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「なんで、あんたは俺の面倒を見るんだ…。」
どこから引っ張り出してきたのか、見たことない表紙の本から顔を上げたサクヤ。
この本はまず背表紙を優しく撫でないと噛みつかれると、子供騙しの嘘で脅されたのは記憶に新しい。
西日が、サクヤの白い髪を薄金色に染めて、直接窓から差し込んでいる。
夕ご飯を作る前の一休みのひと時。
サスケはその光景を何度も見てきた。
「頼まれたから。」
優しい目が西日と共によく、よく刺さった。
―――
――
うちは一族で起こった『あの事件』があってから、サスケがサクヤを初めて見たのは、病院だった。
多少のかすり傷は有れど、外的損傷がほとんどなかったサスケと比べて
サクヤは夜中、人っ子一人起きていないはずの時間に
ストレッチャーで、慌ただしく病院に運ばれてきた。
「先生反応がありません!!」
「いいから続けて!! 除細動の準備!!」
「瞳孔の反応なし!! 弛緩剤の可能性あり!!」
「先にルート通します!!」
「出血が多い!! 輸血パックを!!」
サスケは初め、
何かに殴られたのか、腫れた顔は原型を殆ど留めていなかったからだ。
かろうじで赤い目がちらちらと見えたが、それは焦点が合っておらず、宙をわずかに行き来するだけ。
大した傷もないのに押し込められたICUのベットから、ぼんやりと眺めたその人間は
血だらけで、その髪はドス黒く染まっていた。
腕は火傷がひどく、赤く脈打ち
背中に刻み込まれた多くの切り傷は、毒か何かでふさがらないのか、赤色が脱脂綿でふき取る間から零れていく。
医師たちは懸命に毒抜きをして、原因の特定を続けている。
彼等の声はとどまることを知らない。
この人は、このまま死んでしまうのか。
自分はまた、人の死ぬ姿を見るのか。
濁った黒い瞳で、サスケはそれを眺める。
途中、サスケの様子に気付いた看護師がカーテンを閉めようとしたが、医師がそれを止める。
「その子、ついさっきまで何の反応も無かったの……。
良くも悪くも反応があるって事は、持ち直すかもしれない。
だから今は、好きなようにさせて。」
―――
――
明け方、やっと医師たちの声は落ち着きを取り戻し、機械音とICUを行き来する医師と看護師の足音だけに戻った。
隙を見てそのベッドに近付くと、どこか懐かしい気配がする。
そしてサスケは、ちらりとカルテから見えた名前で、『これ』はサクヤなのだと理解した。
顔中に張られたガーゼが包帯で固定されて、首元には仰々しいコルセットもまかれている。
腫れは未だ引いておらず、ギリギリサクヤと認識できるのは、時々開くぼやぼやと宙を行き来する赤い目だけ。目は開いているのに、それは鈍く反射するだけで何をもとらえていなかった。
赤黒い血の塊が落ち、多少は綺麗になった白い髪は頭部のけがの治療の為に短く切られている。
心臓に合わせて聞こえる電子音だけでは不安になり、唯一肌が露出している足首を握るが、鼓動は感じず、僅かな生暖かさだけで、更に生きているのか分からなくなる。
サスケはサクヤのベッドへ乗り込み、背中の傷のせいで横を向いている胸に、静かに耳を当てた。
小さくとも、しっかり動く肺と、電子音よりコンマ数秒早く聞こえた心音に、やっと安堵の息を吐く。
サスケの中で、サクヤの鼓動がこんなにも嬉しかった事は、後にも先にもこれだけだった。
―――
――
月詠のせいで安定しなかった精神が、サクヤのおかげか落ち着いたサスケは、一般病棟に移された。
しかし、騒々しいICUから一般病棟に移されても、サスケの足はICUに通い続けた。
サクヤの意識が無くても、心臓が止まりそうでも、今、サクヤの隣にいるべき人は自分でないといけない気がしたからだ。
医師たちがせわしなく動き回る部屋に忍び込んでは、何をするでもなく邪魔にならない場所で、ただ静かに患者を眺める、死にそうな顔色の子供を止められる者はいなかった。
全てを亡くしたサスケは、誰でもいいから自分の隣にいて
生きて欲しかった。
「誰か…いるのか…?」
かすかすの声で正気に戻ったサクヤが、声を掛けたのはサスケだった。
背中の傷に触らないよう、俯せに寝かせられ、呼吸の為に横を向けられた顔はサスケの方を向いているが、どうやら視力はまだ回復してないようで、サクヤの赤い目は宙をさまよう。
「……いる。」
何度か短いながらも意識が戻ることがあると看護師に聞いていたサスケは、そのサクヤの声に、返事を返すので精一杯だった。
本当は素直に意識が戻った事を、喜べればよかったんだ。
確かにうれしかった。
生きていて、意識が戻った。それに勝ることは無い。
サスケにとって、生きていたことがこれほど嬉しい事が無いと思うぐらい、嬉しかった。
救いだった。
しかし、それと同時にサスケの頭にはあの日の光景が廻って—―
何故サクヤが生きる事が出来て
家族は……両親は生きられなかったのだろう……
—―声が固くなるばかりだった。
サスケの低い声に何の疑問も持たず、サクヤはかすれた声で返事をする。
「そうか…心配をかけたな。もう行って大丈夫だ。」
「別に……俺が、勝手にやってることだし。今日はココにいる。」
「……?
そうか。見つからないように気を付けろよ。」
何だか妙な違和感を抱いたが、気にせずサスケは声をかける事にした。
サクヤの意識が、またどこかに行ってしまわないように
両親の様に、物言わぬ骸にならないように
「相当ひどいけがだったけど…」
「ああ、大丈夫。ちょっとした尋問の様なもんだ。
命を取りたいわけじゃなかったのは知ってた。
私の立場上、僅かでも生きていることに価値がある…って今更こんな話をしても意味ないか。」
顔中を包帯で巻かれている中、唯一見える左の赤い目を、初めてサスケに向ける。
そして石膏で固定されていた包帯だらけの腕をサスケの頭の上に乗せて囁いた。
「どうした?
元気ないな、イタチ。」
その眼はサスケを見ているようで、何も見えてはいなかった。
サスケはサクヤの怪我の、本当の意味を知らなかった。
知らなかった故この傷が、イタチとの戦闘で着いた傷で、
先程の言葉が、イタチの幻術にかかって心を壊してしまっての言葉だったのだろうと
考えてしまった。
そもそもの勘違いはそこからであった。
本当はダンゾウらの尋問と名ばかりの、拷問で出来た傷で、
朦朧とした意識と視界の中でサスケとイタチのよく似た姿を見分けるのは至難の業で、
一通り周りの気配を探って問題なかったからこそ出た安堵の一声で、
いつもより低いサスケの声はイタチの声とそっくりだった。
更に、情緒をぶち壊していく
この夢うつつの記憶を頭の片隅に留めておくのはとても難しい事で、次の日にはすっかり綺麗に忘れることなど、お茶の子さいさいであった。
サスケはこの会話以降、サクヤの病室に行くのを辞める。
壊れた(訳ではないがサスケにはそう見えた)サクヤに会いたくはなかったからだ。
なんならその原因を自分の兄とも思っているわけで、普通にどの面して会えばいいのか分からなかった。
―――
――
退院当初、立ち入り禁止のテープを跨いで勝手に侵入した集落は、自分の記憶そのままで
自分を裏切ったのはイタチ
生まれ育った家で両親を殺したのもイタチ
木の葉に住まう一族郎党殺したのもイタチ
関係ない(とサスケが勝手に思っている)サクヤを壊したのもイタチ
イタチの罪を数える度に、お腹の底に何か黒いモノが溜って行くようだった。
怪我が快方に向かい、意識が1日もつようになってからサクヤは
一般病棟に移され、元気にお見舞いのフルーツをむさぼり、自責の念に駆られる火影をいびっていた。
本人的には、拷問尋問はこのぐらいやるだろうし、ダンゾウが自分を殺すつもりも、使えなくするつもりも、血筋の利用価値的には全くないことに気づいていたので
のんきにこの程度で済んでよかったなどと思っていたが、サスケにとっては、知り合いの人間がここまで傷つく、それも自分の兄のせい(と勝手にサスケが思っている)……
はたから見ればサスケの心労は言わずもがなで、3代目火影が不自由ない生活をサスケに約束するのも納得の立場である。
サクヤが一般病棟に移った頃には退院していたサスケは、実家が事件現場のせいで一人暮らしをせざる負えなくなっていた。
一応子供が一人暮らしをするにあたって、里から火影の命で、何人かお手伝いさんが訪ねて来てはいる。
しかし
最初はお手伝いさんを家に入れてはいたが、段々とその腫物を触るような言動や、自分にやかましく話しかける存在が気に障るようになり、半年経った頃にはサスケはそれをすべて追い返していた。
勝手にサスケの心を推し量り、価値観を押し付け、かわいそうや大変等と評価を貼り付けられ、果にはうちはの遺産があるのだろうと迫ってくる輩までてきており、他人というものに辟易していたからだ。
一人で暮らそうと思えば、ぎりぎり暮らせる教育を両親から受けていたサスケは、一人に戸惑いながらも、一応は暮らせてはいた。
しかし経験のある大人の様に、知恵を働かせたり、情報を周りから集めたりできるかと言ったらそうでもなく
洗濯物が間に合わなかったり、お弁当を作り忘れてアカデミーで食いっぱぐれたり、演習場で疲れ果てて寝てしまいそのまま一夜を明かしたりと、段々一人で生きる大変さに耐え切れなくなっていた。
イタチに『サスケに何不自由ない生活を』と約束した3代目は、その姿に頭を悩ませ、ある一人の忍びを紹介する事とした。
やいのやいの言いながら、火影に引きずられて行く真の目のモヤシはいつかのようで、里の者は「またか……」と眺めるだけであった。
「毎日は無理となろうが、お主の面倒を当分の間見てもらう事となる。
互いに知己であろうが、しかし当分の間世話になる身じゃ、自己紹介しておきなさい。」
サスケの家に引きずられてきたのは、病院以来会っていなかったサクヤであった。
病院での出来事から1年ほどたっていた為、顔の腫れは引き、髪も元の長さに戻っている。
籠手や服で、怪我の様子は窺えなかったが、動きになにか制限があるように見え無かったので、その怪我ももう治ったのであろう。
サクヤがいつ退院したのか、怪我が全快したのか、サスケは知らなかったが、何故か『サクヤは病院での会話を覚えていないだろう』という妙な確信がサスケにはあった。
そしてサスケはそれを掘り返す気が無かった。
掘り返してサクヤがまた、あの日の様に壊れてしまう事が怖かったのだ。
あの、サスケを見ているようで、何も見ていない目は、もう二度と視たくなかった。
―――
――
サスケの家からの帰り、報告とばかりに火影室に顔を出したサクヤの顔は晴れてはいなかった。
「お主も、思うところがあるだろうが、サスケの世話係にはコマ、お前が一番いいと思っておる。」
「傷の舐めあいは出来ませんよ。」
「そう言う事ではない。環境の問題じゃ。
ナルトの様に、お前の思う通りに動いてもらって構わん。ワシはそれが一番じゃと思おとる。」
「御命令であれば。」
「……サスケを頼んだ。」
3代目が、どういう思考を経て、その言葉に辿り着いたのかは分からないが
その言葉は忌みじくも、イタチを心配するフガクと同じ言葉だった。