……」
寝顔を突いてみる。頰はフニフニしてて柔らかい。あったかくてその感触に思わず胸の内の熱が涙になって溢れそうになる。なんとかして抑え切ろうとしたけど、それは無理な話だった。
「……あなたが悪いんだからね」
髪を抑えて前屈みに覆い被さり、そっと彼の顔に影を落とす。繋がりあった唇の熱を確かに感じて、離す瞬間に痕跡を掻き消すように彼の唇を舌がなぞった。
「……おやすみなさい」
とてもイケナイ事をしている背徳感に対して浮かぶ罪悪感。でも、私はそこに確かな安心と幸福を感じ取っていた。